2017年06月28日

人間の探究 796 仮諦(けたい)について

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※一切が仮在です。現代の言葉で言うと「バーチャルリアリティー」です。このように言うとわかりやすいのです。

人間の探究 796 仮諦(けたい)について

 前回、「今、『般若心経の大予言』が売れている!」で空(くう)について話をしましたが、実は、空(くう)が本当にわかるためには仮(け)がわからなければいけません。仮がわかることを仮諦(けたい)といいます。諦(たい)とは、「あきらか」という意味です。仮(け)をあきらかにするのが仮諦(けたい)です。
 仮(け)とは何でしょう。万物万法は、全て仮在です。実在ではありません。ということが、本当にわかれば仮諦ですから、仮諦はそのままで即空(くう)に転じるのです。仮諦がわからないで、いくら空のみを考えてもわかりません。
 仮諦がわかればそれは、直ちに空(くう)となるのです。空(くう)が本当にわかれば、空諦です。一念三千の理論はそうで、仮諦・空諦・中諦を教えますが、全て別のものではありません。一つのものを説いているのです。
 仮(け)は即空、空即中です。入り口論は仮(け)です。仮諦は「諦」がついているので、仮を悟ったところです。その悟る前の状況を仮というのです。万物は、万法無実体無本質・諸法因縁仮和合です。そのうちの「仮和合」ということが大事です。
 あるものと、あるものが互いにくっつくから仮の姿です。どんなものでもそうです。この世で変わらぬものはありません。遅く変わるか、早く変わるかの違いです。化学反応のように一瞬で変わるものもあれば、放射能のように何万年かかって変わるものもあります。放射能はなかなか消えません。消えないというと、「実在かな」と思ってしまいますが、何万年も経てば放射能は消えるのです。放射能と言ってもそれは仮の存在です。
「これは永遠ではないのかな?」と思った存在をよく考えていくと「永遠ではないな」ということがわかるのです。
若い女性は美しい。若い女性は「永遠に美を保ちたい」と思うのですが、保てないのです。あっという間にババアになってしまうのです。「この美しさは仮の姿だな」とわかるのです。バーベルを上げたり、スポーツ選手になったりして、敏捷な身のこなしをして「俺は何でも自由になる」と思っても、そんなものは長続きしません。
マラソンのアベベは今では車椅子です。自慢の足が使えなくなってしまったのです。そのような人は大勢います。目があり、人間のように自由に物を考えられることは希なことなのです。細胞が集まって、体は呼吸をして、心臓は動いています。これは珍しいことなのです。
ご飯を食べると栄養素になり、血液になります。真に希な人間です。これは神様以外では、できないことです。自分の意思でつくったものなど何もありません。それを人間はカン違いしてしまい、「鋼の肉体」「永遠の美女」など存在しません。
よく考えてみると全て仮在です。あらゆる物が寄り集まって、形をつくります。万法無実体無本質・諸法因縁仮和合です。あらゆるものが仮に集まって、和合してたたずんでいるだけであり、その役割が終わると一瞬にして解消されてしまうのです。人間でいうと「死ぬ」ということです。
すると生命としての働きはなくなり、肉体はどんどん腐り果てていくのです。だから「ミイラにする」という発想は間違っているのです。池田大作先生はミイラになったらしいですが、永遠に存在することは無理なのです。
世の中は仮在だということです。地球も仮在しているのです。地球は丸く、引力があり、何十億という生命があり、お互いが食らいあい連鎖をしているのです。真に不思議な集合です。ただし、これは一時的な集合です。地球もやがてなくなります。「仮和合」ですから、地球はなくなるのです。
「仮和合」ですから、いかなるものも無くなるのです。それに気が付いたときに、仮(け)の悟りができてくるのです。普通の人は、こんなことは考えていません。みな、お金も家も土地も財産も永遠だと思っています。自分が永遠に生きるつもりでいるのです。
そうではありません。自分とは仮にちょっとだけお時間を頂いた、たたずまいのようなものです。自分を含めて、あらゆるものがそうです。犬を見ても「可愛い」と思います。たかだか15年くらいの寿命で自分がわからず生きているのです。犬も仮在です。犬には「我(われ)」などというものはありません。仮在しているのです。
 一切が仮在です。現代の言葉で言うと「バーチャルリアリティー」です。このように言うとわかりやすいのです。一切合切がバーチャルリアリティーです。これだけわかっただけでも、人類は変わります。みんな仮在しているのに、お互いに殺し合って消し合っているのです。国家もそう、ヤクザもそう、何をやっているのでしょう。だから「慈悲を持ちなさい」と言っているのです。
 仮在がわかれば、自然に慈悲が出てくるのです。「みんな気の毒だな」と思えてくるのです。誰も永遠に生きてなどいられないのです。野際陽子も死んでしまったのです。この世には、もういません。「気の毒だな」と思って、他人にも優しくすればよいのです。
「貴方も気の毒、俺も気の毒、みんな気の毒の中に生きているのだから」と思えば優しさが生まれてきます。
 「俺だけは永遠に生きるぞ!」「俺の財産は永遠に離さないぞ!」と言えば、それが争いの元になるのです。欲しい者には、くれてやりなさい。自然にそうなるのです。財産など欲しくてかき集めても全て仮在です。
 「土地を持っている」と言っても土地など担げません。紙の上で「俺の土地」という印があるだけです。実際は何かを担いでいるわけではありません。
 1億円する車を10台持っているなどという人もいます。それが死ぬ時に持っていけるのでしょうか? 馬鹿としか思えません。健康オタクになり、浴びるほどサプリを飲んだりする人もいますが、それも意味がないとわかります。
 「気の毒だな」という心が目覚めてくるのです。みんな仮在ですから、消えてなくなってしまうのです。そのように悟って人生を見たときに、その境地のことを仮諦といいます。仮諦は即空になります。空は即空諦になります。これが空仮中の三諦の原理です。
 まず、仮諦を極めなさい。それが先です。

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2017年06月27日

人間の探究 795 今、『般若心経の大予言』が売れている!

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※中杉弘博士著『般若心経の大予言』(電子ブック)
 これからは電子ブックの時代です!

人間の探究 795 今、『般若心経の大予言』が売れている!

