長野と他の地域

2018年10月13日

9日 富山県南砺市「城端絵解きフォーラム」で絵解き

11月9日(金)富山県南砺市城端に、竹澤環江氏と絵解きでお招きいただきました。
私は2012年、2015年(ビデオ出演)に続いて3回目の出演です。
皆様にお会いできるのを楽しみに伺います。

第1回 2012年2月24日「富山と長野の絵解き文化の交流inじょうはな座
第2回 2015年11月17日「城端絵解きフォーラムにビデオ出演

「第3回城端絵解きフォーラム―地域文化遺産としての絵解きー」
日時 11月9日(金)10:00〜16:30
会場 南砺市城端伝統芸能会館「じょうはな座」 
入場無料
主催 名古屋大学人文学研究科附属人類文化遺産テクスト学研究センター
共催 城端別院善徳寺・井波別院瑞泉寺
後援 北日本新聞・南砺市観光協会
総合司会 名古屋大学人文学研究科 阿部泰郎教授

詳細はチラシを拡大してご覧ください。
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午前の部
(10:00〜12:00)
「日本絵解きのルーツ−今も生き続ける聖徳太子絵伝の絵解き」
・名古屋大学による城端太子絵伝の絵解きと杭全神社本太子絵伝のデジタル絵解き
・砺波の伝統文化−井波別院端泉寺の太子絵伝 真宗大谷派妙蓮寺住職 竹部俊惠師

午後の第1部
(13:30〜14:30)
「各地に生きる地域をつなぐ絵解きーいま、創りだされる絵解き文化」
善光寺参り絵図 小林玲子
苅萱道心物語  竹澤環江

休憩 ミニコンサート
シンセサイザー 滝沢卓
午後の第2部
(15:00〜16:30)
城端別院の虫干法会・蓮如忌
蓮如上人御絵伝 馬川透師
薩摩琵琶歌演奏 寺本慘
親鸞聖人御絵伝 梛野明仁

レセプション
(17:00〜18:30)

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2018年10月12日

上杉謙信が再興した越後の「五智国分寺」に参拝

6日(土)に「五智国分寺」(新潟県上越市五智)に参拝しました。
越後の国では国分寺の場所は諸説あり、特定できていません。現在の国分寺は、上杉謙信が永禄5年(1562)に廃寺になっていた寺を真言宗の寺として再興したものです。

昭和63年に焼失した本堂は、平成9年に10年の歳月を掛けて再建されました。
鎌倉時代の建築様式を模した、入母屋造り,銅版葺き、間口7間、奥行き6間。
用材は主に青森ヒバ材で、床に至るまで槍鉋(やりがんな)で仕上げられています。
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安政3年(1856)に着工、今だに未完成のままという三重塔。
高さ26m(県指定文化財)
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三重塔の説明板。(拡大してご覧ください)
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同寺の山門。天保6年(1835)建立。立木の姿のままの柱は、あまり例がないそうです。屋根瓦の一部が落ちて危険なため、修復の寄付を募っていました。
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「五智」とは「五智如来」を安置しているからです。
左から阿弥陀如来、薬師如来、大日如来、宝生如来、釈迦如来がまつられています。
昭和63年に本堂と共に焼失しましたが、新たに造られました。
五体の本尊は半丈六(約130僉砲如▲劵離の一木造り、漆と金泊で古代色に仕上げれた立派な像です。

お寺の方の話では、かつて長野県からは修学旅行などで立ち寄ったそうです。
当時訪れた人は、たくさんの杉の木に囲まれているお寺というイメージがあるそうです。今は木が切られて広々とした境内ですね、という感想が寄せられるということでした。

なお本堂の右脇には、親鸞聖人がお住まいになった「竹之内草庵」跡があります。聖人が自らのお姿を写して刻んだという「親鸞聖人像」(市文化財)がまつられています。

2018年10月9日ブログ「親鸞聖人の旧跡(3) 竹之内草庵を訪ねて

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2018年10月10日

小布施町の「おぶせミュージアム・中島千波館」を鑑賞

10日(水)に「おぶせミュージアム・中島千波館」を鑑賞しました。

同館は、平成4年(1992)に開館した町立美術館です。
展示の中心は、小布施町出身の日本画家「中島千波氏」の寄贈作品です。
また敷地内に「屋台蔵」があり、祭屋台5基を保存展示しています。
町内には7基あって、他2基は葛飾北斎の描いた天井絵が描かれており「北斎館」に展示されています。

同館の中庭。左手が美術館で、右手が屋台蔵。建物は屋根付きの回廊でつながっています。
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県外から見えたお客さまのご希望で、お連れした同館でした。
企画展「デッサンは大切です”中島千波−花と山と人の屏風絵展」を開催中でした。
今回知ったのは、同氏が絵を描くときに、必ず現地に向かい、対象と向き合ってデッサンするということです。屏風絵の醍醐味や、花々の美しさを堪能してきました。
また新収蔵作品『平家物語』の挿絵も展示されていました。
お客さまには、大変喜んでいただきました。

11月18日(日)午後2時から、中島千波氏による「ギャラリートーク」があります。

平日の午後でしたが、町内は観光客でにぎわってました。今回は時間の都合で、1ヵ所しか訪れることができませんでしたが、県外の方を惹きつける小布施の魅力を感じました。

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2018年10月09日

親鸞聖人の旧跡(3)「竹之内草庵」を訪ねて

10月6日(土)新潟県上越市に行った折、親鸞聖人の旧跡を訪ねました。

親鸞聖人の旧跡(1)上陸の地、居多ヶ浜を訪ねて
親鸞聖人の旧跡(2)居多神社を訪ねて

五智国分寺本堂の右脇に建つ竹之内草庵を復元した建物。親鸞聖人が1年間流人生活を送ったという場所。「親鸞聖人御配所草庵」と書かれています。内部には親鸞聖人坐像(上越市指定文化財)が安置されています。
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建物の脇に建つ「国府小学校発祥の地」の石碑。
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建物の周辺にある遠忌800年記念の「親鸞聖人腰掛石」と「親鸞聖人像」。
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やはり遠忌800年記念の親鸞聖人御真筆の「南無阿弥陀仏」の碑。
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10月6日ブログ「善光寺世尊院釈迦堂の御本尊、釈迦涅槃像の舞台を訪ねて
同ブログ「善光寺と関わりの深い十念寺(浜善光寺)に参拝

