鉄道写真家 岩堀春夫のblog

鉄道写真を撮り続けて50年。懐かしい写真から最新の話題までをお楽しみ下さい。

2019年08月

 今ではかなり有名な撮影地になった加島陸橋。線路の上を伊丹空港から大阪都心に向かう道路に歩道橋があり、そこから撮影できた。近くには阪神高速の加島入口がある。

 高速はここから梅田方面に向かうが、府道は御幣島で国道2号線に当るという。そのルートは後に東西線のルートになり、加島駅ができて便利になったが、初めて行った頃には陸の孤島という感じだった。町工場がたくさんある地域になる。しかし、線路は大阪駅をショートカットする北方貨物線が本線に合流する地点になり、貨物列車を俯瞰撮影できる撮影ポイントだった。当時はEH10の重連を追っていたので、撮影地を増やす為にもここに来ていた。その後わかったことだが、この日は御召し列車が関西に来ていた。そんな情報は全く知らず、何が起っていたかは2ヶ月ぐらいたって鉄道雑誌で知ることになる。特に就職していると、情報はほとんど入ってこなかった。もっとも、学生時代から情報は少なかったのだが。

 目当てのEH10重連は残念ながら先頭がEF65だった。そんなことは時々あった。それ以外にも様々な列車が通過して行った。交通は不便そうだが、十三から神崎大橋ら向かう市バスは利用できたはずである。しかし、塚本駅から歩いて行ったのかもしれない。
7706216 塚本キハ58
加島陸橋からの東海道本線下り気動車急行。時刻表で調べても該当列車はわからなかった。この部分で北方貨物線と合流し、大きなデルタ線を形成している。まだ高層ビルは少なく、うっすらと見える大阪タワーの先が大阪駅になる。


7706219 EH10塚本
山陽新幹線の高い高架はここで大カーブしている。その下をEH10牽引の上り貨物が通過する。


7706220 塚本DD13
DD13の単機回送が吹田へ戻る。尼崎から川西池田にかけてたくさんのDD13が使われていた。回送や区間貨物が走っていた。


7706222 塚本103
103系の下り普通。電車の後部で北方貨物線の分岐が写っている。


7706225 塚本EF65122
EF65122[稲沢一] バックには木造の市営住宅が並んでいる。これが後には高層住宅に建て替えられていた。


7706229 塚本DC
福知山線の凸凹編成が通過する。この列車も様々な場所で撮っている。


7706307 DD51砕石、塚本
DD51の牽くバラスト列車が通過。これも福知山線からだろうか。時間が早いような気がする。


7706309 EF65+EH10塚本
これが目当てだったが、先頭はEF65だった。


7706311 EH1014塚本
次位の機関士は読書している。


7706314 EF6589、塚本
EF6589 この時間帯は下り貨物が連続して通過する。


7706318 EF6641塚本
EF6641牽引の高速貨物。積載率が少ない。このアングルが一番決まっている。新快速は電車線の方を走っている。


7706321 はまかぜ塚本
大阪駅12:10発の鳥取行き「まつかぜ2号」。


7706322 DD51740塚本
鳥取行き725レが「まつかぜ2号」の3分後に通過する。


7706327 EF65尼崎塚本
反対側の歩道橋に移る。北方貨物線が東海道本線と合流する。この部分は信号場となっていてもいい様な気がするが、広い地域がすべて塚本駅の構内として扱われているようである。

 
7706333 EF6560尼崎塚本
上り貨物も撮れた。後に地下に加島駅ができるが、列車の後部あたりになる。当時は線路の右側はほとんどが町工場だったとわかる。


7706402 雷鳥、塚本
塚本駅に戻ってきた。ここで宮原入庫の「雷鳥」を後追い撮影する。左の高架道路が阪神高速の空港線になる。

 
7706404 塚本EF585
EF585[浜松] 鋳物先台車が特徴。上り荷物列車が大阪へ向かう。荷40レだろうか。

 

