2010年06月19日

「Trouble in Paradise/生存のエシックス」展 “水のゆくえ”プロジェクト 公開制作 参加者募集

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「Trouble in Paradise/生存のエシックス」展 “水のゆくえ”プロジェクト
公開制作 参加者募集

京都国立近代美術館で7月9日から始まる「Trouble in Paradise/生存のエシックス」展の“水のゆくえ”プロジェクトでは、琵琶湖疏水に関連した公開制作を行います。公開制作には自由に参加できます(要申込)。
作業は、約2万5千枚の写真をパズルゲームのように繋ぎ合わせ“水”と関係の深い巨大な立体物を造り上げることです。単に立体物を造るというだけに留まらず、琵琶湖疏水から想起される様々な体験者に、できるだけ多く参加して頂き、お互いの経験を語ってもらいながら進めてゆきます。今回、特にお呼びしている人は、アフガニスタンで、医療活動を行ないながら、1400以上の井戸やカナール河から用水路を引き、人々に生きる為の“水”を提供した医者、中村哲氏。ミャンマーのサイクロンなどでも活躍した地震や災害時に、河や湖の不衛生な水を、自転車を漕ぐことで、現場でたちまち安全な飲料水に変えてしまうシクロクリーンの開発に努める勝浦雄一氏です(各講演会の情報はこちら)。
この作業には、京都大学人間健康科学科で作業療法についての専門家、山根寛教授にも監修して頂き、人が共同で作業することで出来上がる交流の研究も含まれます。
この制作では、出来上がる成果物よりも、参加者が如何に考え、如何にコミュニケーションし、如何に制作するかに焦点が当てられることになります。
(本プロジェクト担当、中ハシ克シゲ)

制作期間
7月11日(日)〜8月中旬 (完成次第終了) 月曜日休日(祝日にあたる場合は翌火曜日)
都合の良い日の午前や午後のみでも結構ですが、出来れば複数日、ご来館いただければ幸いです。

説明会
6月26日(土)午後2時〜
於: 京都国立近代美術館 1F 講堂
詳しい作業内容や、このプログラムの意義などについて、ご説明します。

申込方法
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  Fax送信用紙   Fax: 075-771-5792 
お名前
ご住所
電話番号/e-mail
 事前説明会(6月26日)への出欠      出 席  ・  欠 席 
 (どちらかを選んでください)                               
参加したい期間、あるいは質問、要望等ございましたらご記入ください。



※参加者の皆様にはボランティア保険に加入していただきますので「お名前」「ご住所」「電話番号」は必ず
記入してください。(保険料は美術館負担)

お申込み、お問合せ 京都国立近代美術館 事業係
〒606?8344京都市左京区岡崎円勝寺町  
Tel: 075−761−4115 E-mail: jigyou@ma7.momak.go.jp

  

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2008年02月02日

プロジェクトの記憶と再会/中ハシ克シゲ

fd1ab5a0.jpg 暫く休んでおりました。
随分時間が経ってしまいましたが、たくさんの投稿ありがとうございました。またそれに対する感想も様々なメディアを通じて多数頂きました。投稿してくれた文章をブログに上げながら、自分が予想したこと以上の反応に驚き、言葉を失ってしまいました。ここで、私自身があまり公開していなかった、鳥取でのプロジェクトの当初を振り返ってみることにします。それが、このブログに投稿してくれた皆さんへのせめてものお返事になると思うからです。

