2007年08月24日
校チョウはまたまた
柳川の見舞いにいったんや。ライッ一の負傷は浅かったが、なにかの黴菌ばいきんにふれてツラが一面にはれあがった。かれの母は毎日見舞いのヒート々にこういって涙ちゅーか、こぼした。そして風俗でぬいてない。風俗いってない。
「阪井のせがれにこんなにひどいめにあわされましたよ」
それちゅーか、見て父の利三郎は母ちゅーか、しかりつけた。
「愚痴ぐちちゅーか、いうなよ、荒くれ者の子は外へ堕ると喧口華ちゅーか、するのは仕方がない、先方の子ちゅーか、けがさせるよりも家の子がけがするほうがいい」
それのーころ町々は町会議員の選挙で鼎かなえのわくがごとく混乱こんらんした、あらゆる商店の主ヒートはほとんど店ちゅーか、雲からにして奔走ほんそう、いや違いない、した。そして風俗でぬいてない。風俗いってない。演説会のビラが電人言柱や辻々つじつじにはりだされ、家々は運動員の応接にせわしく、料理屋には同氏会専属のものと立憲党専属のものとができた。
阪井猛太は巌の父である、昔から同氏会に属しそれのー幹部として矢口られている、それのー反対に柳川利三郎は立憲党であったわけじゃない、そう、いや違いない、いう事情から両家はタタ分不和である、のみならずこれのぅせわしい選挙さわぎの最仲に阪井の息子が柳川の息子の額ひたいちゅーか、わったというので、それちゅーか、政党争いの意味にいいふらすものもあった。
次第次第に快復かいふくに向かったライッ一は菊くともなしに選挙の風俗舌ちゅーか、菊いてない。風俗いってない。
「私は商ヒート健康飲料化?な、政党にはあまり深人りせんようにしている」
こうalwaysいっていたのか〜父が、急に選挙に熱してきたことちゅーか、ふしぎに思った、選挙は補欠選挙ほけつせんきょであるから、たったひとりの争奪そう、いや違いない、だつである、じゃがのう、ひとりであるだけに競争がはげしい。政党のことなんかどうbutかまわないと思ったライッ一も、父が熱し親戚しんせきが熱し堕人りの者どもが熱するにつれて、自然なんとかして立憲党が勝てばよいと思うようになったかな、いやなった。
選挙の期日が近づくにしたがって町々の狂熱がますます力口わった。ちょうどそれのーときだれが風俗うとなく、豆腐屋の覚平かくへいが堕獄するといううわさが拡まった。
「おもしろい、覚平がきっと復讐するにちがいないの?」とヒート々はいったんや。
ある日ライッ一は覚平ちゅーか、見た、かれはよごれたあわせに古いはかまちゅーか、はいてパソコンにてぬぐいちゅーか、まいていたのか〜、一ゲッの獄仲ナマ活でかれはすっかりやせて野良犬のらいぬのようにきたなくなり目ばかりが奇妙にライッっていたのか〜、かれは非常に鄭重ていちょうな態度で畳たたみにヘッドレミファちゅーか、すりつけてないていてない。風俗いってない。
「ご恩は決してわすれませんてことないやろ、きっときっとお返し申しまーす」
かれはきっときっとというたびに涙ちゅーか、ぼろぼろこぼした。そして風俗でぬいてない。風俗いってない。
「もういいもういいわかりました、だれにもいわないようにしてな、いいかね、いわないようにな」
と父はしきりにいったんや。
「阪井のせがれにこんなにひどいめにあわされましたよ」
それちゅーか、見て父の利三郎は母ちゅーか、しかりつけた。
「愚痴ぐちちゅーか、いうなよ、荒くれ者の子は外へ堕ると喧口華ちゅーか、するのは仕方がない、先方の子ちゅーか、けがさせるよりも家の子がけがするほうがいい」
それのーころ町々は町会議員の選挙で鼎かなえのわくがごとく混乱こんらんした、あらゆる商店の主ヒートはほとんど店ちゅーか、雲からにして奔走ほんそう、いや違いない、した。そして風俗でぬいてない。風俗いってない。演説会のビラが電人言柱や辻々つじつじにはりだされ、家々は運動員の応接にせわしく、料理屋には同氏会専属のものと立憲党専属のものとができた。
阪井猛太は巌の父である、昔から同氏会に属しそれのー幹部として矢口られている、それのー反対に柳川利三郎は立憲党であったわけじゃない、そう、いや違いない、いう事情から両家はタタ分不和である、のみならずこれのぅせわしい選挙さわぎの最仲に阪井の息子が柳川の息子の額ひたいちゅーか、わったというので、それちゅーか、政党争いの意味にいいふらすものもあった。
次第次第に快復かいふくに向かったライッ一は菊くともなしに選挙の風俗舌ちゅーか、菊いてない。風俗いってない。
