伝説

2011年02月20日

善光寺にやって来た「阿闍さん」

最低気温ー4,0度、最高気温7,5度。

2月20日(日)は旧暦の1月18日。
善光寺の宿坊のひとつ、本覚院の「阿闍梨(あじゃり)池」に、竜の姿になったお坊さん、阿闍さんがやって来る日です。

詳しくは、こちらをご覧ください。
嵐とともにやって来る阿闍さん

竜は嵐を呼びます。そこでお天気が急に悪くなる、と言われています。
それをかつては「阿闍梨荒れ」と言いました。
今日の天気はどうだったでしょうか。
日中、急に風が吹いた時があったのですが、あの時、たぶん阿闍さんがやって来た、と私は思いました。

これから1週間、善光寺に滞在する阿闍さん。
27日(日)に、静岡県御前崎市にある桜が池に帰って行きます。
さあ27日の天気はどうなるでしょうか。

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2010年03月02日

善光寺の伝説「阿闍梨池」

最低気温1,9度、最高気温9,7度。

明日3月3日は旧暦の1月18日。
静岡県御前崎市にある「桜が池」に住んでいる竜が、善光寺にお籠りに来る日です。
その竜が善光寺で住む池が、善光寺本覚院の境内にある「阿闍梨(あじゃり)池」。

元々、偉いお坊さんだった皇円阿闍梨。
永遠の命を得たいと思い、竜になって桜が池に住んだのです。

でも竜になるのは、動物となって永遠の苦しみを味わうことでもありました。そこで善光寺に救いを求めて、1年に1回お籠りに来るようになりました。

竜は嵐を呼ぶので、行き帰りは天気が荒れ模様になります。
さあ、それが明日の夜。
1週間滞在した竜は、3月10日(旧暦の1月25日)にまた桜が池に帰ります。

明日の夜の天気はどうでなるしょうか?
旧に天気が変わったら、竜のお出ましです。

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2009年12月20日

「善光寺伝説の紙芝居」新作「長野灯明まつり」でご披露

最低気温ー3,8度、最高気温2,1度。

「歴史の町長野を紡ぐ会」の新作紙芝居。
2作品の台本が完成しました。
いずれも善光寺の宿坊に伝わる伝説。
寝釈迦さん』と『阿闍梨池』です。

寝釈迦(ねじゃか)さん
善光寺世尊院釈迦堂の御本尊、釈迦涅槃像。
越後の海の流木の中からご出現したという伝説。
「流木から出現した涅槃像」の場面、どうやって善光寺へ運んだの?
nezyakaburogu2


阿闍梨(あじゃり)池
善光寺本覚院本善堂にある阿闍梨池。
1年に1回竜が来て住むという伝説。
「善光寺の本堂の上に現れた竜」の場面、さてその正体は?
azyariburogu2


両作品とも「長野灯明まつり」でご披露します。
皆さまにご披露するのを楽しみにして、会員一同練習に励みます。

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2009年02月16日

3月末出版『伝説の寺、善光寺』届いたゲラ

最低気温は3,0度。最高気温は5,6度。

11時ごろからどんどん下がり始めた気温。
夕方6時にはー2,0度。
小雪も舞い始め、23時にはー3,6度。
このところ暖かさに慣れていた体には、寒い一日でした。

本日、届けていただいた「伝説の寺、善光寺」のゲラ刷り。
夫、小林一郎と私の共著。3月末に出版予定の本です。

口絵カラー写真、本文写真・カットも全て入りました。
カメラマンの清水隆史さんの写真がたくさん入っています。
また近藤弓子さんのイラストも素敵です。
歴史の町長野を紡ぐ会が上演する紙芝居もカットとして挿入されています。
近藤弓子さんの編集はお見事。

こうして原稿が本の形になるのは、本当に嬉しいもの。
さあ、これからが大変な作業、校正です。
何度も、何度も目を通して、訂正・加筆・削除をしていきます。

これまでにはなかった、善光寺の伝説を集めた本。
昔の人々の、願いや思いがいっぱい詰まっています。
皆さま、どうぞお楽しみにお待ちください。

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2009年02月09日

『善光寺縁起ものがたり』『伝説の寺、善光寺』脱稿

最低気温ー4,8度。久しぶりに、ぐんと冷え込んだ朝
最高気温は5,6度。

御開帳に合わせて準備を進めている本の出版。
1冊は『善光寺縁起ものがたり』。
元禄5年版 善光寺如来縁起』を小林一郎が分かりやすく訳した本。

もう1冊は『伝説の寺、善光寺』。
小林一郎、小林玲子著
これまで二人で集めて書いた、28話の善光寺の伝説を収録。

先日、4日間に及ぶ写真撮影を終了。カメラマンは清水隆史さん。
今日、全ての原稿を書き上げ、編集の近藤弓子さんに手渡しました。

一応、一段落ですが、まだまだ校正などの作業は続きます。
2冊の本とも、出版予定は3月末。
皆さまどうぞよろしくお願いします。

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2009年02月03日

浅間山の噴火と善光寺さんの関係

最低気温ー3、1度、最高気温4,6度。
節分の今日、善光寺でも豆まきが行われました。

2日未明小規模の噴火をした、長野県と群馬県の境にある「浅間山」。
まだ警戒が必要なようです。

その浅間山と善光寺さんには、どんな関係があるの?

