津田大介の「メディアの現場」2015.12.25(vol.194)に【特別寄稿】戦後の礎を作った方々の記録『学徒勤労動員の日々──相模陸軍造兵廠と地下病院建設』として掲載していただきました。こちらには、津田さんの許可を得て転載しています。

戦後の礎を作った方々の記録『学徒勤労動員の日々 ──相模陸軍造兵廠と地下病院建設』を読んで


「学徒勤労動員」[*1] の記録、これをぜひ後世に伝えなければならない。ここには過酷な戦時中の重労働の体験のみならず、その後の繁栄の礎を見ることができる。そう直感したのは、私の専門分野の大御所にあたる東京工業大学名誉教授 鈴木光男先生から、『学徒勤労動員の日々 ──相模陸軍造兵廠と地下病院建設』[*2] をいただき、戦後70年を機に読んだときである。

私の専門は経済学。そのなかでもゲーム理論を基礎とした規制や企業組織のインセンティブ設計の研究で、決して戦中戦後の経済史に造詣があるわけではない。

私が拠り所にし、鈴木先生が基礎を作られたゲーム理論は、フォンノイマン=モルゲンシュテルンの著書『ゲームの理論と経済行動(1944年原著刊行)』[*3] にはじまり、ジョン・ナッシュ [*4] の論文(1950年)[*5] でその後の発展が決定的となる。極めて大雑把にいうと、ゲーム理論とは社会における人々の相互の連関(interaction)をゲームに見立てて単純化し、抽出して分析する理論と位置付けられる。鈴木先生は、そのナッシュの論文が出版されるのとほぼ同時期からゲーム理論に着目し、研究を始められた。その後の研究は、『ゲーム理論と共に生きて』[*6] にまとめられておられる。また、その著書でも学徒動員の記録は鈴木先生の重要な一部として記載されている。

つまり、鈴木先生は、もはや現代経済学に不可欠な基礎を提供するゲーム理論の世界的な先駆者なのだ。学徒勤労動員の記録は、その後の偉大な業績生み出した鈴木先生の貴重な原点体験のように思えるのである。

私は、当該分野を専門として、鈴木先生のその後の偉大な業績からのみ、学徒動員の記録の重要性を説明することが出来ない。しかし、この世代の複数の方の証言を聞くにつけ、先生の優秀さという個人の資質にとどまらない、この世代の方々が共通に持つ冷静さ、しっかりとした時代を見る見方があり、それはわれわれにも大きな知的財産となると思える。

たとえば、一回り年配(98才)の思想史学者・武田清子氏 [*7] も日経のインタビュー [*8] で、以下のように言及されている。

> 「1カ月余の船旅を終えて帰国後、YWCAで働き始めました。その一環で、挺身(ていしん)隊として静岡県の工場に派遣されていた女学生を支援しようと、一緒に働くことになりました」

> 「風呂は泥水、食事も貧しかった。学生たちは表向き、忠臣の顔をしていましたが、自分たちが作っている飛行機の部品の粗悪さや、若者には労働を強いながらぜいたくをしている軍人をみて、この戦争は負けると皆思っていました。11月3日の明治節は晴れることが多かったのですが、44年の明治節は雨が降り、敗戦の兆しだと噂が広がりました。面従腹背の学生の“正気”に、救われた気がしたものです」

しかも、実際にその後の戦後復興の中核を担われたという頑然たる事実がある。この貴重な記録の風化を防ぎ、感謝を絶やさぬことが、この方々が礎を作った現在の繁栄を享受しているわれわれの責任ではないかと思える。それと同時に、この記録は、現在の混迷の時代にも大きな糧となると確信するのである。

学徒勤労動員については、知識として知られているだろう。しかしながら、集団疎開と学徒出陣に挟まれ、その肉声や具体的内容についての詳細は、一般には十分知られていない印象を持つ。しかし、当時の旧制中学の学生は戦争が長期化、激化するなかで、4、5年生を中心に、最終的にはほぼ全員が、勤労を強いられていく。鈴木先生の著書によると、昭和20年3月時点での学徒勤労動員の総数は、なんと310万6000人と言われているそうである。

そして、腸チフス、赤痢といった伝染病が発生するような衛生状態が悪く、食事も貧しい、劣悪な労働環境のなかで、長時間労働を強いられていく。さらに、勤労先の工場が空襲されても、帰郷を許されないという信じられない状況にも直面しておられる。

戦争末期には、度重なる空襲で生産力が低下し、工場での作業がなくても、待機を余儀なくされ、帰郷は許されなかった。そのなかで、広島では、中心地で待機し、最も多くの原爆の犠牲者が出た世代でもある。国、それ以上に大人たちが、責任感の強い少年たちを二度とこのような過酷な環境に追いやってはならない。

そのようなあまりに悲惨な環境での苦難を余儀なくされた学徒動員の世代は、戦後の復興で、中核を担う方々でもある。

鈴木先生の『学徒勤労動員の日々 ──相模陸軍造兵廠と地下病院建設』は、昭和18年3月、当時16歳で、旧制中学の4年生だった鈴木先生が、5年生を経て、旧制高校の入学時の17歳で終戦を迎えた日記を中心にまとめられている。その当時、「皇国の興廃は汝ら青少年学徒の双肩にあり」という言葉に責任感を強く持つ一人の真摯な旧制中学の学生の姿が想像される。著者自身の片田舎のまだ昭和の香りがする中学生時代と比較しても、責任感の高揚と、それに答えようとする純粋な気持ちが痛切に感じられる。それでも、上述の劣悪な環境は、若い少年たちを心身ともに蝕んでいく。鈴木先生も、入院や一時帰郷も経験されている。

