鉄道写真家 岩堀春夫のblog

鉄道写真を撮り続けて50年。懐かしい写真から最新の話題までをお楽しみ下さい。

能勢千里紀行q6   二週続けて能勢電に行くことにした。今日の天気は迷走し、結局は朝から晴れるかと思ったが、そうはいかなかった。

 直前にネット情報で能勢電ネタ二つあり、撮れる時に撮ろうと思った。正確には一つで、も一つは地元苦楽園口のアジサイである。これも一気に片付けるかと思ったが、時間が惜しい。先送りしてアジサイが枯れてしまわないか心配である。

 能勢電は行けば案外晴れているかという楽観だが、宝塚線ではどんより曇っていた。十三から飛び乗ったのは準急雲雀行きだった。曽根から各駅停車になる。平日は二本だけ走る。能勢電で下車するなら川西能勢口でマクドナルドへ行くことになる。しかし、まずは直行しようと能勢電ホームに行くと、なんと運の悪いことに妙見口行き5100が止まっている。これだと妙見口でずっと待ってないといけない。

 それなら先にマクドナルドへ行くことにした。しかしまだ朝マックの時間である。できるなら食べたくないが仕方ない。食後に駅の北側を撮影。

 日生中央行き1700に乗ったが、次の妙見の行きも5100のようだ。更に山下からの二連は青ツートンだった。1週間でメンバー総入替のようだ。

 妙見口の天候は曇りだが、たまに薄日もさす。ここで5100系が2本と青ツートンを撮る。ここはロス無しである。MJKのモーターカーも撮れてしまった。

 それからときわ台に行き川西能勢口行き進入を撮るが、あまり良くない。それなら光風台へ移動する。微妙に晴れていて、条件が悪い。本来ならこの時間にマクドへ行くべきだった。

 それでもここで外に出て、橋の上から撮影。以前より木が伸びすぎて電車は顔しか見えない。光線は薄日でちょうどいい感じである。青ツートンの方が目立っている。
能勢5124 、光風台q6343
トンネルから出てきた50形復刻塗装。緑の中では明るい色が目立つ。

 

 更に山下等で撮影も考えたが、晴れても日が高いし、最初から曇りの日に撮り直そうと思った。しかし、きっちり曇ってくれる日も割と少ないのである。

 次は箕面線へ行く。牧落駅で順光になるが、ここも日が高い。5100系を記録しておく。支線の電車も少しずつ変化している。

 次は千里線かな。十三では思い出して散髪に行く。それから地下道を撮り、更にトイレに行き、時間調整する。なぜか宝塚線ホームに阪急の腕章のカメラマンがいる。

 それよりも京都線の古都が梅田に向かって行った。こちらはあまり撮っていない。できれば順光サイドから撮りたい。ちょうど宝塚線普通が来たので中津駅ホームから撮ることにした。

  次に崇禅寺駅ホームから高架工事を撮影する。もうしっかり曇っている。それから下新庄駅も撮る。吹田側で線路付け替え、淡路寄りの高架はまだよく理解出来ない。せっかく乗ったのだから、終点の北千里駅まで行く。ここでは思うような写真も撮れずに、同じ電車で戻ることになる。

 まだ早かったので西宮北口で降りて今津北線を撮影。宝塚記念のヘッドマーク付きを期待したが、4本待っても来なかった。3000系はまだ今津線と伊丹線で走っています。これも撮るなら今のうちです。

 今日の天気は日が射してもすっきり晴れなかった。それでもあまり影響のない写真を撮っていた。

聞けば山陽電鉄にも話題があるし、阪神の新色はもっと撮りたいしだが、これは青空のきれいな時に撮りたい。京阪特急もいつまでも先延ばしできないな。近鉄特急もまだまだ撮りたいし。南海高野線の俯瞰ポイントも行きたい。関西私鉄だけでネタは尽きない。

北海道の旅1975-12その9 日本で最後の本線蒸機貨物列車が走った翌朝は紅葉山の宿から沼ノ沢に向かった。ここでDD51や北炭真谷地のD1002を撮り、そこから夕鉄バスで真谷地へ向かった。ここには元夕張鉄道の24号がいる。しかし、庫内にいて写真は撮れなかった。ラッセル車や客車の廃車体が撮れた。しかし、真谷地にはその後何度もお邪魔することになった。

7516707 DD511075沼ノ沢
無煙化初日の沼ノ沢はDD51がひしめいていた。バックに北炭新鉱ができていた。近代的な炭鉱設備で北炭の再生を期待されたが、不幸な事故により解体されてしまった。



7516709 真谷地DD1002沼ノ沢
真谷地のDLは元夕張鉄道のD1002である。バックに見える鉄道事務所にはその後何度も訪れることになるが、その時に北炭新鉱は無くなっていた。