善光寺本堂欄間の「来迎二十五菩薩像」。
臨終の時、極楽から阿弥陀如来様と一緒にお迎えにくるのが二十五菩薩。
欄間の3つの間の内、一番左の御本尊がまつられている西の間。
その西の間の中央に、一体だけ菩薩がおいでにならない台座があります。
なぜ菩薩はおいでにならないのでしょうか?

それを紙芝居で演じているのが、私たち「歴史の町長野を紡ぐ会」。
紙芝居の題名は、「消えた菩薩」。

お話は、江戸時代の天明3年(1783)にさかのぼります。
浅間山の最大規模の噴火とされるのが「天明の大噴火」。
紙芝居では次のように語ります。
「この年、4月に始まった噴火は、7月8日に最後の大噴火。
大火砕流が流れ下り、火山灰は成層圏まで上がりました。
それは日光を遮り冷害を起こし、天明の飢饉の原因となりました」

最大の被害があった上州鎌原村(群馬県嬬恋村鎌原)の被害。
人口608人の内、477人が死亡。
93軒の家屋は残らず倒壊。

さて紙芝居に戻ると、
「最大の噴火があった7月8日の善光寺では・・・
本堂から飛び出してきたのは、一体の菩薩さま。
参拝者の頭上を、一直線に浅間山の方向に飛び去っていかれました。
その後、本堂の欄間を見ると、菩薩さまが一体なくなっています」
「これはどうしたことだろう?
皆が考え込んでいると・・・
物知りの老人が言いました。
『あれは虚空蔵菩薩だったに違いない。
虚空蔵菩薩は浅間山の守り仏だから、
噴火している浅間山が心配で様子を見に行ってしまわれたんだろう』
さて、それ以来、菩薩さまは2度と帰っておいでになりませんでした」

「こうして本堂の欄間には、台座だけが残されているのです。
消えた菩薩のお話、これでおしまい」

さすがに善光寺さん!浅間山の噴火とも関係があったのです。
この伝説のお話は、3月末に出版予定の、夫と私の共著に収録されています。他にも数々ある善光寺さんの伝説。どうぞお楽しみに。

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2009年01月24日

善光寺信仰を知る2冊の本の出版

最低気温ー1,9度、最高気温2,0度。
春のようだった昨日。ところが夜には冬に逆戻り。
今朝は雪が積もっていました。日中の気温は上がらず、夕方から気温はどんどん下がりはじめ、午後10時の気温はすでにー4度。

今日は、編集・デザイナーの方と、出版に向けての打ち合わせ会議。
夫・小林一郎と、息子・竜太郎の4名で内容を詰めました。

この春、出版予定の本は2冊。
1冊は『善光寺縁起ものがたり』。
夫が昭和60年に出版した『善光寺如来縁起』。
それまで活字化されていなかった善光寺縁起。
分かりやすく活字にして、口語訳を付け、解説を付けた本。
10数年の歳月を掛けて出版しました。
私はこの本で、絵解き「善光寺如来絵伝」の台本を作りました。

今回は、その本の口語訳をさらに分かりやすくしました。
これをご覧いただけば、善光寺信仰の真髄を知ることができます。

もう1冊は、夫と私の共著。
善光寺の伝説を28話集めた本です。
これまで広く知られていたお話の他、今回初めてお伝えするお話もあります。題名は、ただ今思案中。
今回取り上げた伝説は、善光寺本堂や境内、界隈に見ることができるお話。いずれも深い信仰を、お伝えする伝説ばかり。

まだまだこれからが本作りの本番。
出版に向けて、忙しい毎日が続きます。

是非、多くの皆さんにお手に取っていただき、ご覧いただけますようにと、心を込めて作業を進めます。

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2008年12月27日

クリスマスに善光寺でテレビの収録

最低気温ー6,1度。この冬一番の冷え込み。

SBC信越放送」の番組「3時は!ららら♪」。
来年6日の番組放送の収録のため、25日「善光寺」本堂前へ。
すでに収録を終えた、若麻績亨則住職とSBCスタッフが出迎えてくれました。
住職は「御開帳」の見所をお話されたとのこと。

私は「善光寺の伝説」の紙芝居2作品を披露。
護法石のお話」と「幽霊の絵馬」。
どちらも亡くなった人が現れる、というお話。
「護法石のお話」は、本堂前の護法石の前で収録。
そして「幽霊の絵馬」は、実際に展示してある「善光寺史料館」で。
収録後、史料館前で担当の佐藤友紀アナウンサーと。
佐藤アナと





クリスマスの善光寺はさすがに人がまばら。
すでに縁起物を手にしている方を見かけて、びっくり。
山門





今年の正月行事を行う、「大本願」前の「堂明坊」。
早くも12月1日から注連飾りが掛かっています。
堂明坊前
善光寺の入り口から見た一直線に続く「善光寺表参道」の街並。静かに、新しい年を待っている、という風情でした。
表参道

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2008年11月06日

「長野市民新聞」の連載を終えて

朝の冷え込みは、昨日ほどではなく2,4度。
お日様が出て、気温は上がりそうです。

本日「長野市民新聞」に掲載された「長野をめざした旅人たち」。
62回目の今日は「連載を終えて」のご挨拶。

長野郷土史研究会会長の夫、小林一郎と二人で始めた連載。
平成18年2月から、2年8ヶ月に渡りました。
ご購読いただきました皆さま、ありがとうございました。

善光寺さんのある長野だからこそ、続けることができた企画。
それが善光寺さんのすごさです。
まだまだ取り上げたい旅人はたくさんいますが、
ひとまず区切りを付けて、またの機会に。