 近江鉄道からは近江長岡の大阪セメント専用線へ行く。実はその途中でパニックブレーキ。急遽反転して米原駅の手前まで戻っていた。

 近江長岡駅からは伊吹山の方に電化された専用線があり、これは新幹線からも見えていた。ここもお気に入りの専用線で、これまでにも撮影はしている。元々は大阪窯業セメントの専用線で、伊吹工場は昭和27年に創業している。日立・汽車・川崎製の産業形SLが使われていた。昭和36年に電化して日立製の50トンELが使われるようになった。ライオンのマークが描かれていた。その当時は小型SLも需要があり、日立製の101号は東レ石山で使われた。川崎製103は大阪の櫻島埠頭にやってきて、それはなんとか私も撮影できている。汽車製の102号は工場の前に保存されていた。それもセメント工場が無くなったので、2001年に三岐鉄道のウイステリア鉄道公園に移して保存されている。

 大阪セメントはその後1994年に住友セメントと合併し、住友大阪セメントになっている。伊吹工場の専用線は19996月に廃止。2003年にはセメント生産も廃止された。
7706031 米原EH10
大阪セメントに向かう途中でEH10の三重連に遭遇した。これは撮っておきたいと思い、後を追う事になった。


7706034米原EH10
米原で停車していた。先頭はEH1027で下枠交差パンタである。


7706104 EF58112米原
彦根よりの広い所で待つ。短編成の荷物列車がやって来た。


7706106 EF60120米原
さらにEF60牽引の貨物が通過する。


7706111 EH1027米原
やがてEH10の三重連が通過した。先頭以外はパンタを下げているのが残念である。


7706112 EH1035米原
3両目はEH1035だった。


7706114 近江鉄道1214
米原の手前で近江鉄道の電車も撮れた。まだ旧型電車も連結している。


7706116 大阪セメント102保存
汽車製の102号機が工場の入口に保存されいてた。


7706117 大阪セメントEL
電気機関車はいぶき501といぶき502。車庫の人に聞くと、日曜日は運転本数が少なく、朝夕の各1往復。土曜や祝日は平日並みに1時間に1本くらい走るようだ。


7706126 大阪C502伊吹
沿線で単機回送が撮れた。撮影ポイントがわかったので、後日出直すことにする。



 

 余談だが、この一週間後には植樹祭で紀勢本線を御召し列車が走ったという記録がある。そんな事とは全く無関係で何も知らずに過ごしていた。この頃は合理化問題でのストが計画されたりしていた。一枚のキップからというキャンペーンがあったが、盛り上がらなかったようである。

 近江鉄道では昭和37年頃から仙山線で使われていたED14を購入している。これは多賀駅の先にある石灰鉱山からの原石輸送に使われていた。この線の存在についてはほとんど資料がないようである。撮影したのもこの時が最初で最後になっている。その後早くに廃止となり、その跡地は道路になっているので、ここに貨物線の築堤があったとはとても想像できなくなっている。終点付近は当時の面影も残っている。だいたいはセメント工場といえば石灰鉱山のすぐ横にあるもので、原石を鉄道で運ぶのは秩父鉄道や岩手開発鉄道・日本セメント上磯でも行なわれていた。彦根工場の去就についても研究したいと思う。私が通勤で毎日見ていた西ノ宮駅の住友セメントは彦根工場からタキ1900が届いていたが、これがいつまで続いていたのかが問題である。

 同行の先輩は写真部の先輩であり、鉄道知識は私より少ないと思う。しかし、よくここまで一緒に行ってくれたものだと思う。偶然に行ったわりにはホッパーでの作業と途中の築堤を走るシーン等、最低限のカットを記録しているのは立派である。終点の駅名は勝手に多賀鉱山駅と表現させていただく。実際には鉱山はさらに離れていてベルトコンベアで運ばれていた。こちらにもセメント工場があったが、それはすでに無くなっていた。

