信州大学文芸部楓のブログ

信州大学の松本キャンパスで活動している文芸部楓のブログです。 信大生はもちろん、受験生など学外の方々にも情報を発信することを目的としております。

ライトノベルを書こう!

 どうもこんにちは。うみみんです。ユーフォニアムの劇場版を見に行きたいと思いつつまだ行けていないです。終わる前に行けるのだろうか……。
 さて今回の記事は『ライトノベルを書こう!』と題して、先日縁あってお話をさせて頂いた某ラノベ文庫の編集者の方からお聞きした話を適当にまとめてみようと思います。



・ラノベ作家に最も重要なスキルは、『速度』

 ラノベ市場の最大の敵は、週刊マンガだそうです。
 週刊マンガの単行本は、基本三ヶ月に一冊ペースで出ます。週刊マンガと競合している以上、ラノベもそのペースで出しつづけないと、遅れをとってしまいます。
 読者は半年も一年も前に出した前の話を覚えていられるわけでもないですし、刊行ペースが遅れればその分優先度(買いたい度)は下がってしまいます。
 よっぽど面白い作品を書けるならば刊行ペースが遅くてもなんとかなりますが、そうでないのならば、できる限り早く出しつづけなければなりません。
 中高生の限られたお小遣い(大体4000円程度を目安にしているそうです)の中から選んでいただくためには、とにかく読者にとっての優先度を上げることが必要となるのです。

 また、速度の重要性は、収入面においても言えます。
 従来、続編を書かせてもらえる売上ラインは2万部でした。
 しかし、様々な企業がラノベ市場に参入し、毎月大量の新刊が発売されるようになりました。しかし、全体の売上はほとんど変わっておらず、結果、一冊当たりの売れ行きがかなり落ち込みました。現在では8千部売れれば続編を書かせてもらえる状態にまでなったそうです。
 本を一冊書くと、大体印税は5%から10%程度もらえます。仮に印税10%もらえる会社で8000部売ったとすると、一冊当たり50万円弱の収入となります。遅筆だからと半年に一冊のペースでしか出せないようであると、年収がたったの100万円です。フリーターの方がまだ良い給料もらってます。
 しかし、逆に言うと、毎月出すことができれば、年収は600万円となるわけです。
 実際、その編集者さんが某あまり売れない作家に『先生なんでそんなに金持ってるんですか』と尋ねたら、『え、毎月出せば良いだけじゃないですか』と真顔で答えられたとかなんとか。

 ちなみにこの執筆速度が重要だという話ですが、なんでされたのかというと、単純に、私の執筆速度が極めて遅いからです。
編「うみみんくんはどうして執筆速度が遅いの?」
僕「次の一行、一文が思いつかなくて、悩んでしまうんです」
編「あー、君、典型的な『二、三冊出して続きが書けなくなる新人』だね」
 なるほどなるほど、面白いのに続きが一向に出ないラノベの多くは、そういう事情だったらしいです。
 その編集者の方曰く、小説に限らず、『とにかく文章を書きたい、書かずにはいられない』というタイプの人でないと続けられないそうです。「こっちが書かないでって言っても書いて持ってきちゃうような人が小説家として続けられる」「この人小説家になる以外に生きていく方法ないんじゃないかな、というような人が小説家として続けられる」と言っていました。こえ~。


 で、多分半分以上が執筆速度に関する話だったのですが、、残りの時間でどんな話をされたのかというと、
編「うみみんくん、この応募作品はどういう意識で書いたの?」
僕「とにかく面白い作品にしようと思って書きました」
編「誰にとって 面白い作品にしようと思ったの?」
僕「」
 対象読者についてのお話でした。
 ラノベの対象読者層は中学生から大学生だそうです。中学生から大学生の、あまり文学に強くない、ハッキリ言うと読書慣れしていない学生たちを想定して、その人たちが面白いと思えるよう気遣いながら書く必要があります。
 そこで挙げられた要素は以下の通り。