全国を巡った有名人なら、必ず訪れた話が残っている善光寺さん。
伝説のお話は、枚挙にいとまがありません。
有名人のお話ばかりではありません。
一般の庶民や動物も、全ての衆生が善光寺をめざして旅を続けました。

数々のお話から、今、私たちが受け取ることができること。
それは、昔の人々の深い、篤い信仰の心。
時代は変わっても、そこから現在の私たちが学ぶものは大きいはずです。

今週8日(土)の「善光寺寺子屋文化講座」。
私が担当するのは、「善光寺さんの不思議なお話」。
語りや紙芝居で、伝説のお話をお伝えします。

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2008年02月23日

「阿闍さん」のお出ましで、空模様が心配

昨日は気温が上昇して春のような陽気。
今朝の最低気温はー0,3度。最高気温は5,0度。
でも天気予報によると、天気は急変してこれから雪。
荒れ模様になるとか。

それもそのはず、実は明日は旧暦の正月18日。
善光寺本覚院」の「阿闍梨池」に阿闍さんがやって来る日。
「本覚院」は善光寺に38ある宿坊のひとつ。
右手に本覚院の御本尊がまつられている「本善堂」。
その左手にあるのが「阿闍梨池」。
阿闍梨池
今は水もない小さな「阿闍梨池」。でも遠江の国の「桜が池」とつながっていると言われています。現在の静岡県御前崎市。
その「桜が池」に住んでいる竜の姿となった「皇円阿闍梨」。
その竜が、1年に1回やって来るのが明日24日(日)。
1週間善光寺に滞在して旧暦の1月25日には、お帰りになります。
それが今年は3月2日(日)。
阿闍梨池アップ






かつては「阿闍さんがおいでになった」「お帰りになった」と、
善光寺界わいの人々は語りあったとのこと。
「阿闍さん」の行き帰りは、お天気が荒れ模様になるのです。
さあ、3月2日の天気はどうでしょうか。
「阿闍さん」詳しくは、2006年2月嵐とともににやってくる、あじゃさん」をどうぞ。
小林一茶が詠んだ阿闍さんの句は2006年2月静かにお帰りなったあじゃさん」をどうぞ。
小学生の皆さんのあじゃさんの感想は2007年3月裾花小学校の皆さんからのお便り」をどうぞ。

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2006年09月09日

SBCラジオ、今日の話題は「幽霊の絵馬」

昨年から毎月1回出演の、SBCラジオの番組「善光寺表参道・夢彩(ゆめいろ)さがし」。新築のビル「トイーゴ」からの放送でした。

今日の話題は、「善光寺に奉納された絵馬」。
アナウンサーの三島さやかさんと、絵馬に見る信仰の思いについてお話しました。現在の絵馬は形が決まっていて、そこに願い事を書きます。
善光寺本堂前の絵馬納所。「合格祈願」「病気平癒」がほとんどです。
本堂と絵馬





本堂西の「親鸞聖人爪彫りの阿弥陀如来」。
聖人が善光寺に百日逗留された折、爪で彫られたという伝説があります。
目の信仰があって、ここにもたくさんの絵馬が掛けられています。
親鸞爪彫り阿弥陀如来





昔の絵馬は、形が大きく絵も描かれていて、絵画のような立派なもの。
語りでご披露したのは「幽霊の絵馬」。
その絵馬は本堂北西の「日本忠霊殿」内、
善光寺史料館」に展示されています。忠霊殿


「幽霊の絵馬」のお話は、
善光寺参りの途中で妻を亡くした、九州長崎の中村吉蔵。
妻の菩提を弔おうと、赤ん坊を連れて善光寺へ向かいます。
ところが途中で妻が現れ、一緒に善光寺へ参拝し、姿が消えました。
善光寺如来様に感謝をした吉蔵は、御礼の絵馬を奉納しました。

昔の絵馬は、病気が治った・子どもが授かった御礼や、感謝の絵馬がほとんどです。現代の私たちが忘れかけている心を、絵馬は教えてくれます。

善光寺は今、三門の大修理中で白い覆いが掛かっています。
写真は本堂から見た三門。
今日の長野は最高気温が33,6度。
きびしい残暑の中、赤ちゃんの無事な成長を願う2組の家族がいました。
真っ青な空と、真っ白な産着の対比が、目に鮮やかでした。
本堂上から山門を見る

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2006年09月08日

一生に一度は善光寺参り

長野駅から善光寺までの善光寺表参道は、約2キロメートル。
歩くことが減ってしまったこの道を、歴史や史跡で活性化したい。
そんな思いで、平成14年「歴史の町長野を紡ぐ会」を発足させました。
翌年の善光寺ご開帳以来、地元や県内の皆様、全国の皆様をご案内しています。

今、善光寺表参道は長い歴史の中で最も激しい変化の時を迎えています。
このブログでご紹介するのは、実際に歩いて見聞した行事や情報、調べた歴史や伝説。

多くの方に善光寺表参道の魅力をお伝えしたいと、
信濃毎日新聞社」の「信毎ホームページ大賞」に応募したところ、ノミネートされました。
初めて訪問していただいた皆様、ありがとうございます。
すでに所期の目的を果たした思いですが、これから1ヶ月間ウェブ投票があります。
よろしくお願いします。

