鉄道写真家 岩堀春夫のblog

鉄道写真を撮り続けて50年。懐かしい写真から最新の話題までをお楽しみ下さい。

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 最近よく目にするニュースには宇高フェリーの廃止というのがある。送られて来るメッセージにも、乗りに行きたいという人がいる。

 国鉄時代には周遊券を使うので、いつも国鉄の宇高連絡船に乗っていた。その船上からも宇高フェリーは撮っている。

 瀬戸大橋が出来てからは、四国の取材が増え、宇高フェリーを使う事もあった。瀬戸大橋も通りたいが、もの凄く混んでいて、サービスエリアなんか、車で埋っていた。しかし、明石海峡大橋が開通すると、瀬戸大橋の通行量は激減していたと思う。通行料の値下げも行なわれていた。トラックドライバーにとっては、フェリーに乗ってたとえ1時間でも休めるのは有利だと思う。国道フェリーとか何社かで運行されていたが、最初は待つ時間が無い程ひっきりなしに運行されていた。それがいつの間にか減っていたようである。

 問題は地元の人がどれだけ利用するかであって、関西人は明石海峡から行く。宇高航路の歴史や経緯についてはネットで調べてもらいたい。

 私はデジカメを使いだしてから全国を回って銘板やサボを撮っていたのだが、撮る物が無くなると、さらにいろいろな被写体を追っていた。その中には連絡船やフェリーもあった。それで瀬戸内海の航路をたくさん撮っている。

 宇高フェリーも撮っている。途中の直島からも撮っている。実はビデオでもたくさん撮っているが、それらは全く処理出来ずに放ったらかしになっている。

 最後に残った四国急行フェリーが20191216日をもって運行を休止すると発表されている。2017年からは一隻運行で1日に5往復に減便とある。
4四国F ,82玉高丸i1476
高松港にはサンポートが出来て高層の高松シンボルタワー30F展望ホールから撮れるようになっていた。

4宇高国道F ,りつりんi1465
瀬戸内海を行き交う宇高フェリー。


4宇高国道F ,りつりんi1459
高松港を出港する宇高国道フェリー。


4四国F 、85玉高丸h3463
途中の直島では宮浦港の近くで荒神島の間の水道を通過する。


4宇高F 、こんぴら丸h3457



4宇高F 、たかまつ丸h3419
フェリーの船上からも他のフェリーが撮れた。


4四国汽船あさひ 、宇野f1253
運行する会社はたくさんあり、実体はよくわからない。日通丸といのもあったし。

4宇高F ,りつりん丸h3382

宇高キップ390
2004年の乗船券。
 

 当時は今のようにスマホで簡単に情報が得られる訳ではない。仲間内では手紙や電話で、あるいは直接会って話しを聞くしかない。屋久島に森林鉄道があるのは知られていたが、すでに営林署の運材は終っていて、工芸品に使われる土埋木を運ばれているだけだった。そんな情報も不確かで、行ってみないとわからない。

 それにしても、当時はいろいろな所にでかけている。よくもピンポイントで目的地に着いて、成果を得ているのは凄い事だと思う。時間的にもピッタリ合わしている。会社の休みに合わせてバスや船を乗り継いで、夜行列車できっちり帰宅している。そんな事ばっかりやり続けていた事になる。

 屋久島に着いた日に雨が降っていたら、絶対に小杉谷山荘には着けなかったと思う。テントも無しにどうなっていたのだろうか。その後、山荘は解体されたと聞いている。縄文杉を見るのには荒川から往復することになる。

 安房にはTDAのツアーバスに乗せて貰って降りてきた。TDAは後の日本エアシステムである。安房には壊れかけた古い吊り橋があった。これは林芙美子も渡っているのではないか。何かと文学ゆかりの地に縁があるようである。次のテーマも考えている。
19770816 屋久島安房
海側に新しい橋ができている。その後、吊り橋も架け替えられている。橋の左側に安房観光ホテルがある。ここが林芙美子の聖地になるのか。「浮雲」を執筆している。


7712016 屋久島、安房
TDAのバスはこの辺で降ろされた。安房の街を俯瞰できた。吊り橋がまだ残っていた。


7712017 屋久島、安房


7712018 屋久島安房
ネットで調べると平成31年2月に安房観光ホテルでアンカーレイジが見つかったそうである。左上に見えるワイヤーの先端である。


7712019 屋久島安房
橋は1975年まで使われたとある。ここを林芙美子が昭和26年に渡っている。


YH 1970-1978
屋久島に行っていた証拠品はこれだけ。カニが室内まで入ってきた。


19770816 第二屋久島丸a
帰りは鹿児島商船の「第二屋久島丸」になる。この日は晴れだが山は雲がかかる。


19770816 第二屋久島 出航
さらば屋久島。テープを投げて別れを惜しむ。こんな風習も記録している。


鹿児島宮崎 1977B大阪JNR
周遊券はたくさん使ったが、西鹿児島まで往復だけの使用というのは珍しい。帰りの「有明」は食堂車に座りつづけたので特急券は買っていない。旅費の総額は26540円だった。













