前回の続きです。

午後7時過ぎにようやく歌津地区に入りました。
友達が去年の記憶をたどり、なんとかそこに住んでいるのお知り合いの方のお家までたどり着こうと
しましたが、周りは外灯もなくなり真っ暗になった仮設された砂利道ばかり。
目印になるような建物も無くなっているので去年の記憶からたどり着くのは無理でした。

そこで電話連絡を取りながら田の浦にある小さな港の所でお知り合いの方と待ち合わせ。
真っ暗闇の中5分ほど待っていると遠くから車のライトが見えてきました。

そこでようやくお知り合いの方々と合流。
お知り合いの方に先導してもらって進むと、そこは私たちだけでは普通は通らないような仮設の砂利道を進み、その先の坂道を少し登るとようやく元のアスファルトの山道になりました。
急な上り坂を進み、高台にあるお家にようやくたどり着きました。

おうちの中に招いていただきお茶を飲みながら色々お話を聞かせていただきました。

地震では棚の中の小物が落ちたくらいで全然被害はなかったそうです。
しかしその後の津波で山の下にある小さな漁港やその周辺の港町はすべて流され、海岸沿いの
道路もなくなってしまった。
そのお知り合いのお家は陸側の道路があったので、なんとか生活物資運搬ができたようです。
でもライフラインの復旧は、電気と仮設水道は30日〜90日、電話は4ヵ月後にようやく繋がったとのことでした。

このお知り合いの方の家がずいぶんと高台にポツンと家があったので、その理由もお聞きしましたら
すいぶんと昔に津波の被害にあわれたようで、そこでこの高台に移転してきたとお話してくれました。

今回被害にあった港周辺の町は、ずっと昔の津波を知らない世代の人たちがほとんどだったとも
お話してくれました。


今回の目的にボランティア活動を通じて被災地の状況を知るだけでなく、何度も地震や津波被害にあった
その町の歴史なども知りたかったので、ここで聞けたお話はとても貴重なものとなりました。

そのお話をお聞きしながらもお知り合いの方たちは、この日、この後の私たちを心配して晩御飯や
シャワー、お部屋まで提供していただき、結局一晩お世話になりました。

私たちは日ごろキャンプや一人旅など経験している男3人なので、ハイエースに車中泊をするのは全然問題なかったのですが、そのお知り合いの方々がとても人情的に親切にしてくださいました。

これが私たちが思っている東北の魅力の一つなんですよね。
お世話になってしまいましたが、、、
でもやはりこの東北の地に来て良かった、来られて良かったと思いました。


朝になり、いつもの早朝ウォーキングの時間に目が覚めたのでちょっと散歩に出掛けました。
玄関から出てたら 畑の草刈に行く前のお父さんに会い 昨晩のお礼を言いながら 下の港に下りる
山道(けもの道)を教えてもらい、昨夜は真っ暗で何も見えなかった港周辺まで歩きました。

港に下りる寸前まで周辺は見渡せなかったのですが、港にたどり着くとそこは何もない穏やかな海の景色が
広がっていました。
何もなくなった港には漁業関係者だと思われる10数人の人たちが小さな1隻の船のまわりで作業をしています。
あったであろうガレキは港の端の方に山になっていました。

昨夜に待ち合わせした港から 昨日通った仮設の砂利道を進むとその道の端には 夜では見えなかった仮設の銀色の水道管が露出して敷いてあるのがわかりました。

港沿いの道から山側の方に歩いていくと、低い場所は家の基礎部分だけが残り、それ以外は草が生い茂っている状態。
遠目から見ると何もない土地のように見えました。
しかしもう少し進んでいくと夜では見られなかった景色、それは細かいガレキや車、小さな船などが港から田んぼ沿いに数百メートル奥の山のふもとまで流されていた光景でした。

(この時は写真撮影は控えてましたが、今思えばひとりでも多くの人に 報道されない小さな町の現状を伝える為に写真を撮っておけばと後悔しました)

そこから急な坂道を登り始めると、津波の被害とは無縁なごく普通の山道の景色となっています。


いろいろな事を考えながらお家の部屋に戻り、寝袋をたたんだり身支度を済ませていると
お家の方が 「朝ごはん出来ているから」 と声を掛けてくださいました。

何から何までお世話になりっぱなしですみません。。。

朝ごはんをいただきながら、テレビで流れる宮城周辺の今の被災地の映像や復興に向けてのニュース。
関東だとNHK以外はもうあまり放送されていない被災地の映像だなと感じました。
とはいえ、地方局でもNHKは行楽情報、民放局は関東のバラエティ番組などの放映も見られました。

食事をしながら今日の動きをどうしようか考えました。
私たちの当初の日程では気仙沼に行く予定でしたが、
「せっかく南三陸町でこうしてお世話になったんだから この町に恩返しがしたい」
と3人の考えもすぐにまとまり 今日は南三陸町のボランティアセンターへ向かうことに決めました。


その事を伝え、ご馳走様でした とお礼をするとそこのお母さんが お昼にでも食べなさいと手作りの大福餅を
いただきました。

もう、お礼の言葉ではとても返しきれません。
でもこの感謝の気持ちを胸いっぱいに今日のボランティアが出来るようにがんばろう!
と思いました。

車に荷物を積み込み、お世話になったお父さんお母さんと娘さんには
「またこっち来たら寄って行ってな」
と、またありがたい言葉をいただき、3人でお礼を言いながらそのお家を後にしました。



そこから15分もかからないくらいの近所ではありますがボランティアセンターの受付が早期終了しないように7時半には出発。
(ボランティア希望者が多い場合は先着で受付終了とのこと)

受付開始の8時半どころか8時前にはボランティアセンターへ到着し、作業しやすい服装へ着替え受付に並びました。


次回は南三陸町で行ったボランティア活動を書きたいと思います
110807_145447
画像はボランティアさせていただいた現場。
画像右の方が海で、画像中央の看板の高さまで津波がきたそうです