(1) 40歳を過ぎてスイッチ! ジャズバーオーナーになった医師
(2) 医学が活きる! 医師が作った「ジャズバー」独自のこだわり
(3)「やってよかった」人生に彩りを与えた医師の ”兼業”
BASSLINE http://music.geocities.jp/nagoyajazzbass/ のHPに入りきらない部分をBlogにしました。
医師という仕事に就くこと自体簡単なことではありませんが、パラレルキャリアとしてそれ以外の仕事を並行して実践している方もいらっしゃいます。何故パラレルキャリアという生き方を選ばれたのか、どんなメリットやデメリットがあるのかをお聞きする本シリーズ。
今回は、内科医として外来診療を続ける傍ら、自ら音響にこだわって作り上げたジャズバー「BASS LINE」(愛知県名古屋市)でジャズ演奏と料理を提供する杉本亨先生に取材を実施。最終回は、ジャズバーを始めた当時のご家族やお勤め先の反応、医業とオーナー業を両立する上での課題や今後取り組みたいこと、医業以外との兼業を考えている医師へのメッセージなどをお聞きしました。
医業の他にジャズバーをやろうと決めた際、ご家族やお勤め先の病院ではどのように受け止められましたか。
女房は最初心配していたようですが、「やりたいならやってみたら」と言ってもらえました。仮に反対されてもやるつもりでしたので、私のそういった性格のことも理解してくれていたのだと思います。
当時は愛知県みよし市の医療法人寿光会 寿光会中央病院にいましたが、当時の同僚やスタッフの皆様にご理解をいただき、反対されるということはありませんでした(むしろ皆んな面白がっていた 笑 : ブログ上後付け)。ただ、入院患者さんを受け持っていると自ずと行動に制限がかかリ、ジャズバーの経営に携わることが事実上難しくなります。
より制限を少なくするべく外来だけ担当させていただける病院に移ることを検討していたところ、よく患者さんを送りあっていた偕行会 名古屋共立病院へ赴任のご縁をいただき、そちらで働くことに致しました。以前そちらの先生方に、心臓にトラブルをもっている患者さんのことを相談したところ、親身に対応して下さっていい病院だなという印象をもったこと、最先端医療を行っている病院でもあるなど総合的に魅力を感じたためです。
現在、外来のみ担当させていただいていますが、やはりジャズバーの副業がある点にご理解をいただいていてありがたい限りです。
医業とその他の事業を運営していく上で課題に思っていることや、現在の目標を教えてください。
2つの仕事をしていると言ってもバランスは同等ではありません。何かあった場合は医業を第一に優先しなくてはなりませんから、BASS LINEの業務に支障をきたすことなく医業を優先できるように、仕事を管理していくことが課題だと考えています。
また、せっかく始めた第2の仕事ですから、楽しくなくては続かないという口実で時々ライブに参加させていただいています。
今後取り組んでいきたいと考えていることや、将来の展望を教えてください。
以前、音楽とオーディオに関してラジオでコメンテーターとして出演させていただいていたことがあります。その際にお話した内容や、オーディオ、音響空間、音楽として認知して観賞に至るまでの脳生理や心理学的なメカニズムについてなどの情報を整理して、ホームページかブログにアーカイブをアップできればと思っています。
また、将来的にはもっと色々なジャンルの音楽を演奏していきたいですね。ライブでも、いずれプロと間違ってもらえるような演奏ができるようになれば、という個人的に大きすぎる目標もございます。
医業以外の事業活動との兼業を考えている医師にメッセージをお願いします。
医師としての本業にまっすぐ突き進むことは、立派で大変素晴らしい人生だと思います。私自身、脳外科医として働く傍ら救急医療にも携わることができ、内科へ転向する際には勤めていた病院のご厚意で、有意義な経験をたくさん積ませていただきました。脳外科をやめる際にも教授先生には「同じ釜の飯を食った仲だから、また戻りたくなったらいつでも戻って来い」と言っていただき、医師として恩師、先輩、同僚やスタッフと力を合わせて働く素晴らしさを実感した経験もしておりました。
その一方で、本業の他にご趣味やサイドビジネスに興じるのもまた楽しい人生かと思います。私はたまたま環境に恵まれて、本業の他にジャズバーの副業もなんとかできているだけですので、何も申し上げられないのですが、私自身について言えば、第2の仕事を始めてから人生に彩りが添えられたと思っています。
一言でいえば、やって良かった。
内科医として働く傍ら、ジャズバー経営者としても活躍する杉本亨先生のお話を伺いました。医師としての学びが活かされ、音響効果などに対する深いこだわりが反映された杉本先生のJazz&Caffe「BASS LINE」。ノーチャージで気軽に音楽を楽しめるだけでなく、居心地のいい座席や、美味しい料理とドリンクも魅力です。愛知県名古屋市、各線名古屋駅前から徒歩5分という好アクセス、名古屋駅方面にお立ち寄りの方はぜひ、伺ってみてはいかがでしょうか。
