内藤重人の日記

内藤重人(ThreeQuestions)の日記です。
Official web:
ThreeQuestions: OFFICIAL SITE
内藤重人: OFFICIAL SITE

明日、GrapeFruitMoonに寄せて

台風が迫っているのだろうか。たまに強い風が吹くとベランダの物干し竿がガタンと音を立てる。脳力に疲れを感じるのでアミノ酸を飲もうと思うが昼過ぎに一度飲んだ事を思って止めておいた。そうなのだ、夕方、明日のライブの為にじょーさんとリハーサルに入ったのだ。体が重かったからアミノ酸の粉末を飲んだのだ。一時的に効果はメリメリ効く。

明日は三軒茶屋グレープフルーツムーン。じょーさんの縁で出演させて頂くのでじょーさんとふたりで演奏させて頂く事にした。初めての出演。そして、じょーさんとふたりで演奏するのも初めてだ。緊張する。新しい曲も演奏しようと思っているし。

新曲。明日初めて演奏するのだ。と言いたいが、実は昨日下北沢で僕は歌った。アルバムに向けてこれでもかと曲を書いているが、なんとか完成させたいがどうにも行き詰まって苦しい曲もあれば一つの切っ掛けでスッと円滑に運ぶ曲もある。この新曲は前者だ。進捗しないままに夏をまるごと越えた。最近になってライブのリハーサルで少し歌ってみた事もあった。その時に少しだけ掴めるものがあった。何回も詩を書き直して、だんだんと言葉が自分のものになってきた。まだまだかもしれないが人前で歌わなければ曲に生命が吹き込まれる事はない。歌い切って繋げたい。戦争がはじまる。という曲だ。

自分に出来る事は万能であると思える時もあれば何も出来ないような気がする。と思う時もある。内臓が重たく、体全体がどんよりとする時に対して部屋の掃除をして一時的な快楽を得たような、どれだけでも努力出来るぜ!と思える時もある。自分自身のバランスを自分で調整する事はいつまで経っても上手くならないけれど、ライブは違う。演奏前に演奏の事を何時間も考える。精神的にも肉体的にもベストでなければならないと思うので、体中を揉みほぐす。微熱が出る時もあれば気分が芳しくない時もあるが、その全てを受け止める事が出来るように思うのは舞台の先で聞いてくれている人が待っているからだと思えるからだ。

明日も僕は僕を裏切らない事を約束します。
聞きに来てもらえたら嬉しいです。

思えば原田さんの紹介でじょーさんに会ったのは最近だ。初回の待ち合わせも三軒茶屋だった。喫茶店に行くのかなと思ってたけど円滑に原田さんは鳥貴族の階段を登ったので3人で酒を飲んだ。あの日から短い期間だけど結構一緒に酒を飲んだ。じょーさんとふたりで大塚辺りの公園で酒を飲んだ事もあった。あの時も確かワインを飲んだ。風通しの良い広い公園で日が暮れていくのを、まるでキャンプでもしているかのように緩やかに眺めた。彼の事で僕が知っているのはほんの少しの事なのだろうけど、僕達が明日一緒に演奏するのは必然であるのかもしれないし、何かの序章になるのかもしれない。

明日には雨、止むといいな。


【LIVE NEXT!】
2022/9/20(火)三軒茶屋グレープフルーツムーン
[Daydreams of Shackleton #14]
出演:
内藤重人(duoじょー )
惑星アブノーマル
笹岡水樹

OPEN19:00/START19:30
Ticket adv/door:2800yen+1drink
【御予約】naito.live@gmail.com(当日でも承れます)
E45066D9-AFC4-4872-B5AD-6B68EB3DC8EC

グッナイ小形と僕

夏が駆けていく。僕の部屋の窓からは小雨が降っている様子が伺える。若干湿度も高いけれどクーラーは切っていて扇風機が回っている。秋が近いのだ。文章を書き始めた時間は午後16:34。何時に投稿出来るか分からないが日記を書いてみよう。今月最後の日記だ。

主にパソコンと鍵盤の前で過ごした夏であった。春先から始めた新譜の制作は順調とは言い難いけれど鈍重ながら歩を進めている。途中過程を仲間に聞いてもらったりするのだけど、AUMADOKIの次のアルバムって感じがするよ。って言ってもらえて嬉しい。曲は3分の2が揃ったところだろうか。完全に完了した!と言える曲はまだないけど秋の終わりには完成!と言いたいところだ。そうすればまた冬のツアーが始まるはずだ。

毎日更新のLINE BROGも始めたいなと思うけれど去年と同じ事をしても面白くないので面白い事が思いついたらいいんだけど。大きく代わり映えの無い毎日だけど音楽に祈りを込めるような希望の旗は折れてはいなくて、頑張ろうと思えるのは自分の為では勿論あるけれど、例えばこの日記を読んでくれる人がいてくれるからなのかもしれない。


もうすぐ9月が始まる。最初のライブはグッナイ小形とのツーマンだ。会場はYAN君のアトリエをお借りした。昨日の夜に家にYAN君が家に荷物を取りに来て公園で小一時間話した。沢山の締切を抱えているらしいけれど元気そうで良かった。たまにThreeQuestionsの事を思う。そこそこ前の事のような気もするけど色んな事があったな。我々は特に思い出話を余りしないけれど、あの人はああしているこうしている。なんて話はする。そうか。そうだね。なんて聞いたり話したりしながら懐かしいような愛しいような不思議な気持ちになるが今を全身で受け止めたい気持ちが僕は強い。

グッナイ小形とはAUMADOKIのツアーで札幌で出会った。前から知り合っていても全然おかしくないと言われたりするのだけど、意外にもその日初対面だった我々は当日は「そこそこ」翌日お互いにライブがなかった事もあり「まあまあ」酒を飲んだ。気持ちの良い奴だなと思って別れ際にご機嫌な様子で一緒に写真を撮った。

共演する機会は今もそう多くはないけど、彼が歌う高円寺路上に時折僕は足を運ぶ。たまに渋谷や新宿で酒を飲んでまだ帰りたくない時に電話を掛ける。しかし、タイミングは噛み合わず、なかなかふたりだけで酒を飲める事は少ない。ある時にどんな話の流れだったか忘れたけど、アイデアを考えた。順調に推移したなら、それは9月3日に行われるはずだった。けれど昨今の事情でそれは延期になってしまったから、収まりがつかない僕はライブをしようと彼に持ちかけて次のライブが決まった。

多分我々はお互いの事を余り知らないけれど。僕は彼をなんとなく愛しく思う。それに彼の音楽も好きだ。つまり友達になれるかもしれないって事だ。それは嬉しい。出会わせてくれたぱぴ子さんにも感謝だ。僕も最近路上で演奏する事を始めた。それは彼に影響された訳ではないと思いつつも心のどこかでそうなのかもしれない。

いつの日か同じ曲を演奏する日が来るかもしれない。遠くない未来に我々が考えた事は実現するかもしれない。ひとりよりふたりの方が良い。雲を掴むような霧を模索するような日々の中で音楽の話をしながら前を向く事が出来る。約束は無下になる事もあるけれど、出来れば大切に守りたい。だから、9月3日は大事な日なんだ。ある意味でははじまりの日になるんだ。聞きに来てもらえたらとても嬉しく思うんだ。

文章の書き終わり17:11だった。日が短くなったからもう暗くなり始めている。これを書き終えたら僕はまた鍵盤に向かう。音の鳴る場所で会いましょう。


【LIVE】
2022/9/3(土)東京.志村坂上HERE WE GO
「煌めいて」
内藤重人×グッナイ小形
OPEN/START 18:30/19:00
Ticket 2500/3000yen
*都営三田線志村坂上から徒歩1分