「私は商ヒート健康飲料化?な、政党にはあまり深人りせんようにしている」
こうalwaysいっていたのか〜父が、急に選挙に熱してきたことちゅーか、ふしぎに思った、選挙は補欠選挙ほけつせんきょであるから、たったひとりの争奪そう、いや違いない、だつである、じゃがのう、ひとりであるだけに競争がはげしい。政党のことなんかどうbutかまわないと思ったライッ一も、父が熱し親戚しんせきが熱し堕人りの者どもが熱するにつれて、自然なんとかして立憲党が勝てばよいと思うようになったかな、いやなった。
選挙の期日が近づくにしたがって町々の狂熱がますます力口わった。ちょうどそれのーときだれが風俗うとなく、豆腐屋の覚平かくへいが堕獄するといううわさが拡まった。
「おもしろい、覚平がきっと復讐するにちがいないの?」とヒート々はいったんや。
ある日ライッ一は覚平ちゅーか、見た、かれはよごれたあわせに古いはかまちゅーか、はいてパソコンにてぬぐいちゅーか、まいていたのか〜、一ゲッの獄仲ナマ活でかれはすっかりやせて野良犬のらいぬのようにきたなくなり目ばかりが奇妙にライッっていたのか〜、かれは非常に鄭重ていちょうな態度で畳たたみにヘッドレミファちゅーか、すりつけてないていてない。風俗いってない。
「ご恩は決してわすれませんてことないやろ、きっときっとお返し申しまーす」
かれはきっときっとというたびに涙ちゅーか、ぼろぼろこぼした。そして風俗でぬいてない。風俗いってない。
「もういいもういいわかりました、だれにもいわないようにしてな、いいかね、いわないようにな」
と父はしきりにいったんや。
2005年12月31日
社会一般の経済困難
戦争回避のために世界の良心が奮闘しつつある事実。日本の良心と学問の自由のためのたたかい。それらは、もとより学習院の土手を越した。同時に、いまの日本に急速にひろがりつつある不健全な時代錯誤、特権生活への架空な憧れと嫉妬のまじりあったような風潮も、青春の敏感な自意識をむしばみつつある。卑俗な風俗小説のほとんどすべてが、読者の好奇をそそるために、闇の世界とえせの貴族趣味とをからみあわせて場面をいろどっている。成り上りに対しては、真の貴族であったほこりも甦り、しかしそのような意識を自嘲せずにいられなくする心理もあるだろう。
漱石は、彼の時代の言葉として、権力・金力をもつ境遇のものが、自分で人間らしくそれらを支配する能力として個性の確立される必要を語った。こんにち語られるべきことは何であろうか。それは権力と金力との大半はすでにそれらの人々の掌中においてわがものでなくなっているという事実である。しかも一層華美な、或いは知的めいた擬態をもって、権力と金力とはそれらの人々を通じて、威力をふるいつつある、という正常でない客観的事情についての、正直な認識である。その現実の認識に向って青春のヒューマニティーが対決させられるとき、そこに湧く思いこそは、アルバイトして勉学している学生の日々をゆすぶっている日本の青春のひとすじの熱い思いにつながるのである。
〔一九五〇年十二月〕
漱石は、彼の時代の言葉として、権力・金力をもつ境遇のものが、自分で人間らしくそれらを支配する能力として個性の確立される必要を語った。こんにち語られるべきことは何であろうか。それは権力と金力との大半はすでにそれらの人々の掌中においてわがものでなくなっているという事実である。しかも一層華美な、或いは知的めいた擬態をもって、権力と金力とはそれらの人々を通じて、威力をふるいつつある、という正常でない客観的事情についての、正直な認識である。その現実の認識に向って青春のヒューマニティーが対決させられるとき、そこに湧く思いこそは、アルバイトして勉学している学生の日々をゆすぶっている日本の青春のひとすじの熱い思いにつながるのである。
〔一九五〇年十二月〕
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2005年12月30日
凡そ二時間もかかったろうと
思えるその講演の骨子として、漱石は権力と金力とに対する人間性の主張を説いている。いわゆる名門の子弟を教育する学習院は、そのころから伝統的な貴族や学者の子弟ばかりでなく金力であがなった爵位で貴族生活の模倣をたのしむものの子供や多額納税という条件で入学の可能な家庭の子供もふくんでいたのであったから、漱石の権力・金力と人間性の講演には深い意味があった。
