2007年09月10日
姦淫聖書
15世紀半ば、グーテンベルグが活版印刷を発明して以来、文選、植字、校正、印刷という工程の中で、常につきまとう誤植。誤植というが実際は誤字を拾うのは文選の現場、そして植字の後試し刷りされたゲラを校正する際の見落とし、なんどかの校正を経て (著者本人の校正を含む)の校了、それでも誤植は生じる。
学生時代、アルバイトで文選の仕事をしたことがある。
鉛活字を満載した文選棚があって、文選工は原稿と文選箱(ハガキをもう少し縦長にした感じ)を左手に持ち、右手で文選棚から活字を拾い文選箱にならべていく作業。原稿を読みながらというより、ひたすらに活字を拾う単純な作業で、誤字を拾う可能性は、経験に比例する。偏や旁の読み違いが原因の場合が多い。
40年以上前の文選工経験、なぜか今でも文選棚のほぼ中央、少し目を下げたあたりにあった「生産用田」の四活字が脳裏をよぎる。
さて、「姦淫聖書」、誤植の歴史の中で特筆すべき傑作である。
聖書はキリスト教の聖典、旧約、新約、計66の各種文書から成る。旧約聖書の「出エジプト記」「申命記」の中にモーセの十戒がある。
ちなみに、ユダヤ教の聖書(聖典は)は旧約のみで、その中で特に重視されるのが、「モーセ五書」 であり、旧約という言い方はキリスト教側から見た旧い約束の意味であって、もちろんユダヤ教側ではそうは呼ばない。
旧約聖書は「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」と続くが、「出エジプト記」の第20章にモーセの十戒がある。十の戒めの七番めに、
汝姦淫するなかれ。
Thou shalt not commit adultery. とある。
英語訳(旧約聖書の原典はヘブライ語)で誤植というか脱字が見逃された。否定語のnotが脱落、
Thou shalt commit adultery. 汝姦淫せよ
致命的な誤植をしてしまった関係者は処刑されたという。
なお、老婆心ながら、 現代英語では thouはyou shalt はshall
1611年に、英国国教会の典礼で用いるために、時の国王ジェームス1世が命じて英訳された「欽定訳聖書」、その20年後に誤植による「姦淫聖書」は生まれた。
誤植に最も神経を使う印刷物は辞書、百科事典類である。
世界最大の百科事典「エンサクロペディア ブリタニカ」は誤字、脱字等々を見つけた人には相当な謝礼をすると、なにかで読んだことがある。
私も孫の中学生時代、中学生用の英和辞書の簡単ミスを見つけて投書、謝礼に500円分の図書券をもらったことがある。簡単ミスなので、相当数の投書があったと推測出来、謝礼金(図書券)は相当な額にのぼったのではあるまいか。
我が国でも当然誤植は、浜の真砂のようにあったろうし、これからもあるだろう。ただ、現在の辞書編集は、語一つにカード一枚を基本とする従来の作業からコンピュータ処理へと進化しているので、あるいは誤植は限りなく0に近いのかも知れない。
私の知る限りでの辞書の傑作誤植は、「岩波国語辞典」第一版、第三刷の
「誤謬」を「説謬」としてしまった件。誤謬(間違い)を間違ってしまったのだから笑えない話だ。発見者は、かの言葉の達人、井上ひさしさんと聞く。
井上さんと言えば、「岩波国語辞典」の上位にある同じ岩波の「広辞苑」の余白をメモ書で埋めてしまうほどの辞書マニアらしい。井上さんにとって、辞書は引くものではなく、読むものなのだろう。
最後に、「フランクリン自伝」
十八世紀の政治家で、凧の雷実験でおなじみの、ベンジャミン・フランクリンは
自伝の中でこう述べている。
「もしもお前の好きなようにしてよいと言われたならば、私はいままでの生涯を初めからそのまま繰返すことに少しも異存はない。ただし、著述家が初版の間違いを再版で訂正するあの便宜だけは与えてほしいが」
私なぞは、すべて白紙に戻して欲しいぐらいの人生なのだが。
それでも 素晴らしき哉、人生!