Information:naito.live@gmail.com

B180B884-51B4-4984-A571-83E4E61725B5

就職氷河期世代と私

最近たまに自分の昔の日記を読んでいる。大抵は金が無い、金が無いと書いている。そしてそれは現在も変わらない。誇張ではなく本当に変わっていない。なにかのネット記事で就職氷河期世代の拭えない貧困。のような記事を読んだが、一応僕もその世代に当たるのだが、ああ、なるほど!就職氷河期世代だから俺はずっと金がないのか。とは到底思えない。

就職も進学も普通免許も取得も自分から放棄してきた。今更、あの時にああしとけばな〜なんて思うには事柄が多過ぎるし、それだからこそ今までに大変な事がなかった訳ではないが、特に後悔に巻き込まれず地続きのまま今日も生きて日記なぞを書いている。

思い返せば彼方、高校卒業後の進路を決める時の最後の進路面談の時にお前はどうするんだ?と担任は質問したが、僕は不機嫌に何もしません!と答えた。学年で進路未決定になったのは僕だけだったような気がするが、初めて自由になれるような気がして不安よりも嬉しさが勝った。ぼわっとした野望のようなものはあったが、それは妄想に近く結果何もしないまま貴重な19歳の1年を過ごした。その頃に覚えた麻雀のスキルもウイニングイレブンのスキルも今では無用の長物だが別に構わない。

同級生達は元気にしているのだろうか。とたまに考える。卒業式の時にはいつまでも友達だろうな。なんて思っていた淡い願望は時間に飲み込まれて消え去った。今では連絡を取れる人もほとんどいないし、街で会っても気がつく事が出来ないかもしれないが、ふと懐かしい思い出を感じて表情が綻びる事もある。

僕はパンクロックが好きだったし異常に漫画の世界を信奉していた。暴力的にはなれない事は子供なりに分かっていたけど好きなものに対する僕なりの解釈は自分の肌に合うような気がしたし、心の根幹に今もしがみついて離れない。バイクの免許を取ったら私は死ぬ。と親に言われたので免許を取る事は出来ず、自ずと暴走族に入る事は出来なかったが湘南純愛組みたいに青春時代を過ごしてみたかった。叶えられなかった願望もあるけれど、薄弱な野望と願望は僕をライブハウスへと運んだ。

楽器を持って友達とバンドを始める事も出来た。

時代を振り返って付けられた名称。あたかも暗くて救いがないような名前。その中で僕は何かを生み出そうと藻掻いていた。何かを始めたくて苦しかった。未成年というドラマの中でいしだ壱成は人間の価値を測るメジャーなんてどこにもないんだ!と言った。ハイスタはメイキングザロードを出した。発売日ひとりでCD屋に行って手に取った時に僕の未来にも虹が掛かったような気がした。黒ギャルと友達になりたいなって憧れた。ひとりもギャル友は出来なかったが、浜崎あゆみと同じ時代を過ごした。街中に溢れたドキドキを感じながら希望を求めていた。暗い時代なんかじゃなかった。

同様の価値観で今を生き抜きたいとは思わない。時代とともに僕も変わっていくのだろう。ただ、振り返った時に思い出す思春期の焦燥感は今も胸の中にある。この先も金が無いって書き続けるだろう日記の先で感じ得てきた様々な事柄が人生を照らしている。

【LIVE】
☆明日☆
2022/8/06(土)池袋ブクロック!フェスティバル
2022/8/12(金)京都PUB VOX Hall
2022/8/14(日)大阪枚方sweet music ReMEMBERS
2022/8/17(水)新宿路上
2022/8/28(日)都内路上
2022/9/03(土)志村坂上HERE WE GO
2022/9/05(月)名古屋Rolling Man
2022/09/10(土)都内某所

Information:naito.live@gmail.com

曇天、小雨、にわか雨、湿度、晴天

曇天、湿度、小雨、時折にわか雨が最近は続いた。
けど、今週に入ってからは暑いけれどね、過ごしにくいけれどもね、一応晴れている。先日は海の日だった。日付を見て感じる夏の始まり。悪くないと思う。

前の日記から2週間程経った。その間、書けるタイミングが全くなかった訳でもないけど、そんなに沢山あったとも思わない。静かに粛々と気が張った日が続いている。疲れる事もあるけど、僕は元気だ。少なくとも、そう言える位の気力は今もある。

路上で演奏する事が出来たし
(今週の土曜日に再挑戦する)
ライブも2回あった
(両日とも渋谷だった)
イノマーさんのイベントにひとりで行った。
世古さんの演奏を聞きに川口にも行ったな。
そして、もちろん録音も進めている。

しかし、録音は終わらない。断続的に果てしなく続いている。終わった!やったー!!って言える日が来るのだろうか。今は1曲、2曲、、うーん。3曲、4曲目が見えてきたところだろうか。別に絶対収録曲数の指定がある訳でもないけれど、激しく鞭を振るわねば見えて来ないものもある。そうしているうちに夏は過ぎ、秋は駆け抜け、また冬になるのだろう。去年冬のツアーは厳しいなぁって思ったばかりなんだけどな。

週が明けて本格的に取り組み始めた曲がある。前の「戦争がはじまる」も終わっていないのにね。音楽を作る人達が曲が先か歌詞が先か。なんて事を会話しているのを聞いた事がある。僕はどうだろうか。と思ったりするけど、特にどちらでも構わないとも思う。けれど、今、作っている曲は圧倒的に曲が先だ。テーマやイメージはあるけれど、とにかくずっとパソコンに向き合って曲を作っている。少し頑張っているのでは?とさえ思える。ここ2年、僕としては沢山曲を書いた気がするけれど、ひとつの集大成なのかもしれない。大切な曲になりますように。まだまだだけどさ。聞いてもらえる事が励みになるから製作途中の音を部分的に切り取ってSNSに上げようと思う。期待してもらいたいんだ。

進んでいるのか停滞しているのか加速しているのか後退しているのかなんて、過ぎ去ってみなければ判断出来ない事なのかもしれない。それでも、限られている事もあるからさ。頑張れ頑張れって念じているんだ。ブルーハーツ、そんなに好きじゃないけど、聞こえてくるのは子供の頃に何度も聞いてきたあの歌なんだ。


【LIVE】
2022/7/21(木)三軒茶屋HEAVENS DOOR
2022/7/23(土)渋谷駅前路上 PM18:00予定
2022/8/06(土)池袋ブクロック!フェスティバル
2022/8/12(金)京都PUB VOX Hall
2022/8/14(日)大阪枚方sweet music ReMEMBERS

Information:naito.live@gmail.com

ストレッチのようなものだ

前に日記書いてからどの位経ったかなって思って見てみたら5日経ってた。ちょっと油断すると書かなくなっちゃうから思い立ったが吉日。頭、朦朧とするけど書いてみる事にするよ。パソコンの前に座ってコンポを立ち上げる。雨のパレードのアルバムを聴く。

5日間、濃密であった。自分で行動のギアを落とさないようにと鞭を放っているけど、ずっと追い続けるわけにも行かない事も知ってる。だから、穏やかな時は穏やかに包まれるのがコツかもしれないね。昔よりは自分のバランスを取るのが上手くなってきたかもしれない。

たまにライブ前とかに自分の昔の日記を読む。書いていて良かったなって思う。文章はぐちゃぐちゃだけど少し面白い。大抵いつも金がない。と言っている。それは今も変わらない。無駄使いなんてしたくないのに今日も間違えて指向性が逆のマイクケーブルを買ってしまった。落ち込まないように深呼吸して正しいものを買い直した。それも間違えていたら落ち込むかもしれないが、流石にそんな事はないだろう。

