
(新大医学部・付属病院全景)
今から55年前になります。入学金が確か3万6千円、授業料月額1,000円、関屋駅前のアパ-ト代(共同風呂・共同トイレ、4畳半1間に半畳の台所)が7,000円でした。本当に夢のような低額で、奨学金(1万円、後に1,2000円)もあり、6年間の親からの仕送りのすべてが300万円程度で卒業することができました。当時実家は農家でしたので、そんな中進学できたのは、このような国立ゆえの仕組みのおかげと感謝しています。物価を考慮して比べても、破格の安さだったと思っています。こうした余裕のある国の制度がどんどん失われてゆく昨今の状況は、一抹の寂しさとあきらめに似た感覚に襲われてしまいます。入学後の2年間は医学部進学課程のため、五十嵐地区(新潟市の郊外)で高校の延長のような教養部の授業を受けていました。あまり役に立つとは思えない教科ばかりでのんびり、ところが3年目医学部(新潟市中心部高台)に移ると途端に朝8時半から午後4時半まで(実習が終わらなければ6時位まで)内容の濃い授業がびしっり、教官も1分1秒を惜しむように冗談もなく速射砲のような速さで明解な講義、各科目が一段落すると決まって試験が待っていました。驚いたのはその試験の時間帯です。当時土曜日は午前中までで午後は休みでしたが、試験はその休みの午後の時間を使って実施され、正規の授業時間をつぶすことはありませんでした。これには医学部教育の本気度を感じて本当に驚き感動、クラス仲間からの不満の声は全く聞かれませんでした。