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親鸞聖人の旧跡(2)「居多神社」を訪ねて

10月6日(土)新潟県上越市に行った折、親鸞聖人の旧跡を訪ねました。

親鸞聖人旧跡(1)上陸の地、居多ヶ浜を訪ねて

居多ヶ浜の近くにある、越後国の一の宮「居多神社」。
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境内の案内板。親鸞聖人は上陸後、最初に参拝されました。現在、親鸞聖人の御詠歌と日の丸の名号が所蔵されています。(拡大してご覧ください)
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同社の拝殿。縁結び・子宝・安産の御利益があり、親子連れが参拝していました。
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親鸞聖人像が建つ境内。
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境内に群生するという「親鸞聖人 越後七不思議 片葉の葦」の説明板。
(拡大してご覧ください)
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境内に生えていた片葉の葦。(拡大してご覧ください)
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10月6日ブログ「善光寺世尊院釈迦堂の御本尊、釈迦涅槃像の舞台を訪ねて
同ブログ「善光寺と関わりの深い十念寺(浜善光寺)に参拝

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2018年10月08日

親鸞聖人の旧跡(1)上陸の地「居多ヶ浜」を訪ねて

10月6日(土)新潟県上越市に行った折、親鸞聖人の旧跡を訪ねました。

上陸の地と言われる居多ヶ浜。水平線上には佐渡島、右手には直江津港が見えます。
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上陸の地に立つ案内板。右手に階段があって、展望台のようになっています。
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奥に建つのが、親鸞聖人座像をまつる八角形の「見真堂」。
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親鸞聖人像。
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「親鸞聖人 越後七不思議 第一番 片葉の葦」の石碑。
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すぐ近くに生えていた片葉の葦。葉が片側一方向にだけ伸びる葦。親鸞聖人が居多神社に参詣し念じたところ、池に生える葦が一夜にして片葉になったと伝えられています。
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10月6日ブログ「善光寺世尊院釈迦堂の御本尊、釈迦涅槃像の舞台を訪ねて
同ブログ「善光寺と関わりの深い十念寺(浜善光寺)に参拝

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2018年10月06日

善光寺と関わりの深い「十念寺」(浜善光寺)に参拝

6日(土)に「十念寺(浜善光寺)」(新潟県上越市五智)に参拝しました。同寺は、善光寺会の会員でもあります。

十念寺は浄土宗。天平年間(729〜749年)行基(ぎょうき)が創建。川中島の戦いの際、上杉謙信公が信濃の善光寺の本尊を戦火から守るために十念寺に移したことから、「浜善光寺」と呼ばれています。
通りに面して「信州善光寺大本願別院 浜善光寺 浄土宗 十念寺」と書かれています。奥が十念寺。
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旧北国街道沿いに建つ十念寺。「不捨山」と「信州善光寺大本願別院」の標柱が建っています。
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本堂は昭和13年(1938)に火災で焼失。平成元年(1989)に再建。本堂内には、お戒壇巡りがあります。
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境内にある五輪塔は本堂跡から出土。鎌倉時代のもので、上越市の文化財指定。
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五輪塔の説明板。(拡大してご覧ください)
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十念寺の説明板。(拡大してご覧ください)
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案内板によると「十念寺に安置されていた釈迦涅槃像が、天延3年(974)4月、善光寺上人のお告げによって善光寺に移されました。そのご縁で、善光寺からは尊像と善光・弥生の像をお迎えしました」。
現在も、本堂内には、陶製の本田善光と弥生の前の像がまつられていました。

川中島の合戦の折には、上杉謙信が戦火から守るために、信州善光寺の御本尊や仏具をこの寺に移しました。本堂内には、上杉謙信の像もまつられていました。

お戒壇巡りをしましたが、入り口には閻魔大王が、出口には弥勒菩薩がまつられていました。また本堂内には大数珠が掛けられていて、御越年法会と涅槃会には、数珠回しが行われるそうです。

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善光寺世尊院釈迦堂の本尊「釈迦涅槃像」の舞台を訪ねて

10月6日(土)新潟県上越市(旧直江津市)に、善光寺世尊院釈迦堂の御本尊・釈迦涅槃像のいわれの地を訪ねました。台風25号が近づいていてフェーン現象で、上越市大潟の最高気温は35,7度でした。

釈迦涅槃像は、越後の国の居多ヶ浜(こたがはま)で、漁師が網で引き揚げた流木の中からご出現したと言われています。
水平線上に佐渡島が見える浜。善光寺浜と呼ばれています。右手には直江津港が見えました。
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浜に置かれた流木は、いつのまにか「居多神社」の境内に移動しました。
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薪にしようと漁師たちが斧をふるうと、流木の中から釈迦涅槃像がご出現しました。そこで近くのお寺に安置しました。
釈迦涅槃像が最初にまつられた十念寺(浜善光寺)。
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十念寺にまつられた釈迦涅槃像は、その後お告げによって善光寺へ運ばれました。
現在、善光寺世尊院釈迦堂の御本尊、釈迦涅槃像のいわれは、善光寺参りの絵解きでもお伝えしています。

近くには、今年6月26日にオープンした上越市立水族博物館「うみがたり」があります。3カ月で、早くも累計入館者数が30万人を突破したそうです。周辺は、「長野」ナンバーの車で賑わっていました。

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2018年09月02日

毎日向き合う地獄と極楽  桑折町の絵解き台本制作中

福島県伊達郡桑折(こおり)町の「無能寺」から、絵解きのご依頼がありました。

同町の「観音寺」所蔵の2幅の「孝子(こうし)善之丞(ぜんのじょう)幽冥(ゆうめい)感見(かんけん)曼荼羅」(桑折町有形文化財)の絵解きです。
「孝子」は親孝行な子。「幽冥」は死後の世界。「感見」は感動しながら見ること。
つまり親孝行な善之丞が、死後の世界を感動しながら体験したお話です。

無能寺は、江戸時代中期の念仏聖、無能上人(1683〜1719)の没後、弟子たちによって創建された寺です。無能上人は一日に念仏を6万遍以上となえ、福島・山形で布教し、日課念仏を授けた人は16万9170人。37歳の若さで入寂しました。今年が300回忌です。

須坂市上中町の「法然堂」にも、4幅の「孝子善之丞感得御絵伝」があります。
この絵伝は、台本を制作して平成24年(2012)に私が絵解きを行いました。
2012年4月23日ブログ「本邦初口演『地獄・極楽』絵解き

6月にその法然堂に、研究者の石川達也氏ほか2名がお見えになりました。
2018年6月28日ブログ「須坂市法然堂『孝子善之丞感得御絵伝』で情報交換

その後、無能寺の佐藤伴美住職から、絵解きの依頼がありました。
しっかり撮影した絵伝の写真を送っていただきました。
須坂の絵伝とは、お話の内容は同じですが、違った構図になっています。

