善光寺四十九霊地ー七小路

2016年11月12日

小春日和の門前「まちなか小路の名前を覚えようツアー」

11月12日(土)、長野市の最低気温は7,6度、最高気温は15,8度。
陽ざしが暖かく感じるような小春日和の天気でした。

長野郷土史研究会」青年部の主催で「まちなか 小路の名前を覚えよう ツアー」を行いました。18 名で善光寺表参道を巡りました。

11時に集合したのは、かるかや山西光寺(北石堂町)の境内。
小林竜太郎(長野郷土史研究会青年部長)の案内で出発しました。
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表参道西側の「はんこや小路」を、道の反対側から説明。「小路の入り口には、今でもはんこ屋さんがあります。奥には、新田町のお宮があります」
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栽松院の脇の「しまんりょ小路」。「社堰と南八幡川の間にあった寺が、島のように見えたので島の寮(寺のこと)と呼ばれ、それが『しまんりょう』『しまんりょ』になりました。またこの小路は、栗田方面とつながっていて、栗田の城のお殿様が通る道でもありました」と解説しました。
しまんりょ

表参道を東に入った「お蔵小路」(問御所町)をぬけて「延命庵」前で、「江戸時代、問御所は越後の椎谷藩領で、年貢を収める蔵があったので名前が付きました」と解説。
延命庵

オリンピックの表彰式会場だったセントラルスクェア前。かつてこの場所にあった「菊屋小路」(問御所町)について話しました。また表参道の西側、旧後町小学校に続く「鍋屋小路」を解説。「小路の途中にある、大鈴木さんの屋号が鍋屋だったので名が付きました。鍋谷田小学校も、鍋屋さんの田んぼだったからです」と解説。鍋屋さんは、かつて鋳物師でした。
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かつて表参道から権堂に入る道だった「権堂小路」に入り、すぐに左折すると「表権堂通り」。「かつてはこの道が権堂の中心でした」と解説。
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東に入る「新小路」を、表参道の反対側から説明。「かつては郵便局があったり、西洋料理店があって先進的な小路でした。今もリノベが行われて、「SINKOJIカフェ」などができています」
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表参道を西に入った「花小路(花屋小路)」(大門町〜西町〜長門町)。「かつて花屋という造り酒屋があったと言われていますが、よくわかりません。近年、バス停が『花の小路』となりました」
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その後、国道406号線となった「下堀(しもぼり)小路」、西方寺に続く「広小路」を解説。解散したのは、小路の奥に市営善光寺表参道東町駐車場ができて歩行者が行き交う「上堀(かんぼり)小路」の入り口でした。「地元では『かんぶり小路』と呼びます」とも解説。
途中で他に説明したのは、お蔵小路に続く「松沢新道」、鐘鋳川沿いの「鐘鋳小路」、武井神社の脇の「虎小路」などでした。
最後に善光寺七小路についても説明がありました。

参加した方からは、「実際に歩いてみて、名前の由来がよく分かりました」「これまで知らなかったことばかりでした」「暗渠になった川が、昔のように見えたらいいですね」などの感想が出ました。
小春日和の天気のせいか、大勢の観光客や地元の方でにぎわう表参道でした。
ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。

行事を企画、実施した小林竜太郎のツイッターより。
長野というまちの記憶を様々な観点から蓄積しておこう
来年のまち歩きでやってみたいこと

naganoetokino1 at 22:00|PermalinkComments(0)
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