名古屋・アイヌ語に触れようの会

E-mail:shakutorishakure@hotmail.com
電話:070-5640-0219

会員雑記

野外民族博物館リトルワールドで、いよいよチセの建て直し始まる。

1cc12927.jpg当会もお世話になっている野外民族博物館リトルワールドで、いよいよチセ(アイヌ民族の伝統家屋)のたて直人が始まりました。
Esamanさんが詳細にレポートしています。


「野外民族博物館 リトルワールド」でアイヌ伝統家屋の建て直し始まる
2010年02月03日 Esaman インターネット新聞JANJAN

2月いっぱいで完成の予定です。
建て直し期間中は、半額割引のクーポンもあるようです。
チラシをチェックしましょう。

白老の巨大民芸店ハウス「ミンタラ」解体される。

白老は、当会からも代表が参加した回9回アイヌ語弁論大会の会場でした。
博物館にいくのに必ず通るところに、おみやげもの屋さんが週知友しているというスタイルに、名古屋の名鉄デパートのような「その時代の感性」を感じました。
ミンタラ前にあったフードコーナーでいろいろと食べたのが懐かしいです。(写真・第9回弁論大会のときに撮影)

ミンタラの右手にはレストラン、左手には食べ物の売店がある。ミンタラの外観。






ミンタラ正面のクマミンタラ正面にあったクマの顔








ミンタラ内部の様子。民芸品店が並ぶ。内部の売店の様子。
民芸品店が並んでいる。






以下・ミンタラ解体の苫小牧民報の記事

【白老】旧民芸会館「ミンタラ」解体


解体工事が始まったミンタラ

 昨年10月に閉館した白老町若草町の民芸会館「ミンタラ」の解体が始まった。30年余にわたって多くの観光客を迎え、地元のアイヌ民族の働き場所でもあった。名残惜しそうに見詰める人の姿が後を絶えない。

 ミンタラは、アイヌ語で「庭」。1975年に開館し、それまで屋外で軒を連ねていた土産店が入居した。木彫りや刺しゅうなどアイヌ文化ゆかりの品々を取り扱ってきた。だが、隣接するアイヌ民族博物館の入館者減とともに、売り上げが落ち、撤退する店も増えていた。

 ミンタラを管理する商業者組合が昨夏、町に建物の無償譲渡を願い出、その後解体が決まった。1月中に内部のアスベスト除去工事を終え、1日から取り壊しが始まった。

 かつてミンタラで店を経営していた女性は「胸が詰まる思い」と涙をにじませた。車を止め、解体作業を写真に収める人の姿も。

 解体工事は3月初旬までの予定。町は跡地を、イオル(アイヌの伝統的生活空間)再生事業に活用するよう国に要望している。ミンタラに入居していた店舗の大半は、同じポロト地区での営業継続を希望しているが、再開のめどは立っていない。

太田満の「アイヌの裏話」特別課外授業。

1月21日、
アイヌ語ラジオ講座でも活躍している太田満さんの特別授業がありました。

儒儀容はときかりアイヌ語による挨拶からはじまる高度なもので、
太田さんは、さまざまな「アイヌをめぐる問題」について、熱心に語ってくれました。

実際に現在使われているアイヌ語の話
アイヌ語親子講座の話と、これからのアイヌ語の可能性の話
アイヌ語でしか表現できないこと
各地方のアイヌの違いと共通点について
あの世にいくのが楽しみな話
アイヌ語でエロ小説を書いた話
北海道の植民地構造行政の問題
アイヌの利権だと騒がれているものは氷山の一角に過ぎず、
しかもアイヌにはお金が回っていないので実は「アイヌ利権」ではない問題、など、

親しみやすい話や、マニアックすぎる話、とてもここでは書けない話まで、
いろいろと充実した会合となりました。

太田満A






太田満B






太田満C

子供平和フォーラム

8月21日22日の二日間。
名古屋学生青年センターで開催された、
第三回・子供平和フォーラムで講師をしました。

この平和フォーラムは、韓国・朝鮮・フィリピンなど、様々なバックボーンを持つ子供たちが参加する泊りがけのサマーキャンプのようなもので、様々なプログラムを行います。

今回は、この平和フォーラムでアイヌ民族のことを紹介してきました。
一日目はムックリを子供たちと作り、二日目はそのムックリを鳴らしてみたり、
子供も参加できるアイヌの踊りを実践しました。

平和フォーラムでは、色々な国の食べ物も出て、なかなかおいしかったです。
印象に残ったものとしては、タコライス、チャプチェ、フィリピンのバナナ黒糖のようなもの、がおいしかったです。
子供達にアイヌのことを解説。






ムックリの設計図と、身近なアイヌ語の説明






トンコリを触る子供達











ヘクリサラリ(盆取り踊り)を踊る子供達

わらゾウリ作りをしました。

3/8(日)ボランティア・NPOフェスタがありました。
私は愛西市のわらゾウリ作りの先生のお年寄りお二方の手伝いをしてわらゾウリ作りの体験の指導をしました。家族連れの方やおじさん、おばさん昔作ったことのある方、初めての方、ワイワイと一緒になってわらをたたいたり、材料のわら縄をなったりと皆一生懸命でした。
わら縄をなうところから子供たちは苦労していました。でもあきらめずに取り組む様を見て何度かやればできるように成るだろうとおもいました。
愛西市のわらゾウリ作りの先生が持って来て下さった菜の花を参加者の皆さんにお土産にもって帰っていただきました。私もいただきました。茹でて春の味を堪能いたしました。(どんぐり)

縄ないの様子。






木彫り体験講座をする星野工さん。縄ないの隣。






縄ないの様子。

今年もキトピロが芽を出しました。


何日か温かい日が続いたからでしょうか?
プランターで育てているキトピロ(ギョウジャニンニク)が芽を出しました。
毎年芽を出しますが、名古屋だと、夏の強い日差しで、枯れてしい、大きくならないのが残念です。

キトピロ芽が生えた。キトピロ芽が生えた。2

遠山サキさんご一家の、公開録音を見に、横浜まで行ってきました。

2月15日、当会もいろいろとご指導いただいている、遠山サキさんご一家が、横浜でイベントに出演される、とのことでしたので、皆で行ってきました。

■母・遠山サキから娘たちに伝わる心の歌〜イフンケ(子守歌)に守られて〜

このイベントは、遠山サキさんと、そのご家族で、浦河地方に伝わるアイヌ民族の歌を、公開録音をするためのもので、横浜にあるスペースオルタ、というところが開催されました。

舞台の上では、遠山さんと、その三人の娘さんたちがならんで、いろいろと話しながら、歌を次々披露してくれました。

関東で活躍しているお孫さんのムックリや、さいきんアイヌのことを始められたという、長男の方の弓の舞なども披露されて(いろいろとあるので、アイヌの伝承者の家庭に生まれても、伝承活動にかかわらない人も多いのです)、とても盛りだくさんな一日でした。

