中川隆政税理士事務所のブログ

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今回の五島トライアスロンとこのブログのファイナルです

SWIM3.8km  1時間33分47秒 445位
BIKE180.2km 7時間11分7秒 351位
RUN42.2km  5時間39分43秒 484位


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総合順位 226.2km 14時間24分37秒 総合424位、M45・・・76位


制限時間ぎりぎりのゴールでたいしたことないですが、完走したことに誇りを持って今後の人生を生きていくことができます。


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私のような普通の人間でも挫折と苦悩を繰り返し、何とか生きていっています。

今回の10回の記事は、「普通の人間がどうやって苦悩や挫折と折り合っているのか」というおとぎ話のつもりです。

仕事で挫折し、苦悩されている方に何か伝われば本当にうれしいかぎりです

「バブル世代の仲間達よ頑張ろうぜ!」


このブログの最後の記事として最高の終わりになることができました。
ありがとうございます。





第1章 動機編
第2章 挫折編
第3章 苦悩編
第4章 前日編
第5章 SWIM編
第6章 BIKE編
第7章 RUN編
第8章 ゴール編
第9章 感謝編
第10章 ファイナル

ゴール後の感想。


あまりにも過酷なことをすると、人間リフレッシュされるような気がする。
パソコンの動きが悪いと再インストールして初期状態にすると動きが良くなる。
そういう感覚に現在なっている。

自分の動きを悪くしていた容量オーバーのデータがなくなり、快適にさくさく動くパソコンになったようだ。

あらゆる嫌なことは五島のSWIM会場の海、BIKEコースの山、RUNコースの道路に起き去って、雨によって私を洗い流してくれたような感じがする。

生まれ変わるというと表現がオーバーだが、少なからず、そういう気がしている。

あまり私は普段「ありがとう」ということができない。
今では、素直に感謝できるようになった。

五島に出場して本当に良かった。


最後に、皆さんへの感謝を。





まずは家族に感謝。土日家族サービスほったらかしで、自分の練習を1年間させてもらってありがとう。

職場の皆さんへ。朝の時間出勤が練習で遅れて、何も文句言わず、仕事してくれてありがとうございます。トライアスロンに集中できたのも職場の皆さんが私の分をカバーしたおかげです。

自転車屋の秋月さんと権丈さん 自転車のことを教えて頂きありがとうございます。

ルネサンスの方々へ 練習のやり方や、九千部山のコース、英彦山練習会などいろいろご教授ありがとうございます。当日のRUNコース下見にも連れてって頂き、ありがとうございます。

FTCの皆さんへ 当日の宿を当日までお会いしたことがない私のために、予約や現地での移動に同乗させて頂きありがとうございます。

五島の島民の皆さんへ RUNコースの水はけをはじめ、応援、大会運営ありがとうございます。

東京の井上さん 「気合いで腰痛直せ」は忘れかけていた根性を思い出すことができました。

黒山さんへ 完走は何を言っても、黒山さんのおかげです。何から何まで本当にありがとうございました。

他にもたくさんの方々のおかげで完走できました。


このブログの最後数回に渡る記事が、トライアスロンを目指す方々の少しでもお役に立てれば幸いです。

トライアスロンにチャレンジするということ以外に、本当にお伝えしたいことがあります。
私のようなバブル世代は、職場で多くのプレッシャーがあることでしょう。

挫折編や苦悩編の私はまだ甘いのかもしれません。

しかし、私自身、トライアスロンへ出場し、完走することで、生まれ変われるような錯覚を起こしています。
仕事で苦労されている方私ようなバブル世代の方に、忘れ去っていた「気合いと根性と感謝」を思い出す気づきになれたと願っています。

また、五島のバラモンキングが毎年盛大に行われることを願っています。

ロングディスタンスを完走したので、私自身、トライアスロン税理士として名乗る資格を得たと思っています。

この経験が父として、経営者として私の人生を今後変えていくことは間違いないです。

今後トライアスロンの大会に出場するかしないか微妙ですが、どこかのレース会場でお会いすることができましたら、このブログ見たとお声書けて頂くとうれしいかぎりです。


第1章 動機編
第2章 挫折編
第3章 苦悩編
第4章 前日編
第5章 SWIM編
第6章 BIKE編
第7章 RUN編
第8章 ゴール編
第9章 感謝編
第10章 ファイナル