7516713 北炭真谷地キ1
真谷地では古いラッセル車が撮れた。そのバックに客車も見える。24号は庫内にいた。

7516723 北炭真谷地廃車PC
北炭真谷地では客車輸送もあって8100型が牽いていたが、その客車も残されていた。


7516720 夕鉄バス真谷地
真谷地へは夕鉄バスで行く。わずかな折返し時間に撮影した。若菜は北炭の貨物駅があり北炭化成の工場があった。タイヤの小石は取っておいた方がいい。


 それからヤマを降りて、追分機関区に行った。ここにもSLファンが何人も集まっていた。入換え用のキューロクが残っていたし、さらに本線用もピンチヒッターでD511086が有火でスタンバイしていた。さらに、雪を被った休車体の移動もやっていた。7516811 追分D51733
D51733はまだ車籍があった。翌年の3/10に廃車。


7516822 追分リールEL
三相交流ELが無火機の移動をサポート。これを撮ったのは最初で最後になる。


7516909 廃車9600型追分
こんなキューロクもいたのか。給水温め器がボイラ上に付いている。
7516913 D511086追分
D51はまだ本線のピンチヒッターで有火を保っていた。走るD51を見るのはこれが最後。その後動態保存機を上越線で見る。

7517021 追分39679
キューロクのクロスヘッドを超広角で撮る。冬期の蒸機は凍結防止のスチームがあちこちで漏れていて、これも絵になる。


 次のお別れは追分の入換え作業で、これも営業運転になる。翌年の32日にはまたたくさんの人と再会することになる。そして、これからはまた専用線のスイッチャー撮影に頭を切り替えて、次の目的地へ向かう事になった。

北海道の旅1975-12その8 死の宣告を受けた恋人を追って、夕張線を撮り続けた。見えている間はシャッターを押し続けた。フイルムはいくら使っても良かった。これが最後だからケチる事もない。NHKのゆく年くる年は録画だったのも知った。たくさんのファンと話しをした。みんな熱心だった。ずっとSLを追い続けてきたのだった。

 新夕張〜夕張間は20193月に廃止される予定である。また死の宣告を受けてしまった。悔いのないようにSDカードを使いたい。
7516228 D51465
どこで撮ったかわからない写真もあった。以前ならこんな撮り方していたらフイルムが足りなくなったが、そんな事を考えることはなかった。


7516003 紅葉山十三里線路
紅葉山の手前では道路が川の対岸になる。山が迫っていて、道路を通す余裕がなかった。石勝線はここをトンネルで抜ける。その新線から夕張線を見る。


7516004 紅葉山十三里線路
こちらが石勝線だが、すでに線路も敷いてある。開通したのはいつだったかな。


7516018 D511086滝ノ上
戦時型D51を後部から撮る。


7516110 D51603十三里
瀑煙が右に流れてしまった。


7516127 DD511168十三里
新車のDD51も時々走っていた。


7516205 D51沼ノ沢
最終日の朝一番はやはりここで撮る。


7516221 D51465沼ノ沢
朝もやの中、逆光でも撮った。


7516319 D51603滝ノ上
補助灯はライト入っているのかな。


7516330 セキ3000滝ノ上
去り行く姿も撮り続けた。


7516423 D51241紅葉山
夕張へ向かうD51241。レールを跨いではいけない。


7516524 紅葉山
紅葉山で見送ったのは70人くらいかな。手持ちで撮った最後の本線SLだった。


7516624 夕張D51241
 夕張のクリスマスはラストナイト。生涯忘れられない夜になった。

北海道の旅1975-12その7 後2日で本線運用からSLが全廃になる。その歴史鉄瞬間を記録しようと全国から熱心なSLファンが集まっていた。コンデジやスマホは一人もいなかった。カメラの装備も気を配っていた。露出の決定も反射と入射両方を使った。フイルムも最後だから悔いの残らないような使い方だった。ピントを合わすとセロテープで固定した。夕張線にはすばらしい撮影ポイントが多く、それらを出来るだけ回った。そして、最後の列車は1224日の夕張駅を夜19時頃に発車する。それまでに撮れるだけ撮ろうと、光線の向きとカーブの方向を考えて移動した。場違いな低レベルのカメラマンがいないのは良かった。最後のSL旅客列車は妨害行為で遅延したが、夕張線は正常に動いていた。みんな真剣だった。これまでに培ってきた撮影技術をこの日に発揮した。最後のSL列車は、何の飾りも付けずに静かに暗闇に消えていった。
7516014 D511086滝ノ上
D511086は最後の10年を北海道で過ごした。滝川にいて、直前に追分所属となった。煙が反対側に流れてしまった。