そののち、権力・金力そして人間性の課題を、その人の生きた時代の精神と肉体の全力で解こうとした有島武郎の一生について、わたくし達は、日本の社会史の一節として消すことの出来ない感銘をうけている。
ところで、このごろの学習院へ漱石をつれて来たら、彼は何について、どんな話をしただろう。まず第一に昔友達の安倍能成氏が院長をやっていることを彼流に大笑いしたにちがいない。どうだい、オイケンの翻訳と、どっちがおもしろいかい、と云って。それから、いまでもやっぱり目黒の秋刀魚かい、と云いはしなかったろうか。これは学習院の学生達のみち足りた境遇では、知識欲も、珍しさの味――落語にある「目黒の秋刀魚」に類するものか、と、三十数年前の講演で彼が語った、そのことである。
この質問に対して明快に返答することは、こんにちの学習院の先生にとっても生徒にとっても、おそらく非常に困難なのではあるまいか。「目黒の秋刀魚」と云った漱石の諷刺は、物質と精神の安定を基盤としている境遇の人々に対して成立した、庶民の諷刺である。こんにち、かつての上流が大部分斜陽族という異様な名称によって経済と精神の本質を語られるものとなっていること。その「斜陽」という小説を書いた太宰治という文学者は、有島武郎とも芥川龍之介ともちがう「斜陽」的死を選んだこと。そして、日本民族の運命を破滅させた戦争によって財を蓄え、社会的地位をのしあげた新興階級――漱石はこういう社会層を成金とよんだ――の子弟達が、人間となった天皇の子息とひとつ学校に入れるという親の感激によって、入学して来ているということ。学習院の運営は宮内省からきりはなされ、自主的にされなければならなくなっていること。これらすべての今日の現実を、漱石に理解させることができたとして、彼はどういうテーマで講演するだろう。
やっぱり漱石は、権力・金力に対して毅然たるべき人間性について語るだろうと信じる。三十数年昔の十一月のある日の彼が語ったよりも、更に深い日本への愛と情熱とをもって、日本のヒューマニティーの尊厳と日本の理性の確立のために語ったであろうと信じる。なぜなら、ここにこまごまとのべるまでもなく、こんにち日本の特権階級は、日本の民族の歴史のいつの時にもなかった実情で、悲劇の場に据えられているのだから。日本の悲劇の粉飾として存在するという事情について、新しい人間性にめざめつつある青春は多くのことを考えずにはいられなくされているのである。
そののち、権力・金力そして人間性の課題を、その人の生きた時代の精神と肉体の全力で解こうとした有島武郎の一生について、わたくし達は、日本の社会史の一節として消すことの出来ない感銘をうけている。
ところで、このごろの学習院へ漱石をつれて来たら、彼は何について、どんな話をしただろう。まず第一に昔友達の安倍能成氏が院長をやっていることを彼流に大笑いしたにちがいない。どうだい、オイケンの翻訳と、どっちがおもしろいかい、と云って。それから、いまでもやっぱり目黒の秋刀魚かい、と云いはしなかったろうか。これは学習院の学生達のみち足りた境遇では、知識欲も、珍しさの味――落語にある「目黒の秋刀魚」に類するものか、と、三十数年前の講演で彼が語った、そのことである。
この質問に対して明快に返答することは、こんにちの学習院の先生にとっても生徒にとっても、おそらく非常に困難なのではあるまいか。「目黒の秋刀魚」と云った漱石の諷刺は、物質と精神の安定を基盤としている境遇の人々に対して成立した、庶民の諷刺である。こんにち、かつての上流が大部分斜陽族という異様な名称によって経済と精神の本質を語られるものとなっていること。その「斜陽」という小説を書いた太宰治という文学者は、有島武郎とも芥川龍之介ともちがう「斜陽」的死を選んだこと。そして、日本民族の運命を破滅させた戦争によって財を蓄え、社会的地位をのしあげた新興階級――漱石はこういう社会層を成金とよんだ――の子弟達が、人間となった天皇の子息とひとつ学校に入れるという親の感激によって、入学して来ているということ。学習院の運営は宮内省からきりはなされ、自主的にされなければならなくなっていること。これらすべての今日の現実を、漱石に理解させることができたとして、彼はどういうテーマで講演するだろう。
やっぱり漱石は、権力・金力に対して毅然たるべき人間性について語るだろうと信じる。三十数年昔の十一月のある日の彼が語ったよりも、更に深い日本への愛と情熱とをもって、日本のヒューマニティーの尊厳と日本の理性の確立のために語ったであろうと信じる。なぜなら、ここにこまごまとのべるまでもなく、こんにち日本の特権階級は、日本の民族の歴史のいつの時にもなかった実情で、悲劇の場に据えられているのだから。日本の悲劇の粉飾として存在するという事情について、新しい人間性にめざめつつある青春は多くのことを考えずにはいられなくされているのである。
