かなり久しぶりとなります・・・
カテゴリー「修業時代」第25話となります!
しかしこの「修業時代」の記事・・・
読み返してみますと・・・
特に1話〜13話くらいまでの・・・
修業時代の前半の記事はあの頃を思い出して、
実はかなり・・・ウルウルしてしまうのです(T . T)
そして・・・
この「修業時代のカテゴリー」
修業時代のブログ記事を見られた・・・
テレビ放送企画の担当者氏から・・・
あれこれ質問のTELも頂きましたね〜
京都の造園業界の厳しい修業についての
放送を企画されているとのこと・・・
厳しい修行についての質問などなどでした!!
やはり京都の造園業界の修業の厳しさは、少しは
一般にも知れ渡っていると言えるのでしょうか(^_^;)
風我里では・・・
お庭の木々の剪定作業のご依頼も頂いています。
創業当時から、ずっと変わらずお付き合いさせいた
だいていますお施主様もかなり多いですね〜
そんな剪定作業について・・・
過去にあれこれ綴っています記事もありますね〜
かなりかなりの過去記事ですが・・・
こんな長々とした文章も載っけていました(^_^)
―以下 過去記事より抜粋―
今日は設計や見積ご依頼のお電話が・・
なんと5件も頂きました!
毎日お問い合わせ頂き有り難うございます!
お庭の大々的なリフォーム工事・・1件。
駐車スペースを広げるガレージ拡張・・2件。
ガレージ拡張及び門周り全てリフォーム・・1件。
ここ滋賀県でもお家の前の路上駐車にかなり
厳しくなっているようですね。何度もクルマに
路駐禁止の貼り紙を貼られて・・・困り果てて・・
風我里へご依頼というお客様が多いようです。
そして、あともう1件はお庭の剪定作業のご依頼。
近くでしたので夕方お庭を拝見にお伺いしてきました。
かなり以前に造られた風情溢れるお庭でした。
作庭された方は京都の庭師さん。
長い間、丁寧に手入れ(剪定)されていたようですが
高齢のためお亡くなりになられたとのこと・・・
困り果てたお客様は違う造園業者に依頼されました。
その新しい造園業者さんの剪定作業後・・・
そのお庭を見られたお客様は・・
愕然とされたそうです・・・
そしてこう言われて嘆いておられました・・
「こんな酷い庭になっていたのです」っと。
正直言って・・悲しいですが・・
昨今の造園業者ではあたりまえになっている
お庭の剪定状況でした。
たぶん・・・一般的には普通の出来上がり。
とりあえず・・
さっぱりと・・
うっとうしくなく・・
小綺麗に・・
なるべくコストを掛けずに手早く・・
そんな普通のごくありきたりの剪定作業ですね。
でもこのお客様の求めておられる剪定作業は・・・
そんな普通とは違っていたのです。
1本・・1本に愛着を持って・・
費用うんぬんより・・より綺麗に・・
その木にとっての最良の手入れ作業を・・
大事に大事にされてきた紅葉(モミジ)の木が
思いっきりぶつ切りにされたのを見られて・・・
悲しくて悲しくてたまらなかったそうです。
一度途中でぶつ切りにされた紅葉(もみじ)を元の
美しかった姿に復旧させるのには・・・
不可能と言えるくらいに多大な年月を要します。
正直・・元の流れるような枝先には・・
完璧には戻せないと言えるでしょうね〜
紅葉を紅葉らしく剪定する・・・
全ての樹木の剪定作業の中で・・
たぶん、これが1番難しい剪定だと思っています。
落葉樹全般に言えることですが、紅葉の木などの
あの自然観は鋏を入れたら壊れてしまいます。
でも鋏を入れているのに、鋏を入れたことを全く
気づかせないほどの高度な剪定技術が必要です。
本当は鋏など使わずに素手で折れるほどの剪定。
ハサミやノコギリなどの鉄分を嫌う植物も多いため、
太い枝になる前に、手々折ってあげるようなこまめ
な作業が、樹木のためにも1番良いのだと思います。
でも悲しいかな・・・
そんな想いもわかって頂けないことも多いのです・・・
せっかく高度な技術で自然に仕上げても・・
「モミジの木が剪定し忘れてるでえ!」
とりあえずサッパリ・・・
とりあえずはスッキリ・・・
なるべく短く切って・・・
を求めておられるお客様が多いのも事実なのです。
今日のお客様は
ホームページをあちこち検索して・・・
きちんとした手入れをしてもらえそうなところに
やっと巡り会えました!!
