2008年06月11日

2000年6月。

毎年6月になると思い出すことがある。
2000年6月、僕は東京で生活を始めた。名古屋で生まれ、6歳のときに神奈川県で暮らしたことはあるが、大人になってから名古屋以外の土地で暮らすことは初めて。
この前の年くらいから、あいがもさんのサイトを見て、家や職場から遠いラーメン屋さんに行くようになったが、支那そばや大黒屋や万楽などへに行くくらいで、ラーメン・フリークというにはほど遠い。00年の春だったかな、書店でたまたま手にしたTRY本。一柳さんや大崎さん、石神さん、大村さん、西山さんたちテレビで見たことがある、ラーメンフリークが星をつけるという東京1週間のムック本だった。そこには、今まで食べたことがないビジュアルのラーメンがずらり。どれも食べてみたいラーメンだった。

東京ドームで開催されたヒクソンVS船木戦とセットで、初めてラーメン遠征をした。遠征1軒目に行った店は青葉@中野だったが、改装中で店は開いていなかった。いきなり振られることに。青葉の近くにあって名前は知っていた山頭火@中野が1軒目となる。順番は覚えていないが、ほかに行った店は、がんこ総本家@高田馬場、神名備@西日暮里、竈@大久保、勇@新橋、武蔵@青山一丁目、桃源@綱島、くじら軒@センター北。今までどの店も始めての味で美味しく、驚いたというかたまげた。それからすぐ、東京の会社からオファーがあり、以前から東京で仕事をしてみたいと思ったことと、美味いラーメンが日常的に食べることができるのだったらと、東京で仕事をすることを決める。あわてて上京するつもりはなかったが、1日も早くと言われ6月から東京で仕事をすることになる。ちょうどそのとき発売されたIXYデジタルの1号機を購入。デジカメとラーメン本を持って、ラーメン屋さんに行くという仕事とは別な生活が、2000年6月から始まった。

青葉のつけ麺に感動し、東池袋大勝軒でつけ麺(盛りそば)にはまる。上京していなかったら、つけ麺にはまるのは、もっと後になっていたと思う。それから、がんこや神名備、くじら軒、雷文、中村屋、本丸亭など透明スープで塩ラーメンを出す店にもはまったなあ。二郎のラーメンにはひっくり返るくらい驚き、でもその当時は洗練された二郎系のぽっぽっ屋が一番食べやすかった。

それから、名古屋で数ヶ月途中下車をして、02年12月から大阪で仕事をすることになる。その頃の関西はラーメン界が大きく変化するときで、食べ歩きをしていて楽しかった。庄司氏の影響か、自家製麺の店が増えはじめ、関西でも美味しいつけ麺が食べられるようになっていった。透明スープの塩ラーメンはこの頃も好きで、神戸板宿の三醤屋(閉店)には、尼崎の花星、虎一番とセットでよく食べに行った。ほかにも、弥七が東京から移転してきたり、カドヤ食堂やきんせいが食材や麺を追求していったり、庄司氏が麺哲を開業し創作麺を提供したり、「奈良の奇跡」と思った無鉄砲が大阪に進出するなど、大阪のラーメンシーンは大きく変わった。京都は、ぱこぱこやしゃかりきという今までの京都ラーメンとは違う店が開店したりと、関西のラーメン界はめまぐるしく変化し進化していった。

そして05年9月、名古屋に帰ってくることに。大阪にいたときから、白水からら・けいこへという流れは気になっていて、何度か食べに行った。僕が名古屋に引っ越すちょっと前に開店し注目していた、呵呵、翠蓮、ぎんや、晴レル屋、ぶっこ麺、白神、中村屋・・・。それよりも前に営業していた、臺大、喜多楽、ありがた屋(旧黒船)・・・。そうした店が東海のラーメン界をどんどんおもしろくしてくれ、それぞれの店がレギュラーメニューの味を向上させるだけでなく、どうしても食べたいと思わせる限定メニューを提供してくれた。

東京、大阪、名古屋。それぞれの土地で、ときには遠征をして、何度も感動のラーメンと出会った。心からラーメンを好きになってよかったと思う。作る人によってこんなに違う食べ物は、ラーメン以外にないと思う。

2000年6月から8年。このブログを始める前は何杯食べたか正確にカウントしていないが、食べたラーメンはかなりアバウトだが3,000杯以上4.000杯未満。で、緻密にリサーチして美味しいラーメンしか食べたくないと思う、美味いラーメン限定フリークなので、地雷体験は10店以下だったかな。

ラーメン以外の趣味の演劇鑑賞や格闘技観戦と違い、いつでも楽しめるラーメン食べ歩きは、喜びや驚き、楽しさ、そして大きな満足を日々与えてくれた。

nagoyanshiki at 21:01│Comments(0)TrackBack(0) このブログのこと、僕のこと 

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