自分はどのくらい頑張れるのだろうか。と架空の人物や歴史上の人物と比べてみる時がある。例えば高杉晋作。彼の人生たるや激動である。もしかしたら頑張ろうなんて考えた事もないかもしれない。具体的な使命感はまるで神託のように彼を示唆したのだろう。自分にはそういうものがあるだろうか。と考えてみるけれど、自分の人生の中で構築して見えてきた事はあれど、誰かがお前はそれをやるべきだ。と命令された事ではないし、だから頑張るって言葉が僕自身には必要なのかもしれないな。

自分自身を律する事は大切だ。それは規律であり規範なのだろうと思う。しかし僕はルールという言葉もマナーという言葉も嫌いだ。それを順守するかは別として言葉に抵抗がある。正義の旗を翳して正当化して意見とする行為が好きではない。だから、僕は誰かにこうするべきだよ。というように発言する事は多分あまりないと思う。だけれど意見は言いたい。僕はこう思うよ。って。それは似ているようで全然違う。大切なのは相対する相手に対する自然な敬意だ。

うむ。特に書く事を決めないで文章を書くとこんな感じになる。なんの脈絡もない。義務感で書いている訳ではないが、今夜は日記を書こうという自分に対する期待に応える為だけに書いている文章。読んでくれてありがとう。時間を無駄にした。と思われるかもしれないが、これを書き終わったら少し鍵盤を弾く。大切なのは習慣と継続だ。僕の鳴らす音楽は聞いてみたけど、無駄だったな。って思ってもらいたくないから。そう、この文筆はまるで体操選手のストレッチのようなものだ。そろそろ終わりにしよう。歌詞を書くように何度も推敲して何度も書き直すなんて事はしない。書く時間も10分程度で書ききれるようにしたい。駄文だとしても、書き続ける事で書けてくる事があるかもしれない。

だから、また書くよ。

最後まで読んでくれてありがとう。
気がつけば雨のパレードは5曲目だ。めちゃいいな。
今週末は初めて新宿駅で路上演奏する。
とても楽しみだ。

【LIVE】
2022/7/10(日)新宿某所路上
2022/7/11(月)渋谷Lamama
2022/7/16(土)渋谷Nonstyle
2022/7/21(木)三軒茶屋HEAVENS DOOR
2022/8/06(土)池袋某所
2022/8/12(金)京都某所
2022/8/14(日)大阪某所

Information:naito.live@gmail.com

BIG MOUTH 帰還

下北沢にBIG MOUTHというLIVE BARがある。駅前のなだらかな坂を下って茶沢通りに出てBasement barを越えて旧UK PROJECTの本社ビルに辿り着く手前。白い数階建てのビルの2階にその店はある。駅からは近いとは言い難いが遠い!って程でもない。

その店に月に1回程度の頻度で歌う機会を頂いて足繁く通っていた時期があった。店内に入るとカウンターと数脚のテーブルと椅子。マスターは出会って2回目位から僕を下の名前で呼んだ。初めて出演して以来、毎月のようにオファーを頂けるから、僕も声を掛けてもらえる事が嬉しくて出来る限り応え続けたいと思って出演を続けた。ご飯を食べさせてくれて終演後には数杯お酒を嗜んで終電前に帰るのを何度も繰り返した。

BIG MOUTHでしか共演する事がない歌い手の方が多かった。独創的なステージモニター環境に未熟な僕は震えながら対応した。関係を深められたような気がしながら続いた僕とBIG MOUTHの関係は特段の理由もなくある時期を境に疎遠になった。

最後に出演した時のイベントは多分僕が自分で組んだイベントだった。多分「音に撃たるるば」だと思う。階段の下までマスターはいつも僕の鍵盤を運ぶのを手伝ってくれて、その時も大丈夫っすよ。という僕を制して鍵盤の下部を持って店の外まで運んでくれて「重人、またな。」って言ってくれたのを覚えている。多分、隣にはまめ君がいた。季節は暑くも寒くもなかった気がするから春か秋だったんだと思う。


明日7月2日、久しぶりに僕はBIG MOUTHに歌いに行ける機会を得た。神戸の本谷さんのレコ発ツアー。声を掛けてくれた時、どうしようかなと思ったけれど、前夜の気分としては明日出演させてもらう事にして良かったなと思っている。予約は全然頂けていないけれど、楽しみだ。聞きに来てくれたら嬉しい。

初めてBIG MOUTHとの縁が出来たのも本谷さんのイベントだった。終演後、連絡先を教えてくれよ。と言ってくれたマスター。あれから数年。道は離れたけれど、今の僕を聞いてもらえる事を嬉しく思う。期待を寄せてくれた程には進捗出来ていないかもしれないけど、驚いてくれるような音もあると思うんだ。


終演後になると現れるアコーディオン弾きの事。当時中学生だった息子も今は大学生だろうか。オーナーの奥さんは元気だろうか。知らなかった数多くの音楽家をあの場所で知って、僕は店を後にした。多分、明日の次に出演出来るまでにまた時間が掛かるんだろうな。だからこそ、元気に挨拶して店に足を踏み入れよう。そして、あの頃みたいに本番前は店の向かいのローソンで開演を待ったりしよう。明日も暑くなるかな。猛暑は辛いけど、夕焼けが綺麗に映えるからさ。今年も夏が始まった。胸を高鳴らせて生きたい。


【LIVE NEXT!】
2022/7/2(土)下北沢BIG MOUTH
ーギグのつぼ企画ー
出演:
内藤重人
ギグ本谷/ふみもと大すけ/ヒトシレズカサジマ/一二三四五六/令和華音

OPEN/START17:30/18:00
Tickets 2750yen+order
出演者 20:20〜
【御予約】naito.live@gmail.com(内藤)
*御予約開場直前まで承れます。

先刻、無題に寄せて

先日、世古さんとスタジオに向かっている途中に少し様子が特異な人を街の中で見掛けた。変わった人がいるね。と言ったら彼女はそうですね。というような事を言った。僕はその流れで思いつくままに話してみた。

変だな?という印象を持つ人がひとりで存在していると端的に変わった人がいるな。という印象になるが、それが複数人、団体となっていくと変な人というよりも異様な事が起こっているな?と感じる時がある。妙なエネルギーを生んで磁場のようなものを生み出している。

というような事をつらつらと話していたら、話題は昔のライブハウスについての話に飛んだ。僕が遊びに行きだした頃のライブハウスというのは変な人が多く、それが集合体となって異様な磁場を生み出しているような気がした。外見は整っている人が多かったから、変な人達と言っても、行動的異様性を取り立てなければ近くの大学生の集団に見えない事もなかったかもしれない。しかし、頭の中の何かのスイッチが切り替わると途端に突飛な行動を始めるのはみなが若かったから。と一言では片付けられず、異様な磁場が存在していたのだと思う。

これは別に昔は良かったのだ。と書きたいわけではなく、ただの雑文だ。自室で制作の直前、少し振り返ってみたくなっただけの文章だ。


僕が佐伯君のステージを初めて聞いた時、彼は太めの白いタオルを巻いて鼠色のジャケットを着て歌っていた。多分渋谷eggmanだったと思う。僕は無遠慮に終演後の打ち上げに残り、しっかりと朝までそこに居た。朝まで打ち上げが行われる事は当たり前だったし、酒を鯨飲しなくてもそこには何かが始まりそうなエネルギーが渦巻いていた。当時の僕からしたら皆、変わっている人のように思えたし、学生時代の最中、僕もその渦の中に引き込まれたいと思った。


千葉の地方都市から出て都内で過ごす時間が増えていた。日々を増す事に知人は増えた。ただ同じ空間に存在していた。という理由だけでも仲間が出来たのだと感じて始発電車過ぎの総武線に乗り込んで殆ど昼近い時間に千葉に戻った。そんな連日の日々は多分自己形成の根幹になって人間性を創った。社会的安定感よりも大切なのは仲間と愛する場所を思う事のような気がした。学生時代は湘南純愛組を愛読していたし、家のコンポで聞いてきた音楽が発しているように思えたメッセージは今、この為に在ったのだと思えた。