7576913 D51603清水沢
D51603 積車を牽いて発車。これって夕張の方へ出ていっている気がするけど、そうじゃないかな。


7576914 DD511154十三里
SL撮ってていも、赤いDD51重連の石炭列車も走っていた。DD511154も新車で、これらが無煙化に貢献した。沿線では罵声が飛び交う。


7576915 D51603滝ノ上
D51603が空車を牽いてヤマに向かう。この場所はいい場所だが便利な所で、JRの特急もここで何度も撮っている。列車の後は道路だけど、ほとんどわからない。


7577001 D51465十三里
D51465は名寄から来た。十三里にも撮影地があったが、駅が使えなくなると不便になる。


7577002 D51241十三里
わずかな側面の日射を使ってフレーミング。最後の列車を牽く追分生え抜きのD51241が登場した。ギーセルエジェクターから白煙をたなびかせて通過。


7577006 D51241紅葉山
D51241は紅葉山で長い停車時間があった。歩いて追いつき、夕刻の発車シーンを撮影する。あちこちに散らばっていたファンもここに集まった。


7577013 D51241夕張
 クリスマスのラストナイト。19:10発6788レを牽くD51241が休んでいた。我が鉄道写真人生のハイライトとなった。この思い出を抱いて生きていく。

北海道の旅1975-12その6 急行「ちとせ」に乗っていると途中の駅でSL撮影の一団が乗ってきた。その中の一人は私の先輩のO氏の御学友のTさんだった。それまで何度も会っていたが、話した事はないという関係である。しかし、連日最後のSLを追っているという話しで、私も誘われてしまった。SLの本線列車は夕張線の貨物が最後で、撮影できるのは後2日ということである。私がSLを撮った最後は19747月の幡生と直方付近で、それ以来ずっと遠ざかっていた。

 漏れ伝え聞いていた北海道の最後のSLはあまりいい話しでもなかったし、情報も入ってこなかったので、もっぱらの関心は内燃機関車に限っていた。しかし、話しを聞くとかなりSLも面白そうで、ご一緒させていただくことにした。

 運命の出会いがなければ、北海道で何両かの珍しいスイッチャーが撮れても、本線用SL最後の活躍は知らないでいたかもしれない。

 その日の翌朝は早朝から夕張線の沼ノ沢にいた。そして、感動的な最後の2日間を過ごすことになったのだった。

 ちなみに北端真谷地や三菱大夕張にはDLが使われていたし、夕張線の石炭列車も一部はDD51の運用があった。SLファンには嫌われ者だったが、それらも私は真剣に撮影している。
7515720 D51沼ノ沢
1年半もSL撮影のブランクがあったが、いきなりこれではな。それまで知っていたSLとは別物のように見えてしまった。待つ間に初めてダイヤモンドダストを体験した。


7515732 D51沼ノ沢
もう最後だから後追い写真も撮りまくる。前方に沼ノ沢駅が見える。


7515811 D51603沼ノ沢
駅に戻りさっきの機関車を撮影。D51603は長らく北陸地方で使われていたが、1964年頃に滝川に転属し、北海道の釜となった。1975-10/3には苗穂工場でSL最後の修繕入場となった。その後、12/6に追分区に移って最後の本線SLとして使われた。機関庫火災で損傷があったが、頭部が嵯峨駅前で展示されている。


7515812 北炭沼ノ沢DL
沼ノ沢には北炭新鉱ができていて、これも新しい。しかし、その後大きな事故があり、この施設も無くなってしまった。入換え用の日立機はその後真谷地便入換えで撮影している。夕張線は石勝線の開通と北炭の事故でダブルパンチを食らうことになる。


7515815 三菱大夕張DL-55
清水沢に移動すると三菱大夕張のDD13タイプが撮れた。これが撮れて喜んでるのは私一人だった。


7515821 三菱鉱業バス
駅前でバスも撮る。駅前商店もその後はゴーストタウンになっていた。


7515826 D51603清水沢
止まっている汽車も時々は蒸気に包まれて勇ましい。撮れるものは何でも撮っておく。


7515918 D51603清水沢
発車シーンは真横から撮影。この機は解放キャブである。


7515903 DD511144清水沢
DD511144が走っていた。1975-7新製で、これで無煙化が進んだ。回りのファンには憎悪の的であるが、ちゃんと撮っている。廃車は1976-8/4。不運の機関車であった。


7515926 DD511168紅葉山
 紅葉山に戻るとまたDD511168が撮れた。バックに新線ができている。ホームに止まっているのはキハ22で、これがどこでも走っていた。

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