 キリンビール滋賀工場は1974年創業。この工場は名神高速の多賀SAから見える。貨車が入っていたのを見ているが、そういうのも撮っておけば良かった。

 住友セメントの方は滋賀興産で、1966年4月に合併して住友セメント彦根工場になった。なにかとややこしいのだが、多賀工場19606月に創業である。彦根工場の創業が1933年で昭和セメントからの歴史がある。1994年に廃止されている。しかし、西ノ宮のSSへ発送は1985年が最後である。大体の年号をチェックするといろいろなことがわかってくる。名神高速や新幹線の建設が関係していると考えられる。さらにこの頃は内燃機関車の発展期であり、製造年が創業時期と一致したりしている。

 こういうのは地方私鉄が絡んでくると、私鉄の研究家による発表が見られる。しかし、当時の研究者は電車ファンであり、貨物の事はほとんど無視されていから、当時の状況はよくわからない。さらにセメント業界は製品がメーカーに関係なく流通している。その為の企業連合や合併を繰り返している。他社のタンク車が平気で入線していることもあった。
7706011 近江ED143
行ってみればいきなり重連。アメリカ製ED14がこんな使われ方をしていた。後方に鉱山からのベルトコンベアが見える。ここが住友セメント専用線の末端になる。


7706015 近江ED14多賀


7706016 近江ED14
貨車は2編成並んでいる。どういう配線になっていたのだろうか。


7706017 近江多賀石灰線
貨車は止めておいて、自走式のホッパーが走る。


7706019 近江多賀石灰線
解体中の多賀工場が手前にあった。


7706021 近江ED143
ここで鉱石列車が2編成並ぶ。もう発車しそうなので、撮影地に移動する。


7706026 近江ED14
高台の中学校から彦根行き鉱石列車を撮影。のどかな田園風景をバックに走る。


7706029 近江ED14
大築堤を走って多賀駅に向かう。廃線後は築堤が無くなって広い道路ができている。


7706030 近江ED14
左が多賀大社の森である。その裏側を鉱石列車が通過する。当時の街並も記録していた。


手帳を見るとキリンビール行きの貨物列車が12時頃に多賀駅に到着。そこでキリンビールの滋賀工場へ行ったがDLが見当たらず、駅にもいなかったので、住友セメント専用線の方へ行った。




 

 この日は大学写真部の先輩と車で滋賀県へ行った。近江鉄道を中心に、その他いろいろ撮っている。

 近江鉄道は貨物輸送もさかんにやっていて、電気機関車をたくさん使っていた。さらに大小様々なDLも使われていて、彦根の車庫には様々な車両が並んでいたり、動いていたものである。彦根の構内は東側に道路があり撮り易かったし、お願いすれば構内に入って撮影もできた。

 だから、東京へ行ったり、さらに北海道なんかの行き帰りに寄道したことも何度もある。さらに地元からは日帰りで行き易い距離であり、単独でも行くが、他の知り合いと一緒に行くことも多かった。

 かなりの回数は行っているが、彦根以外にも記録すべき側線等は多数あり、それらの撮影は最低限しか撮っていなかった気がする。後になって後悔の残る部分もあった。例えば住友セメントの彦根工場側もたとえ外部からでも撮っておいたらと考えている。

 当時は近江鉄道以外にも貨物輸送の多い私鉄はいくつかあり、それらも満足には撮影できなかった。全国の貨物側線に興味があったので、範囲が広すぎたようである。
7705907 DE101725彦根
彦根駅の北側に国鉄の貨物ヤードがあり、当時は米原区のDE10が来ていた。この当時は貨物扱いもたくさんあったが、その後徐々に減っていった。


