寺社・史跡

2018年07月15日

苔翁寺(飯綱町)と十念寺(西後町)仏像 同じ仏師の作

7月14日(土)の「信濃毎日新聞」は、飯綱町の苔翁寺(たいおうじ)の仁王像が、善光寺門前の仏師作と判明したと報じました。

飯綱町芋川の苔翁寺の仁王像2体が、江戸時代後期に善光寺門前町を拠点に活躍していた仏師「村上刑部(ぎょうぶ)」の作だと分かりました。保存修理を行う業者が一部解体して判明しました。

同寺の仁王像は2,2メートル。文化11年(1814)の作。
修理は仏像文化財修復工房(新潟県田上町)で行い、完了は来年秋頃ということです。

仁王像2体をまつる山門は寛政10年(1798)建立。
山門と仁王像は、町の有形文化財指定。(写真は2010年4月17日)
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善光寺門前では、十念寺(西後町)の大仏(2,75メートル)が村上刑部作。
寛政11年(1799)制作。平成7年に解体修理が完了。
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善光寺門前で活躍していた仏師が作った大作の2体の像。当時の門前町の生き生きとした様子を想像することができます。

私は8年前、苔翁寺に招かれて絵解きを行いました。
2010年4月17日ブログ「飯綱町 苔翁寺で釈迦涅槃図の絵解き

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2018年06月21日

瑠璃光寺(上千田)鎌倉時代作の木造薬師如来坐像の公開

30日(土)瑠璃光寺(長野市上千田)で、仏像の一般公開と講演会が開催されます。

公開されるのは、同寺の薬師堂にまつられている前立本尊の「木造薬師如来坐像」。
運慶らに代表される慶派の仏師が作った、鎌倉時代の作とみられています。

瑠璃光寺の薬師堂にまつられた木造薬師如来坐像。県内では、数例しかないと、市立博物館では指摘しています。(2016年7月21日撮影)
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瑠璃光寺では「中興開基400年記念で歴史講演会」(2016年10月7日ブログ)が行われ、長野郷土史研究会の小林一郎会長が講演しました。
行事に先立って調査が行われ、小林一郎と私も同席しました。
記念行事に向け瑠璃光寺で仏像の調査」(2016年7月21日ブログ)

中興開基400年の記念講演会が行われた瑠璃光寺の薬師堂。
公開される仏像は、ここにまつられています。右手に本堂。(2016年10月7日)
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仏像は薬師堂の本尊厨子前に置かれた、お前立です。
管理しているのは地元の「千田連絡会」で、お祭りなどには公開しています。
今回は、お祭り以外では、初めて公開します。

記念講演では、「中興開基400年記念講演会」(2016年10月7日)に、小林一郎会長と共に、講師を務めた竹下多美氏(長野市立博物館研究員)が解説します。
6月30日(土)10:00〜11:30
参加無料
申し込み不要

前回の講演会でも解説した竹下多美氏は、仏像の専門家です。今回は、その後の調査も含めて、更に詳しいお話がお聞きできるようです。

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2018年06月14日

西和田の地蔵堂「十王図」の作者落款に「こまき」の名

13日(水)長野市西和田の地蔵堂にお招きいただきました。
2018年6月13日ブログ「西和田の地蔵堂 釈迦涅槃図・十王図の拝観・調査

「十王図」の落款から、絵を描いたのは地元の清水和吉であることが判明しました。
2018年6月14日ブログ「西和田の地蔵堂 十王図は地元出身の清水和吉の仏画

更に、落款を調べてみました。
上の落款に「胡馬岐亭」と書かれています。
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地元の清水和吉は、「胡馬岐亭」とも名乗っていたことが分かりました。
「胡馬岐」は、「こまき」と読むことができます。

長野市中東部にある「古牧(こまき)」は、明治22年(1889)に上水内郡西尾張部村・高田村・南長池村・東和田村・西和田村・平林村および三輪村の一部(荒屋)の区域で古牧村が発足。
1923年(大正12年)7月1日 に、古牧村は長野市に編入しました。
現在の西尾張部・高田・南長池・東和田・西和田・平林および三輪の一部の地域です。

「古牧」の地名については、『長野市誌』によると次の通りです。
明治22年に誕生した村の名をどうするかで、各村の代表者会で意見がまとまらなかった。困った末に、西尾張部村の物知り、林幸平に聞いたところ、林は「聖徳太子がこの辺を牧場として馬を飼われたともいわれ、また『吾妻鏡』その他の古い史料にも、この辺一帯が牧場であったことが記されている。それゆえ、古い牧場すなわち古牧が適切であろう」と提言した。
一方、『長野市町村合併誌』には「区域中古来多ク唱フル処ノ里名ニヨル」とある。

これまで諸説ありましたが、この度の地蔵堂の十王図の落款により、江戸時代から「こまき」の名称があったらしいことが分かりました。
今後、詳しく調査をして、長野郷土史研究会の機関誌『長野』で発表したいと思います。

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西和田の地蔵堂「十王図」は地元出身、清水和吉の仏画

13日(水)長野市西和田の地蔵堂にお招きいただきました。
2018年6月13日ブログ「西和田の地蔵堂で釈迦涅槃図、十王図 拝観・調査

5幅の「十王図」には、それぞれ落款がありました。
帰宅後、調べると地元出身の方による仏画だと分かりました。
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下の落款に「箕山」とあります。氷づけになるという寒い地獄、八寒地獄を描いた筆致は繊細で見事です。(拡大してご覧ください)
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箕山(きざん)」について、以下の本を参考にして次のことが分かりました。
(『長野県俳人名大事典』矢羽勝幸編、『古牧誌』、『長野市の筆塚』)
本名 清水和吉 (安政7年1月10日、74歳で没す)長野市東和田の人。
寺子屋を開いて近隣の子弟を教えた。筆子150人。
子孫宅(東和田)の前には、安政5年8月建立の碑があります。
正面「秋日和よしよし人のたのもしき 艸莽(そうもう)庵」 台座「筆弟中」 
側面「安政五年 戊午 八月」 裏面「やつかれ癖にして壮年頃より書画詩歌俳堂に遊び、里道師範も打捨て、行脚に年を重ね、老て旧里に帰庵☐、旧弟子小子を捨ずして、此碑造立して右よし筆記せよとこふ。」