しかし、鈴木先生は、過酷な労働環境、劣悪な衛生環境、先の見えない戦争の激化と空襲の恐怖、様々な悪条件が重なっているにもかかわらず、旧制中学の学生の日記には思えないほど、非常に冷静に事態を観察し、記録しておられる。それがかえって読む者の胸を打つのである。私がこの記録に未来を見た最大の理由は、その冷静さである。無謀な戦争への突入とそれをどうしようもない状態に追われた環境を呪うでもなく、愚痴を言うでもなく、日々の状況を極めてしっかりと見ておられる。

しかも、ここには単なる従順さだけでなく、民主的な考え方や合理性の萌芽も確実に見受けられる。実際、不条理な扱いをした軍人への抗議や、労働環境の改善を勤労学生が集団で県に嘆願するなど、戦時中とは思えない行動に出ている学生が紹介されていることも痛快である。それはこの世代の教員に当たる世代が大正デモクラシーの流れを汲んでおり、それが民主的な教育につながったことも一因かと思われる。

その後の著書『ゲーム理論と共に生きて』で、鈴木先生は、なぜご自身がゲーム理論を選択されたのかに触れられておられる。戦中期という期間にフォンノイマン=モルゲンシュテルンもゲーム理論の研究を始めており、それに関連して、「そして何よりも、中学生として戦争中の異常事態を体験した感覚が『ゲームの理論と経済行動』の基底に流れているフォンノイマン=モルゲンシュテルンが戦時中に体験した危機感や死の必然性に共感するところがあったからではないかと思う」と述べられている。

そして昭和20年8月15日、日本は終戦を迎える。戦時中の勤労動員からの変化がどれほど大きいかは想像を絶するものである。『学徒勤労動員の日々 ──相模陸軍造兵廠と地下病院建設』では、戦中、「皇国の興廃は汝ら青少年学徒の双肩にあり」が、敗戦で「新日本建設の為に立ち上がらん。日本の将来は我等の手にある。唯一筋祖国復興の為に我らは行かん」という言葉に置き換わったと表現されている。物資の不足はあるものの、自由な戦後が、その創造力を開花させていく。不自由から、自由へ。この差こそが多くのものを生み出すきっかけになったのかもしれない。

また、相模工廠での勤労体験はまさに「ものづくり」の原点でもあるように思える。鈴木先生は文学や観劇に興味を持たれており、その後も専門も、社会科学に応用数学を導入するといったところに中心を置かれているので、配属されたエンジン工場や、その後の検査部への経験を詳細には記載されておられない。しかしながら、工場での経験は評価されている。こういった体験を生かして、その後のものづくりを開花された方も少なくないのではと直感した。

鈴木先生は、その後学生の指導にも尽力され、後陣も多く輩出されておられる。その社会への深い造詣は、後陣にもしっかりと受け継がれている。その一人、日本経済学会会長、岡田章先生の会長講演 [*9] では、社会の問題への深い取り組みが受け継がれ、大きな感銘を受けた。失業や景気循環といったマクロ経済学の事象をゲーム理論で分析するという、鈴木先生の大きな問題意識が共有されている。

戦後70年を機に、戦争体験者の高齢化によって彼らの肉声を聞く機会は今後非常に少なくなっていくだろう。そのため、戦後70年が一つの節目として重要な時期であることが指摘されている。学徒勤労動員の体験についても同様、体験者の高齢化は、実体験を語り継ぐ機会が既に少なくなっていることを示している。この記録を風化させないためにも、この世代の方々の人生に多く学ぶと同時に、現在の繁栄を築いた方への感謝を忘れない意味でも、この記録を伝えることを切望するものである。


▼中泉拓也(なかいずみ・たくや)
関東学院大学 経済学部教授。1991年、東京大学経済学部卒業、1998年5月東京大学大学院経済学研究科単位取得退学、2003年4月東京大学大学院経済学研究科終了 学位 博士(経済学)。1991〜1993年には日本生命相互会社の株式総務課勤務を経験し、1999年、通商産業研究所客員研究員に。2004年8月〜2007年3月は国立情報学研究所プロジェクト研究員を務める傍ら、2002年4月、関東学院大学経済学部の専任講師になる。2005年に助教授、2012年に教授となり現在に至る。

ウェブサイト:<http://home.kanto-gakuin.ac.jp/~nakaizum/>


[*1] https://kotobank.jp/word/%E5%AD%A6%E5%BE%92%E5%8B%A4%E5%8A%B4%E5%8B%95%E5%93%A1-824504

[*2] http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4773377291/tsudamag-22

[*3] ジョン・フォン・ノイマン オスカー・モルゲンシュテルン『ゲーム理論と経済行動』刊行60周年記念版 2014年(原著は1944年刊行)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/432650398X/tsudamag-22

[*4] https://kotobank.jp/word/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3(Jr.)+%E3%83%8A%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5-1684222

[*5] Nash, John [1950] "Equilibrium Points in N-person Games". Proceedings of the National Academy of Sciences 36 (1): 48-49.

[*6] http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4623065022/tsudamag-22

[*7] https://kotobank.jp/word/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E6%B8%85%E5%AD%90-1088555

[*8] http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXMZO89376990W5A710C1000000/

[*9] 岡田章"Cooperation and Institution in Games," 日本経済学会会長講演 2014年
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/26832