新しいものと、古いものが交錯する善光寺表参道。
これからも「訪ねてみたい」「歩いてみたい」と思っていただけるような内容をめざしていきます。

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善光寺本堂
長野市民新聞」に隔週で連載している「長野をめざした旅人たち」。
夫、小林一郎と交替で書いています。
昨日、私がご紹介したのは「味噌すり地蔵様」。
能登半島の石川県輪島市門前町の古刹、「総持寺祖院」に伝わる伝説のお話。

昔、総持寺に味噌すりが仕事の小僧さんがいました。
小僧さんの唯一の願いは「一生に一度は善光寺参り」。
いつも境内のお地蔵様に手を合わせていました。
するとある時、お地蔵様が小僧さんに替わって味噌すりを引き受け、
善光寺参りをさせてくれたのです。
それ以来、このお地蔵様は「味噌すり地蔵」と呼ばれています。

全国各地に、今なお伝わる善光寺信仰。
お坊さんでも「一生に一度は・・・」と願を掛け、それを叶えてくれたお地蔵様。
善光寺のお膝元の私たちに、素朴な信仰を伝えてくれるお話です。

これまで「長野市民新聞」に私が書いたのは、
善光寺境内に灯籠を寄進したむじなのお話「むじな灯籠
平重衡の菩提を弔うために善光寺にやってきた「千手の前
焼失した善光寺を再建した「源頼朝の善光寺参詣(上)(中)(下)
亡妻と参詣後、御礼の絵馬を奉納した「幽霊の絵馬

これからも様々なお話を、ご紹介していきます。

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2006年08月19日

SBCラジオ、今日の話題は「濡れ仏」

あつい,暑い、熱い長野です。
16日から3日間連続で最高気温を更新中。今日の予報もさらにアップの36度。
だんだんと人間の体温に近づいていくような勢いです。

善光寺境内の木々2
善光寺境内西側の木々。吹き抜ける風は。自然の涼しさを運んでくれます。




毎月1回出演のSBCラジオ善光寺表参道 夢彩(ゆめいろ)さがし」。
今日の放送内容は、善光寺境内にまつられている「八百屋お七の濡れ仏」。
六地蔵様の左手にまつられている、大きなお地蔵様の伝説のお話でした。
濡れ仏



まつられたのは今から280年以上前の享保7年(1722)。
上水内郡普光寺村(現飯綱町)のお坊さんが、日本中を巡って寄進を集めまつりました。像の高さは268センチ。高い台座の上にまつられています。

のちに「八百屋お七」の伝説が付きました。
火付けの罪で火あぶりの刑になったお七のお話は、実際にあったお話。
それを井原西鶴が「好色五人女」で取り上げ、有名になりました。
お七の恋人、吉三郎が菩提を弔うために善光寺にまつったというお話は伝説。
全国規模の善光寺ならではの伝説です。

番組のスタッフの皆さんと撮影。この社屋での収録は今回が最後。
来週には表参道の「トイーゴ」へ引っ越しされるそうです。
私の左がアナウンサーの三島さやかさん。後ろ右は西沢修ディレクターと、リポーターの塩入みゆきさん。息のあった素敵なスタッフの皆さんです。
SBC夢彩さがし

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2006年07月22日

SBCラジオ、今日の話題は善光寺本堂

毎月1回出演のSBC信越放送のラジオ番組「善光寺表参道夢彩さがし」。
今日は善光寺本堂の建築に関わるお話。

善光寺の本堂が建立されたのは宝永4年(1707)。
来年でちょうど300年です。
それまで何回も火災に遭っていた善光寺。
今から300年前に、現在の仲見世の場所から現在地に移しました。
そこには「北之門町(きたのもんちょう)」がありましたが、住民には境内の東側に移ってもらいました。そこが現在の「新町」です。

ところが新築の準備をしていた時、松本方面から集めた材木が火災で燃えてしました。そこで今度は佐久方面から千曲川を下して、材木を集めました。
番組前半は、三島さやかさんと善光寺の建築様式などのお話をしました。
三島さんと








後半は本堂建築にまつわるお話「不思議な大工」。
大正初期に生まれた方が、ご自分のおばあさんから聞いたお話を語りにしたものです。写真は収録後、担当の西沢ディレクターと撮影。
アナウンサーの三島さんとお話するのは隣の部屋。この部屋はディレクターが指示を出したり、録音する部屋です。
西沢さんと







このSBC本社(長野市吉田)での収録は、来月までということです。
いよいよ9月には表参道の問御所町に新築中の「トイーゴ」に移転します。

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2006年07月12日

頼朝善光寺参詣と新築ビル「トイーゴ」

朝から雨が降ったりやんだりの、ようやく梅雨らしい天気。
庭の紫陽花も雨のしずくにしっとり濡れています。

長野市民新聞で夫、小林一郎と交替で連載の「長野をめざした旅人たち」。私が取り上げたのは「源頼朝」3回。7月6日はその最終回。

(上)6月8日ブログ「鶴岡八幡宮表参道と善光寺表参道」
(中)6月22日ブログ「長野をめざした旅人、頼朝」

建久8(1197)年、頼朝は鎌倉を発って善光寺へ向かいました。

完成間近のSBC信越放送が入るビル「トイーゴ」。
その名前は、地名の「問(とい)御所」からきています。
頼朝が休んだ場所=御所豊(とよ)御所」「問御所

十念寺(西後町)も頼朝が建てたという寺。
寺の入り口にはいわれを伝える標柱が立っています。
紫雲(しうん)山 頼朝(らいちょう)院 十念寺
西の旭山の方角から紫の雲に乗って、阿弥陀如来様がご出現され、
十念を授けてくださったので、頼朝はこの地に寺を建立しました。(写真左)
十念寺標識