サキさんの、楽しいトークが人をひきつけ、とてもよかったです。
途中、サキさんが「次で最後の曲となりましたが…」とマイクでしゃべって、娘さんに「まだだよ」とツッコまれる、というハプニングもありました。
とても楽しい公開録音でした。
DVDになって販売されるとのことでしたので、楽しみですね。


CDの紹介・アネサラシネウプソロ(姉茶ひとつのふところ
(2008年に出たCD。たくさんの曲が入っていて、十分によいできですが、次に出るDVDは、もっとスゴイと思います。)
東京行きの電車のなかで、サラニプをつくる男。東京行きの電車の中で、サラニプを編む男。











西新宿の公園で遭難していると、遭遇したカエル2月15日は暑い日でした。西新宿の公園では、カエルを発見しました。





新宿にあった謎の麺「カムイ麺」新宿でみつけた「カムイ麺」。激辛ラーメンのようですが、カムイだからといっても、クマの肉がはいっているわけではなさそうです。

明日の準備。

ea07af15.jpg明通寺で行われる明日の環境大学アイヌ文化総合講座の料理教室のために、鮭のした準備をしました。三枚にして頭は二つに切りました。

どんぐり。

弓野さんのお話・・・人の輪を作る活動

日本の中の異文化理解・アイヌの人たちについて。
日時: 2008年 8月 3日(日) 10:00-12:00
場所: なごやボランティアNPOセンター

(にわとりさん)
アイヌ文化アドバイザーの弓野恵子さんがかかわっている、さまざまな活動のお話をききました。
はじめは、恵子さんの生い立ちから。さまざまな伝統文化の残る家庭の中で育ってきたことをお聞きしました。山や川に行くときの礼儀、病気になったときのお払い(?)の習慣、アイヌ語を話し刺青をしていた祖母のユニークな話などなど・・・ 私の母と同じ年だと言うことを知り、そういえば私の母も、よくふるさとでの子供のころのならわしの話をしてくれるな、そしてそのことは現代ではあまりないことだな、と思っていたことを思い出しました。
恵子さん自身がアイヌとして活動を始めるきっかけになったこと、そして、名古屋の活動にかかわるようになったお話を聞きました。母である遠山サキフチが名古屋三越の物産展に毎年来ていたこと。数年前、家族一緒に名古屋に来ていただいたこと。合唱団カネトの人たちと、ともに劇を作ったこと、逆にカネト合唱団から、教わったこと。
それから関東での活動の話を聞きました。東京にある4つの主な団体、日本に先住民と認めてもらうための署名活動、先日行われた文化祭の話、8月にあるイチャルパ(慰霊祭)の話、アイヌ文化交流センターのお話。

今回のお話は、アイヌ文化について知るだけでなく、私たち和人がアイヌの人たちとともに、よりよい社会を作っていくためにできる活動はこんなことがあるんだな、と思いました。関東では、国会が近いから、署名活動をする。東海地方では、カネトが築いた鉄道があるから、それを伝える活動をする、というように、北海道ではないからできることがあることを教えられました。そして名古屋と関東、関東と北海道などで交流を持ち、活動を広げることは、ただアイヌ文化を広げるためとうだけでなく、人と人とのつながりを作り、縁を深めていってくれるのだとしみじみ感じました。

歌と踊り教室 アイヌの遊び

アイヌ文化総合講座2008SAKPA 第三回

第三回・みんなで楽しむ、歌と踊り教室。
日時:8/2(土) 14:00-17:00
会場:東別院会館

(にわとりさん)千葉より弓野恵子さんをお迎えして、アイヌの歌と踊り教室を開催しました。参加者は10人ほど。

●あいさつの踊り 
エーレイ エーレイ ウサ エーレイ エーレイ ウサ アッオイ ウサ アッオイ
●盆とり踊り 
ヘトゥリ サラリ ハハフイ ハフイ
●ねずみとりの踊り
スンカイナ スンカイナ ハキナクス ハラルソ
●ピリカピリカ
ピリカ ピリカ タントシリピリカ イナンクピリカ ヌムケクスネナ

をやりました。みんなで楽しく遊ぶことができました。盆とりとねずみとりでは、みんなかなり本気になってやっていました。途中刺繍や、ヤイサマという歌を歌っていただいたりしました。ただ踊りを見るだけでなく、みんなで参加してやることはなかなかないことなので、とてもいい時間を過ごせました。

楽しいアイヌ語講座

(にわとりさん)
受講者は8名、スタッフ1名。はじめは少ないなーとおもったのですが、実際やってみるとちょうどよい人数でした。
今回は2時間オーバーするくらい内容を考えていったので、2時過ぎから4時半すぎぐらいまでできました。かるたのアイデアをくれたまーさんに大感謝。時間もとれたし、みんな楽しんでくれました。

はじめにアイヌ語について概説。
1、アイヌ語クイズ。
2、アイヌ語地名クイズ。景品つき。
3、挨拶・・・ペアワーク。
4、挨拶2・・・ジェスチャーゲーム。
5、アイヌ語カルタを作って遊ぶ。
6、アイヌ語の歌・・・大きな栗の木の下で

回収した環境大学のアンケートには、「楽しく学べた」「2時間があっという間だった」と、とてもうれしい言葉が。すごく励みになりました。今回の授業は今までで最高のできだったと思います。次回もみんなに楽しんで学んでもらえる授業ができるといいな。

刺繍教室 レクトゥンペ作り

(にわとりさん)

環境大学の講座「アイヌ文化総合講座 Sakpa」第一回刺繍教室を受
講しました。講師は弓野けい子さん。レクトゥンペというアイヌの伝統的な首飾り(チョーカー)を作りました。

3cmぐらいの幅の布に、刺繍を施していきます。集中してやっていたので、あっというまに時間が過ぎていきました。3時間で、私は刺繍を終わらせることができました。折り曲げたところを縫い合わせたり、最後に赤い布をつけるのは、家でやりました。赤い布は、自分の体の悪い方(私は右につけました)につけて、体を守る意味があり、これをつけないと完成したことにならないそうです。他にも、アイヌ語の挨拶を少し教えてもらいました。

さて、刺繍教室が終わったあとに、東別院の近くの居酒屋とキューバ料理屋に行きました。私は久しぶりにどてと味噌カツを食べて大満足(我が家では作らない)。手羽先も食べました。東京から来た2人も、名古屋めしが食べられてよかったなと思います。
弓野さん刺繍教室







弓野さん刺繍教室







弓野さん刺繍教室

リトルワールド遠足は雨降り

数ヶ月前から予定していた遠足は、ボランティアNPOセンターのイベントとしてと共同開催になりました。アイヌの話だけでなく、リトルワールドのボランティアガイドの話も聞こうという企画です。

