2024年05月22日

法華経と量子力学 47

536
※法華経は量子力学を説いています。量子力学を説いているというよりも、量子力学から世界を見ているのです。

法華経と量子力学 47

 今は量子力学が発達して、僕から見ると「法華経は量子力学を説いている」とわかります。戸田先生は数学の先生ですから、法華経は量子を説いているとわかったのでしょう。
 命を懸けて読まないと、法華経は一行目から読むことができません。「34の非は読む必要はない」と思った場合は読めません。
 法華経はそのような経典です。まず、法華経に入る前に『無量義経』三品では、仏の正体について説いているのです。
 その後、いよいよ法華経の『妙法蓮華経序品第一』に入ります。『無量義経』三品を読んで、仏というものがわかりましたね。仏というものは、インドで生まれたお坊さんではありません。仏の正体は、「34の非」で表されています。これが、仏の正体です。普通に読んだらわかりません。法華経は命がけで読まないと、奥に入ることはできません。
 念仏のお坊さんは、「法華経なんかより念仏のほうが上だよ」と思っているのです。法然も親鸞もそうですが、そのような人は法華経の一行目から読めません。
 何故かというと、法華経は量子力学を説いています。量子力学を説いているというよりも、量子力学から世界を見ているのです。
 例えば、「34の非」で言われている仏の正体とは、「其の身は有に非ず亦無に非ず」と言われています。まさに、仏の正体は量子です。「有るものでもなければ無いものでもない」などというものは、この世の中にはありません。すると、「こんな経典は読む必要はない」となってしまうのです。
 「34の非」を読んで、心の準備はできましたか? このような仏について、これから勉強していくのです。「わかりましたか?」と言ってから、法華経の本文に入っていくのです。それが『妙法蓮華経序品第一』です。「34の非」の仏の正体をクリアーできていないと、法華経に入ることはできません。まだ、法華経の本体もわかりません。
例えば、「久遠即末法」という言葉があります。「久遠即末法」とは、永遠の昔があります。末法は現在です。それが「同時だ」というのです。こんなことがでてくるのです。
 法華経というものは、「久遠即末法」です。地球をつくった永遠の昔と、現在は違います。それが「同じだ」というのですから、難解でしょう。「久遠即末法」です。宇宙は、生命ができた時が「今」なのです。今と久遠の昔は何も変わっていません。
 「これを教えましょう。覚悟はいいですか?」ということが、法華経の決意です。ここで落ちる人は落ちてください。進む人のみが、この経典がわかります。
 法華経を取り上げている教団は、立正佼成会、霊友会、創価学会、身延山久遠寺、池上本門寺など、たくさんありますが、法華経の教典を全然わかっていません。ただ「有難い」と言っているだけです。
 どうして有難いのでしょうか? 「久遠即末法」ということを説かないと、次に進むことはできません。学校で物理学を勉強している人に、「永遠の昔は今だ」と言われてもわからないでしょう。法華経ではそのように言っているのです。
 「これは何の世界なのか?」というと、量子力学の世界です。量子力学では、永遠の昔は今です。「あれ、法華経で言っていることと同じではないのか?」と気が付くのです。
 「久遠即末法」、「生死即涅槃」、「色心不二」という言葉があります。色(しき)とは、色(いろ)です。普通は、「色(しき)とは、肉体だ」と解釈していますが、そうではありません。色(しき)とは、目、耳、鼻、口、皮膚を持っている人間の見ている世界が色(しき)です。色(しき)という世界があるわけではありません。
貴方には目があるから色が見えます。外界と自分を分けて、「これは私、これは外界」と区別をして、「私と外界は違うものです」と教わるのです。
 法華経から見た真実の世界は違います。量子の世界から見ると、法華経から見た世界は真実です。その真実は貴方だけの世界です。(48に続く)


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2024年05月21日

法華経と量子力学 46

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※牧口先生は、三谷素啓に折伏されて、日蓮正宗に入信したのです。牧口先生が入信すると、弟子の戸田先生も入信することになったのです。

