秋の浜岡出張は長期になり、その後文化の日にかけて一週間くらいの北海道旅行ができた。この時も駅弁はたくさん食べていた。ちょうど国鉄末期の時期となり、新車も登場していた。国鉄色のキハ183は室蘭本線で撮っていた。ナローゲージは釧路の新宮商工や太平洋炭鉱に行き、さらに三井芦別のナローも撮っている。さらにサブロクだが日鉄鉱業東鹿越にも行った。古い汽車製DLが残っていた。何かと中身の充実した旅になった。

 もうすでに北海道へ行くのは飛行機が当たり前になっていた。さらにコンビニがたくさん出来ていたから、駅弁を買わなくても旅行できた環境になる。レンタカーの利用も増えていたと思う。それ以前は、北海道は人気の目的地であり、学生や社会人でも多くの旅行者が津軽海峡を渡って、均一周遊券で同じようなルートで移動していた。それらはかなり分散していたと思う。青函連絡船の客も減っていたし、リピーターが増えていた。駅弁は買いたい人と、買わない人に別れていた。

 もう駅弁文化も下り坂に向かっていた。自分のコレクションを見ても、1年に食べられる数はしれたものである。それでも残った掛け紙をみていると、いろいろな変化があって面白いものだと思う。
19851023 浜松うなぎ飯
出張帰りだから奮発してうなぎ飯を買っていた。これがうな丼やうな重とどう違うのかはわからない。定価も書いていない。

19851028 日本食堂 お弁当
日本食堂の上野支店。幕の内風お弁当というのは幕の内ではないのか。中身が気になる。東北新幹線からはつかりに乗換えている。


19851030 青函 函館わっぱ
鉄道弘済会の駅弁。スタンプが押されていない。


19851029 函館 北海幕の内
函館からは稀府まで行き、海沿いの区間で特急と貨物を撮っていた。


19851031 釧路 かに飯
釧路では朝晩食べていた。まずは茶内の浜中簡易軌道の保存機を撮りにいった。それから太平洋炭鉱と新宮商工である。この日は忙しかった。


19851031 釧路 わかどり弁当
釧路のわかどり弁当は1976年にも買っていた。400円だった。この間に国鉄運賃とともに物価が上がっていたのがわかる。


19851031 網走 オホーツク弁当
釧路から釧網本線に乗り、網走から夜行の「大雪4号」に乗った。売れ残りを買わされている。翌日は芦別と東鹿越へ行く。


19851101 富良野
富良野の駅弁は凝ったデザインだがレベルは高いのか低いのかわからない。おべんとうと書いてあるから弁当なのだろう。


19851103 苫小牧 サーモン寿司
千歳空港付近でキハ183を撮影。苫小牧ではビジネスホテルに止まった。翌朝は一面白くなっていた。しかし、快晴で錦岡でキハ183やDD51をたくさん撮影できた。


19851104 青函 紅じゃけ弁当
あらまき弁当は値上げして紅じゃけ弁当に改称していた。青函連絡船もリピーターの割合が増えるとこの手抜き弁当の売上げも減っていたと思う。スタンプも押していないし。その後葬式鉄に売れたかもしれない。


19851104 青森 ひなどり弁当
ひなどり弁当はあまり知らない。ひよこを食べるのか。これだけはキャンペーンが「いい日旅立ち」になっている。これは1978年からのキャンペーンでかなり古い。「エキゾチックジャパン」は1984年からである。


 19851104 新潟コシヒカリ弁当
これは「白鳥」の車内販売である。早朝から夜まで乗り通すのだから、三食が駅弁になる。越後の米がメインの弁当なのか。


19851104 敦賀 角鹿弁当
夕食は敦賀の角鹿弁当。なにか秋田の弁当のような気がする。ここの駅弁は前にも食べているが、季節によってデザインが変わっている。敦賀駅も地理的には駅弁のたくさん売れる駅であり、何かと工夫が感じられる。秋田は鹿角だった。
 
角鹿「つぬが」神社は気比神宮の摂社であり、敦賀という地名のルーツである。