そう思って連絡下さったそうです!
京都で修行していた頃は・・・
こんなふうにお庭に、そして木々に・・・
トコトンまでこだわった御施主様ばかりでしたね〜
貝塚伊吹の生垣は素手か木のヘラで掻き取るか・・・
ちょっと急ぐお客様のときは木鋏ではさみ取る・・・
昨今よく使う両手刈り込み鋏で刈り込むなんて・・・
ましてや電動トリマーなんて・・・
まったく考えれらない世界でした。
槙の木も・・もちろん葉むしり仕上げ・・・
刈り込みなんて・・・
聞いたこともありませんでしたから(-_-;)
モッコクも葉むしり仕上げが当たり前。
なんとヒラドツツジだって葉むしり仕上げでした。
チョボヒバも手で掻きむしってましたし・・・
そう考えると木々に素手で触れる手入れ作業が
とっても多かった気がしますね〜
その頃から1番違うことと言えば・・・
この「剪定」という言葉でしょうか・・・
京都の修業時代は「剪定」という言葉は・・・
聞いたことも使ったことも無かった気がします。
上司からも「今日は透かしやで!」
誰かに「今日の作業は?」と聞かれたら・・
「はい!透かしです」
会社の作業日報にも「透かし」って書いてました。
「透かし」これは「すかし」と読みますね〜
剪定や刈り込みなどではなく・・
木々の枝を透かす・・・
そんな意味合いなのでしょうね!!!
今日お会いしたお客様は・・
ああ・・あの頃と同じ想いの御施主様・・・
懐かしくも嬉しい今日の1日でした(*^_^*)
カテゴリ: 修行時代・・・
鹿児島出身なのに・・なぜ滋賀県で?
「ヒストリー」にも綴っているのですが・・・
私の生まれ育った故郷は鹿児島県大口市山野。
今は合併されて「伊佐市」となっていますが・・・
そんなHPを・・・
見て頂いたお客様からよく質問をいただきます・・・
「鹿児島出身なのに・・なぜなぜ滋賀県で???」
高校3年生のときに、親父が永年集めていた大きな
庭石を使って、池のある庭造りを試みたのです。
どんなことでも自分の手で行っていた親父でしたが、
なぜかこのときは「造園業者」へ依頼っ!!!
その作庭時の心境は以前にも綴っていますね。
こちらです ↓
2007/8/7「造園屋のおっちゃん」
このときの衝撃が大きすぎて・・・
「造園」ってなんか面白そうかもっ!!!
この「造園屋のおっちゃん」のせいで・・
「俺も庭師になってみようかなっ!」
やはりどうせ学ぶなら「造園学科」
入学したのは南九州大学園芸学部造園学科。
そして大学卒業時の就職選択肢には・・・
造園業界しか目に入っていませんでしたっ!
やはり、なんと言っても庭と言えば「京都」でしょう!
そんな京都での修業時代・・・
全国各地から庭師の卵が集まってきていました!
こんなに大ぜいの若い庭師の集う街って・・・
やはり京都だからこそなのでしょう。
そんな修業時代を綴った記事は・・・・
こちらです → 「修業時代」
そんな修業時代に良く遊びに来ていた「滋賀県」
大好きな京都にも、ほど近く・・・
そこそこ便利で自然もたっぷり残っています。
どこに行っても「琵琶湖」が優しげに佇み・・・
振り返れば山々もそびえ立ち、空気も綺麗っ!
「あぁ〜ここに住んでみたい!」
そんな想いのまま・・・
一応は家長制度にはまだまだ厳しい・・・
鹿児島生まれ育ちの「長男」なのですが・・・
鹿児島の実家は弟に任せて・・・
私はどっぷりっと滋賀に根を下ろしているのです!
「何やってんだっ!こうだろっ!」
かなり久々の修業時代の記事になりますね。
22話までの記事はこちらをどうぞ!