当日は前半雨降りとなりました。雨の中山形の家で、納豆汁を囲炉裏の前でいただきました。おいしかったです。そのあとは広場でやっていたサーカスを見ます。末席でしたがすごく楽しかったです。 そして毎回恒例、 アイヌの家・チセ。このたびはなんと!雨漏りしていました。うーん老朽化が進んでいますね・・・。上座とか下座の説明を聞きました。
建て直したヤップ島の家を見に行ったら、まだ資材が少し転がっていました。真新しい小屋の前でどんぐりおがた君は編んで作られた屋根に大興奮。折り返し地点のドイツまで行って、洋ナシのタルトやソーセージを食べていたら、リトルワールドの人と待ち合わせの時間に遅れてしまいました。本館の、学習室という特別な部屋で(普段は入れない)、ボランティアガイドの仕組みの話を聞きました。

リトルワールドは今年で会館25周年。屋外展示の家屋は、そろそろ建て替え時なものもあり、チセもそのひとつだということでした。チセの建て替えの時には、ぜひ触れようの会としても、何か手伝えるといいですね。

NPO共催・リトルワールド遠足
ボランティアガイドの方に案内をしてもらいました。
写真の船はアウトリガーカヌーです。





NPO共催・リトルワールド遠足
面白い解説に、通行人が合流して参加者が増加。





NPO共催・リトルワールド遠足
東北の農家で売っていた納豆汁です。





NPO共催・リトルワールド遠足
東北の農家で、囲炉裏を囲んでみんなで昼食です。
展示物の中で食事ができるのは珍しいですね。





NPO共催・リトルワールド遠足

アイヌの伝統家屋のチセの内部です。
雨漏りしています。



NPO共催・リトルワールド遠足

南米の領主の家です。

アースデイ2008で日焼け。

(にわとりさん)
アースデイ愛知地2008、久屋大通公園に行ってきました。いろんな屋台、学生や市民団体のテントの中に、当会のテントもまじりました。色々小物を売りながら、ライブペインティング、音楽をやりました。まだ春先なのに、日差しが結構きつくて、日焼け止め塗ってこればよかったと後悔しました。
ライブペインティングでは、次週 LOVE &ビンボー春祭りで使う 横断幕も作りました。巨大キャラ ねこなまずの製作も。あとブルーシートにガムテープとペンキでアイヌ模様を描きました。なかなかの出来です。
無料で振舞っていたよもぎもちを食べ、イニュニックのクッキーを食べました。



えさまん(かわうそさん)
今年はアースデイが増殖。二つの会場で、2週にわたって開催されます。
当会は、両方のアースデイに参加しました。

久屋のアースデイは、準備不足やスタッフの連絡不足もあってか、当初、当会のブースは非常にマズイ場所にありましたが、なんとか移動。寄せ書きには子供たちがたくさん参加してくれて、とてもいい感じになりました。
この横断幕は、次週のLOVE&ビンボーで大活躍しました。

巨大パペット「ねこまなず」の作成も完了。
お披露目に、キャンドルナイトに乱入しました。

紆余曲折の末に開催されたアースデイ愛知2008


アースデイ2008久屋

 

 


 






アースデイ2008久屋






アースデイ2008久屋






アースデイ2008久屋







アースデイ2008久屋











アースデイ2008久屋











アースデイ2008久屋











アースデイ2008久屋






アースデイ2008久屋

アースデイ愛知に2回出店します。

今年の愛知のアースデイは、別の主催者により、2週間にわたり、2回開催されます。
増殖中!? アースデイ愛知2008について。

当会は、その両方に出展します。


●アースデイ愛知地2008 これから先もずっと一緒、おしゃれこで、楽しく生きる
日時:4/19(土)・20(日) 10時〜18時 (小雨決行)
場所:久屋大通り公園
http://www.earthday-aichi.com/

●アースデあいち2008 LOVE&ビンボー春祭り
日時:4/27(日) 10時−日没(小雨結構)
場所:若宮大通公園
http://earthday-aichi.net
http://blog.livedoor.jp/ed_aichi_net/archives/50592307.html

LOVE&ビンボーチラシ

 

 

 

 

 

 

 

久屋アースデイチラシ2008


 

 

 

 

 

金シャチとめのこ

徳林寺花まつりに出店しました。

花祭り08天白区の徳林寺の花まつりに出店しました。
といもいい天候に恵まれて、人でもおおく、たいへん気持ちよかったです。

とくに桜がちょうど散り始めで、とてもよい時期でした。
花祭りのバザーで売っていた布を使って、お店のカンバンを作成しました。花祭り08







08花まつり

 

 




DSCN4399

 

 

08花まつり 

「のら」で遅めの新年会

(にわとりさん)
当会の新年会をしました。集まったのは、全部で8人。金山の「のら」という自然食のお店に行きました。店に行く前に、パキスタン?食材のお店に寄って、私は椰子汁(ココナッツジュース)と、ココナッツチップスを買いました。
新年会では、これからのことも色々話をしました。車麩のフライ、シュワっとスパークリングな濁り酒を頂きましたね。結構な人数で、遠方からも一人参加していただき、みんなで楽しいひと時を過ごしました。




えさまん(かわうそさん)
スパークリングの濁り酒は『むすび』というものですね。
「その手」の店で、よく名前は目にしていたものの、飲んだのは初めてです。
トノトに似ていますが、三位はもっと少ない感じでしたね。
しゅわしゅわしていました。

アイヌ語&総合講座+αの忘年会

2007年12/16(日)
千種区の古い建物を利用した、ちょっといいものを出すお店で、アイヌ語&総合講座+αの忘年会がありました。
この一年の、いろいろな話をしてもりあがりました。
値段もカロリーも控えめで、すこし健康的なメニューでした。

2007忘年会

明通寺で報恩講フェスタがありました。

10月28日に愛西市日置のある明通寺で、報恩講フェスタがありました。
私は11:30から参加しました。
天気も大変良く、大勢の人達が境内に集まっていました。
私は地元の方による縄ない体験に一番興味がありましたので、まずそれに参加しました。
おばあさんに教えていただいてながら、用意されて稲ワラで子供も大人も一緒になって挑戦していました。
シートの上に皆で座って、稲ワラの根元についているハカマを取って、丸い頭大の石の上でキヌタで叩いてやわらかくしました。
そのあと、手を濡らしながら、縄をなっていきました。
たくさんの縄ができたので、子供達はそれをつないで縄とびをしていました。
こういった技術が少しづつでも後世に残っていくとよいと思いました。

返せ北方領土… 返還先を、間違えていませんか?

「2007あいち北方領土展」なるものが金山総合駅の通路でやっていました。

北方領土・看板北方領土・熊






北方領土テッシュ







写真左・金山駅に突如現れた国策展示。いつもは携帯電話の販促キャンペーンとかをやっている場所。
写真中央・ブース内には、何故かクマの剥製。壁には展示物。交流事業に参加した、たすきがけした高校生らがアピール中。
写真右・配られていたティッシュ「地名を楽しみながら覚えよう」とあるが、意味までは書いていない。ほかにもいろいろとお金のかかったグッズを配布していたが、地名の意味もわからずに、一体どうやって覚えるのだろう?


