鉄道写真家 岩堀春夫のblog

鉄道写真を撮り続けて50年。懐かしい写真から最新の話題までをお楽しみ下さい。

2018年06月

御茶ノ水駅工事について すでに数年前から記録を続けているが、地盤強化工事から始まり、ホーム上に人工地盤も出来上がっている。今後は聖橋口改札口を人工地盤上に設け、現駅舎と跨線橋部分を解体して、さらに工事を進めることになる。エレベータも今年度中に完成し、バリアフリーになる。といってもホームの幅は変えようがないようである。完成は東京オリンピックを目指している。
9御茶ノ水 r6000
御茶ノ水駅の工事はかなり進んでいる。クレーンの向こうにエレベーターや仮駅舎が出来ると思う。


9御茶ノ水 r6983
仮駅舎ができたら聖橋口や跨線橋を撤去して人工地盤を手前に伸ばす。

 

飯田橋駅工事 同じく2020年を目指しているのが飯田橋駅改良工事もある。飯田橋駅といえば東京の人にはあまり関係ないが東京国際ユースホステルの最寄り駅でよく行った。高層ビルにあるユースで大浴場が気持ちよかった。その後ユースホステルからは脱退したが、鉄道写真の協会がレールマンに移ってからはよく行ったものである。飯田橋には貨物駅があり紙輸送をやっていたが、こちらの事情は知らない。それが廃止されたのは1997年のようでホームからDE10の入換えが撮れたようである。東京へ行って飯田橋でDE10を撮ろうという気にはならなかった。
飯田町駅の新宿寄りに牛込駅があり、旧飯田橋駅が貨物駅の方にあった。それを統合して現在の飯田橋駅があるのだが、カーブしていてホームとの間に隙間ができる。それを改良するのに牛込駅寄りに移動させる。その為に今は水道橋よりへ少し移設した仮ホームを使っている。
9飯田橋 r6057
飯田橋の新ホーム。こちらに牛込駅があったのか。線路は掘り下げるようである。その前に発掘調査やらないのかな。
 

 この辺りに急勾配があるとかで緩和するのに掘り下げが必要。しかも、地下には江戸城外堀の遺構があり、それを傷つけずに工事する必要がある。

 この辺りの鉄道は歴史があり、駅の構造物も古い。さらに線路の配線も複雑で快速線もスピードが出せず、所要時間も変わらない。私がこの区間に乗り始めた昭和40年代でもかなり古臭く感じたが、その頃から近代化工事をしておけば良かったのに、今頃になって駅だけ工事してもあまり意味がないように思う。とにかくオリンピックにバリアフリー化をめざしている。
水道橋 3r6070
水道橋のレール建造物。始めて見た時からレトロ感があったが、むしろ永久保存になっている。

 

 私は海外の鉄道も少しは知っているが、事故が起きても経路を変更して列車を出来るだけ走らす体制ができている。しかし、今の東京は乗入れ区間が増えているが、遠くの事故が広域のダイヤ混乱に繋がっているようだ。

 もう走っていないがブルートレインのような列車は京浜東北線に走らせてでも運転を確保する。また、目的地までいけなくても、その近くの駅まで行って、そこで運転を打ち切るようなこともある。マドリッドでは始発駅で列車が反対向けに発車したのには驚いた。

 東京の鉄道路線も常に変化している。あんなに込み入った所でよく工事できるなと思うこともある。いまなら品川付近で新駅を作っているし、渋谷も変わりつつあるようだ。
E231-500 ,市ケ谷r6025
関西人には電車の形式がよくわからない。左は山手線を走っていた電車なのか。209-500なんかどうなったのかな。ホーム検知センサーが付いている。


E233 ,市ケ谷r6043
市ケ谷駅ホームから撮った中央特快。しかし、グリーン車が付くのはオリンピックの後で、しかも東京寄りだからここでは撮れない。千駄ヶ谷がいいのかな。


E231-500 ,秋葉原r6093
移動中も撮っている。秋葉原は撮れなかったが、その手前で撮れていた。

 

 東京の電車もかなり新形式に移行していて関西人の私にはまだほとんど撮れていない。さらにE231 系等も他の線区で活躍しているようで塗装変更やバリエーションが増えている。できるだけ付いていこうと図鑑を買ったりしているが、それにも載っていないのがあるようだ。