自然と旧友と会う事は減り、矯正された日々からの自立を果たせるのだと思うと同時に露骨に問題点は増えていったが、それすら笑い飛ばす事が出来た。僕の財布の中身はいつも空っぽで、宿泊場所は駅の片隅でも公園でも知らない人の家でもどこでも良かった。不明瞭な起床場所で目を覚まして時間を潰して日が暮れれば磁場に寄せ集まる砂鉄のように地下室へ向かった。


佐伯君のあの頃に歌っていた歌を覚えている。そして、その後に歌っていた歌も覚えている。異様性は突飛な行動や妙な風体である事に限った事ではなく。極端な優しさや優れた描写性を持つ人の存在感も時に異様性を持つ。彼らの中で過ごした僕もそれを受け継いで今、音楽を創っていると思うし、そう思えば僕も変わった人に思われるのかもしれない。最近、自分の歩く様子の後姿を撮影した動画を見せてもらったが、自分では大して変ではない。と思っていたが客観的に映像を眺めると高度な異様性を持ち合わせていた。


佐伯君が先日Twitterにどこに居ても、誰と居ても、所在なさを感じると書いていた。お前には分からないだろう。と思われるかもしれないけど。

分かる。物凄く分かるのだ。


これから始まる旅の先でまた僕達の道は別れていくのだろうけど、邂逅出来た事を嬉しく思う。


僕の好きな彼の歌の詩を書いてみる。
もうすぐ夏が来るね、心臓が高鳴るよ。


THE BEAT GENERATION「街は、、、」

街は爆弾の雨で 彼等は夢も見れずに 終わりと知っていながら確かに輝いた

ふたりを引き裂く夜を 何度も睨みつけながら 時代の音で耳を潰されてこの愛が死んだって 

街はどしゃぶりの雨で 僕達は傘も持たずに いくつも涙を分けて分かり合おうとした

手首を切り裂く右手が 体を売れとせがんで ふたりの夜が静かに確かに終わりに向こうとも

街はどしゃぶりの雨で 僕は傘にもなれずに 涙は雨のふりして君を隠していた

手首を切り裂く右手が 星を叩きつけるように
終わりの夜を静かに確かにこじ開けようと足掻くのさ

C87DC7A6-2A9B-4368-A2EA-A885B6F7206E

Twilight from the time of AUMADOKI

AUMADOKIのTOURを終えて1ヶ月半が経った。季節もすっかり春めいてきた。いや、むしろ梅雨が近いのかもしれない。今も強い雨が降っていて、明日の朝には止むといいなと思いながら日記を書いている。

今日も録音があった。出来れば毎日、音楽的スケッチを並べたり進捗させたいと思っている。多分前より少しはそういう時間を現実に出来る力が脳に染み付いてきているから多くの日をそんな風に過ごす事が出来ている。だから自然と新しい音源の制作も始める事が出来ている。去年よりは一ヶ月くらい前倒しでアルバムを出したいなと思う。冬のツアーは少し大変だから。完成までの道のりは果てしないけれど多分作り上げられると思う。

実は来週渋谷LamamaでLIVEがある。僕企画なのでイベントに名前を付けた。「Twilight from the time of AUMADOKI」って名前だ。この日、僕はLamamaのグランドピアノで演奏しようと決めているんだけど、あそこのピアノの音ってキラキラ輝いて月の光みたいって思ったから英語で名前を付けちゃったりした。

それにアルバムの名前を載せたのは意図的な気持ちがあった。TOUR FINALは仲間の力を借りてバンドで演奏したから、ひとりきりの演奏でAUMADOKIを完了したいと思った。最終日を終えた段階でLamamaの石塚さんに相談して改めて日にちを頂く事が出来た。庵巳さんも小形君もあくんも快く共演を快諾してくれた。


今は舞台袖に仕舞われているピアノだけど、昔はステージ向かって右手。所謂下手に常設状態でピアノは置かれていた。先輩のバンドを見に行ったりするとギターリストがスピーカーの上に乗ったりして、ピアノの上に落ちたりしないだろうかと勝手にヒヤヒヤした。

あのライブハウスには思い出が染み付いている。いや、思い出って書いちゃうとなんだか変な気持ちになるような。そういう言葉で括ってはいけないような気持ちになるような、感覚がある。あのライブハウスで石塚さんが働いているのも自然な事だとしても今でも不思議だし、繋がっている事は多いのかなとも思う。


夏が来るまで後少しだ。2022年も半ばなのだ。目を閉じれば流れてくる走馬灯の先、Lamamaで鍵盤を叩ける事を光栄に思いつつ。ほんの少し前の事に思いを馳せながらこれからに繋げたい。夜半、ふと空を見上げた時、雲間に燦々と輝く月光の姿。何かを語りかけているようだし、沈黙を保持しているのかもしれない。解釈はそれぞれであって、その先どこかに繋がっていくのだろう。滲み出た音質が僕そのものであるなら、とても良い夜になるような力を想像している。諦めない。という気持ちでもなくて。負けない。という気持ちでもなくて。いや、どちらも大切だけれど、心の中で眠ったり起き上がったりする僕を動かす衝動を音階で包んで指元に運んでいけたなら、あなたの近くで鳴る事が出来るような音になる気がしているんだ。

良い夜になる気がしているんだ。
聞きに来てもらえたらとてもとても嬉しいです。


022/4/26(火)at 渋谷Lamama
Shigeto Naito presents
Twilight from the time of AUMADOKI
出演:
内藤重人
山田庵巳
グッナイ小形
アサトアキラ

OPEN/START 18:30/19:00
Ticket adv/door 2500/3000yen+1drink
【御予約】naito.live@gmail.com

8867F723-CB96-4DE4-AB7A-CEC0E6D3A4A1

LINE BLOG 最終回

2021年8月30日から毎日更新をテーマに書いてきた日記を今日で終わりにしようと思う。200回を区切りにと考えていたけど、195回で自分判断で打ち切りにしようと決めた。最後の10回位に入ってからは書くのに少し抵抗があったからかな。名残惜しさは殆どない。

そもそもアルバム「AUMADOKI」の関連の進捗状況を書いていこうと思って始めた日記なのだけど、伝えたい事がある時だけ書いていたら途中で止めてしまうだろうという事は自分の事なので手に取るように分かるので、厳しいかなと思いつつも毎日更新する日記にしようと思って進めてきた。

1日1回LINEBLOGのアプリを開いてポチポチと駄文を綴るのは思ったよりも辛くなくてそこそこ円滑に進めてきたと思うけど、AUMADOKIのツアーを終えた辺りから急速にペースダウンして日時に置いていかれるようになった。しかし、ある意味仕方がないような気もする。それがツアーが終わるという事だ。

現在は4月1日。巷では新年度の初日だ。僕には年度とかあまり関係がないけれど、敢えて言うならば旧年度の遺物を引きづらず、ここで最終回を迎える。最近は新しい音源の制作も少しづつ動き出しているから、同じ事をしようとは思わないけれど、少ししたら、また新しい試みを始めようかなと思っている。

今の所、日記を自分で読み返したりはしていないけど、いつかまた読み返す事があるだろうか。AUMADOKIっていう旅の軌跡が駄文だとしても残るのは悪くないと思うので、LINE BLOGはこのまま残しておこうと思う。

1年なんてあっという間だね。とも思うし、それなりに色々あった。とも思う。人生を積み重ねられるのが何年位かは分からないけれど、この期間、僕は音楽と共にあった。そしてこれは多分その記録だし、次の1年は更に積み重ねられるように頑張りたいと思う。「何が」かは名言するのは怖いけれど、それらはとても有限だからこそ。「頑張る」以上の言葉を書けるようになりたいな。

