2006年09月08日

一生に一度は善光寺参り

長野駅から善光寺までの善光寺表参道は、約2キロメートル。
歩くことが減ってしまったこの道を、歴史や史跡で活性化したい。
そんな思いで、平成14年「歴史の町長野を紡ぐ会」を発足させました。
翌年の善光寺ご開帳以来、地元や県内の皆様、全国の皆様をご案内しています。

今、善光寺表参道は長い歴史の中で最も激しい変化の時を迎えています。
このブログでご紹介するのは、実際に歩いて見聞した行事や情報、調べた歴史や伝説。

多くの方に善光寺表参道の魅力をお伝えしたいと、
信濃毎日新聞社」の「信毎ホームページ大賞」に応募したところ、ノミネートされました。
初めて訪問していただいた皆様、ありがとうございます。
すでに所期の目的を果たした思いですが、これから1ヶ月間ウェブ投票があります。
よろしくお願いします。

新しいものと、古いものが交錯する善光寺表参道。
これからも「訪ねてみたい」「歩いてみたい」と思っていただけるような内容をめざしていきます。

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善光寺本堂
長野市民新聞」に隔週で連載している「長野をめざした旅人たち」。
夫、小林一郎と交替で書いています。
昨日、私がご紹介したのは「味噌すり地蔵様」。
能登半島の石川県輪島市門前町の古刹、「総持寺祖院」に伝わる伝説のお話。

昔、総持寺に味噌すりが仕事の小僧さんがいました。
小僧さんの唯一の願いは「一生に一度は善光寺参り」。
いつも境内のお地蔵様に手を合わせていました。
するとある時、お地蔵様が小僧さんに替わって味噌すりを引き受け、
善光寺参りをさせてくれたのです。
それ以来、このお地蔵様は「味噌すり地蔵」と呼ばれています。

全国各地に、今なお伝わる善光寺信仰。
お坊さんでも「一生に一度は・・・」と願を掛け、それを叶えてくれたお地蔵様。
善光寺のお膝元の私たちに、素朴な信仰を伝えてくれるお話です。

これまで「長野市民新聞」に私が書いたのは、
善光寺境内に灯籠を寄進したむじなのお話「むじな灯籠
平重衡の菩提を弔うために善光寺にやってきた「千手の前
焼失した善光寺を再建した「源頼朝の善光寺参詣(上)(中)(下)
亡妻と参詣後、御礼の絵馬を奉納した「幽霊の絵馬

これからも様々なお話を、ご紹介していきます。

naganoetokino1 at 23:13│Comments(0)TrackBack(0) 伝説 

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