 それに引換え、関西ではようやくおおさか東線の新大阪乗入れが迫っている。それでどれだけ便利になるのかは出来てみないとわからない。私の持論は京都と神戸から関空への短絡ルートだが、そんな話しは全く聞こえてこないから、これから始めても100年かかるかも知れない。
ときわ 、有楽町r6125
新幹線に乗る直前まで撮れるのが有楽町駅のホーム。常磐線の「ときわ」657系も撮れるようになった。ここはバックを新幹線が通るから、並びが撮れないかと何度でも狙いたい。
 

 

 以前の話題で海上コンテナの鉄道輸送について、少し調べてみた。コンテナ船で海外から到着するコンテナを鉄道で輸送する試みは1967年ごろから始まっている。最初は横浜の本牧や神戸港など限られた港湾で、使用する貨車も荷役機械もまだ充分に整っていなかったようである。輸送実績は1971年がピークで、以後は減少傾向にあった。私の撮った1976年の摩耶埠頭でも運転本数や両数は僅かなものであったと思われる。その翌年には神戸港駅でコキ1005を空車で撮影している。これが積車で撮っていたら値打ちがあるのになと思う。当時は貨車を撮ること自体が非常に少なかった。

 JR貨物になってからは1989年に海上コンテナ輸送を再開し、トップリフターやリーチスタッカーといった荷役機械も普及して輸送量を増やしている。

 

東京出張r6   ちょっと早いが夏休み前に在庫を揃えたいし、撤収したい商品もある。

それにしても蒸し暑い。駅に行く途中で小雨が降り出し、小走りになる。余計汗かくではないか。それでも衣笠医院はまだあるのを確認する。いつも綺麗でモダンな建物である。

 新大阪で新幹線の改札手前で、切符が見つからない。もしや大阪で取り忘れか?  よく調べたら上から5枚目くらいに入れていた。弁当買って新大阪始発「のぞみ」に乗る。3号車は割りと混んでいたが、1号車はかなり空いていた。やはり片方に逃げ場の無いのは敬遠されるのかもしれない。
阪急9下新庄 r6944
今回の車窓写真はこれだけだった。なかなか変化が少ない気がする。

 

鳥飼で凸型MC重連は止まっていなかった。その後でタイ人風女性団体がゾロゾロ入ってきた。彼らは京都で降りたが、乗車が始まってから席を立つ。

 西谷は晴れていたが撮らず。すると線路が敷いてあり、撮れば良かったと思った。

  東京に着いて御茶ノ水へ行く。こちらも曇りがいいが、きっちり晴れている。工事は進んでいて、ホーム上の人工地盤ができている。しかし光線状態は悪い。むしろ丸ノ内線がいいのかと反対側へ行くが、こちらもベストではない。

  駅の南側にビルが並んでいるが、その一部が解体されていた。そこに仮駅舎ができたら跨線橋が潰されると思う。それから西側からも撮影する。

   仕事は早く終わり、次は市ケ谷へ行く。と言ってもホームから撮影する。ここなら中央線が撮れるが、後ろまで入らない。二階グリーン車が付く前に撮っておきたかった。

   それから秋葉原へ行くが、ここはビルの影で撮れない。夏だからもしやと思ったがそんなに甘くない。

  次は有楽町だが、こちらはギンギンに晴れていた。しかし、前にも撮っているし、新鮮味はない。次に何か撮れる場所を考えたい。

  帰りの「のぞみ」は混んでいた。新横浜で自由席はほぼ満席だった。何事も起こらずに走ってほしい。予定通りに帰ってきた。さらに夕方の夙川駅でも撮りたい物があったのだが、それが来なかった。かなり疲れて帰宅した。汗びっしょりだった。

東灘から摩耶埠頭へ    東灘は東海道本線から神戸港への分岐点であり、かつては鷹取機関区の支区があったりした。私の古い記憶には8620型の残像が全く消えてしまっている。しかし、その後のDD13が北側の側線東部にいたのは覚えている。その写真は撮っていないのだが。
7617327 東灘DD13
東灘から神戸港へ向かう下り貨物列車。左の上り線は本線の下をくぐる。ここをかつてはボートトレインも走った。


7617330 EF6052東灘
どこから撮ったのかよくわからないがEF60牽引の下り本線貨物かな。
 

  それで、今回初めて東灘貨物駅を撮影したのだが、ほんの一部分だけだった。この時は車で行ったようで、次は摩耶埠頭へ行った。こちらはDD13が入っていたはずだが、終点で移動機だけ撮っている。この貨物線は起点が神戸港駅であり、神戸製鋼の専用線の途中の灘浜埠頭信号場から分岐していた。ここでは神戸製鋼所の事業所間鉄道として特殊な列車が運転されていたが、神戸製鋼所から国鉄への貨車も連絡していた。日高工場へ送る線材を積んだトキ車を撮影している。