この記事ももちろん入っていますが・・・・・
→ 「修業時代1話から22話まで」
そんな修業時代・・・
第16話に綴っていました記事が・・・
こちらになりますね ↓
「コロコロ〜石の転がし方」
修業時代第16話内に記していました・・・
私があれこれ〜こねくり回しても・・・
なかなか上手く綺麗な景観に・・・
据えきらずに・・・
見かねた上司が・・・
「何やってんだっ!こうだろっ!」
っと私が思いもしなかった形状でその地に
素敵な景観を造ってくれた、1個の自然石。
修業時代第16話内にも記載しています・・・
「あのときの光景・・・
そして据えられた石の素敵な様子・・
今でもはっきりと憶えています!!!」
そんなあのときの景石に・・・
何十年ぶりかに出逢うことが出来ました!
あまりにも懐かし過ぎて・・・
思わず目頭がウルウル・・・
涙がチョチョ切れそうになりました(T_T)
数十年前に据えたあの1個の景石・・・
あの日あの時の気持ちが遠く深く・・・
我が胸の中によみがえりますねっ〜
それにしても・・・
深い深いご縁が感じられますね〜
強く引き寄せられるような必然的な出逢い
に感謝しながら、あの若き日の修業時代の
純真無垢に向上心の塊だった日々を忘れ
ないようにしなければと、心に誓います!!
修業時代のテレビ取材!!!
かなり久しぶりの記事になりますね〜
実は・・・
この「修業時代のカテゴリー」
修業時代のブログ記事を見られた・・・
テレビ放送企画の担当者さまから・・・
あれこれ質問のTELも頂きましたね〜
京都の造園業界の厳しい修業についての
放送を企画されているとのこと・・・
そこで・・・
厳しい修行についての質問などなど・・・
やはり京都の造園業界の修業の厳しさは、
手強いものがあると言えるのでしょうか(^_^;)
私自身は・・・
九州は鹿児島県大口市で生まれ・・・
現在は大口市という呼称は無くなってしまい
合併して鹿児島県伊佐市となっていますが。
大口高校普通科に通っていた高校時代に
造園の面白さに触れる機会がありました。
そんな造園業に感化された記事・・・
2007/8/7日記「造園屋のおっちゃん」
この「造園屋のおっちゃん」の凄さのおかげで、
「造園」という魅力に思いっきり目覚めて〜
宮崎の南九州大学園芸学部造園学科に入学。
そんな「造園屋のおっちゃん」のおかげで
将来の夢を造園会社の起業に目標を定めて、
造園学科のある大学を探して、宮崎県高鍋町
にあります南九州大学園芸学部造園学科に
入学することになったのです。
入社時には、かなりスマートな体型だった
私の身体も、1年〜2年経過する頃には、
筋肉もムキムキ〜ついてきて、逆三角形の
やせマッチョ的な体型へと変貌していました。
京都市内のお庭は、鰻の寝床と言われる
ように奥行きの長い敷地が、とっても多くて、
庭造りも、石材を使った作庭がほとんどでし
たので、ほとんど毎日が、重たい自然石を
担いでの重労働を行っていましたね〜
そんな修業時代を経て・・・
記憶に叩き込んだ心得は・・・
過去記事にも・・・
書き込んでいた言葉ですが・・・
「この仕事できるか?」
「この仕事経験したことあるか?」
なんて聞かれたりしたら・・・
たとえどんなことでも・・
まったく自信なくても・・
全然見たことも・・・
聞いたことも無くても・・・
自信持った顔で「はい!できます!」
絶対全く無理だろうという場合は・・
「経験はありませんがやってみたいです!」
仕事与えてもらえないことには進めない・・・
経験してみないことには自分のものにはならない・・
もしも「できません」なんて言ったものなら・・・
絶対に2度とやらせてもらえない・・
心底そう思って仕事していたのです。
まずは経験!
まずは体験!
まずはその仕事に触れてみる・・・
知識で得るよりまずはやってみる!
それから湧いてくる疑問は考えればいい・・
躊躇無く聞いてみればいい・・・
今でも実体験に勝るものは無いと思っています!
あの頃無理矢理経験した色んなことは
今の私に凄く多大な影響を与えてくれています!
あの頃接した多くの勉強意欲溢れる先輩方・・
その影響は本当に大きなものがありましたっ!!
