8月6日〜10日までの5日間の休みをいただき、その間の仕事は社長と職人仲間にお願いしました。

夏の仕事が忙しいさなかの物資集めでしたので、なかなか集まりませんでしたが
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エアコン・1ドア冷蔵庫・FAX・除湿機・液晶テレビなどが集まり、綺麗に掃除と包装をして軽トラックに積み込みました。

まずは東北復興支援団体 祈望(KIBOU)の支援物資受付倉庫を目指します。

朝の6時に友達と合流し軽トラックで取手市を出発し、ルートは最寄の高速道路入り口の
常磐自動車道路の谷田部IC→磐越自動車道→東北自動車道→仙台北部道路利府しからし台IC→支援物資受付倉庫までのおよそ380キロの道のり。

途中の福島にある磐越自動車道の三春PAで別の車で来た友達と合流し、さらに北を目指します。

地震の影響で高速道路の道路はいたるところで凸凹があったり、福島の内陸の高速道路沿いの住宅も屋根瓦が崩れていたりと、今回の地震の規模の大きさがまたよくわかりました。

そんな走りにくい高速道路でこまめに休憩をとりながら途中仙台にも立ち寄り、
午後2時過ぎにようやく東北復興支援団体 祈望(KIBOU)の支援物資受付倉庫までたどり着きました。

到着した時は支援団体の皆様はミーティング中でしたが、私たちの到着を確認するとみんなイスから立ち上がって私たちの支援物資の荷降しを手伝っていただきました。

あまり時間がなかったので支援団体の方々とお話しすることは出来ませんでしたが、その支援物資倉庫の中には全国から支援していただいたあらゆる物資が綺麗に生理整頓されていました。
支援を受けたい被災地の人たちが一目で何があるかわかるようにしていると思います。

東北復興支援団体 祈望(KIBOU)のホームページ内の活動報告の中に倉庫内の様子などが紹介されています。


無事に支援物資を下ろした後は友達2人と話し合い、とりあえず気仙沼方面に向かう途中に友達の思い出の石巻市など立ち寄りながら移動することに。
(この時点ではまだ津波の被害を受けた町を見れていませんでした)

東北復興支援団体 祈望(KIBOU)の倉庫から石巻市まで移動すること2時間半。
途中道に迷いながらも午後5時には友達の思い出の地、石巻まで来ました。
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友達が去年この画像奥にある丸い屋根の石ノ森萬画館に来たそうです。

震災から5ヶ月が経ちましたのでこの画像ではあまり津波の被害状況がわかりにくいですが、途中の石巻市の商店街の店舗の1階部分のほとんどが津波の被害を受けていました。

この場所まで来て、ようやくその津波の恐ろしさに気づかされました。

そんな被災地を見て、私から出てくる言葉といったら
「わぁ、、、えぇ、、、なんだこれ、、、、うそだろ、、、あぁ、、、」などなど、
その状況が頭で整理できないのでそんな言葉の繰り返しです。

そこでボーっと被災地を眺めていると、その友達が去年お世話になった(宿泊までさせていただいた)方と連絡を取り合っていていまして
急遽、その方がいる南三陸町の歌津という所に向かうこととなりました。


向かう途中、北上川沿いの国道45号が地震による土砂崩れのため通行止めとなっていて、回り道をしながらようやく海沿いの南三陸町戸倉が近づいてきました。

山間の道なのでずいぶんと日が暮れて周りが暗くなってくましたが、海まであと1キロちょっとのところである変化に気がつきました。

「あれ?、、、くるま?、、、、ええ、、、あぁ、、、」

海までまだもう少しのところで見たその変化とは、畑のように茶色い土地にゴロゴロと横たわる車や船、またはガレキ片の数々でした。
それは石巻で見た光景とはまた違った津波の被害状況でした。

たぶん住宅街であっただろう場所は、住宅のコンクリート基礎だけを残していました。
それ以外はガレキや雑草に覆われている土地がただ広がっていました。
海沿いでは道路が道路でなくなった仮設の砂利道になっていて、外灯も一切ない暗い道です。

その光景に驚きながらもようやく志津川地区に入りました。

その志津川地区というのは、テレビで南三陸町としてよく報道されていた町でした。
そこは、戸倉地区よりもすごく広い町ですが、目に付くものは建築中みたいな鉄筋コンクリートや鉄骨の建物とガレキを集めた高いガレキの山だけでした。

その光景にまた、ただただ驚くばかりでした。


(画像は次の日のボランティアに向かう途中で撮った志津川の町です)
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仙台の支援団体倉庫から石巻を経由し南三陸町へ100キロちょっとの道のり。
今までの人生では経験したことがない、とても複雑な気持ちになりながら、

午後7時過ぎにようやく歌津地区に入りました。


ちょっと書き疲れましたので今回はこの辺で。