その絵は『孝子善之丞感得伝』(直往・談、厭求・記)を基にして書かれています。
古文書の原文に当たりながら、もう一度台本を制作中です。
その地獄・極楽のお話は詳細な内容で、その絵は素晴らしい描写です。

地元、福島の方も、あまり知らない内容とのことですが、これほど詳しく地獄・極楽を紹介している絵伝はありません。何しろ、桑折町に実在した善之丞が実際に地獄・極楽を見てきたお話です。
是非、多くの皆様に知っていただけるように努力します。
桑折町で絵解きを行うのは、11月25日(日)の午後となりました。

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2018年08月28日

名古屋城下で確認した善光寺へ続く「善光寺街道」(3)

7月末に、名古屋大学で行われた三禅定絵解きフォーラムで絵解きを行いました。

その前日28日に名古屋に行って、かつての善光寺街道を歩いてきました。
当日は台風が近づいていて気温は高く、歩いている人などほとんどいませんでした。江戸時代に善光寺へ向かって庶民が歩いた道です。道標などを見て、かつての善光寺参りの旅に思いを馳せました。

名古屋城下で確認した善光寺へ続く善光寺街道(1)
名古屋城下で確認した善光寺へ続く善光寺街道(2)の続きです。

「佐野屋の辻」から北東へ3卍の所に、「大曽根の道標」があります。
地下鉄に乗って移動しました。大曽根駅前に道標は立っていました。
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西側 「右 いゐたみち」→「飯田道」のことです。
北側 「左 江戸みち  ぜんくわうじみち」→「江戸道 善光寺道」のことです。
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東側 「延享元甲子年二月」
南側には「念佛講中」と書いてあります。
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道標の脇ある「下街道の大曽根道標」の案内板。「ぜんく己うじみち」と書いてありますが、「己」は「王」の読み間違いです。「王」は「わ」と読みます。(拡大してご覧ください)
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伝馬町の「札の辻」から始まる「善光寺街道(下街道)」の、名古屋市内に残る道標を3回に分けてご紹介しました。かつて伊勢方面から善光寺参りをした、庶民が行き来した街道の道標を訪ねて、かつての旅人に思いを馳せました。
これから「善光寺参りの絵解き」に生かしていきたいと思います。

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名古屋城下で確認した善光寺へ続く「善光寺街道」(2)

7月末に、名古屋大学で行われた三禅定絵解きフォーラムで絵解きを行いました。

その前日28日に名古屋に行って、かつての善光寺街道を歩いてきました。
当日は台風が近づいていて気温は高く、歩いている人などほとんどいませんでした。江戸時代に善光寺へ向かって庶民が歩いた道です。道標などを見て、かつての善光寺参りの旅に思いを馳せました。

名古屋城下で確認した善光寺へ続く善光寺街道(1)」の続きです。
名古屋城下で確認した善光寺へ続く善光寺街道(3)」もどうぞ。

本町通りと京町通りの交差点(中区丸の内)から、京町通りを東へ進むと交差点があります。(東区泉2丁目)
交差点の東南にあるお店が「調理器具専門店 鍋屋」です。この辺りの町名「鍋屋町」のゆかりの店で、ここから「鍋屋町通り」です。
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「調理器具専門店 鍋屋」の店舗。創業は永禄2年(1559)で、現在で15代目。格式ある店ですが、時間があれば、中に入って品物を見せていただきたいような店構えです。
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店舗に付けられた案内板。「尾張藩鋳物師頭(いもじがしら) 水野太郎左衛門宅」
江戸時代に尾張藩の鋳物師頭を代々務めました。東別院の鐘楼も造りました。
(拡大してご覧ください)
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さらに東へ進むと「尾張藩御釜師 加藤忠三朗」宅があります。現在まで、代々この地で茶の湯釜などを製作しています。
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京町通りを東へ進むと、「札の辻」から1800m程の所に、国道19号線代官町交差点があります。
国道19号線代官町交差点。ここで善光寺街道は左折します。一番上に、松本まで135劼判颪れています。
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交差点には「善光寺街道」と表記されていました。
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角に「善光寺道」の標柱が立っていました。(泉区泉3丁目、旧鍋屋町)
ここには2軒の佐野屋という酒屋、味噌屋があったことから人々に「佐野屋の辻」と呼ばれていたそうです。
西面 「善光寺街道(上に北を指さしている手首がある)」
北面 「京大坂道 (上に西を指さしている手首がある)」
鍋屋町に住んでいた入れ歯業加藤新兵衛が明治十年に立てた道標です。
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2018年7月29日ブログ「三禅定絵解きフォーラムで善光寺参りの絵解き

街道歩きの途中、暑くて休んだ喫茶は大賑わいで、名古屋の食文化の底力を見た思いでした。2018年8月5日ブログ「小林玲子ひとりごと」の「名古屋の喫茶文化

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名古屋城下で確認した善光寺へ続く「善光寺街道」(1)

7月末に、名古屋大学で行われた三禅定絵解きフォーラムで絵解きを行いました。

その前日28日に名古屋に行って、かつての善光寺街道を歩いてきました。
当日は台風が近づいていて気温は高く、歩いている人などほとんどいませんでした。江戸時代に善光寺へ向かって庶民が歩いた道です。道標などを見て、かつての善光寺参りの旅に思いを馳せました。

名古屋城下で確認した善光寺へ続く「善光寺街道」(2)
名古屋城下で確認した善光寺へ続く「善光寺街道」(3)」もご覧ください。

札の辻」と呼ばれた場所。現在、本町通りと伝馬町通りの交差点(中区錦)。
「本町通」の案内板があります。向かって右角に、かつて「伝馬会所」がありました。
また左角に、高札場がありました。「札の辻」とは、高札場の交差点という意味です。
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設置された『尾張名所図会』の案内板には、「伝馬会所 札ノ辻」と書かれています。
右手下の建物が「伝馬会所」。その向かいが「高札場」で、かつての賑わいを感じることができます。(拡大してご覧ください)
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その説明文。「伝馬会所」とは、人や馬の取次所です。ここは名古屋の中心でした。
伊勢方面から善光寺へ向かう人が、熱田を通って中山道へ抜ける「善光寺街道(下街道)」の起点ともなりました。
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本町通りから北へ500m程の所、本町通りと京町通りの交差点(中区丸の内)にあった標柱です。熱田方面から来ると、旅人はここで東(右)に折れて善光寺方面に向かいます。
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「北 おしろ」と書かれています。まっすぐ進むと名古屋城があります。
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「西 みのじ」と書かれています。西(左)に折れると、美濃方面に向かいます。
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この道の続きは「名古屋城下で確認した善光寺へ続く「善光寺街道」(2)」をどうぞ。