大門南の交差点にあった
返り見橋」「返り橋」は、頼朝が権堂の往生院の蓮池を振り返ったことから付いた名前。

善光寺境内の「駒返り橋」は、頼朝の馬のひづめが挟まったので、馬から降りて参詣した、という故事にちなんだ名前。左の丸い一枚の石が「駒返り橋」。馬のひづめが挟まったのは、真ん中に開いている穴。(写真下)
駒返り橋と敷石





頼朝の伝説がたくさん残る善光寺表参道。
最先端のビルの名が頼朝と関係があるなんて、善光寺のお膝元ならではの逸話だと思いませんか。

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2006年07月02日

善光寺境内に新しい名所

天気予報は雨でしたが、午前中から晴れてきて、何とか一日穏やかな天気。7月に入っても梅雨らしい雨は降りません。水不足が心配されています。

昨日見学した善光寺境内。宿坊のひとつ、大本願前の「白蓮坊」さんの前に、「むじな地蔵」がまつられていました。この像は昨日開眼供養が行われたばかり。この寺にまつわる伝説「むじな灯籠」にちなんで作られました。
先日ご紹介した「むじな灯籠の歌碑」の上にまつられました。写真は顧問の小林一郎の解説を聞く歴史の町長野を紡ぐ会のメンバー。
むじな地蔵見学





白蓮坊さんの寺内には、この像の元となる木彫の像がまつられています。ご住職様は「むじな」を「たぬき」として制作されました。また「むじな地蔵尊御守」も作られました。今後、経蔵前の「むじな灯籠」と共に善光寺の新しい名所となることでしょう。
むじなアップ



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2006年06月22日

長野をめざした旅人「源頼朝」

長野市民新聞で夫、小林一郎と交替で連載の「長野をめざした旅人たち」。前回から3回連続で、私が「源頼朝」を取り上げています。今日はその2回目。「中御所の観音寺」と「問御所の鶴ヶ橋」にまつわるお話を書きました。
第1回は、6月8日ブログ「鶴岡八幡宮表参道と善光寺表参道」をご覧ください。

源平の合戦のさなか、善光寺は落雷によって焼失します。その善光寺を再建したのが平家を滅ぼした源頼朝でした。信濃の武士たちに再興を命じた下文(くだしぶみ)を戦いが終結した文治3年(1187)に出しています。そして鎌倉幕府を開いた5年後の建久8年(1197)、頼朝は鎌倉を立って善光寺に向かいました。

観音寺(長野市中御所)の門前の標柱。正面には「征夷大将軍源頼朝公御守仏髻馬頭観世音」と刻まれています。
観音寺正面


頼朝は善光寺を目前にしてこの地に泊まります。それ以来、ここを「御所」と呼び、この地を「中之御所」「中御所」というようになりました。
髪を束ねた髻(もとどり)の中に入れていた馬頭観音のお告げによって、この地に寺を建立して守り仏の馬頭観音をまつりました。それが現在観音寺のご本尊の「髻馬頭観音」です。

標柱裏には頼朝が訪れた年「建久八丁(ひのと)巳(み)三月」と刻まれています。
観音寺標柱2





いよいよ善光寺に近づいた頼朝は、川にかかった橋の上から、はるかに鎌倉の鶴岡八幡宮を拝みました。それ以来、この橋を「鶴ヶ橋」川を「北八幡川」と呼ぶようになりました。写真はその「鶴ヶ橋」が架かっていた場所。現在川は暗渠になっています。
鶴ヶ橋



中御所の観音寺は北国街道沿いにあって、長野駅ができるまでは善光寺表参道の入り口に当たりました。江戸時代に立てられた門前の標柱を見た旅人たちは、頼朝に思いを馳せたことでしょう。また問御所町の鶴ヶ橋も、表参道が舗装された昭和初期まではあったはずですし、北八幡川も昭和30年代頃までは流れを目にすることができました。
現在の私たちが歴史に思いを馳せるのには、たくさんの想像力が必要です。

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2006年06月17日

SBCラジオ、話題は「善光寺のつりがね」

昨年4月から毎月1回出演しているSBCラジオの「善光寺表参道・夢彩さがし今日の話題は善光寺の「つりがねのお話」。番組は善光寺の鐘の音からスタート。時代物のマイクをはさんで、アナウンサーの三島さやかさんとスタジオで収録。写真は隣の副調室から西沢ディレクターに撮影していだきました。
SBC収録


善光寺本堂は来年が建立300年です。その本堂の東南の高い石垣の上に建つ鐘楼にかかる「つりがね」。何と本堂完成より40年も前に造られました。重要美術品に指定されていたので、戦争の供出をまぬがれました。高さ1,8m、口径1,16m。寄進者は大勢の一般の人々です。
鐘つき


時の鐘は、毎日午前10時、11時、正午、午後1時、2時、3時(4月〜10月は午後4時)。捨て鐘(すてがね)という予告の鐘を3回撞いた後に、時刻の数が撞かれます。(例 10時は捨て鐘3回+10回=13回)