高校生が交流したりしているそうです。
クマの剥製がおいてあり、近藤重蔵などの「探検家」のなかには、松浦武四郎も入っています。ですが彼の書いた、日本人が、北海道と北方諸島の先住民族アイヌに対して行った非道を告発した本についての記述は一切ありませんでした。

高校生がたすきをかけてキャンペーンのためにティッシュを配っていたりしましたが、クナシリ島の名前の意味がわかっているのかなぁと疑問に思いました。
なぜか北海道の物産も売っていたりして、なぞの企画でした。

日本政府が「固有の領土」と吹聴している島々は、すべてアイヌ語だ名前がつけられていて、アイヌ民族が昔から住んでいた土地でしたが、江戸後期に日本人による強制労働で土地のアイヌは死滅して、根室などからアイヌを重用して酷使していた土地です。土地のアイヌ達はこの島々のことを「あの世の島」といっていたそうです。

ロシアが南下してくると、日本政府は「北方領土」の島々に住んでいた千島アイヌ達を強制移住させました、無理やり生活環境を変えたことと、政府の無策(あるいは意図的な放置)もあり、移住したアイヌのおおくは、疫病や貧困などで死んでしまいました。

日本人の「入植者」の人たちは、そのようなアイヌ達が追い出されあとに住み着いた人たちです。

「日本の固有の領土」とは、実際には、そういうことがあった土地です。
ロシアと日本の領土に関する協定は、アイヌのことは、両国とも、すべて無視して結びました。

たしかに、アイヌを殺したのは日本人であってロシア人ではないので、日本政府に賠償の責任のあるでしょう。日本政府は島の住民であるアイヌ民族に対して、人道に対する罪をいくつか犯しています。大切なのは、日本政府に責任はあっても、権利はなさそうだという点です。

北方諸島を返せ…とか言う人たちは、せめて島の名前になっているアイヌ語くらいは、勉強してから発言すべきでしょうねぇ。また返還先として、はたして日本に資格があるかどうかも、よく考えてほしいです。
日本政府のアイヌ政策を「その時代の潮流だったので仕方がなかった」とかなんかいう時、ロシアの占領にたいしては、その理不尽な理屈を認めない偏狭さに、はやく気がついてほしいものです。

こういった問題の場合、右翼の人たちは、民族派らしいので、アイヌが自民族のこういった歴史を大切にしているし、島の悲劇の歴史にたいして日本人は反省しろ、といったらば、きっと、凛として責任ある返答をすることができるのだと思います。おおいに期待したいですね。なんたって八紘一宇です。…でも、そんな右翼は一人も見たことないです。
国境問題の場合、 たんに資源の利権の話しかからんでいないよーな気がします。

そういえば、先日国連で可決された「先住民族の権利宣言」の際、日本政府は採択には賛成票を投じましたが、可決後に「アイヌは先住民族ではないかもしれない」ということを発言していました。
これは、北方諸島の土地の権利のことを視野にいれた牽制だったのかもしれません。
アイヌが先住民でないとしたら、なんなのでしょう?

(事務局)

アイヌ文化体験・総合学習合宿

とき:8月25日 11:00〜
    8月26日 〜11:00
ところ:明通寺
講師:弓野恵子さん
   今津多栄子さん
   清水祐二さん



(にわとりさん)
合唱劇カネトの皆さん主催のイベントに、共催という形でアイヌ語に触れようの会も参加しました。アイヌ文化やアイヌを取り巻く社会について、外部講師に教えていただく機会というのは、私は初めて参加したのですが、非常に内容が盛りだくさんで、とてもためになり、またとても楽しい合宿でした。合宿の日程は2日間でしたが、私は泊まらず、1日目の9時ごろ帰りました。

 お昼頃ついたのですが、弓野さん指導のもとアイヌ料理教室が少人数ですでに始まっており、明通寺の広い広間には30人ほどの人が料理のできあがりを待ってひしめき合っていました。私もお昼御飯「待ち」の中に加わりました。その間に合宿のしおりをぱらぱらとめくっていましたが、この2日間のためにつくられたしおりは、アイヌ文化、アイヌ語、差別問題など、充実の内容でした。絵もたくさん入っていて、子供達も親しみやすいと思いました。この合宿には、合唱劇カネトからは多くの子供たちも、親子で参加していました。
できあがったアイヌ料理は
●コンブシト(昆布ソースの白玉だんごのようなもの)
●イモシト(ジャガイモと片栗粉でできた団子)
●チェプオハウ(鮭の汁物)
でした。チェプオハウとイモシトが、私は一番おいしく思いました。

おいしいアイヌ料理のお昼御飯のあとは、歌とゲームと踊りを、1時ごろから4時ごろまで楽しみました。これがまた非常に内容が盛りだくさんでした。
●弓野さんと今津さんがアイヌ語の歌を歌う(これからお祭りが始まる時の歌、フクロウの歌
●体の名前をアイヌ語で言い当てる遊び(パケ=頭、タプストゥ=肩、ホニヒ=お腹、コッカパケ=ひざ、チキリ=足)
●大きな栗の樹の下でをアイヌ語で、みんなで歌う
●弓野さんと今津さんがアイヌの踊りを披露する(フクロウの踊り)
●弓野さんと今津さんのムックの披露
●みんなでムックの練習
●アイヌ語の歌(ウポポ)をみんなで輪唱する(アトゥイソカタウピンネチリポ・・・)
●弓野さんのカムイユカ(フクロウのカムイユカ
●カネト合唱団の合唱の披露
●バッタの踊りをみんなで歌いながら踊る
●モンモン遊び(指遊び)
どれもとてもたのしかったです。弓野さんも、とても楽しんでおいでのようでした。みなさん合唱団員ということだけあって、歌を歌うのには何の抵抗も無く、またとてもいい声を響かせて楽しく歌っていました。私は、何とかムックリの音が出せるようになり、体の部位の名前のアイヌ語を覚え、大きな栗の木の下でをアイヌ語で歌えるようになりました。気が付くと、新聞記者が来て取材していました。