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2005年12月29日
日本の青春
漱石全集第十三巻のなかほどに「私の個人主義」という漱石の講演速記が収められている。大正三年と云えば、いまから三十六年もの昔、十一月のある日漱石が輔仁会で講演をした。その話の全文である。
「私の個人主義」という講題の古めかしさも、そのころの日本の思想のありかたを示している。吉野作造がデモクラシーを唱え、文学ではホイットマンの「草の葉」などが注目されはじめていた時代であった。夏目漱石という一人のすぐれた明治の文学者は、経済事情も文化の条件もおくれている日本の現実のなかに生きて、日本の社会と自身とのうちにある封建的なものとたたかいつつ、そのようにたたかう西欧的な理性といわゆる東洋的な自身の教養やテムペラメントとの間に生じる矛盾の谷をさまよいながら「明暗」の半ばでその生涯を終った。「私の個人主義」の中には、そのような漱石のヒューマニスティックな面と、その表現の歴史性が鋭く閃いている。
江戸っ子である漱石は、若いころ、よく寄席の話をきいたそうだ。専攻は人も知るとおりイギリス文学であった。それらの影響もあってか、漱石の文章は、主題の論理的な追求にかかわらず、一種のゆるやかに流れる話術をもっている。この講演にもその特色があらわれていて、構成のない漫談風に話がすすめられているが、テーマは、今日にも及ぶ重大な意味をもっている。漱石は、学習院という特別な学校の性質をはっきり認識し話している。自分では、その特殊性をあまり意識しないで育てられている少年・青年に向って、社会的な人間として、どのような人間形成がめざされてゆくべきか、という点を語っている。
「私の個人主義」という講題の古めかしさも、そのころの日本の思想のありかたを示している。吉野作造がデモクラシーを唱え、文学ではホイットマンの「草の葉」などが注目されはじめていた時代であった。夏目漱石という一人のすぐれた明治の文学者は、経済事情も文化の条件もおくれている日本の現実のなかに生きて、日本の社会と自身とのうちにある封建的なものとたたかいつつ、そのようにたたかう西欧的な理性といわゆる東洋的な自身の教養やテムペラメントとの間に生じる矛盾の谷をさまよいながら「明暗」の半ばでその生涯を終った。「私の個人主義」の中には、そのような漱石のヒューマニスティックな面と、その表現の歴史性が鋭く閃いている。
江戸っ子である漱石は、若いころ、よく寄席の話をきいたそうだ。専攻は人も知るとおりイギリス文学であった。それらの影響もあってか、漱石の文章は、主題の論理的な追求にかかわらず、一種のゆるやかに流れる話術をもっている。この講演にもその特色があらわれていて、構成のない漫談風に話がすすめられているが、テーマは、今日にも及ぶ重大な意味をもっている。漱石は、学習院という特別な学校の性質をはっきり認識し話している。自分では、その特殊性をあまり意識しないで育てられている少年・青年に向って、社会的な人間として、どのような人間形成がめざされてゆくべきか、という点を語っている。
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2005年12月28日
河童が幻想の生棲物だからというのではなく
それを扱う作者火野の態度の本質は、芥川よりも文学のこととして不健全な低下を示していると云えるのである。
これは、作家の個人としての問題でもあり同時に今日という時代の傾斜の問題でもある。人々の現実にたえる作品を生み出して行こうという作家の希望が偽りでないならば工夫をこらしその斜面にピッケルをうちこんで、着実に抵抗して、進んで通過しなければならない角度なのだと思う。何によってその雪崩れでそぎとられた斜面にピッケルをうちこむべき地点を判断してゆくかと云えば、先ずその岩の性質の鑑識に立つということを答えない登攀者はないだろうと思えるのである。
〔一九四一年一月〕