2018年7月29日ブログ「三禅定絵解きフォーラムで善光寺参りの絵解き

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2018年08月21日

長野の善光寺へ130回目 記念団参する「小田原善光寺」

小田原善光寺(神奈川県小田原市)が、長野の善光寺への団参者を募集しています。
2018年8月18日タウンニュース小田原版「長野善光寺を参拝」。

小田原善光寺は、長野県東筑摩郡波田村(現松本市)出身の僧が開いた寺です。
同寺は、まさに明治時代の「善光寺聖」とも言うべき僧が開いた寺です。
明治20年から長野の善光寺に参拝してきて、今年は記念すべき130回目とのこと。
かつては全国各地から団参がありましたが、近年は少なくなったと聞いています。
そんな意味でも、同寺の行事は大変貴重です。

小田原善光寺「第130回 記念団参
9月9日(日)〜10日(月)
小田原善光寺の松蔭英宣住職が先達を務めます。
善光寺大本願で御上人特別法要に団参。

9日 午前7時半に小田原駅西口バス乗り場に集合、出発。善光寺大本願、雲上殿を参拝。戸倉上山田温泉で宿泊。
10日 国宝の松本城、酒蔵などを見学。

定員35人、参加費3万8千円(予約金1万円)。
申し込み 小田原善光寺(電話 0465-22-1025) 8月25日(土)締め切り。
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小田原善光寺は「全国善光寺会」の会員にもなっています。
以下は『善光寺史研究』(小林計一郎著)より。

華葉山竜雲院善光寺(通称 小田原善光寺)
浄土宗、本尊一光三尊(清涼寺式)

天正8年に創建された竜雲寺を、明治16年に松蔭宣竜が再興。
宣竜は東筑摩郡波田村(現松本市)の百瀬家に生まれ、幼くして仏門に入る。
慶応年間に小田原に入り、竜雲寺の再興を志す。
明治15年、善光寺如来を新刻。善光寺上人の開眼をして帰寺。
明治16年、現在地に竜雲寺を移転。
明治20年、華葉山竜雲院善光寺と改称。毎年善光寺参拝を重ねる。
明治34年4月、小田原善光寺講を組織、団参して現在に至る。

初めの本尊は大火で類焼。現存の本尊は大正末、京仏師作。

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2018年08月17日

香川県土庄町肥土山地区「夜念仏」で唱える『善光寺』

13日(月)香川県土庄町で盆の先祖供養行事「夜念仏(よねんぶつ)」が行われました。
町内4カ所で行われ、白衣姿や遍路装束の人らが、地域の家庭を訪れて亡き人をしのんで供養の念仏を唱えたそうです。同町では「よねぶっつぁん」と親しみを持って呼ばれています。

産経新聞(8/15)「香川 亡き人しのび、声響かせ 土庄島の夜念仏

記事によると、肥土山地区では小豆島霊場46番札所・多聞寺の檀家らの呼びかけで昭和62年に「肥土山夜念仏連中」が復活。

今年はメンバーの6人が午後8時から、同地区で今年6月までの1年間に亡くなった「新仏」のある家を巡りました。今年の新仏は13人(女性7人、男性6人)。各家の仏間に面した庭で、哀愁を帯びた独特の節回しで、女性の新仏には『十九夜』を、男性の新仏には『善光寺』を唱えました。

昨年も記事を見つけて、ブログに書きました。
2017年8月ブログ「小豆島(香川県)で迎え盆に先祖供養で唱える『善光寺』

私は夫と二人で、全国各地に伝わる善光寺参りの伝説を調査してきました。
香川県に伝わるお話は、善光寺に来て亡くなった人に会ったというのが2話あります。
行事の記事によって、全国各地に伝わっている、善光寺信仰に思いを馳せました。

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2018年08月16日

長野から魚津へ 「白鷹」に乗って立山曼荼羅絵解きの旅

15日(水)「大徳寺」(富山県魚津市)で「立山曼荼羅の絵解き」が行われ、拝聴してきました。その模様は8月15日ブログ「大徳寺で絵解き拝聴」をご覧ください。

長野市から富山県魚津市までの旅をご紹介します。

長野駅から北陸新幹線「はくたか」に50分乗車して、黒部宇奈月温泉駅下車。
黒部宇奈月温泉駅(黒部市)。駅に併設された「地域観光ギャラリー」は、黒部市の窓口として、様々な体験ができる総合施設です。
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駅前の案内板。右手が長野方面。(拡大してご覧ください)
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黒部宇奈月温泉駅からつながる「富山地方鉄道」に乗り換えます。
新黒部駅。宇奈月温泉に行くには、この駅で乗車して30分程。
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新黒部駅のホームからの眺め。「名水の里 黒部」の看板が見えます。
手前の民家の竹林が見事ですが、この後車窓からも見かけました。
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ホームの案内板。(拡大してご覧ください)
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富山方面行の電車に乗車。経田駅に向かいました。(片道400円)
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降車するひとつ手前の「電鉄石田駅」。「石田浜海水浴場」と書かれていました。
今は海水浴と言えば、車で出かける時代になりました。
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次の駅「経田駅」で下車。「新黒部駅」から15分程。
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駅から15分歩いて「大徳寺」に到着。お寺の前には魚津方面からのバス停があります。
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大徳寺で「立山曼荼羅」の絵解きをお聴きしました。
絵解きの中で、立山に導く役割を果たすのが「白鷹(しらたか)」です。
北陸新幹線の車名「はくたか」は、この「白鷹」から取っています。
私たちも、まさに「白鷹」に導かれて、大徳寺に伺いました。

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2018年08月15日

大徳寺(富山県魚津市)で「立山曼荼羅」の絵解き拝聴

15日(水)「大徳寺」(富山県魚津市)で「立山曼荼羅の絵解き」が行われ、拝聴してきました。

行程は8月16日ブログ「長野から魚津へ 白鷹に乗って立山曼荼羅絵解きの旅」をどうぞ。

同寺は約1300年前に立山を開いた佐伯有頼の父、有若が開山したという寺です。
その立山開山縁起ともいえる立山曼荼羅を、歴代の住職が絵解きしてきました。

お父様である先代住職がご逝去された後、一時途絶えていましたが、2016年11月に復活されました。現在、58代佐伯徳順住職(39)が絵解きを行っています。お祖母様、おば様も絵解きをされていたそうです。