墓は宝樹院(長野市平林)にあり、墓塔の裏面に辞世が刻まれています。
「花に風月には雲のかくる世に人はいのちのたのむ甲斐なき 箕山」

地蔵堂の十王図は、地元出身の清水和吉が描いたことが分かりました。
地蔵堂世話人会の皆さんが、地蔵堂と共に、この十王図を今でも大切に継承されていることは、大変貴重なことです。

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2018年06月13日

西和田の地蔵堂で「釈迦涅槃図」「十王図」拝観・調査

13日(水)「地蔵堂」(長野市西和田)に、長野郷土史研究会の小林一郎会長と招かれました。地蔵堂には「地獄極楽図」と呼ばれている「十王図」5幅と、「釈迦涅槃図」があります。その掛け軸を拝観、調査をするのが目的でした。古牧郷土史研究会の太田正紀会長と、長野郷土史研究会の中村収幹事も同席しました。

鳥居をくぐって参道を進むと和田神社の拝殿があり、その右手に地蔵堂があります。
鳥居前の道路は、旧条里制の名残で細い道ですが、まっすぐに通っています。
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並んで建つ、和田神社と地蔵堂。右手は西和田公民館。
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「地蔵堂」は平成12年に庵主さんがお亡くなりになってからは無住となっています。今は「地蔵堂世話人会」が守っています。この日は第1回世話人会で、15名程の会員が集合しました。「地蔵堂」の額は、善光寺大勧進貫主、都築玄妙師(昭和34年就任、同52年退任)の揮毫。
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五幅の十王図には落款があり、帰宅後調べてみると作者が分かりました。
(写真は中村収氏提供)
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釈迦涅槃図には裏書があり、天保8年(1837)2月15日に作られ、大正5年(1916)3月15日に改装と書かれていました。大勢の菩薩や天部、弟子などが描かれていて、私が絵の内容や特色を解説しました。
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また天井には様々な絵や字が描かれていて、「明治二十年十二月」と書かれたものもありました。
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地蔵堂の建立は正徳年間(1711〜15)に、僧・仁科順性によると伝わっています。
弘化4年(1847)の善光寺地震でお堂は崩壊し、その時、尼僧も亡くなりました。
その後の再建年は不明ですが、お堂の欄間に寄進された絵には、明治21年5月と書かれていました。

終了後、お堂の前で見送ってくださった井原壽行代表(右)と、中澤澄博副代表。
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地蔵堂では、8月23日午後5時から地蔵盆を行っています。
また涅槃会は雲照寺の住職が導師で3月15日に行い、合わせて区内の物故者法要も行っています。1年の間に亡くなった方の合同法要で、明治中頃から行っていて、お堂の中央に掛ける掛け軸「西和田区民亡霊位」には、900余名の名前が記されているそうです。
大切に引き継がれている、伝統行事は貴重な地域の文化でもあります。
西和田地区の団結とまとまりを感じました。

2018年6月14日ブログ「西和田の地蔵堂 十王図は地元出身、清水和吉の仏画
2017年1月ブログ「長野市西和田 和田神社の御柱」もご覧ください。

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2018年06月04日

四国八十八ヶ所霊場 鳴門市1番霊山寺と2番極楽寺に参拝

5月31日(木)に、徳島県鳴門市の長谷寺に絵解きでお招きいただきました。
ブログ「5月31日 長谷寺(鳴門市)涅槃図修復報告会で絵解き

その折、弘法大師ゆかりの「四国八十八ヶ所霊場」に参拝しました。いずれも鳴門市にあります。
1番の「霊山寺」には、鳴門市の中心地からバスで向かいました。門前にバス停があります。
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同寺の本堂内。灯籠が見事です。
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1番の霊山寺から2番の極楽寺まで、歩いて参拝しました。(拡大してご覧ください)
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「ばんどう門前通り」と書かれています。趣のある道です。
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途中にある霊山寺の石柱門。「四国第一番」「霊場霊山寺」と書かれています。
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2番目の極楽寺の石柱門。「四国第二番」「霊場極楽寺」と書かれています。
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極楽寺」の門。やはり門前にバス停があります。
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石段を登ったところにある、同寺の本堂。
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1番から2番目までは徒歩で20分程でした。参拝した日は、平日の午前中で、小雨が降っていました。スタートの寺なので、大勢見えていると思いましたが、どちらの境内も静かでした。
平成27年に日本遺産となった四国をぐるっと一周する「四国八十八箇所霊場と遍路道」は、今後世界遺産登録を目指していくそうです。

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2018年05月13日

痕跡をたどって思いを馳せた「善光寺への脇街道めぐり」

13日(日)「長野郷土史研究会」は「善光寺へつながる脇街道めぐり」を行いました。

「栽松院」(問御所町)で開催された「しまんりょ 春のお寺で蚤の市」に合わせて行いました。蚤の市は2012年に始まり、今年で7年目。長野郷土史研究会がこの日に合わせて行事を行うのは今回が3回目で、3年連続の企画でした。

善光寺表参道に面した同寺の入り口。「しまんりょ市」とかかれた赤い提灯。
「しまんりょ」とは、寺の両側を川が流れているので、表参道から見ると「島」のように見えて、そこに「寮(りょう)」があったからです。「寮」とはお坊さんの修行の場。そこから「島の寮」、「島ん寮」となったということです。
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同寺の入り口の観音堂に貼られた、蚤の市のスケジュール表。
この建物が、表参道から見ると島の中にあるように見えました。
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10時半に境内で小林竜太郎青年部長が挨拶して出発しました。
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栽松院南脇のしまんりょ小路が「栗田街道」です。栗田方面からは「善光寺街道」と呼ばれていたと説明しました。後ろの建物は、「ホテルJALシティ長野」。
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その後、長野駅付近まで歩いて、街道の痕跡が分かる、最近発見したという場所に案内しました。左手を線路が通り、奥の建物はMIDORI駐車場。
街道は線路によって分断されましたが、川の流れで街道を思い描くことができると説明しました。
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その後、もうひとつの善光寺街道である「西山街道」に向かいました。
街道だったからこそ、今でも両側にお店が並んでいるのだろうと説明しました。
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西山街道で解散後、栽松院で行われた同寺の副住職ご夫妻らによるスティールパン演奏会にお誘いしました。雨のため本堂内で行われましたが、大盛況でした。
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小雨の降る中、脇街道めぐりには11名方の参加がありました。善光寺に通じる道は、どの道も善光寺街道、善光寺道と呼ばれていました。その痕跡をたどり、歴史に思いを馳せることができた脇街道めぐりでした。
雨の中、ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。

