2017年09月21日

人間の探究 858 世界の秘密組織

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※アルバート・パイクは、1857年に秘密結社イルミナティの最高幹部(最高位33階級)にまで登り詰めた人で、第一次世界大戦から第三次世界大戦までを予言しています。

人間の探究 858 世界の秘密組織

 秘密組織はどこの国でももっています。「人々を統治していくためには裏と表が必要だ」という考え方です。
 日本政府は表の組織です。裏にヤクザの組織があります。暴対法でヤクザが一匹もいなくなるようなことをいいながら、一向にヤクザは減りません。何故なのでしょう。ということは、ヤクザそのものに需要があるのです。
 誰のお仕事かというと、政府のお仕事があるのです。政府の裏のお仕事をヤクザがやっていると思えばよいのです。
 ところが政府が「親分やってくれ」と頼む仕事はどこからきているのかというと、これはアメリカです。アメリカは有名なユダヤの国です。表は大統領がいます。大統領がユダヤ人の場合がほとんどですが、裏にはユダヤの組織があります。
 CFR(外交評議委員会)・フリーメイソンなどがあり、ユダヤの組織の連帯ができているのです。どのような組織が命令を下すのかは知りませんが、日本を支配する組織があり、そこから指令が出てくるのです。
 すると政府はヤクザに頼むのです。その頼み事は、だいたい殺しです。「この政治家は邪魔だから殺してもらいたい」と政府に流してくるのです。すると政府はそんなことはできないからヤクザの親分に相談するのです。
 政府の代理人「親分、今度はこの仕事だ」ヤクザ「わかりました」と1億円払うのです。1億円くらいで下請けの仕事を引き受けるのです。都合が悪い奴は消されるのです。やったのは暴力団員ですから、絶対に上は出てきません。
 親分は命令もしません。名前を書くだけです。子分に見えるようにしているのです。すするとこれは「消せ」という命令ですから、「消せ」などと一言も言いません。子分はパッと動いてやる計画を立てるのです。捕まるときはやった奴が捕まるので、親分を通して政治家まではきません。
 随分殺されています。マスコミの連中、石井紘基、中川昭一、新井将敬、・・・。やはりヤクザは必要です。仕事を頼めば黙っていてもヤクザがやってくれるのです。それから麻薬の売買です。そんなものは上の連中はみんなやっているのに違いありません。
 アメリカもそうです。麻薬はアメリカ大統領も絡んでいます。一番儲かるのです。そのためにいろんな組織をつくっているのです。
日本では天皇陛下を守るために「ヤタガラス」という組織があります。これは裏の組織ですから絶対に表には出ませんが、間違いなく存在するのです。
 中国には黒龍会や幇(ぱん)があり、青幇(ちんぱん)や紅幇(ほんぱん)などがあり、幇(ぱん)に所属するのです。横浜中華街も幇(ぱん)の親分が仕切っているのです。長年勤めて信用されると、お金はいくらでも貸してくれるのです。「お前、中華料理店を出せ。お前ならできるぞ」と言われれば、何十億円とお金が出るのです。
 その代わり裏切ったら、いなくなってしまうのです。どこかに消えてしまうのです。それで組織が守られていくのです。この組織は地域ごとにあります。ベンジャミン・フルフォードが入ったのが黒龍会です。シナは政府がいい加減な国ですから、お互いに同盟をつくって守るのです。
 さて、これからが言いたいことです。世界には秘密結社がたくさんあります。秘密結社が大きくなると、自分たちが政府を動かすようになってくるのです。ユダヤの組織は完全にそうなっています。
 「日本の首相を誰にするのか、俺たちが握っているのだ。今度はあれにしよう」と決めて工作すると、首相が出来上がってくるのです。ところがこの首相は組織のおかげで首相になれたのですから、組織の奴隷です。命令は何でも聞かなければいけません。愛国心など持てません。全てアメリカの犬となり、日本の総理大臣は出来上がるのです。
 「犬」ということは、日本国民が損をして、アメリカの利益になるということをやるのです。日本の政治家は日本の利益のために動かなくてはいけませんが、アメリカ人の利益のために動く仕組みになっているのです。
 だから政治家は国民にウソをつくのです。安倍さんが国民にウソをつくのは、アメリカの犬になっている証拠です。国民はどうでもよいのです。国民を食って、アメリカにご奉仕するのです。そのように作られているのです。
 誰が総理大臣になってもこの構図は変わりません。年次要望書がアメリカから送られてきて、「今年はこれと、これと、これをやってもらいたい」と言うのです。「年次要望書」と言いますが、実際は命令書です。「これをやれ」「憲法を改正しろ」「自衛隊を戦える軍隊にしろ」「全世界に足を延ばして戦えるように自衛隊は国際協力をやれ」という命令書です。「そんなことはやりたくない」と言っても命令書が来た以上はやらないといけません。その通り行動するのです。
 世界には秘密結社の網がかけられているのです。北朝鮮もそうです。ある人の意見によれば、北朝鮮はアメリカとつるんでいます。厚木飛行場から北朝鮮に定期便が飛んでいたというのです。何処に行くのか知りませんが北朝鮮に飛んでいくのです。
 北朝鮮はアメリカの言うなりです。アメリカはそのように仕組んでいるのです。「北朝鮮が怖い」と言えば、日本に莫大な何兆円という武器が売れます。怖くなければ困るのです。
 「世の中に戦争はありません」と言うと武器商人たちが商売できません。「怖い奴」を演じる役があり、それが金正恩です。脅しが終わってしまうと困るわけです。常に敵がいて、日本を脅かして、韓国を脅かして、場合によっては中国も脅かして武器を売るのです。
 常に定期的にやっているのですから、日本の自由にならない面があります。北朝鮮とアメリカが戦争するのです。日本が戦争をする理由は何もありません。拉致問題はありますが、そんな問題で戦争はできません。
 日本を北朝鮮から守るためには、日本から米軍基地を撤退してもらえばよいのです。すると日本は膨大な土地が返ってきます。「思いやり予算」で米軍にあげている約1兆円の予算が日本のために使えます。米軍が沖縄からいなくなり、安全保障条約を解消した日本を誰が狙うのでしょう。
 そこで平和憲法を高々と主張すればよいのです。「日本は平和国家です。平和憲法をもっています。我々は他国を攻めることは一切しません」そう言えばよいのです。そうは言っても攻めてくる奴がいるから、その場合は最小の自衛隊でよいのです。
 全力を挙げて攻めてくる者はいないと思います。北朝鮮が日本に原爆を落とせるでしょうか? 平和憲法を持っている国で米軍もいなくなったら、日本に原爆を落とす必要はありません。一発でも落としたら国際的な非難を浴びて北朝鮮は自滅します。そのほうが日本のためにはよいのです。
 北朝鮮が日本を攻撃するなど考えられません。米軍がいるから、米軍を攻撃すれば北朝鮮も正当性があるのです。米軍基地を叩くということは、日本を叩くということになってしまうのです。「米軍がいなくなればよい」という意見があったにしても、そんな意見は出しません。
 「アメリカは大変だ、北朝鮮と戦争だ」という意見を出してくるのです。年次要望書では、米軍がいなくなる政策などとらせません。日本がどんどん前にいけるようにしたいのです。誰が総理大臣になってもこれはできません。日本のかじ取りは難しいですね。
 しかし、陰謀はどこの国でもありますが、実る場合と実らない場合があります。「世界は陰謀で動いている」というと陰謀だけになってしまいます。宇野正美さんはこれです。世界は陰謀だけで動いているわけではありません。
 世の中は正しい良心で動いている人もあります。アメリカ人にも良心があります。日本人にも良心派はいます。良心派の「憲法九条を維持する」という意見ならばよいのです。そのような人もいます。
 良心派の考え方と、陰謀派の考えがぶつかったところで歴史は動いていきます。陰謀論だけで動いているわけではありません。両方がぶつかったところに事件が起きてくるのです。
 陰謀論について調べることも必要です。陰謀論の根本は「このように人類を動かしていく」というプロトコルがあり、その指令書に基づいて何百年前からやっているのです。
アルバート・パイクは、1857年に秘密結社イルミナティの最高幹部(最高位33階級)にまで登り詰めた人で、第一次世界大戦から第三次世界大戦までを予言しています。
 日本は良心派です。陰謀論など関係ありません。ずっと真面目にやってきたのですが、アメリカの陰謀論が出てきて「オレンジ計画」で日本を叩こうと計画したのです。良心派と陰謀論者が戦ったのがパールハーバーです。
 目に見えない陰謀論と、良心派の考えがぶつかったところに現実の歴史が出てくるのです。そのような見方をしたらよいと思います。

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2017年09月20日

人間の探究 857 仏教とは最大の邪教である!

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※ 神道では「この世界は霊魂から成り立っているのだ。霊界というものがあり、死んだら人間は霊界に帰るのだ。霊界が写している影が現世である」と言われているから、基本は同じですが、仏教ではもっとわかりやすく「妙法」と言われているのです。

人間の探究 857 仏教とは最大の邪教である!