4幅の複製の絵伝は「富山県 立山博物館」の特別企画展に展示されていましたが、今回の絵解きに合わせて、8月9日〜17日に同寺に戻っています。

13時10分から始まった絵解きは、途中10分の休憩をはさみ14時35分まで行われました。左手のプロジェクターも使って分かりやすく、参集した50名程に語りました。
立山開山縁起、布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)、極楽、地獄と4つの話を理路整然と進めました。聴衆は笑ったり、一緒に念仏を唱えたりと引き込まれ、お盆にぴったりの絵解きでした。
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絵解きが行われた同寺の本堂。
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本堂前の門の脇には「明治天皇持光寺御小休所」の碑が建っていました。明治天皇が巡幸された時、同寺で休まれたという記念の碑です。長野に巡幸された明治天皇が、その後この地を訪れています。(持光寺はこの土地の地名)
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寺の入り口の標柱。真宗大谷派の寺院です。
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同寺の「特賜殿(とくしでん)」という、昭和初期建立の建物の内部が現代風に改修されました。
特賜殿は大正天皇の斎場の一部材木を宮内庁から賜り、使用している建物。
14日、15日は、その改修された納骨壇の内覧会も行われました。(右手の建物)
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絵解き終了後は、本堂に続くそちらの建物も拝観しました。
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マスコミ各社の取材はこちらです。
「NHK富山放送局」(8/14)の「墓じまい増加で寺が納骨壇を整備
「富山テレビ放送」(8/14)の「魚津・大徳寺の特賜殿を改修
「チューリップテレビ」(8/14)の「立山開山にゆかり 改修した特賜殿をお披露目
「北日本新聞」(8/15)の「親しみやすい慰霊空間に 魚津・大徳寺の特賜殿
「富山新聞」(8/12)の「特賜殿内部を改修 魚津・大徳寺 14日から内覧会

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2018年08月10日

牟礼駅前の栄町商店街(飯綱町)で麻布十兵衛氏が大道芸

今年4月に「長野の絵解きを広める会」でお招きした、麻布十兵衛氏が、飯綱町のお祭りに見えて大道芸を披露しました。家族でお祭りに行ってきました。

毎年8月9日に行われる飯綱町の「岩崎観音四万八千日縁日」。
それに合わせて栄町商店街が開くお祭りです。
しなの鉄道牟礼駅前が歩行者天国になり、綿アメや金魚すくいなどで賑わいます。

歩行者天国となった歩道で、次々と大道芸を披露する麻布十兵衛氏。
ひとつの演目が終わる毎に、取り囲んだ人々からは歓声と拍手がわきました。
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歩道には露店もたくさん出て、大勢の子どもたちで賑わっていました。
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見事なガマの油売りの口上と熱演に、身を乗り出す子どもたち。
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地元の牟礼神社の木遣りに続いて、お神輿が通りを練り歩きました。
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地元の皆さんの熱意で続いている商店街のお祭りは、子どもたちであふれていました。
私は麻布十兵衛氏の大道芸を、通しで拝見したのは初めてでした。
昔から続いている正統な大道芸を伝えていこうと活動している姿に感動しました。
十兵衛氏や商店街の皆様のパワーに、元気をいただきました。ありがとうございました。

2018年4月ブログ「善光寺門前ナノグラフィカで麻布十兵衛氏の絵解き

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2018年07月29日

「三禅定絵解きフォーラム」で善光寺参りの絵解き

7月29日(日)10:00〜17:30に「三禅定絵解きフォーラムー立山・白山・富士山と参詣曼荼羅の世界ー」が開催されました。長野郷土史研究会の小林一郎会長と2人で伺いました。

会場は名古屋大学東山キャンパス(地下鉄名城線の名古屋大学駅から徒歩5分)にある野依記念学術交流館。
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同館入り口の受付。周辺の緑の木々を取り込んだ造りの建物です。
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禅定(ぜんじょう)とは、高い山に登って修行すること。「立山・白山・富士山」は三禅定と呼ばれます。その三山を巡って登拝する修行が、近世では行者だけでなく、庶民の間で盛んに行われました。
三山を巡る途中では、必ず善光寺にも参拝をしました。
それぞれの霊山には、参詣曼荼羅が多く残り、人々が登山する姿が描かれました。
それを絵解きするのは、人々を禅定へと勧誘する手段でした。

主催は名古屋大学文学研究科附属人類文化遺産テクスト学研究センター。
センター長の阿部泰郎氏(名古屋大学人文学研究科教授)が司会進行。

・阿部先生のご挨拶に続いて、最初に私が「善光寺参り絵解き図」の絵解きをさせていただきました。善光寺の御本尊・一光三尊阿弥陀如来の掛け軸も掛けました。
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・阿部美香氏(名古屋大学CHT共同研究員)は、静岡県熱海市伊豆山(走湯山)に鎮座する伊豆山神社のいわれを絵巻にした経緯と、それを「走湯山秘密絵伝」にして絵解きをしようという取り組みを紹介しました。
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・久野華歩氏(栃木県立博物館学芸嘱託員・学習院女子大学博士後期課程)が、プロジェクターを使って「富士参詣曼荼羅の特質ー図様解釈をめぐってー」を報告しました。
・末松美咲氏(名古屋大学CHT研究員)による聖徳太子伝絵解き「黒駒による富士飛翔」がありました。
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午後は「立山・白山・富士山」の研究機関の第一人者が研究の最先端を報告しました。
「三禅定の世界と参詣曼荼羅絵解きの試み」
報告者は3名の方でした。 
・加藤基樹氏(富山県 立山博物館 学芸課主任・学芸員)
「『三禅定』史料の紹介ー立山を中心にー」
・小阪 大氏(白山市教育委員会文化財保護課主幹兼白山手取川ジオパーク推進室員)
「白山参詣曼荼羅の絵解き―加賀禅定道を中心にー」
・大高康正氏(静岡県富士世界遺産センター学芸課准教授)
「富士山の参詣曼荼羅と三禅定ー松栄寺本の絵解きを中心にー」

・最後に福江充氏(北陸大学国際コミュニケーション学部准教授)が「立山信仰と三禅定」の講演をしました。

旧知の皆様とお会いでき、また初めてお会いした方々とも親しくお話ができました。
私どもは時間の関係で最後まで拝聴できませんでしたが、新しい発見や、学ぶことがたくさんあったフォーラムでした。
お招きただいた名古屋大学の阿部先生や、お世話になった皆様に感謝します。