 最近、『般若心経の大予言』が「売れてきている」というのか、「売れている」というのか、電子ブックで何百冊の注文がドーンと入ります。僕もビックリしています。
 『般若心経の大予言』は初期の頃に書いた本です。今とは内容の深さが違いますが、よい本です。日本人は般若心経の「ガティーガティー・パーラガティー・パーラサムガティー・ボーディスヴァーハー」が結構好きなのです。
 般若心経の本はみな出したがるのですが、面白い本はありません。その理由も簡単です。般若心経は「空(くう)」を説いたものです。その空(くう)を物質ととらえているのです。
素粒子論を勉強している人ならばよくわかります。「物質は見ているときにはあり、見ていないときには無い」ということです。「それは物質なのか、物質でないのか?」ということです。「この世は空である」「物質は空であり、空もまた空なり」そのような見方は面白いのですが、そのような見方では空はわかりません。
 空は人間の反省判断によって浮き出てくるものなのです。空という物があるわけではありません。空は物質だと考えている人は、「空という物質がある」と思いたいのですが、空は物質ではありません。心を空と反省することです。
 空を探して宇宙の果てまで行っても空を見つけることはできません。空は存在しないのです。しかし、「空は無い」と言っても空は認識することはできるのですから、「空は有る」のです。何処にあるのかというと、心の中に空は有るのです。
 ちょうどこれは「宇宙にゼロは無い」という話と同じです。ゼロが物質ならば、望遠鏡で覗けば宇宙のどこかにゼロを発見することができますが、いくら探してもゼロはありません。
 ゼロは宇宙に存在しません。ゼロは人間の意識をもって作り上げている概念です。空も同じです。空は動詞です。従って「空ずる」という文章が成立します。空というのは、主語にはなれません。
空は「空ずる」という動詞です。「空ずる」と見るのです。空が有るわけではありません。あれば探せばよいのですが、どこを探しても空はありません。「空」とは、「空と見る」のです。そこに空があるのです。これを混同しているからわかりにくいのです。
 特に物理学の研究者は、全てのものを「物」と見ているから、「空も物に違いない」と考えるのです。素粒子論では「物質はあるときは有り、無いときは無い」のです。空は素粒子論と似ています。だから「仏教は素粒子論を取り入れた教えなのかな?」と思ってしまうのですが、そうではありません。
 空は「空ずる」という明快な動詞です。「空ずる」という言葉がわからない人が何年かかって修行しても空はわかりません。心を澄ましても空は出てきません。座禅を組んで心を動かないように静止しても、空が出てくるわけではありません。
 怒ったからといって、空が出てくるわけでもありません。笑ったからといって空が出てくるわけでもありません。「空ずる」という心の概念操作でしか空はでてきません。空は動詞です。「空ずる」のです。
 例えば、そこに一人の女性がいます。「この女もやがてババアになり、病院に入り死んでしまうのかな」と思えば、人生は虚しいものです。
 今、社会的に認められている小池百合子さんも、50年先にはもういません。そのように見ていく人の中に生まれてくるものが空です。だから「空ずる」のです。小池百合子も空じてしまえば、100年先にはいないのです。
 もし、自分を殺そうとする者がいるならば、「お前は俺を殺すかもしれないが、お前も100年先にはいないのだ。お前は空なのだ。空のくせに何を威張っているのだ」ということです。何も永遠の物などありません。自分から見て第三者を空ずるのです。そう見るとみんな消えてしまいます。
 ここにいる人間も草も木も地球も宇宙も全てが消えてしまいます。自分の心の中で消すことができるのです。「お前を消すことはできるのだ。空ずるのだ。お前はもう俺の心の中では空が始まって消えているのだ」ということです。
 目の前に20歳の女性がいても「空ずる」と、一歩先を行ってしまうのです。「もうじき貴方はババアになるのだよ。シワだらけでデブのババアで、養老院に入ってしまうのだ。それで消えてしまうのだ」ということが見えてくるのです。
 生きている一人の人が第三者を「空ずる」と、頭の中では完全に消えてしまうのです。それが空の見方です。宇宙すべてがそうなのです。空という心も働きです。「空ずる」ことにより、世界は空になるのです。空は物質ではありません。それを知らないといつまでたっても空はわかりません。
 「空」と「ゼロ」は、インドに生まれた概念ですから、似ているのです。「ゼロ」という数は世界にはありません。いくら見てもありません。もっというと、「1」という数すらありません。「1」と言われても何が「1」なのでしょう。
 「3」という数も世界にはありません。これも人間の概念操作です。これを「1」と決めます。「1+1=2」と決めます。人間の概念ですから、宇宙に「1+2」があるわけではありません。
 見ている人間が心の中で、概念の操作をして作り上げているのです。すると本当の空が見えてきて、自分のことも見えてくるのです。人のことばかり見て「空ずる」と言っているのですが、自分もやがて死んで消えてなくなるのです。今有る自分の存在も、空なる存在です。ここが大事です。「今有る存在は全て空だな」とわかってきます。これが大事です。

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2017年06月26日

人間の探究 794 古代文明

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※山葡萄原人が悪魔の洞窟門から出てきて広がったのです。一旦滅びたと思われた原人が、洞窟の中で生きていて、それが降りてきてジワジワと現代人の中に広がっていったのです。それがエベンキ人で朝鮮人の先祖です。

人間の探究 794 古代文明

 世界にはまだまだ謎が多いのです。謎が多いというよりも謎だらけです。何もわかっていません。
 例えば人類の先祖はホモ・サピエンスです。その前にいたのがネアンデルタール人です。ところがミッシングリングがつながりません。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの間が欠けているのです。つながらないのです。
 現代人と一昔前の人間は骨格がつながりません。「そこに亜人がいたのではないか?」と言われています。その亜人のうちの仮説が山葡萄原人です。それは「人類と違う」という意味です。悪魔の洞窟門で生活をしていたのが、山葡萄原人です。
 単位でいうと何万年前です。山葡萄原人などと言われているくらいですから、近世までいたのだと思います。それが突然出てきたのです。それがエベンキ人です。人類とエベンキ人は違います。だから亜人です。その子孫が朝鮮人だと言われているのです。山葡萄原人と言います。変な名前です。
 みんなそう思っています。遺伝学から言ってもつながらないのです。朝鮮人は876万個、人類と違う遺伝子を持っています。そんなに違うのですから、人類と朝鮮人は遺伝子が違うのです。
 だから、朝鮮人のことを見ているとよくわかるのです。朝鮮人は凶暴性があり、協調性が全くありません。山葡萄原人が悪魔の洞窟門から出てきて広がったのです。一旦滅びたと思われた原人が、洞窟の中で生きていて、それが降りてきてジワジワと現代人の中に広がっていったのです。それがエベンキ人で朝鮮人の先祖です。これも不思議な話です。
 かつて地球には10メートルの巨人がいました。何故、そんなことを言うのかというと、巨人の骨が見つかっているのです。サウジアラビアで発見されたのは、10メートルの巨人の人骨です。人間と骨が写っている写真もありましが、「全てフェイクだ」と言われていますが、フェイクではありません。
 日本の3.11の地震のときにも、山が崩れて巨人の人骨が出てきたのですが、パッと隠されてしまったのです。あちこちで巨人の骨が出てきているのです。今でも3メートルくらいの人間はいますから、4メートルの巨人がいても不思議はありません。
 聖書にも巨人の「ゴリアテ」のことが書かれています。ゴリアテをダビデが石で倒して首を斬り落としたのです。ごく最近では、アフガニスタンの洞窟からいきなり巨人が出てきたので、米軍が銃を撃ったら弓矢が飛んできて、一人が即死です。
 4メートルある巨人が弓をかまえているのです。「なんだあれは、化け物か? 撃て!」と銃で撃っても死にません。倒れもしません。大きな大砲で巨人を倒したのです。その洞窟の中に入ると人骨が散乱していたのです。その巨人は人間を食っていたのです。本当にあった話です。巨人の死体は米軍がすぐに隠してしまったのです。
 博物館でもわからない物が発掘されたときには、「展示するな」と言われているのです。「こんなものが発掘されました」と言います。「そんなものを展示すると歴史が変わってしまうから、展示はしない」と言われてしまうのです。
 これは、僕の息子が九州の博物館に行ったときに言われたのです。九州の国立博物館です。「実は我々も困っているのだ。鉄器の発見は2500年前だと言われていますが、5千年前〜6千年前の地層から鉄器がでるのです。我々は博物館としてこれをどのように扱ってよいのかわかりません」と言うのです。
 そんな鉄器を並べてしまったら、全て歴史がひっくり返ってしまいます。鉄器は2500年くらい前にできたのですから、5千年前に鉄器があったという事実はまずいのです。そのようなものは全て隠してしまうのです。
 これはエジプトの考古学者の吉村作治も言っています。正式な席では、「5千年前の地層から鉄器が発見された」という人がいると、「何を馬鹿なことを言っているのだ!」「くだらないことを言うのではない」と言われるのですが、影に回ると「困ったな」と言うのです。吉村作治は実際にそのような鉄器を見ています。これもわからない歴史です。
 南極の地図が描かれた、ピルレイスの中世の地図があります。ピルレイスの頃は南極の存在を誰も知りませんでしたが、ほとんど正確に描かれているのです。しかも、山の位置まで正確に書かれてあり、その地図には氷はありません。
 氷が無い南極大陸の地図を誰が描いたのでしょう。これをピルレイスの地図といいます。これも不思議な話です。最近では南極で何百というピラミッドが発見されています。一辺2千メートルです。エジプトのピラミッドは、一辺が約230メートルです。
 南極のピラミッドは一辺が2千メートルです。この調査が終われば、世界最大級のピラミッドになるでしょう。
 それからボリビアのピラミッドは、一辺が2キロくらいあります。説明がつかないので学者は「あれは自然にできた山だ」と言うのです。自然の山のわけがありません。土台は石が並べられていているのです。
 それもボリビアだけではありません。中国からもピラミッドが見つかっています。ピラミッドだと思っても、木がはえているので「小山かな」と思ってしまうのです。よく精密に調査してみると人工的なピラミッドだとわかったのです。それが世界中のあちこちにあるのです。
 それはいつの時代にできたのでしょうか? ピラミッドは1万年以上前のものであろうと言われていますが、10万年以上前のものかもしれません。その前にも人類はいたのです。それは長頭人間です。それから鳥人間もいました。骸骨がくちばしのようになっていて、人間の頭蓋骨と同じような大きさです。これもいたのではないと思います。エジプトの壁画に書かれているのは犬人間です。頭が犬で体が人間です。もしかしたら犬人間もいたのではないかと思います。
 人類の歴史は全くわけがわからないということが真相です。与那国島の海底ピラミッドも相当大きなものです。誰が造ったのでしょうか?
 トルコのバールベックでは、2千トンの石をオベリスクの形に切りだしているのです。その石が割れてしまっているので、そのまま放置されたのではないかと言われています。2千トンの石と人間が写っていますが、人間は米粒のように小さく見えます。どうやって動かしたのでしょう。このような巨大な石を動かす技術が過去にあったのです。
 イースター島のモアイ像は、15メートルくらいあります。どうやって山から切り出して運んだのでしょうか? それもわかっていません。
 エジプトのピラミッドの石も100キロくらい先に石切り場があり、そこからもってきたと言われています。どうやって200万個の石を運んだのでしょう。人間が担いだのでしょうか?
 そう思うと現代にはない技術があったのです。ナスカの地上絵にしてもそうです。ナスカの地上絵は空から見ないと絵かどうかわかりません。人間が歩いていると何だかわかりません。空から見て始めて絵だとわかります。
 ということはナスカの地上絵は、空からつくったのだとわかります。そうしないとできません。これも不思議なことです。真に不思議なことがまだまだいっぱい出てきます。特にその中で僕が興味深いものは、山葡萄原人です。現代に見る亜人、人類ではない原人です。これを見たければ朝鮮にいけばよいのです。亜人を見ることができます。