夢を願うことって本当に大事なことだと思います。
夢が叶うと思わなければ絶対に叶いはしません。
たとえば・・運動会の徒競走・・・
「1位なんて絶対無理・・きっとまたビリだぁ」
なんて思っていたら1位なんてとれはしません。
でも・・たとえ走りが遅くとも
「私は1位になる!」って思いこんだら・・・
ひょっとしたら1位になれるかもしれない。
そんな気持ちってとても大事だと思っています。
願わなければ夢はやってきてくれません・・・
思いっきり夢を現実のものにしましょう〜
強い気持ちで願えば、必ず夢は叶うもの!!!
私が滋賀を選んだ理由
久しぶりの修行時代の記事・・・第21話です。
忘れた頃に書きたくなる修業時代なのです。
そんな20話までの記事はこちらをどうぞ!
カテゴリー「修業時代」
今日の第21話の記事も入ってはいますが(^^)
高校3年卒業時に、将来の目標「夢」を造園会社の
起業に目標を定めて、造園学科のある大学を探し
て、宮崎県高鍋町にあります南九州大学園芸学部
造園学科に入学したのです。
こちらは大学内での私の写真ですね〜
→ 「わかばの母校、バイクにて!」
高鍋町のおかあさんから届いた嬉しい贈り物〜
→ 「第2の故郷から届いた感動」
ずっとこのままそこにあってほしかった・・・
(おっ!バイクと一緒の写真満載ですね〜)
→ 「南九大わかばの母校存続の危機!」
それまで全く「造園」なんて道に進もうなんて、思い
もしてなかった私が、急に興味を持ちだして、また
生涯の仕事にしてみたいなんて思ったきっかけは、
思いっきり唐突に予見も無く訪れているのです。
そんな経緯は・・・
こちらの記事に詳しく書いていますね〜
はい。
このおっちゃんが、いなければ私はきっと、
今とは全く違う道へと進んでいたことでしょう。
こちらです ↓
「造園屋のおっちゃん」
もし、このおっちゃんと出会わずに・・・
この仕事に就いていなければ・・・
今ではそんなことも考えられないくらいに・・・
仕事=趣味とも言えるくらいに・・・
この仕事が心の奥底から大好きなのです!!!
そんな学生時代は、たっぷり学んだことはもちろん
優しい人情味溢れる高鍋町の人達や、楽しく愉快
な友人達にも恵まれ、そしてちょっぴりトキメクよう
な恋愛にも心を踊らせて、本当に充実した4年間を
過ごさせてもらいました。
「卒業後は造園本場の京都で勉強して来よう!
そして故郷の鹿児島に戻って会社設立だなっ!」
これが大学卒業時に描いていた将来の夢でした。
目標に向かっての予定通りに、京都市西京区嵐山
にあります北山造園株式会社に入社。
京都での修業時代については、修行時代20話まで
にも、かなり詳しく綴ってきていますね。
この京都での修業時代・・・
休日になりますと、友人達とクルマで、そしてバイ
クで、頻繁に遊びに出かけていました。
京都市の隣には滋賀県大津市が隣接しています。
九州鹿児島や宮崎に住んでいた頃には・・・
正直言いまして・・・
「滋賀県」ってかなりの印象の薄さなのです。
う〜ん?滋賀県ってどこにあるんだっけ???
確か日本一大きい琵琶湖があるところだよなあ〜
そんなマイナーな印象しか無かった滋賀県ですが、
何度も遊びに行っているうちに、予想に反して
京都へのアクセスのし易さ、それでいながら自然
豊かな滋賀県の風景が大好きになっていました。
30分もクルマを走らせたら、もう京都のど真ん中。
結構便利なくせに、湖と山々に囲まれた風光明媚
な独特の雰囲気感が、気に入ってしまったのです。
「滋賀県って良いところだよなあ〜!
よし!滋賀県の造園会社に勤めちゃおう!」
もちろん、色んな会社の技を学ぶのにも興味が、
ありましたが、ほぼ勢いに任せての転職ですね。
そんな感じで、滋賀県大津市にあります・・・
「庭園宗兼」に勤めたのです。
実はこのときから・・・
「このまま滋賀県で独立しちゃうか!」
という意識は結構大きくなっていたのです。
そしていつの間にか鹿児島にUターンして独立する
予定が、滋賀県に居着いてしまうことになりました。
そして「風我里」(有)中村庭園創立は、滋賀県にて
私が29歳のときだったのです。
一応鹿児島生まれの鹿児島育ち・・・・
そして実は長男なのですが・・・
実家そして両親は弟に任せて、自由気ままに
させてもらってることに、心から感謝しているのです。
そのまま、多くの年月が流れ・・・
今では甲子園での高校野球選手権も・・・
全国高校サッカー選手権も・・・
鹿児島・宮崎・滋賀県を同じように応援しています!
