長野県名誕生150年
2021年07月15日
長野県名誕生150年 旧長野県庁 焼失免れた唯一の建物
長野県の名が誕生して、今年は150年です。現在の中野市にあった県庁は、明治4年(1871)に善光寺の門前に移転しました。最初に置かれたのは、西方寺(西町)の本堂でした。その後、明治7年(1874)に、信州大学教育学部(西長野)の場所に旧県庁舍は新築されました。
長野県庁舎の歴史
明治4年(1871)善光寺門前の西方寺(西町)が仮庁舎となる。
明治7年(1874)現信州大学教育学部の場所に、旧県庁舍を新築。
明治41年(1908)5月10日、旧県庁舎は焼失。
大正2年(1913)現県庁舎の場所(南長野幅下)に新庁舎完成。
昭和42年(1967)2月 県庁舎建て替え。現在に至る。
信州大学教育学部の敷地内、北側に建つ、赤れんがの建物。明治28年(1895)旧県庁の書庫として建てられました。
信大教育学部に許可を得て、見学調査をしました。(2021年6月21日)

赤れんが書庫の歴史
明治28年(1895)旧県庁の書庫として赤れんがの建物を建築。
明治41年(1908)5月10日、旧県庁舎は焼失。赤れんが書庫は焼失を免れる。
平成20年(2008) 赤れんが書庫が国の登録有形文化財になる。

建物の前に建つ案内板。(拡大してご覧ください)

平成29年(2017)8月、信州大学教育学部同窓会赤煉瓦館として改修されました。
2017年7月ブログ「信大教育学部 赤れんが書庫改修 8月11日お披露目」
長野県庁舎の歴史
明治4年(1871)善光寺門前の西方寺(西町)が仮庁舎となる。
明治7年(1874)現信州大学教育学部の場所に、旧県庁舍を新築。
明治41年(1908)5月10日、旧県庁舎は焼失。
大正2年(1913)現県庁舎の場所(南長野幅下)に新庁舎完成。
昭和42年(1967)2月 県庁舎建て替え。現在に至る。
信州大学教育学部の敷地内、北側に建つ、赤れんがの建物。明治28年(1895)旧県庁の書庫として建てられました。
信大教育学部に許可を得て、見学調査をしました。(2021年6月21日)

赤れんが書庫の歴史
明治28年(1895)旧県庁の書庫として赤れんがの建物を建築。
明治41年(1908)5月10日、旧県庁舎は焼失。赤れんが書庫は焼失を免れる。
平成20年(2008) 赤れんが書庫が国の登録有形文化財になる。

建物の前に建つ案内板。(拡大してご覧ください)

平成29年(2017)8月、信州大学教育学部同窓会赤煉瓦館として改修されました。
2017年7月ブログ「信大教育学部 赤れんが書庫改修 8月11日お披露目」
naganoetokino1 at 09:00|Permalink│Comments(0)│
2021年07月11日
長野県名誕生150年 碑に刻まれた旧長野県庁跡
長野県の名が誕生して、今年は150年です。現在の中野市にあった県庁は、明治4年(1871)に善光寺の門前に移転しました。最初に置かれたのは、西方寺(西町)の本堂でした。
その後、明治7年(1874)に、信州大学教育学部(西長野)の場所に旧県庁舍は新築されました。現在、同大学の南東端には「明治天皇行幸之処」の碑が建っています。その碑に、長野県庁跡と刻まれています。写真中央に碑。奥が北で、善光寺方面。

信州大学教育学部の南東端に建つ「明治天皇行幸之処」の碑。
正面左側には「昭和十二年九月九日建之 長野県」と書かれています。
信大教育学部に許可を得て、見学調査をしました。(2021年6月21日)

正面、向かって右側「此ノ処ハ明治十一年九月九日 聖駕行幸ノ地ニシテ長野県庁跡ナリ 長野県知事従四位勲三等近藤俊介 謹書」(拡大してご覧ください)

裏側には「碑表 従二位勲二等功四級侯爵 西郷従徳閣下 揮毫」。「明治天皇行幸之処」を書いたのは西郷従徳とあります。
碑の左奥に見えるのは、長野駅方面から県庁に突き当たる「県町通り」。
明治12年(1879)に開通しました。東西の通りは国道406号線。