■韓国人にだけ存在する6万個のDNA、クラウド利用で発見

韓国人に特徴的に現れる遺伝子変異がクラウドコンピューティング技術で明らかになった。KTは非営利研究法人のゲノム研究財団、バイオ企業のテラジェンイーテックスと共同で、韓国人20人の遺伝子解読と分析に成功したと7日に明らかにした。
ゲノム研究財団とテラジェンイーテックスが進める「韓国人個人ゲノムプロジェクト(KPGP)」の一環として20人の韓国人ゲノムを分析するのにKTがクラウドコンピューティング技術を提供した結果だ。

人間の遺伝子は30億個の塩基で構成されており、今回のプロジェクトを通じて876万個の遺伝子変異を発見した。このうち184万個は既に発見されたものと違い今回新たに発見された変異だった。
その中でも6万3000個余りの変異は20人のうち13人から共通して発見されたもので、韓国人特有の遺伝子変異と解釈される。
こうしてわかった韓国人特有の変異は、病気に関連した遺伝子から身体特性に関するものまで多様だった。代表的なものが辛い味を好む韓国人の特異的変異だ。
20人中6人から共通で発見された変異で、唐辛子の辛さの成分のカプサイシンによって活性化するたんぱく質と関連があることが明らかになった。
この変異によって機能が変わったたんぱく質が辛い味を好む韓国人の食生活習慣を説明する端緒になると予想される。また、味噌・キムチのように醗酵食品が好きな韓国人の特異な趣向遺伝子も出てきた。
テラジェンイーテックスのパク・ジョンファ博士は、「世界的に300件余りのヒトゲノム解読結果が公開されているが、大部分が西洋人やアフリカ人、一部東洋人のもので、韓国人に対する遺伝情報は不備だった。
今回6万個余りの韓国人共通変異を発見したことにより韓国人のためのゲノム解読が可能になった」と説明した。
韓国人に対するゲノム分析結果は2008年12月から始まった。嘉泉医大のキム・ソンジン教授が韓国人ゲノムを初めて完全解読し、7月にはマクロジェンが韓国人18人のゲノムを分析して英国の著名学術誌の「ネイチャージェネティクス」に発表した。今回行われた韓国人20人のゲノム分析はこれまでに行われたプロジェクトで最多人員だ。
今回のプロジェクトの特徴は韓国人遺伝子変異を明らかにするのにクラウドコンピューティング技術を初めて導入した点だ。


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2017年06月24日

『日本人に打ち込む100本の柱』悪魔教 49柱

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※かつてカスピ海にハザール帝国があり、この帝国にいたハザール人が千年前にユダヤ教に改宗し、そして世界の歴史を裏から操るということをやりだしたのです。

土曜日特別講座『日本人に打ち込む100本の柱』
悪魔教 49柱

 日本人が持たねばならない大事な精神について書いてきたけれども、実はそれだけでは足りません。日本人は、お人よしで、おとなしくて、勇気もあるけれども、ある計画をもった人間からみると、日本人の美徳というのは、馬鹿にしかみえません。なぜならば、世界の原理というものは日本人がもっている五十の美徳の原理によっては動いてはいないのです。全部とはいいませんが、ほとんどは計画的なものであって、人類の歴史も何千前年も前から計画を実行してきたのです。
 この計画の実行の主体はアシュケナジー・ユダヤです。かつてカスピ海にハザール帝国があり、この帝国にいたハザール人が千年前にユダヤ教に改宗し、そして世界の歴史を裏から操るということをやりだしたのです。
 彼らは本当のユダヤ人ではなくトルコ系の白人ハザール人であります。このハザール人たちは、国ごとユダヤ教に改宗したのです。それから、蒙古に滅ぼされて世界中に散った民族なのです。ある者はロシアに、ある者はヨーロッパに散って、その時にかなりの財宝を持って逃げたといわれています。したがって、お金はあったのです。現在はアメリカ、ヨーロッパ、ロシアに住み着き、世界の金融、マスコミ、政界、法曹界、大学教授、医学界などを握って一大勢力をつくりました。この民族の考え方というのは寄生虫であって、住み着いた国家を彼らは自分達の国家とは思っていません。そういうところに最大の特徴があるのです。利用することを考えているのです。ちょうど人間に寄生虫が住み着いたようにアメリカ合衆国にハザール・ユダヤ人という寄生虫が食いついて、どんどんとアメリカの富と財産を吸収して食っているのです。富が無くなったらアメリカが滅びるときです。その段階になると、ハザール・ユダヤ人は他の国に拠点を移します。かつてヨーロッパもそうであったように、オランダ、イギリス、フランス・・・全部ハザール・ユダヤ人にやられて骨がらみになってしまいます。
イギリスなどもあれだけ財産があった国が無くなったということは、富の吸収が全部されてしまったということです。こういう人間達は目的は一つであって、ワンワールド世界をつくろうということです。OneWorld(ワンワールド)=世界は一つ。これをどんなことがあってもつくろうとして、人類を計画的に戦争をさせ、奴隷にし、或いは飢餓状態をつくりだし、コントロールしているのです。
 この連中は目的を達成するために、なんでもやるのです。人殺し、原爆の製造、自然災害、地震兵器、なんでも使って人間をコントロールしているのです。そして、莫大な権力構造をもっているのです。この連中は明確な目的を持っているので、目的を持っていない民族のことを馬鹿としか思っていません。馬鹿の名前のことをゴイム(豚)というのです。
このように世界を支配しようとしているワンワールド主義者、或いはフリーメーソン、イルミナティー、こういう組織は確実に存在し、そして絶大な権力をふるっています。このことを知らないと、日本精神だといったところでまるで馬鹿が手の上で踊っているようなものなのです。
我々日本人は、この邪悪な勢力があることをしっかりと認識しなければなりません。それをきちっと認識できたときに我々日本人の美徳というものが明確な力をもってくるのです。

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2017年06月23日

人間の探究 793 眞子様の問題

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※「Kim Komuro」とあった記事はインドのインターネットメディアでScoopWhoopというサイトに掲載されていました。
記事元:https://www.scoopwhoop.com/japanese-princess-set-to-marry-a-commoner/#.o1ozqj30g