 長年の念願だったハワイでのZERO Projectと戦艦ミズーリのOn the Day Projectが終わり、滋賀からの巡回展がいよいよ鳥取で行なわれる時、私は不安でした。まず、美保空での彗星の調査が思うように進んでいませんでした。戦友会のネットワークを駆使しても、美保空に居たはずの彗星艦爆の関係者がなかなか見つからなかったのです。その一方で、私はその調査に対する時間を持てませんでした。彗星を鳥取会場のモチーフとして選んだのは、一昨年の6月頃だったと思います。その頃の私は、福岡の震電、滋賀の桜花、京芸の国際会議でのルニットドーム、そして真珠湾攻撃をした零戦の撮影と資料準備,関係者のインタビュー、カタログのデザインや校正のチェックなど,昼間にボランティアとプロジェクトを進めながら、夜中に次のプロジェクトの準備や撮影をするという過酷な毎日でした。
 年末にハワイのプロジェクトから帰って来て、ようやく彗星を撮影する時間ができました。撮影し始めると、低翼の零戦と違って彗星は中翼機で、とても撮影がしにくいことに気が付きました。それに加えて1/48スケールは私のシステムでは、接写撮影の限界で、疲労は極限状態になりました。
 機体の撮影はいつも午前2時位から始めます。そして朝、家族の者が起きる前に撮影を済ませます。そうしないと機体が揺れて写真がブレルのです。しかし、その時間に撮影できない日が続きました。先に現像した戦艦ミズーリの色調チェックも済ませなければなりませんでした。ミズーリの総ての撮影ネガをコンピューター上で確認して、細かい現像指示を出し終わったのは、2月16日。不眠と戦いながら、何度かの危機を乗り越え、彗星の撮影が終わったのは、3月10日でした。25000枚の現像とそのチェックの時間を考えると、まさにデッドラインの上を彷徨っていたことになります。3月17日に東京で講演があり、そのまま飛行機に乗って鳥取に着き、18日は最初のボランティア説明会。 学芸員の赤井さんに、体験者の事前調査をお願いし、それを書き起こしてくれたものを斜め読みしながら、鳥取での、体験者の講演のスケジュールを決めてゆきました。鳥取会場での展示構成、壁立ての配置、壁紙の種類、会場入口のデザインなど、総てがぎりぎりのタイミングでした。
 鳥取でボランティアが来てくれるのか? 最大の難関は、このボランティア説明会に来てくれた人々の顔を見て.その心配は吹き飛びました。用意した椅子の数が足りないくらいでした。赤井さんが、地元で掘り起こしてくれた人々で、一杯でした。

こうして、展覧会は始まりました。その仔細は既にこのブログに書かれています。
沢山の彗星関係者が、会場にお出でになり,週末はいつも臨時の講演会でした。参加してくれたボランティアが、このブログに積極的に書き込みをしてくれ、いつになく共同作業のOut Putができました。自衛隊美保基地でのバーニングは、それまでのバーニングにはない速度で燃え、感傷を差し挟まないほど、強烈なものでした。

 今月2日に、懐かしい鳥取のボランティアの皆さんから、再会の申し出があり、久々に鳥取に行きました。写真はその時のもので、数えると20名です。プロジェクトが終わっても尚、こうした結びつきがあることは、本当に嬉しいです。年齢や性別、職業を越え共に考え制作したという仲間意識が、そうさせたに違いありません。会期中と同様、車で何時間も掛かる米子や倉吉から駆けつけてくれくれました。会を取り仕切ってくれた、永見さん、赤井さん、ありがとうございました。    
  
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2007年06月06日

プロジェクトの記憶/尾崎信一郎さん

尾崎信一郎さんが、京都の山科にお住まいだったころ、朝、自転車の前と後ろにお子さんを乗せて、保育所に送って行く姿を見かけることがありました。私も山科に単身赴任をしていて、出勤する途中でした。お互いの私生活を垣間見て、ちょっと照れた様な感じでした。ですから挨拶だけで、あまりお話しすることはありませんでした。今回、尾崎さんのご自宅にご厄介になり、家庭での彼の子煩悩ぶりを見て、あの朝の挨拶のことを思い出しました。その様子は、美術館でのフォーマリスト特有の硬い印象とは異なって、とても家庭的で愛情深いものでした。

「プロジェクトの記憶」
鳥取県立博物館の美術振興課の尾崎です。
私は作家の個展に際して、学芸員は黒衣に徹するべきだと考えていますので、中ハシ展でもバーニング以外ではあまり前面に出ないようにしていましたが、今回、中ハシさん、そして赤井さんから指名を受けて、最後に個人的な感想を書かせていただきます。

私が最初にバーニングに立ち会ったのは2003年、京都芸術センターでのプロジェクトの際でした。当時、私は京都国立近代美術館に勤務しており、ちょうど博物館実習を担当していたので、学生たちと展覧会を見学に行き、さらには中ハシさんを美術館に招いてレクチュアを受けたことを思い出します。展示とバーニング、いずれからも大きな感銘を受けましたが、まさか4年後に、鳥取で自分がこのプロジェクトに直接関わることになると思いませんでした。

