鉄道写真家 岩堀春夫のblog

鉄道写真を撮り続けて50年。懐かしい写真から最新の話題までをお楽しみ下さい。

2019年09月

 この日は地元の友人2人と車でドライブして別府鉄道へ行った。しかし、ネガを見ると撮影枚数は少なく、遊び中心のドライブ旅行だったようである。いつもガツガツ撮りまくっている訳ではなく、この様な休日もあった。

 別府鉄道は関西ではかなり魅力的な地方私鉄で、訪問回数は多いが、ちょっと寄道で撮ることもあり、あまり熱心に撮っていなかった。しかし、何度も行くとその都度違う車両が撮れたりしていた。この時は機関区でキハ2の形式写真がカラーで綺麗に撮れていた。さらに車庫の奥には初代のキハ2という二軸の気動車もいて、1カットだけ撮っていたが、それが一番貴重なカットだった。加藤車両の1934年製で別府軽便鉄道時代の車両である。外に止まっていた神中鉄道出身のキハ2が入線したのが1965年で、その頃までは使われていたようである。

 土山線では三菱重工製のDB201が二軸客車を牽いて往復していた。この機関車は自重が28トンもあり、どう考えても地方鉄道には軸重がキツすぎる。専用線向けの注文流れだと聞いたことがある。しかし、良く使われているのは撮っているし、その後、さらに大型のDLも使われていた。その他の機関車は撮っていない。江若から来たDC301は変速機が外されていた。
別府19770508 キハ2
神中鉄道から三岐経由で別府鉄道に来たキハ2はバケットカーで野口線で使われていた。この時はキハ101が主力で、キハ2の出番は減っていた。しかし、野口線はあまり撮っていないし、こちらの記録は少ない。



7708033 別府鉄道キハ2
車庫前で休むキハ2。こちらは機関車が目当てで、気動車に関心は薄かった。勿体ない事である。



7708027 別府鉄道キハ2
何故かこの日は車両が出払っていて、庫内に保管されていた初代のキハ2も撮れた。加藤車両の銘板は付いていたのかな。木製脚立も珍しい。


7708035 別府鉄道DB201
昼食後に土山線の列車を撮りに行った。休日は貨車が少なくて混合列車にならない事も多かった。


7708102 別府鉄道DB201
別府港駅では機回しして土山行きはバック運転になる。

7708104 別府鉄道DB201
貨物がない時はDB201が活躍していた。という訳でもなかった。DD13も使われていたし、翌年には新日鉄から来たDD502も加わっていた。

7771305 別府鉄道DB201
ナンバーで誤摩化しているが実は28トンの重軸重で地方私鉄には似合わない。それでも使いやすかったのか、1984年の廃止時まで使われていた。












 

 今年の夏はかなり成績が良かった。夏らしい写真がたくさん撮れました。青春切符の通用期間が過ぎてからは車で北近畿へ行きました。ここでも快晴で懸案の撮影ポイントを3カ所も制覇できました。そこよりもっと近い展望ポイントをアタックしています。そこではないが、気温が下がったのでウオーキングも始めました。それがアニメの涼宮ハルヒの舞台になった聖地になります。このあたりを歩き回って展望写真を撮る予定です。しかし、これは体力作りから始める必要があります。今はそこまで行くだけで体力を使い果たしてしまいます。

 ようやくDD200の量産が始まりました。今の所、全機撮影しています。鷹取駅で久しぶりにある人と出会うことができました。話す内容は葬式・病気等です。それ以外の人にも会っていますが、今は阪神電車の動きに注目されています。

 ところで、DD200を牽くのはDE10です。私が鉄道写真を撮りだしたのはもう50年以上前だが、初めて福知山線へD51の工臨を撮りに行ったときに生瀬駅で出会ったのはDE10105号機だった。これは当時さかんに作られていて、汽車会社製は福知山線で試運転していた。DE10DD51は量産されていて、その代わりに全国で走っていたSLが次々に廃車されて行った。いよいよDD200が増えてくると、引き替えに無くなっていくのはDE10になる。つまりDE10の生涯はほとんど見ていることになる。

 しばらくは天気予報も好天は期待できないので、休養期間に当てたいと思います。どこか旅行できたらいいのですが、JALのマイルが貯まるのを待っています。
福知山市 、福知山城s9086
この日は京都丹後鉄道の駅撮影に向かったが、あまりにいい天気で予定変更。風景的撮影に切り替えた。福知山城は復元城郭だが、来年は大河ドラマで観光客が増える予定である。この後、土師川橋梁で電車を手前に撮影した。