人間の探究 793 眞子様の問題

 『中杉弘の徒然日記』でも書きましたが、眞子様問題は、どのような問題でしょうか。今でも小室圭さんには、毎日私服刑事が5人ついています。VIP待遇です。
 「恋愛が自由だ」と言うならば、警備をつける必要もありません。恋愛は自由なのですから、何も国家のお金を使い警備を5人もつける必要は全くありません。警備をするということは、国家が大いに関係しているのです。
 まだ発表になっていませんが、眞子様はどのような経過で小室圭さんと婚約に至ったのでしょうか。恋愛するのは自由です。要するに「小室圭さんと、どうして婚約することになったのか?」「宮内庁がなぜ許可をしたのでしょうか?」ということが知りたいのです。ミステリー・ミステリー・ミステリーです。
 調べれば調べるほど小室圭さんの経歴は不明です。まず第一番の謎は、母子家庭だということです。お父さんは小室圭さんが10歳のときに死んだのです。そのときに「お金持ちだったのか?」というと、そうでもありません。お母さんはケーク屋さんにずっと努めてきました。大金持ちならば、ケーキ屋さんで働きません。普通の家庭だとわかるのです。
 ところがお父さんがいないのに圭さんは、国立音楽大学附属小学校に入ってバイオリンを習って、それからインターナショナル・スクールに入ったのです。
 普通の家庭ならば、インターナショナル・スクールは行きません。外交官の両親がいるならば子供をインターナショナル・スクールに行かせる場合もありますが、関係ない人はいきません。
 インターナショナル・スクールに一番通っている東洋人は朝鮮人です。朝鮮人の出世コースは子供をインターナショナル・スクールに入れて、アメリカやイギリスの大学へ留学させるのです。そのようなコースを選ぶのです。
 何故、お母さんはケーキ屋さんで働きながら、年間300万円くらいかかるインターナショナル・スクールに通わせていたのでしょうか? これも第二番目の謎です。
 小室圭さんのお父さんはなぜ死んだのでしょう。これもハッキリしていません。わかっていることは自殺らしいのです。大蔵山の下に鶴見川があり、鶴見川のほとりで死んだらしいのです。お父さんは水に入って死んだのか、薬を飲んで死んだのか、どのような死に方をしたのかわかっていません。謎・謎・謎です。これが第三番目の謎です。
 小室圭さんは、お爺さんと住んでいます。お父さんの親は息子が死んだことを悲しんで1週間後に自殺をしていますから、お爺さんはいません。お爺さんはいないのに、小室圭さんはお爺さんと一緒に住んでいるのです。変な家庭です。お爺さんだけど、お母さんの親ではありません。全然血のつながりはありません。
 では、一緒に住んでいるお爺さんは誰なのでしょう。これが第四番目の謎です。それはお母さんの不倫ではないでしょうか? 不倫して夫の死後に家に入れてしまったのではないでしょうか? それも考えられるのです。お爺さんは何をやっているのかもわからないし、誰かもわかりません。
 小室圭さんのお父さんの死んだ原因も、奥さんの不倫関係があって悩んで死を選んだということも考えられます。変な話です。こうなってくると宮内庁はすべて調べるのです。小室圭さんに5人も護衛をつけているのですから、当然調べます。調べた結果、発表できないのです。発表できなくても、インターネット時代は、ある程度のことはわかってしまいます。「変だな」と思うことが多々でてくるのです。
 まだ、おかしな点は、英字新聞では、小室圭さんのことを「Kim Komuro(キム・コムロ)」と名前が出ています。
 これは、国内の報道番組や新聞・雑誌ではなく「海外のニュースメディアや新聞記者ら」であることが分かりました。その報道には、小室圭さんの写真とともに「Kim Komuro」と書いてあり、とてつもない話題になっています。
「Kim Komuro」とあった記事はインドのインターネットメディアでScoopWhoopというサイトに掲載されていました。

東南アジアの新聞では、小室圭さんのお母さんは、ベトナム人と朝鮮人のハーフだと出ています。小室圭さんは「キム」というらしいのです。なんだか奇奇怪怪で変な話です。
 日本人の男ならば、皇室の女に手を付けるでしょうか? 普通ならば恐れ多くて絶対に手を付けません。いくら「やれ」と思ってキンタ●がチジミ上がってできるものではありません。
 それが小室圭さんは、いとも簡単にやすやすと婚約をしているのです。宮内庁はだんまりです。もう一つ意見があり、埼玉県に昔、小室藩があったのですが、その藩は跡取りがいなくて潰れてしまったのです。「もう一度、再興したいとお願いして、江戸時代に大身(たいしん)の旗本(約5千石)になった家柄ではないか」という説もありますが、全然根拠がありません。小室圭さんの家系図は出てきません。
 これはまずいのです。宮内庁にもの申します。「眞子様の婚約者は、このような人です」と発表しなければいけません。だから国費を使ってガードマンをつけているのです。結婚する相手の経歴をわからないで、母子家庭のお母さんがバイトをやっていて、職業もしっかりしていません。
 小室圭さんは、法律事務所のほう助をバイトでやっています。全く何だかよくわかりません。これが外交官の家柄ならばまだわかります。政治に何の縁もない、何のゆかりもない、こんなところに眞子様を嫁入りさせていいのでしょうか? 
 しかも、マスコミも騒ぎません。すべてウソなのです。だんだん皇室の女性が結婚していなくなるので、「女性宮家をつくろう」そんな企みがあるのではないでしょうか? まず、降下させておいて、2人とも一緒に宮家に入れてしまうのです。そのような陰謀があるのではないでしょうか?
 調べた結果、皇室の宮家を継げる男子は120名いるのです。120人の今すぐに天皇になれる人がいるのです。この120人は、天皇と正当な血のつながった人です。その内の一人が竹田恒泰さんです。彼は106番目の皇位継承者です。宮様を復活させればすぐにできてしまうのです。
 女性宮家は日本の歴史上ありません。女性天皇をつくる布石なのかと思います。本当に眞子様と結婚する相手が朝鮮人ならばどうなるのでしょう。朝鮮人が皇室にくっついて、女性宮家創設で朝鮮人が宮家に入ってくるのです。
 宮内庁の基本的な方針は皇室をなくすことです。
本当の狙いは、天皇をなくすことです。宮内庁は天皇の家来ではありません。各省庁から宮内庁に入ってきた役人です。天皇とは対立した立場であり、天皇を監視する立場です。「それに囲まれて天皇は気の毒だ」と竹田恒泰さんは言っています。本当にその通りです。
 秋篠宮の悠仁さまが交通事故に遭ったときに、運転手は創価学会の朝鮮人です。追突されて命を落とすところだったのです。ちゃんと護衛をつければよいのに、それすらやらないのです。
 宮内庁は天皇家をなくそうとしているのです。天皇はあってもよいのですが、それは今の天皇とは違い血の継続ではなく、民主的に選ばれた天皇だと思っているのです。天皇の本質を何もわかっていません。民主的に選ばれる天皇ならば、首相がいるのですから入りません。民主的に選べないから天皇です。それが権威というものです。

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2017年06月22日

人間の探究 792 宇宙人と宗教

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※長頭人間は宇宙人?