ついにゴールへ。

ラスト500m。
もう完走は確実。

ゴール手前で抜かれたくないし、写真撮影もばっちり写りたい。何しろ記念になるからだ。
そういうスケベ心がよぎるようになるほど気分はゴール一色。

彷徨う亡霊達は、ゴールに向かって、誰もが人間に戻るようだ。

後ろを振り向き、ゴール直前で抜き去られそうな人がいれば、先に行かせて自分のゴール演出。
折角、14時間も走っているんだから、最後抜かれるようなゴールは情けないからだ。

顔を拭いて、満面の笑みでゴールする準備を整えた。

ゴールにはなんと赤絨毯がひかれている。
ビクトリーロードだ。

そこをゴールに向かってまっしぐら。

満面の笑みでと思っていたが、本当にうれしくてたまらない。

フルマラソンやショートのトライアスロンでは絶対味わえない、本当に達成感でいっぱいになり、うれしくてうれしくてたまらない。

「俺はこのゴールのためにやってきたんだ」とかそういものは一切ない。

とにかくゴールだ。うれしい。その感情以外にはない

テープを切って、ゴールのポーズ。ロッキーのファイナルのまねをしたつもりが、通常の万歳になっていた。

本当にきつかった。

そして、みんなに感謝だ。


第1章 動機編
第2章 挫折編
第3章 苦悩編
第4章 前日編
第5章 SWIM編
第6章 BIKE編
第7章 RUN編
第8章 ゴール編
第9章 感謝編
第10章 ファイナル

BIKEが終わりいよいよRUNだ。

ショートタイプのトライアスロンに出場しているため、BIKEの後、足の筋肉がおかしくなっているため、BIKE下車後、気をつけなければならないと知っていた。

しかし、足どころか、背中、腕、腹筋全て限界。
背中は伸びず、曲がったままでしか走れないほどBIKEで筋肉は疲労してしまっている。

高校生ボランティアにBIKEを渡し、RUN用の着替えを入れたRUNギアバックという名称の着替えを入れた袋をもらい、着替える。

ほとんどの方はシューズを履き替えるだけ。

私は、シューズ、ウェア、RUNパンツ、上半身のアンダーアマーを着て上半身を保護。下半身のアンダーアマーを着ようとしたが、筋肉疲労で体が曲がらないし、靴も履けない状態。最低限の着替えをするしか方法はないと判断。

私は元々右足首弱く、テーピングしなければいけないのに、とてもテーピングする余裕はなく、着替えに10分かかってスタート。
このとき、SWIM開始前にやはり足首固定しておくべきだったと悔いた。
その理由はラスト14kmで判明する。

BIKEで筋肉疲労のため、背中は伸びず曲がったまま、足は上がらず、鼻水は垂れ放題。
汗だく、雨で濡れているため、ウエアはうまく着れないし、ランニング用パンツもよくはけない。

私のRUNスタートはなんと『背中は曲がり、半ケツ、へそ出しルック』でスタートすることに。
かっこよさとは無縁の42.2kmがスタートした。

3週回するコース。

前日にRUNコースは下見していたため、BIKEコースとは違って全体像を理解していた。

しかし、走れない・・・足が出ない。
立ち止まってはいけないし、歩くと制限時間の問題があるし、とにかくゆっくり走るしかない。

ひたすら走る。
沿道から地元の方々が声援してくれるが、自転車と違ってきつすぎて応援に応えることができない。
本当にきつい。手をふるの余裕すらないほどきつい。

私の自転車にはトライアスロンでよく見る肘を乗せ、ハンドルをもつDHバーがない。
だから、手が異常に疲れて入れ、動かない状態。

BIKEの時は、「なんでこんなコースや、きついじゃねーか」など言葉を発したり、心の中で叫んでいたが、RUNになると全くそういうことを考えなくなった。

ひたすら、歩かないようにするにはどうすればいいのかだけ考え、『自分の矜恃として歩かないのだ。それが自分の使命だ』など自分を奮い立たせながらテクテク走っていた。

でも、本当に今思い返しても、RUNの間、何を考えていたのか思い出せない。

記憶はかなり飛んでいる。

肉体的にきつすぎることを行うと記憶は飛んでしまうんだろう。

2周目が終わり、28km。後1周。
歩かないのが矜恃だという思いも撃沈。
歩かないといけない状態に。

RUNの着替えで、テーピングしなかったと書いたが、右足首に痛みが走り出した。
ふくらはぎはSWIM開始時にテーピング、サポーターをしているため、最後まで肉離れにならなかったが、一番痛みが生じると走れない足首に。

