2010年03月
琉球ハイボール、ジャマイカンハイボール。はじめました。
今日はとっても暖かくって、気持ち良いお天気でした。そんな日は、
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「のど、かわきません?」
♪アワモリィーがお好きでしょ

♪もっともっと しゃべりましょ

♪ありえな〜い話でしょ

♪飲んで ええの アマノ〜

いらっしゃい!
琉球ハイボール。はじめました。

『琉球ハイボール 650円』(木屋町店、なかぐわ〜酒店、goya店)
ウィスキーのような琥珀色の泡盛古酒「くら」使用。
泡盛ではめずらしい樫樽熟成。
樽の香りがチラホラッとウィスキーを思わせる。。。
のど、かわきません?

出町店は、ジャマイカンハイボール。

『ジャマイカンハイボール 650円』(出町柳店)
なんと!「ラムの中のコニャック」とまで呼ばれる
ラム酒の最高峰「ロン サカパ センテナリオ」を使用。
この価格でほかでは飲めません!
最後に業務連絡。
女性スタッフのみなさん、
最強小雪さん見て、勉強してね〜。
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「わたしは氷、あなたは・・・(ノ゚Д゚)ノあ、どこいくの〜〜〜」
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「混ぜすぎないで、炭酸がぬけてしまうから。」
はい、覚えましたね。頑張りましょう! yanmoφ(.. )
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「のど、かわきません?」
♪アワモリィーがお好きでしょ
♪もっともっと しゃべりましょ
♪ありえな〜い話でしょ
♪飲んで ええの アマノ〜
いらっしゃい!
琉球ハイボール。はじめました。

『琉球ハイボール 650円』(木屋町店、なかぐわ〜酒店、goya店)
ウィスキーのような琥珀色の泡盛古酒「くら」使用。
泡盛ではめずらしい樫樽熟成。
樽の香りがチラホラッとウィスキーを思わせる。。。
のど、かわきません?
出町店は、ジャマイカンハイボール。

『ジャマイカンハイボール 650円』(出町柳店)
なんと!「ラムの中のコニャック」とまで呼ばれる
ラム酒の最高峰「ロン サカパ センテナリオ」を使用。
この価格でほかでは飲めません!
最後に業務連絡。
女性スタッフのみなさん、
最強小雪さん見て、勉強してね〜。
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「わたしは氷、あなたは・・・(ノ゚Д゚)ノあ、どこいくの〜〜〜」
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「混ぜすぎないで、炭酸がぬけてしまうから。」
はい、覚えましたね。頑張りましょう! yanmoφ(.. )
本日木屋町店長ゆうくん誕生日会です!
割ったら募金。これも縁。
ベトナムでの最終日の夕方、
ロビーでみんなと待ち合わせの時間まで、1時間ほど余裕ができたので、
サイゴン川でも見ながらビールでも飲もうかなと、
ホテルを出て、雑貨屋などが並ぶ通りをプラプラ歩いて向かった。
サイゴン川まで徒歩5分。
カップルだらけゴミだらけの川に萎えて、来た道を戻り、
風が気持ちよさそうな2階がテラス席のレストランに入った。

テラスに座ってみたものの、
そこから見える景色だけではビール一杯は手持ち無沙汰な感じで、
雑貨屋通りの店先でもらった日本語のベトナム情報ガイドをビールのアテに、
内容はあまり期待せず何気なしに読んでたら、
いつのまにか読みはまってた。


ベトナム情報ガイド「ビナBOO SAIGON」
はまった記事はこれ↓
<連載 第二十八回> ベトナムの赤ひげ 服部匡志
(一部抜粋)
ベトナムでのボランティア活動を始める前、妻とは3ヶ月だけの約束だった。
だから快く送り出してくれた。
それなのに気づいたら日本とベトナムの二重生活は7年以上も経ってしまった。
毎月、日本とベトナムを往復して、ベトナムでは土日は地方へ出張診療へ行き、
日本ではフリーの眼科医として全国を飛び回る。
普通に日本で仕事をしていれば、今頃、どこかの病院の眼科部長をしているか、
あるいは眼科クリニックを開業しているだろう。
人生で一番働き盛りの充実したときなのにどうしてボランティアなんて・・・。
と、妻は文句のひとつも言わなければ、やっていられないだろう。
妻には迷惑をかけっぱなしだ。
淋しい思いをさせてしまって本当に申し訳ないと思っている。
でもわかってほしい。僕はこの仕事に魂を込めている。
君がいなければ、君の支えがなければ今の僕はありえない。
心からそう思っている。ありがとう。
プロフィール
服部匡志(はっとりただし)
1964年大阪生まれ。フリーの眼科医。父親が入院中、心無い医師に浴びせられた言葉がきっかけとなり、「自分が患者の痛みをわかる医者になる」と決意。
2002年よりベトナム国立眼科病院で内視鏡を駆使しての脳膜剥離や糖尿病網膜症などのない先端の治療、指導を始める。その技術は世界トップレベルで誰もが認める凄腕。ベトナムでは報酬をいっさい受け取らず、日本で稼いだアルバイト代で旅費、滞在費、治療費をまかなっているため「赤ひげ先生」と呼ばれることも。
えらい人がいるもんだ。と、心打たれた。
ベトナムに来て2日目の夕ご飯時、
ガムを売りに来た足が不自由なおばあさんが、
私達がテーブル席を立ち去った後、
少しばかり残したおかずを手づかみで食べていた。
よくあることなのか、店員さんは目もくれずゆっくり後片付けをしていた。
実際目で見るそのシーンは、とてもショックだった。
足が不自由で、視力までなくなってしまったら
どうやって生きていくのだろうか。