人間の探究 792 宇宙人と宗教

 今は非常に面白い時代です。UFOがいるという説は当たり前になってきています。カナダの元国防大臣ポール・ヘリヤーは「宇宙人は存在する」と言っています。そして、ロシアのメドベージェフ首相は「宇宙人は存在する。3種類の宇宙人がロシアで生活している」と言っています。政府関係者が「宇宙人は存在する」と言っているのです。しかも、「この地上に住んでいる」と言っているのです。
 その反面、アメリカの天文台は宇宙人からの電波を傍受しようとして、躍起になっています。巨大なアンテナを何百本もつくって、「何とか宇宙人と接触したい」と考えていますが、未だに返事がきません。
 だから、「宇宙人はいないのではないか?」という結論になります。科学的に言うとそうなります。何百本のアンテナをつくり電波を飛ばして、宇宙人に語りかけているのに、宇宙からは何の返事もきません。
 科学的に言うと「UFOはいない」ということになっているのです。そうではなく「宇宙人を見た」という正反対の意見があるのです。僕は「UFOは存在する」と思っていますが、「ならば早く出てきて地球人に語りかければよいであろう」と思います。
 ところがそれができないのです。昔からUFOは地球に来ているのです。それを「神」と思った地球人は、ユダヤ教をつくり、キリスト教をつくり、イスラム教をつくり、ヒンズー教をつくってきたのです。
 ということは、UFOに宇宙人が乗っているとすると、これらの宗教は全て壊れてしまいます。キリスト教では、「地球ができたのは5千年前だ」と言っているのです。そこにアダムとイブが現れたという話ですが、そんな話は宇宙人から見たらウソの話です。
 宇宙人という人間以上の存在がいることはわかりました。「それが神なのだ」とキリストは言いました。マホメットもそうです。自分は「神の代理人だ」と言っているのです。
 「私は宇宙人です」と宇宙人が現れたら全ての宗教は壊れてしまいます。創価学会などはぶっ飛んでしまいます。板本尊など子供だましの代物です。宗教の教義はすべて吹っ飛んでしまうのです。キリスト教もすべて吹っ飛んでしまいます。
 正理会の仕事は、全宗教を吹っ飛ばすことをやっているのです。全ての宗教を白紙に戻そうとしているのです。宗教を信じている人は、みな暗示にかかっている状態です。正理会は「早く洗脳を解除しなさい」ということをやっているのです。
 洗脳を解除しないと、宇宙人の言葉はスンナリ入ってきません。キリスト教、イスラム教、仏教でブロックされているのです。宇宙人がいくら呼びかけても、宗教で洗脳されている人間には宇宙人は見えません。その宇宙人との対話が通じるためには、純粋で無作の三身の境地でないと、宇宙人とは交信できません。
 それでわかりました。正理会でやっていることは、全宗教の洗脳を解くことです。洗脳を解除して、洗脳が解けた段階になるとUFOは現れるのに違いありません。もう様々な証拠はあります。
 各宗教が神だと祀り上げているものは、神ではありません。洗脳が解除されると失業者も大勢でます。ローマ法王のバチカンは滅びてしまいます。ローマ法王は「宇宙人の存在を認めます」と早々と言いました。宇宙人が出てきたら、とたんにキリスト教の教義は壊れてしまいますから意味がなくなってしまいます。
 「今までバチカンだの神父だのと言ってだましやがって、コノヤロウ!」となってしまいます。だから早々と手を打ったのです。しかし、そんなことで手を打っても、宇宙人が出てきたら、もうおしまいです。誰もキリスト教の聖書など「真実だ」とは思いません。
 地球には人類が教えられた歴史とは違う歴史があったのです。それは、宇宙人の歴史です。地球人の歴史などありません。あったものは宇宙人としての歴史です。そうすれば、人類もその枠の中に入ってしまいます。
 歴史とは宇宙人がどのように成っていくのかという歴史です。人類だけが間違った宗教観を持っているので、そのように思えません。自分たちの教義に縛り付けられているので、それ以外の物が考えられないのです。
 ISの「皆殺し」など、野蛮そのものです。宇宙人から見たら、人類発展の要素ではなく不必要なことをやっているのです。
 皆の洗脳が解除された段階で、正理会は世界中から受け入れられることになります。そのようなことを一貫としてやってきたのです。「そうだったのか。正理会はすごい団体だな。その後はどのような秩序をつくっていくのか?」と気が付いてきます。
いくら言って破れない秩序があります。これが天皇の教えです。天皇教は、教義はありません。
 誰かが出てきて、「天皇教の教義はこうだ」などありません。当たり前のこととして伝わっているのです。宣教師やご説法など神道にはありません。ただ、ありのままに伝わってきたことですから、「天皇は宇宙の中心だ」ということは、正しいのです。
 だから天皇の神格化が大事です。これに逆らうことをやっていると、とんでもないことになるのです。天皇から余分なものをはぎ取っていけば、元のままの天皇になるのです。そうすれば宇宙との会話もできるのです。
 正理会は、今は小さなことをやっているように見えますが、偉大な仕事をやっていると感じます。それは、全人類の洗脳を解除しているのです。そして、宇宙人としての自覚を持たせているのです。宇宙人としての地球人です。地球人としての天皇です。
 それが本当の宇宙時代です。変な宗教に偏っていたら、それは宇宙時代ではありません。いくらロケットを飛ばしても意味がありません。「解くべきもの、そして与えるものとは何か?」ということです。
 解くべきものは、宗教の洗脳です。そして、与えるものは日本神道の心です。これを与えたときに人類は一つになっていくのです。従って宇宙の一員になることができるのです。全ての不幸の種は宗教にあります。よくこれを覚えてください。
 「宗教は人を救うためにある」などと思っていると、宗教の奴隷になってしまいます。実際は人々を不幸にするのが宗教です。ISを見てごらんなさい。自分も死んで、相手も殺して、何の意味があるのでしょう。今までに行われてきた戦いは、全て宗教戦争です。十字軍の遠征もそうです。
 日本だけは宗教戦争はなかったのです。それだけ日本人は洗脳されていないのです。しかし、仏教は日本人を洗脳してきたのです。大和の国に仏教が入ってきて、日本人を洗脳していったのです。洗脳された分だけ、天皇の御稜威(みいつ)が失われていくのです。皇室もそれに気が付かなければいけません。
 それを教えていくのが正理会の役割ですから、真に正理会の役割は重要だなと感じます。

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2017年06月21日

人間の探究 791 池田大作の幽霊

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※黒澤明監督『影武者』

人間の探究 791 池田大作の幽霊

 大成功すると人間は必ず影武者をつくります。それが面白くて黒澤明監督は『影武者』という映画を作りました。「黒幕は面白い」と思ったのです。
 これを皮肉的に書いた作品が『影武者』です。本当は勝新太郎が武田信玄の役を演じる予定だったのです。ところが黒澤明監督と意見が合わなくて、途中から仲代達也に変わったのです。
 仲代達也は陰険な男です。『鬼龍院花子の生涯』でヤクザの親父の役を演じていましたがはまり役です。『影武者』は主役が仲代達也に変わって、つまらない映画になってしまいました。
 指導者は必ず影武者をつくります。これは本当です。金正恩には、20名の影武者がいると言われています。そう思ってみると軍事パレードで車に乗って敬礼している金正恩と、ニコニコ笑って軍人の肩を叩いている金正恩は、明らかに別人です。頭の格好だけそろえて刈り上げ君にしているのです。
 どのように使うのかわかりませんが、大衆の前に現れる場合、自分が標的になってしまうから影武者を出しておくのです。影武者のほうはいつでも標的になり得るのですからたまりません。
 池田大作にも影武者がいるのです。創価学会本部の連中は困り果てています。両手両足切断でオムツになり、脳軟化症です。発言もままならない人間がいたら困るのです。必ず影武者がいます。
 時々、聖教新聞に何もしゃべらない池田大作の後ろ姿の写真が載っています。それは影武者だとすぐにわかります。影武者はしゃべりません。或は池田大作の幽霊かもしれません。それはとんでもないところに出てくるのです。「池田大作先生が小金井の創価学会の講堂に行きました」「創価大学の事務局と池田大作先生がお話ししました」など、そのように記事だけでます。
 どうしても池田大作の写真が欲しいときは、ヨボヨボのジジイの後ろ姿の写真を出すのです。言ってみるとそれは幽霊です。もう池田大作は何の役にも立ちません。池田大作がいることにしないと都合が悪いから、時々出てくるのは影武者かもしれません。影武者だからしゃべれないのです。やはり、しゃべり方が違うのです。
 統一教会の文鮮明もそうです。全く似ていない色の白いジジイを影武者として使いました。文鮮明の場合は死後、影武者を使いました。文鮮明は、2008年のヘリコプターの事故で死んでいるのです。韓国のソウルで20名くらいヘリコプターに乗っていたところ、落ちてしまいマッ黒焦げになって死んだのです。テレビに映っていました。
 統一教会の幹部は、「あのときに文鮮明先生はそこにいなかった。さすが神様だ。突然空中で消えて、生還された」などと馬鹿なことを言っていたのです。その後、統一教会の本部に精彩の無いジジイが現れて、キョトンとした痴呆老人を「これが文鮮明先生です」とやっていたのですが、これは完全に影武者です。すぐにわかります。
 古来から、影武者は使われてきているのです。ヒラリー・クリントンも影武者がいます。顔が全然違います。シワが一つもない若々しい顔の時もあれば、シワだらけのババアの顔になるときがありました。「変だな」と思っていたら、やはり影武者が3人くらいいたのです。
 権力者は影武者をつくるのです。影武者さえ作っておけば、本人は死んでもよいのです。「死んでいない」と言えばよいのです。最低の連中です。
 元薩摩藩士の伏見さんは「皇室はみんな替え玉だ」と言っています。そんな馬鹿なことがあるのでしょうか? 皇室は替え玉をつくる必要がありません。そんな不自然なことはしません。邪教の連中が替え玉をつくるのです。
 自分の影武者なのですから、どのような気持ちなのでしょう。自分は死んで、替え玉が生き残ったら、一体どうなってしまうのでしょう。その場合は、本部が影武者をコントロールして、口を聞かせません。ただ、「そこに黙って座っていろ」と命令されるのでしょう。そんな政治はいつまでも続きません。「もう限界だな」という時に、影武者が死んで、本人も死んだことになるのです。
聖教新聞に写っている池田大作は、誰が考えても影武者です。生きているとは思えません。チューブ1本で生きている場合もあります。それでも「生きている」と言えます。チューブ1本、1本の生命維持装置を外せば、もうその場で御臨終です。
 世の中には偽物、影武者が多いのです。他にもいると思います。習近平もいると思います。なかなか図太い顔なので同じ顔の人はいないとは思いますが、習近平も影武者がいるのでしょう。まあ、そのような意味で現代は影武者の時代です。残念でした。聖教新聞に写っている池田大作は影武者です。

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2017年06月20日

人間の探究 790 成吉思汗=義経であったこれだけの理由

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※ともかく英語版もできますので、皆さん、読んでください。面白いですよ!