  DD13の運転手は日通社員で、自転車を乗せて走っていた。これはWikにも載っていたが、そのネタ元は私のようである。

  摩耶埠頭はコンテナ船が着いて、トレーラーが走り回っていた。貨物駅の横には倉庫があり、タグボートが引く艀がたくさん止まっていたが、そのような荷役はかなり減っていた。鉄道貨物も海上コンテナを運ぶために自走式クレーン(トランスファークレーン)が配置されていた。これはWikを参考に書いている。コンテナをトレーラーに乗せ変えるのにはストラドルキャリアが使われ、それの写真も撮りに行っている。しかし、これはコキに積み替えるのには使えない。それよりも固定式の走行クレーンがあればコキを移動して積み替えることはできる。せっかく配置されたトランスファークレーンはあまり使われることもなく海上コンテナ輸送は終っている。摩耶埠頭駅は短命の貨物駅だった。
7617333 摩耶埠頭移動機-130
摩耶埠頭へ行ったがDD13はいなくて、常駐の10トン移動機を撮った。これは佐藤工業製である。そのバックにトランスファークレーンが見える。


7617334 摩耶埠頭移動機130
短命に終った摩耶埠頭駅。それでも一般貨車がたくさん止まっていた。バックの倉庫の北側にも海があり艀が着く。開業は1972年、廃止は1986年だった。


7617335 摩耶埠頭移動機130
移動機の停止位置にはピットがある。神戸港への橋はまだ出来ていない。


7617402 摩耶埠頭10トン移動機
この時は動車しか興味なかった。専用線を撮り回っていたいた時には10トン移動機は素通りしていたものだが、これからはこういうのもたくさん撮るようになる。


7617403 摩耶埠頭クレーン
これって国鉄車両か。コキはどこにいる。使った事あるのかな。





 

 昨日は珍しいことがありました。薬局で薬が足らなかったのですが、夕方に薬剤師がタクシーに乗って届けにきました。そんな事ってありますか? 今日は東京出張を考えているず、スマホ予報はに変なマークが。風が強いのかな?

国鉄阪急阪神1976-7 いよいよ卒業して就職することになった。そのルートは阪急から今津乗換えで尼崎方面。当分は遠出もできず、週末に近場で撮るしかない。それでも通勤時間にもいろいろ撮影している。従って電車の写真が多くなるが、関西の貨物支線等も撮るようになった。国鉄の入換え機であるDD13DE10、さらに貨車移動機の撮影も増えてくる。

7617314 EF58138NA
久しぶりに地元の鉄道を撮る機会が増える。東海道本線ではすでに前年の新幹線博多開業から在来線は少し寂しくなってしまったが、まだEF58は荷物列車を牽いていた。



7617315 NA103
緩行線は103系の
オンリーになっていた。1976-3に旧型電車は撤退している。103系の冷房化改造もすでに始まっていた。




7617316 EH1050NA
EH10の牽く貨物列車はまだ当分走り続ける。


7617317 EF65133NA
EF65133    東海道山陽本線の主力機となるEF65。ちなみに右のお屋敷は国鉄の宿泊所になっていた。



7617320 EF58162NA
下り荷物列車。昼間の撮影は荷物列車の時間を軸に考えていた。



7617321 阪急805西宮北口
今津線の800形並び。非貫通車もいる。構内踏切は駅員が門をスライドするタイプである。


7617323 阪神7709
阪神電車 甲子園駅の神戸寄り。この部分は後に高架の引上げ線が出来てかなり変化している。夏の朝は北側から日が当り、下り電車が後打ちで撮れた。「うずしお」マーク付きはよく撮ったが神戸港からの連絡船に乗換えるようだが、詳細は不明。切符やポスターがあればいいのになと思う。


7617324 阪神7813
区間急行のヘッドマーク付き。上下でホームの長さが違うのかな。いずれ解明できるだろう。


7617325 夙川駅北側
これは貴重な写真になる。夙川駅前のグリーンタウンが建設中である。開業は翌年の秋になる。線路下の仮通路も見える。



7617326 阪急夙川駅ホーム
ホーム端を撮影。これから神戸港へ行く。


 

 ところで病院のファイルは見つかりました。いつも横に重ねていたのが、縦に並べていました。血液検査に行くだけです。しかし黒革の手帳はまだ見つかりません。

ダイヤ発見 黒いレザーのファイルがどこにあるのかわからない。それで押し入れの上の箱を出してきた。ここには昔集めていた部品とかが入っていた。しかし、めぼしいのはすでに無くなっている。その中に丸めたダイヤが入っていて、それの方が懐かしくなった。

