沖縄から帰って疲れもとれたので大垣へ日帰り旅行した。美濃赤坂へ行く支線があり、そこからDLがいる西濃鉄道がある。ここはDL化するまではB6SL(2105,2109)が使われていたが、もちろんそれには間に合っていない。DLがいるということで、1976年2月に北海道へ行く途中、大垣夜行に乗る前に訪ねている。しかし、その時はすでに夕方で、機関車は薄暗い車庫の中に入っていたのを撮れただけだった。その時撮れたDD102はすでにロッドや銘板が外されていた。これは三菱で1954年製38トン機。日本軽金属蒲原から1966年に転属してきた。それでB6は予備機になることになる。廃車は1977年である。かろうじて最後の姿が撮れていた。

 196910月には三菱三原製の40トン機DD402が入線した。この時点でB6の稼働は完全に無くなったと言える。当時は私もSLファンになった頃で、季刊蒸気機関車の後の方に乗っていた専用線等の記事を読んでいた。まだ撮れる可能性のある線区の中で西濃鉄道も載っていた。高校一年でとても動いているかどうかわからない小私鉄まで行く行動力はなかった。DLが検査の日に走る可能性があり、ギリギリで間に合っていたかもしれない。関沢新一さんの記事を読むと、日本カーバイドとか日鉄羽鶴とか予備機になったSLが走る情報が流れて撮りに行っていた方も何人かおられたようである。

 私は支線には乗らず大垣駅から名阪近鉄バスで美濃赤坂へ行った。ここは中山道の赤坂宿があり、歴史のある町である。東海道では愛知県豊川の方に赤坂宿があり、国鉄の駅は美濃赤坂とよくわかるように区別してある。西濃鉄道は貨物専業だが、路線バスで足の心配はなかった。

 その日は雨だった。美濃赤坂駅へ行くと11時頃に市橋からDD402が戻ってきて入換えが始まった。このあたりは石灰鉱山で鉱石や生石灰等を出荷している。昼飯を食べ、午後からは昼飯へ行く列車を撮影した。途中の墓に跨線橋があり、そこで撮影した。推進運転で先頭はワフである。汽笛を装備していて、見張り員が乗っている。当時は袋詰め製品を乗せるテム300もたくさん使われていた。こちらは歩いて追いかける。美濃大久保駅で向きを変えて昼飯駅へ行き、すぐに戻ってくる。どこで撮るかという情報も無いし、行き当たりばったりで記録するのが精一杯だった。昼飯駅の情景などは撮れなかった。

 その日稼働していたのが1969年に入線したDD402は、これはその後延々と使い続けられているようで、専用線ファンには人気のトップクラスにまで登り詰めている。
7804014 西濃鉄道DD402
市橋の方からDD402が戻ってきた。この当時から一番古い機関車だったのか。石灰製品もまだ有蓋車が使われていた。


7804023 西濃鉄道DD402
後に止まっているのは新日鉄名古屋へ行く赤ホキ編成かな。機関区の横で入換え作業を撮影。片側はラジエターが無いのでエンジンは一つである。


7804024 西濃鉄道DD402
DD402を流し撮りする。


7804026 西濃鉄道
機関区にはまだ給水塔が残っていた。この横にB6が止まっていたのだろう。昼飯線分岐でDD402が休んでいる。


7804029 ホキ650

石炭車セキ3000を生石灰用に改造したホキ650が撮れた。1971年に9両が改造で、上部に屋根と積込み口があり、台車も変えてある。美濃赤坂駅常備で新湊や妙高高原への運用があった。

 


7804031 西濃鉄道貨車解体
すでに有蓋車は解体もやっていた。生石灰用で水の侵入を極力防ぐ構造になっている。


7804105 西濃鉄道DD402
エンジン側には煙突が無いのか。狭い場所に止められてしまった。


7804110西濃鉄道大久保駅
昼飯線の撮影前に美濃大久保駅まで歩いた。


7804111 西濃鉄道大久保駅
こっちが美濃大久保の入口側なのか。もう少したくさん撮っておけば良かったと思う。


7804112 西濃鉄道列車
昼飯線の列車はちょうど都合のいい歩道橋から撮影できた。バック運転でゆっくり走ってきた。大きな墓地からも町の歴史や規模を感じることができる。


7804113 西濃鉄道DD402
形式はテム300で生石灰用の有蓋車。昔はこんな貨車に人夫がセメント袋を担いでもくもくと積込んでいた姿が見られたものである。


7804114 西濃鉄道DD402
後追いだがここがベストショット。