人間の探究 790 成吉思汗=義経であったこれだけの理由

 僕の書いた『成吉思汗=義経であったこれだけの理由』の英訳ももうじき完成します。いよいよ全世界に向かって売り出します。
 うれしいことにこの本が最近、ボチボチと売れ出してきました。世界中の人々は成吉思汗に最大の関心があるのですから、本当はもっと売れてよいのです。この説を最初に唱えたのは、オランダ人のシーボルトです。
 シーボルトが日本に来ていろいろ調べているうちに、「成吉思汗は源義経だった」ということを結論づけたのです。それを英語の論文にまとめて本国に持ち帰ったのです。同時に水戸光圀もこの説を唱えています。水戸光圀は『大日本史』の中で書いたのです。「義経は成吉思汗になったのではないか?」とみなが思うのです。
 蒙古と日本は不思議な因縁があり、お相撲さんは蒙古人が多いのです。『成吉思汗=義経であったこれだけの理由』を、英文で書いたから、これもまたヒットするのではないかと思います。是非、皆さんも読んでください。
 どうして「義経は成吉思汗であるのか?」と思うのかというと、まず年齢が同じです。厳密には1歳や2歳は違うかもしれませんが、ほとんど年齢が同じです。これが大事な根拠です。
 義経は日本の武将です。蒙古の中にテムジンと言われる人が出てくるはずがありません。蒙古人はパオに住む少数部族です。20名くらいが一部族です。蒙古人はパオをつくって生活しているのですから、大民族が集合することはありません。
 様々な点で証拠があがっています。義経の旗は源氏の九りゅうの白旗です。白い旗を9本立てるのです。何故、9本立てるのかというと、九郎判官義経だからです。義経の本名は、九郎判官義経です。9本の白旗が義経の目印です。成吉思汗もそうです。9本の白い旗を立てたのです。これを見ただけでも符合する点があります。
それから、成吉思汗の命日に鞍馬山で法要が行われます。8月15日は、鞍馬寺の義経忌です。蒙古のオボー祭り(ジンギスカンの命日)と同じです。
何故、成吉思汗の命日と同じ日に、京都の鞍馬山で義経の法要が行われるのでしょう。不思議な話です。ということは、「知っている」ということです。
だから法要をやるのです。鞍馬寺は、成吉思汗の死んだ日を命日にして、義経の命日にしているのです。これも不思議な話です。普通ならばあり得ません。まだまだたくさんあります。
源氏の紋所の笹竜胆は、黒竜江省の辺りにたくさんあります。家にも笹竜胆のマークが入っているのです。そして、義経はインテリの知識人です。野蛮人ではありませんから、世界の情勢は握っていたのです。
奥州藤原氏の親戚は十三湊の安東水軍です。安東水軍は十三湊で200艘の船を持って、世界と交易をしていたのです。だからシナも、朝鮮も、黒竜江省も、アイヌの情報も全て知っていたのです。しかも、黒竜江省の金を掘りあてて、莫大な黄金を持っていたのです。
 ですから、奥州平泉の中尊寺は黄金で建立されたのです。藤原氏は黄金を持っていたのです。京都に5千両の黄金を送ると源頼朝が妬んでしまい、「何故、そんなに金を持っているのだ? あいつらは大鉱脈をもっているのに違いない。では、藤原を亡ぼして俺の土地にしよう」と最初から思っていたのです。
 それが義経に因縁をふっかけて藤原氏を滅ぼすことになったのです。頼朝は金が欲しかったのです。しかし、藤原氏を滅ぼしてみても、金山どこにもありません。これは、安東水軍の黒竜江省の金だったのです。そのように考えるとよくわかるのです。
 義経は、世界情勢はすべて握っていたのです。武将の義経が軍勢をつくることは簡単です。義経には、シナ、朝鮮、蒙古の情報はすべて入っていたのです。そして、莫大な黄金を持っていたのです。
 そのようにして大陸に渡ったのに違いありません。頼朝の追っ手に追われて、逃げまくって、大陸へ逃げたのではありません。義経はまだ32歳です。「俺は大陸を制覇する!」と決めていったのです。それくらいの元気はあったのです。「やったるぜ!」とそう思って大陸へ渡ったのです。だから勢いが違います。
 頭脳は天才、戦争が好きなのは天皇の血筋です。あっという間に軍勢が増えていきます。部下になった者達には、金を配ればよいのです。征服してどんどん部下を増やしていったのです。
 だいたい蒙古人には「大陸を制覇しよう」などという発想はありません。シナをやっつけて元帝国を造るなどという離れ業はできません。
 元帝国の元は、「みなもと」です。字は違いますが、元=源です。
これも一致しているのです。高木彬光(あきみつ)は、もっと一致していると言っています。成吉思汗の字を分解してみてください。「吉野成る汗(水干)を思う」と書くのです。白拍子の静は水干を身につけています。それが義経の彼女です。成吉思汗は「吉野成る汗(水干)を思う」と書きます。
 それから、源義経は、音読みでは「ゲンギケイ」です。ゲンギケイ=ジンギスカンです。ジンギスカンの最後の遺言は「我故山に帰りたし」です。これが遺言です。故山とは、故郷の山という意味です。これは蒙古のことではなく、日本のことを言っているのです。
 これだけを見ても、どうしようもないくらい一致しているのです。しかも、成吉思汗は顔を見せなかったのです。現在残っている肖像画は、どんな顔をしているのか想像で描いただけです。成吉思汗はパオに入って顔を見せなかったのです。成吉思汗として出てきたのは、弁慶です。
 これは絶対に義経です。やがて成吉思汗の墓が暴かれたら、そのことは全てわかってしまうでしょう。だから絶対に暴かせないように必死になって隠しているのです。今モンゴルは、下半分は中国の領土です。「中国領土になった側に成吉思汗の墓はあるであろう」と言われています。中国の許可がないと発掘はできません。
 これが証明されると世界は震撼とします。成吉思汗とは一体何かというと、日本人だったのです。天皇の血を引く源氏の義経と、その家来です。一人ではありません。
その前から中国領にある広開土王碑(こうかいどおうひ)には、「倭人がここまで来た」と書かれているのです。この話は義経も知っていたのです。過去は倭人が朝鮮半島を攻めて、38度線を超えて鴨緑江の先まで倭人が攻めてきたのです。
 それを「偽物だ」とわめいていましたが、「どうやら本物だ」ということを中国が証明したのです。そのようなことを義経は知っています。「倭人がここまで攻めたのだ。自分もやってやろう!」と思ったのに違いありません。これが真相だろうと思います。
 ともかく英語版もできますので、皆さん、読んでください。面白いですよ!