・改行
 →改行が少ないとごちゃごちゃして読みづらい。

・題材
 →主人公と他のキャラ、主人公と読者の見えている世界が違うと、非常に分かりづらい。たとえば幽霊を題材にすると、『主人公には見えているけれど周囲の人には見えていない』という、いまいち想像し辛い状況になってしまう。漫画やアニメ、映画で良く使われている題材でもラノベに向かない物はたくさんあるから注意が必要。

・人数
 →多すぎるとごちゃごちゃしてしまう。たとえばスポーツでいうと、サッカーなんかは絶対にダメ。一方、野球は全体の人数こそ多いものの、結局は投手と打者の一騎打ちなのでセーフ。

・面白さ+共感性
 →今の読者は面白さだけでなく、共感できる要素を求めている。らしい。俺ガイルが爆売れしているあたり信憑性は高そう。



 というような内容と今後の展望について、大体30分くらいお話をさせていただきました。大変面白かったですが、30分の間に3回くらい「君小説家向いてないよ」と言われたことが一番印象に残っています。いや私も向いていないという自覚はあるので、別に怒ってるとか恨んでいるというわけではないのですが。むしろ、様々な作家、作家志望者を見てきたからこその言葉なんだろうなぁと感心したくらいでした。
 とりあえず個人的には、現状ではデビューしても続かないだろうということを痛感したので、もっと実力とモチベーションを高めてから再び挑もうかなと考えています。
 ではでは~。

どうしようもなく感傷的な若者のための雑感――華氏451度を読んで

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 かっこいいでしょう! この表紙。

 今日の昼休みに、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』を借りた。で、さっき読み終えた。面白い本は有害だ。読者からやるべきことを取り上げ、寝食を忘れさせ、熱狂に駆り立てるので。
 とりわけ、私のような、三人以上の人と喋るよりは5時間でも6時間でもページを捲っていた方がましと考えているような根の暗い学生には、読書ほど身体に悪いものはない。
 根暗な若者にとって、現実はとかく辛いものだが、読書は、そんなつらい現実を忘れさせてくれるすてきな装置というわけだ。だが、一冊が与えてくれる時間はそう多くない。一冊読んだが最後、、また一冊、さらに一冊と、際限なく手を出す羽目になる。一方で、爽やかな青春や、勤勉な学生生活や、大切な単位が、開いた本の隙間からぼろぼろとこぼれ落ち、失われていく…… 


 さて、前置きはこれくらいにして、本題に入る。ざっくりいうと、『華氏451度』は最高ということについて書きます。
 そもそも、こんな記事を書こうと思ったのは、『華氏451度』を読んで、まさに私が読書をする理由をこの本にみつけた気がしたからだ。簡単に言うとそれは孤独のためなのだが、まず『華氏451度』について、簡単に紹介したいと思う。

 
 華氏451度――この温度で書物の紙は引火し、そして燃える。451と刻印されたヘルメットをかぶり、昇火器の炎で隠匿されていた書物を焼き尽くす男たち。モンターグも自らの仕事に誇りを持つ、そうした昇火士(ファイアマン)の一人だった。だがある晩、風変りな美少女とであってから、彼の人生は劇的に変わっていく……
(表紙裏のあらすじより抜粋)

  
 見てわかる通りSFである。ただし本格的と言えるほどにはSFっぽくはない(と思う)。小難しい科学技術がどう、とかは一切出てこない。
 この本で重要なのは、この未来世界では本が燃やされているということと、人々は機械の提供する娯楽に夢中になっているということだ。  
 
主人公のモンターグは、明らかに作者が反映されている。モンターグは最初、嬉々として本を燃やしているが、ある事件をきっかけにしてあれやこれやと悩み始める。内容はだいたい、本が一体何の役に立つのか、それは我々人類にとって本当に必要なのか? みたいなこと。 
 
 残念なことに、この小説の中には、問いに対する明確な答えはない。せいぜい、知識の積み重ねがどう、とかいう程度だ。この部分には、きっとブラッドベリも苦労しただろう。
 本、およびそこに書かれている内容に何の価値があるか? という問いに、うまく答えられた人間はいなかったし、これからも当分現れないだろう。

  でも、本の価値なんて、正直どうだっていい。本の価値について論じなければならにのは、本の価値を認めない人を前にした時だけで、すっかり活字中毒になっている人たちにとっては、そんなものは口の端にさえ上らない。本は素晴らしい! その一言で充分なのだ。
 
