2007年06月25日
小林一茶ゆかりの地、中野市
最低気温17,1度、最高気温24,7度。
昨日の雨降りとは打って変わって、今日は日が射す良い天気。
一日中、家で原稿書きをしていました。
今日は、先日伺った中野市の「小林一茶」の旧跡をご紹介します。
江戸で暮らしていた一茶(1763〜1827)が、
故郷柏原に帰ったのは文化9(1813)年の暮れ、50歳の時。
「谷街道」や「草津街道」を行き来して、小布施や湯田中を訪ねました。
当時、信州中野は上州草津方面から善光寺へ、または越後方面への交通の要所でした。中野市の街角に立てられた街道の標柱。

中野市にある「袋屋清左衛門邸」を訪れるようになったのは、一茶60歳の文政5(1822)年頃から。翌年妻、菊(37歳)と息子を相次いで亡くしました。「袋屋」は屋号で、味噌、醤油の醸造などを営む商家。


袋屋入り口の案内板。
たびたび袋屋を訪れた一茶。
「楳装園(ばいそうえん)」という名の袋屋の庭園。
一茶はこの庭を散歩したり、ひなたぼっこをしながら大空を眺めていたとのこと。左手の池に突き出た石は、「一茶の座禅石」と呼ばれました。
この石にひっくり返って、物思いにふけっていたそうです。

訪れた時は、ちょうど「山野草展」を開催中。
通路に掛けられた一茶の句。
「二番草 過ぎて善光寺 参り哉」
この句の季語は「二番草」で夏。二番草とは、田の出穂前に行う2番目の除草のこと。草取りが終わって、やっと行かれた善光寺参り。

「蓮の葉に 片足のせて 昼寝哉」
この句の季語は「蓮の葉」で夏。

昨日の雨降りとは打って変わって、今日は日が射す良い天気。
一日中、家で原稿書きをしていました。
今日は、先日伺った中野市の「小林一茶」の旧跡をご紹介します。
江戸で暮らしていた一茶(1763〜1827)が、
故郷柏原に帰ったのは文化9(1813)年の暮れ、50歳の時。
「谷街道」や「草津街道」を行き来して、小布施や湯田中を訪ねました。
当時、信州中野は上州草津方面から善光寺へ、または越後方面への交通の要所でした。中野市の街角に立てられた街道の標柱。

中野市にある「袋屋清左衛門邸」を訪れるようになったのは、一茶60歳の文政5(1822)年頃から。翌年妻、菊(37歳)と息子を相次いで亡くしました。「袋屋」は屋号で、味噌、醤油の醸造などを営む商家。


袋屋入り口の案内板。
たびたび袋屋を訪れた一茶。
「楳装園(ばいそうえん)」という名の袋屋の庭園。
一茶はこの庭を散歩したり、ひなたぼっこをしながら大空を眺めていたとのこと。左手の池に突き出た石は、「一茶の座禅石」と呼ばれました。
この石にひっくり返って、物思いにふけっていたそうです。

訪れた時は、ちょうど「山野草展」を開催中。
通路に掛けられた一茶の句。
「二番草 過ぎて善光寺 参り哉」
この句の季語は「二番草」で夏。二番草とは、田の出穂前に行う2番目の除草のこと。草取りが終わって、やっと行かれた善光寺参り。

「蓮の葉に 片足のせて 昼寝哉」
この句の季語は「蓮の葉」で夏。