明治41年(1908)5月10日、旧県庁舎は焼失。
大正2年(1913)現県庁舎の場所(南長野幅下)に新庁舎が完成して移転。
昭和42年(1967)2月 県庁舎は建て替えられて、現在に至っています。
その後、明治7年(1874)に、信州大学教育学部(西長野)の場所に旧県庁舍は新築されました。現在、同大学の南東端には「明治天皇行幸之処」の碑が建っています。その碑に、長野県庁跡と刻まれています。写真中央に碑。奥が北で、善光寺方面。

信州大学教育学部の南東端に建つ「明治天皇行幸之処」の碑。
正面左側には「昭和十二年九月九日建之 長野県」と書かれています。
信大教育学部に許可を得て、見学調査をしました。(2021年6月21日)

正面、向かって右側「此ノ処ハ明治十一年九月九日 聖駕行幸ノ地ニシテ長野県庁跡ナリ 長野県知事従四位勲三等近藤俊介 謹書」(拡大してご覧ください)

裏側には「碑表 従二位勲二等功四級侯爵 西郷従徳閣下 揮毫」。「明治天皇行幸之処」を書いたのは西郷従徳とあります。
碑の左奥に見えるのは、長野駅方面から県庁に突き当たる「県町通り」。
明治12年(1879)に開通しました。東西の通りは国道406号線。

明治41年(1908)5月10日、旧県庁舎は焼失。
大正2年(1913)現県庁舎の場所(南長野幅下)に新庁舎が完成して移転。
昭和42年(1967)2月 県庁舎は建て替えられて、現在に至っています。
naganoetokino1 at 10:00|Permalink│Comments(0)│
2021年07月03日
長野県の名が誕生して今年は150年「信金大門町」展示
「長野信用金庫」大門町支店のディスプレイは、3ヵ月ごとに展示替えをしています。「長野郷土史研究会」は制作に協力しています。6月30日に展示替えを行いました。
長野駅から善光寺向かう、善光寺表参道(中央通り)にある信金大門町支店。
長野県の名が誕生して、今年は150年です。
現在の中野市にあった県庁は、明治4年(1871)に善光寺の門前に移転しました。門前町に残る初代・第2代の知事(当時は権令など)が書いた扁額を掲載しています。(拡大してご覧ください)

南側の小さなウィンドーは、善光寺四十九霊地の内の2ヵ所を取り上げています。
中御所の柳原神社(笹焼神社)と、虎小路(東町・岩石町・横町)です。
『善光寺四十九霊地―善光寺と長野の七名所―』(小林一郎、小林玲子著)より
今年は長野県の名が誕生してから150年の節目の年です。
長野郷土史研究会では、記念の冊子を発行しようと、準備をしています。
長野県の始まりを担った人々(県知事とその周囲)に焦点を当てた内容です。
会員の皆様には、7月末にお届けします。もうしばらくお待ちください。
梅雨の晴れ間に、信金大門町支店前の紫陽花がきれいに咲いています。

長野駅から善光寺向かう、善光寺表参道(中央通り)にある信金大門町支店。
長野県の名が誕生して、今年は150年です。
現在の中野市にあった県庁は、明治4年(1871)に善光寺の門前に移転しました。門前町に残る初代・第2代の知事(当時は権令など)が書いた扁額を掲載しています。(拡大してご覧ください)

南側の小さなウィンドーは、善光寺四十九霊地の内の2ヵ所を取り上げています。
中御所の柳原神社(笹焼神社)と、虎小路(東町・岩石町・横町)です。
『善光寺四十九霊地―善光寺と長野の七名所―』(小林一郎、小林玲子著)より
今年は長野県の名が誕生してから150年の節目の年です。
長野郷土史研究会では、記念の冊子を発行しようと、準備をしています。
長野県の始まりを担った人々(県知事とその周囲)に焦点を当てた内容です。
会員の皆様には、7月末にお届けします。もうしばらくお待ちください。
梅雨の晴れ間に、信金大門町支店前の紫陽花がきれいに咲いています。

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