誰も読まないだろうなーと思っていたけど、意外と読んでくれた人や覗いてくれた人もいたみたいで嬉しかった。ありがとうございます。これからも思い浮かんだ事を実現出来るようにやっていきたいな。

季節は春。新年は信念を重ねて深淵へと導く。
195回。少しだけだけど頑張れたかな。

2022.4.1 内藤重人

LINE BLOG ARCHIVEははこちら↓↓↓
https://lineblog.me/naitoshigeto/

5937E7C8-2B80-4B65-97DE-415372051FA7

AUMADOKI TOURを終えて

AUMADOKI TOUR FINAL。

この日を目掛けてLINE BLOGの方で日記を毎日書いてきた。しかし、どうも回数が中途半端なので、もう少しだけ続けようと思う。秋の終わりから始まった旅、録音から考えれば一年近い旅路がこの日終わった。余談を加えるならもう少し続くのだけど、この日で完了ということで良いだろうと思う。

2022/3/4、この日の事はずっと忘れないと思う。素晴らしい時間であったが心中は落ち着いていた。仲間と共に演奏出来た事も最高であった。詳しく書いていたら、とんでもない長文になりそうだ。今夜、僕は新しい曲のスケッチを終わらせたいと思っているので、感傷的な文体をつらつらと書くのはよそうと思う。

何かひとつの事を最後まで投げ出さずに出来た事があるのか、と誰かに問われたらこのAUMADOKIの旅の事を伝えようと思う。道半ばであるし大成功だったとは思わないが完遂出来て良かった。そして、次の旅を始められる気力が胸の中に今も点っている自分で良かった。

この旅の中で感じた事はこの先で音楽に繋がると思う。そして今、昔はあまり考えていなかったけど多くの人に音を届けたいと思うようになった僕は頑張る。という言葉では括れない程に刮目しなければならないのだろう。

冬の中、僕は今夜も僕は鍵盤の前に座る。

それが関わって下さった方、そして気に掛けてくれている方、応援してくれる方に対する誠意なのだろうと思う。引き返す事は殆ど出来ない。この道の先で待っているものが、輝かしいものであれば救われるのかなと思うけれど、それは分からないよな。

AUMADOKI創れて良かったなって。
少しだけ自分を誇り少し思います。

ありがとうございました。
また音の鳴る場所で会いましょう。

73914DC6-CFFF-4B55-9EA6-F194A799BE2A

AUMADOKI TOUR FINAL 前夜

AUMADOKI TOURの初日は昨年11月24日。今日は3月4日だから3ヶ月半位が経った。記憶は朧げだがアルバムを作ろうと思ったのは昨年の春先。約一年前の事だと思う。そして明日TOURを終えようとしている。日中新しいアルバムの事を考えながら曲を作っていた。既に薄っすらと浮かぶイメージは旅先、少しづつ霧の中を模索するように捉えつつある。


遠い街から鳴り響くファンファーレに心を寄せて湧き上がる記憶の邂逅。


旅の最中、色んな事があった気がするけれど、それは今までもずっとそうだった。ただ時節柄、今までに経験した事のないような大変な気持ちも胸にはあった。自分では解決する事が出来ないような風潮の中、心情の痛みを避けて下を向いて歩いたりもした。音楽を鳴らす場所はいつも優しくて、そんな僕に笑いかけてくれた。嬉しかったけれど、それで解消しきれない気持ちも胸の中にはあった。

音楽を作ったなら、聞いてもらいたいと思う。いや、それ以上の願いがあるような気もする。旅を始めるという事は人生の守備範囲の限界に挑戦しても許されるくらいに、いや、多少はみ出してでも掴める可能性を求める為に賭けているものは大きい。

ひとつの事を終わりに導けるというのは幸せな事だと感じる。漠然と終わってしまう事も予想もしていない角度で突然完了してしまう事も求めているのに去っていってしまう人もいる中で旅を終わりにして次の事を始めようという区切りを持てるのは自分に対するひとつの褒美のような事かもしれない。時間は儚さと共にあると今の僕は感じる。同じ事は繰り返せない。似ているようで多分違う出来事が連鎖している。僕には描きたい事があるけれど、同じ言葉では綴り続ける事は出来ない。


子供の頃、マンションの窓辺から学校に通う為のバスに乗り込む僕に母親は手を降ってくれていた。バスの中で分岐点、岐路について考えていたら怖くて仕方がなかった。この街を出ていく時が本当に来るまで、もう少しだけ待って欲しかった。


早朝、薄明、日暮れ、オレンジ、藍色、逢魔時。色合いが心臓に付着したようでいつまでも剥がれない。

音楽にしたら、言葉にしたら、それらは質感を変えていく。寂しい時もあるけど人生を歩んでいる事を嬉しく思える時もある。音楽と歩み始められた事を幸せに思う。

1st ALBUMと名付けた僕の音源。この旅は完全に成功だとは言えないけど、僕の気力の羽は折れていない。明日を終えて笑えるかは分からないが、ツアー最終日前夜、歩み続ける事を再び誓います。

音の鳴る場所で会いましょう。


【LIVE!】
2022/3/4(金)渋谷Lamama
AUMADOKI TOUR FINAL

出演:内藤重人with???
内藤重人(Piano.Vocal)/世古美月(Flute)ヌマタユウジ(Guitar)/佐々木泰雅(BASS)
森康一郎(Drums)岸川まき(Chorus)
Guest:ブリキオーケストラ

OPEN/START/18:00:18:30
adv/door 2500/3000
【御予約】naito.live@gmail.com



【毎日日記最終回が近づいています】
https://lineblog.me/naitoshigeto/

FD1EB824-B493-40A8-AD83-804EBE39A9C3

ウクライナとロシアの歴史:引用

両国の歴史は、1000年以上前にバイキングが現在のウクライナの首都キエフを中心に築いたスラブ系の大国、キエフ公国の時代に遡る。ウクライナもロシアも起源は同じ国だった。公国はかつて、黒海からバルト海まで広がっていた。


西暦988年、キエフ公国のノヴゴロド公ウラジーミル1世がギリシャ正教に改宗し、クリミアの都市ケルソネソス(古代ギリシャの植民都市だった)で洗礼を受けた。この洗礼以降、「ロシア人とウクライナ人はひとつの民であり、一体である」と、昨年、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は宣言している。


しかし過去800年近く、ウクライナは互いに競い合ういくつもの勢力によって繰り返し支配されてきた。東からやってきたモンゴル軍がキエフ公国を滅ぼしたのは13世紀のことだ。この侵攻が、モスクワを中心とする地方政権がロシア帝国にまで発展する発端となった。


15世紀頃から商業の中心地モスクワのモスクワ大公国が強力となり、1480年イヴァン3世の下でモンゴル人から自立し、東北ロシアを統一した。彼は他の諸侯を抑えて強大な権力を握り、ビザンツ皇帝の後継者としてツァーリの称号を用いた。国内では勅令で全国の農民の移動の自由を奪い、農奴化を進めるなど専制君主の地位を固めた。こうして16世紀にはロシアが東ヨーロッパの大勢力となったのだ。


16世紀にはウクライナにポーランドとリトアニアの軍隊が西から侵入する。17世紀、ポーランド・リトアニア共和国と帝政ロシアとの戦争により、ドニエプル川より東側とキエフがロシア皇帝の支配下に置かれた。東側は「左岸ウクライナ」と呼ばれ、ドニエプル川より西の「右岸」はポーランドが支配した。その後、「ロシア化」と呼ばれる政策により、ウクライナ語の使用と学習が禁止され、人々はロシア正教への改宗を迫られた。


後のウクライナは、その大部分がロシア帝国の支配下に置かれたが、西部地域は時代によってオーストリア・ハンガリー二重帝国などの周辺国に属していた。ヨーロッパに接近することで力をもったロシアが大国になるのは、ピョートル大帝(1682〜1725年)からだ。その後ロシアの拡張は進み、ウクライナはロシア本体の辺境である小ロシアになる。それが辺境を意味するウクライナということばとなって現れる。