 仏教とは最大の邪教である! これを日本国民はすべからく知る必要があります。基本的に仏教は外国の宗教です。ロクなものではありません。オウム真理は仏教のフリをして「ポアしてやる」などと言って人殺しをしました。
本当の仏教の教えは「生きていることは悪いことだ」というのです。だから「早く首を絞めて殺してあげれば楽になる」という考えです。まして、悟った者が信心の足らない人間を殺せば(ポアすれば)、殺された人間は天国に行けるのです。そのような思想です。ポア思想は仏教の中にあるのです。
それも論理的に考えれば「さもありなん」ということです。まず、生まれたことは悪いことだから生まれたのです。この世を去ることがよいことです。そこから生まれたのが念仏思想です。
 仏教の基本はそうなのです。「仏教で拝みまくって幸せになろう」など、そんな宗教ではありません。日蓮大聖人様の仏教も同じことです。基本はそれです。「日蓮を用いるとも悪しく敬わば国滅ぶべし」というお言葉があります。
 その言葉の意味を深く考えていないのです。日蓮大聖人様を悪しく敬うと、国が滅びてしまうのです。仏教伝来をもたらした百済の聖明王は死後106年で国が滅びています。中国の隋の国も天台大師滅後、21年で滅びています。
 仏教が流行ると国が滅びてなくなってしまうのです。仏教は無抵抗主義です。ポア思想・念仏思想・「生まれてきてすみません」という思想です。仏教では、「生は悪い」というのです。「人間は間違って生まれてきたのだ」と言っているのです。
 本来人間は宇宙と一体だから生まれてくる必要はありません。間違ったから生まれてきてしまったのです。だから「何も無くなって死ねばよい」という考えです。そんな思想が国中に広がったら国が滅びます。
 まず、家が滅びます。それを考えて仏教では、先祖崇拝をもってきたのです。仏教では「先祖を崇拝しろ」などとは言っていません。あれはあとから付け足したのです。お彼岸や御盆などは、後からつけた理屈であり、本来の仏教に先祖崇拝はありません。
 先祖崇拝をすれば国は持ちますが、本当は仏教に先祖などという考えはありません。だから国が滅びてしまうのです。仏教には「命を賭けて国を守ろう」などという思想はありません。
 大事なことは、仏教はインド人の思想です。阿修羅や毘沙門天などはインドの守り神です。浅草観音に行っても仁王門に金剛力士像があります。金剛力士は「ヴァジュラダラ」というインドの神です。そこを間違えてはいけません。仏教は亡国の業です。
 日蓮大聖人様は「日蓮を用いるとも悪しく敬わば国滅ぶべし」と言われているのです。そのような弊害をよく知った上で南無妙法蓮華経を信じていかないと、とんでもないことになります。日蓮大聖人様は「仏教は亡国の業ではあるけれども、良いところがある」と取りだされたものが、「南無妙法蓮華経」です。
 仏教の欠点をよく補っているので、南無妙法蓮華経の一法だけでよいのです。しいて、言うならば、この世界は妙法から成り立っています。素晴らしい考えです。これは神道でも同じです。
 神道では「この世界は霊魂から成り立っているのだ。霊界というものがあり、死んだら人間は霊界に帰るのだ。霊界が写している影が現世である」と言われているから、基本は同じですが、仏教ではもっとわかりやすく「妙法」と言われているのです。
 妙とは霊界のことです。人間にはわかりません。もっとわかりやすい現代の言葉で言うと、妙とは五次元のことです。そのように思えばよいのです。我々が「現実だ」と思い込んでいる世界が四次元の世界です。
 四次元の世界は何処から出てきているのかというと、五次元から出てきているのです。UFO問題の専門家の矢追純一さんが、最近「宇宙人とコンタクトを取っている」と言っています。矢追さんの傍に行くと病気が治ってしまうのです。プロレスラーのサスケも「腰が治った」と言っています。
 矢追さんは最近、あまりUFOのことは言いません。矢追さんにとってUFOは事実であり、「有る」とか、「無い」とか論じる問題ではありません。実用の段階に入っているのです。矢追さんは五次元とつながっているのです。それもテレパシーで話すのです。このテレパシーの技術が身につけば、五次元は何でもできるのです。五次元は次元が違うのです。
 五次元の世界は何でもできてしまうのです。だからUFOも出てくるのです。五次元とは、妙の世界です。我々は四次元(縦・横・高さ・時間)の中にいるので、その範囲内でしか身動きができません。
 妙の世界に行ってしまうと、いきなり空間から四次元に出てきたり、消えたり、病気が瞬間に治ったりするのです。素晴らしいのです。そのような世界が妙です。法の世界が四次元です。この両方から成り立っているのです。
 五次元は目に見えない世界です。五次元と四次元の両方から成り立っているから妙法というのです。「この妙法の正体を磨こう」ということが信仰です。だんだんわかってくるのです。生きている人間は法の世界はわかりますが、信仰によって妙の世界もわかってくるのです。
 すると妙の世界に通じるようになってくるのです。どんどんつながってしまうのです。台風の問題もそうです。東京には台風はこないのです。大雪もこなかったのです。台風は1回も来たことがありません。
 それは正理会に神通力が身についてきている証しです。そのように妙法の両方を学んでいくことが信仰の目的です。日蓮大聖人は「日蓮を用いるとも悪しく敬わば国滅ぶべし」と言われています。
そこにインド仏教の考え方が出てきて、「生まれてきてすみません」という念仏思想に憑りつかれたらダメです。そんなことをやったら亡国の業です。
 南無妙法蓮華経は呪文ではないし、正しい教えです。それをとくと考えて、仏道修行をしていかないといけません。