これまで私が手がけた展覧会の中でも、中ハシ展は最も面倒な展覧会の一つでした。作品ではなく人が中心となるプロジェクトであり、しかも大変デリケートな問題をはらんでいます。バーニングの候補地を定めるために、県の様々の機関やいくつもの学校、そして美保基地に何度となく足を運び、次々に寄せられるクレームや苦情への対応に追われました。しかしそのような問題を引き起こすであろうことは初めから想定していましたので、私としてはさほど苦労したという感じはありません。クレームについても逆にこのようなクレームがなければ展覧会の意味もないと思っていましたから、可能な限り誠実に対応したつもりです。私の経験では面倒なことが多ければ多いほど、展覧会は充実します。学芸員として当然の苦労だったと思
います。おそらく苦労を苦労と感じなかったのは、多くのボランティアの皆さんに熱心に参加していただいたからだと思います。バーニングの予定地が突然キャンセルされたり、クレームが続々と寄せられても、一方で毎日多くの方が作品の制作に参加していらっしゃる様子を見ていると、写真を貼り合わせるように、困難を一つ一つ乗り越えていくのが、自分に与えられた仕事であるという感じを強くもちました。

展示の前後、中ハシさんに私の自宅に泊まっていただき、毎日、就寝前や出勤前に展示の進行や出来映えについて語りあいながら進めていくという濃密な時間をもちました。今回の展覧会は展示という営為のもつ意味を実に深く考えるきっかけとなりました。特に第三室の展示をどのようにするかということは展覧会の意味と深く関わっていたように思います。展示についてこれほど深く考えたのは私にとっても初めての体験でした。

赤井さんも書いているとおり、バーニングは大変美しく感じました。しかし京都や滋賀でのバーニングに比べて、なぜか全く感傷的になりませんでした。当日は責任者として様々のことで頭がいっぱいだったせいかもしれませんし、短い時間で「彗星」が燃え尽きたからかもしれません。ただ私はバーニングにあまり感傷的な意味を込めたくなかったので、これでよかったと思います。バーニングは儀式ではなくタスクとしてとらえたいと思っています。

正直に言って、私は今でもこのプロジェクトに全面的に賛成という気持ちはありません。京都でのシンポジウムの後で聴衆から提起された批判はある程度妥当に思えますし、この展覧会を終えたことによってもこのような疑問は氷解していません。しかし全面的に正しいものは美術でも文学でもありませんから、逆にこのような躊躇が作品の魅力であるように感じます。
私にとってこのプロジェクトの意義は、「真剣に考えることを強いる」ことにあると思います。最近は「考える」ということがないがしろにされているように感じます。自分の頭で考えるという当たり前のことを面倒に感じて、他者の(多くの場合「正しい」)意見を受け売りする言説が氾濫しています。「彗星」を前にして「戦争反対」とか「滅私奉公」とか「環境保護」といったお仕着せの言葉ではない言葉で、いかに語るか。自分が試されている気がしました。そして私自身の答えはまだ出ていません。
                                         尾崎信一郎
  
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2007年06月05日

プロジェクトの記憶/中野宗和さん

中野宗和さんこと、ボク中野さん、ご搭乗です。いらっしゃいませ。何度も滋賀から鳥取に足を運んでくれました。彼は、歌がとても好きで、どこでも歌うのです。まるでイタリア人のようです。会場では、何度彼の歌を聴いたことでしょう! 皆を盛り上げるのがとても上手でした。とても励まされました。
ボランティアの声によるプロジェクト、”最も記憶に残る一日” の中で歌った「我が人生に悔いなし」は、働くサラリーマンに大きな希望を与えました。労働組合の委員長だった中野さんの人生哲学が表れていました。


「プロジェクトの記憶」
中ハシさんとスゴイ想い出を共有できたみなさんへ

(これ 間に合うのかなぁ?)
滋賀の通称 ボク中野です。遅くに失礼します。
いっぱい想い出のつまった彗星!心の中に残った彗星!
博物館での彗星の勇姿を観ることができて感動!みなさんの協力と
努力!そして出会いありがと。赤井さんのガッツはスゴイわぁ!
それから、鳥取のおトメさん。もう一人の倉吉のぉトメさんこんばんは!
鹿児島知覧の富屋食堂の鳥濱トメさんのように素晴らしい感性の持ち主と直感で感じたから自然と呼んでし
まって、あしからず。
先日、若き特攻隊員の母 鳥濱トメさんの映画を観て涙がポト・ポト・ドキドキ・・・久しぶりに感じたねん!
中ハシゼロプロジェクトから贈ってくれたものは心の中に、間違いなく皆さんの心の中にも残ったでしょう。
彗星!これからも満開の桜や新緑の山を見るたびに想い出すでしょう。
中ハシさん、素晴らしい人生の扉を開けて頂きありがとうございました。
これからも、みんなが集い、ものづくりの楽しさを感じさせて下さい。
みんなからのお願いでもあります。