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2018年05月07日

地元の信仰を集めていた寺の屋根の補強「略式代執行」

3月29日、所有者が分からず空き家になっていた寺に、長野市が初めて「略式代執行」を行ったというニュースが流れました。

長野市では平成27年に空き家対策特別措置法を施行。寺の屋根に穴が開いて倒壊の危険があり、法律に基づいて所有者に代わって屋根の補強をしたということです。

昭和通りに面した同寺。屋根の補強が行われました。
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この寺は「玄がく斎」(長野市居町)と言って、かつては尼僧が住んでいました。
(「がく」の字は、活字にありません。「木」へんに、右は「亠」の下に「品」その下に「丂」で、僧の名前です)
寺のことはほとんど報道されませんでした。その歴史などを書いておく必要があると考え、このブログで紹介します。

寺の脇には道があって、道沿いには六地蔵がまつられています。(奥が昭和通り)
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「玄がく斎」の創建は、寛延元年(1748)10月4日。当初は現在地ではなく、70m離れた地にありました。昭和7年(1932)堂宇の老朽化のため再建。
昭和36年(1961)、飯田瑞昌師が入庵。

板碑に刻まれた爪彫六地蔵が並んでいます。
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延命地蔵尊は、子どもの泣き封じの地蔵として参詣者が多く、お盆には手厚い供養が行われたということです。
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ある報道では、尼僧が14年ほど前に亡くなってから無住となっていたとありました。
かつては地元の信仰を集めていたお寺でした。
忘れ去られてはいけない、大切な地域の歴史です。

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2018年05月02日

5月3日~6日 往生院で弁才天奉納コンサート、秘仏開扉

5月3日(木)〜6日(日)往生院(権堂町)では、大弁才天奉納コンサートを行います。また秘仏の金銅観世音菩薩立像の特別開扉と、授与品販売も行われています。

本堂にまつられた観世音菩薩立像が開扉されます。左手奥が弁才天をまつるお堂です。
(4月30日小林竜太郎撮影)
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権堂アーケードに面した同寺の入り口と授与品所。
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本堂前で、授与品(御守、根付け、絵ハガキ、Tシャツ等)が販売されています。
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「往生院コンサート2018」の日時と内容は次の通りです。全て入場無料。
第1回 5月3日(木)13:00〜 ヴァイオリンコンサート
第2回 5月4日(金)13:00〜 クラリネット&ヴァイオリンコンサート
第3回 5月5日(土)13:00〜 琴の演奏
第4回 5月6日(日)13:00〜 金管アンサンブルコンサート

往生院は、善光寺七福神めぐりのひとつ、弁才天をまつっています。
弁才天は芸能の神さまですので、奉納コンサートはふさわしい催しです。
1年に1度、往生院の境内に流れる音楽の調べです。

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2018年04月15日

須坂市「光明寺」で開基400年記念法会・式典・祝賀会

15日(日)須坂市野辺の「野辺山(やへんざん)光明寺」の開基400年記念法会がありました。長野郷土史研究会の小林一郎会長と、二人でお招きいただき参列しました。
同寺の歴代住職は、善光寺大勧進に勤め、善光寺聖として全国に出向いて絵解きを行い、善光寺信仰を広めてきました。現住職の天野義光師も、大勧進で絵解きを行っています。

同寺の入り口。記念行事に合わせて山門が新しく落慶して、本堂、境内の整備が行われました。左手の地蔵堂には、但唱上人作とされる雨乞い地蔵と子育て地蔵がまつられています。
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門には厨子にまつられた文殊菩薩像が納められ落慶法要が行われました。
近くの公会堂に参集した参加者は、行列で門をくぐり本堂に向かいました。
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開山は、江戸時代初期に米子の奇妙山で木喰行をしていた但唱(たんしょう)上人。
江戸中期の宝暦年間の建立と推定される本堂。
本尊は阿弥陀如来立像と勢至菩薩像と観音菩薩像。
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法要の前に本堂右奥の護摩堂で行われた、同寺の天野師による護摩法要。
左手奥には、諸国を巡った際、背負ったという「笈(おい)」があります。中には阿弥陀三尊がまつられています。
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護摩法要の後は、「龍泉寺」(栃木県足利市)住職の源田俊昭師が導師を務めて法要が行われました。

境内に2本あるしだれ桜の内1本は、見頃を迎えていました。
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法要が終了後、昼食をいただき、須坂光臨閣に移動して、記念式典、祝賀会が開催されました。
同寺の紹介、来賓の挨拶の前に、善光寺寿量院の奥様らによる御詠歌3曲が披露されました。2曲目では、地蔵菩薩のご和讃に合わせて、同寺の天野住職の語りが行われました。同寺の雨乞い地蔵にまつわるお話でした。
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祝賀会では私も、天野ご住職が行っている絵解きのことをお話ししました。
記念行事は、お檀家や地域の皆様が参集して盛大に行われました。
400年を迎えて新たなスタートラインに立った光明寺。益々、地域の拠り所となって、発展されることを願いながら会場を後にしました。