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2017年09月19日

人間の探究 856 成仏とは開く義なり

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※国宝 法華経

人間の探究 856 成仏とは開く義なり

 成仏とは「成は開く義なり」(御義口伝巻下)ということです。「仏に成る」とはどのようなことかというと、「わが身が仏である」と知ることです。
 「開く」とは、「知る」ということだとわかります。「わが身が即仏だ」と、本当にわかったら成仏です。これは理屈ではありません。言葉尻の遊びで「わかった」といっても、そんなものではありません。本物の仏とは、全てがわかってしまうことをいいます。
例えば、仏教は全てつながっていますから、法華経の中の一字をとってみても、すべて説明できるのです。「法華経は金色の仏身なり」というように、「一つ一つの文字が全て仏である」と、日蓮大聖人様は言われています。
 「自我得仏来(じがとくぶつらい)」は、「我、仏を得てよりこのかた」と読む場合と、「我仏来(がぶつらい)は自得なり」があります。それはどのような意味かというと、「自」という一つの字から仏教は説けるのです。
 「自」とは、「自分」ということです。自分とは何でしょう。これが完璧にわかれば仏です。一切の経典はこの「自」について説いているのだと言えます。一切の経典は「自に代表される」とも言えるのです。
 「我(が)」とは何でしょう。仏教は「我」について説いたものです。この我というものを詳しく解説していくならば、仏教の経典すべての理論がわかってしまうのです。我とは何かというと、「アートマン」といいます。その「アートマンが存在しない」と言ったのが仏教です。
 無我を説いたものが仏教です。外道は「我(が)は有り」といい、仏教は「我はない」と言ったのです。そのように掘り下げていくと「我」という一字から仏教は全て解けてしまいます。「自我得仏来」の「自」「我」は説きました。「得(とく)」という字は、「得る」という意味です。何を得るのでしょうか?
 本当の自分を知ることを「得(う)る」と言っているのです。みんな違う世界に生きているように錯覚しているのです。その世界を貴方が本当にわかれば仏です。そのような解釈をしていくと、「自我得仏来」の一つの字から全ての仏教が解けてしまうのです。
 そのように見ると何処からでもよいのです。わかった人から見れば、たった一つの字から「仏を説いている」とわかるのです。「自我得仏来」は法華経の自我偈の一説ですが、一説でも仏を説いていますが、一字が仏なのです。それが「金色の仏身が並んでいる」というのです。
どこまででも深くなるのです。一旦「わかった」と言っても、何回も繰り返してわかっていくうちに、どんどん深くわかってくるのです。「いつからわかったのか?」というと、そのようなものでもありません。
数学の問題が「解けた! この方程式は終わった」と喜んでいるようなものでもありません。仏教の場合は、わからないことが次から次へと出てくるのです。煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)です。本来、煩悩と菩提は違います。「煩悩は菩提である。悩みは即ち仏である」と聞いても、なんとなくわかった気持ちになっても、本当はわかりません。
それは本当に体験したときに「ああ、そうだな」とわかるのです。「煩悩即菩提、生死即涅槃なのだ」と聞いても、生死即涅槃はどのように理解するのでしょう。生まれて死ぬことを「生死」といいます。生死のことを「苦しみ」ともいいます。「何故、生死は苦しみなのか?」というと、生まれてくるとき「オギャー!」と泣いて出てきます。死ぬ時も「う〜〜!」とうなって死ぬのです。
すると「生命とは何か?」というと、「オギャー」と生まれて死ぬまでの間です。生命は苦しみから成っているから、苦しんで生まれて苦しんで死ぬのです。それが「涅槃だ」というのです。涅槃は仏の境地です。生死即涅槃はどのように解釈したらよいのでしょう。
 これは「生死の中に仏があり」と見るのです。生死というものは、命が持っている特性であり、生死はそのまま仏の現れたものです。嫌うものでもなければ、逃げるものでもなく、仏様がそのまま現れたものが生死というものです。
 禅宗では修行に入る前に修証義(しょうしゅうぎ)があり、それを習うのです。「生を明らめ死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり。」そのように習うのです。生と死の原因を明らかにすることが仏教というものであり、生死というものがわかれば、仏教はもうわかったことになるのです。
 生死というものが、どこまでわかったのでしょう。それが本当にわからなければ、生死即涅槃にはなりません。生死という自然現象は避けられないものです。それがそのまま「仏である」と考えて、「生死は即、仏だ」とわかってくれば、もう本物です。
 「生死は苦しみ、涅槃は悟りであるから、別々にあるものだ」と思っている間は、成仏などできません。実は法華経の教えとはそのようなことです。全体を説いているのです。日蓮大聖人様も言われていますが、「三世の諸仏の説法の儀式の如く我も今亦是くの如く無分別の法を説く」(三世諸仏総勘文教相廃立)と言われています。
 法華経とは無分別を説いたものです。無分別とは何でしょう。「一切の生命は同じだ」ということです。区別はありません。一切の物事を見たときには、生物と無生物の違いがあります。これを仏教では「有情(うじょう)」と「非情(ひじょう)」といいます。石は何の感情もありません。これを非情といいます。人間の中でも非情の部分があります。骨は非情です。神経にさわらなければ骨そのものは痛みを感じません。神の毛も非情です。髪の毛はいくら切って痛くありません。爪もそうです。伸びた爪を切っても「痛い」とはいいません。神の毛や爪や骨は人間がもっている非情の部分です。
 これは大地の石と同じです。大地にも土や石があり、土の中から植物が生まれます。植物は有情です。有情ですが、どちらかというと非情です。植物を切っても「痛い」とは言いません。痛くないのですから、非情と言われます。
 お米を食べてもお米は「痛い」とは言いません。そのような意味でいうと植物は非情ですが、いたわって育てれば立派な作物が育ちます。「可愛いね」と育てれば、立派な花が咲きます。「いつもよい作物をつくってくれてありがとう」と感謝の念を捧げれば、植物そのものは非情ですが、有情の面もあるので伝わるのです。
 ご飯を食べて「お米さん、有難う。元気になったよ!」と言えば、お米が成仏したことになるのです。そのような構造になっているのです。有情と非情はつながっているのです。そのことを説いたのが、法界無尽縁起です。
 お互いにみんなそれぞれの部門で縁起しているのです。「人間は単独で生きている」と思ったら、全くの間違いです。単独ではありません。人間は空気がなければ生きられません。水がなければ生きられません。食べ物がなければ生きられません。食べ物は非情かもしれませんが、それで人間の有情の体を保つのです。非常に大事です。
 その一番大事な見方は「ああ、自分の生命は有難いのだな。」と、生命をつないでくれる、空気・水・食物・土に感謝するのです。そう思った瞬間に大宇宙と人間はつながるのです。
「植物は遺伝子組み換えでつくってしまうのだ」「豚は食うためにあるのだ。ぶっ殺せ」「鳥も首をちょん切って、バンバンやってしまえ」などという奴には何の感謝もありません。だから、毒になるのです。
 感謝が無くつくった物を食べれば、人間の体にとっては毒になります。感謝をもってつくられた物を食べれば、人間の体は元気になり薬になるのです。薬も毒も実は心の持ち方次第で変わってくるのです。これは「絶対の毒だ」というものはありません。
 昔はよく使われた犬殺しの薬品に硝酸ストリキニーネという薬品があります。これを犬に注射すると犬がコロリと死んでしまうのです。毒なのです。ところがこれを薄めて人間の体に注射すると元気になってしまうのです。これを昔、使っている医者を「硝スト医者」と言ったのです。誰でも彼でも硝酸ストリキニーネを与えてしまうのです。
 「風邪を引いているのですか? では、一発打ちましょう」と言われて注射されると、急に元気になってしまうのです。「先生、またあれください」と患者がくるのです。麻薬と同じです。
 少しの量を打てば元気になってしまうのです。たくさん摂取すると毒になってしまうのです。睡眠薬も少し飲めば気持ちよく寝むれますが、大量に飲むと死んでしまうのです。薬も毒も人間と関係をもっているのです。
 全てのものに生命があるのです。全てのものは仏の現れたものなのです。それが自分の宿業によって、よい環境なのか、悪い環境に別れるのです。全てのものは仏のものですが、自分の因果によって環境が地獄のものとなってしまうのです。
 例えば人間は火があるから料理ができます。それによりたんぱく質の摂取量が増えて人類は増加したのです。料理は最大の発明ですが、本当にそうなのです。煮炊きすることにより、たんぱく質が増えて、他の動物とは違ってきたのです。オラウータンやゴリラは料理はしません。生で食べるだけです。
 あらゆるものは薬にもなり、毒にもなります。自分の見方を変えて「ここは仏の世界である。常住此説法だ。常に仏がいて、説法をしてくださる世界なのだ」と思うと環境が自分に有利になるのです。「ここにも食物がある、ご飯がある。有難いな」「水があった有難いな」と感謝すると、見の周りの世界がよく見えてくるのです。太陽がサンサンと照りつづいていても「これにより作物が実るのだな」と思えばよい環境になるのです。
 ところが有難い火が自分を焼き尽くす火になる場合もあります。原爆が撃ち込まれて千度以上に焼けて死ぬ場合は、火そのものが地獄の火に変わるのです。鍋で煮炊きするのも火、自分を襲ってくる恐ろしい火もあるのです。どれも同じ火です。火に変わりはありません。
 地獄の業火の火に遭うのか、料理の火にあうかは宿業によるのです。そのようなことを仏教は説いているのです。三変土田の原理があり、これは仏になると国土が変わるというお話です。同じ国土なのですが、その人の心が仏国土になった瞬間に世界が常寂光土に変わるのです。
 犯罪を働いて豚箱にぶち込まれると、全てが自分を苦しめるものに変わってしまうのです。衆生の命が大事だとわかります。衆生の宿命によって火を「熱い」と感じるか、火を「有難い」と感じるのです。
 水もそうです。水ぐらい有難いものはありませんが、大洪水で流されて死んでしまう人もいます。同じ水です。「何故、大洪水という水に遭わなければいけないのか?」それを宿業というのです。
 宿命によって地獄を見るのです。「常にここは仏国土である」という自覚が必要です。そのような目で世界を見るのです。仏国土に北朝鮮はいらないのです。同じ生命でも暴力団に入ってしまい、脅し・たかり・ゆすりで生活していれば、地獄になるのに決まっています。我々は清浄なる法を求めて、前へ前へと進んでいくのです。それが法華経の信仰の極意です。

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2017年09月18日

人間の探究 855 国会で繰り広げられるポルノ合戦!

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※山尾志桜里(旧姓 菅野志桜里)元スケート選手・韓国人キム・ヨナにソックリ!

人間の探究 855 国会で繰り広げられるポルノ合戦!