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2017年06月19日

人間の探究 789 宗教批判の原理

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※あらゆるものは、万法無実体無本質・諸法因縁仮和合です。貴方は、仮に和合して今、たたずんでいるだけで、実体はありません。

人間の探究 789 宗教批判の原理

 日蓮大聖人様の仏教は宗教の批判から始まります。門下生と称する人々は、悉く諸宗の事情に通暁しなければなりません。
 これは凄い考え方です。「個人も国家も民族も、その保つ宗教により未来は変わる」という考え方です。学問的に言うと「比較宗教論」といいます。思想だけを比較したのは、「比較思想論で」です。
 日蓮大聖人様は歴史上初めて、宗教批判の原理を打ち立てられて、「如何なる宗教が正しいのか?」ということをお示しになられたのです。「正しい宗教を保つならば、その民族は栄え、個人も栄え、国家も栄えて世界も平和になっていくだろう」という教えです。
 このような原理で物を考えた人はいません。今の日本の憲法もそうです。「宗教の自由」と言いますから、「何の宗教を信じても自由だ」と言います。宗教法人は18万団体もあります。
 「キリスト教も、イスラム教も、仏教もみな宗教は同じ」と思っています。何が同じなのかというと、「信じる」ということだけは同じです。何を信じたのかによって、その人の人生には、ハッキリと結果が出てくるのです。宗教は薬のようなものです。「この薬が体に効きますよ」と言われて飲みました。最初はなんだかわかりませんが、良い薬を飲んでいる人はだんだん健康になり、薬だと思って毒薬を飲んでいる人は、どんどん毒が体に回って死んでしまうのです。これは笑い話ではありません。
 現在でも水銀という毒物があります。水銀は昔、長寿の薬として信じられていました。秦の始皇帝が「永久に生きる薬はないのか?」と言うので、詐欺師が「よい薬があります」と言って、水銀を飲ませたのです。
 始皇帝は結果的には死んでしまいました。それと同じことです。毒も少しずつ摂取すると、毒を取っていることには間違いありません。毒が効いてくると寿命が終わってしまうのです。反対によい薬を飲んでいる人はだんだん体が丈夫になり長生きできるのです。飲むものによって人間は変わるのです。
 一番大事なものは宗教です。それを日蓮大聖人様は教えられたのです。宗教は毒にもなるし薬にもなります。「この宗教はよい宗教なのか、悪い宗教なのか?」とよくよく吟味して、どのような結果が出てくるのかを考えてから信じるのです。
 今の創価学会員は「何を信じようが勝手でしょう」と言います。そこからして狂っています。日蓮大聖人様が教えられた宗教批判の原理によって、五重相対などをわかった上で信仰を進めなければいけません。
 日蓮大聖人様の仏教は、信仰を進めていくと正理(しょうり)を極めることになるのです。板本尊を信じ込んだり、キリストの像を信じ込んだりすることではありません。「何を信じてよいのか?」という道理をよくわきまえて、「これは捨てなければいけない」「これは飲んでもよい」ということを厳密に区別して、正理(しょうり)を修業していくことです。
 「あなた、それは毒薬だよ」と言ってあげなければいけません「お前、毒薬を飲んで馬鹿だな」などと言ってはいけません。わからないで変な宗教の奴隷になっている人は可哀想なのです。
 慈悲を持って見ていると、本当に可哀想だから自然に「よしなさい」と言う言葉が親心から出るのです。「貴方が飲んでいるのは毒薬ですから止めなさい」と言うと、創価学会員は「何を飲もうと個人の自由だろう。宗教は自由だ!」と言って聞く耳をもちません。そのこと自体、日蓮大聖人様の弟子ではないとわかります。
 どこまででもその考えを教えて、正しい理を歩んでいかなければいけません。正理(しょうり)にはどのようなものがあるのかというと、仏教には仏教の正理があります。日本国には日本国の正理があるのです。家庭には家庭の正理があります。家庭の正理とは、一家の主人を中心にして、主人を立てていくことです。
 主人はみんなを守ることです。これが家庭の正義です。親は子供を養い、子供は親の言うことを聞いて、スクスク立派に育っていくことが家庭の正義です。この家庭の正義がなくなると、親は責任を取りません。昼間から酒を食らって家にいるのです。そうなると家庭は滅茶苦茶です。お金がないからその家はやっていけません。
 するとお母ちゃんが働くようになるのです。ますます子供は滅茶苦茶になりますから、勉強などできません。それは家庭の正義ではありません。家庭は一家の中心者が働いて、お金に困らないようにして、お母さんが一生懸命気配りをして、子供を育てていくということが当たり前です。これは理屈も何もありません。家庭の正義です。
 国家もそうです。「政治家はヤクザと同じだ」などと言われないように、公を考えた上で、天皇のお心を拝して、行動をしていかなければいけません。「国民の税金は俺たちのものだ」などと馬鹿なことを言っているようでは、どう考えても正義ではありません。「国民は誤魔化せばよいのだ」などというのも正義ではありません。
 日蓮大聖人様の宗教批判の原理の第一番にくるものは、五重相対です。五重相対とは、「宗教を五段階に分けて分析していきなさい」ということです。一番に「何故、仏教が優れているのか?」ということを明らかにされているのですが、「何に対して優れているのか?」というと、それは外道に対してです。
 お釈迦様の頃は外道のバラモン教が流行っていたのです。汚い格好をして、川に入ったり、断食したり、カラダに白い粉を塗ったりしていたのです。白い粉とは人間の骨の灰です。それを人間のからだ中に塗っていたのです。そのような邪教の連中が仙人と称していたのです。そんな連中が大勢いたのです。
 お釈迦様はそれらのインチキ性をスパンと見抜かれたのです。お釈迦様以外の教えを外道と言ったのです。お釈迦様が見ていると、そんなことをしても誰も救われていません。難行苦行で滝に打たれたり、断食をしたり、石の上に座ったり、何日間も寝ないでいたり、そんなことをして何になるのでしょう。
 お釈迦様は若い頃、外道から入りました。お釈迦様は「人間はなぜ死ぬのか。人間は生老病死が訪れて必ず死にます。これから離脱する方法はないのか?」と考えてバラモン教に出家したのです。様々な難行苦行を誰よりもやられたのです。
 「あんな修行はできないよ」と言われるくらいの苦行を修行されたのです。お釈迦様から言うと、「こんなに修行したのに、私は何も悟っていない」ということです。従って結論は、「このような修行の仕方は間違いである」と悟られたのです。
 お釈迦様は「間違った外道の修行はやらない」と決めたのです。断食することには、何の意味があるのでしょう。生きている以上は、ご飯を食べることは当たり前です。お釈迦様は苦行を止められて、スジャータの差し出した乳粥を食べられて元気を取り戻したのです。
 よく眠り、よく物を考え、木の下に座って命を整えていったのです。苦行の反対です。正しく呼吸をして、正しく物事を見て、正しく物事を考えていったのです。そして、菩提樹の木の下で瞑想したのです。すると恐ろしい姿で魔が現れて「この修行を止めろ。この修行を止めないとお前を地獄へ引きずり込むぞ!」と言うのです。
するとお釈迦様は、「お前が魔であることは私にはわかる。目の前から消えろ。魔よ去れ!」と言われたのです。菩提樹の木の下に7日7晩座って、遂にお釈迦様は真理を悟られたのです。
これが仏教の始めです。仏教と外道は明らかに違います。外道は難行苦行のバラモン教です。それだけではありません。外道は悪いのです。何が悪いのかというと、外道は霊魂を説きます。
外道は「人間には霊魂(我)がある」と説きます。その我(が)は、死んでもなくなりません。「お前の本体は奴隷です。だからまた奴隷に生まれてくるのだ」、これでは言われたほうは、たまりません。「お前は百姓なのだ。だからまた百姓に生まれてくるのだ」と言うのです。「お前はクシャトリア(武士)だ。また死んでも生まれてきて戦いをやるのだ。永久に戦いを続けるのだ」と言うのです。
「それは何とかならないですかね。今世はあきらめますが、来世は同じではたまりません」と皆震え上がってしまったのです。一番偉いのはバラモン階級の坊さんです。これは統治のためには都合がよいのです。「お前は今奴隷だから永久に奴隷なのだ。少しでもよくなりたかったらバラモンの言う通りにするのだ。そのうちいいことがあるかもしれない」と言うのです。そのいいこととは、「また人間に生まれて他の階級に生まれるかもしれない」ということです。本当は生まれないということを言っているのです。奴隷は永遠に奴隷です。
お釈迦様は「世の中に変わらざる魂というものが存在するのだろうか?」ということを考えられたのです。結論は、「我(が)はないのだ」ということです。
「仏教は何を説いたものか?」と聞くと「無我を説いた」と答えた人は正解です。仏教は無我を説いたものです。「我(が)がある」と説くのは、バラモン教である外道です。
それはなぜでしょう。あらゆるものは仮に集まって、そして消えていくのです。生きている人間も、死んでしまえば燃してしまい、灰になってしまうのです。「今、生きている」というものが集まって、仮にたたずんでいるだけで実体はありません。所縁が集まって、実体のように見えるけれども、実は実体などありません。
今生きている人間は、やがて死んでしまいます。誰でも死んでしまうのです。ということは、「ここにいる」と思うことは、実体ではありません。実体だと思うから苦しむのです。「実体がある」と考えるから「霊魂がある」と考えるのです。
あらゆるものは、万法無実体無本質・諸法因縁仮和合です。貴方は、仮に和合して今、たたずんでいるだけで、実体はありません。実体は無我です。諸法無我=あらゆるところに我というものは存在しません。
諸法因縁仮和合=たまたまあらゆるものが集まって仮にたたずんでいるだけで、実有(実際にある我)ではありません。
これをお釈迦様は悟られたのです。これをお釈迦様の三法印といいます。あらゆるものに我はありません。無我であり、あらゆるものに移り変わっていくのです。
幸せを求めても無いものを求めているのですから、得られないのです。涅槃寂静という境地に達しないと本当の幸せを得ることはできません。この世で巨万の富を得ても、涅槃寂静というものをつかまない限りは、安心できません。「涅槃寂静になるように頑張っていきましょう」というのが、お釈迦様の教えです。
これが根本的に違うのです。バラモン教は我を説きます。「輪廻しても我はなくならない」と説きます。仏教では我はありません。それも消えてしまうのです。何も無いのかというとそうでもないのですが、霊魂という変わらない実体はありません。どんどん変わっていきます。
昨日と今日は違います。今日と明日は違います。毎日人間は変わっていくのです。問題点はよく変わっていくか、悪く変わっていくかです。例えこの身は滅びてもよい方へ変わっていけばよいのです。
そのようなものが仏教です。仏教は内道です。仏教以外の教えが外道です。キリスト教も外道です。「神は実体である。人間には精霊があり、その精霊が死後裁きにあう。神の教えに従っていくならば死後天国へ行ける。神の教えに従わなければ地獄へ行く」というのがキリスト教の教えです。これはイスラム教でも同じです。魂の救済というのです。
宗教というものを大きく分けて、「無実体を説いた仏教が優れているのか、実体を説いた外道が優れているのか?」とうことを研究して、自分でわかっていかなければいけません。これを内外相対論といいます。
いまの創価学会の連中は何も勉強していないのでわかりません。極めていこうとしないのです。一応、「内外相対論」という言葉は習うのですが、「内道は外道に優る。何故優れているのかというと、因果の法則があるから」で終わってしまうのです。その程度の理解では、内外相対はわかりません。
バラモン教、キリスト教などの、外道といわれるものを知っていかなければ、内外相対論を超えられません。日蓮大聖人様の仏教はそれを超えていくことです。「内外相対論がわかったぞ!」とわかったら、次の段階にいくのです。しっかり勉強してください。