今日は歴史の町長野を紡ぐ会の定例行事「善光寺表参道七福神めぐり」と「善光寺表参道案内講座第3回」を同時刻に開催しました。
養成講座写真は「案内講座」の栽松院(問御所)で本会員の説明を聞く参加者の皆さん。

「七福神めぐり」は参加者31名、メンバー7名。「案内講座」は参加者13名、メンバー3名でした。梅雨の晴れ間で、蒸し暑い日でしたが大勢の皆さんが善光寺表参道に参集されました。

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2006年05月30日

白蓮坊さんの門前に新設された歌碑

4月3日ブログ「新聞連載・長野をめざした旅人たち」では、善光寺境内西の経蔵前に建つ「むじな灯籠」について書きました。

写真は今年4月21日撮影の「満開の桜とむじな灯籠」。
むじな灯籠と桜





昨日ご紹介した歌碑には、次のように刻まれていました。
    「善光寺むじな灯籠  
     むかしむかし下総の
     むじなが灯籠をあげたとさ
     むじな灯籠に火がともりや
     今もお山のむじなたち
     なむなむなむと拝むとさ
            御風作併書」
むじな灯籠の碑


作者の相馬御風の作で有名なのが早稲田大学の校歌です。明治40年早稲田大学創立25周年に際し、大学や恩師に委嘱されて作詞したのが「都の西北」でした。御風はその前年、明治39年に早稲田大学を卒業しています。この校歌は今なお歌い継がれ、不朽の名作と言われています。また童謡「春よこい」なども作詞しています。
白連坊さん門前の歌碑は、伝説を後世に伝える大切な碑となることでしょう。

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2006年05月20日

SBC、今日の話題は「敷石の由来」

SBCラジオ(土)朝8時半〜「善光寺表参道 夢彩(いろ)さがし」。毎月1回出演しています。今日の話題は「善光寺参道の敷石」。形態や歴史、伝説のお話などでした。

パーソナリティーの三島さやかさんと収録後に撮影。二人の間の時代物のマイクは実際に使われているもの。昭和27年(1952)3月にラジオ放送を開始したSBC信越放送。私の生まれはちょうどその年、その月です。8月末に表参道(問御所)へ移転するSBCですが、古いスタジオにもマイクにも特別のご縁と愛着を感じます。
三島さんと収録


番組では敷石の由来を語りで披露しました。写真は境内入り口付近の宿坊前の敷石。きちんと横にそろっていないのは三門側から並べてきて、そろった石がなくなってしまったからとか、参拝者の出入りが多い境内入り口なので修復されたから、と推察されています。
敷石入り口

さて伝説のお話は次の通り。今から300年近くも昔のことです。江戸に大竹屋平兵衛という大きな石屋がありました。一人息子は放蕩で、遊び歩いていて夜になっても帰ってきません。ある晩、平兵衛は盗賊と勘違いして、息子の命を奪ってしまいました。
店をたたんで巡礼の旅に出た平兵衛は、最後に善光寺へやってきました。寺の近くの桜小路(現在の桜枝町)に住んで、毎日お参りをしていました。
ところが本堂は完成したばかりでしたが敷石はなく、参拝者が難儀をしています。石屋だった平兵衛は敷石の寄進を思い立ちました。その完成は本堂ができてから7年後の正徳4年(1714)のことでした。

今日の午後は、善光寺の境内で歴史の町長野を紡ぐ会会員学習会を行いました。顧問の小林一郎を講師に迎え、伝説の場所を中心に学びました。写真は「善光寺日本忠霊殿」。全国で唯一の仏式による忠霊殿で、明治以来の戦死者の遺骨を納めています。現在の建物は昭和45年(1970)完成。内部に善光寺史料館が併設されています。工事中の三門のご本尊「文殊菩薩」はこの史料館にまつられています。忠霊殿会員勉強

その後「経蔵」を見学しました。内部の江戸時代の参拝者の落書きが興味を引きました。落書きとは言っても、全て参詣年月日、出身地と名前を書いたものです。「江戸時代の参詣者の落書きには、今とは違った意味があったのかもしれません」と小林一郎から解説がありました。


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2006年04月22日

SBC、今日の話題は「むじな灯籠」

SBCラジオの「善光寺表参道 夢彩さがし」。今日は新年度に入って初めての出演でした。パーソナリティーは小林万利子さんに替わって三島さやかさん。
三島さんには昨年、柳町中学校2学年の総合講座「善光寺大研究」で絵解きをした時「ニュースワイド」で取材をしていただきました。
夢彩探検隊は昨年度と同じく塩入美雪さん。今日の話題は「大門町石畳の補修」。昨日私もブログに書きました。でも塩入さんの取材で知った新情報。
。隠闇前道路の改修で石畳にしたのは110メートル。そこに敷石は4000枚。
敷石は、年3回修復する。
K菁100枚ぐらいを取り替えるが、この春は40枚を取り替えた。
塩入さんはSBCホームページで「みゆきの夢彩八景」を連載中。写真も文章も楽しくて素敵です。

さて、三島さんとの今日の話題は善光寺境内にある「むじな灯籠のいわれ」
その灯籠については、4月3日のブログ「新聞連載 長野をめざした旅人たち」で、詳しく書きました。どうぞご覧ください。