 山尾志桜里(43歳)は朝鮮人らしいのです。もちろん、蓮舫は四重国籍のシナ・朝鮮人です。こいつらが国会でやっていることはオネンネすることです。ひどい話です。
 実はそこに金慶珠もからんでいるらしいのです。3人バトルです。男の倉持麟太郎弁護士も朝鮮人だと言われています。考えられるでしょうか? 国会での行事が終わると山尾志桜里はすぐホテルに直行するらしいのです。それも目立ったのは、「幹事長になりませんか?」と民進党代表の前原に言われて、その返事を「1日置く」といいながら、その足で行った先がホテルだったのです。
 「あいつ、どこへ行くのかな?」とカメラが追っていきます。法律上はホテルに入って鍵を閉めると事件が成立してしまうのです。裁判になると弁護士も「もう関係している」と思ってしまうのです。そんなことも知っているのか、知らないのか知りませんが、朝鮮人は遠慮がなさすぎます。
 蓮舫も旦那がいて、子供もいます。34歳の男が49歳のババアとやっているのでしょうか? 蓮舫が「美人だ」という奴もいますが、あの顔は鬼ババです。あんなババアが出てきたらチン●も引っ込んでしまいます。山尾も美人だと言う奴がいますが、整形疑惑があります。
 本当にヒドイものです。国会議員同士が銀座でキスした事件もありました。代議士とホステスならば、「そのようなこともあるかもしれない」と思います。代議士同士が路上で写真を撮られているのに平気でキスするなど、どうなっているのでしょう。
 何故、そうなるかわかりますか? 国会議員に朝鮮人が多いからです。「代議士の中に150名も朝鮮人がいる」というのです。朝鮮人は日本人と性癖が違います。朝鮮人は恋愛などありません。
 恋愛がないとやるだけです。だからそうなってしまうのです。朝鮮人はポルノ業界ではスターです。ポルノ業界は、ほとんど朝鮮人だと思ってよいのです。見てごらんなさい。出てくる奴はみんな朝鮮顔です。
 有名な奴は鮫島といいます。みんな朝鮮人です。誰とやってもよいということは、愛などないということです。それは朝鮮人独特の感覚です。朝鮮人は女をつくると子供を産ませてから、いなくなってしまうのです。「子供をつくったら女は逃げない」という考えです。
 僕の知っているKさんは子供が4人いて、毎日違う家へ帰るのです。「ただいま、帰りました」と言うと、奥さんに「出張ご苦労さん」と言われて、また出張に行くのです。また、次の家へ行って「ただいま、帰りました」というのです。本当にそのような奴がいるのです。
 毎日違う女の家へ行くのです。「毎日そんなことをやって疲れないですか?」と聞くと、「それはそういうものだろう。女は子供をつくれば逃げないのだよ」と言っていたのです。そのような関係でいるから無責任です。まず最初に子供をつくってしまうのです。その後は、女をブッ叩いて苛めるのです。あきたらその家を出るのです。朝鮮人がよくやる失踪です。それを繰り返していくのです。
 国会の中はまさにそうなってしまったのです。大きな声を出して「せっかく議員になったのに〜!」と泣いた馬鹿がいました。野々村も朝鮮人です。韓国へ行けば、泣きわめくなど当たり前です。
 朝鮮人と一緒に仕事をしないほうがよいのです。家を頼まれて造ったら大変です。「家が出来上がりました、見てください」と言って、喜んでもらえるのかと思うと、朝鮮人はそこにへたり込んでしまうのです。「ああ〜! これは私の考えと全然違うわよ!」と怒鳴り散らすのです。朝鮮人には感謝というものはありません。値段も値切って5分の1くらいにしてしまうのです。
 裁判をかけると、裁判官は朝鮮人の見方です。1千万円の家ならば「200万円にしなさいよ」と言われてしまうのです。それでももらえればまだよいほうです。絶対に朝鮮人と仕事をしてはいけないとわかります。
 それもそうですが、朝鮮人の議員が国会の中でどんな顔をしてやっているのでしょう。ついでに言っておきますが、明治4年の太政官令で新平民が平民になりました。新平民は苗字がありません。日本人は農家でも苗字がないわけではありません。ちゃんと苗字はあったのです。隠し姓といって、「自分は百姓であるから、苗字を名乗って偉そうなことを言わない。●●村の太郎さん」ということにして、苗字は名乗らなかったのです。
 剣術の先生、易者、医者は苗字を名乗ったのです。みんな苗字をもっていたのです。新平民の場合、苗字はありません。それで新政府が苗字をつけてあげることにしたのです。その時に、「100年先でも新平民だとハッキリとわかるように苗字をつけてあげよう」と考えたのです。いい考えです。東西南北の東さん、西さん、南さん、北さんは、すべて新平民です。
 それから神と仏です。「神」という苗字は新平民です。「大仏」と書いて「おさらぎ」と読みます。大佛次郎(本名、野尻清彦)という作家がいました。神村もそうです。
 それから動物の名前を苗字に入れたのです。山尾は新平民だとすぐにわかるのです。それから人体の部分が苗字にあるのは、だいたい新平民です。その他は細かくあります。苗字を見れば「この人の出身は新平民だな」とわかるようにしたのです。明治政府は知恵があったのです。
 今後、テレビで俳優の名前を見ればすぐにわかるのです。日本人から見ると通名の場合は朝鮮人だとわかりませんが「通名の法則」というのがあって、朝鮮人がだいたいどのような名前を使うのかわかっているのです。
 「朴」という名前の朝鮮人は、だいたい「木下」という苗字を使います。「金」は「金井」「金山」など、朝鮮人が好む日本の通名です。でも、これは正確ではありません。すべての人に当てはまるわけではありませんが、「朝鮮人が好む」ということです。
 そして、このような連中が不倫を起こすのです。国会議員の中で150名の朝鮮人がいることは大問題です。国会自体が「朝鮮部落」です。国会の表に「ここは朝鮮部落です。この中ではあらゆる乱交が行われています。見物料金は高いですよ」と、このような皮肉を書いておけばよいのです。
 このような話がまだたくさんあるはずです。注意していきましょう。


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2017年09月16日

人間の探究 854 僕の剣術修行

土方歳三


新撰組の土方歳三
まるで中杉先生の若き日のお姿みたいですね!





人間の探究 854 僕の剣術修行


僕の剣は活人剣である

全ての人を生かす剣である

人の命に巣食った悪を斬る


そのために剣術を修行してきた

道場の羽目板に叩きつけられながら

冬の寒稽古も真面目にやったぞ

赤胴つけて他流試合もした


真剣で巻き藁斬りもした

稽古が終わり先輩の背中をお風呂で流しながら

車座になって道場で酒を飲む、懐かしき思い出だ


僕の精神構造の原点はここにあるのだ

剣は破邪顕正であり武士の精神の根本である


勇気の根本はここにある

自信の根本はここにある

正義の根本はここにある




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2017年09月15日

人間の探究 853 僕の剣術修行

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※勝海舟は「剣術を本当に修行すると、人に斬られない人間になると聞いたけれども、本当であったと思っている」と言ったのです。

人間の探究 853 僕の剣術修行

 この話が終わった後で、10年前に書いた詩があるので、それを明日掲載します。それは前文として読んでもらいたいと思います。
 僕は剣術の修行を3年間やりました。潮田というところの「金子一刀流」の道場です。僕たちの子供の頃は、剣道をやってはいけなかったのです。学校には剣道部もないし、柔道部はあったのだと思いますが、本当は柔道部もいけません。
 武道禁止令です。「日本人は武道をやってはいけない。日本人が武道をやると強くなるから、やってはいけない」というGHQの指令があって学校に部活はなかったのです。
 僕が剣術をやったのは、中学2年から高校1年生までです。非常に短い期間ですけれども、僕の中で今でも生きています。何故かというと、今の剣道は「大会に出る」とか、「優勝する」とか考えています。高校剣道大会など、そんなことは夢にも考えていません。学校ではないから、そんな大会はありません。
 僕が通っていたのは町道場です。いろんな人がいたのです。「優勝しよう」とか、「大会で良い点を取ろう」などと思ったことは一度もありません。僕は試合に出たことはありません。そんなものはなかったのです。
 今の剣道をやっている人は「国体に出て名を上げよう」などと、くだらないことを考えているのです。そんなことはどうでもよいことです。そんなことばかり考えていると、人間はできません。
 人間をつくっていかないと意味がありません。人間をつくっていく道場でなければいけません。剣道のための剣道、スポーツのための剣道など意味がありません。精神を磨かない限り剣道など「棒フリ」と言われてしまいます。
 そうでないものを修行してくると一生役に立つのです。「剣道は昔習ったよ」という奴は大勢います。剣道を習ってチンピラをやっている馬鹿もいるのです。柔道もそうです。柔道を習ってチンピラをやっているのです。そのような奴は大勢います。
 そうではなく人間をつくるのです。人間をつくるのは、剣道でなければダメだと僕は思っています。剣道は剣の学びです。「剣を持つ」という前提条件があります。剣とは人の命を絶つものです。柔道は投げ飛ばし、カラテはブッ叩くということです。
 剣は相手をブッ叩くだけでは済みません。相手は死ぬのです。他のスポーツとは全然違いますが、竹刀を振り回して「面!」と討ち合っているのはスポーツです。そんなものをいくら振り回してもダメです。
 その奥に常に真剣がなければいけません。僕の通っていた金子道場には、真剣が30本くらいありました。傘立てに本物の刀を入れていたのです。それも「焼け身」といって、一回火事で焼けた刀です。
 火事で焼けた刀はもう使い物になりません。美術品としての価値はなくなってしまいます。それを集めて置いてあったのです。物を斬る場合はそれで充分です。或は真剣で稽古する場合はそれで充分です。刃引(はび)きはしていませんから、刃はあります。
 それが常に頭にあって、剣道の型を習いますが、真剣でやらなければダメです。木刀ではありません。真剣でやるのです。今はみんな木刀ですが、僕の通っていた道場では真剣で稽古をやっていたのです。
 雑巾がけもやったし、来ている方々はみんな有段者です。三段の人が多かったのです。警察官や消防官など、そのような人が道場に通っていたのです。僕のような少年は2人くらいいました。そこで、僕は「天才だ」と言われたのです。
 当時、三段のクラスと打ち合っても僕は負けないのだから、では「五段くらいだろう」と言っているのです。
 成人してから、他流試合をやったけれども、誰にも負けたことはありません。何年やっても僕には勝てません。僕の事務所に竹刀が置いてあるので、国士舘大学の元副主将が来て「竹刀をもっているの? 教えてあげるよ」と言うのです。「では、お願いします」と屋上に行ったのです。
 剣道の小手は右手をポンと打つのです。右手をポンと僕が打ったら、「当たっていない」と言いだしたので、もうちょっと強くポンと打ったのです。すると「手が反対だよ。小手はこっちじゃないよ。こっちだよ」と言うのです。左手の小手などないのです。
国士舘の元副主将は何回やっても勝てないから、意地になって全力をあげて「うわーーーー!」とかかってきたのです。全力をあげてとは、「コノヤロウ、コノヤロウ、コノヤロウ!」とかかってきたのです。僕に「一発でも打てばよい」とかかってきたのですが、全て外してあげたのです。だから僕は自信があるのです。「相当強いのだな」と思いました。
 自衛隊出身の奴に「俺の体に指一本触れたら100万円あげるよ。こいよ」と言ったら、来なかったのです。本当に100万円あげるつもりだったのですが、僕には触れません。本当にそうなのです。
 新撰組の永倉新八が北海道に行って、東北帝国大学農科大学(北海道大学)の剣道部の師範になったのです。それで、学生には全員防具をつけさせるのです。永倉新八だけは防具を付けなかったのです。わかりますか? 「かかって来い!」と言うのですが、自分は防具をつけないのです。相手にはつけさせるのですが、誰がかかっても永倉新八には、敵いません。
 それはそうです。永倉新八は新撰組時代に真剣で何回も斬り合ってきているのですから、「竹刀など棒と同じだよ」と言っていたのです。真剣で斬り合ってきたのですから、竹刀など全然怖くありません。誰も敵わなかったという逸話があります。
 有る時、永倉新八が孫と芝居小屋へ行くと、孫がチンピラに因縁をつけられたのです。永倉新八の年は70代で腰も曲がっているのですが、怒ってバッと立ち上がったら腰が伸びて「新撰組の永倉新八と知ってのことか!」と言うと、チンピラは震え上がって逃げてしまったのです。本当の剣道とはそのようなものです。
 勝海舟は面白い人で刀を抜けないようにして紐でまいていたのです。勝さんは名人です。刀を紐でまいて抜けないようにして歩いていたのです。一生涯に40回以上、襲撃されるのですが、かすり傷がある程度です。
 「勝、この国賊!」と斬りこんでくる奴の刃をかわして「待て!」と言ったのです。坂本龍馬も勝海舟を襲った一人です。あれも斬りにいったのです。一太刀目を外せないとダメです。勝さんには、その実力があったのです。だからいろんな勇気のある行動ができたのです。
 剣道はそのように肝をつくるのです。肝を磨かなければダメです。剣道を真面目にやっていると肝が磨かれてくるのです。勝海舟の親父の小吉は無学の男でしたが、剣術だけは強かったのです。
 小吉は「お前も本当の剣術をやれ。本当の剣術をやった人は人に斬られなくなるのだぞ」と勝海舟に行ったのです。それから親戚の男谷道場に行って住み込みで修行をしたのです。本当に激しい修行です。雑巾がけやご飯炊きから始まって、道場の掃除が終わると稽古をして、またしばらく経つと稽古をして、夜になるとまた稽古にいくのです。
 「王子権現に行って朝まで返ってくるな」と言われて、剣術の修行をやっていると、最初は夜は深々として怖いのです。そのうち慣れてくると「夜は気持ちいいな」と思うようになるのです。
 しかし、一緒に修行した連中はみんな務まりません。一緒に王子権現にいった何人かは寒いから、「田舎家に泊めてもらおう」と近所に行って「泊めてくれ」と言って泊まってしまったのですが、「俺は真面目にやった」と言っているのです。
 十代の頃から、島田虎之助に入門し剣術・禅を学び直心影流剣術の免許皆伝となります。勝海舟は「剣術を本当に修行すると、人に斬られない人間になると聞いたけれども、本当であったと思っている」と言ったのです。このような修行をしないとダメです。生半可に「大会で優勝しよう」などダメなのです。
 全国剣道大会チャンピョンを見てみなさい。少女にいたずらをした奴が神奈川県警にいて逮捕されました。何をやっているのでしょう。このような奴は肝を磨いていないのです。棒フリが如何に早いかなど、そんなスポーツ剣道はダメなのです。
 そのようなことで、僕は修行しました。明日は僕の詩を掲載します。