 『華氏451度』には、そういう、根拠のない本への愛情がいたるところに見られる。
 作者からして、大の本好きらしく 、文中にはくどいくらいに文学の引用がされている。どの層なら理解可能なのか、すくなくとも英語圏以外の若者には厳しい。
 また、主人公のモンターグも、本を燃やすのは最初だけで、すぐに文学の価値について悩み始める。 

 この主人公、わりと最初から本が好きである。

 十年も本を燃やしていた人間とは思えない繊細さで、モンターグは本の価値、書かれている内容の価値、本を燃やすことへの罪悪感について悩む。そんなモンターグのナイーブさを表す一文がこちら。

  「……ぼくらは、しあわせになるために必要なものは全部持っているのに、しあわせではない。何かが足りないんです……」
(p.138) 
 
 ここでモンターグが言っていることを詳しく言うと、
 「近未来において、機械(壁と呼ばれるボイスチャット機器や、巻貝と呼ばれる小型ラジオ)による刺激的な娯楽と、心配事もない、不自由など何一つない生活を約束されているにもかかわらず、それに満足できないんです」
 ということになる。
 これは、読書が好きでたまらない人間が思い描く、読書のない生活というかんじがする。実際、すばらしい娯楽が他にあって、心配事もなければ、こんな悩みはありえないはずだ。不足のないところに不満は起こり得ないのだから。
 それでも何か足りないと思うなら、それはモンターグが既に”読書的な”楽しみを知っているからにほかならい。 
 
 この時点でろくな読書経験もないのに、たいした感受性である。

 このセリフを言われた、モンターグの理解者であるフェーバー老人は、これにたいし『救いようのないロマンチストだな』と返している。 全くその通りだ。
 フェーバーはその後こうも言う。

「……書物には魔術的なところなどみじんもない。魔術は、書物が誇る内容にのみ存在する。書物がいかに世界の断片をつなぎ合わせて一着の衣服に仕立て上げたか、そこにこそ魔術は存在する。……」
(p.138) 

 救いようのないロマンチスト(盛大なブーメラン)

 このように、登場人物のほとんど、9割くらいは、本が好きで好きで仕方がない者ばかりなのだ。本を燃やす話なのに。
 
 ブラッドベリ含め、これまで数多くの人が本の価値の証明に失敗してきたが、理由の一旦はこのへんにありそうだ。一旦、文学に価値を認めてしまえば、その価値を好き嫌いという感性から離れた立場で説明することは困難になる。宗教家が神の存在を論じられないのと同じく、文学を愛している人たちは、文学の価値を論じられないのだ。


 で、ここからがようやく本題だが、この本の素晴らしいところは、上記のような「本が好きでたまらない! 本は素晴らしい!」という感情が惜しみなく描かれているところだ。

 本が好きな人はこの世に無数いる。しかし、芸術性だの、人間愛だの、善意の尊さだの、そういうふわふわしたものは今日、あんまり歓迎されていないようだ。そういった類は、今更口に出すのはあんまり恥ずかしいし、時代遅れなので、一旦後ろにしまっておく。そんなような扱いを受けている。素晴らしい音楽を聞いても、悲しい映画を見ても、美しい月を見ても、澄ました顔でひとこと「素敵だね」と言うにとどめておくのがよい、そんな風潮があるように思う。
 それはたしかにそうかもしれない。語れないことまで語ろうとするのはみっともない。でも、それでは満足できない部分もきっとある。
 心は孤独だ。けっして他人に触れられない場所にある。人同士のコミュニケーションは案外無力なもので、簡単な意志や事実を伝えることはできても、何を、どのように感じたとか、何を愛しいと思うとか、それよりももっと言葉にできない微妙な部分は、どうしようもない。心に起こったあれそれを、上手く言葉にできず、他人と共有できないまま、胸の奥にしまっておかれる。
 たまに、咽び泣くほど感動したとしても、それを誰かに伝えたくなったとしても、だいたいは失敗する。一人でやきもきしながら押し黙るか、下手な表現で伝えようとして、恥ずかしい思いをするか、どちらかだ。
 感傷的な人々は、本当は打ち明けたいのに、言葉が見つからない、そんなジレンマに悩む。