5時ごろからは、元学校の教師でいらっしゃった清水祐二さんの講演会です。非常に興味深く拝聴させていただきました。清水さん独特のユーモアも交えながら、重たくなりすぎない、清水さん自身が体験したアイヌ差別や、現在の政治の問題、安部内閣の問題発言の多さなどをお話されました。アイヌは「毛深い」というイメージで、いまでも特にサービス業では就職差別が根強いこと、生徒に人権の平等を教えなければいけない教師自身の中でも差別があることといった話が、特に印象にのこっています。生徒がなにか警察沙汰をおこすと、教員たちは「問題を起こすのはアイヌの生徒に違いない」と決め付け、それは清水先生の仕事だといって押し付ける。実際には問題を起こすのは和人の生徒ばかりなのに。生徒を警察まで迎えに行っても、先生がアイヌだということで親に電話してもなかなか迎えにこない。教育現場で、生徒たちが「アイヌだ」「あ、犬が来た」といった差別いじめにあうという話はよく本で読んだことがあったのですが、子供の社会ではなくおとなの社会でおこる「差別」の実態を初めてききました。北海道による、社会の中の差別や格差の実態調査も定期的に行われているが、それは国が行っているタンチョウヅルの調査より規模も予算も格段に小さいこと、正確さに大いに問題があることを初めて知りました。アイヌ文化振興法成立から10年がたち、節目の年になって、数字の上では「差別や格差は以前に比べ減っている」と報告しているが、実際には何も変わっていないことをお話していました。何年も同じ方法で調査するより、時代に合わせて、より正確な解答の得られるアンケートにするとか、もっと詳しい調査にするとかした方がいいのではないかなと思いました。

アイヌ文化振興法成立で、いろんな意見があると思います。私としては・・・せっかく節目の年になったのだから、これまでの悪いところを見直してみるとか、新しい法律を制定するとか、新たなステージに進むべきではないかと思います。アイヌ文化振興法は、明治時代から続いていた「土人保護法」という古い法律が100年以上たってやっと廃止され、新しくできた法律です。現代社会の中のアイヌ民族として遅めですが大きな一歩となったので、次の段階に向けてまた次の一歩目を踏み出せるようなものが、10年経った今、そろそろ必要なのではないかな、と思ういち有権者でした。

7時からは、交流会をかねた夕食会でした。講師の方々も一緒に、和気あいあいと楽しく飲み楽しく食べました。お昼の残りのコンブシトとイモシト、ゴーヤ料理の数々とお寿司、オードブル詰め合わせをいただきました。アイヌ語の会から参加した仲間は9時ごろ、おいとましました。


シキナ(ガマ)の刈り込み

シキナ07a先日、愛西市の池でシキナ(ガマ)の収穫を行いました。
40度を越す炎天下での作業はきわめて厳しかったですが、池には蓮が咲いていたり、カエルやタナゴなどもいて、とても楽しかったので厚さも忘れるほどでした。
収穫したシキナを、紐で苦結んで、頭にかけもって行こうとしましたが、てとても重かったので驚きでした。
この日は、材料としては価値のあまりない、穂のついた株のほうも刈り込んだのですが、穂のある草のほうが重くて大変でした。

シキナ07b付近の人の話によると、ガマの穂はむかと子供が人をたたくのにつかったり、ガマの葉は幅広くておおきいので、日差しをよけるカッパのような使い方をしたようでした。昔のブラインダーのようなものだったということでしょうか。

刈り込んだあと、下仁田ネギのようになっている根元の部分をはがして、ぬめりをよく洗うのですが、このぬめりがまるでネギのようで、洗うのにとても時間がかかりました。
なれない作業のため、刈り込みより、収穫後のほうが数倍の時間がかかりました。

シキナ07cあいかわらず暑い日が続いていますが、それだけ乾きもよさそうなので、乾燥の出来が楽しみです。

笹島夏祭り

ササシマ07a笹島夏祭り

場所:則武公園
 時:8月14日(火)
   午後3時から

(にわとりさん)当会を通してこの祭りの情報を聞いたのですが、友達を誘ってみたら、たまたま、彼女がこの夏祭りのためにおにぎりなどをつくって販売するキリスト教関連グループの手伝いをするというので、それに便乗しました。御器所の教会(教会の名前は多分カトリック教会?)で、朝10時頃から、おにぎりつくりを手伝い、自分たちでまかないを食べました。全部で20人近くの人がボランティアで手伝っていました。ごはん作りだけの手伝いの人もいたので、2時半ごろ、電車で、8人ほどの人だけで現地に向かいました。できあがった食事は、車で搬送しました。
ついてみると開場前だというのにすでにたくさんの人が。さまざまな人がいましたが、50代以上の、真っ黒に日焼けした男性が断然多くを占めていました。今年一年でなくなった(主にホームレスの?)人たちの前で手を合わせたあと、販売の手伝いをしました。販売内容は、サラダ、おひたしと、おにぎり。すべて10円またはアルミ缶3個と交換。同じ値段でも、おにぎりはあっという間になくなり、ほかのものは完売するのに7時ごろまでかかりました。私たちの隣では、ビルマのカレーを売っていました。こちらも10円で、あっという間になくなってしまい、ごはんだけ私たちに預けて帰っていきました。ほかにチヂミ100円(けっこうなボリュームがある)、カキ氷100円、スイカ無料配布などがありました。
ササシマ07b中央広場では、スイカ割り、パン食い競争、綱引き、ビンゴゲーム、カラオケ、ライブ演奏などが行われました。ライブ演奏では、反戦の思い、平和を願う心、反格差社会、反貧困の思いが歌われていました。最後に、ノリパンの人たちが韓国舞踊をおどりました。色鮮やかできれいな衣装と、にぎやかな太鼓の音にみんな見とれたり、音楽に乗って一緒に踊ったりしました。
6時から炊き出しでカレーを食べました。ルーは薄めでしたが、ごはんがたっぷりで、味もよく、おなかが膨れるカレーでした。

ササシマの炊き出しカレー(青菜つき)今回は最初から最後まで、私は完全に教会のお手伝いでした。疲れたので7時ごろ帰りましたが、盆踊りが7時からありました。多くの人がお酒でいい気分になってきた時間帯でした。











 笹島夏祭りは、野宿や日雇いで身寄りのない仲間や、故郷に帰れずに笹島で夏をすごす仲間とともに、市民やキリスト者、野宿の仲間みんなで作り上げていくお祭りです。 みなで集まって楽しく過ごすと共に、この一年、野宿で、ブルーシートハウスで、アパートで、病院で、ときには襲撃で、家族と離れ、一人でなくなっていった仲間達を偲びます。
  今年の夏祭りの祭壇には、昨年末の岡崎の襲撃事件で無くなった方の位牌もありました。また、会場となっている公園は、アイヌ差別がもとで殺人事件が発生した笹島事件の現場となった場所でもあります。
 にわとりさんが帰った後の盆踊りは、太鼓の生演奏つきで、かなり遅くまでやっていました。公園で楽しく踊る仲間達の背後に聳え立つツインタワーが象徴的でした。(事務局)

シンミョンのワークショップに参加しました。

コリアンスクールコリアンスクールで開催されたシンミョンのワークショップに参加してきました。

このワークショップは、旅するマダンの公演で名古屋にやってきているシンミョンの劇団の人たちによる、本場の仮面作り・仮面踊り・民謡・太鼓などを体験できるものです。コリアンスクールの建物の教室をほぼすべて使って、いろいろなワークショップが開催されていました。