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2017年09月14日

人間の探究 852 他国侵逼難(たこくしんぴつなん)

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※日蓮大聖人様の予言通り、文永11年(1274年)第一回の蒙古襲来がありました。これは様子見です。第二回の弘安4年(1281年)には14万人の軍勢がやってきたときには、日蓮大聖人様もびっくりされたのです。

人間の探究 852 他国侵逼難(たこくしんぴつなん)

 日蓮大聖人様は立正安国論の中で日本が受ける様々な難をあげています。その中で一番恐ろしいのは、やはり他国侵逼難(たこくしんぴつなん)です。その前に自界叛逆難(じかいほんぎゃくなん)があります。これは源氏と平氏が戦うなど、国内における争いです。
 他国侵逼難はそんな甘いものではありません。他国により責められるのです。日蓮大聖人様は「日本は他国侵逼難を受けるぞ」と予言されています。何故かというと日本に正法はありません。
 10万社以上の仏教の寺はあり、仏教も広まっています。しかるに、正法をやっているお寺はどこにもありません。日蓮大聖人様の南無妙法蓮華経は正法の中の正法です。この正法を国中に建てていかないと、とんでもないことになるのです。
 それは、他国から攻められるのです。何故、他国から攻められるのでしょう。日本国中が謗法だからです。日本国は天皇をはじめとして、間違った仏教を信仰しているのです。天皇からして邪教をやっているのですから、神国日本の神通力はでません。坊主は邪教をやっているのです。恐ろしいことです。
 ヒストリーチャンネルで「カルトと宇宙人」という番組を放送していましたが、カルト集団はみんな人殺しをするのです。「もうじき、地球は罰を受けるからUFOに救いにきてもらおう。何月何日にUFOが来るから我らは同時に700名が自殺しよう。そしてUFOに助けられてこの地球から脱却するのだ」と教祖が言うのです。一斉に700名が死んだのです。
 これは、ヘヴンズ・ゲートという宗教団体です。アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴを拠点に活動した、マーシャル・アップルホワイトとボニー・ネトルスによるUFOを信仰する宗教団体です。
 邪教はみんなそうです。お互いに「殺してくれ」と言うのです。彼らは早く天国へ行きたいのです。旅人をこん棒で襲うのです。そんなことをすれば返り討ちに遭い、殺されます。それが最も理想の死なのです。早く死んで神様の下へ行きたいのです。こんなものは邪教です。
 これは念仏思想だとすぐにわかります。「早く殺してくれ」と思ってこん棒をもって襲い掛かるのです。反対に返り討ちにあって、頭をぶち割られて殺されて「ああ、助かった」というのです。
 このような邪教が広まるとロクなことがありません。日本もそうです。
「旅客来りて嘆いて曰く近年より近日に至るまで天変地夭飢饉疫癘遍く天下に満ち広く地上に迸る牛馬巷に斃れ 骸骨路に充てり死を招くの輩既に大半に超え悲まざるの族敢て一人も無し」(立正安国論)
 日蓮大聖人様は、このように言われています。これが鎌倉時代の現状です。道を歩くと人間の死体が転がっているのです。犬の死体と同じです。それにだんだん蛆がわいてくるのです。死体を片付ける元気もありません。そのまま死体を放っておくと骸骨になってしまうのです。
 「骸骨路に充てり」とは、そのような状態です。終戦当時もそうです。名古屋の駅前では人間が道端で死んだままになっていたのです。誰も引き取り手はありません。すると死体が腐ってきて蛆虫が湧いている死体が何十体もあったのです。まさにそのような状態です。死体を片付けないのです。
 日蓮大聖人様の時代はそのような時代で、「骸骨路に充てり」だったのです。「充てり」とは、1体や2体ではありません。「悲まざるの族敢て一人も無し」みんな悲しんで苦しんでいたのです。
それだけでも苦しいのに日蓮大聖人様は「他国侵逼難が来るぞ!」と予言されたのです。「蒙古から攻められるぞ」と言われたのです。情報は入っていたのでしょう。日蓮大聖人様は「正法に帰依しなければ、他国から侵略を受けて奴隷にされるぞ」と言われたのです。
しかし、みんな聞く耳をもちません。日蓮大聖人様の予言通り、文永11年(1274年)第一回の蒙古襲来がありました。これは様子見です。第二回の弘安4年(1281年)には14万人の軍勢がやってきたときには、日蓮大聖人様もびっくりされたのです。
日蓮大聖人様は、かねてより他国侵逼難を予言してきたけれども、本当にそうなったのです。日蓮大聖人様は法華経により予言されているのです。「法華経の中に他国侵逼難があり、妙法を建てないと他国侵逼難を受けるであろう。これは大変だ」と思って日蓮大聖人様はお弟子さんと共に、蒙古調伏御本尊をつくられて、「南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経・・・・」と祈りをかけられていたのです。それだけではありません。日本の神社でも神官たちが蒙古調伏を祈ったのです。
蒙古の船は沈んでしまったのです。未だに謎です。14万人の乗った船が一夜にして沈んだのです。
今まさに北朝鮮が蒙古の如く、ミサイルで攻めると言っています。北朝鮮のミサイルは何百発が日本に向けられているのです。日本にミサイルを飛ばすには、大陸弾道弾ミサイルは必要ありません。中距離弾道弾ミサイルでよいのです。それが日本に向いているのです。まさに他国侵逼難です。
鎌倉時代と全く同じ状況です。現在、正しく仏教を信じる者がいません。正法というものを極めるものがいません。創価学会も正法どころか邪教中の邪教になってしまいました。
そうなると神様が他国に命じて日本の国を脅かすのです。「他国に攻められるぞ。こんな憲法でよいのか?」ということです。日本の憲法は道理に外れた憲法です。憲法は道理に外れてはいけないのです。直さないと大変なことになります。
憲法前文には「平和を愛する諸国民を信頼して」とあります。憲法第九条「陸海空軍を所持しない」と言っているのです。これは正しいのでしょうか? 「平和を愛する諸国民」がどこにいるのでしょうか? どこにもいません。何故ならば、韓国の文在寅は「北朝鮮が日本を攻めるならば、韓国も日本を攻める」と言っているのです。
朝鮮人の考えは「勝ち馬に乗る」ということです。北朝鮮が水爆を日本に飛ばして、「北朝鮮が勝ちだ」と思ったら、韓国は日本を攻めるのです。まさにこれも北の害毒です。まず、日本のやることは憲法を正すのです。また、変な憲法をつくったらダメのです。
憲法は歴史に則っ取った、正しい憲法でなければなりません。仏教は正法を建てるのです。国家の礎である憲法は、正しく変えるのです。主権を天皇にお返しするのです。歴史と伝統を守った日本の正当性を守っていかなければいけません。腰抜けのことをやっていると他国侵逼難が実現します。
全くふざけています。民進党の山尾議員は蓮舫と三角関係です。蓮舫は週2回、山尾は週4回同じ男と関係しているのです。1億円の歳費をもらって国会議員をやっているのにふざけています。
山尾は「私が勝った。蓮舫さんは2回でしょう。私は4回だから私が勝った!」と言っているのです。そんな奴らが国会議員になっているのです。調べてみると、こいつらはみんな日本籍朝鮮人です。
国会議員になって神国を荒らしまくって、一発北朝鮮のミサイルを食らいたいのでしょうか? 創価学会がふやけたことを言っている間にこうなってしまったのです。何が外国人参政権なのでしょう。どう考えても、そんなものは正しくありません。
外国人に日本の生活保護を与える? 外国人に日本の公務員をつくる? とんでもない話です。このようなことをやっていると、神罰を受けますよ!