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2017年06月17日

『日本人に打ち込む100本の柱』独立独歩の精神 48柱

菅原道真
※遣唐使にしても、遣隋使についても、中国に貢物をして奴隷になりさがるという気持ちはなくて、あくまでも独立した日本があって貿易をしたという姿勢です。ですから、学ぶものがなくなったら菅原道真がやめってしまっています。


土曜日特別講座『日本人に打ち込む100本の柱』
独立独歩の精神 48柱

外交は本来、独立独歩の精神です。人に頼った外交はありません。今の日本には独立独歩の精神はありません。だからアメリカの言う通りの奴隷になってしまいます。独立で歩もうという気持ちがないとダメです。
 独立独歩の反対の言葉が共栄共存ということです。今の日本は共栄共存が強いのです。独立独歩など全く無くなってしまいました。本来、古来より日本は、独立独歩の精神が強くその精神でやってきたのです。遣唐使にしても、遣隋使についても、中国に貢物をして奴隷になりさがるという気持ちはなくて、あくまでも独立した日本があって貿易をしたという姿勢です。ですから、学ぶものがなくなったら菅原道真がやめってしまっています。
 日本は独立しているという強い意識があるのです。中国の皇帝に対して、日本は天皇です。天皇のほうが位が上なのです。日本は島国ですから、独立独歩にならざるおえません。それと同時に自給自足ができたということです。徳川幕府が鎖国をしても米・野菜・魚の食料も足りたし、他のものも足りたのです。日本列島は豊かな国なのです。よその国から何か買わなければならないということはありません。
 これが明治になって変わりました。軍艦というのは石炭で動いていました。日本には石炭がいっぱいあったので「これはやれる」と思ったのです。しかしある時から石油に代わり、軍部は日本国中石油を探しましたが、いくら探しても無かったのです。海軍は真っ青になって「独立できない」と思ってしまいました。「石油? 売らないよ」と言われると軍艦は動きません。「石油がないから、この国は独立はできないんだ」という意識が海軍の中にしみ込んでしまったのです。この考え方が大東亜戦争の敗戦につながってくるのです。「独立できない」という思い込みの暗示が入ってしまったのです。ですから中途半端な戦争をしてしまったのです。
 ところが、今わかってきたことは、石油は二年半分あったのです。実は備蓄していたのです。今の東京電力と同じで「無い、無い、無い」と言っていたのはウソだったのです。「これだけの石油がありますよ」とオープンにしていれば十分に戦闘の方法もあったのですが、「六か月分しか石油がない」と言われるので「節約だ!」という考えになってしまうのです。二年半分はあったのです。
 我国は、昔から独立していたということです。それは自給自足ができていたということです。外国から何も買うものはありません。ただし、珍しいもの、無いものは買ったのです。例えば地球儀だとか、ギアマンのガラスの食器だとか、日本に無いものは物珍しいから買ったのであって、基本的には食料は自給自足です。備蓄もしていたのです。自給自足ですから、日本は三年分の米を備蓄できる蔵を造ったのです。お米がとれると籾のまま蔵にいれておくのです。新米ができると蔵にしまって、三年前のものから食べるのです。庶民は新米を食べなかったのです。常に新しい米はとっておいて三年前のお米から食べていたのです。凄い智慧です。日本人は三年分は、食べるだけのお米があったのです。独立した国なのです。
 それがいつのまにか、輸入漬けになって、外来文化を取り入れすぎて、真似しすぎてだんだん独立心がなくなってしまいました。今ではアメリカの「第五十一番目の州になりたい」だとか、「アメリカ合衆国日本州」とか、そんな馬鹿なことをいいだす人間もいるのです。人間にとって一番大事なのは独立心です。
 アメリカの第三代大統領トマス・ジェファーソンが起草したアメリカの独立宣言(The Unanimous Declaration of the thirteen United States of America)にあるように独立自尊ということが大事なのです。
 アメリカの独立宣言は、イギリス(グレートブリテン王国)によって統治されていた位置三の植民地が、独立したことを宣言する文書で、一七七六年七月四日大陸会議(the Continental Congress)によって採択されたものです。
 独立宣言は、十三植民地の代表が構成する大陸会議において若干の修正を施されたうえ、アメリカ市民と諸外国とに向けて布告されました。これはフランス人権宣言に続いて、公的に人間の平等と人権、さらに人民主権を告知したものとして、現在にいたるまで最重要の歴史文書のひとつと目されています。
 独立するという考え方はプロテスタントの考え方でもあるのです。プロテスタントというのは神様と人間が直接繋がっています。カトリックは神様がいて、教会があって、そこに神父がいて、そこに信者がいるという考え方です。信者は教会を通して神を観ることしかできなかったのです。
 ところがプロテスタントは「教会はいらない」といい、聖書があるのですから我々は神様と直接結びつくことができるのだといいます。プロテスタントのことを無教会主義といいます。そうすると、カトリック教会のように神父の奴隷にならないで、神様との対話ですから独立した人間ができてくるのです。
 アメリカの独立心というのは、サミュエル・スマイルズ(Samuel Smiles,一八一二年十二月二十三日- 一九〇四年四月十六日)の自助論(Self-Help)にあるように、序文「天は自ら助くる者を助く」というように、人間は一生懸命働いてこの地上を美しくして富を貯えなければならない。この考え方が資本主義を産んできたのです。それと同時に独立心です。アメリカ人は物凄い独立心をもっています。大西洋を渡り小さな船でどんどんアメリカ大陸に行ったのです。
現在、日本は独立国家ではありません。アメリカの奴隷国家です。太古の昔の歴史を見なさい。日本は立派な独立国家だったのです。日本が食料を自給自足することを考えて再び独立国家を目指さなければならないのです。そして、再びこの日本の独立心をとりもどさねばならないのです。

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