レース中であるため歩くとは言っても、速歩きしなければならず、そうすると大股になる。大股になると足首が痛いので、小股でしか歩けない。
小股だと歩く速度は上がらず、仕方なく、小股走りしかできない。でも足首が痛い。

エイドステーションが2kmごとにあり、そこで効くか効かないかわかならいが、エアーサロンパスを噴射することに。
でも、腹筋が限界を迎え、シューズを脱げない。脱ごうとすると、腹筋がつってしまう。
どうにかこうにかエアーサロンパスを噴射し、走るとなんと痛みはなくなっている。

今までエアーサロンパスって効くような気がするだけだったが、今回よくわかった。限界状態では効くということが。

RUNを続けると、足の大腿筋、ふくらはぎ、足の全面の筋肉、足のあらゆる筋肉がつりはじめ、足首の痛みが治らない。

エイドステーションごとにエアーサロンパスし、もはや彷徨う亡霊やゾンビのような状態。
無表情で、唯一声援に応えたのは、小学生のことも達のみ。
子どもの声援には応えてやらないといけないというのだけは、ふらふらでもあった

私の名前を呼んで応援くださるが、上げたがどうかわからないような手の合図だけ。

きついとか、たまらないとかそういう次元のことは全く考えなくなる。

ただ、ゴールするしか興味がなくなってくる。

こんな疲れた顔するんだというくらい、写真の顔は疲れ切っている。

気づいて周りを見ると、私と同じようなタイムの人たちが黙々と走っているのか歩いているのか漂う亡霊なのか・・・

誰もが痛みを抱えて走ったり歩いたりしている。腰が痛そうな人、膝、股関節。年齢も同じような人ばかり。

SWIM、BIKEの時はこいつらには負けたくないとか、ゴミちゃんと持ち帰れよとかいう気持ちがあったが、RUNになると、もはや競争とかマナーについてしっかりしろっていう気持ちは全くなくなった。

特に最後の折り返し7kmになると、みんな頑張って完走して欲しい気持ちにな不思議となる。

前を走る人、抜き去る人、エイドステーションで休む人、すれ違う人に対して素直頑張れっていう気持ちになっていた。
今振り返ると不思議な感じだ。

フルマラソンではそんなことは思ったことはない。
極限のトライアスロンだからこそ思える感覚なのだろう。
極限状態になると人間の本性が出るんだろう。
人間というのは群れで生きる。だから、仲間意識というものが自然に湧くのではないかと今振り返ると思う。

そして、残り2kmになると衝撃があった。

BIKEからRUN開始中ずっと雨が降り、いつ雨がやんだか覚えていないが、RUNの途中で雨がやんでいた。

残り、2kmの舗装道路はでこぼこしていて、走りにくく、水たまりがある状態。

それを、ボランティアスタッフのTシャツを着ていない、普通の応援のおばあさんが、自分のタオルを水たまりに入れて、水を吸って、道路の橋で絞って、また同じことを繰り返していた。

一瞬何してるのかわからず、私は歩いていたが、なんと、ランナーのために水を取り除いて走りやすくしていた。
ランナーはそこを一瞬で通り過ぎるポイントにもかかわらず。

それをみて、こういう方々のおかげでこの競技に参加できているんだと本当に感謝した。
今思い出しても、衝撃の光景だった。


第1章 動機編
第2章 挫折編
第3章 苦悩編
第4章 前日編
第5章 SWIM編
第6章 BIKE編
第7章 RUN編
第8章 ゴール編
第9章 感謝編
第10章 ファイナル

SWIM編の続き

SWIMでペースを上げたせいか、知らないうちに心肺機能にダメージが残っていたようだ。

「横のおっさんが嫌」だったからペース上げたけど、まさか心肺にダメージが・・・と少しSWIMで調子に乗ったことを後悔した。

私は、軽いギアでくるくる回して自転車を走るようにしている。
くるくる回して走る方法は、心肺機能を使う走り方で、足の筋力が温存できると聞いていた。
普段の練習でも、重いギアは使わず、くるくる回す心肺機能で自転車を得意としている。

しかし、それがSWIMのダメージで、心肺機能が回復せず、くるくるギアを回すと、「ゼーゼー」いう状態。
足の筋力を使いたくないが、仕方なく、重いギアで走ることにした。

もう一つ。自転車をレース前に調整して頂いていたが、車検が完了して審判に預けることになっているが、その移動で調整箇所が動いたのだろう、一番軽いギアにすると、チェーンが何かに当たってしまい、変な音がしている。
さらに、ペダルもこぐ都度「カシャカシャ」って摩擦音がする。
何かに当たっている。