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2018年04月13日

善光寺表参道 本願寺長野別院・82銀行長野支店前の桜

13日(金)に参拝した善光寺表参道沿いの「本願寺長野別院」(西後町)。善光寺四十九霊地のひとつで、かつては「正法寺」と言いました。浄土真宗本願寺派。

本堂の脇には親鸞聖人像が立っていて、いつも桜が見事です。
今年は桜の開花が早くて、もう葉桜になっていました。
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本堂前の「今月の言葉」は、今年の春にぴったりの言葉です。
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同寺の参道の左右には塔頭があります。北側の塔頭、定専寺の門前の像。
親鸞聖人の幼少の像で、松若丸が御幼名です。
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「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」
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「明日ありと思う心のあだ桜 夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは」
親鸞聖人が出家される時に詠まれた歌です。
「心の仇(あだ)」と「徒(あだ)桜」が掛詞。
「心の仇」は心を害するもの。「徒桜」は散りやすく、はかない桜花。
辞書によると「明日はどうなるかわからないという、人の世の無常、はかなさを説いたもの。明日もまた桜は美しく咲いているだろうと安心していると、夜中に嵐が吹いて散ってしまうかもしれないという意」

善光寺表参道の八十二銀行長野支店前の桜は、ちょうど見頃でした。
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15日(日)には、この善光寺表参道を北から「長野マラソン」のランナーが走り抜けます。

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2018年01月21日

西宮神社の初えびす 20日午前中で終了した「お種銭」

1月19日(金)、20日(土)は「西宮神社」(長野市岩石町)の「初えびす」でした。
両日お天気に恵まれて、恒例の「お種銭貸し出し」には大勢の参拝者がありました。ひとりで何体も受け取る方がいて、各人の住所、氏名を記帳をするので時間が掛かります。

1月19日ブログ「19日 西宮神社 お種銭貸し出しに長蛇の列

1月20日(土)お昼前には「お種銭貸し出し」が終了しました。
最後の方は、「おひとり2体までにしてください」と制限があったそうです。
境内から続く行列。最後尾は善光寺下から仁王門に向かう道路まで続いたそうです。
(1月20日10時半頃、小林竜太郎撮影)
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お種銭貸し出し所で、巫女さんからお種銭を受ける人々。
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今年は晴れて気温も高く、20日の最低気温はー3,3度、最高気温9,1度。
また19日(金)にNHK長野を始め、民放各社がニュースで放送しました。
20日の信濃毎日新聞、長野市民新聞にも載って、紹介されました。

大勢の参拝者が訪れて賑わった、一年の商売繁盛を祈る初えびす。
遠くから見えてお種銭を受け取れなかった方が出たのは残念でした。

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2018年01月19日

19日 西宮神社の「お種銭貸し出し」に長蛇の列

1月19日(金)、20日(土)は「西宮神社」(長野市岩石町)の「初えびす」です。
19日に参拝すると、福運を授かる「お種銭貸し出し」に長い列ができていました。

神社の外の道路(旧北国街道)まで並んだ参拝者。右手のカーブミラーに、その先の行列が映っています。(1月19日10時50分頃撮影)
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門前には、だるまや縁起物を売る露店が並びます。奥が神社の鳥居。
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NHK長野の動画ニュース「お種銭で商売繁盛 初えびす祭
同番組によると、午前10時の「お種銭貸し出し」に、早い方は7時20分頃から並んだそうです。お種銭は5千体用意したとのこと。

TSBテレビ信州動画ニュース「商売繁盛願い 恒例の初えびす祭
同番組によると、10時の開始から1時間以上たっても、100人以上の行列だったとのこと。

NBS長野放送動画ニュース「西宮神社初えびす 商売繁盛願ってお種銭

この他、「INC長野ケーブルテレビ」の「INCながのニュース」でも「西宮神社初えびす お種銭の貸し出し」がトップで放送されました。

20日(土)の「お種銭貸し出し」は朝7時から。お種銭がなくなるまでです。
また「福くじ」は午前7時〜正午まで、先着2千人に進呈。福だるまやえびす札などが当たります。20日も早朝から多くの参拝者で賑わいます。

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2018年01月18日

19日・20日 初えびすに福運を授かる「お種銭」

1月19日(金)、20日(土)は「西宮神社」(長野市岩石町)の「初えびす」です。
恒例の「お種銭貸し出し」が行われ、順番を待つ長い列ができます。
2017年1月19日ブログ「西宮神社の初えびすでお受けしたお種銭

西宮神社のお種銭貸し出しに並ぶ大勢の参拝者。(2014年1月19日)
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「お種銭貸出し」
19日(金)午前10時〜午後8時
20日(土)午前7時〜お種銭がなくなるまで。
「福くじ」
20日(金)午前7時〜正午 先着2千人に進呈
福だるまやえびす札などが当たる。

また篠ノ井布施高田の「西之宮神社初恵比寿講」でも「お種銭の貸付」が行われます。
お種銭取り扱いや、御札・縁起物のダルマ・甘酒・福飴などの販売。
会場 西之宮神社(長野市篠ノ井芝沢・長野商工会議所篠ノ井支所となり)
縁起物などの販売や、御種銭の取扱いは、公園横の商工会議所篠ノ井支所1Fホールにて実施。
19日(金)午後6時〜10時の4時間
20日(土)午前8時〜10時の2時間

年の初めに参拝して、お種銭で福運を授かりましょう。

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2018年01月10日

「やわたの八幡さま」武水別神社に初詣

8日(祝・月)に千曲市の「武水別(たけみずわけ)神社」に参拝しました。
「やわたの八幡さま」と呼ばれて親しまれています。

境内にはケヤキ・スギなどがあり、「武水別神社社叢」として長野県指定天然記念物に指定されています。
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本殿」は、諏訪出身の立川和四郎・富昌(2代目)によって嘉永3年(1850年)に完成。
手前の「拝殿」は立川和四郎の後見の下、峰村弥五郎によって安政3年(1856年)に完成。家族連れの参拝者が、次々に訪れていました。
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摂社 高良社」は室町後期の建築。昭和50年県宝の指定。平成5年解体復元工事を行い、創建当時の姿に修復。平成6年には保存のための覆屋も竣工。
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境内の茶店「うづらや」は200年の歴史があり、7代目。
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名物のうづら餅は、本殿を造った際に、神社の近くの千曲川に群れ遊んでいたうずらを、立川和四郎富昌が彫刻に使ったといういわれがあります。
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昨年2017年9月の火災で、神社と道路をはさむ「武水別神社神主松田家館跡」(県史跡)の主屋や斎館など5棟が全焼しました。千曲市は平成30年度の一般公開に向けて、17年から保存整備事業を進めていました。
神社では、斎館の寄付を募っていました。