過去記事を読み返してみますと・・・
おおおっ!!!
なんと以前にも同じような記事を綴っていましたね〜
お客様からの質問に答えた記事になっています。
そんな質問は・・・
「鹿児島出身なのに・・なぜなぜ滋賀県で???」
今日の記事と重複しているかもしれませんが(^^;)
答えはこちらです ↓
「俺も庭師になってみようかなっ!」
庭に対する心構えと礼儀
忘れた頃に書きたくなる修業時代なのです。
そんな19話までの記事はこちらをどうぞ!
カテゴリー「修業時代」
今日の第20話の記事も入ってはいますが・・・
京都嵐山で、朝から晩まで、必死に造園工として
現場仕事に、明け暮れていた頃・・・
鹿児島を出て、京都に就職してしばらく経つと、
地方から造園の匠を目指して、修行に来ている
同業他社の友人もたくさん、できていました。
地方の造園会社の2代目などの跡取りの多くの
若者が腕を磨きに、京都に集まっていたのです。
そんな他造園会社に勤める友人が・・・
「違う造園会社に移りたいなあ〜」と一言。
「なんでや?」
「京都にはもっと凄い造園屋があるらしい!」
「どう凄いんや?」
すると友人は、大きな夢を見るようにキラキラ
っと目を輝かせて、語り始めました。
「砂利敷きの下地も“掻き板”と“地ゴテ”を使って
見えないところなのに、時間をかけてめちゃ丁寧
に、敷き均してから、まるで苔山の下地を造るよう
にしながら、砂利仕上げをするらしい。
そんなとこで勤めてみたいと思わへんか!」
そこで私が一言・・・
「なあ〜そこってうちの会社やと思うで!」
当たり前だと思っていた日々の作業は、他から
見たら結構特殊だったようです。
確かに他の造園会社に応援に行くと・・・
適当にスコップ等で均された下地に撒かれる砂利。
均したばかりの上についた靴跡・・・
そんな今敷かれた砂利の上で吸われるタバコから
フワフワ舞い落ちる灰・・・
雑然と置かれ散らかった道具・・・
社内の日々の作業では、目にしたことの無い光景
に驚きの連続だったのを良く覚えています。
お施主様に対する礼儀や言葉使いだけではなく、
庭に対する心構えや礼儀なども、徹底的に深い
ところまで教えてもらえたと思っています。
本当に真摯な態度で庭造りに取り組んでいました。
そしてその心構えと礼儀は、今もしっかり風我里
の、日々の作業に引き継がれているのです。
俺も造園屋になりたいっ!
九州は鹿児島県大口市で生まれ・・・
現在は大口市の存在は無くなってしまい・・・
合併して鹿児島県伊佐市となっていますが。
大口高校普通科時代に造園の面白さに触れ、
そんな造園業に感化された瞬間を綴った記事、
2007/8/7日記「造園屋のおっちゃん」
この「造園屋のおっちゃん」の凄さのおかげで、
「造園」という魅力に思いっきり目覚めて〜
宮崎の南九州大学園芸学部造園学科に入学。
そこで、たくさんの友人そしてバイク・・・
そして恋もちょっぴり味わった4年間でした。
2005/8/30日記「わかばの母校。バイクにて」
そんな大好きな・・・
宮崎のお母さんから届いた贈り物。
2006/9/17日記「第2の故郷から届いた感動」
そんな、ぬるま湯状態で、微睡んだ大学卒業後、
大学入学時の初心からその気持ちを曲げずに、
入社した京都の造園会社で過ごした時期を綴った
日記「修業時代」にも、そんな胸の内を、できるだけ
痛切にわかりやすく綴っているつもりでいます。
そして今も・・・
お客様からたくさんのお問い合わせを頂き、そして
ご依頼を頂けていることに心から感謝しています。
この人生のなかで・・・
こうしてお施主様宅のお庭の作成に微力ながらも、
携わらせて頂いているなかで、やはり確実に1番
大事なのは、心と心の触れ合いだと思っています。
そんな大事なお客様のお気持ち応えること!!!