 

 宮之浦では登山者用のマイクロバスが出ていたが、それに乗り遅れ、タクシーで行くことにした。外周道路から内陸部へ曲り、どんどん奥へ行ってくれと思ったが、100メートルくらいで道が終った。それなら、海岸から登り始めるのとほとんど変わらない。

 それにしても登山はかなりキツかった。どうしても小杉谷まで行かなくてはならず、必死で上ることになった。他にも2グループいて、抜かす時は元気に登るのだが、すぐ休憩になる。抜きつ抜かれつの間に親しく話すようになった。小杉谷に着いたのはもう真っ暗だった。たくさんの人が泊まっていたが、なんとか寝る場所は空いていた。

 翌日も晴れていて、宮之浦岳を目指す人は朝早く出発する。こちらは縄文杉往復にして、ゆっくり過ごす事ができた。小杉谷から縄文杉往復ならかなり楽な工程である。夕方も早い時間に山荘に戻ってきた。石塚線の探検も少しできた。線路はどこを見ても同じような物である。途中には林鉄らしい木橋がたくさんあり、くねくねとカーブの続く軌道である。その後、大雨で木橋はかなり被害を受けたようである。

 翌日は一転して雨だった。元々は雨の多い島である。我々はもう下山するだけである。荒川に機関車などの車両が止まっていたが、凄い霧の中で撮ることになる。その先に屋久杉ランドがあり、そこまで来るともう歩きたくない。車が入れる所だから、なにかに乗れるのでは思った。それでTDAの観光バスに乗せてもらう事になった。本当は違反だろうけど、場所が場所だけに仕方ない。安房の手前で見つからないように降ろされた。この日は屋久島ユースに泊まることができた。
19770814 屋久島林鉄4
これが山の管理人の乗用車。我々の登った後から上がってきた。小杉谷線終端を見ていた時に着いていた。運転手とは大王杉で出会った。5月まで小杉谷山荘にいたと言っていた。


19770813 フェリー屋久島
超満員の「フェリー屋久島」で宮之浦港に着く。ゆっくり食事していたらバスに乗り遅れた。


19770814 屋久島1
あそこまで登るのはかなりキツい。目標は縄文杉にする。人生の中で縄文杉に行っただけでも大きな出来事だったと思う。


7711814 屋久島 森林鉄道
登山道は森林鉄道を歩く。くねくねとカーブの連続で木橋もたくさんあった。


7711827 屋久島森林鉄道
小杉谷にはかつてたくさんの人が住んでいて、学校もあった。すでにかなり自然に戻っていた。


7711832 屋久島森林鉄道
雨の中を下山する。


7711912 屋久島森林鉄道
荒川の手前に留置線がある。昨日出会ったモーターカーが止まっていた。


7711926 屋久島、森林鉄道
荒川で酒井DLに遭遇。今日は盆休みである。


7711932 屋久島、森林鉄道
当時は武田産業が運転していた。屋久杉の土産物を製造販売している。


7712012 屋久島森林鉄道
霧というより雲が近づいてくる。ここで撮れたのも短時間だった。屋久杉ランドまで行って休憩する。




 神戸市東灘区にある人工島で周囲は貨物船やカーフェリーが着き、中央部にマンションや会社・学校等がある。新交通システムの六甲ライナーがJRの住吉駅と阪神の魚崎駅に連絡している。

 歴史的には工事の着工が1972年で、1988年に最初の入居が始まっている。19902/21に神戸新交通の六甲ライナーが開通し、高層マンションや美術館・ホテル・公園・学校等が建設される。青木にあったフェリーターミナルもこちらに移り、カーフェリーの撮影でも何度も行く機会があった。フェリーに乗る時には住吉駅から神戸フェリーバスを利用する。周辺部は貨物エリアでコンテナ埠頭の他にも北東部では自動車運搬船や大型建設機械や輸出用鉄道車両も発送もある。

 最近は六甲ライナーの新車である3000形の撮影があり、何度も出掛けている。開業時から走っていた1000形は順次廃車が予定されている。それとは別に最近はウォーキングしていて、我が地元からでも六甲アイランドが遠望できる。発着するフェリーを眺めたりしている。
4SFぱーる h1983
カーフェリーは早朝に到着する。南港のWTCも見える。この頃はダイヤモンドフェリーにさんふらわあが登場したころで、何度も撮りに行った。