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2018年01月07日

初詣に善光寺門前の神社にも参拝

私は善光寺に初詣の折に、近くの神社にも参拝します。

東町の武井神社は、善光寺三鎮守のひとつ。拝殿の前に御柱が建っています。
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岩石町の「西宮神社」は、善光寺七福神のひとつ、恵比寿様をまつっています。
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箱清水の「湯福神社」は、善光寺三鎮守のひとつ。
拝殿前のケヤキは長野市の天然記念物となっています。
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善光寺に参拝の折には、是非、近くの神社にもお参りください。

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2018年01月06日

「いいね!信州スゴヂカラ」南石堂町商店街と絵解き

6日(土)午前11時から「長野朝日放送」が放送した「いいね!信州スゴヂカラ
今回は「善光寺参道の玄関口 南石堂町ぶらり」でした。

訪れたのは、南石堂町商店街の「山口金物店」「ゼニヤ時計店」、ラーメン店の「るるも」、和菓子の「朝日堂」。

「石堂町」の名前の由来を知るために訪れたのは、「かるかや山西光寺」。
竹澤環江氏の絵解き「刈萱道心と石童丸」で、同寺と町名のいわれをお聴きしました。
環江氏は「石堂町」の名前は「石童丸」から付いたと説明しました。

この番組は、来週13日(土)の放送終了(11:30)まで「ネットでまるごと配信」されています。
全国の皆様、どうぞご覧ください。

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2017年12月25日

かるかや山西光寺でお若い皆さんと絵解き・紙芝居を拝聴

25日の午後、北石堂町の「かるかや山西光寺」に伺いました。
県外から見えて善光寺の門前でお仕事をされている4名の皆さんと一緒に、予約をして絵解きをお聴きしました。

植木を守る「雪囲い」がされた境内。長野はまだ積もるような雪は降っていません。
同寺を開いたという刈萱道心と、その子石童丸の親子対面の銅像があります。
竹澤環江氏に迎えていただき、境内をご案内していただきました。
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その後、本堂で「刈萱道心と石堂丸御親子絵伝」の絵解きを拝聴しました。
その前に、お寺のいわれを分かりやすく伝える紙芝居を上演していただきました。
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絵解きの後、絵伝が描かれた年代や、絵の順番など、次々に質問が出ました。
ケースに入った宝物も拝観しました。
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その後、場所を移して、十王像と六道地獄図の絵解きも拝聴しました。
お若い皆さんは感想や感情を表現したりして、環江氏とやり取りしながら絵解きは進みました。一緒にお聴きした私も新しい発見があって、絵解きの楽しさを存分に味わうことができました。
素晴らしい絵解きをしていただいた環江さん、熱心にお聴きいたいた皆さんと共に、貴重なひとときを過ごすことができました。

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2017年12月24日

年末年始に参拝を呼び掛ける「秋葉神社」「菊屋稲荷」

アーケード通りにある秋葉神社(権堂町)。越年、元旦祭の案内が掲示してありました。
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0時から先着500名に、福みかん進呈と書いてあります。
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長野市役所第2庁舎脇の菊屋稲荷(緑町)。講の皆さんが、初午や秋祭りを行っています。年末年始にも、参拝を呼び掛けています。
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12月31日(日)23時〜年末祭、1月1日(月)0時〜2時元旦祭
福銭・福みかん 暖かい振る舞い きのこ入りとん汁
(地図は拡大してご覧ください)
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2017年12月21日

美和神社(三輪)越年式で百の神様に膳を捧げる百膳盛

各地で年末年始の準備が進んでいます。

16日(土)美和神社(三輪8丁目)で恒例の「越年式」が行われました。
美和神社の三輪鳥居(三ツ鳥居)。長野電鉄本郷駅の脇にあり、鳥居は線路に向いています。
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同神社の拝殿。
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「長野市民新聞」によると、次の通り。
近隣7区の氏子総代や区長ら約50人が参列。
新年を迎える「百膳盛(ひゃくぜんもり)の儀」などを執り行いました。

「百膳盛」とは1年間の感謝を込めて、境内北側にある約100カ所の石の祠「百社」に膳を奉納します。宮司が祝詞を上げる中、米や魚、野菜などを椀に盛り付けます。膳に椀を5つ並べて、氏子総代らが手渡しで、祭壇に捧げます。

美和神社は、善光寺四十九霊地の内、七社のひとつです。
境内には、「縁結比乃大神」があります。「縁結びの神」です。(右が拝殿)
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背後から見ると、根本は2本の大木が、一緒になって1本になっています。
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権堂町の秋葉神社拝殿 新年に向けて大しめ縄を奉納

各地で年末年始の準備が進んでいます。
「信濃毎日新聞」夕刊によると、善光寺では、21日(木)、年末年始に善光寺如来に供える餅をつく「お供えつき」がありました。そのついた餅で、23日深夜から24日未明にかけて如来が年を越す秘儀「御越年式」で使う「おからこ」も作りました。
お供えは5段重ねにして本堂に供えます。
餅を小さく丸めた「おからこ」は150個作り、御越年式で境内の四方に供えます。

権堂町のイトーヨーカドー長野店脇の秋葉神社。
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同神社の拝殿。DSC02552

拝殿には新しい大しめ縄が掛けられています。
大しめ縄は9日、氏子約60人で作って奉納しました。(以下「長野市民新聞」より)
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同神社では、平成17年(2005)から、「若穂万年嶌神社七五三(しめなわ)講」のメンバーに手伝ってもらってしめ縄を作ってきました。
今年はメンバーに手伝ってもらう最後の年でした。
朝9時頃から制作を開始。長さ6,3mのしめ縄3本を作った後、より合わせて直径45僉長さ5,6mの大しめ縄に仕上げました。
正午過ぎに、塩と酒で清めて拝殿に掲げました。
権堂町では、来年からは地元住民で力を合わせて作るそうです。