「こんな状態で180kmか。スタートからハンディ背負っているじゃねーか」っと自転車でも精神的ダメージを抱えて抱えてスタートとなってしまった。

約5km程度の平坦な市街地を抜けると、もういきなり山・山・山。
「えええええーーーー。なんじゃこのコース。こんなコース走るのか」超心の叫び。

登り、下り、しばらく平坦、また登り、下り、しばらく平坦と繰り返し。
下りの勢いを登りに活かすこともできないコース。

しかも、雨が降ってくるし、コンディションは最悪。

「絶対このコース考えた奴性格悪すぎ」ってブツブツ文句言いながら、BIKEを走った。

2周すると聞いていたが、途中看板があり、2nd90kmなんて表示がある。
どういう意味なのか?少し考えた。

「意味わかった。2週目にこのポイントが90kmってことか。じゃ、俺まだ、20kmなんですけど。いったい2周目90kmっていつなんだよ」と切れ気味に。

しかも、心肺機能が低下しているため、横腹は痛いし、スタートしてすぐに嫌気がさしてきた。

上がっておりて、平坦で、また上がっておりて平坦での繰り返し。
しかも永遠と続くここは無縁地獄はたまた修行なのか。

宮古島トライアスロンもほぼ同じ距離らしく、宮古島は平坦らしい。だから、宮古島はロングディスタンスに出場するけど、五島はBタイプという距離が短いほうにエントリーする人もいる。それくらい五島のバラモンキング(五島のトライアスロンはこう名称をつけている)はハードらしい。

黙々と自転車をこぎ、時間を確認すると、競技開始から5時間がたっていた。80KM付近で、「俺まだ、あと10時間も体動かし続けるのか。なんで出場したんだろう」ってだんだん、競技中にもかかわらず、おかしなことを考え始めていた。

前を走る自転車野郎が、補給食を食べていて、歯でかみちぎって、かけらを吐き出し、食べていた。
「お前捨てたらいけんやろ。ゴミちゃんとポケットに入れろって」文句言いたいが、そんな元気はなく、「俺も食べよう」と食べた。
どんなに小さなゴミを捨てて欲しくない。
落ちたら、止まって取りに行って欲しいくらいだ。
そういう光景がRUNであった。
ちょっと感動してしまう内容だ。
後述する。

自転車もママチャリなら簡単に食べれるが、ロードレーサータイプのBIKEで時速30kmとかで走っていて、補給食を食べるって超怖いのだ。
私はへボレーサーなので、どうしてもうまく食べれない。
練習では止まって食べたが、レースとなると止まって食べている人はいない。

だから、私も止まらずに鍋なければならない。
恐る恐る、後ろを確認して食べなければならない。
なぜならば、食べるときにふらふらしてしまうからだ。
ぶつかって、迷惑はかけられない。

自転車はトータル7時間10分程度であったが、補給食を食べないと、眠くなったりして頭がボートしてしまう。

だから、トライアスロンのBIKEは補給食がとても重要だ。
自転車をこぐという行為以上に補給が重要だ。

自分で準備しなくても、補給食は約20kmごとにエイドステーションで食べることができる。水、スポーツドリンク、バナナ、ミカン、黒棒など。
バナナを食べ過ぎて当分食べたくない果物だ。

補給食の重要性はわかっているものの、初心者であることから、腹も減らないため、食べずに走ってしまう。
すると、頭がボーッとし、眠くなることは何度もあった。

食べないと眠くなるのだ。

120kmを過ぎると頻繁にボーとなり始め、だんだん訳がわからないことを考えていった。

「このままあのカーブに突っ込んだら、こけて、リタイヤできるね」まさにランナーズハイ状態。

「うわーやばいやばい。なんか食べないとやばいぞ」って食べると意識はしっかりなり、馬鹿なことは考えなくなる。

でも、足は疲れるし、なんで俺こんなことしてんだろうってぶつくさ文句ばかり。

しかし、五島の島民の方達が応援してくださるので励みになってがんばれる。

しかも、私の番号を確認して「中川さん頑張って」と言ってくれると超うれしい。本当にうれしい。
初めて参加して、開催者ではなく、地域住民の方達から名前を呼ばれるんで、頑張れるもんだ。