4SFぱーる 、六甲h5678
六甲アイランドの高層ビル郡をバックに着岸するさんふらわあ。その後、社名が「フェリーさんふらわあ」になり、煙突のマークが無くなる。これは深江浜から撮影。新明和の飛行艇が撮れる場所である。


4スターダイアモンド h1848
これがその前のダイヤモンドフェリー。昼行便もあったが、この頃は便数も減っていた。


3神戸フェリーバス h3955
フェリーターミナルは各社別れている。さんふらわあと阪九フェリーの他にも四国行きのオレンジフェリーと沖縄のマルエーフェリーもある。神戸フェリーバスが連絡している。


輸出930724 名古屋市
何度も行っていると、珍しい車両も撮れたものである。名古屋市地下鉄も来ていた。近畿車両の輸出車もとれたが、911テロの後はフェンスが高くなり、岸壁にも入れなくなった。


4クレーン船夕暮 六甲島6023
今は入れない西側の岸壁からはクレーン船が撮れた。ポートアイランドとの間に防波堤があり、そこに係留されている。


神戸市 、摩耶から展望p8129
摩耶山から撮った全景。手前に神戸製鋼所の製鉄所がある。


4阪九フェリー、 六甲沖sx700
早朝の六甲アイランドに到着する阪九フェリー。西宮市内からでも展望できる。ここに住んでいたら大阪湾の船舶が全て見られることになる。私は道路から撮っている。拡大すれば陽炎が出ていて使えない。


4阪九Fつくし 、六甲島sx174
阪九フェリーは昔からバックで着岸する。新門司から到着した「つくし」。その向こうは大分航路のさんふらわあ。



六甲島という地名を写真の下部に埋め込んでいる。しかし、正確には六甲島とは呼ばないようである。ポートアイランドが港島なので、私は自然に六甲島と読んでいた。地名としては向洋であり、これでは広島と間違いやすい。ところで、神戸新交通の車庫は六甲島検車場なので、ほぼ公立に近い鉄道会社の施設名に使われているのは心強い。
 以前にも紹介しているが、我が地元の阪急 夙川駅からも六甲アイランド行きの路線バスが出ている。山手幹線沿いに停留所がある。





 

徳島出張1977-1 新入社員の私にも時々は出張のチャンスがあった。この時は徳島県の阿南発電所へ行っている。阪神の青木{おおぎ}に近い東神戸港からフェリーに乗っていった。この頃はまさにフェリーの全盛期だった。フェリーターミナルからは西日本各地へ向けてフェリー航路があり、昼も夜もひっきりなしに発着していた。徳島航路は三社で共同運行していた。

 鉄道ファンとして四国へ行く機会は少なかった。初めて行ったのは1976年からだから、出張でも牟岐線のようなローカル線に行けたのはありがたかった。さらに徳島線の石井にあった日本ハムにも行っている。

 まだ当時はローカル線にも律儀に貨物列車が走っていた時代だった。蒸機時代から引き継いだDL牽引の貨物列車はほとんどが10年くらいで廃止されている。それを撮っている人はほとんどいないから、牟岐線貨物の記録は貴重である。

 牟岐線は1942年に牟岐駅まで開通していた。その後、1973年に牟岐〜海部間が開通している。トンネルの多い区間であり、旅客営業のみだった。1992年にはさらに阿佐海岸鉄道として甲浦まで開通している。
7701002 フェリーおくどうご
愛媛阪神フェリーの「おくどうご」。これはもう係船かもしれない。


7701005 フェリーおくどうご
出発した徳島行き「うらら丸」から東神戸港を見る。旅客ターミナルのビルはまだ残っている。現在のサンシャインワーフである。


7701008 阿波橘駅
発電所の最寄り駅が阿波橘駅。出張した証拠で入場券を買う必要があった。


7701012 阿南駅構内
阿南駅構内。運良く様々な車両が並んでいる。国鉄牟岐線の写真は貴重である。


7701015 阿南DE101036
DE101036[高松] 牟岐線の貨物に使われていた。


7701020 うらら丸、徳島港
徳島港からまた共同汽船「うらら丸」で帰ることになる。徳島阪神フェリーは他に共正汽船・関西汽船の3社で共同運行していた。





おかげさまでもうすぐ20万カウントになります。ここ何年か横ばい状態です。今週は木曜日から肥後橋のキヤノンギャラリーで御召し列車の写真展があります。時々当番でお待ちしています。
 

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