ロシアは常に西に位置するスウェーデンやポーランドに危惧を抱いてきた。とりわけカトリックの宗教騎士団の侵攻である。ロシアは正教会であり、13世紀のアレクサンドル・ネフスキーの名前はカトリックの侵入を阻止した人物としてロシアの歴史に刻まれている。だからこそ、ロシアにとってスウェーデンとの間に横たわるフィンランドは重要で、この国を親ロにすることが重要であった。スウェーデンとポーランドの侵攻を抑えるために重要なのが、プロイセンである。18世紀に起きたプロセイン、ロシア、オーストリアによるポーランド分割は、ロシアにとってリトアニア=ポーランド王国の残滓を消すことであった。


しかし、状況は19世紀、ナポレオンにより一変する。今のリトアニアのヴィリヌスに入ったナポレオンは、1812年初夏ロシアへと侵攻する。ロシア侵攻は、結局ナポレオンの敗走によって幕を閉じるのだが、ヨーロッパに民族独立の火をつけ、その後進展する国民国家独立運動を引き起こしてしまう。


それがギリシアのオスマントルコからの独立運動である。英仏の支援を受けたギリシアは独立に成功するが、これがポーランド独立運動の高まりを生み出し、若者たちの独立運動を引き起こす(青年ドイツ、青年イタリアなど)。こうした独立運動は、当然ながら絶対王政による支配に対する抵抗運動として、社会主義者や共産主義者も巻き込み、ポーランド独立運動支援を生み出す。そんな中、1853年イギリス・フランスとロシアが戦ったクリミア戦争(〜1856年)が起き、ウクライナの民族独立運動が生まれる。この頃生まれたのが、ウクライナ民族は存在し、ウクライナは独立国であるべきだという主張である。


ウクライナ民族主義がロシアの体制に向けられたことで、ソ連共産党となるボリシェヴィキもウクライナ独立を支援するようになる。ソビエトが成立して、レーニンはウクライナを連邦共和国の一員として迎えることで、ウクライナをロシアとは別の民族だと認めることになる。一方、第一次大戦が終わると同時にこの地域に西欧が軍事介入し、赤軍と戦うことになる。一方、レーニンの主張に対して、マルクス主義の革命家・哲学者であるローザ・ルクセンブルク(1871〜1919年)は、ウクライナ民族の創設について、民族は恣意的に創られるものではないと批判する。この問題が、ウクライナには重くのしかかることになる。


1917年11月にロシアで社会主義革命が起きると、同時にウクライナ人民共和国の成立が宣言された。当時は第1次世界大戦中で、ウクライナ人民共和国はドイツと連携し、ソビエト・ロシアと戦った。18年3月にブレスト・リトフスク条約が成立し、ドイツ、ウクライナなどとロシア(ソビエト政権)の間に和平が成立し、ロシアは戦争から離脱した。このときのウクライナとロシアの国境線が基本的に現在の両国を隔てることになった。しかし、1918年末にはソビエト政権が西部を除くウクライナのほぼ全域を実効支配する。そして1922年にソ連邦が結成されたとき、ウクライナもソ連に加盟したが、国境線に変更はなかった。


1930年代初頭、ソ連の指導者ヨシフ・スターリンは、農民を集団農場に参加させるためにあえて飢饉を引き起こし、何百万人ものウクライナ人を飢餓と死に追いやった。その後、ウクライナ東部の人口を埋め合わせるために、スターリンはロシア人をはじめ多くのソビエト市民を移住させた。その多くは、ウクライナ語を話さず、地域にほとんど縁のない者たちだった。


第二次世界大戦では、ソ連はヒトラーのバルバロッサ作戦(1941年)によるソ連侵入によって、大きな被害を受ける。連合軍の勝利の後、ロシアはウクライナ共和国を拡大し、ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、チェコスロバキアと直接接するように国境地域を拡大する。結果的にウクライナにロシア人以外が住むようになる。とはいえ、ウクライナの人口の多くはロシア語を話すロシア人であった。


*ウクライナ東部は西部よりもずっと早い時期からロシア支配下にあったため、東部の人々はロシアとの結び付きが強く、ロシア寄りの指導者を支持する傾向にある。 対してウクライナ西部は、ポーランドやオーストリアなど、欧州列強の支配下に何世紀にもわたって置かれていた事情などから、西部の人々は西欧寄りの政治家を支持する傾向にある。東部にはロシア語を話す正教会の信者が、西部各地にはウクライナ語を話すカトリック信者が多い。

 
1986年4月26日、史上最悪の原発事故がウクライナのチェルノブイリ原子力発電所で発生した。


1991年のソビエト連邦の崩壊により、ウクライナは独立国となった。しかし、国を団結させるのは容易なことではなかった。その理由のひとつは、「ウクライナ東部では、西部ほど愛国意識が強くない」ことだと、元駐ウクライナ米大使のスティーブン・パイファー氏は言う。民主主義と資本主義への移行は、痛みと混乱を伴うものであり、東部を中心に多くのウクライナ人が、以前の比較的安定した時代のほうがよかったという気持ちを抱いていた。「こうしたさまざまな要因を経てできた最大の分断は、ロシア帝国とソビエトによる支配を好意的にとらえている人たちと、これを悲劇として見る人たちとの間にあるものです」と、米シンクタンク大西洋評議会の元研究員で、ウクライナに詳しいエイドリアン・カラトニツキー氏は言う。


この亀裂が顕在化したのが新欧米派の政権を誕生させた2004年のオレンジ革命であり、何千人ものウクライナ人がヨーロッパとの統合拡大を支持してデモ行進を行った。1991年のソビエト崩壊によって、ソ連の共和国が独立していく。その中にウクライナもあったが、ロシアはこれらの地域がNATO(北大西洋条約機構)に入らないという条件付きで、独立を認めた。


クリミアは2014年にロシアに占拠・併合され、その後まもなくウクライナ東部のドンバス地方で分離独立派が蜂起し、結果として、ロシアの支援を受けたルガンスク人民共和国とドネツク人民共和国の建国が宣言された。2014年、親欧州連合(EU)派による反政府デモを経て、ロシアを後ろ盾とするビクトル・ヤヌコビッチ(Viktor Yanukovych)大統領が失脚。その後ロシアは、ウクライナ南部のクリミア(Crimea)半島を併合し、東部地域の親ロシア派を支援した。ウクライナは、2014年の「マイダン」のクーデターで、ロシアと対立する資産家ポロシェンコが、大統領ヤヌコヴィッチをロシアに追放し、親米政権を創る。ここからウクライナ問題が起こる。ロシアは東部に軍隊を送り、その結果、ウクライナの中にロシアに近いルガンスク共和国とドネツク共和国が生まれたが、これをウクライナも西側も国として承認していない。


2014年のウクライナ危機以降、同国経済は悪化。同年、GDP(国内総生産)は6%以上落ち込み、さらに翌年には10%近く減少し、インフレ率は40%に達した。その後、景気は回復の兆しを示しているものの、人口約4000万のウクライナは、欧州の最貧国の一つにとどまっている。国民の平均月収は500ユーロ(約6万5000円)前後だ。ウクライナ経済は、ロシアから欧州に輸出される天然ガスの通過料収入に大きく依存しているため、自国を迂回(うかい)してロシアの天然ガスをドイツに輸送する新たなパイプライン「ノルドストリーム2」が経済に与える影響について、政府は懸念を表明している。


