近々解体が予定されている家があり、そこで古い教習所の写真が発見された。そこには、免許を取る為に通っていた女性グループの記念写真が写っていた。女性が運転免許を取るのは大正時代からのようである。写っている車はヒルマンミンクスがあり、昭和30年代は間違いない。ちょうどその頃から免許を取る人が激増している。

 少し調べてみると、兵庫県自動車学校西宮校のホームページに歴史が載っていた。昭和12年に開校している。その当時の教習車の写真も載っていたが、なにも言う事がないくらい古い。昭和24年から公安委員会により自動車練習所に指定されたとあるので、新しい免許制度がこの頃に始まったのだと思う。

 初期の試験では構造もあり、必死になって勉強していた。子供の私でも吸入圧縮爆発排気なんて言葉を暗記していた。ママ友で誘い合って行っていたようである。富士見の別荘を使わせてくれていた婦人も写っている。その頃の免許はかなり得で、トラックや大型バイクも乗る事ができた。

 我家の場合は父がラバウル帰りの軍人で運転はできた。それで、サラリーマンだが会社の車に乗って帰ったりしていた。最初に買ったのがパブリカである。これは1961年からである。その後、カローラKE10に長い間乗っていた。しかし、ヒルマンもあった。これはいすゞのノックダウンでトヨタやダットサンより安かったのだと思う。おそらくパブリカとカローラの間に乗っていたのだろう。冬の朝にエンジンがかからず、点火プラグを点検したりしていた。さらにボンネットの下に穴があり、クランク棒を入れて始動することもできた。運転席はセンターにダッシュボードがあった。うちの車は真ん中のスピードメーターは針がくるくる回った。どんな構造になっていたかわからない。それに慣れているから平気だったが、友達を乗せた時には非常に驚いていた。

 ちなみに、私の免許では原付しか乗れない。しかし、トラックの方は少し大きいのにも乗れるようである。おそらくほとんどの人は自動車学校に何十万も払って取っていると思う。しかし、私の鉄道写真の先輩は一回1000円の練習場に通い、明石の試験場へ行き、飛び込み一回で合格した。一万円もかかっていない。その翌年に私もチャレンジしたが、苦戦して10万くらいかった。その練習場は和田岬にあったが、本山という所にもあるのに気づき、そちらに移った。本山交通公園から今は小寄公園になった所でSLCタンクが保存されている。
教習所ヒルマン01
これがヒルマンミンクスで運転しているのは私の母のような気がするが確認はできない。練馬ナンバーだったのか。その下に毎日自動車教習所と書いてある。その上のバンパー中央に穴が空いている。それよりもバックに並んでいる車の方が興味深い。ボンネットバスは送迎車だったのかな。マツダクーペは教官の通勤用ではないか。


教習所ヒルマン02
教習所で記念写真。車は初代トヨペットクラウンである。