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2018年07月24日

越中の小京都「城端(じょうはな)」の善徳寺に参拝

7月24日(火)に「城端別院 善徳寺」(富山県南砺市城端)に参拝してきました。

長野駅から金沢行き「北陸新幹線」はくたかで、「新高岡駅」下車。(1時間10分)
新高岡駅前から白川郷行き「世界遺産バス」で、「城端曳山会館前」下車。(50分)
予約なしで乗車できます。田園風景を抜けて、高速道路を通ります。(800円)
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城端曳山会館」には、傘鉾、曳山・庵屋台などを常時展示。
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城端神明宮祭の曳山行事は、重要無形民俗文化財でユネスコ無形文化遺産。
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その向かいに建つ「じょうはな織館」。(登録有形文化財)江戸時代から加賀絹の産地として栄えました。
煉瓦造りの建物は、昭和3年に建築された城端絹織物組合事務棟を利用。
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じょうはな織館の1階内部。2階では織物体験ができます。
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歩いて3分程で、善徳寺の山門前に出ます。
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善徳寺の本堂。7月28日(土)まで、虫干法会(むしぼしほうえ)が行われています。
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北陸新幹線ができて、長野からは簡単に日帰りができるようになりました。
北陸地方の真宗の底力を、感じることができる法会です。
その模様は「善徳寺虫干法会で蓮如上人・聖徳太子の絵解き拝聴」をどうぞ。

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2018年07月18日

長谷寺(鳴門市)から届いた「涅槃図修復報告会」の報告

5月31日(木)に徳島県鳴門市の「長谷寺(ちょうこくじ)」で涅槃図の絵解きを行いました。
その模様は2018年6月ブログ「5月31日長谷寺(鳴門市)涅槃図修復報告会で絵解き

同寺の住職、熊谷祐信師から、「長谷寺かわら版『百日紅』 99号」が届きました。
「涅槃図の退院」と題して、修理作業が終わった涅槃図の修復報告会の模様をまとめた6頁の報告です。私の絵解きも、ご報告いただきました。
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報告には、「絵解きは『語り』そのものですから、読むものではなく聞くものです」と、絵解きの台本は載せてありません。確かにその通りです。「当日参加された方だけの役得とお諦め下さい」と書かれていました。

ご住職の報告を嬉しく、ありがたく拝見しました。
絵解きは1回性である、と言われます。その場に参集された方々に絵解きを行うのは2度と再現できず、その時だけなのです。そんな気持ちで、1回ずつ心を込めて絵解きを行っています。今回は、たくさんのことを学ばせていただきました。
ご住職には暑中お見舞いの言葉を添えて、御礼の葉書をお送りしました。

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2018年07月16日

名古屋場所 首位9連勝の御嶽海 宿舎は「犬山善光寺」

大相撲名古屋場所が行われています。
16日、長野県木曽郡上松町出身の西関脇の御嶽海は、初日から9連勝で単独首位を守っています。長野県内では、御嶽海の応援で盛り上がっています。

御嶽海が所属する出羽海部屋が名古屋場所で宿舎として使用するのが「犬山善光寺」(愛知県犬山市)です。

同寺の「信徒館」が宿舎で、館の上にある稽古場(土俵)で稽古をするそうです。

6月25日「信濃毎日新聞」の「御嶽海関脇復帰 名古屋場所新番付
新番付表を持って、決意を語ったのも犬山善光寺です。

犬山善光寺は、昭和3年に建立。一時、衰退しましたが、昭和32年に再興されました。
長野の善光寺の分身仏、一光三尊の阿弥陀如来がご本尊です。
HPには、善光寺のいわれを語る「善光寺縁起」もきちんと書かれています。
長野の善光寺とのご縁もあって、一層、応援したい気持ちがわきました。

また犬山善光寺には「第57代横綱 三重ノ海誕生記念」の碑が建っているそうです。
出羽海部屋の三重ノ海は三重県出身。優勝3回。横綱在位は1979年9月〜80年11月。  

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2018年07月01日

長野郷土史研究会の小林計一郎前会長が揮毫した一茶句碑

6月29日(金)「新小岩厄除香取神社」(東京都江戸川区)に参拝しました。長野郷土史研究会の小林計一郎前会長が揮毫した、一茶の句碑を見学するためでした。

神社入り口には「小松菜の産土神」と書かれています。8代将軍吉宗が、この神社で餅のすまし汁に入れた青菜を召し上がり、「小松菜」と名付けたという由来によります。
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鳥居の奥が拝殿です。その前に、茅の輪が用意されていました。
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同社では、6月30日夏越の大祓が行われます。一日早く、茅の輪をくぐりました。
同社では、「人形(ひとがた)」は後日、「人形流し」と言って海に流すそうです。
右手の拝殿脇には神鹿苑があって、鹿を飼っています。
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神社の脇に、すまし汁を出した同寺神主・亀井和泉守の屋敷跡があります。
小松菜屋敷」と呼ばれています。お願いすれば見学ができます。
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敷地内に、小林計一郎前会長が揮毫した一茶の句碑が建っていました。
「小松菜ゆかり塚 小松菜の一文束や今朝の霜 一茶句 小林計一郎筆」
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神社近くを流れる小松川に由来するという小松菜は、この付近の特産でした。
一茶が『八番日記』に詠んだ小松菜の句は、平成16年の建立されました。
「一茶研究家小林計一郎氏の筆であります」と、説明文の石碑が脇に建っていました。

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2018年06月23日

小林一茶が善光寺出開帳に参詣した「弘憲寺」(高松市)

5月末に、四国の徳島県鳴門市の寺院に絵解きで招かれました。
少し足を延ばして「弘憲寺」(香川県高松市錦町)に参拝しました。
同寺は、高野山真言宗。JR高松駅から歩いて10分。今回、参拝したのは、次のような理由でした。

俳人・小林一茶の『寛政紀行』に、同寺で行われていた善光寺出開帳に、人々に誘われて参詣。五刃山に登る、とあります。(『一茶大事典』矢羽勝幸著)
一茶が同寺に参詣したのは、寛政9年(1797)8月9日のことでした。

善光寺では大勧進の等順が、寛政7年(1795)〜同11年(1799)までの4年間、回国開帳をしました。収益で諸堂を修理し、また五重塔の再建をしようという計画でした。
回国は西日本が中心でしたが、九州や四国もくまなく回りました。

同寺の山門。明和3年(1766年)建立。
一茶はこの山門をくぐって参拝したことになります。
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左が本堂。手前は平和塔。(戦争慰霊者の供養のため昭和25年建立)
天正16年に高松城を築いた生駒親正公の菩提寺。親正公は商工の民を住まわせ、現在の高松市の基礎をつくりました。親正公夫妻の墓所は、昭和30年に香川県史跡指定。
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本堂は昭和4年の再建。本尊は不動明王(重要文化財)
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同寺の鎮守社、弁天堂。本尊は一面六臂の弁財天。三面大黒天もまつられています。
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山門脇の塀に書かれた坐禅や写経、ヨガなどの案内。
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本堂内や庫裏には一般の参拝者が次々と見えていました。私たちも中に入って、お参りさせていただきました。地元の信仰を集める、開かれたお寺だと感じました。
出開帳を行った善光寺大勧進の等順や小林一茶の姿に、思いを馳せました。