最低でも、必ず絶対に・・・
ご期待以上のお庭の仕上がりになるように!
「必ず絶対に、ご期待以上の仕上がりに!!」
これが最低限、必ず守らなければいけない。
お客様とのお約束だと心に誓っているのです!!
そして・・・
この言葉が今も初心を忘れずに、いつも自分の心に
強く言い聞かせている言葉でもあるのです!!!
「ええっっ〜!」最悪の返事!
久しぶりの修行時代・・・第18話。
17話までの記事はこちらをどうぞ!
カテゴリー「修業時代」
今日の第18話の記事も入っていますが・・・
上司から部下へ〜
現場監督から作業員へ〜
親方から子方へ〜
そんな指示する者と指示される者へ〜
修行時代の後半は・・・
現場主任・現場監督・・・
などなどの現場管理業務に従事していました。
そして毎日のように・・・
作業内容に対する細かい指示を与えます。
年下の職人も、少しはいましたが・・・
このとき私も若干24歳くらいですから・・・
年上のベテラン職人の方がたくさんいたのです。
そんな指示を受けながら・・・
聞いている方にも色んな職人がいますよね〜
「うんっ!」
「わかったで!」
「まかせときっ!」っと・・・
気持ち良くなるほどの返事を返してくれる先輩職人。
まだまだヒヨッコのような経験しかない私ですから、
正直、結構気合い入れながら指示を与えています。
そんなときに返ってくる暖か過ぎる言葉・・・
ホッと心強く思い、嬉しくなるような一瞬なのです。
きっとこちらの・・・
心細い心情までくみとってくれていたのでしょう!
正直今でも感謝している多くの先輩たちがいます!
そして・・・
聞いているのか・・・
聞いてないのか・・・
返す返事は「あぁっ〜」って感じの喘ぎ声・・・
ちょっと仕事覚えかけの中途半端な年代の職人。
そんな返事を聞きながら・・・
こんな若僧にって気持ちも良くわかるのですが、
「俺だって頑張って話しかけてるんやでっ!
おっちゃん!せめて返事くらいちゃんとしようや!」
そして腹立つのが・・・
聞いているくせに全く返事も無く・・・
顎が前でせせり出すだけ・・・
あるいは微妙に顔が上下するだけ・・・
やる気の「や」の字も感じられませんね〜
「おっちゃん!返事してくれなきゃ
伝わってるのがわからないやろ!」
でも指示した内容に返ってくる言葉で・・・
1番ムカッと心に突き刺さる言葉がありました!
作業内容を指示した私の言葉に・・
返す返事が・・・
疑問符たっぷりのイントネーションで・・・
「ええっっ〜!!!」
「はあぁぁ〜!!!」
一気に周囲のやる気をそぐ最悪の返事です!!
正直言いまして・・・
仕事に対して自分なりの自信は持っていましたが、
さすがに百戦錬磨の造園職人に対して、偉そうに
指示を出すのは、結構心臓がドキドキ高鳴り・・・
ドギマギしながらの監督業でもあったのです。
その高鳴る気持ちを入れ込んで・・・
気合いたっぷりで指示した内容に対する返事。
その指示に対する返答は、何気なく返事した職人
にとっては、別に大きな意味も込められていない、
ただのありきたりの「言葉」なのでしょうが・・・
指示した側にとっては、相手が自分に発する返答
は結構大きな意味を持っているのだと思うのです。
その返された返答内容によって・・・
その職人に対する印象はかなり変わりますから。
特に指示内容に対する「第1声」
この心が発する第1声に、仕事に対する心意気の
一部が詰まっている気がしているのです!!!
今でもスタッフの発する「第1声」に・・・
仕事に対する情熱の大小が、きっちりと・・・
込められていると思っています。
そして・・・
その言葉をきちんと心で聞くのが・・・
今の私の勤めだとも思っているのです!!!
どんな無理難題な施工デザインの指示にも・・・
全く顔色一つ変えずに・・・
「はい!わかりました!!!」
・・・っと真っ直ぐな返事を返す風我里スタッフ。
その頼もしさに感謝感謝の気持ちでいるのです!