文・写真/久保田雄城
医師を志したのはいつ頃で、どのような理由だったのでしょうか。
高校3年の終わり頃、大学に入学願書を提出する時でした。そもそも医師家系というわけではなく、相対性理論や異次元空間等に憧れていたので物理学者になるべく理学部に行こうと考えていたのですが、高校では最後まで数学が苦手で肝心の物理も成績がいまいちだったので、物理学者になるのは無理だろうなと思いました。
またその頃、英文法の勉強中、言語学に興味が湧いて独学したところ、その当時広く受け入れられていたチョムスキーの変形生成文法理論(普遍文法論)は文法を理解するには大変役に立ったものの疑問も感じ、「普遍文法は本当にあるのか」と題して寄稿した拙稿が大修館の「言語」という雑誌に載ったことから、物理学者への夢を諦めたとき、言語学を脳生理学的に考えるのも面白いかな、と考えたことが医学部を検討するきっかけの一つになりました。
渡辺淳一の初期の作品を読んでいて医学にロマンを感じていたことも、医学部を志した理由の一つです。早くから志をもって医師になろうとされていた先生方には申し訳ない動機だと思っています。
名古屋大学医学部に進学されたそうですが、どのような医学生時代を過ごされましたか。
医者は一生が勉強だと思っていましたので、医学生時代は今しかできないことをしたいと思っていて、医学以外の方にばかり力を入れていました。
音楽活動としては、大学のロックバンドや夜間の飲食店でベースを弾いていました。また、アルバイトとして予備校で英語や物理の講師をしたり、看護医療予備校の全国模試で物理の問題の出題、回答解説もしていました。物理では私自身に物理の才能がないため、頭を使って誰にでもわかりやすい解説ができたと思っています。英語では、言語学を勉強していたことが文法の解説に非常に役にたちました。
脳生理学へのその後のご興味は?
大学入学後は安本美典さんという心理学の先生の本を読んで、臨床心理学や言語学にますます興味を持ちました。動物行動学が好きで、動物から人間までの行動進化、動物的認知から言語能力という人間の高度な認知機構への進化について考えようと、生理学研究所の脳研究部門に通わせていただいた時期もあります。基礎研究の生理学や精神科も考えましたが、実際にこの眼で人間の脳を見ればもっと何か分かるに違いないと思い、ローテート研修後、脳外科医となることを選んだのでした。
ところが、脳を見ても何もわかりませんでした。
10年ほど脳外科医としてやっていましたが、大学勤務時代に週2回出向していた病院で他科の先生たちと一緒に救急をやりながら様々な症例に接するうち、内科も診療範囲が広くて奥深く面白いなと再認識しその後内科へ転向、現在に至ります。
そして現在、医師の仕事とともに、Jazz&Caffe「BASS LINE」を経営されています(「BASS LINE」オーナー就任までの経緯は第一回参照。医学がジャズバー経営に活かされることはありますか?
音楽というのは、耳から脳への聴覚や脳生理、心理学的な面も関わっていて、それについては医学を学んだことが大変役立っていると思います。
医学に加え、オーディオや音響空間についは、音波や電子回路など電気的なこと、また空間の物理的環境が深く関わっています。
音響効果など、幅広い知識をどのように培われたのでしょうか。
オーディオ装置をステレオと呼んでいた時代、小学校4、5年生の頃でしたが、ステレオの録音端子からテープレコーダーの入力端子に繋いで録音し、聴くときはケーブルが一本しかなかったのでテープの出力端子からステレオの外部入力端子に繋ぎかえていました。ある時、ステレオの録音端子に繋いだまま、もう一方をテープの出力端子に繋ぐとラジオやレコードの音が消えてテープの音楽を聴くことができることに気が付き、いわゆるインピーダンスの概念を自分なりに持ったのがオーディオ回路に興味を持った最初でした。
中学生になり、アマチュア無線の送受信器や真空管アンプを自作したり古いターンテーブルにアーム、カートリッジを組んだりしているうちに、同じ電気信号でも、高周波、低周波、強信号、弱信号でそれぞれに沿った考え方、扱い方をしなくてはならないことを実感しました。また、中学では放送部でPA(音響)業務にも関わりましたが、そこでは何かを学んだというより、それまでに得た知識を活用できる喜びを感じました。
BASSLINEでは、今までやって来たことが、なぜか生かされた気がしています。
医師を志したきっかけや医学生時代のエピソード、ご専門に選ばれた科について、医業とは違う音響効果などの知識についてお話を伺いました。次回は、副業を始められた当時のご家族やお勤め先の反応、医業と店長業を両立する上での課題や今後取り組みたいこと、医業以外との兼業を考えている医師へのメッセージなどを伺います。
文/久保田雄城
写真/杉本亨先生
内科医として働きながら、ジャズバーを始めたきっかけについて教えてください。
