先日亡くなられた野村元監督、テレビではヤクルトや楽天の監督として知られているようだ。しかし、私にとっては南海ホークスのホームランバッターで捕手、背番号19が焼き付いている。私の中学時代には、京都府の峰山高校当時を知る教師がいて、エピソードも聞いていた。しゃがみ込んだままホームから外野へボールを投げていたようである。峰山には去年に行っている。網野駅には野村克也ベースボールギャラリーの看板があった。場所はアミティ丹後である。網野駅から北へ約1.5キロで、京丹後市網野庁舎の近くである。

 無名の高校生を顧問の先生がプロ野球に推薦したのも凄いし、ホークスの鶴岡も偉いと思う。1970年のシーズンからは選手のまま監督に就任しする。南海の監督を辞めた後もロッテと西武で選手として活躍した。その後のご活躍の方がよく知られている。
7410218 南海 野村
ネクストバッターが野村。これは7回かな。島野がホームイン。


7410220 南海 野村
当時の機材ではこれが限界。主審は大きなプロテクターを持っていた。


7410223 大阪球場
大阪球場のスコアボード。選手の名前も懐かしい。さよなら勝ちだったのか。


大阪球場1988 南海日ハム10-2
大阪球場はボックス席で見ることもあった。この年は川勝オーナーが亡くなり、ダイエーへ球団売却が決まっていた。


7306702 平和台球場
九州へSLを撮りに行った時も、せっかくだから平和台球場へ行っている。太平洋クラブライオンズの時代である。この時は前期優勝した。人気のないパリーグを盛り上げようと二期に分けたがぜんぜん盛り上がらず、数年で元にもどした。8番が小池さんだったのか。引退間際だったと思う。調べてみたらまだ高石市でクラブチームの監督しているようだ。

平和台球場1973
平和台球場の入場券。球場の前を西鉄福岡市内線が走っていた。