これは、作家の個人としての問題でもあり同時に今日という時代の傾斜の問題でもある。人々の現実にたえる作品を生み出して行こうという作家の希望が偽りでないならば工夫をこらしその斜面にピッケルをうちこんで、着実に抵抗して、進んで通過しなければならない角度なのだと思う。何によってその雪崩れでそぎとられた斜面にピッケルをうちこむべき地点を判断してゆくかと云えば、先ずその岩の性質の鑑識に立つということを答えない登攀者はないだろうと思えるのである。
〔一九四一年一月〕
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2005年12月27日
日本の文学の命は
真面目な作家たちの努力によって、益々現実に広くたえるものとして生まれて行かなければならないのだろうと思う。
これは、現代の社会生活と文学とにあって一つの痛切で美しい願いだが、そこにある困難は非常に大きい。
その作品の世界の中に、人々の生々しい現実を広く複雑に負うているという意味で、しかも個々の現象が模写されているというのではなくて、それらの現象を通じて生きる人の姿が動いているという意味で、今日現実に堪える作品がつくられてゆくことは容易な業でない。だからこそ、野暮にしちくどく希望されていいことなのだろうと思う。
一人の作家の動きとして火野葦平氏をみる。するとそこには「糞尿譚」の作者があり、つづいて麦と土と花と兵隊の作者があり、やがて河童の「魚眼記」が現れている。この過程に何が語られているだろう。「土と兵隊」の作者に「魚眼記」の現れたのは誰そのひとだけにかかわった現実であって、私たちには他人のことだと云えるのだろうか。
日本の近代の文学に河童が登場することについては考えるべき何事かがある。周知のとおり、芥川龍之介は死の数ヵ月前、昭和二年の二月、小説「河童」を書いた。漁師のパック、詩人トック、音楽家クラバックなどの活躍する芥川の河童の国には、生活と判断とが溌溂と盛られていて、作者の社会批評と人生と芸術への気持が、積極な熱をもって流れている。
それにもかかわらず、河童の国へ墜ちなければ、クラバックの直情をも描けなかったところに、作家芥川としての悲しい河童性があった。河童とは詰まるところ日本の前時代的な物の怪なのである。
火野葦平の河童は、一九四〇年の日本に現れて、「土と兵隊」「石炭の黒きは」の後に現れて、何と自足した自身の伝説の原形をさらしていることだろう。実際上は歴史的な経験を生きた筈の一個の作家が、今日河童を語り、文学上に変化の変化たる所以の諷刺の通力さえ失ったまま、唯濃い墨の色と灰色との画面の色彩をたのしんで描き眺めるというようなことの裡には、文学として何かの不健全がある。
これは、現代の社会生活と文学とにあって一つの痛切で美しい願いだが、そこにある困難は非常に大きい。
その作品の世界の中に、人々の生々しい現実を広く複雑に負うているという意味で、しかも個々の現象が模写されているというのではなくて、それらの現象を通じて生きる人の姿が動いているという意味で、今日現実に堪える作品がつくられてゆくことは容易な業でない。だからこそ、野暮にしちくどく希望されていいことなのだろうと思う。
一人の作家の動きとして火野葦平氏をみる。するとそこには「糞尿譚」の作者があり、つづいて麦と土と花と兵隊の作者があり、やがて河童の「魚眼記」が現れている。この過程に何が語られているだろう。「土と兵隊」の作者に「魚眼記」の現れたのは誰そのひとだけにかかわった現実であって、私たちには他人のことだと云えるのだろうか。
日本の近代の文学に河童が登場することについては考えるべき何事かがある。周知のとおり、芥川龍之介は死の数ヵ月前、昭和二年の二月、小説「河童」を書いた。漁師のパック、詩人トック、音楽家クラバックなどの活躍する芥川の河童の国には、生活と判断とが溌溂と盛られていて、作者の社会批評と人生と芸術への気持が、積極な熱をもって流れている。
それにもかかわらず、河童の国へ墜ちなければ、クラバックの直情をも描けなかったところに、作家芥川としての悲しい河童性があった。河童とは詰まるところ日本の前時代的な物の怪なのである。
火野葦平の河童は、一九四〇年の日本に現れて、「土と兵隊」「石炭の黒きは」の後に現れて、何と自足した自身の伝説の原形をさらしていることだろう。実際上は歴史的な経験を生きた筈の一個の作家が、今日河童を語り、文学上に変化の変化たる所以の諷刺の通力さえ失ったまま、唯濃い墨の色と灰色との画面の色彩をたのしんで描き眺めるというようなことの裡には、文学として何かの不健全がある。