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2017年12月12日

広徳寺で南禅寺 大明国師・南院国師顕彰第18回定期集会

12月12日(火)「広徳寺」(長野市保科)で、「大明国師南院国師顕彰 第18回定期集会」と法要が開行われ、長野郷土史研究会の小林一郎会長と9時15分に伺いました。
平成12年(2000)第1回の設立総会で講演したのは、長野郷土史研究会の前会長の小林計一郎でした。

広徳寺の入り口。顕彰碑は右手にあります。
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12月12日は京都の南禅寺の開山、大明国師が遷化された日です。
同師は長野市保科の出身で、平成2年(1990)、七百年大遠忌に合わせて、南禅寺は広徳寺に顕彰碑を建てました。また第2世の南院国師も長野市長池の出身です。平成23年(2011)の七百年大遠忌に、大明国師の碑の傍らに顕彰碑を建てました。
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同寺の本堂。朝方わずかに雪が舞った程度でした。
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法要前に本堂で定期集会。事務局を務める広徳寺の宮澤住職が議事を行いました。大明国師の碑が建った平成2年(1990)から30年後となる2020年には、30周年の行事を行いたいと話しました。
続いて本堂で、南禅寺から見えた虎山財務部長、児島総務部長、少林信徒部長、大神総務部部員によって法要が行われました。

外に出て、門前の顕彰碑前で、回向が行われました。
(左奥が大明国師の顕彰碑。中央が南院国師顕彰碑)
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一般の参列者も焼香を行いました。
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法要後は本堂で講話「中世の保科の歴史」を、堀邦二氏(保科誌刊行会編纂委員長)が語りました。「一人が始めなかければ何もできない」と始めて、7年の歳月を掛けて作りあげた『保科誌』。堀氏は「文科系、理科系に関わりなく、広い視点で関心を持ってもらいたい」と話しました。プロジェクターを使って詳しく解説しました。
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続いて少林(わかばやし)信徒部長の講話。
10月1日新任という島根県出身の同師は、長野県に見えるのが初めてとのこと。
「雄大で凛々しい山並みを見て、開山はこんな地に育ったのだと感じた」と話しました。また観無量寿経の「九品」について解説。「品」は各人の中にある「仏性」にも通じる。自分の内にある「品」を意識して生きる。それを日々生かしていく。過去を顧みて悩むより今を一生懸命生きることが大事である、と語りました。
大明国師の御遺言である「不離当処」(一時一処に悔いなく生きよ)を紹介しました。
南禅寺の中村文峰管長猊下の御染筆によるその言葉は、同寺に授与されて本堂に掛けられています。また地元の若穂中学にも授与されて、掲げられています。
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その後、庫裏でお斎(懇親会)が行われました。
出張料理の「加茂川」(南千歳町)の見事な日本料理が並びました。
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北信流が行われ、南禅寺の皆様に地元から御盃がありました。
南禅寺の皆様は、14時半頃、京都に向けて車でお帰りになりました。
長野の最低気温は−1,2度。最高気温は3,7度と上がりませんでした。京都よりも寒いと感じられたようでした。

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2017年11月19日

19日 宵えびすで賑わう善光寺門前の「西宮神社」

善光寺門前の「西宮神社」(岩石町)で「えびす講祭」が、11月18日(土)から20日(月)まで行われます。

18日(土)善光寺で絵解きを行った後に、参拝した西宮神社。さわやかな境内でした。
我が家では恒例の、熊手に「開運御守」の付いた縁起物を受けてきました。
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えびす講は長野の初冬の風物詩でもあります。
19日の夜は宵えびすで、だるまや縁起物を売る露店が並んで賑わいます。

合わせて同社では、3日間、恒例の「江戸里神楽奉納」もあります。
いずれも午前11時半〜と15時〜の2回。
奉納するのは、松本源之助社中(国の重要無形民俗文化財指定)です。
どなたでも、外から拝観することができます。

明治32年、「えびす講」に合わせて始まった 「第112回 長野えびす講煙火大会」は、11月23日(勤労感謝の日)に開催されます。

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2017年10月20日

善光寺と深い関係のある「専修寺」三重県初の国宝に指定

10月20日、文化審議会は「国宝・重要文化財(建造物)の指定について」を答申しました。
それによると、重要文化財だった「本山専修寺」(三重県津市)の「御影堂」と「如来堂」が国宝となる予定です。三重県では、建造物として初めての国宝となります。

本寺 専修寺」は栃木県真岡市にあり、そのご本尊は、親鸞聖人が善光寺からお移しした一光三尊阿弥陀如来像です。昨年、その仏像が「本山専修寺」(津市)に移されて御開扉が行われ、私は夫と参拝しました。その折、同寺の第25世法主の常磐井慈祥猊下ご夫妻にお目通りをさせていただきました。
2016年4月「17年に1度の御開扉 真宗高田派専修寺に参拝

専修寺の御影堂。延宝7年(1679)の再建。宗祖親鸞聖人の木像を安置。
内部は華麗な装飾で、畳の数は739枚。御開扉された一光三尊仏は、このお堂にまつられました。(写真はいずれも2016年4月に撮影)
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専修寺の如来堂。寛延元年(1748)建立。同寺の本堂で、本尊の阿弥陀如来立像を安置しています。昭和58年(1983)から7年半の歳月をかけて大修理工事を実施。平成2年(1990)に修繕工事が完成。
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「本山専修寺」(三重県津市)と「本寺専修寺」(栃木県真岡市)は、いずれも「全国善光寺会」の会員です。なお本寺専修寺の御影堂と如来堂も重要文化財の立派な建物です。
信州善光寺と深い関係のある「本山専修寺」の国宝指定は、大変喜ばしく嬉しいことです。心からお祝いを申し上げます。

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2017年10月11日

京都東山 善光寺仏がまつられた方広寺と豊国神社に参拝

5日(木)浄福寺(京都西陣)の絵解きを拝聴するために京都に行きました。
京都西陣の浄福寺で釈迦如来像開帳と、釈迦涅槃図絵解き

その折、6日「方広寺」(京都市東山区茶屋町)に参拝しました。
ご住職様がお留守でしたので、この日、本堂内は参拝できませんでした。
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同寺は、豊臣秀吉が創建した天台宗の寺院です。
大仏殿には6丈の木造大仏が安置され、秀吉の権勢を示していました。