もともと大学在学中にロックバンドでベースを弾いていたので音楽自体の楽しさは知っていましたが、実はジャズだけはいくら聞いても、楽しさが分かりませんでした。当時は、各楽器がそれぞれ勝手に音を奏でているようにしか聞こえなかったのです。
しかし40歳を過ぎて、マンハッタン・ジャズ・クインテッドの「G 線上のアリア」というCDの最初の曲を聞いて、初めてジャズが音楽として聞こえるようになり、スイッチが入ったように夢中になりました。
音楽として聞けなかった年月を取り戻すようにジャズを聞きに行くようになり、自分でも演奏したくなって、知人の知人が店主をしていたジャズ喫茶のライブにベースで参加しました。その時共演した奏者さんのご縁で、近所にあったジャズバーに月1回のペースで出演していたのですが、あるときお店が閉店することになったんです。そこで、知り合った奏者さんたちに活躍の場を提供できないかと思ったのがきっかけでした。
杉本先生がオーナーを務めるJazz&Caffe「BASS LINE」のコンセプトやこだわりを教えてください。
第一に、ライブチャージなしで生の音楽が聴けることです。例えば女房と街でジャズバーの前を通りかかって入ってみたいと思っても、ライブチャージが記載されていると、2人の飲食代を含めて考えたら入店をためらってしまうことがありました。お客様にそんな躊躇をさせたくないという想いがありました。
第二に、ジャズライブではお客様が音楽を真剣に聞いている場合が多く、途中の出入りや会話がしづらい雰囲気がありました。しかし、例えば海外の一流のホテルやバーで一流のバンドが演奏していても、お客様はさほどステージに集中しておらず、楽しく会話や飲食を楽しんでいます。そんな雰囲気の良さが理想なので、お客様から注目を浴びるのが当たり前かもしれない奏者の皆様には申し訳ないのですが、飲食やおしゃべりを楽しみながらバックに心地よい生演奏が流れる、そんな雰囲気にしたいと思いました。
以前、あるホテルのラウンジで素晴らしい演奏が聞こえてきましたが、生の演奏ではなく残念に思ったこともありました。その時は音楽を聞くつもりもステージを見るつもりもなかったのですが、リラックスして過ごす時間のバックに流れる素晴らしい生演奏には、大きな価値があるのだと実感しました。それに奏者にとってもファンに来てもらえるだけでなく、奏者を知らないお客様も気軽に来られるコンセプトの方が、新しいファンを獲得するきっかけになるのではないかと考えました。
ライブや音楽会、結婚式などのイベントに、ジャズ、ロック、クラシックなど幅広いジャンルの演奏家の派遣する事業も行っているそうですが、どのように人脈づくりをされているのでしょうか。
知人の知人に音楽事務所の社長さんがいらっしゃり、さまざまなジャンルの奏者さんをご紹介して下さいました。こちらからもお勧めの奏者さんを推薦したりするうちにどんどん輪が広がっていきました。例えばピアニストさんに演奏を頼むと、他に必要な奏者さんも呼んで下さるなどです。
音楽の世界も医療の世界と同じように横のつながりがあって、人から人に繋がるので、私自身に人脈がなくても苦労はなくスムーズに進んできました。様々な奏者さんと知り合ううちに「一生懸命勉強して技術を磨いてライブなどで披露しようとしても、演奏の場が限られている」と伺い、活躍の場の一端を担えればと考えて派遣を行っています。
内科外来は毎日の患者さんも多く忙しいと思うのですが、医業との両立で苦労していることややりがいを教えてください。
なるべく業者さん、奏者さん、その他関係者との打ち合わせ等は余裕をもってスケジュールを組んでいますが、病院の外来業務が終わるのが遅くなることもありますので、BASSLINEの関係者さんには遅延がありうることは前もってご了承をいただいています。その上でキャンセルや日時変更などで対応させていただいていますが、もちろん申し訳ないと思うところです。ですから両立のための時間の管理が苦労と言えば苦労かもしれませんが、BASS LINEの経営は楽しんでやっていることなので、あまり苦しく感じていません。
現在の勤務先の理事長先生、院長先生はじめスタッフの方々、昔から今もお世話になっている医局の恩師や先輩、同僚の先生方のご支援があってこそ、医業とBASS LINEを両立して続けられていると思います。皆様、何かとBASS LINEをご利用くださることもあり、ご恩返しにますます美味しい料理と素晴らしい演奏をお届けできればと思っており、それがやりがいに通じています。
内科医として働きながらジャズバーを始めたきっかけやお店のこだわり、音楽関係の人脈づくりや医業と両立するご苦労とやりがいについて伺いました。次回は、医師を志したきっかけや医学生時代のエピソード、ご専門に選ばれた科について、医業とは違う音響効果などの知識についてお話を伺います。
文/久保田雄城
写真/杉本亨先生
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