途中に、シスターが応援してくれていたんで、2周目には十字をきって声援に応ええると喜んで頂いた。

なんだかんだありつつ、早く自転車ゴールしたいとBIKEに嫌気がさしていた。

疲労困憊して、BIKEゴール。約7時間10分。

ちなみに、私のBIKEはフレームがアルミ、ホイルもアルミ車体価格10万円程度の一番安いモデル。カーボンやチタンは一切ない。
いわゆる安物のようだ。自分では10万円もする自転車って思っていたのに・・・
トライアスリート達と話しても私の自転車が話題になることはない。

そんな安物だが、ゴールできた。
しかもずっとカシャンカシャン音を立てながら・・・

「あー、やっとBIKE終わった」正直な感想だ。

第1章 動機編
第2章 挫折編
第3章 苦悩編
第4章 前日編
第5章 SWIM編
第6章 BIKE編
第7章 RUN編
第8章 ゴール編
第9章 感謝編
第10章 ファイナル

前日編からの続き

SWIMはバトルというものがあり、足をひっぱたり、上から乗られたり、顔をたたかれたりと、トライアスロンのSWIMはけんか腰じゃないと泳げない。

私は、SWIMに自信がないから、端っこから泳ぎ、不整脈っぽくならないようにゆったり泳いだ。

プールで顔上げ泳ぎの練習をしたため、SWIMはなんとに楽に泳げた。

一番不安視していた、SWIMいけるじゃんと泳ぎながら、いけると確信した。

2周回するため、1周目のタイムを見ると47分。ちょっと遅いとタイムを気にするような余裕があった。

2周目に入り、いけると確信したため、周りが少し見れて、超へたくそな泳ぎする人たちにと同じペースとわかった。

「こんな奴らと一緒に泳ぎたくねーよ」と思い、ペースを上げた。
へたくそな息継ぎする奴がこっちを見てくるし、「なんで、へたくそな息継ぎするのに俺と同じペースなんだ」と心で叫んでいた。

「ペース上げなきゃずっとこいつを俺泳ぐの?」ってことを心の中で繰り返し、もう嫌だとペースを上げた。

SWIMでまさかこんなことまで思えるとは思いもよらなかった。

自分自身もへたくそにもかかわらず・・・


でも結局、2周目も1周目と1分しかかわらず、46分だった。

SWIMはあっさり終わった。

次に着替えだ。トランディションとアスリート達は言っている。

5分で着替えが完了し、自転車(アスリートはBIKEと読んでいる)スタート。

下見していないので、どんなコースかわからない。
BIKEは五島名物のアップダウンが続く難コース。

ここから地獄の始まりだった。

第1章 動機編
第2章 挫折編
第3章 苦悩編
第4章 前日編
第5章 SWIM編
第6章 BIKE編
第7章 RUN編
第8章 ゴール編
第9章 感謝編
第10章 ファイナル

第1章 動機編
第2章 挫折編
第3章 苦悩編 の続き

大会は日曜日に行われるが、金曜日から五島入りするプランであった。
しかし、台風が金曜日の直撃し、金曜日のフェリーは欠航。
予定を変更して土曜日入りすることになった。
「初めてなのに、なんで台風なのか」と自らの日頃の行いの悪さを反省した。

3人で私の車に同乗し、長崎まで行き、フェリーに乗った。
私を除く2名はベテランで、数々のトライアスロン野郎をしっていて、トライアスロンをする方々は仲間意識があるんだなと感心した初日であった。

ずっとビールを我慢していたが、お一人ガンガンビールを飲むので、私もつられてビールを一杯だけ頂いた。めちゃくちゃおいしかった。

「翌日もっとおいしいですよ」と聞き。、1杯で我慢した。
しかし、翌日のゴール後、全く酒は飲めないほど疲弊することになる。

レースの説明会に参加した。
説明会の内容はテクニカルなことばかりだから、あまりおもしろくない。
それよりも、私を圧倒させたのは、参会者の数だ。
800人ぐらいいたんだろう。

クレージーな奴が800人。

同行している仲間に、「クレージー野郎がこんなにいるんですか???」まさに驚嘆した瞬間だった。


レース当日を迎えた。
朝3時半起床だ。

全員起きている。当たり前だ。
全員よく飯食べて、「すごい俺も食べておかねば」と思い、完食した。

それと食べないと、大便がでないから、よく食べた。
SWIM中に大便したくなると大変だからだ。
ウエットスーツがくそまみれとなるとレースどころじゃないからだ。

しかも、私の日常生活の大便時間はSWIM中の時間であることも気になっていた。
それに食べると通じが良いため、日に何度も大便するため、「速くでろよ」って小腸と大腸に命令を繰り返していた。