その後、慶長元年(1596)の大地震で大仏は倒壊しました。
秀吉は、大きな大仏でも壊れてしまってはだめだと考えます。
そこで武田信玄が甲斐善光寺にまつった善光寺の本尊を、方広寺に移して安置。
慶長3年(1598)死去の前日に、秀吉は善光寺に本尊を戻しました。

慶長4年(1599)再度金銅仏を本尊として再建。しかし工期中に出火。
慶長14年(1609)秀吉の子秀頼は、徳川家康の勧めで金銅仏と大鐘を鋳造。
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その梵鐘の銘に「国家安康」「君臣豊楽」の文字があり、家康に追及されて大阪の陣の発端となりました。
言葉を白く囲ってあります。(拡大してご覧ください)
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その後、寛文2年(1662)地震で大仏が大破。寛文10年(1798)落雷で大仏殿も焼失。当初のもので残っているのは、大仏殿の石檀と鐘(重要文化財)です。

方広寺大仏殿跡に建つ「豊国神社」は豊臣秀吉をまつっています。
慶長4年(1599)秀吉の墓所として創建された豊国廟が、徳川氏によって破壊。
明治13年(1880)現在地に移されて再興されました。
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豪華な唐門は伏見城の遺構。桃山建築の特色を表していて国宝。
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彫刻が見事な門には「豊国大明神」と書かれています。
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門の脇には、たくさんの草履の形の絵馬があげられています。
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こちらは、ひょうたんの絵馬。
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境内には宝物館もあり、見学しました。馬印のひょうたんも展示されていました。
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この後、すぐ隣に建つ京都国立博物館で国宝展を見学してきました。
ブログ「開館120周年 特別展覧会『国宝』を見学

京都は日本ばかりか世界各地から観光客が押し寄せています。でも訪れる場所は、ほとんど決まっています。
私は今回、善光寺に関係する2寺院(泉涌寺塔頭の新善光寺、方広寺)を参拝することができました。
ブログ「京都東山 御寺泉涌寺 塔頭のひとつ 新善光寺に参拝

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2017年10月09日

京都東山「御寺 泉涌寺」別格本山「雲龍院」に参拝

5日(木)浄福寺(京都西陣)の絵解きを拝聴するために京都に行きました。
京都西陣の浄福寺で釈迦如来像開帳と、釈迦涅槃図絵解き

その折、6日に「御寺 泉涌寺」(京都市東山区泉涌寺山内町)に参拝しました。皇室の菩提寺のため「御寺(みてら)」と付きます。
同寺の塔頭のひとつに、真言宗 泉涌寺派 別格本山の「雲龍院」があります。門から入ると奥に書院があり、拝観受付があります。(拝観料400円、お抹茶付き900円)
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本堂の「龍華殿」(重要文化財)の本尊は薬師三尊(薬師如来・日光菩薩・月光菩薩)。廊下づたいに巡っていくと、本堂内では女性が数名、静かに写経をしていました。
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庭園を囲む書院の各部屋は、自由にくつろぐことができます。
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「悟りの間」にある「悟りの窓」。訪れるたびに風景が変化するそうです。
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その部屋で、お抹茶をいただきました。各自、好きな部屋を選ぶことができます。
私は、「悟りの窓」の景色を楽しみながらお茶をいただきました。
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雪見障子の四角いガラスから違った絵(左から椿、灯籠、楓、松)を眺めることができるという「蓮華の間」。
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徳川慶喜が寄進したと伝えられる灯籠。
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「勅使門」は、皇族が見えた時に使われる専用の門です。
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女性だけでなく、男性がひとりで訪れて、静かに庭園を眺めている姿がありました。
格式がありながら、誰でも広く受け入れてくださるような雰囲気が人気を集めているようです。

ブログ「御寺泉涌寺 参拝」「「新善光寺 参拝」もご覧ください。

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2017年10月08日

京都市東山の皇室の菩提所「御寺(みてら)泉涌寺」参拝

5日(木)浄福寺(京都西陣)の絵解きを拝聴するために京都に行きました。
京都西陣の浄福寺で釈迦如来像開帳と、釈迦涅槃図絵解き

その折、6日に「御寺 泉涌寺」(京都市東山区泉涌寺山内町)に参拝しました。皇室の菩提寺のため「御寺(みてら)」と付きます。真言宗 泉涌寺派の総本山で、末寺は全国に65ヶ寺あります。

参道は坂道で、途中にあるのが総門です。車が勢いよく通り抜けていきます。
門をくぐると、左右に「山内寺院」が9ヶ寺あります。
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大きな駐車場の前に建つ大門(重要文化財)。標柱にも「御寺 泉涌寺」と書かれています。入ると右手に受付があり、伽藍拝観料を払います。(大人500円)
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仏殿」(重要文化財)は、寛文8年(1668)に徳川家綱によって再建。
内陣には、伝運慶作の三世仏(阿弥陀・釈迦・弥勒)を安置。
天井には狩野探幽筆の幡竜龍図、三世仏の背景には白衣観音像が描かれています。
毎年3月14日〜16日、大涅槃図(縦16m・横8m・重さ100貫)が公開されます。
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仏殿の奥にある「舎利殿」(京都府指定文化財)。謡曲『舎利』の舞台として有名。
12年に1度、辰年にのみ特別公開されています。
ちょうど10月6日は満月で、夜7時半から「舎利殿能」が開催されました。
内部も公開していて、参拝できました。
「京都新聞」の「謡曲『舎利』、舞台の地で上演
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明治17年、明治天皇によって再建された非公開の「霊明殿」。
天智天皇以来の歴代天皇の御尊牌がまつられています。
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寺の名前の起源となった名水が今も湧き出ていて、それを覆う屋形は仏殿と同じく寛文年間の建物です。「泉湧水屋形」(京都府指定文化財)。DSC02059 (2)