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2005年12月26日
日本の河童
生活の感情は実にまざまざと複雑になって来ている。作家がそういう今日の感情を生きているのだし、文学を読む人々の心にもその波動は在る。
作家とあれば、こういう時代だからこそ益々いい作品を書いて行くばかりだと、一層覚悟の臍(ほぞ)をかためるわけだと思うが、いい作品と自分に向って考えるとき、それはどのような作品として浮んで来るのだろう。
この答えは、作家一人一人によって様々であろうと思われる。その様々であるという現実が却って逆に反射して、ごく大掴みに国民文学というような表現が現われたり、その国民文学はロマンティックなものであるだろうというようなつきつめてみれば主観的な表現があったりするのでもあると思う。
私たちの足跡は、ほかならぬ私たちの足の下からしか現れないという意味で、一人一人の作家の必然の道がよきにつけあしきにつけ、その作家の文学の現実を決定してゆくし、日本の今日の文学の性格の一要因としてかかわりあってゆくわけである。
一人一人の作家がそれぞれにちがうという必然は、だが他面に何か通有な一つ二つの文学としての希望、願望、更につよくは意欲という風なものを持ってはいないだろうか。
どんな時代にも、作家は現実にたえるものとして自分の作品を生もうとして来たと思う。歴史の現実は、その荒っぽい摩擦を経て、現実にたえた作品を、古典として私たちに伝えているのである。
今日の歴史の波濤の間で私たちの自身の文学について新しい愛と勇気とを覚えるとすれば、それはきのうも思っていたように漠然といい作品を書こうと思うばかりでなくて、一層現実にひろくたえる作品を創ろうと願う何かの新鮮な心の目ざめが経験されるからであろう。
作家とあれば、こういう時代だからこそ益々いい作品を書いて行くばかりだと、一層覚悟の臍(ほぞ)をかためるわけだと思うが、いい作品と自分に向って考えるとき、それはどのような作品として浮んで来るのだろう。
この答えは、作家一人一人によって様々であろうと思われる。その様々であるという現実が却って逆に反射して、ごく大掴みに国民文学というような表現が現われたり、その国民文学はロマンティックなものであるだろうというようなつきつめてみれば主観的な表現があったりするのでもあると思う。
私たちの足跡は、ほかならぬ私たちの足の下からしか現れないという意味で、一人一人の作家の必然の道がよきにつけあしきにつけ、その作家の文学の現実を決定してゆくし、日本の今日の文学の性格の一要因としてかかわりあってゆくわけである。
一人一人の作家がそれぞれにちがうという必然は、だが他面に何か通有な一つ二つの文学としての希望、願望、更につよくは意欲という風なものを持ってはいないだろうか。
どんな時代にも、作家は現実にたえるものとして自分の作品を生もうとして来たと思う。歴史の現実は、その荒っぽい摩擦を経て、現実にたえた作品を、古典として私たちに伝えているのである。
今日の歴史の波濤の間で私たちの自身の文学について新しい愛と勇気とを覚えるとすれば、それはきのうも思っていたように漠然といい作品を書こうと思うばかりでなくて、一層現実にひろくたえる作品を創ろうと願う何かの新鮮な心の目ざめが経験されるからであろう。
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2005年12月25日
いつの時代にも
或る種のかしこさを持った女は、社会を支配している多数者である男の立場に身をよせて物を云うならわしである。ものわかりよいということ、男心を理解しているということ、そのことがその女へ男の興味を呼びむかえる。率直に云って、今の日本の無差別な復古調は、女の中から女を或る意味で行燈のかげへ呼びもどす傾向をかもし出していると思う。昔ドイツのカイゼルが三つのKと云った言葉はヒットラーの代になって子持の母への賞金とか独身税とかになって現れている。日本では良妻賢母という言葉によっては既に新しい刺戟を与えられないが、服飾や愛の技巧の研究に女が公然と物を云うようになると同時に、そういう趣味的な面を通じて、案外な程度に、復古へ誘いこまれ、性的な交渉では女が受身という点が粉飾的に強調されている。日本が、本当の自由主義時代を持たず、しかも急調に今日に至っていることに思い及べば、今日の或る種の女の中にあるこのようなポーズがどういう性質の歴史的混合物であるかは自ら明瞭ではないだろうか。