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2017年09月13日

人間の探究 851 大川隆法が僕のブログを読んでいる?

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※創価学会と統一教会が「新しい宗教を造ろう」ということです。幸福の科学は産業としての宗教です。ヤバイ宗教です。紀尾井町の本部も創価学会と統一教会が金を出したのでしょう。1ヶ月の家賃は5千万円です。

人間の探究 851 大川隆法が僕のブログを読んでいる?

 僕のブログのコメント欄に崎山健一さんから「僕は、幸福の科学の会員ですが、大川隆法大師は、「おカネを出して彼(中杉先生)を支援してもよいが、あの悪口は、なんとかならないものか」と嘆いたそうです。 10万円を払った幸福の科学の幹部会合で、ある幹部から聞きました。」というコメントがありました。本当かどうかわからないけれど、そうだとしたら面白いことです。
 大川隆法は「困っている」のです。それはそうです。僕は幸福の科学の痛いところをついています。誰も夢にも思いません。幸福の科学は創価学会と統一教会の資本が入っているのです。
 統一教会と創価学会の資本は1対1ではありません。そのような関係ではありません。創価学会が80%だったら、統一教会20%です。創価学会と統一教会が「新しい宗教を造ろう」ということです。幸福の科学は産業としての宗教です。ヤバイ宗教です。これにひっかかった人は大変な迷惑です。
 こいつらは計画的に奴隷を作っているのです。信者にするということは、奴隷を作っているということと同じことです。そんな時代は終わりです。いつまで旧態以前の宗教ごっこをやっているのでしょう。
 日本人がしたことは、大東亜戦争による奴隷の解放です。第一次の奴隷解放はアメリカの南北戦争です。それから以降、アジアの民はことごとく欧米諸国の奴隷だったのです。植民地とは、奴隷ということです。白人達はその上にあぐらをかいて、ほとんど仕事をする必要はなかったのです。
 白人には奴隷がいたのです。アフリカやアジアは白人の植民地です。大東亜戦争は奴隷の解放のための戦いだったのです。アメリカの南北戦争に次ぐ偉業だったのです。天皇陛下は「終戦の詔書(しょうしょ)」を出されたのです。
 それは日本の背後を叩きだしたからです。無顧の市民の女・子供を無差別に殺しだしたのです。これには耐えられません。戦士としての戦いは負けてはいません。これをやられたら参ってしまいます。米軍は日本軍の留守を襲い空爆をして、しかも皆殺し作戦を実行したのです。
 白人はジェノサイド(皆殺し)が得意です。アメリカインディアンは勇敢な兵士です。武器も劣っているのに戦うのです。機関銃の餌食になってバンバン殺されたのです。それだけでは足らなくて、騎兵隊を2つに分けてインディアンと戦う騎兵隊と、裏に回ってインディアンの女・子供を殺しだしたのです。それで皆殺しにしてしまうのです。インディアンは家に帰ると女・子供は死んでいるので、戦う意欲がなくなり気が萎えてしまったのです。そのような状態を日本にもつくろうとしたのです。
 「皆殺しはよくない」という天皇陛下のご聖断です。ここのところが非常に大事で、日本は敗戦したのではなく終戦です。敗戦と終戦は全然違います。そうでないとある人は「日本はアメリカに滅茶苦茶にやられて、何百万人も日本人が死んだ。それは天皇の責任だ」という馬鹿もいます。
 とんでもありません。天皇は意思を持って戦争を止めたのです。ナチスのヒトラーは逃げていなくなってしまいました。ナチスの高官の最後は逃げて誰もいなくなったのです。残党を捕まえてきて裁判などやりましたが、未だにヒトラーの生死はわかりません。ならず者国家です。
 日本は伝統ある国家です。その国家を後ろから襲って女・子供を殺したアメリカの罪は大きいのです。これは消えません。しかも、米軍は世界初の原子爆弾を日本に落としたのです。1発ならず2発落としたのです。
 こんなことをされたら誰でも「戦争を止めましょう」といいます。ここのところも直さなければいけません。日本は韓国を植民地にしたのではありません。植民地からの解放を行ったのです。
 李氏朝鮮時代は、シナの奴隷国家だったのです。両班がいて、中人・常人・白丁がいたのです。白丁は字を書いてもいけない、墓も立ててはいけない、ただ働くだけの奴隷です。
 朴 正煕(パクチョンヒ)大統領の親は「子供を学校に行かせろ」と日本に言われたのです。すると親父は白丁なので断ったのです。「白丁の子供は学校にはいかせない」と言ったのです。「そうか、子供を学校に行かせないのだな。ではお前を逮捕するぞ」と言われて、しぶしぶ学校に行かせたのです。すると朴 正煕は頭がよくて、成績がよかったのです。朴 正煕の家は李氏朝鮮時代は奴隷だったのです。日本は白丁(奴隷)の子供を帝国陸軍中尉にまでしたのです。日本はすごいのです。これを見ても朝鮮人は奴隷ではないとわかります。日本のやってきたことは奴隷解放です。
 これはシナにしてもそうです。シナはイギリスにアヘンを押し付けられて奴隷になったのです。それを日本が「解放してあげよう」と言っているのに、シナは日本を敵にしたのです。日本は奴隷解放の戦いをやってきたのです。そのおかげで西洋人は植民地が一つもなくなってしまったのです。これは偉大な偉業です。
 元航空自衛隊空将の佐藤守さんは「大東亜戦争はサイゴンの陥落で米軍が逃げ出したことで終わった。大東亜戦争は日本の勝利だ!」と言っているのです。帝国海軍は船が沈められてしまったので、負けたかもしれません。
 大東亜戦争という目的は達成したのです。事実そうです。戦争目的を達成したから、アジア諸国から白人はいなくなったのです。シンガポールもフィリピンもベトナムも、白人は逃げていなくなったのです。
 そのおかげで西洋は没落していったのです。今でもヨーロッパ諸国は「奴隷がいたら俺たちは豊かな生活ができたのだ」と思って日本を怨んでいるのです。日本のおかげで奴隷がいなくなってしまったのです。「チキショー!」と日本を怨んでいるのです。「お前達が余計なことをやってくれたから奴隷がいなくなってしまったではないか!」と怒っているのです。
 白人は日本人を怨んでいるのです。ヨーロッパ人達は日本をよく思っていないのです。アメリカは南北戦争で奴隷を解放したのですから、結果的には日本を奴隷にはできなかったのです。
 朝鮮は王様がいて、両班(ヤンパン)がいて、一般市民は両班の奴隷だったのです。それを日本が解放したので、両班は日本を怨んでいるのです。だから、「植民地にされた」「従軍慰安婦にされた」など、ありもしないウソを言って「搾取された」と言っているのです。
 搾取ではありません。奴隷から解放してあげたのです。大東亜戦争は南北戦争に続く世界史的な偉大な業績です。母体を犠牲に戦って、東南アジアの諸国を植民地から解放したのです。
 白人は「奴隷が欲しい」と言っているのです。それが今のヨーロッパの没落です。移民がどんどん入ってきて、今まで奴隷にしていた奴らが奴隷ではなくなったのです。市民権を得てヨーロッパに居座っているのです。
 白人がやったことは、自分達に返ってくるのです。因果の報いです。アメリカも今北朝鮮に苦しめられているのは、因果の報いです。これは日本の亡霊です。日本は原爆で負けました。「原爆は絶対作らなければいけない」という畑中理(はたなかおさむ・元陸軍残置諜者)さんの堅い決意があったのです。それに基づいて北朝鮮は原爆を造ったのです。
 北朝鮮に「やったるぜ!」と言われて、アメリカが反対に脅かされているのです。アメリカは困り果てているのが現状です。この歴史的意味を深く考察してください。奴隷を解放したのが、日本人です。日本には幸福の科学のような奴隷宗教はいりません。
 正理会は宗教奴隷からの解放をやっているのです。

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2017年09月12日

人間の探究 850 法華経講義第三回 無量義経序分一

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※ 「徳行品第一」と言うのですから、「この妙法の修行をすると、こんな素晴らしい徳が持てるようになるのです」というので、「それはどんな徳ですか?」ということが書いてあるのです。