おかげで、民宿で1回、SWIM会場で1回と排便し、不安解消。

しかし、まだまだ、私は緊張しまくっていて、SWIM会場へ。「不整脈っぽいなるんじゃねーよ」と願っていた。

それを察してか「中川さん。ここまできたら観念するしかないですよ」といわれ「そりゃそうだ」と観念するようにした。

SWIM開始は7時半。

スタート前に、全員が並んでいた。

クレイジー野郎どもが全員集う瞬間だ。
どいつもこいつも顔見るといかれたクレイジーな顔している。

一方、私は緊張のピークを刻々と迎えている。

そのためか、私の方を見てにやける人が多数いた。
「そんなに見るんじゃねーよ。緊張してる奴を。ましてスタート開始前に。ふざけんなよ。クレイジー野郎め」って思っていた。

と同時に、心臓はバクバクいっている。ウルトラマンの赤いタイマーがピッコンピッコンいうような状態。

後でわかったが、何でににやけられていたかというと、ウエットスーツには子ども落書きというか寄せ書きがあり、「溺れるな」「頑張れ」ロボットの絵など書かれていた。

おそらく、それを見て微笑ましく思っていたとわかった。
私には全く余裕がなかった。

そしてスタート。
スイム独特のスタートの合図が鳴り響く「プワーン」

ついに始まった。

第1章 動機編
第2章 挫折編
第3章 苦悩編
第4章 前日編
第5章 SWIM編
第6章 BIKE編
第7章 RUN編
第8章 ゴール編
第9章 感謝編
第10章 ファイナル

第1章 動機編
第2章 挫折編  の続き

平成24年の夏頃に、このままやめてしまっては死ぬまでの自分の達成目標の一つだったんだと思い出し、また後悔することだけはしたくないため、練習再開。

我が子がサッカー・水泳・テニスなどを始めたため、車出しなど当番があるだろうから、平成25年がラストチャンスだろうということも再開のきっかけになった。

しかし、経営者として人の悩みが一番苦しく、特効薬がない。
どこにも答えはない袋小路に迷い込んでしまった感だらけであった。

経営者である以上、私自身に与えられる試練であると認識していたが、とても苦しい状態であった。

ラストチャンスという言葉だけが自分を奮い立たせる気力となっていた。

練習方法であるが、平成22年頃からルネサンスでトライアスロンをされている方と知り合いになり、いろいろ教えてもらった。

「トライアスロンはBIKEの距離が長いからBIKEの練習が必要ですよ。泳ぎはどうにかなるから心配ないですよ」というアドバイスを聞き入れ、自転車練習を始めた。

その頃の練習をこのブログで数回アップしている。

佐賀の吉野ヶ里遺跡往復70kmや佐賀の大和インターから三瀬村経由の100km練習など、自転車練習を本格的に始めた。

同時に、RUN練習も春日公園で再開した。

人材問題という仕事上の問題を抱え、仕事がうまくかみ合わない苛だしさもあり、トライアスロンの練習が唯一、自分を取り戻す時間であった。

そういう理由なのか、精神と肉体がかみ合わないためなのか、帯状疱疹を発症してしまった。。

ストレスからくる病気と知り、肉体的にも精神的にもかなり追い込まれていた状態であったと、今更ながら思う時期であった。

その結果、平成24年10月には練習を断念。

ネットで調べるとこの病気、長期間かかる場合があるとわかり、「平成25年6月の五島トライアスロン出場するのに無理かな」と思っていた。
表面上は平静を装っていたが、内心、「俺どうなるんだろう。はやばいな。しかも発症部位が顔だし。」という気持ちであった。


初期治療が重要であるということがネットでかかれ、帯状疱疹と診断されるまで1週間か10日間かかった。
初期治療が遅れてしまったのだ。

ところが、皮膚科の先生の治療のおかげで、わずか1ヶ月で完治した。
しかし、右目上には今でも傷跡は残っている。

今回のタイトルは苦悩編と書いているが、まさにこの時期が苦悩のピークであった。
様々な肉体的苦悩があったが、精神面の苦悩が何よりもきついということが今思い出してもよくわかる。


帯状疱疹を10月末に発症し、完治が11月末。
その年、平成24年12月宮崎のフルマラソンには結局大事を取って出場を断念した。

翌年の平成25年1月の宮崎4時間自転車耐久レースに出場できる状態まで回復した。

その後、体調に注意しつつ、RUNの練習を開始した。

平成25年2月には竹田市でフルマラソンをエントリーしていた。

11,12月にRUN練習ができず、1月からかなりの距離を走ったため、持病の左足ふくらはぎ肉離れが発生し、不参加となった。
練習で追い込みすぎて、足が悲鳴を上げてしまった。