記事のあと、
寄付金の受付先が記載されていた。
『NPOアジア失明予防の会』
なんとまあ、
京都の府立医科大学内ではないか。
これも縁。
ベトナムから帰って、問い合わせし、
「中川酒店割ったら募金(お皿を割ったら募金するシステム)」

2009年一年間の合計55560円(割りすぎやなあ。)
を、『NPOアジア失明予防の会』に寄付致しました。
2009年割れたお皿も、赤ひげ先生によって光にかわるでしょう。有難いです。
NPOアジア失明予防の会
〒602-0855
京都市上京区西三本木通荒神口下ル
上生洲町197-1京都府立医科大学学友会内
TEL:075-257-3585 FAX:075-256-0571
ロビーでみんなと待ち合わせの時間まで、1時間ほど余裕ができたので、
サイゴン川でも見ながらビールでも飲もうかなと、
ホテルを出て、雑貨屋などが並ぶ通りをプラプラ歩いて向かった。
サイゴン川まで徒歩5分。
カップルだらけゴミだらけの川に萎えて、来た道を戻り、
風が気持ちよさそうな2階がテラス席のレストランに入った。
テラスに座ってみたものの、
そこから見える景色だけではビール一杯は手持ち無沙汰な感じで、
雑貨屋通りの店先でもらった日本語のベトナム情報ガイドをビールのアテに、
内容はあまり期待せず何気なしに読んでたら、
いつのまにか読みはまってた。
ベトナム情報ガイド「ビナBOO SAIGON」
はまった記事はこれ↓
<連載 第二十八回> ベトナムの赤ひげ 服部匡志
(一部抜粋)
ベトナムでのボランティア活動を始める前、妻とは3ヶ月だけの約束だった。
だから快く送り出してくれた。
それなのに気づいたら日本とベトナムの二重生活は7年以上も経ってしまった。
毎月、日本とベトナムを往復して、ベトナムでは土日は地方へ出張診療へ行き、
日本ではフリーの眼科医として全国を飛び回る。
普通に日本で仕事をしていれば、今頃、どこかの病院の眼科部長をしているか、
あるいは眼科クリニックを開業しているだろう。
人生で一番働き盛りの充実したときなのにどうしてボランティアなんて・・・。
と、妻は文句のひとつも言わなければ、やっていられないだろう。
妻には迷惑をかけっぱなしだ。
淋しい思いをさせてしまって本当に申し訳ないと思っている。
でもわかってほしい。僕はこの仕事に魂を込めている。
君がいなければ、君の支えがなければ今の僕はありえない。
心からそう思っている。ありがとう。
プロフィール
服部匡志(はっとりただし)
1964年大阪生まれ。フリーの眼科医。父親が入院中、心無い医師に浴びせられた言葉がきっかけとなり、「自分が患者の痛みをわかる医者になる」と決意。
2002年よりベトナム国立眼科病院で内視鏡を駆使しての脳膜剥離や糖尿病網膜症などのない先端の治療、指導を始める。その技術は世界トップレベルで誰もが認める凄腕。ベトナムでは報酬をいっさい受け取らず、日本で稼いだアルバイト代で旅費、滞在費、治療費をまかなっているため「赤ひげ先生」と呼ばれることも。
えらい人がいるもんだ。と、心打たれた。
ベトナムに来て2日目の夕ご飯時、
ガムを売りに来た足が不自由なおばあさんが、
私達がテーブル席を立ち去った後、
少しばかり残したおかずを手づかみで食べていた。
よくあることなのか、店員さんは目もくれずゆっくり後片付けをしていた。
実際目で見るそのシーンは、とてもショックだった。
足が不自由で、視力までなくなってしまったら
どうやって生きていくのだろうか。
記事のあと、
寄付金の受付先が記載されていた。
『NPOアジア失明予防の会』
なんとまあ、
京都の府立医科大学内ではないか。
これも縁。
ベトナムから帰って、問い合わせし、
「中川酒店割ったら募金(お皿を割ったら募金するシステム)」
2009年一年間の合計55560円(割りすぎやなあ。)
を、『NPOアジア失明予防の会』に寄付致しました。
2009年割れたお皿も、赤ひげ先生によって光にかわるでしょう。有難いです。
NPOアジア失明予防の会
〒602-0855
京都市上京区西三本木通荒神口下ル
上生洲町197-1京都府立医科大学学友会内
TEL:075-257-3585 FAX:075-256-0571