一人は仮面作り、一人はタルチュムという仮面踊りのワークショップに参加しました。

タルチュムワークショップ仮面踊りは、朝鮮半島全土にあるのですが、北のほうの踊りが激しく、南のほうの踊りが優雅な動きだそうです。今回習ったのは北のほうの踊りでした。
両手に白い布でできた長い袋(?)のようなものをつけて、それを振り回すように踊ります。この動作がとても大きく、また跳んだりはねたりを繰り返すので、とてもハードなものでした。

仮面仮面作りの講座では、赤い顔のものは正義の見方の酔っ払い、青っぽいものは悪い僧侶だ、というような説明をうけました。赤いものが正義というところは、日本の歌舞伎に似ている気がします。

当初の計画では、ひとつは伝統的な仮面をつくり、時間があまったら自由に仮面を作るという予定でしたが、夏休みの子供達が沢山来ていたこともあって、時間が無くなり、伝統的な仮面だけになってしまいました。
最後に先生は、伝統的な仮面も大切だが、自由な現代の感性で作ってゆく仮面にも意味があるので、みなさんも、どんどん創作していってほしい、ということを言われました。

韓国からやってきたシンミョンの人たちは、当然ですが日本語が通じません。
各ワークショップには、在日の人たちが通訳についてくれていました。
いろいろと話を聞いていて思ったのは、シンミョンの人たちは、伝統的な芸能を身につけたり、先日、白川公演で行われたマダンのような、伝統的な空間に現代的なものを折り込んだ舞台をつくったりする中で、伝統をどう現代に生かしてゆくか、ということを、いろいろと思考錯誤しながら考えているようでした。

タル男・なべを食う
このような活動が、アイヌ文化にもみられるといいなと思います。
そのためには、いきなりアレンジするのではなくて、伝統的な文化を、言葉の通じない相手に、自信を持って体当たりで教えられるほどの力量が、いるんだろうなぁと思いました。(事務局D&O)





関連記事
マダン劇集団・シンミョン名古屋公演
シンミョン・ワークショップ

旅するマダン「立ち上がる人々」名古屋公演を見て(JANJAN)

『アイヌに捧げる小さなレクイエム』

(にわとりさん)
友達に最近教えてもらったのですが。『アイヌに捧げる小さなレクイエム』という合唱曲があるそうです。インターネットで調べたところ、わかったのは作曲者が岩河三郎だということだけ。歌詞は、多分著作権の問題から、全部は出てきませんでした。調べたところから憶測するに、環境問題に関する歌だったようです。中学校のときの合唱曲では、『ひめゆりの塔』『消えた八月』など戦争の内容だったり、『親知らず子知らず』のように悲しい内容だったりと、やけに暗い曲が多い気がします。暗い内容の曲が多かったねえ、と友達と話していたところ、『アイヌに捧げる小さなレクイエム』という、同様に暗い内容の曲を聴いたことがある、と教えてもらいました。あと 愛知県だけか私の地元だけの話なのかもしれませんが、中学校のときに卒業式でモーツァルトの『グローリア』を歌っていました。「栄えあれ よろずよまでも・・・」という歌詞でしたが、こちらも著作権の問題かインターネット上には歌詞は見つけられず、懐かしい思いに浸りたかったのにちょっと残念でした。

 

なごや自由学校の「ダーウィンの悪夢」講座に参加しました。

ダーウィンの悪夢日時:2007年7月17日
会場:よろずアートセンター はち(中区新栄2-2-19)

なごや自由学校の「ダーウィンの悪夢」講座に参加しました。
この講座は、アフリカのタンザニアを舞台にした映画を、植民地・独立・グローバリゼーションという歴史の流れをふまえ、映画の中に見え隠れする私たちの日常の暮らしという視点で解説するということで、講師は開発コンサルタント会社に勤め、アフリカで実際開発事業に関わっていたAMネットの神田浩史さんでした。

みなさん、「ダーウィンの悪夢」は見られましたか?アフリカのタンザニアの「ダーウィンの箱庭」と言われたビクトリア湖に、外来魚「ナイルパーチ(注:1)」が放流され、大繁殖。その魚を欧米・日本への向けて加工・輸出する一大産業が発展。そこから発生した貧富の差、ストリートチルドレン、エイズの蔓延などの問題を描いた映画です。

まず「ダーウィンの悪夢」では描かれていなかった、タンザニアの歴史についてのお話がありました。 タンザニアは1881年 ドイツの植民地になり、第一次世界大戦後、イギリスの委任統治領になります。1961年、大陸側のタンガニーカが独立その2年後、沖合いの島ザンジバルが独立、翌年、両国は合併。両国名と、この地域で栄えたアザニア文化の名称を複合しタンザニア連邦共和国となりました(注:2・注:3)。
1985年に、ニエレレ大統領引退。
ニエレレ大統領は、初代大統領で、最後まで腐敗しなかったとのこと。非同盟中立を貫き、在任中25年間一度も内紛・内戦がなく、自国語(スワヒリ語)教育を行い、初等教育普及率90%、中学まで教育費は無料。食糧自給率は100%を超す安定政権でした。
ニエレレ大統領は、英語も堪能で、演説が上手かったため、国連では、
「ニエレレを黙らせろ」とまで言われていたそうです。

しかし、ウジャマー主義とも言われる集団営農が上手くいかなかったこと。主要輸出産品(サイザル麻、コーヒーなど)の価格の低迷(サイザル麻は、漁網の原材料だったが、ビニール製品に取って替わられるようになった。)、アパルトヘイトに対抗するため、南アフリカに圧力をかけるフロントライン諸国のリーダーとしての軍事費が増大、外貨獲得の困難から新たな換金作物、工業化の必要を迫られる等経済的な失敗もあり、ニエレレ大統領は、IMFのプレッシャーで退陣を余儀なくされました。
その後外貨獲得の政策のため、日本のODAにより、主食のとうもろこし畑を壊して、水田を作る事業が始められました。当時世界市場での米の価格が高騰していたので、外貨獲得が期待されていました。しかし、水田ができた頃には米の価格が暴落。水田が完成しても、出来た米を運ぶ道路整備が進んでいませんでした。また、水田には多量の水が必要で、タンザニアではダムやため池を作らない限り十分な水量が確保できず、日本のODAによる水田開発は完全な失敗に終わりました。
この事業は日本の鴻池組が受注し、鴻池組には30億円、コンサルタント会社には3億円が支払われています。開発事業で、日本の企業は潤いましたが、現地の人々には借金しか残りませんでした。

そして、度重なる不況や、日本のODAにみられるような経済政策の失敗などから、昔ながらの自給自足の生活をしていた人たちの農村が崩壊してゆきました。畑を追われ、農村を出て、「ダーウィンの悪夢」に出てくるナイルパーチの加工工場で安い賃金で働かざるをえなくなっていったのです。