境内には「楊貴妃観音像」(重要文化財)をまつるお堂があり、美しい像を間近で拝観できます。また「宝物館 心照殿」では、年間を通して公開展示が行われています。

ブログ「新善光寺 参拝」もご覧ください。

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京都東山「御寺 泉涌寺」塔頭のひとつ「新善光寺」参拝

5日(木)浄福寺(京都西陣)の絵解きを拝聴するために京都に行きました。
京都西陣の浄福寺で釈迦如来像開帳と、釈迦涅槃図絵解き

その折、6日に「御寺 泉涌寺」(京都市東山区泉涌寺山内町)に参拝しました。皇室の菩提寺のため「御寺(みてら)」と付きます。
同寺の塔頭のひとつに、真言宗の「新善光寺」があります。

泉涌寺へ向かう参道入り口の門。車道となっていて、団体バスなども通ります。
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右方向が泉涌寺。坂道を上っていく参道に建つ標柱。この奥に新善光寺の門が見えます。標柱には「後嵯峨院勅願道場 新善光寺」と書かれています。停車している車の手前を左に入ると、「泉山幼稚園」があります。
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門の脇に建つ「泉涌寺塔頭 新善光寺」の標柱と「歴史的風土特別保存地区」の標柱。
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門を入ると正面にある新善光寺の本堂。
同寺は、鎌倉時代中期、寛元元年(1243)後嵯峨天皇の帰依を受けて僧・値願念西が勧進。信濃善光寺の阿弥陀如来の模像を本尊に建立された寺。もとの場所は上京区一条北で、応仁の乱で焼失した後、文明5年(1473)に泉涌寺山内に移建。 現在の場所に落ち着いたのは寛文年中です。
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本堂脇に建つ大方丈は300年を経て、昭和42年修理。
狩野派一派の絵師による墨画の襖絵56枚があります。
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境内に建つ「愛染明王」をまつるお堂。
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錦鯉が泳ぐ境内の池。
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6日の京都は、朝から雨が降り出し、池の水面にも、雨粒の輪ができ始めました。
2500坪という新善光寺の境内は、静まりかえっていました。

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2017年08月18日

花岡平 東山魁夷画伯の墓所と絶筆「夕星」の舞台

17日に訪れた「花岡平 霊山寺の謙信物見の岩・岩井堂観音・一盃清水」。

善光寺裏手の花岡平には、東山魁夷画伯の墓所と、作品にまつわる風景があります。

霊山寺」の入り口にある「東山魁夷画伯絶筆の舞台」の立て札。
画伯が最後に描いた「夕星」(1999年作)は、霊山寺本堂裏の杉の木と大峰・地附山の稜線を元に完成されました」と書かれています。
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本堂裏から見た3本の杉の木。
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2007年12月撮影。杉の木は、当時6本ありました。
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この霊山寺の下に、善光寺大本願花岡平霊園があります。
霊園の入り口に「東山魁夷画伯墓所」があります。
お墓に手を合わせると、墓所の向こうに杉の木が見えます。(
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墓石の右脇には、文箱の形の石に刻まれた「自然は心の鏡 魁夷」のモニュメント。
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東山魁夷館」は、5月31日から改修のため休館となっています。隣接する「長野県信濃美術館」は10月1日(日)から休館となります。

平成11年(1999)に90歳でご逝去された東山魁夷画伯。
四季の変化が美しく、山や湖、川、渓谷と地形の変化に富んだ長野県を、「作品を育ててくれた故郷」と呼ぶほど愛していたそうです。(東山魁夷館HPより)
その画伯から県に作品と関係図書の寄贈があり、平成2年(1990)4月に「東山魁夷館」は開館しました。今、その建物を見下ろす花岡平の霊園に、画伯は静かに眠っていらっしゃいます。
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2017年08月17日

花岡平「霊山寺」謙信物見の岩・岩井堂観音・一盃清水

お盆が終わった17日、調査のために花岡平の「霊山寺(りょうざんじ)」(箱清水)を訪ねました。

善光寺の裏手にある同寺は、大正時代に長野市長沼から水害を逃れて同地に移ってきました。同寺にはたくさんの史跡があります。16日は送り盆で賑わった寺も、翌日は静かでした。冠木門から見た本堂。
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寺の駐車場脇の500基ほどの「五輪塔群」。
善光寺は中世に、全国からの信徒が五輪塔をまつる習慣がありました。
善光寺周辺から発掘された五輪塔が、一カ所にまとめてまつられています。
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墓地の栗岩家墓の横に建つ「栗岩英治顕彰碑」。
栗岩英治(1878〜1946)明治〜昭和時代前期の郷土史家。
郷里長野県の地方史研究に専念。昭和4年県史編纂委員となり「信濃(しなの)史料」刊行の基礎をつくった。著作に「諏訪研究」「善光寺物語」など。
長野郷土史研究会初代会長・小林計一郎が影響を受けた方です。
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境内にある「川中島戦士の首塚」。川中島の戦いの時、この地は上杉方の陣地でした。打ち取った武田方の武将の首をまつったのが左手の首塚です。
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「岩井堂観音」「弘法大師硯水」「謙信物見の岩」。境内の裏山を登る途中の石柱に書かれていて、丁石のように案内の役目をしています。(拡大してご覧ください)
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登った所にそびえ立つ「謙信物見の岩」。ロッククライミングの練習にも使われています。(使用する時は、霊山寺に許可を得ます)
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その岩穴にまつられているのが「岩井堂観音」。
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かつてこの辺りには清水がありました。岩井堂で修業した弘法大師が、杖で地面を突いたところ清水が沸きだしたといい、弘法大師が硯の水に用いたという伝説があります。これが善光寺七清水のひとつ、一盃清水です。現在、その場所は分かりません。
今では、境内に湧き出ている霊泉水を、一盃清水と呼んでいます。
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花岡平からの眺め。雲は多かったのですが、久しぶりに気温は32度となり暑い一日でした。
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小林会長と私は、今、「善光寺四十九名所」を本にまとめようと準備をしています。
今日は、七池のひとつ、狐池も訪ねました。これで全ての写真撮影を終えました。

naganoetokino1 at 22:32|PermalinkComments(0)
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