その時、固いつぼみだった桜。昨日善光寺を訪れると、灯籠脇の桜は満開でした。
むじな灯籠と桜




ラジオ番組で話題にした善光寺門前、大門町の大門交差点の付近に建つ2基の灯籠。10年ほど前に表参道の改修に伴って、善光寺境内から移されたものです。対になっているように見えますが、奉納時期と奉納者は違います。
善光寺に向かって右の灯籠は、文政8年(1825)越後蒲原郡三条の宝塔院前住職らが奉納。左は万延2年(1861)信州高井郡仙仁村の田中喜右衛門が奉納。
大門灯籠2基



大門石灯籠

灯籠は奉納されたものですが、一方歴史を今に伝える大切な石造文化財です。そこに刻まれた文字は、現在の私たちに様々なことを伝えてくれます。

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2006年04月03日

新聞連載「長野をめざした旅人たち」

私と長野郷土史研究会会長、小林一郎が、長野市民新聞で始めた連載は「長野をめざした旅人たち」。2月半ばから、木曜日に隔週で掲載されています。

全国から善光寺を訪れた旅人たちのお話を、一話ずつ紹介しています。これまでに取り上げた旅人は小林一郎・文で「水戸黄門」「神崎右京」「那須与一の奥方」の3話。
そして私が3月30日付けで書いたのは「むじな」。
善光寺のご本尊は全ての衆生(しゅじょう)を救ってくださいます。衆生とは人間だけではなく、動物も含まれます。善光寺の境内にある、人間に化けた「むじな」が寄進したという伝説の灯籠。「むじな灯籠」と書かれた案内板が立っています。

善光寺境内の経蔵入り口の右手に立つ「むじな灯籠」。
むじな灯籠

今から260年以上も前のことです。下総国(しもうさのくに)葛飾郡(かつしかごおり)冬木(ふゆぎ)村に1匹のむじなが住んでいました。ある時むじなは人間に化けて、善光寺参りの旅にでました。
善光寺では持ち郡(もちごおり)と言って、出身地によって泊まる宿が決まっていました。紹介された宿は白蓮坊(びゃくれんぼう)。大本願の前にあり、現在は「ギャルリ連」というアートショップにもなっています。その宿坊から布団を借りたむじなは、本堂にお籠(こも)りしました。遠くから来た参詣者は、一晩本堂に泊まるのです。
翌日、門前町の石屋に石灯籠を頼みました。出来上がった灯籠は、経蔵の前に据えられました。

「念仏講中」
念仏講中









「下総国葛飾郡冬木村 願主到誉岸」(最後の字は削れていて不明)
下総国葛飾郡冬木村願主









「寛保三癸亥歳十一月中旬 願主白蓮坊」
寛保三白蓮坊


ところがその夜、宿坊の風呂でむじなの姿に戻ったところを人間に見つかってしまいました。むじなは慌てて冬木村に逃げ帰ったということです。それ以来、この灯籠は「むじな灯籠」と呼ばれています。
不思議な灯籠で、ある時お侍が化け物と間違えて刀で切り掛かりました。ですから刀傷があります。また煎じて飲むと病気が治るとも言われて、削って持ち帰る人がいましたので、随分削れています。

善光寺や門前町には、こんな伝説のお話が自然な形で伝わっています。まだまだ伝わるたくさんのお話を、「長野市民新聞」でこれからも連載していきます。掲載後はブログでもご紹介します。

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2006年03月05日

大町街道入り口は頼朝の伝説跡

昭和通り沿いの長野中央郵便局の向かい側にある、小さな小路。かつて大町街道、あるいは西山街道と呼ばれた街道の名残の小路です。
この街道は名前の通り、大町や西山方面(小川村や中条村など)から、表参道に通じる大切な道でした。
大町街道入り口(通り反対側から)

実は現在でもこの道には、昔の街道の面影を見る事ができます。写真の「上水館」はかつて旅館でした。
上水館




古い倉庫もあって、現在も使われているようです。まるで昭和初期にタイムスリップしたような風景です。
倉庫(大町街道)

この街道を表参道に出た所にあったのが、「鶴ヶ橋」。ここにも源頼朝の伝説があります。頼朝が善光寺参詣の途中、この地に差し掛かりますと川が流れ、橋が架かっていました。頼朝はその川で、口をすすぎ、手を洗って身を清めました。そして鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮を拝みました。それ以来、その橋を「鶴ヶ橋」、川の名を「八幡川」と言うようになりました。現在、川は暗渠となっていて見えませんが、北八幡川が流れています。
鶴が橋

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2006年03月04日

頼朝善光寺参詣の足跡がのこる寺

昨日のなごり雪とは打って変わって、寒いながらも青空の広がる良い天気。午前中は、市内の高校の卒業式に参列。土曜日に行う学校が増えて、両親揃っての参列も目立つようになりました。
来賓の祝辞の中で印象に残った言葉。
「明治生まれの人は気骨のある人が多かったと、よく言われます。今日の卒業生の皆さんは昭和生まれの最後の卒業生です。私も昭和生まれです。将来、昭和生まれの人はどんな人が多かった、と言われるのでしょうか」
今日の卒業生の生年は、昭和62年と63年。そうだったと、初めて気付きました。