宮津市 、由良川河口s9220
丹後由良にも行ってきた。冠島も見えている。何度も来ているが、初回は9600形だったな。


DD200002 ,新長田s9928
今追っかけているのはDD200の新製。これは新長田駅ホーム端からである。ベテランのDE10に牽かれて現れた。場所を変えて撮っているが、鷹取駅では近くに止まらない。


阪急8100 、神戸三宮s9084
川重甲種を撮ると、帰りに三ノ宮駅ホームで山陽電車を撮影。6000系が撮れたら当りになる。


朝焼けの大阪遠望 s9111
ここは我家から近いが、歩いて行くとかなりしんどい。朝は車で行くが、何回かチャレンジしたい。大阪駅の付近はもっと右の方で、高層ビルは少ない。ちなみに、この立ち位置の真下を山陽新幹線が走っている。




 

 この年は3月13日に青函トンネルが開通しJR東日本とJR北海道が線路で繋がった。さらに4月10日には瀬戸大橋が開通し、日本の四島が線路で繋がった。直通列車等が運転されることになる。

 さらに北海道ではC623が復活し函館本線を走った。さらに 夏には九州で豊肥線に8620SLが復活したし、年末にはヨーロッパからシベリア・中国経由で走ってきたオリエント急行が運転全国を運転された。その他、ジョイフルトレインや塗装変更車も多数出現した。

 JR西日本では能登線が廃止になり、第三セクターの「のと鉄道」に転換した。この様な赤字ローカル線の廃止はまだJR各社で続けられていた。

 当時の私は北海道から九州まで走り回っていて、その合間に地元の西宮市でも様々な列車を撮っている。実際には芦屋市での撮影も多かったし、光線状態を考慮してその他の区間で撮影する事もあった。
800103 EF6620
JR貨物の機関車は各地各形式で一両ずつ塗装変更機が登場。これらをすべて撮影するのはかなり大変なことだった。


8806826 NAヌマザ
ヌマ座と呼ばれた12系お座敷列車。1982年の登場時は沼津客貨車区に所属。JR東海では名古屋車両区配置で沼津に常駐である。


8806828 EF666NA
EF66牽引の下り貨物。このあたりが西宮市と芦屋市の境界で、南側には新しいマンションができている。


8806933 NA117
阪急夙川駅前のグリーンタウン上階から撮影。東海道本線を新快速が走る。そのバックにあったレストランのクリスボンはすでに解体されている。左遠方に西宮神社の森が見える。


807505 EF6556NA
EF6556[吹田二]牽引の上り貨物。民営化前にEF65の若番が廃車になったが、一時機関車が不足し、車籍復活させて使われたこともあった。


8809921 アストルNA
1988年にキハ65を改造で登場したゴールデンエクスプレスアストル。国鉄末期に登場したゆぅトピア和倉の増備判であり、団体列車や「ゆぅトピア」の代走で雷鳥と併結運転もあった。


809720 サワザNA
金沢鉄道管理局のお座敷列車で1982年に登場している。1987年に
派手な塗装に変更されていた。その後、1993年にリニューアル工事を受けて展望車付きのわくわく団らんになる。


810712 NAほのぼの
ほのぼのSUN-INは米子局のジョイフルトレイン。国鉄で1986年に登場したふれあいSUN-INの補強で1987年に登場した。キハ58系気動車を後藤車両所で改造。和式だが、一部は洋間もある。


8812618 クル144 16NA
クル144 事業用電車は国鉄末期に101系改造で新形式に置き換わっていた。1981年からクモル145+クル144が登場している。旧形国電改造の配給電車に代わって使われていた。その後、工場間の部品輸送はトラック便になり、本線走行はほとんど見られなくなった。


8813119 EF65105YLN NA
名古屋のジョイフル「ユーロライナー」が西下。機関車も専用機で一番目立っていた。1985年に登場した欧風客車で専用の牽引機はDD51やEF64にもあった。


813619 EF65W
この様な重連はいつも走っていて、絶好の被写体になっていた。


8813122 EF651092西ノ宮
西ノ宮駅東方を走る重連貨物。阪急今津線と交差している。線路の北側には深津中学校ができている。西宮市立で1983年に創立。その以前には灘製菓の工場があった。



814412 EF58150

EF58150が牽く播但線経由の帰省臨。国鉄末期に茶色に塗り替えられて、JR西日本の人気機関車になっていた。この機関車の走る沿線にはファンが集まっていたものである。






 

 国鉄から引き継いだ列車を新会社のスタッフで運行していた。合理化はかなり進められて、社員の中にはかなり苦労された方もいたと聞いている。水面下ではJRとしての新企画も進められていて、発足から数ヶ月もたつと、少しずつは変化が見られてた。