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香川県琴平町「金刀比羅宮」旧金毘羅大芝居(金丸座)

5月末に、四国の徳島県鳴門市の寺院に絵解きで招かれました。
少し足を延ばして「金刀比羅宮」(香川県仲多度郡琴平町)に参拝しました。

「一生に一度はこんぴらまいり」と言われたこんぴらさん。
参道の近くに移築復元された「旧金毘羅大芝居(金丸座)」(重要文化財)を見学しました。

天保6年(1835)に建築。現存する日本最古の芝居小屋。
江戸時代中頃から、年3回仮設小屋で歌舞伎などの興行を行っていました。
その後、門前町の形態が整い常小屋を望む声が出て、小屋ができました。

「金丸座」の名称は、明治33年につけられたもの。
昭和45年に名称が「旧金毘羅大芝居」として、国の重要文化財として指定。
昭和47年から4年の歳月を掛けて、現在の場所に移設復原。
元は、300m程離れた、琴平町立歴史民俗資料館の場所にありました。
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昭和60年から、年1回、春に歌舞伎の興行が行われています。
2018年4月に「第34回 四国こんぴら歌舞伎大芝居」が行われました。瀬戸大橋開通30周年記念でもありました。(拡大してご覧ください)
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収容人員は2階席も含めて740名。内部は、全て見学できます。
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幅1,3m、長さ14mの花道も歩くことができます。天井からは「顔見世提灯」が下がっています。竹で編んだ格子状の天井は「ブドウ棚」と呼ばれ、花吹雪を散らすことができます。
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舞台の床下、奈落も見学できます。舞台中央には廻り舞台があり、人力で動かします。
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舞台の裏側には、たくさんの楽屋が並んでいます。
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開館時間は9:00〜17:00
年中無休
入場料 大人500円

平成15年に平成の大改修(耐震構造補強工事)が行われ、併せて調査中に発見された痕跡を検証。「ブドウ棚」と「かけすじ」(役者などが宙乗りするための装置)を復原。
より江戸時代の情緒あふれる姿に再現したそうです。

江戸時代中頃から、全国的に高まった金毘羅信仰。その歴史に思いを馳せることができる貴重な文化施設です。

「金刀比羅宮」の文化施設 ブログ「参道に俳人・小林一茶の句碑」「表書院の円山応挙の障壁画」もどうぞ。

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香川県琴平町「金刀比羅宮」参道に俳人・小林一茶の句碑

5月末に、四国の徳島県鳴門市の寺院に絵解きで招かれました。
少し足を延ばして「金刀比羅宮」(香川県仲多度郡琴平町)に参拝しました。

「一生に一度はこんぴらまいり」と言われたこんぴらさん。
参道の途中、大門から150m程続く石畳の道は、桜馬場と呼ばれています。
その途中に「宝物館」に続く脇道があります。(2018年6月2日撮影)
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その脇道の角に、俳人小林一茶の句碑がありました。
「おんひらひら蝶も金比羅参哉」(真蹟拡大・昭和38年建立)
寛政6年(1794)、当時32歳の一茶がこんぴら参りをした時の句です。
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続いて「宝物館」を見学しました。賑わう参道沿いに、立派な文化施設があるのはすごいことです。
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宝物館の入り口。4月1日〜9月1日「こんぴらさんのおもしろ展」開催中。
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長野県信濃町出身の俳人、小林一茶の句碑があるのは、長野にとって大きな誇りです。
寛政6年に、一茶は九州各地を巡り、四国へもわたりました。
「おんひら」は、「こんぴら」と掛けていて、いかにも一茶らしい句です。

「金刀比羅宮」の文化施設ブログ「旧金毘羅大芝居(金丸座)」「表書院の円山応挙の障壁画」もどうぞ。

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香川県琴平町「金刀比羅宮」表書院の円山応挙障壁画

5月末に、四国の徳島県鳴門市の寺院に絵解きで招かれました。
少し足を延ばして、香川県琴平町の「金刀比羅宮」に参拝しました。

「一生に一度はこんぴらまいり」と言われたこんぴらさん。
すばらしい文化施設がありました。

参道脇に建つ門は奥の建物、表書院の勝手口だったそうです。
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表書院」(重要文化財)は入母屋造、檜皮葺。万治年間(1658〜1660)の建築。かつて金刀比羅宮は金毘羅大権現という寺院でした。金毘羅大権現に奉仕する別当金光院が、参拝に訪れた人々との応接の場所として用いた客殿です。
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表書院内部の五間には、円山応挙による障壁画があり、建物と共に重要文化財。
鶴之間、虎之間、七賢之間、山水之間、上段之間などあって、見学できます。
特に有名なのが、「水呑みの虎」。親子の虎が向き合って仲良く水を飲んでいます。

建物の西側にある池泉鑑賞式庭園、林泉。江戸時代の作庭。
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庭園を見ながら、静かなひと時を過ごしました。
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「金刀比羅宮」の文化施設ブログ「旧金毘羅大芝居(金丸座)」「参道に俳人・小林一茶の句碑」もどうぞ。

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2018年06月04日

四国八十八ヶ所霊場 鳴門市1番霊山寺と2番極楽寺に参拝

5月31日(木)に、徳島県鳴門市の長谷寺に絵解きでお招きいただきました。
ブログ「5月31日 長谷寺(鳴門市)涅槃図修復報告会で絵解き

その折、弘法大師ゆかりの「四国八十八ヶ所霊場」に参拝しました。いずれも鳴門市にあります。
1番の「霊山寺」には、鳴門市の中心地からバスで向かいました。門前にバス停があります。
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同寺の本堂内。灯籠が見事です。
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1番の霊山寺から2番の極楽寺まで、歩いて参拝しました。(拡大してご覧ください)
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「ばんどう門前通り」と書かれています。趣のある道です。
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途中にある霊山寺の石柱門。「四国第一番」「霊場霊山寺」と書かれています。
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2番目の極楽寺の石柱門。「四国第二番」「霊場極楽寺」と書かれています。
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極楽寺」の門。やはり門前にバス停があります。
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石段を登ったところにある、同寺の本堂。
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1番から2番目までは徒歩で20分程でした。参拝した日は、平日の午前中で、小雨が降っていました。スタートの寺なので、大勢見えていると思いましたが、どちらの境内も静かでした。
平成27年に日本遺産となった四国をぐるっと一周する「四国八十八箇所霊場と遍路道」は、今後世界遺産登録を目指していくそうです。