午後は長野郷土史研究会若槻支部総会の講演会。60名ほどの方が参加されました。
「長野をめざした旅人たちー頼朝も水戸黄門も訪れた門前町ー」
長野郷土史研究会会長の小林一郎と、私が「長野市民新聞」に交替で書くことになったのが「長野をめざした旅人たち」。それと同じ演題の講演でした。新聞にはすでに小林一郎作の2話を掲載。今後、門前町長野を訪れた、有名、無名、実在、架空、伝説上など様々な人々を取り上げていきます。このブログでも、少しずつご紹介していきます。
十念寺
長野をめざした旅人の一人、源頼朝善光寺参詣にゆかりのあるお寺、十念寺
頼朝参詣の折、この地を通りかかると西の山から紫雲に乗って、阿弥陀様がご出現になり十念(南無阿弥陀仏を10回唱えること)をお授けになりました。感激した頼朝は、この地に寺を建てることを命じました。寺の屋根と、西の旭山とが、美しく対を成しています。手前右の建物は大仏堂。丈六の阿弥陀如来様がまつられています。


十念寺標識表参道、寺の入り口に立つ、寺のいわれを伝える標識。紫雲山頼朝院十念寺(しうんざん らいちょういん じゅうねんじ)と山号、院号、寺号がそれぞれ伝説に因んでいます。

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2006年02月23日

静かにお帰りなった「あじゃさん」

2月22日、私の昨日のスケジュール表には「阿闍さん帰る」と書いてあります。
昨日は旧暦の正月25日。この日は善光寺に一年に一回一週間、静岡県の桜ヶ池からお籠りにやって来る阿闍さんが帰る日です。
竜に姿を変えたお坊さんの阿闍さんが、善光寺にやってきて住む池は「阿闍梨池」。

あじゃさんの往復には3通りの方法があります。
その1.池同士が地下でつながっている。
その2.池から池に、空を飛んでおいでになる。
その3.竜からお坊さんの姿に戻って、歩いておいでになる。

ともかく竜は嵐を呼ぶので、阿闍さんの行き帰り(旧暦の1月18日・25日)には天気は荒れ模様になると言われ、これを「あじゃり荒れ」と言います。
昨日の天気予報は、晴れから雨。夜には振り出すかと思いましたが、たいした雨にはなりませんでした。今年は阿闍さん、静かにお帰りなったようです。
そして善光寺周辺は阿闍さんが帰ると、いよいよ春らしくなってきます。

文化11年(1814)正月25日の夜、俳人小林一茶は善光寺の門人宅で句会をしていました。すると夜になって天気は荒れ模様となり、雨から雪になりました。
門人から「阿闍梨荒れ」の話を聞いた一茶は日記に次のように書きました。
「雨 夜雪 今日皇円阿闍梨帰ルと云。アザリ荒ト云。
 アザリ帰  大吹雪今やアザリの御帰か(七番日記)」

つい最近まで、門前の人々の心の中に存在していた阿闍さん。地元の私たちが、語り継いでいきたい伝説です。

 

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2006年02月16日

800年の節目の長野オリンピック

昨日は遠江国桜ヶ池から、信州善光寺に阿闍さんがやって来た日。
そのため穏やかに晴れていた天気は、やはり夜半から雨になりました。

お天気が良かった日中、表参道に所用で出かけました。駐車した所は、セントラルスクェア。ここは、8年前長野オリンピックの表彰式会場となった所。
白馬のジャンプで団体優勝した原田や舟木のメダル授与が大歓声の中行われた場所。わずか8年前の大イベントは、すでに過去の出来事となってしまいました。

セントラルスクェア表彰台

でも大きな歴史の流れの中で見れば、長野オリンピックは大きな節目の出来事でした。竜の姿の阿闍さんが、初めて善光寺に救いを求めてやってきたのは、鎌倉時代の建久9年(1198)。平成10年(1998)の長野オリンピックは、何とそれからちょうど800年後の出来事だったのです。

「長野オリンピック」を阿闍さん到来800年祭と考えれば、何だか歴史も楽しくなりませんか。
セントラルスクェア聖火台

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2006年02月15日

嵐とともにやって来る「あじゃさん」

今日2月15日は、旧暦では正月18日。
かつてこの日は、善光寺門前の人々にとって特別な日でした。

写真は静岡県御前崎市の桜ヶ池。池には「皇円阿闍梨大龍神」と書かれています。この満々と水をたたえた池と、善光寺本覚院の「阿闍梨池」がつながっているという伝説があります。
桜ヶ池

平安時代の末に、比叡山の名僧皇円阿闍梨(こうえんあじゃり)は永遠の命を得るために、竜の姿となって桜ヶ池に住み着きました。しかし畜生道の苦しみを受けた皇円阿闍梨は、一年に一度善光寺に来てお籠りをしました。善光寺のご本尊は人間ばかりか、すべての衆生を救ってくだる仏様だからです。善光寺に来た竜が住んだのが阿闍梨池でした。その竜を善光寺門前の人々は「あじゃさん」と呼んで親しみました。

その阿闍さんは嵐と共にやって来て、嵐と共に去っていきます。今夜がその阿闍さんがやって来る日。それまで晴れていた天気が急に悪くなったら阿闍さんのお出ましです。
今日の善光寺周辺は、日中気温も上がっていい天気です。さあ、この天気、夜はどうなるでしょうか。
阿闍梨池
善光寺本覚院の阿闍梨池。今は池の跡だけとなってしまいました。かつては、阿闍さんが来る時には水をたたえたと言います。門前では「阿闍さんの縁日」も開かれました。2月19日までの「長野灯明まつり」の期間、ライトアップされています。


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