強い気持ちで願えば夢は叶うもの
修行時代・・・第17話。
かなり久々の修業時代の記事になりますね〜
16話までの記事はこちらをどうぞ!
カテゴリー「修業時代」
今日の第17話の記事も入っていますが・・・
入社後、仕事にも慣れた3年後には・・・
後輩2人ほどを引き連れて、現場を任せて
もらえるようになっていました。
スケジュール表に書かれている膨大な数の、
お施主様宅の作業内容・連絡先など吟味して、
自分でお施主様や仕入問屋にも電話連絡して、
作業工程まで組み立てていました。
あの頃から、作業の仕上がり精度やスピードは
もちろん、工程段取りにも絶対の自信を持って
いました。
そんなとき・・・
一緒に作業していた後輩からの一言・・・
「中村さんと一緒に行く現場は、いつもめちゃ
楽やなあ〜!あっと言う間に仕事が進むし・・・
きっと楽な現場を選ぶのが上手いんやなっ!」
「ふふっ!そやなっ!感謝しいやっ!」
・・・っと言いましたが。
心の中では・・・
「どんな現場でも俺と一緒なら楽なんだよっ!」
作業効率は準備や段取りで決まると思います。
まだまだ半人前の後輩たちに気持ち良く作業して
もらい、効率的に作業を進められるかが大事です。
今でもそうですが見過ごしがちな、あらゆる細かい
ところにも気配りして作業していましたね〜
そんなあの頃・・・
私の頭の中は溢れる夢でいっぱいでしたっ!
もっともっと色んな現場を体験したい・・・
経験したことの無いような現場に飢えていました。
自分のなかに蓄える糧を欲していたのです。
「夢は絶対叶うもの!叶えるもの!」
強い気持ちで願えば夢は叶うものだと思います。
夢は願わなければ叶わない・・・
でも願えば絶対に近づける・・・
そんな気持ちを書いた日記です ↓
2007/9/16日記 「ねがいごと」
コロコロ〜石の転がし方
修行時代・・・第16話。
かなり久々の修業時代の記事になりますね。
15話までの記事はこちらをどうぞ!
この記事ももちろん入っていますが・・・・・
→ 「修業時代1話から16話まで」
あの頃・・・
お庭に石を一つ転がすだけでも・・・
かなりかなり悩み思案しました。
石が一つ・・
何気なく素敵に転がっている様を再現するのは
簡単に思えて、非常にとても繊細な作業なのです。
「この石1個庭に据えてみろ!」と上司に言われ・・
一抱えほどの石を・・・
あれこれあれこれ・・・
石をこねくり回して色々思案しますが・・・
なかなか良い感じに据えられません・・・
格闘すること小1時間・・・
見かねた上司が・・・
「何やってんだっ!こうだろっ!」
っと据えた石は何とも良い感じじゃないですか!
それも私が思いもしなかった形状・・・
結構ショックでしたっ・・・
あのときの光景・・・
そして据えられた石の素敵な様子・・・
今でもはっきりと憶えています!!!
こちらは風我里作のお庭の中の一風景・・・
苔やシダなどのグリーンが・・・
素敵なお化粧を施してくれているのです。
無我夢中だったあの頃
忘れた頃に書き綴っています修業時代。
前回から・・なんと2ヶ月も経ってしまいました。
第14話まではこちらをどうぞ ↓
「修業時代」
まだ若干24歳・・・
意欲十分心も身体も・・
メラメラっと燃えまくっていたあの頃なのです!
もちろん、今でもその闘志は・・
寸分たりとも全く変わらぬつもりでいます!
そんな頃・・
ふいに訪れた初めての庭造り・・・
「詳しくは前回14話の記事を・・」
テーマは「橋の架かる枯山水」
庭に架かる橋はただ石橋部分の景観的な
美しさだけではなく、その架かる両岸全体を
違和感無く繋ぐ役割も果たしています。
石橋の見た目だけではなく、そぞろ渡る瞬間に
心は身構えその橋を眺めます。
ただ架かっていれば良い・・
それならコンクリート製の橋で十分なのです。
この石橋の据付けは据える庭師の心情
全てが現れる気がしています。
同じ橋を使っても100人いれば100通りの
色んな風情の橋が架かることでしょう。
そして橋の袂・・
四隅に据える橋鋏石・・
または橋添石と呼ばれる役石。
この橋を夾む役石とその周囲の設えによって
この橋全体そして周囲の景観が創られるのです。
この初めての庭造りのときも・・
まず橋に使える自然石を選ぶと同時に
橋鋏石をも石橋との相性を考えながら選びました。
上司に・・
「おいおいっ!・・
なんでそんな役石の据え方知ってるんやっ?」
・・なんて言われましたが。
全て会長の庭造りを見よう見まねで・・
コッソリと盗んでいただけなのです!