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2018年06月03日

5月31日 長谷寺(鳴門市)涅槃図修復報告会で絵解き

5月31日(木)「長谷寺(ちょうこくじ)」(徳島県鳴門市撫養町)で涅槃図修復報告会があり、絵解きを行いました。同寺は真言宗で、創建は文明12年(1480)という古刹です。

同寺の「本堂」(左)で報告会は行われました。右は旧本堂だった「観音堂」。十一面観音をおまつりしています。その奥には「毘沙門堂」があります。江戸時代に3重の塔の計画があり、堂内にはその模型が置いてありました。
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境内中央にそびえる樹齢600年というイチョウは、鳴門市天然記念物。奥様のお話では、秋には銀杏もなるそうです。
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同寺では、寺宝の釈迦涅槃図を、2016年10月から1年半掛けて修復しました。
報告会には修復に寄進したお檀家の内、70名程の皆様が参集しました。

本尊の大日如来の前に涅槃図が掛けられて、会は2時から始まりました。
・代表総代の挨拶に続いて、長年に渡って総代を務めた方に感謝状を授与。
・熊谷祐信住職から、簡単に修復の経過報告。
・2時20分から、長谷寺涅槃図の特色などを「元興寺文化財研究所」の高橋平明氏が30分解説。
・「(株)文化財保存」の吉岡宏氏が文化財の修理の考え方を25分、同社の横堀篤代氏が修復作業の過程を20分解説。
最後に私が30分の絵解きを行いました。(涅槃図は縦226,5僉横144,3僉 嵒舛表装」形式)
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2時間15分もの長時間の行事でした。でも終わった後、間近で見ようと集まってきた熱心な皆様と、雀や猫を確認しました。長野の善光寺に参拝した方もいました。
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私にとっては、四国で絵解きを行うのは初めてのことでした。
前住職の小塩祐光師は長年、高野山の布教師を務めた方です。絵解きの後、「とても立派な説法でした」とねぎらいのお言葉をいただき恐縮しました。

また今まで修復の経緯や過程を、詳しくお聞きしたことはありませんでした。
専門家のお話は納得ができるものでした。今後、100年の修復まで大切に引き継いでいく気持ちを、皆様と共有することができました。
お招きいただいたご住職には、大変貴重な機会を与えていただきました。
また奥様やお檀家の皆様には、大変お世話になりました。

境内の裏山には西国三十三番霊場の石仏がまつられ、番外の善光寺は境内にありました。善光寺の本尊である一光三尊の石仏は、端正な美しいお顔でした。昭和2年3月に奉納されていて、女性のお名前がたくさん書かれていました。善光寺とのご縁がある同寺で絵解きを行うことができて、大変ありがたく嬉しく思いました。
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この日の模様は、翌日、地元の朝日新聞と徳島新聞に載りました。
また祐信住職はご自身のブログに「恵みの雨」の題で、その日のことを紹介されました。

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2018年05月20日

松本市で19日から全国公開の「モリのいる場所」を鑑賞

5月20日(日)「イオンシネマ松本」で、19日(土)から全国公開された『モリのいる場所』を鑑賞してきました。
長野市では、7月7日から「相生座」(権堂町)で上映されます。

電車で降り立った松本駅お城口。駅前は草間彌生さんカラーであふれていました。
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正面の大看板には、左に「PARCO」公園通り直進250M。右に「松本市美術館」駅前通り直進950M。
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看板の下には「イオンモール松本」「イオンシネマ松本」の案内。
「公共交通機関が便利。松本駅お城口2番乗り場からタウンスニーカー東コースで日ノ出町下車すぐ」
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草間彌生さんカラーのタウンスニーカーに乗り「秀峰学校前」で下車した「イオンシネマ松本」。
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『モリのいる場所』は、岐阜県中津川市出身の画家、熊谷守一(1880〜1977年)の日常を描いた映画です。沖田修一監督。
岐阜新聞には「山努さんが熱い思い語る」と初日舞台挨拶の模様が載りました。その中で沖田監督は「見たことのない映画の1本になったら嬉しい」とアピールしたそうです。

94歳の画家の一日をとらえた作品は、笑いあり、涙あり、感動ありで、予想を裏切らない面白さでした。確かにこれまで「見たことのない映画」と言えます。
熊谷夫妻の魅力が存分に伝わる映画を、長野市でまた見たいと思いました。

小説版『モリのいる場所』(小林雄次著・朝日文庫)を読んであった私は、その面白さを倍増して味うことができました。「イオンモール松本」の書店には、たくさん並んでいました。
著者、小林雄次のブログ」より。「小説は全17章。画家・熊谷守一(モリ)を取り巻く人間、生き物、無機物、さまざまな視点から、モリの日常を描き出しました。
庭に棲む<蟻>の視点から描かれるモリの冒険の章(四章)、映画でも独特の存在感を放つ<知らない男>の章(十五章)は、特にオススメです。」「映画と併せて、モリの世界をより深くご堪能ください」
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5月4日ブログ「モリのいる場所 7月7日〜相生座で上映
3月12日ブログ「映画公開、小説版発売を前に熊谷守一美術館を見学
3月12日ブログ「東京国立近代美術館で『没後40年熊谷守一展』を見学

naganoetokino1 at 22:27|PermalinkComments(0)

初夏の風物詩 上田市の千曲川の食文化「つけば」を体験

上田市の初夏の風物詩と言えば「千曲川のつけば漁」とお聞きしました。
地元、長野市にも以前はありましたが、今はなくなってしまったようです。

19日(土)、上田駅から10分程の千曲川沿いにあるつけば小屋「鯉西」に行きました。
つけば漁とは、江戸時代から続いている伝統的な漁法です。
つけばでは、川で捕まえたハヤ(ウグイ)を、その場で調理して出してくれます。

県外の方をお連れして、夕方、訪れた河原には大きな小屋が建てられていました。
中では、早くも宴会が行われていて、にぎわっていました。
単品料理もたくさんありましたが、コースの料理を注文しました。

次々に出てくる料理は、全てハヤのから揚げや塩焼き、てんぷらなど。
どれも焼き立て、作り立てで、おいしくて、県外の方にも「川魚がこんなにおいしいとは」と、大好評でした。

前日までは真夏日となるような暑さでしたが、この日は気温が下がり、寒いような日でした。風もありましたが、小屋の中は風も当たらず、透明のビニールの覆いもあって、寒さをしのげました。

何より、自然の中で、捕れたばかりの魚を食べる醍醐味を存分に味うことができました。初夏の風物詩として、大切に守っていきたい食文化だと思いました。
(拡大してご覧ください)
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naganoetokino1 at 09:11|PermalinkComments(0)
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