人間の探究 850 法華経講義第三回 無量義経序分一

 前回の講義の要点は仏になる寸前の菩薩といっても、仏の傍に来て、み足を頂いて帰依するのです。何のためにそのようにしたのかというと、仏が記別を与えるためです。「お前はもう仏になったぞ」と言われないと仏になれません。勝手に仏になるわけにはいきません。記別が欲しくて菩薩は仏様のところへやってくるのです。
 菩薩の持っている神通力は、この後の経典では説いています。菩薩はすごい神通力をもっています。
 菩薩は「仏とはどのようなものか」と声をそろえて合掌して偈を説いて讃を申し上げたのです。「仏様は如何にすごいか」ということが今日の講義です。
 それが「大なる哉大悟大聖主」です。偉大なる仏というものは、大悟大聖主です。聖者の中で一番偉い人を仏というのです。どうしてかというと、仏というものは、「垢なく染なく所著なし」といいます。汚れがありません。そして何ものにも染まっていません。「所著」とは、物に執着しないことです。仏というものは、汚れが無くて、何ものにも染まっていなくて、執着がありません。
 「天人象馬の調御師、道風徳香一切に薫(くん)じ、智恬(ちしず)かに情泊(じょうしず)かに慮凝静(りょうぎょうじょう)なり。意滅し識亡(しきもう)して心亦寂なり。」「智恬かに」とは、智と情があります。智とは、「物を知りたい」という心の働きです。仏は「物事を知りたい」とは思いません。
 好きとか嫌いとか、美味いとかまずいという情は本当に静かなものです。疑う心もありません。仏は何もないのです。その感じがわかりますか? 「●●したい」という意思も滅していて、何もしたいとは思いません。
 何事かを認識する心もないのです。「勉強したい」というのは欲望の一種です。それは識が滅していないからです。「いろいろなことを知りたい」「学問をしたい」というものもそうです。仏はそのようなことがありません。
 従って「心亦寂なり」心は静かです。心は「こうしたい、あのようにしたい」という欲望があると心が乱れて苦しむのですが、仏はその欲望がないのです。何かしたいこともなく、知りたいこともないのです。いるのかいないのかわからないような感じです。
 「永く夢妄(むもう)の思想念(しそうねん)を断じて、」これは、長い間バーチャルリアリティーの世界を歩んできたということです。現実ではありません。「バーチャルリアリティーはくだらない世界だと断じて、「復諸大陰入界(またしょだいおんにゅうかい)なし。」諸々のものに出入りするのです。陰入界に出没するから生まれてきてしまうのです。
 仏は何も欲望がありません。理論的には何も無いからまた生まれることもないのです。しかし、また生まれるのです。それは何故かというと、人々を救うために生まれるのです。自分のために何かやりたいから生まれるということはありません。
 「人々に仏教を教えて救いたい」というために仏は生まれてきますが、色情の因縁によって陰入界に出たり入ったりすることによって、生まれてくるようなものではありません。
仏というもの、「其の身は」ここからが曲者です。「其の身は有に非ず亦無に非ず」「仏というものは、有あるものでもなければ、無いものでもない」これはどのような意味かというと「仏様は形がありますか?」と聞くと「形はありません」と答えます。「では形はないのですか?」と聞くと「形はないわけではないぞ!」と答えるのです。「枕かかえて横に立ってます」というようなもので、有るわけでもないし、体がないのですから無いのかと思うと無いわけでもありません。
「因に非ず縁に非ず」とは、物事の原因にもならないし、何事かの縁にもなりません。「自他に非ず」ですから、自分でもなければ他人でもないのです。
「方に非ず円に非ず短長に非ず」四角でもなく、円でもなく、短いものでもなく、長いものでもありません。
「出に非ず没に非ず生滅に非ず」出るものでもなければ、無くなるものでもなく、消滅するものでもありません。
「造に非ず起に非ず為作に非ず」造るものでもなく、起きるものでもなく、偽りに作るものでもありません。
「坐に非ず臥(ガ)に非ず行住に非ず、動に非ず転に非ず閑静に非ず、」座っているものでもなく、横になっているものでもなく、行くものでもくとどまっているものでもなく、動くわけでもなく、転がるものでもなく、静かなものでもありません。
「進に非ず退に非ず安危に非ず、是に非ず非に非ず得失に非ず、彼に非ず此に非ず去来に非ず、」進むものでもなく、退くものでもなく、安全でも危険でもなく、是でもなく、非でもなく、利得でもなく得失でもなく、彼でもなく、此こでもなく、来るものでもなければ去るものでもありません。
「青に非ず黄に非ず赤白に非ず、紅に非ず紫種々の色に非ず。」青でもなく、黄色でもなく、赤でも白でもなく、紅でもなく、紫でもありません。
 これが有名な34の非です。これを戸田城聖は読み切ったのです。「仏とはどのようなものか?」ということが書いてあるのです。誰も解釈できないのです。「出るものでもなければ、引っ込むものでもない、赤いものでもなければ、青いものでもない」一体、これは何でしょう。生命とはそのようなものです。「34の非」とは、生命のことを説いているのです。
 仏とは生命のことなのです。ノミのような一寸の虫でも生命が宿っています。大きな象にも生命が宿っています。千年も続いている大きな杉の木もあります。「では、生命とは大きいのですか?」というと、大きいのです。では、小さいノミは生命ではないのでしょうか? それも生命です。すると生命の姿は大きいのでしょうか、小さいのでしょうか? 赤い花でしょうか、白い花でしょうか? 全ての生命は仏が姿を変えて現したものです。ここが難しいところです。
 仏は姿がありません。形もありません。生命をとらえてみてください。とらえられません。人間を燃してしまえば炭素と窒素と水素になってしまいます。炭素と水素と窒素を入れて「エイッ、ヤー!」と気合を入れても生命は生まれません。
 いくらやっても生命はできません。材料を集めて電気ショックを与えても生命はできません。「人間はこのような元素から出来ています」と言われて、同じように元素記号を配列しても生命はできません。物質の世界と同時に生命の世界があるのです。
 これは肉眼で見ても見えません。人間は未だに生命はできません。ノミ一つもできません。生命ができる原理があり、自然そのものが生命とも言えるのです。部分的なものではありません。
 この考え方をもっと進めると宇宙全体が生命だともいえるのです。生命とはもともとあるものです。誰かが創ったものではありません。誰かが創ったものであれば、「In the beginning」です。生命はクリエイトしたものではありません。もともとあるものですから始まりがないのです。
 「宇宙はどこまであるのですか?」と質問すると、答えはどこまででも広いのです。全宇宙を包括して、存在そのものの奥に生命はあるのです。存在とともにあり、何にでもなるのです。月にもなるし、太陽にもなるし、人間にもなるし、猿にもなるし、山葡萄原人にもなります。生命がなるのです。生命は特定できません。
 人間が人間を殺しても人間が減ったことにはなりません。生命は殺しようがありません。一人の人間を殺して「あの世に送ってやったぞ!」と言ったところで、もともとの世界にあるだけで、何も減っていないのです。何万人殺そうと、何百万人殺そうと、減ったように思いますが何も減っていません。生命の世界は全体です。1億人殺しても何も減っていません。宇宙の理解の仕方は、壮大なスペクタルです。
 その境地は甚深不可思議で非常にわかりにくいのです。
仏様は「それを教えましょう」と言われて、生命の正体を妙法蓮華経と教えられたのですそれに対して説いているお経が「妙法蓮華経」です。
 「徳行品第一」と言うのですから、「この妙法の修行をすると、こんな素晴らしい徳が持てるようになるのです」というので、「それはどんな徳ですか?」ということが書いてあるのです。
 我々が修行すると生命が見えてくるのです。どこかの変な人が「お宅に泊めてくれませんか?」と言ってきたとします。顔色を見れば、生命の修行をした人は「これは生命が終わりの人だな」とわかるのです。「これは泊めていけない人だな」とわかるのです。それがわからなかったら、何の勉強をしているのでしょう。
 すべてがわかるようになるのです。そのような目で見ると政局もわかるのです。生命から見ると「こんなことをやって総理になっているけれど、もう終わりだな」とその次元でわかるのです。
 これをもう少し詳しく言うと、生命のわかり方というのは、生老病死とわかるのです。生命は生老病死です。生まれて来るものは必ず老いて病気になり死んでいきます。これは人間にも当てはまるし、シンゴジラにも当てはまるのです。ゴジラが出来る時、ゴジラが成長していく時、ゴジラが老化してゴジラが倒れてしまう時があります。如何なる生命にも生老病死は当てはまるのです。
 これを宇宙で言うと成住壊空(じょうじゅうえくう)です。宇宙が出来る時が「成」、今ある時が「住」、宇宙が壊れる時が「壊」、また元に戻る時が「空」です。この法則はどこまでいっても宇宙に当てはまる大法則です。妙法蓮華経はそのような法則です。
 これを進化していくと、生老病死では足りません。まだこの徳行品第一では、妙法蓮華経は出てきません。仏というものを修行によってつかみ取っていくのです。そこに実存が生まれるのです。実存とは消えないことをいうのです。
 全てのものは実存が創り出しているのです。どんな恵まれた生活をしていても、加山雄三でも生老病死は逃れられません。死んでしまうと、栄光の加山雄三の人生は何だったのでしょうか? 単なるバーチャルリアリティーの世界にしかすぎません。
 何もつかんだものはありません。「楽しかったな」「辛かったな」という感情はあります。それで終わってしまうから、経験したことは消えてしまうのです。実存を得た人の人生は消えません。
 どういうわけだか人々は、実存は求めないで、バーチャルの世界だけの幸せを求めているのです。バーチャル世界であるから、結果的には幸せにはなれません。そのようなことを説いているのです。今日はここまでです。

無量義経徳行品第一
大なる哉大悟大聖主、垢なく染なく所著なし。天人象馬の調御師、道風徳香一切に薫じ、智恬かに情泊かに慮凝静なり。意滅し識亡して心亦寂なり。永く夢妄の思想念を断じて、復諸大陰入界なし。其の身は有に非ず亦無に非ず、因に非ず縁に非ず自他に非ず、方に非ず円に非ず短長に非ず、出に非ず没に非ず生滅に非ず、造に非ず起に非ず為作に非ず、坐に非ず臥に非ず行住に非ず、動に非ず転に非ず閑静に非ず、進に非ず退に非ず安危に非ず、是に非ず非に非ず得失に非ず、彼に非ず此に非ず去来に非ず、青に非ず黄に非ず赤白に非ず、紅に非ず紫種々の色に非ず。戒・定・慧・解・知見より生じ、三昧・六通・道品より発し、慈悲・十力・無畏より起り、衆生善業の因縁より出でたり。


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2017年09月11日

人間の探究 849 学会カモメが飛び出てきた!