初めての庭造りを見た会長の言葉・・
「うん!良い感じやっ!」
私が携わったと知ってられたら・・
もっと違う厳しい言葉だったかもしれません。
あのときは「ホッ」っという気分が大きかったですが
今思えば真剣な厳しい言葉を聞きたかった・・・
そんな尊敬する会長作のお庭の写真・・
4つ切りサイズに拡大したものを頂いています。
他の庭の写真もなぜかたくさん手元にあるのです。
全て私の本当に大切な宝物にしているのです!!
23〜4歳の頃・・
私も作業に関わったお庭です。
とても素敵なお庭なのです・・・
期間限定で公開致します。
蹲いを見越して橋へと飛び石が続きます・・・
自然観に満ち溢れた橋夾み石・・・
こんな野趣味溢れた作風に惹かれていました。
奥行き感のある・・
どの方向から見ても素敵な空間に創られています。
そしてお庭の本当に隅々まで・・
気を配り心を配り仕上げてあるのです。
見えないはずの砂利敷きの下地まで・・・
たとえ砂利が無くても美しいと言えるくらいに・・・
全身全霊を注ぎ込んであるのです・・・
こんな写真を眺めていると・・・
あの右も左もわからないでいながら・・・
夢中で一生懸命だったあの頃を思い出して
かなり感慨深い想いに浸りそうな気分なのです。
ふいに訪れた初めての庭造り
修業時代・・第14話。
久しぶりの「修行時代」です。
13話まではこちらをどうぞ ↓
「修業時代」
京都の庭の世界で揉みに揉まれて・・・
2年ほどの月日が流れた頃でした。
現場作業の人数はこの造園業界では
まあまあ多い方の15人ほどでしたが
何班かに分けてグループ分けされてました。
その頃の私の現場でのコンビは・・
直属の上司(40歳代)
1年遅れの後輩(20歳くらい)
この3人での作業がほとんどだったでしょうか。
ある日・・・
会長が直属の上司に声をかけられました。
「おい!
お前もそろそろ本格的に庭造りをしてみるか!」
依頼されたのは公共施設の和風の枯山水。
四方を窓に囲まれた16畳ほどのスペースに
枯山水に橋を架けたイメージでの庭造り。
なんと設計から考えて造ってくれとのこと!!!
なんて・・やりがいのある仕事!
そして設計から材料選定から施工まで・・
全て任すからやってくれとのことっ!
うわあ!・・なんて羨ましいっ!
「よかったですねっ!!!」
っと上司にすぐさま声を掛けます!
しかし・・なぜか・・・
上司の顔は暗く沈んでいます・・・
いつもバイタリティ溢れる・・
グイグイ引っ張ってくれてる上司なのに・・
「ん?どうしたんですか?」
「ワシ・・自信ない・・」
「ええええっ!
せっっかく任せてもらえたのにっ!
駄目ですよお!やりましょう!」
でも上司から出た言葉は・・・
「中村、造ってくれ!」
「ええっ・・そんなん駄目でしょう・・」
「大丈夫!お前ならできるって!」
「でも会長は○○さんに造らそうと思って
期待してくれてはるのに!頑張りましょう!」
「大丈夫!黙ってたらわからないって!」
私も造りたいし・・造れるのは嬉しい・・
「でも駄目です!会長を裏切れません!」
「じゃあ一緒に手伝ってくれ!」
「もちろん!手伝いますよっ」
「それじゃあ、設計して材料選んでくれっ」
「・・・・・・・・」
こんな感じでいつのまにか・・
庭造りの主導は私の手に委ねられ・・
私の初めての庭造りは始まったのです!
ずっとずっと過去の話しです。
もう・・時効ですよね(^^ゞ
・・・・・・・続く