 機関車の塗装をかえたり、ジョイフルトレインが増えたりしたが、翌年からは新形式も現れるようになる。
714419 NAなは
六甲山をバックに夙川付近を走る上りの特急「なは」。国鉄時代から引き継いだ九州行きブルートレインは3本だった。その後は個室寝台やラウンジ車等の変化を繰り返しながら2000年以後まで存続した。


715124 YSO
岡山から何度もやってきたゆうゆうサロンは何度も撮影している。阪神間では撮り易い時間に走っていた。たくさんのファンが線路際で撮影していた。その後、瀬戸大橋や青函トンネルの開通によって、JR列車も大きく変化していった。


715134 江戸NA
JR東日本の新しいお座敷列車も登場。関西までも時々走っていた。


715718 あすかEF65
JR西日本では国鉄末期に事故で失われた「みやび」の後継機となる「あすか」が登場した。12系と14系の改造車で2018年に廃車になるまで活躍した。


8707204 NA113
快速に使われる113系にはまだ非冷房も走っていた。


8707230 EF6594NA
EF6594[岡山]の牽く下り貨物列車。


8707233 EF651007NA
気がつけば芦屋側の沿線はマンションが建ち並んでいた。バラスト工臨も走っていた。EF651007はJR貨物稲沢区配置だった。


8708013 NAキハ65
キハ65の中国ローカルの急行。高速道路の開通で乗客は激減したと聞いているが、これもJRに引き継がれていた。

 
8708017 NAシキ670
シキの回送を撮る。当時は鉄道雑誌に臨時列車の運転予定が乗っていて、このような大物車も撮れるようになっていた。


8708120 NA165臨時
国鉄時代から引き継いだ165系急行電車。臨時列車としては長く使われていた。


8708124 PC旅路NA
広島のジョイフルは「旅路」。塗装は赤色だが、さらに姿を変えることになる。このような客車が各地で改造されて走り回っていた。


8708803 EF65NA小田急
川崎重工で新製された小田急のロマンスカー。このような情報も公開されるようになり、当時の鉄道趣味界は活況となっていた。




 

 198741日に国鉄が民営化となり、関西ではJR西日本が発足した。その前日までにいろいろな記念列車が走った。さらに前日の夜には東京駅でイベントがあり、各地へ向けて「旅立ちJR号」が運転された。JR西日本はEF651134の牽引で最後尾には復活したマイテ492が連結されていた。さらに大阪駅や新大阪駅では何本かの列車が国鉄最後の列車として出発式が行なわれていた。

 一夜あけて、JR最初の日は普段と何も変わらない状態だった。各地の電車に祝JR西日本のヘッドマークが付いていた。基本的な運転に変化は無かった。

 何が変わったかというと、側面に白いJRのロゴマークが貼られていた。この作業はかなりのハイスピードで進められたと思う。

 私の仕事としては、この新しい装いの車両をできるだけ早く撮ることだった。それで全国早回りで撮影した。地元での撮影にあまり時間を使うことはできなかった。

 新会社としていろいろな変化が見られるようになるのは、この年の後半からだった。ジョイフルトレインが増備されたり、機関車の塗装を変えたりしていた。さらに、JR独自の新形式も設計が始まっていた。
703412 ,113.201NA
JR西日本がスタートして、記念のヘッドマーク付き電車も運転されていた。113系と201系がすれ違う。この両形式はまだ現役で使われているのが凄い。側面にJRマークも付いている。


703430 ,205NA
まだ新しい205系にもJRマークが付いた。側面は黒色である。この付近は後にさくら夙川駅ができている。


705907 NAあかつき
ブルートレインも変わらずに走っていた。あかつき・彗星・なはの3列車が走っていた。「あかつき」は上りが36レで新大阪行きである。


703434 EF6620
EF6620牽引のスーパーライナー。この機関車はその後塗装がクリーム色系に変更されて、注目されることになる。


8703616 NA103
103系もまだ使われていた。1969年からだから18年たっている。1995年の震災前に一度全廃になったが、震災後に復活している。


8705822 NA EF6510401
元宇都宮のEF651040も新鶴見に転属していて山陽本線まで走るようになった。車掌は廃止されているが、その後もコキフは連結されていた。


8705825 NA EF65123 YSO
岡山のジョイフルトレインはよく関西にも走っていた。当時は茶色系の塗装でEF65123が専用機だった。まだ瀬戸大橋は開通していない。


8705927 NA新快速
芦屋駅を発車した117系の新快速も最後の活躍。2年後には221系がデビューすることになる。


8705932NA  113
姫路の一ッ山大祭ヘッドマーク。この祭は60年の周期で行なわれるので、見られるチャンスは一生に一度のみとなる。






 

↑このページのトップヘ