この時期から古傷の故障に悩まされるづけることになる

この時期、怒濤のエントリーをしていた。

3月には海の中道で開催されたハーフマラソンに出場し、1時間50分と足は順調に回復していった。
この時期にはふくらはぎ肉離れは完治したと思っていた。


平成25年4月に佐賀さくらマラソンフルに出場した。自宅から会場まで50kmを自転車で行き、フルを走る予定が、あまり練習もできていなかったため、車で会場入りした。

本番は6月であるため、あまりピッチを上げずにいたが、タイムは4時間40分程度とまたもや遅いタイムにもかかわらず、ラスト2kmでまたまた左足肉離れを再発。

6月のトライアスロンロング出場に暗雲が。

この時期に、ルネサンスの方から「九千部山を自転車練習したら効果が上がるよ」という話を聞きいた。

RUNの練習は肉離れでできないため、毎日早朝、九千部山を自転車練習。往復2時間半の45km。
この練習が効き、トライアスロンの完走に至ったような気がする。
ほぼ毎朝練習していた。


しかしながら、この練習の負担はかなり体にあり、実は腰痛を再発してしまった。
元々、トライアスロンのきっかけが腰痛予防であるため、この時期に腰痛かと参ってしまった。

しかも、5月の連休中に。

残り40日で最後の追い込み時期に、追い込めないという状態になり、さすがに凹んでしまった。
フルマラソンの過酷さ、自転車180kmの過酷さを練習で知っているため、持病の腰痛が恨めしく、弱気になってしまっていた。

フェイスブックに後ろ向きなコメントを記載していたら、「中川さん気合いで直せ」って久しく聞かない言葉で励まされた。
今でも、この言葉は自分にとって大切な言葉だ。「気合いで直せ」

「根性と気合い」しかないと、なんというのだろう、言葉じゃなくて体全体で受け止めるような感覚で気づいた瞬間だった。

近くの医者にかかり、気合いで治った。

2週間くらいぐだぐだしていたため、最後の追い込みを開始して、九千部山詣でを行った。

そして、一緒に五島入りするルネサンスの方2名と英彦山往復140kmを行い自信をつけることができた。

また、最後の自主連で、佐賀大和経由三瀬村から板谷峠経由九先部山の140km(山4つを超え)を走り自転車本番体制は整った。

残りの20日間を切ったときに、ふくらはぎの肉離れも完治したようなため、20km春日公園を走ると、久しぶりのRUNの練習で、足の裏を痛めまた、RUN練習ができず、本番を迎えることになった。

ラスト2週間では、毎日3kmを1週間泳ぎSWIMの追い込みは完成した。
マリナタウンで海連を一人で行い、ウエットスーツの感触も確認し、SWIM調整は完了した。

しかし、SWIMの練習中に、心臓が痛くなったりするため、もしかして不整脈があるのかなと少しマイナス要因を抱えたまま、ラスト1週間を迎えた。

ラスト1週間は何もせず、本番。

RUN練習ができていないこと、不脈ぽいというのが気になりながら本番となった。
一応家族には不整脈っぽいのは内緒で、最後の家族サービスを行った。

本当に、溺れるかもと思っていたからだ。

ウエットスーツとRUN用ウエアに子ども達に寄せ書きを書かせて、五島入りした。

いよいよ本番だ。

第1章 動機編
第2章 挫折編
第3章 苦悩編
第4章 前日編
第5章 SWIM編
第6章 BIKE編
第7章 RUN編
第8章 ゴール編
第9章 感謝編
第10章 ファイナル

動機編の続き。挫折編。

トライアスロンに向けてまだ漠然とした考えしかなかった。

ところが、ある日、当事務所のお客さんがトライアスロンをかつてしていたと聞き、「私も始めますよ」と行った手前、自転車を購入しないわけにはいかず、錦江湾メンバーの紹介(といっても、日大の自転車部のキャプテンだったと最近知った)で、自転車購入。

「よくわからんけん、安い自転車いいですからね」といってお願いした。

購入した週末に試乗。

当時、自転車で20km走って「俺すげー」と勘違いしていた。

それにこの自転車で何度が、ずっこけがあった。

遮断機が下りている踏切でずっこけて危うく電車にひかれそうになるり、顔中血だらけで家に帰ったことがある。
コンビニでこけて、救急車で担ぎ込まれたこともある。
凍結した山で滑ってこけて、頭強打。何度もこの自転車で泣かされたが・・・いい相棒だ。