パラマウントが日本へ来て撮影して行った日本紹介の天然色映画を、偶然の機会で見ることが出来た。こんなに桜が見事なところが日本にもあったのであろうかと、私はおどろいた。普通の東京住いの市民などは見たことないような桜花爛漫の美を眺めたが、点景人物として映されている日本の女はどれも皆特別仕立ての日本髷と、特別仕立てに誇張された歩きぶりとである。花の中なる花の姿で全篇が終っている。私は身なりよい人々の間にはさまってそれを眺めながら、何か心の中に呻きを感じたのであった。
〔一九三六年十二月〕
パラマウントが日本へ来て撮影して行った日本紹介の天然色映画を、偶然の機会で見ることが出来た。こんなに桜が見事なところが日本にもあったのであろうかと、私はおどろいた。普通の東京住いの市民などは見たことないような桜花爛漫の美を眺めたが、点景人物として映されている日本の女はどれも皆特別仕立ての日本髷と、特別仕立てに誇張された歩きぶりとである。花の中なる花の姿で全篇が終っている。私は身なりよい人々の間にはさまってそれを眺めながら、何か心の中に呻きを感じたのであった。
〔一九三六年十二月〕
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2005年12月24日
近頃、『新青年』『婦人画報』その他沢山の雑誌が
男のエティケットについて書くことが流行している。そして、実際に、或る種の若い男のひとびとのいつしか身につけている自然な物馴れは、社交性のいやみと違った一つの新時代の社会性として現れて来ている。
私は、ひそかにこの男の、エティケットについて、或る意味での既成社交的への馴致(じゅんち)の傾向について、少なからず歴史的興味を抱いて観察している者の一人である。何故なら大戦の経験後、今日の、ブルジョア・ヨーロッパの文化は、女に対する男の騎士道の礼儀を単に一つの、それが単なるしきたりであると男女相互の間に十分理解されつくしているところのしきたりとしての形骸をとどめているに過ぎないのであるから。ヨーロッパ文化は、一方で、トルストイやストリンドベリーのように、そういう甘たるい客間のしきたりに頑固に反撥した人々をもち、今日では、本質の異った社会連帯によって女の性を保護することが客間のエティケット以上の重要事であることを理解し、その実現に努力しているソヴェトのような実例が出現して来ている。他の一方には、しきたりはしきたりとして、他に愛人をもっている妻が毒々しい恨を心臓にかくしながら、これ又自分を裏切っている良人に腕を扶けられつつ、音楽の裡に入って行くような光景がくりかえされている。
日本の女がヨーロッパ風のエティケットに何か新鮮なものを感じたり、外国の男にわけもなくひきつけられたりするところは、とりもなおさずヨーロッパの常套性(マンネリズム)がまだおくれて東洋に感情の市場をもっているということになるのである。
そのように観て来て、私は日本の一般の若い女が、いつ、欧風エティケットの表面性を破っての男の節度の美、献身の美を理解し、それを求め、それらが生れるに可能な社会の条件をこしらえてゆくために努力しなければならないのはつまりは女自身であることを知るであろうと、遙かな暁空を眺めるような心持になるのである。
私は、ひそかにこの男の、エティケットについて、或る意味での既成社交的への馴致(じゅんち)の傾向について、少なからず歴史的興味を抱いて観察している者の一人である。何故なら大戦の経験後、今日の、ブルジョア・ヨーロッパの文化は、女に対する男の騎士道の礼儀を単に一つの、それが単なるしきたりであると男女相互の間に十分理解されつくしているところのしきたりとしての形骸をとどめているに過ぎないのであるから。ヨーロッパ文化は、一方で、トルストイやストリンドベリーのように、そういう甘たるい客間のしきたりに頑固に反撥した人々をもち、今日では、本質の異った社会連帯によって女の性を保護することが客間のエティケット以上の重要事であることを理解し、その実現に努力しているソヴェトのような実例が出現して来ている。他の一方には、しきたりはしきたりとして、他に愛人をもっている妻が毒々しい恨を心臓にかくしながら、これ又自分を裏切っている良人に腕を扶けられつつ、音楽の裡に入って行くような光景がくりかえされている。