 でも、読書はそうではない。書物は、ふだん言葉にしない微妙な感覚を代弁してくれ、まとまらなかった思考を整理してくれる。顔も知らない作家の書く文章が、身体の深い部分にまで入り込んで、魂まで揺らぐような気がする。単なる文字の集合にすぎないものが、自分でも知らない心の部分を洗い出し、眼前に突きつける。

 人は、他人とは絶対的に孤立した場所で、いろいろなことを考えて生きている。エーリッヒ・フロムは愛は孤独ゆえのものだと言ったが、文学もおなじではないだろうか。
 心の一番繊細な部分は、誰にも打ち明けられず、共有されず、絶えず腫れているみたいに触るのも躊躇われる。それは深い感動も与えてくれるが、同時に孤独も深める。
 どうしようもなく感傷的な若者は、そのために一人でじめじめと考え込んだりする。
 ――想像の産物に感動し、一喜一憂するなんて、恥ずかしくないか? 美だの愛だの、いまどき時代遅れじゃない? 小説をありがたがるなんて子供っぽい? あるいは、文学なんて気取ってる? 頭でっかち? だいいち、今日小説が何の役に立つ? 
 燃やしてしまっても構わないじゃないか!
  
 そんなとき、たまたまブラッドベリを開く。そこには、無条件に本を、知識を、美を肯定する愛があふれている。本は素晴らしい! とっても素晴らしい!
 そういう、隠しようのない素直な気持ちが透けて見える。ある種の読者はそこに、救いの糸を見つける。
 本を好きでいていいんだ。知識は無価値じゃないんだ。美しいものに感動するのは、自分だけじゃない、自然なことなんだ。
 自分の好きなものを好きと言ってもらえる喜びに、読者は与ることができる。そして、言いようもなく”しあわせ”な気持ちを味わうのだ。


 本は読者の心をうつす。
 まるで『華氏451度』に登場する、文学的少女クラリスのようだ。

まるで鏡じゃないか、……こちらが発する光をはねかえしてよこす
(p.23) 

 そこには、作者さえ意図しない心の微妙なありようがうつされ、読む人ごとに物語がつくられる。言うなれば読書は自分との対話だ。鏡を見つめるが如く、自分の心と向き合い、つかのま孤独を慰める行為だ。見入れば見入るだけ、深く引き込まれていくような気がする……
 






 自分語りとポエム披露宴になってしまったので、ここでやめる。書きたいことが書けたかどうか。
 これが、私と同じような、美とか愛とか、そういう恥ずかしいものを素直に肯定できない人の目に留まって、すこしでも心に届くようなことがあれば、この上なく幸いである。

最後に……
http://www.amazon.co.jp/%E8%8F%AF%E6%B0%8F451%E5%BA%A6%E3%80%94%E6%96%B0%E8%A8%B3%E7%89%88%E3%80%95-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E6%96%87%E5%BA%ABSF-%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%99%E3%83%AA/dp/4150119554%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%99%E3%83%AA/dp/4150119554

女を殴りたい!

っていうWEB漫画を読んだんです。







 どうも、ごきげんよう。うみみんです。新歓期に元部長の記事がトップなのはいかがなものかという話になったので上書きします。もう手遅れじゃね? と思いましたが気にしません。

 というわけで最近読んで面白かったWEB漫画『女を殴りたい!』を紹介します。
 http://onnagu.web.fc2.com/
 ↑多分これでリンク貼れてると思います。

 ツイッターで流れてきたんでなんとなーく読んでみたのですが、大変面白かったです。
 女性を殴りたいという衝動を抱えた少年のお話です。タイトルで落ちてるやんって印象ですけど、これが意外と良くできている作品でした。単純に面白いですし、話の転がしかた、読者の興味の引っ張り方等参考になる部分も多く、読んで損はないかなと思います。
 なお、タイトルから察せられる通り多少グロかったり痛々しい場面もありますので、そういうのが苦手な方はやめておいた方がよさそうです。
 ではでは。
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