もともとこのODAの原資は、私たちの郵便貯金や年金から出ています。こういったODAのあり方が、現地の人たちのために本当に役立っているのかを検証するシステムが必要だと思いました。また私たちのお金が、他の世界の人たちの生活を脅かしてしまうということに、もっと敏感にならなければと思いました。

また、アフリカの飢餓に関して、日本の報道とヨーロッパの報道についての違いについてもお話がありました。アフリカの飢餓は、干ばつ等が引き金になるものの、戦争(アメリカソ連の代理戦争)や特定の作物に依存していたことが、原因であることをヨーロッパでは報道するが、日本の朝日新聞では、ただ単に天災と報じられていたとか。 日本のマスコミ情報だけに接していては得ることのできない内容のお話でした。 (まやうさぎ)

経済のグローバリゼーションの問題について、考えるためのイベントのご案内です。

第12回WTO/FTA 市民フォーラムin大阪シンポジウム
「世界の人々とつながる、うちのイ・ショク・ジュウ」

日時 2007年8月25日(土)13:00〜16:00
場所 高槻市現代劇場 参加費 500円  http://amnet21.web.fc2.com/event/2007/0825/082526.html

下記の注釈はすべて編集部

タンザニア

(注:1ナイルパーチは、日本にも輸出され、西京漬けや白身魚フライになっている大変身近な魚です)
(注:2タンザニア内陸部のタンガニーカ湖は、会報7号で特集したルワンダ・ブルンジに接しています。タンザニアの北西部に、ルワンダとブルンジは位置しています)
(注:3ザンジバルからは、1903年に大阪で行われた第5回内国勧業博覧会の「学術人類館」の「陳列品」として現地人がつれてこられています。いわゆる「人類館事件」です)

(いらん知識1:ルワンダ・ブルンジで大虐殺が起こった時、その死体をタンガニーカ湖上流のカゲラ川に大量に捨て、それがビクトリア湖に流れ着いていたとのことです。魚に国境はなく、ナイルパーチは肉食です。日本人好みの肉質なので、その切り身は日本にも大量に輸出され、食卓に並んでいます。スーパーに並ぶ漬け物の多くはこの魚です。「白スズキ」とも呼ばれます)

ナイルパーチ切身(いらん知識2: 某社HPより。製品紹介・ナイルパーチ
 低脂肪・低カロリーの美味しい白身魚。淡泊な味わいで、あらゆるお料理にご利用いただけます。アフリカ東部の、世界第3位という広大なビクトリア湖でのびのびと育ったナイルパーチ。
高級魚・アカメと同じ種類に属す、低カロリー・低脂肪のヘルシーな白身魚です。フライやムニエル・スープなど、どんなお料理にも合う優れもの。その引き締まった身質と淡泊な味わいが自慢です。

加工地:アフリカ
原産国:ケニア(ビクトリア湖)・ウガンダ・タンザニア
規格:フィレ(皮付き)200/500、500/800、800/1200、1200/1600g 6kg×2合 12kg

(いらん知識3:タンザニアには有名なキリマンジャロ山が裾野から全て国内に含まれています。これは、ヨーロッパ列強がアフリカ大陸を分割するルールを定めた1884〜85年のベルリン会議の会期中に、当時タンザニアを領有していたドイツのウィルヘルム鏡い誕生日を迎え、そのお祝いにケニア側を支配するイギリスのビクトリア女王からキリマンジャロ山が贈られたことに由来します。そのため、ケニア=タンザニアの国境線はキリマンジャロ山をタンザニア側に取り込むように不自然に曲がっています)

NIPAFニパフ'07夏:スペシャル・プレ・イベント

NIPAF Pre-event
パフォーマンス・アートの公演
 入場無料
NIPAFニパフ'07夏:スペシャル・プレ・イベント
…大きなお寺の本堂で…

7月15日(日)

午後6時〜午後8時(途中休憩あり)
明通寺・本堂

(にわとりさん)
 アイヌ語に触れようの会の人が出演するというので、見に行ってきました。1時からのワークショップは、途中から参加しました。当日台風が来るというので、雨がふるのかなあと心配していたところ、逆に台風の風が雲を持っていってしまったあとで、カラッと晴れて、普通のチョコレートが生チョコのようにやわらかくなるくらい、暑い日でした。ワークショップでは、まず部屋に入ったところで人がごろごろ転がるのを目撃してびっくりしました。休憩のあと、印象に残ったワークショップは、細長い風船で犬を作る、編み物をする、皆で作った編み物をつなげて大きなあやとり用ひもにして、人間あやとりをしたことです。もうひとつ、カメラで自分の足元を1度撮って、その撮ったものを再生しながら同じように歩くというのがおもしろかったです。

6時からの本番では、当会の人が2名出演しました。一人目は、傘をかぶって、緊張した間のある踊りを踊りました。2人目は、アイヌ語の歌「ニカタ クイクイ ハチリナ ウパシコネ ルネ ハチリナ」を皆に歌ってもらいながら、木の小片を連ねた楽器を「ジャッジャッ」と鳴らしながら踊りました。
印象に残ったパフォーマンスが、いくつかありました。
ピアノ弾き語りのようにして、ある学校の先生の話を唄うパフォーマンス。音楽が、語っている人の感情を表すようで、引き込まれました。ピアノはオリジナル曲なんでしょうか。上手でした。
観客に変なポーズをとってもらい、出演者がそのまねを順番にしていくパフォーマンス。10分は結構長くて、自分のとった変なポーズで首が痛くなりました。
最後の、暗闇のなかで光をうまく使ったパフォーマンス。ふんどしはびっくりしました。金属にうちつけた電球がフッ消える瞬間は、まるで線香花火が最後にぽとりと落ちるような、切ないような、なんともいえない感じがしました。緑ムシのような発光体を空に飛ばすのが、とても幻想的でした。

写真上から
ワークショップで、お題「彼女」を演じるパフォーマー
人間あやとり
ムカデ行進
自分の足元を撮って、そのあとそれを見ながら歩くパフォーマンス
本道での公演の1コマ

NIPAFA







NIPAFB







NIPAFC







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NIPAFD

アイヌ文化振興法制定から10年 アイヌ民族のいま、そしてこれからを考える

シンポジウム「アイヌ文化振興法制定から10年 アイヌ民族のいま、そしてこれからを考える」の報告

シンポジウム5

 

5月13日、東京麻布にある、大阪経済法科大学 東京麻布台セミナーハウス 3階 大研修室にて行われた、シンポジウム「アイヌ文化振興法制定から10年 アイヌ民族のいま、そしてこれからを考える」に参加するため、東京に行ってきました。

記念公演として財団法人ア
イヌ文化振興・研究推進機構の野本理事長よりお話がありました。
野本理事長は、アイヌ文化の中でも、特にアイヌ語の振興に力を入れたいと言っていました。