日本の女がヨーロッパ風のエティケットに何か新鮮なものを感じたり、外国の男にわけもなくひきつけられたりするところは、とりもなおさずヨーロッパの常套性(マンネリズム)がまだおくれて東洋に感情の市場をもっているということになるのである。
そのように観て来て、私は日本の一般の若い女が、いつ、欧風エティケットの表面性を破っての男の節度の美、献身の美を理解し、それを求め、それらが生れるに可能な社会の条件をこしらえてゆくために努力しなければならないのはつまりは女自身であることを知るであろうと、遙かな暁空を眺めるような心持になるのである。
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2005年12月23日
やはり、オリンピックに関してであるが
女学生のサインを求める傾向について、要路お歴々の座談記事がのったことがあった。オリンピックで東京へ来た各国選手にのぼせて、サインを強要したり、恋愛事件をおこしたりしては国の恥であるから、そういう怪(け)しからん娘は断然取締るべしという方針に立っての談話なのであった。けれども、恥の考えようもおのずから深浅ありと云おうか。私共には、前司法大臣が破廉恥罪で下獄すると報道されている同日の新聞に、前鉄相が五万円の収賄で召喚されることを読む方が、恥といえば何か恥に近いものがあると感じられるのである。
外国人の男に対して、日本の女が概して無防禦であり、惚れっぽいということについて、私は自分が女という点もあり、日本の女の生活にある様々の問題がその原因をなしていることがわかる。よく、日本の女は一寸した親切にもほだされるといわれているが、女に対する劬(いたわ)りというものが、欠けている日本の習俗の中では、外国人の男のそういう礼の表面的な、或る場合偽善的な謂わば折りかがみさえ、感情の上に何かの甘味を落すのであろう。
映画や音楽で、今日の日本の女はそういうエティケットの世界を架空的に自身の空想の中に吸収している。身ぶりの端々にときめく心を目ざまされている。それでいて、日常の現実の間では、誰も彼もがヨーロッパ風の躾をもった青年を自身のまわりに持っているのではないから、一旦、将に生きて体臭をはなって、映画の中にあるように自動車ののり降りに軽く肱を支えてくれる碧眼の男があらわれると、気分が先ず空想の世界へとび入ってしまい、素朴に日本の女の本質的には至って古風な受動性の変形である恍惚境にとけ込んで、計らざる結果になるのではないだろうか。
日本の女の今日の感情の特質は、「夢見る唇」で、ベルクナアが示したような表面の技法で、内実は父権制のもとにある家庭の娘、戸主万能制のもとにある妻、母の、つながれた女の昔ながらの傷心が物を云っているところにある。女の過ちの実に多くが、感情の飢餓から生じている。その点にふれて見れば、女の悲しみに国境なしとさえいえる有様である。
外国人の男に対して、日本の女が概して無防禦であり、惚れっぽいということについて、私は自分が女という点もあり、日本の女の生活にある様々の問題がその原因をなしていることがわかる。よく、日本の女は一寸した親切にもほだされるといわれているが、女に対する劬(いたわ)りというものが、欠けている日本の習俗の中では、外国人の男のそういう礼の表面的な、或る場合偽善的な謂わば折りかがみさえ、感情の上に何かの甘味を落すのであろう。
映画や音楽で、今日の日本の女はそういうエティケットの世界を架空的に自身の空想の中に吸収している。身ぶりの端々にときめく心を目ざまされている。それでいて、日常の現実の間では、誰も彼もがヨーロッパ風の躾をもった青年を自身のまわりに持っているのではないから、一旦、将に生きて体臭をはなって、映画の中にあるように自動車ののり降りに軽く肱を支えてくれる碧眼の男があらわれると、気分が先ず空想の世界へとび入ってしまい、素朴に日本の女の本質的には至って古風な受動性の変形である恍惚境にとけ込んで、計らざる結果になるのではないだろうか。
日本の女の今日の感情の特質は、「夢見る唇」で、ベルクナアが示したような表面の技法で、内実は父権制のもとにある家庭の娘、戸主万能制のもとにある妻、母の、つながれた女の昔ながらの傷心が物を云っているところにある。女の過ちの実に多くが、感情の飢餓から生じている。その点にふれて見れば、女の悲しみに国境なしとさえいえる有様である。
nagoyafuzoku1 at 07:40|Permalink
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