ウクライナには汚職がはびこっており、2019年、元コメディアンのウォロディミル・ゼレンスキー氏は、大統領選で汚職撲滅を公約に掲げて勝利した。


ウクライナ東部のルハンスク州(ロシア語ではルガンスク州)の約半分、ドネツク州の約3分の1は親露派武装勢力の実効支配下にある。ゼレンスキー大統領は、これら2州の実効支配を回復しようとしている。自国の領域の実効支配を回復することは当然のように思えるが、ウクライナ東部に関して、事態はそう単純ではない。ここに当然、大国が介入する余地がある。そもそもウクライナはヨーロッパに属するのだが、EUには軍事組織がない。あるのはNATOである。ソ連時代はワルシャワ条約機構があり、それが東欧を束ねていたのだが、今ではNATOが束ねている。しかし、ウクライナがこれに入るとなると、ロシアはNATOに包囲されることになる。


EUは独自の軍事組織を持つということを課題にしていたのだが、実際にはNATOの傘下に入ることになる。これがウクライナ問題をこじらせている原因である。EUに参加すると、結果的にNATOに入ることになり、ロシアと敵対することになるからだ。もちろんEU独自の軍事組織をもてば、ロシアの近隣にアメリカ中心のNATOが軍事組織を持つことはない。しかし、EUの中でそうした軍事組織をアメリカが認めるはずはない。この事がウクライナ問題を袋小路に導いているといえる。



地域特性
環境の特性を示した地図を見れば、ステップと呼ばれる肥沃な農地を有するウクライナ南部・東部地域と、森林の多い北部・西部地域との間にも隔たりがあることがわかると語るのは、米ハーバード大学の歴史学教授で、同大学ウクライナ研究所所長のセリー・プロキー氏だ。氏によると、地図に示されたステップと森林の境界は、東部と西部の間を斜めに走るラインとなっており、これは2004年と2010年のウクライナ大統領選挙における政治状況を表す地図と「驚くほど似通って」いるという。ウクライナにとって不幸なことは、エネルギー資源を含め最も豊かなのが、この東部であることである。だからウクライナはこれらの地域の分離独立を認めることはできない。


ウクライナは今のロシアにとってEUとの緩衝地帯である。さらに、ウクライナを流れるドニエプル川そしてドネツ川(ドン川)が、ロシアへつながっていることだ。北の海しか持たないロシアの重要な輸送路は、黒海である。黒海に入った船はロシアに向かってこれらの川を上る。これと良く似た不幸な地理的地域がドナウ川流域だ。ドナウ川はルーマニア、ブルガリア、セルビア、ハンガリー、スロバキア、オーストリア、ドイツ(流域を含めるとウクライナも通る)を流れる。これらの国は、一蓮托生であり、勝手な行動を取ると紛争に発展する。


ましてウクライナの東部の天然ガスが、西欧へ流れていく点で、ウクライナは重要な地点である。しかし、一方でロシアとドイツとのノルドストリーム1、2が建設され、さらにはトルコからブルガリア、そしてドイツへと流れる天然ガスのパイプラインができれば、ウクライナは取り残される。それはロシアとドイツの協力による、戦後のヨーロッパ体制の崩壊であり、またEUの崩壊であり、アメリカとフランスにとっても傍観はできない。


だからこそ、この地域はバルカンと並んで重要な地域であり、アメリカの軍事戦略とロシアの軍事戦略が真っ向から対立する地域でもある。

AUMADOKI TOUR FINAL-内藤重人with???-

今日はなんの日だっけ。祝日なのは知っているけど。冬の晴天、空は高く蒼い。夜のスタジオまで今日は特に予定がないから色々な事をしようと思っていたけど、昼飯を食って休憩していたらあっという間に夕方が迫る、瞬足で今月も駆け抜けていくのだろう。

AUMADOKI TOUR。石川鶴来、長野J、茨城土浦、高崎、埼玉川口でのライブが延期、そして中止になってしまった。先週末新潟でのライブを終えてツアーはFINALを残すのみとなった。寂しい。失われた可能性や会えるはずだった人達への想像力が心を締め付けるけど、言葉を噛み殺して迫る旅の最終地点の事を考えている。

新潟から帰ってくる新幹線。東京駅のホームで扉が開いたタイミングでたまたま流れたイヤホンからの曲が心を打って思わず涙が溢れた。悔しい気持ちや耐えてきた気持ちが一瞬溢れかけたけれど、大丈夫。直ぐに正面下方やや前方を睨みつけて歩き始めた。

AUMADOKI TOUR FINAL。僕は仲間を迎えて内藤重人with???という名称でステージに上がる。ゲストにはツアーで一番対バンした多田羅君のブリキオーケストラ。会場は渋谷Lamama、石塚さんがいる。ソロのアルバムのツアーファイナルなのだからひとりでその日を迎えるべきだとも思ったけどバンドで演奏する事を決めた。

内藤重人with???という名前は僕が歌い始めた頃にステージに上がる時に名付けた名前だ。それから「???」はThreeQuestionsに名前を変えた。ずっと昔の事だ。また同じところに舞い戻るのかなと思うと少し笑えてくるけど、全く違う事のような気もするんだ。


2010年代前後のライブハウスの中で循環するコードに沿って仲間達は演奏してくれた。歌にコンプレックスのある僕はそこに載せて辿々しくも絶叫を続けた。ポエトリーってジャンルは知らなかった。ヒップホップのエレクトロニカも何も知らないけど、峯田和伸に憧れた。ステージの上で躍動する音楽を毎日聞き続けた。時代の暗部と光の中に僕はいて恋に憧れた。歌が歌いたかった。言葉を紡ぎ出した先に待っている日常に期待を思った。

感傷的である前に日常を乗り切るだけで精一杯だった生活。財布の中身は特に今も変わっていない。今夜のスタジオ代もないのでクレジットカード使えたらいいな、、と思っている。不器用極まりなく。いや、不器用というより歪で漠然とした異物性が漂い膜となって僕を覆った。昔、街の中で歪さは映えてむしろ誇らしくもあった。時間が流れればそれすらも荷物になっていく。けれど、僕は音楽を止めなかった。そんなに頑張ってもいないのだから辞める辞めないの次元ではないのかもしれないけど、考えた事もなかった。街から街へ。友達が出来て仲間が出来て時間はぐぐぐいと流れた。

2020年3月。AUMADOKI TOUR FINAL。ひとつの旅の終わりはひとつの旅のはじまり。佐々木泰雅、沼田雄二、岸川真紀、世古美月、森康一朗。そして僕。友達であり仲間。そしてライバルでもあるのだろう。この6人で演奏する機会が次にあるかなんて分からない。再現性を高めたいというわけじゃない。僕達はひとりひとりが音楽家である。逢魔時はやがて暮れて夜がやってくるだろうのだろうけれど、ひとりでは歩みきれないであろう道程の先で鳴らしたい音楽に僕は未だ憧れがあるのだ。


【LIVE!】
2022/3/4(金)渋谷Lamama
AUMADOKI TOUR FINAL
act:内藤重人with???
内藤重人(Piano.Vocal)/世古美月(Flute)/ヌマタユウジ(Guitar)/佐々木泰雅(BASS)森康一郎(Drums)岸川まき(Chorus)

Guest:ブリキオーケストラ

OPEN/START 18:00/18:30
Ticket adv/door 2500/3000(+1drink)

御予約:naito.live@gmail.com

8543DE6B-3F12-46F3-AE26-3CFC5FD4125B

BLUE MV公開に寄せて

2022/2/3 18:00
AUMADOKI〜BLUEのMVが公開になった。

制作はAZUMA KENJIさん。YAN君から紹介して頂いた。普通MVっていうのは発売日前には公開になっているものなのかもしれないけど、TOUR初日から2ヶ月以上経つ今のタイミングで発表出来た事が逆に良い事のような気がする。制作を終えて結構経ったけど、今も作品を心に留められている力になるような気がするし、ツアーはまだ終わっていないから気を引き締める切っ掛けにもなるような気がするんだ。