その後、ハーフマラソンなどに出場し、平成23年6月に錦江湾メンバー含む3名で虹ノ松原トライアスロンにエントリー。

ところが、前日に2名とも出場できないと連絡あり、私だけ一人の出場に。

何もかも初めての大会にひとりぼっち参加。
しかも前日台風で海は大荒れ。

波は約2mと泣きたくなるような状況で、swim1.5km、BIKE40km、RUN10km、T/L51.5kmに出場。
これこそ何とか完走できたが、順位は最低な状態。

このままでは、トライアスロンロングディスタンス(SWIM3.8km、BIKE180km、RUN42.195km)なんて夢のまた夢と現実を理解した大会であった。

ロングに出場したいが、まずは走ることが一番きついと虹ノ松原トライアスロンで認識し、RUNの練習に励む。

平成23年の冬に宮崎の青島マラソンへ出場した。
フルマラソンだ。
タイムは5時間40分と情けない結果に終わった。

タイムが情けないということより、私をどん底に追いやったのは、約4km泳ぎ、自転車を180km走って、RUNで42.195kmなんて、できる奴なんてこの世にいることが不思議なくらい、フルマラソンは過酷だった。
やはり難しいのだろうかと少し諦めかけていた。

体力的な問題よりも実はもっと私を苦しめることが起きた。

平成24年に入り、一番古いスタッフが退職したことだ。
しかも、採用で何度もずっこてしまって、恒常的な人材不足に陥った。
入社してはやめる悪循環に落ちってしまった。
負のスパイラルだ。

既存社員への負担増、増加する仕事、人材の不足。

人にかかわる問題は簡単に解決できない。

トライアスロンどころではなくなってしまった。
家庭、仕事がうまくいかないと、趣味などとてもできない。

フルマラソンの過酷さもあり、ロングディスタンスの出場はすっかり目標からなくなってしまっていた。

挫折していたのだ。

第1章 動機編
第2章 挫折編
第3章 苦悩編
第4章 前日編
第5章 SWIM編
第6章 BIKE編
第7章 RUN編
第8章 ゴール編
第9章 感謝編
第10章 ファイナル

ブログも閉鎖していたが、最後の記事アップ数回に分けてアップする。

平成21年に腰痛予防でスポーツクラブルネサンスへ入会。

理由は、子どもの参観日に教室後ろでわずか3分もたっていることができず、このままではどうにかなってしまうと思い、入会した。

腰の筋肉をつけようと、筋トレを開始するが、元々、筋トレは大嫌いだから、続かず、プールが中心となった。

プールでウォーキングをしたが、景色はかわらず、苦痛しかなく、やはり泳ぐしかないと水泳開始。

しかし、100m泳ぐと3分休憩しないとまた泳げない状態が続く。
このままでは腰痛予防にもならないなと思いながら泳ぎを続ける。

予防とかそういう漠然とした目標には、私はモチベーションは維持できないとわかり、何かないかとネットで検索。

錦江湾の遠泳大会を知り、翌年の平成22年、錦江湾遠泳4.2kmを目指すことにした。

仲間もいなくて、ひたすら練習し、どうにか5名集めて平成22年8月に完泳した。
その年に初めて、6月にアクアスロンというものを知り、1.5kmの水泳、10kmのRUNを完走した。

遠泳が終わり、次の目標は何位するとその5名で話し合い、折角だからトライアスロンを目標に切り替わった。

実はトライアスロンは、税理士試験をしていることに、義足のランナーさんの特集のテレビ放送があり、「ハンディキャップを負っても頑張っているんだ。俺も税理士兼頑張ろう」と思ったこともあり、昔から興味があった。

こんなことできると人生かわるんだろうなという期待も思っていた。

錦江湾遠泳やアクアスロンを出場したんだから、できるかもしれないという期待度は上がった。

同時期に、いろいろ人生の目標などを決めていた。

死ぬ前までに達成したいことが何個かあり、その中にトライアスロンのロングディスタンスに出場するというこがあった。




第1章 動機編
第2章 挫折編
第3章 苦悩編
第4章 前日編
第5章 SWIM編
第6章 BIKE編
第7章 RUN編
第8章 ゴール編
第9章 感謝編
第10章 ファイナル

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