7705909 近江鉄道放置GL彦根
1975年にスクラップ置場で発見した常盤産業のナロー機関車はまだ存在した。さらにスクラップの山に埋っていた。


7705915 近江2彦根
モハ1形のモハ2編成。当時の主力で彦根工場で改造された電車である。貨物輸送が好調で雑多な電車の近代化を進められていた。と聞いている。


7705916 近江ED14彦根
彦根駅の東側に水路と道路があり、そこからも撮影できた。多賀大社の鉱山から石灰列車が到着した。電気機関車はアメリカ製の国鉄払下げである。この日はその後、多賀の鉱山へ行くことになる。


7705926 近江ED4001彦根
ED4001は英国製電機。廃止後は東武鉄道に戻されて保存されている。


7705934近江セキ1彦根
石灰列車のセキ1。これらは廃止後に三重県の国見山鉱山で使われた。


7705935 近江ED143彦根
彦根駅の手前からカーブした専用線があった。これが住友セメント彦根工場の専用線で、到着した石灰列車はこちらに推進で入線する。この石灰輸送は割と早くに廃止され、線路跡が長い間残っていたが、今はなにもわからない。


7706001 近江ED143
荷下しを終えて戻ってくる列車。そのバックに彦根工場の一部が写っている。工場は国道8号線の先にあり、こちらももっと撮っておくべきだった。


7706003 近江ED4001
ED31とED4001の入換え作業。様々な貨車が出入りしていた。石油タンク車は鳥居本に出入りしていた。


7706009 近江ED4001
彦根の構内は何かと撮り易い。キリンビール多賀工場ができてワムの扱いが増えていた。バックの山に石田三成の佐和山城があった。




 

 いよいよ国鉄最後の3ヶ月である。この頃は結構いろいろな仕事があり、あちこち飛び回っていた。北海道にも行っている。ジョイフルトレインの動きも活発になり、各地で国鉄最後というツアーが組まれていたようである。関西にも九州から東北地方まで各地からジョイフルトレインがやってきて、それらの撮影も増えている。さらに新会社へ移行に合わせた新車も登場している。関西ではEF58150を茶色の塗装に戻し、展望車のマイテ492を復活させて、新会社の目玉商品にしている。

 この短い時期にどんな事が起っていたのかは、それぞれの立場によって違っている。赤字路線の廃止もあって、第三セクターの私鉄が誕生もしている。駅の廃止や新設も多かった。余剰となった荷物車等の旅客用転用も進められていた。

 基本的には列車の変化は無いといわわれていたが、多くの地域で民営化の影響を受けることになった。
702433 シュプール583
季節列車のシュプール妙高志賀が神戸〜長野間で1月8日から運転された。神戸到着後の回送列車がいい時間帯に撮影できた。


701824 しらかばNA
長野局のお座敷列車「白樺」は塗装変更で目立っていた。


702525 マイテ
マイテ492が車籍復活し、旧型客車編成の試運転が走った。沿線にはソメイヨシノに似た梅が咲いていた。

8700235 EF66901NA
EF66901牽引のスーパーライナー。パンタは取り替えられている。


8702536 EF65NA
芦屋駅東方の宮川を渡る下り貨物列車。新しい撮影ポイントもできていた。


8702701 EF651064NA
鷹取工場行きの配給列車。芦屋市側の沿線にはマンションがたくさん出来ている。左端には国鉄の宿泊所があり、これは阪神大震災で倒壊した。


8702703 EF6598西ノ宮
西ノ宮駅の東方。住友セメントの側線を入れて撮った上り貨物列車。バックの高架道路は名神高速である。


8703305 シュプール583NA
この年から走り始めた583系のシュプール妙高志賀。


8703306 EF651119海NA
九州からもお座敷列車「海編成」が関西にもやってきた。帯の太いのが特徴である。

 
8703536 EF58150NA
東京のロクイチ(EF5961)人気にあやかって、西日本でもEF58150の塗装を茶色に戻し、レトロ列車を目玉商品にした。国鉄末期のご愛顧感謝臨時列車が運転された。



 

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