2016年07月23日

市・経済界が文化継承に取り組み「盛岡芸妓」デビュー

7月19日「信濃毎日新聞」夕刊に掲載された「おもてなし盛岡の魅力を」。
盛岡市で、次代を担う二人の芸妓が花柳界にデビューした記事です。

私は6月23日に初めて盛岡市を訪れて、その文化度の高さに驚きました。
なぜあれほど古い建物を残すことができたのか?
7月16日には「盛岡銀行赤レンガ館」が修復されてオープンしたばかりです。
相次いで取り上げられる盛岡の文化の話題。 
今回の記事は、その疑問の一端に答えてくれる内容でした。
DSCN2405

記事によると、明治から昭和にかけて、盛岡には長唄や踊りに秀でた芸妓が集まり「関東以北一の芸どころ」呼ばれたそうです。
ごひいき筋は原敬ら経済界の重鎮ばかり。後ろ盾を得た花柳界は隆盛を極めました。

しかし世相の変化で華美な宴会は減少。数十軒あった料亭は相次いで廃業。
最盛期には90人を超えた芸妓も2010年には、60代以上の熟練者5人だけに減少。

文化の継承を危ぶんだ市や経済界は、後継者育成に乗り出しました。
商工会議所に後援会を設置。担い手となる女性を募集。稽古費用などを支援。
2012年には19年ぶりに、新人2名がデビュー。

今回その次の世代として、2015年夏に公募。
このたび「盛岡芸妓」の見習い「ひよ妓(こ)」としてデビューしたお二人。

20歳と、23歳のお二人は、日本舞踊の経験はなし。
踊りだけでなく、創業60年の料亭で仲居仕事を通じてお座敷の作法も学んでいます。

先輩芸妓らは「文化を引き継ごうと若い人が来てくれるのはありがたい」と歓迎。
若い二人も「この世界だからできることがある」「誰よりも盛岡の魅力を伝えられるようになりたい」と目標を語っているとのことです。

なぜこれほど文化度が高いのか?それは市や経済界が、盛岡の文化を後世に引き継ごうと尽力しているから。それと共に、もちろん市民の文化力も高いからではないかと感じました。もう一度ゆっくりと訪れて、市民の方々と交流してみたい盛岡市です。

盛岡市のことを取り上げた、私のブログはこちら。
2016年6月「文化の香りあふれる盛岡市を訪ねて(1)
     「文化の香りあふれる盛岡市を訪ねて(2)
     「文化の香りあふれる盛岡市を訪ねて(3)
   7月「修復工事が終わった盛岡銀行赤レンガ館オープン

naganoetokino1 at 10:22│Comments(0)TrackBack(0) 長野と他の地域 

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