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※石田次男先生著『現代諸学と仏法』

人間の探究 849 学会カモメが飛び出てきた!

 今まであまり、学会の連中は出てきませんでしたが、ここ最近急に出てきました。学会のみならず、日蓮正宗の法華講の樋田昌志門下生の沼田君など出てきましたが、皆逃げてしまいました。多分、「中杉に触れるな。あいつに接触すると頭がおかしくなるぞ」と言っているのです。自分たちの頭が狂っているので、そのようなことを言っているのです。
 今回は学会員の尼崎さんが出てきて、僕が「石田先生の弟子ではない」「学会にちょっと腰かけただけ」「極悪非道の詐欺師」と言っています。このような話は待っていました! 全てウソだから、言えるのです。
 ちなみに僕は創価学会には15年間いました。15年間入れば「腰かけていた」とは言えません。僕は輸送班という非常に重い任務を1日も休まず5年間努めました。5年務めるのは大変です。僕を批判している人は、何もやっていないでしょう。ちゃんと写真も残っています。
 僕は体験上、みんな見て知っているのです。だからわかっているのです。創価学会は「変だな」と感じたのです。僕は戸田先生の「法華経方便品講義」を読んで、「この人の仏教は本物だな。このような人について仏教を勉強したい」と思ったのです。
 池田大作に憧れたことはありません。僕が創価学会に入った頃は、戸田先生はすでにお亡くなりになっていましたので本しかなかったのです。本を通して「仏教とはこのようなものだ」ということを学んだのです。
 学会の友達もたくさんいます。千葉県の市会議員の議長をやった人もいます。区会議員は知り合いで3人くらいいます。大久保直彦さんとも知り合いです。僕は大久保直彦さんから隊長の任命を受けたのです。もうお亡くなりになってしまいましたが、大久保直彦さんも僕のことをよく知っています。この人は良い人だったのです。
 僕は良い人か、悪い人かすぐにわかるのです。大久保直彦さんは早稲田大学卒の名門です。お母さんは菊池章子という歌手です。
 僕のことを「腰掛」とは言えません。僕は青年部の体育祭にも参加したし、行事は全て参加しています。やりながら「ちょっとおかしいな」と考えていたのです。なんとなくおかしいと思っていたのです。
 折伏も随分しました。ずうっと考えていたので、石田先生と縁があったのです。いきなり石田先生の弟子で生まれてきたわけではありませんが、先生は「創価学会は間違っている」と言われたので、勉強してみたら難しくてなかなかわからなかったのです。
 だから、僕は石田先生をお尋ねして5年間教わりました。ほとんど毎日正座して教わりました。僕一人のときもありましたが、何人か一緒に教わったこともあります。最後は必ず子安のご自宅でお寿司を御馳走してくれたのです。仏教を教えてもらっているのに、寿司まで御馳走になって「申し訳ないな」と思っていたのです。
 ご説法が終わるとお寿司が出てくるなど、聞いたことがありません。石田先生は専務理事でしたから、お金があったのだと思います。でも、家は見事に粗末な家でした。びっくりします。子安の丘のほうに家があり、玄関を通されて、部屋に入ると窓の外は壁なのです。水が垂れています。窓を開けるとその塀が出てくるのです。
 家は三畳間と六畳間しかありません。すごい家でした。「先生はこんなところに住んでいるのか」と思ったのです。石田先生は聖教新聞専務理事です。
 学会では「石田次男はアル注になった」と言うのです。実際は違います。酒は少しは飲んでいたでしょうが、アル注ではありません。その時期に何をやっていたのかというと、『現代諸学と仏法』を書かれていたのです。
 東大出身の法華経研究会の本橋さんとの対談です。「創価学会は間違った仏法をやっているから、ここらで仕上げておこう」と思って、二人で対談して全4巻の本をつくったのです。
 誰に読ませたいのかというと、「池田大作に読ませたいのだ。大作にもわかるように書いているのだ」と言われていました。最初は、この本は創価学会から出版する予定だったのです。石田先生は聖教新聞の専務理事です。そのような予定でいたのです。
 僕も「その本が出たら買いたい」と思って、石田先生宅に伺ったのです。すると、その本が「創価学会の反対にあって出版できなくなった」ということを聞いたのです。おそらく池田大作が反対したのです。それで本が出せなくなったのです。
 「私は出版の素人ですが、その本は僕が出しましょうか?」と言ったのです。「やってくれるかね」と言われたので、「素人ですが、全力をあげてやってみます」ということで、その原稿を引き受けて本を出版したのです。
 どうして僕が勝手に学会の本を出したというのでしょう。出鱈目を言うものではありません。僕の行動は全て筋道が通っています。僕は素人ですが、『現代諸学と仏法』を作りました。
 この本の評判が非常によくて、最初3千冊つくったのですが、すぐに全て売れてしまいました。今でも神田の古本屋では、3万円以上の値段がついています。それだけ内容がある本です。創価学会の出版物とは全然違います。
 そのような仕事をしている先生に対して創価学会は「石田は会長になりたくて、なれなかったからアル注になった」というウワサを流したのです。
 僕が「先生はアル注なのですか?」と聞くと、「冗談ではないよ。馬鹿馬鹿しいことを言っているものではないよ」と言われたのです。
 創価学会内で「大作!」と呼び捨てにしていたのは、石田先生ただ一人です。みんな「池田先生」と言っていたのです。石田先生だけは「大作!」です。「大作、お前は謗法だ!」と聖教新聞社内で大きな声を出して怒ったことがあるそうです。すると「先生、止めてください」とみんなに止められたのです。
 「大作は謗法をやっているのだ。どこが謗法なのかわからないから本を書いたのだ」と言われていました。大作のどこが謗法なのかわかるように本を書いたのです。「それを読んでくれればいい」と言われていたのです。
石田先生は「僕は第一部隊長だぞ」と言います。青年部ができたときの、最初の部隊長です。それから男子部で、4900以上の部隊ができてきたのです。女子部は4千くらいです。
 戸田先生の「人間革命」に出てくる、初代小岩支部長が石田先生です。教学部長でもあり、支部長でもあったのです。もの凄い頭の良い人でビックリします。何でも知っています。「この人は本物だ」と思って僕は5年間師事したのです。
 石田先生のお宅に5年間通っていたのですから弟子です。形式的に書類を書いて「私は石田先生の弟子になりました」というような話ではありません。先生だと思っているから、一生懸命教わったのです。
 何しろ学会員はウソを言うのです。戸田先生は「お前の名前は次ぐ男だ。第三代会長はお前だ」と言われたのですが、石田先生は断ったのです。どうして断ったのかというと、「私はまだ戸田先生のように悟っていません。仏法の極意を体得していませんので無理です。仏法を体得しないで会長になったならば、会員が迷惑しますから私は受けられません」と断ったのです。戸田先生は「どうしてもダメか」と三度言ったのです。石田先生は、正直で真面目な人間です。
 その時に池田大作は第四部隊長の班長をやっていたのです。全然格が違います。第一、第二、第三、第四部隊長の下に池田大作が班長でいたのです。池田大作のようなタイプは宗教団体に向いているから、石田先生も「間違えがなければいいだろう。後は俺が控えているよ」という気持ちがあったのではないかと思います。
 ところが、池田大作の大暴走が始まってしまったのです。戸田先生は何と言ったか知っていますか?「私が死んだ後は、どんなことがあっても本山と喧嘩をしてはいけない。本山の人事に口出しをしてはいけない」と言われたのです。信者は信者としての分を守らなければいけません。
 それから「学会本部に金を集めるな。金を集めると金をめぐって派閥が起きてくる」と言われたのです。その通りになってしまったのです。戸田先生の遺言に反することをしたので、その通りになってしまったのです。
 「選挙は参議院に出てはいいけれど、衆議院に出てはいけない」と言われたのです。何故かというと、衆議院は権力を握ります。参議院は本来、権力はありません。「仏法の力を持って世の中を狂いを直す」ということが戸田先生の目的ですから、「参議院だけでよいのだ」と言われたのです。これが戸田先生の遺言ですが、尼崎さんはそんなことも知らないでしょう。
 僕は石田先生の弟子として5年間教わったので、石田先生が何をやろうとしていたのか知っています。だから僕は正理会を始めたのです。僕のどこが詐欺師で学会の本を勝手に盗んで出版したというのでしょう。笑わせるものではありません。
 ちゃんと自分の頭で考えて、僕の講義を読んで、「内容のここが間違っている」ということならば、いくらでも言ってきなさい。間違いもあるかもしれません。間違いも指摘できないで、ウソの罵倒をすることを誹謗中傷というのです。そのようなことをやっている限りは、君たちを許すわけにはいきません。
 ちなみに言っておきますが、僕は学会で飯を食ったことは一度もありません。給料をもらったこともありません。だから自由に発言できるのです。カン違いしてはいけません。反論があるならば、いつでも来なさい。

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