 昔はダイヤ情報なんかなかったので、自分で鉄道管理局に手紙を書いて、送ってもらったりもしていた。それはほんの僅かな期間だった。その後はずっとそんな事はしていない。SLダイヤ情報が出てからは、それも必要なくなった。

 今ならデジカメで深夜に撮ることもできるが、当時のダイヤを見たら鉄道は24時間動いていたのだのだとわかる。それも北海道のローカル線でさえ。そこにすばらしい情景が展開していのに、まったく気にもしていなかった。ちゃんと情報は知っていたし、三脚も持っていたのに。三脚なんてなんで昼間に使って、朝夕に使わなかったのだろう。

 その他、大阪付近の時刻表もあった。広告入りの壁にはる大判のを保存していた。そういえば、食堂の壁に貼ってあったりして、自分の乗る列車をチェックしたものである。今は小さなサイズのしか置いてない。字が小さすぎて年寄りにはとても見られたものではない。

 ところでダイヤというのは大抵A2サイズである。これを旅先に持って行くのは具合悪い。ところが旭川鉄道管理局は縮小版まA3サイズだった。これだとスキャナーするのにも都合良かった。

 以前、写真展に来られた姫路の方の人で、ダイャをたくさん集めているという人がいた。全国のを持っていたらすごい量になるなと思った。

 鉄道の資料としては、車両の配置表・時刻表・ダイヤ・運用表があり、さらに地形図や線路の配線図もある。さらに機関区ではその日の運用表というのがあり、使われている機関車のナンバーがわかる。これがあればいいのだが、機関区の事務所に掲示されているのを撮っておけばよかったと思う。機関車の図面や配置表はまとめた書物やデジタルデータが手に入る。さらに時刻表もあるが、それをどっさりもっている人がいたが、すごい量になる。古い貨物の時刻表は出ていないから、ダイヤがないとわからない。これはスキャナーするのも大変である。インクは薄いので、複写も難しい。

 駅別の時刻表も古いのを見ていると、いろいろと昔を思い出す。これらは自分の地元駅だけでも揃えたらいいなと思う。探せばどこかにあるはずだが、なかなか出てこない。

 
ダイヤ宗谷本線 S47-3
旭川鉄道管理局ではA3サイズのダイヤを送ってきてくれた。これなら携行しやすいし、A4スキャナーでも楽にデジタル化できる。宗谷本線でもかなりの列車が走っていたのだとわかる。


ダイヤS47-3 函館石北線
これがA3ダイヤ。これがあればいろいろなアイデアが。当時は行動力がなかったな。深夜でもスジは混んでいる。


ダイヤ 日南線他 S44
古江線のC11を撮りに行ったのはこれがあったからか。当時の資料がようやく出てきて、謎が解ける。三文字〜東串良には唯一の峠越え区間があるのがわかる。勾配は18.9と13.6である。行くならここしか無い。貨物の時間もわかっていた。



ダイヤ関西本線 他S44
機関車運用の書き込まれたダイヤもあった。上が名古屋で、中段が亀山から柘植の区間になる。



スタフ天鉄奈良線 S47.8
運転手の使うスタフもある。こんなのは車両基地公開の時によく売っていた。奈良線のDE10牽引8632レ。当時はタブレットを使っていたのもわかる。赤い図形が穴の形になる。



スタフ天鉄竜華奈良 8630レ
竜華から奈良のスタフ。こんな資料もある。記録は写真以外にもたくさんある。


大阪駅A2時刻表 S48-10下り列車
大阪駅と新大阪駅り昭和48年時刻表。これは急行と特急で、赤色が特急になる。列車番号にMやDの付いていないのは機関車が牽引する客車列車になる。



大阪駅時刻表 S48-10北陸福知山
北陸線直通の優等列車と福知山線の全列車もわかる。



時刻表 、尼崎1980.10
尼崎駅の時刻表。当時は各停しか止まらない駅だった。朝夕のラッシュ時は快速も止まる。下りは甲子園止りが多い。103系では芦屋まで逃げ切れないから甲子園口で折り返す。西ノ宮駅は一時間に4本しか止まらない。



阪急夙川時刻表 S49-1
阪急夙川駅の時刻表は銀行の広告チラシで新聞に入っていた。大きなサイズの時刻表。当時は日中は普通が10分ヘッドで、ラッシュ時は急行も走る。



それよりも明後日県立病院へ行くのに書類やカード一式が行方不明になっている。最近はいつも何か探している。さっきまであった物もなくなっている。

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