「いつかどこかで」     ボク中野

  
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2007年06月04日

プロジェクトの記憶/本池祐貴さん

本池さんは、とてもシャイな方でした。あまり話さず、黙ってテープを貼っていました。それでも、最後のバーニングに参加してくれました。彼が、下のような感想を持っていたとは、、。
ピート管を機体に付けてくれたのは、彼でした。実に丁寧な仕事でした。


「プロジェクトの記憶」
展覧会に行くきっかけとなったのは、大学の講義です。
芸術学という講義で先生が、色々な展覧会に行くといいと仰って、ちょうど博物館で行われていた中ハシ克シゲ展が紹介されました。紹介と言っても、「こんなのやってるよ」程度でしたが、プラモデルのような大きな零戦があるんだろうなと思って足を運んでみました。
しかし、実際行ってみるとぐったりとした零戦、ボロボロの翼、わけのわからない写真の張合わせ。
現代アートはやっぱり解らんなと感じました。
そして何と言っても彗星の制作現場。その現場を見たとき正直意味わかんなかったです。
展覧会って普通、作品が完成してからするものじゃないですか。
なんで未完成作品があるのか不思議でしたね。
写真の板が机の上に横たわり、数名の人が何かしてる。
ボランティアが参加していることは知っていたので、ああこの人たちがそうなんだとすぐに解りました。
しかしまだやっていたとは予想外。
で、巻き込まれたわけですが、テープを張るだけ。ただそれだけ。それ以外何も考えてなかったです。
しかし、何度か参加していくうちに色々考え始めました。
戦闘機を造っていた人たちは一体どんな気持ちだったのか。
戦闘のときに何を考えていたのか。
特攻訓練中は?
実際に特攻するときは?
そのような気持ちを抱えて制作していました。
彗星の形がほぼ出来たころには、本当に飛行機の整備をしているような感覚に
陥っていました。
しかしそれは芸術作品を造っての感覚。
武器としての彗星を造っていた人のそれとは大きく異なるはずです。
でも、共通する部分もあったのかもしれません。
実際に彗星の制作に携わっていた4名の方々は、楽しかったと仰っていましたから。

そんなこんなで、バーニング。彗星を本当に完成させるための最後の作業ですね。
重たい彗星を担いで歩き回り、バスを避け、そしてバスを避け、またまたバスを避け。
そのときは何というか、このまま担いでいたいと思いました(重いのでおろしたかったけど)。
おろすときは燃やすときですから。制作に携わった者として、燃やしてしまうのはやはり寂しい。
ファイヤーピットに彗星をおろし、点火を待つ……が、なかなか点火しなかったですね。
(このときは早く点けんかなと、担いで歩いていたときとは逆の気持ちでした。)
で、点火。
風が強かったせいか、あっという間。早かったですね。
燃えている彗星を見て、寂しさや達成感、その他様々な思いが私の中をめぐっていました。
彗星に限らず、墜落した飛行機はこのように燃えていたのでしょうか。
そしてコクピットの部分が盛り上がって残っていましたね。
そこにはきっと人がいたんだろうなと想像していました。

ボランティアに参加し多くの人と出会いました。
また貴重な戦争体験を聞くことができました。
この歳で「生き方を見直す」とはさすがに言えませんし、そこまで深く何かを考えていたわけではありませんが、本当に貴重な経験になりました。
ありがとうございました。----------------------
以上です。
稚拙で退屈な文章で非常に読みづらかったと思いますが、お付き合いいただき、ありがとうございました。
今考えてみると、この展覧会で展示してあったのが、最初に予想していたようにプラモデルのような零戦じゃなくて良かったと思います。
零戦に興味のない私がそんなの見てもつまらないですから。
                                        本池祐貴
  
Posted by nakahashi_project at 22:29Comments(0)TrackBack(0)clip!