また、関東にあるアイヌ民族の団体からそれぞれ代表者が集まり、討論をしました。
シンポジウム1「新法ができて文化の継承形態が変化した」「制度の中で扱われるのは狭義の文化でしかない」「和人がアイヌ歴史や状況をふまえずに文化のみを振興する事態が起きている」「財団を構成する役員にアイヌが少ない」
などの意見が交わされました。
なお、アイヌ文化振興法では「アイヌ民族の先住権が認められていない」「北海道以外の本州に住むアイヌには適用されない(注1)」などの問題があるため、新たな民族法が必要であるとの認識が共有されました。



注1: アイヌ文化振興法は、アイヌ文化の振興の為につくられたもので、民族法ではないので、対象がアイヌかどうかは関係がありません。
「北海道以外の本州に住むアイヌには適用されない」
のは、ウタリ福祉対策などの、対象が「ウタリであると認定されただけで」お金が出るものの事ではないでしょうか?
(事務局)

貨幣経済から開放された一日 -アースデイ村祭り・物々交換市-

アースデイ愛知2007 物々交換市の報告
ED2007pos
今年の愛知のアースデイは、2会場に分かれて開催されました。
アイヌ語に触れよう会は、大規模イベントを目指さない、アースデイ村祭り・物々交換市のほうに参加しました。

名城公園での開催が予定されていたものの、天候が思わしくなかったため、前日に急遽場所を変更、イニュニックさんのでおこないました。
この日は、結局は途中で晴れたものの、名城公園は、ぬかるんでいるところも少なくなかったようなので、お店での開催は正解だったと思います。
天候に左右されるとは、まさにアースデイといった感じですね。

場所の変更のため、人の来場は少ないかな? という心配をよそに、いろいろな人が来てくださいました。
昨年の愛知のアースデイを行った人たちの多くが集ってきていたようです。
お店の置くのスペースを開放した会場では、おべんとうのおかずを交換するというピクニック的なものから、お菓子、本、なべ敷き、篭、タオル、自作の絵画、種、楽器、情報、智恵など、いろいろなものが交換されました。
音楽をやっている人が、曲を披露して、なにかと交換してもらったりしていました。

会場の雰囲気としては、お昼寝をしている人もいるほど、ゆったりしたくつろいだもので、たいへんよかったです。
アイヌ語会として、新しく作成した「アタッチメント式作業代」が大活躍、普段は進まない糸よりと篭編みが、大幅に進みました。

イニュニックの人のご好意で、夜の遅くまで居残って篭編みをしました。
各地を歩いて旅をしている人もやってきて、貨幣経済から開放された一日を体感しました。

ごはんをつぶして焼いた五平餅のようなものに、ミソをつけて、切干大根をはさんでたべたところ、たいへんおいしかったです。
「これは新発見だ」とみなで騒いでいましたが、あまりにもおいしいので、どこかで、名前がついた名物として打っているかもしれないね、と話をしました。
ご存知の方がいましたら、情報ください。

来年は、野外で物々交換市ができるとよいなと思います。

(編集部)

写真…
昼寝をしている人・サラニブ作成
徒歩の旅の人と・「名前のついているかもしれない」ほどおいしい餅

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徳林寺の花まつりに出店しました。

徳林寺・祭壇

日時:佛暦2551年 4月1-8日
場所:相生山徳林寺

徳林寺の花祭りに、カゴ編みの実演を出店いたしました。
徳林寺さんは、地域に開かれたお寺を目指して、いろいろなイベントを行っておられるところです。
住職の高岡さんは、ネパールにしばらく住んでおられた方で、現地との交流も盛んです。

花祭りはお釈迦様の誕生日とのことで、お寺の中にある自作の釜で焼いたヒザの販売、陶芸作家の作品販売、花見茶会、アートのワークショップ、地獄絵図の展示、三味線ひとり語り、ネパールのお菓子の屋台、精進料理、座禅会、バザールなど、盛りだくさんのイベントが、一週間にわたって開催されます。
花祭りの時期には、徳林寺にホームステイしているネパール・韓国・中国・ベトナムのお坊さんや尼さん、留学生の方々、長野や四国からやってきた人たちが、一緒にごはんを食べて、協働でイベントの設営をしていました。
参加できたもののなかでは、地獄絵図の展示、ネパールのお菓子、三味線の弾き語り、バザールがよかったと思います。
地獄絵図は、さまざまなバリエーションの地獄の絵が描かれていて、とても楽しそう…ではなくて凄かったです。
屋台では、何種類かのお貸しをいただきました。ネパールでは、油と砂糖をふんだんに使ったお菓子が高級品だそうで、いただいた「かりんとう(?)」も、やや重めですが、一個で満足できる味でした。
三味線のひとり語りは、なくなられた作家の紙芝居とともに、お国言葉でたられるお話が素敵でした。
バザールでは、万博にも出店していた商売人のアショカさんが中心となって、ネパールの雑貨や宝石、陶芸家の陶器などか販売されていました。物もよいものが揃っていて、やや散財しました。
アイヌ語会のカゴ編みブースもバザールに出店させていただきました。そこでネパールの人たちといろいろとイラクサのことについて話をしたのですが、ネパールでは、イラクサはかつて、家の生垣などに生えていて、どこにでもあるものだったそうですが、現在は都市化が進んでなくなってしまったそうです。また、イラクサのスープはかつて貧乏人の食べ物だったそうですが、現在では健康食として、高級なお店で出ているそうです。
また、子供が悪さををすると、学校などでは、お尻をイラクサでたたかれたそうです。アショカさんもたたかれた覚えがあるそうです。
ネパールで糸にするイラクサは、人間の背丈よりも大きなもので、高地で栽培していて「シシヌー」と呼ぶそうです。
街に生えていて、食べるものとは種類が違うかもしれないとのことでした。

法要では、祭壇にある花で飾られた小さな仏像に、甘茶をかけて供養していました。
祭壇の三方向に、各国のお坊さんがならんで礼拝して、そのあと、各国のお坊さんがそれぞれの国のお経を詠みました。
とくに、韓国のお経は、鳴り物も入って音楽的でした。
お坊さんは、いろいろな国にいて、それぞれ習慣や服装も言葉も違うのですが、徳林寺の法要をみて、それぞれが「仏教」という、同じ宗教の人なんだなぁというみとが、初めて実感できました。
ご近所のお寺も、このような感じで開かれて、国際的であると、もっと楽しいのではないかと思いました。

写真
上から、花に飾られた祭壇、祭壇の仏像、裏でくつろぐ徳林寺の猫(ゴロちゃん)。

徳林寺・仏像徳林寺・ゴロちゃん
名古屋を中心に東海地方で、細々と活動しています。
言語は続けることが大切ですね。


アイヌ民族の文化や歴史についての講座も不定期に開催。

この地域では、アイヌに関する講座の需要もそれほど多くなく、定期的に主催するのも大変です。ご希望の方は参加者を集めてご依頼くださると助かります。
連絡先は下記。

〒460-0008
名古屋市中区栄三丁目18番1号 ナディアパーク6階・私書箱11号
 
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