旅の中で大抵必ず歌ってきた「BLUE」は簡単そうに聞こえてとても難しいから、最初の方はライブで歌うのがとても大変だった。でも、札幌の最終日の「BLUE」は良かった。声が今までの自分より少し突き抜けた気がして、曲が僕を育ててくれたのかもしれないなと思って嬉しかった。僕は良い曲だって思っているからもっと多くの人に聞いてもらえたらなと思うし、これから、もっと曲を伝えられるようになれると思う。今は映像が完成して嬉しいけど、もしこの曲が広がっていくのなら、これからが新しいスタート地点なのだろう。


僕は歌詞を書く時に言葉が多くなってしまうから、この曲はなるべく少ない言葉で描写をしたかった。海辺に佇むような空気感と時間の経過を静かに表現したかった。そこをAZUMAさんが捉えてくれたのだと思う。

思えば、この曲のメロディーを思いついたのも逢魔時だった。家の近所を歩いていて、気がつけば歌っていた。殆どの歌詞も直ぐに書けた。

アルバムのタイトルは「AUMADOKI」僕は「BLUE」の作曲の流れから名前を思いついた。だからタイトル曲のような気持ちもBLUEには持っている。行進曲的なリズムで下支えをしているけど、それは高らかに跳ねるように鳴らせば軍歌のように聞こえるのかもしれないし、僕の音で鳴らせたなら僕の曲になるのだ。

撮影時、夕暮れの防波堤に座って30分間定点で撮ったシーンが最後に入っている。真冬なので、もちろんとてつもなく寒かったけど、素晴らしい天気だったから寒気に耐えながら夕日が地平に沈む様子を眺めていた。ちらりと暮れゆく夕陽に思いを馳せる時はあるけど、そんなに長い時間それを眺めている事はあまりないので、その間、ちらちらと今までに起こった出来事を考えていた。故郷の千葉の海、学生時代の事、実家の事、昔思っていた強い感情なんかに思いを馳せた。感情的になるというよりは眠る前の走馬灯みたいにちらちらと情景が流れていった。暖かいような寂しいような気持ちになった。

子供の頃好きだった幽遊白書という漫画の最終回のシーンがとても好きだ。沈む夕陽の中での仲間達の描写は今でも胸に残っている。愛を知らなかった頃、僕は白黒のコミックの中で愛情を想像した。感傷的である事が愛情と最も近い感情だと思った。終わってしまう事、暮れていく事に対する儚さは胸を締め付けるようで、終わってしまう前に何か言葉を残さなければいけないと思った。出来れば歌を残したいと思った。

あれから随分時間が経った。
混迷の中で強い光を求めて戦うのだ。というより。

ふわりとした情景の中で言葉が安らかに側で鳴ってもらえたらという願いを込めて。



BLUE

朝方の海辺 飛び交う渡り鳥
懐かしいパレードの賛美歌を従えて

あの日に帰るの 私達これから
沈黙の先の言葉を探してた

終わらない事は怖い事だよ
ひとりで遊んで疲れて眠ってた

藍色の中で震えて待ってた
拝啓、無口な世界と無色な自己投影
あの日に帰るの 私達これから
懐かしいパレードの賛美歌を携えて

BLUE MV

77AB54AE-D36C-4B96-9004-A35BBD70FD23

AUMADOKI TOUR 大阪出立前々夜

無事に札幌から帰ってきました。最終日16日のLIVEを終えて寝りゃいいのに始発で向かうから眠る必要はない。と訳の分からない事を言ってあずまを付き合わせて本当にぎりぎりまで札幌の街に滞在していました。最後に松乃屋で朝食を食って、何故かあずまが僕の分もレモンサワーを買ってきてくれて、本当にもう一滴も飲めないから申し訳ないけど残して、すすきので空港行きのバス停に発車時刻一分前に滑り込んでからは東京に帰るまで本当に濃い6日間を過ごさせてもらいました。体力を使い果たした感が強くて飛行機の離着陸の時も覚えていないし、何かを考えられるような気力も消え去っていたけど、あれから2日位すると少しは回復してきて、札幌の日々やステージを思い返す事が出来ています。


聞きに来てくれる方の力で僕の音楽はツアー初日の頃よりも随分変わることが出来ているような気がしています。それは感覚的に今までで一番ツアーらしいツアーを回れているような気にもなります。去年の夏から録音に真剣に望めて、発売する事を伝える事が出来て、ツアー初日を迎えてから幾度かのステージで鳴らした音を自分で受け止める事が出来て、それは次のステージへと繋がって同じ曲でも進化を遂げているような感覚がツアーの大切な事なのだなと今更思ったりしています。それは本当に幸せな事だと思うし、残りの15本位のライブが終わった時に俺はどうなっちゃってるのだろうと楽しみにも思います。


今は東京に帰り着いて様々な事務作業に取り組んでいます。本当は大阪に行く日までに終わらせたいけれど、多分これは追いつかないんじゃないかって思いながら、そうだ!日記を書こう。と思い筆を取りました。明後日の新幹線でAUMADOKI TOUR、2度目の関西に行きます。初日はBRONZEでNOSIDE。2日目はnano。(土竜さん感謝しています)3日目は静岡。古い友達のWEMMERのロッキー君が店を出したとの事でお邪魔します。4日目は埼玉、西川口。サトクリフにて性闘士☆準也君のキャンセルは残念だけど、良い日にしたい。そんなツアーのSISSON3です。とても聞きに来て欲しいと強く強く願うのです。


2022年が始まって2週間と少し経ちました。ツアー後の事も少し考え始めています。増えていく携帯のメモ帳に刻まれた言葉の端っこや、気絶するように眠っているのに飛び起きて録るボイスメモなんかが次の音楽へと繋がっていくのかなって思います。時間は有限だからこそ、自分の出来る音楽を探し続けて鳴らし続けて人生の旅として在りたいと願います。空虚だった僕の殻の中には沢山の感情が詰まっていて、今では殆ど全部が音楽の場所から始まった事になったと感じます。だからこそ、音の鳴る場所で会いましょうって言ってるのかもしれない。今週のツアーも無事に回れるように祈って。再会を信じて。準備を進めます。

深夜、自宅にて。



【LIVE】
TOTAL TICKET INFORMATION
naito.live@gmail.com


2022/1/20(木) 大阪.心斎橋BRONZE
BRONZE8周年祭/NOSIDE
Shigeto Naito AUMADOKI Release Tour

出演:内藤重人/大平伸正/田口卓磨(Unblock)/tamy(lila)/五架ななみ/Hyuga
LIVEART:k:soul:y a.k.a YAN
PHOTO:桃子

OPEN 17:30 START:18:00
Ticket adv/door 2500/3000(+1d)


2022/1/21(金) 京都.二条nano
『ころすな』

出演:内藤重人/eureka/Sound Design Works

OPEN 18:30 START:19:00
Ticket adv/door 2000/2500(+1d)
※投げ銭制配信あり


2022/1/22(土) 静岡OPEN FACTORY BLUEST
SHIGETO NAITO
-AUMADOKI Relese Tour-

出演:内藤重人/ブリキオーケストラmatatapia(アコースティック)/わんだ

OPEN 18:00 START:18:30
ENTRANCE : NAME YOUR PRICE(投げ銭制)


2022/1/23(日)埼玉.西川口Stu.Sutcliffe
Shigeto Naito
AUMADOKI Relese Tour

出演:内藤重人/MinamonoTori/明璃/窪田 幕間/石垣 雅史
※性闘士☆準矢の出演はキャンセルになりました。

OPEN 16:00 START:16:30
Ticket adv/door 3000/3000(+1d)

写真:アサトアキラ
A174C556-D46C-4A0C-9B9D-FEE36A174445
月別アーカイブ
プロフィール

内藤重人

QRコード
QRコード