法華経と量子力学 46

 牧口常三郎先生が創られた創価教育学会は、先生の集まりだったのです。座談会を開いて勉強会をやっていたのです。その段階で警察に捕まったのです。
 牧口先生は、目白商業学校校長であり、池袋にある日蓮正宗常在寺に所属する法華講「大石講」の三谷素啓に折伏されたのです。
 牧口先生は、三谷素啓に折伏されて、日蓮正宗に入信したのです。牧口先生が入信すると、弟子の戸田先生も入信することになったのです。
 1936年4月30日、教育者による創価教育学会春季総会を開催し、機関紙『新教』を発刊したのです。
 1941年には機関誌『価値創造』を発刊したのですが、翌年廃刊になりました。戦時下の特別高等警察による監視が続けられる中で、牧口先生は国内各地において、大善生活座談会を開催し、3000人の会員を擁すまでとなったのです。
 1943年5月、神社神道を批判したことで機関誌『新教』が廃刊となりました。6月、日蓮正宗総本山大石寺に呼ばれた牧口先生と戸田先生は、管長鈴木日恭と掘日亨(にちこう)同席の下、庶務部長から「学会も一応、神札を受け取るようにしてはどうか?」と申し渡されるが、これを拒絶したのです。その後、創価教育学会は登山を禁止されたのです。
同年7月6日、伊豆下田での座談会開催直後、伊勢神宮の神札を祭ることを拒否したために、治安維持法違反並びに不経罪の容疑で、下田警察署に連行されたのです。
同日、戸田先生と21名の幹部が検挙されました。
牧口先生は、獄中においても転向を拒否して、1944年11月18日、東京拘置所内の病監で栄養失調と老衰のため死去しました。
 戸田先生は、2年間も無実の罪で牢獄に入れられたのです。牧口先生は牢獄の中で死んでしまったのですが、一説によると自殺したと言われています。
 戸田城聖は、生きて牢獄から出られたのです。戸田先生は牧口先生の大善生活を学んでいたので、日蓮正宗の南無妙法蓮華経の信仰は全く知りません。牢獄の中で「法華経を読み切ってみせる」と決意して、看守に法華経の差し入れを頼んだのです。
 すると白文の法華経が差し入れられたので、全然読めません。フリガナがないので、全く読めません。戸田先生は数学の先生で、漢文の先生ではありません。白文の法華経は読めないので、「訓読の法華経を送ってください」と言ったのです。
 次に差し入れられた法華経もまた白文です。戸田先生は頭のよい先生ですから、「これは、白文の法華経を読み切れということだな」と思ったのです。三畳しかない牢獄で「これを読み切る!」と決意されたのです。
 一日3時間から、4時間もお題目を唱えて、法華経を読んでいったのです。戸田先生の人柄がよくわかります。起きる時間を決めて、掃除して、朝お題目を唱えて、「何時から法華経を読む」と決めて仏道修行をしたのです。仏道修行はどこでもできるのです。
 2年間くらいそのような生活をしていたのですが、「戸田城聖、出ろ」と言われて、牢獄から出てきたのです。その時に戸田先生は「法華経を悟った」と思ったのです。「法華経の有難いところはここだったのだ」とわかったのです。
 それは「34の非」です。それには、「仏というものは」ということが書かれています。
「其の身は有に非ず亦無に非ず 因に非ず縁に非ず自他に非ず方に非ず円に非ず短長に非ず 出に非ず没に非ず生滅に非ず 造に非ず起に非ず為作に非ず座にあらず臥に非ず行住に非ず 動に非ず転に非ず閑静に非ず 動に非ずで転に非ず、閑静に非ずでなく、進に非ず退に非ず安危に非ず 進に非ず、退に非ず安危に非ず是に非ず非に非ず得失に非ず "彼に非ず此に非ず去来に非ず 青に非ず黄に非ず赤白に非ず 紅に非ず紫種種の色に非ず」(訓読文) 

 「青に非ず黄に非ず赤白に非ず」というのですから、一体これは何でしょうか? 一つ一つ思索をして「わかった!」と思ったのです。「ここに書かれていることが、仏の正体なのだ」とわかったのです。その瞬間に戸田先生は、法華経がわかったのです。(47に続く)


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2024年05月20日

法華経と量子力学 45

26
※『無量義経』は「仏とは何であるのか?」ということを解説しているのです。

法華経と量子力学 45

 現代人が法華経を読もうと思って、法華経のページを開くと一行目から読めません。法華経には、道理が書いてあるわけではありませんから、一行目から読めなくなってしまうのです。これが法華経の特長です。
 法華経の前座には、『無量義経』三品があります。三品とは、三章あるということです。それから、法華経の『妙法蓮華経序品第一』に入ります。前座の三品から、もう読めなくなってしまうのです。
 何故かというと、『無量義経』は「仏とは何であるのか?」ということを解説しているのです。法華経にはそんな解釈はありません。『無量義経』では、「仏の正体とは、こうですよ」と明かしています。それを読むと法華経は読めなくなってしまうのです。
 仏様とは、どんなものでしょうか? それは、簡単です。仏様には姿がありません。赤色でもなければ、紫でもありません。色はついていません。
 また大きなものでもありません。「小さいものですか?」と聞くと、小さいものでもありません。それを「34の非」というのです。「仏とは、●●に非ず」という、「34の非」が書いてあるのです。
 それにぶつかると、法華経はもう読めなくなってしまうのです。「これは一体、何であろうか? 全く読めないよ」と思ってしまうのです。
「其の身は有に非ず亦無に非ず 因に非ず縁に非ず自他に非ず方に非ず円に非ず短長に非ず 出に非ず没に非ず生滅に非ず 造に非ず起に非ず為作に非ず座にあらず臥に非ず行住に非ず 動に非ず転に非ず閑静に非ず 動に非ずで転に非ず、閑静に非ずでなく、進に非ず退に非ず安危に非ず 進に非ず、退に非ず安危に非ず是に非ず非に非ず得失に非ず "彼に非ず此に非ず去来に非ず 青に非ず黄に非ず赤白に非ず 紅に非ず紫種種の色に非ず」(訓読文) 『無量義経徳行品第一』
 「これが仏ですよ」と言っているのです。こんなものは、想像ができません。それで読めなくなってしまうのです。これを読み切ったのが、戸田城聖先生です。戸田先生は「日蓮大聖人様の信者だ」と言っても、法華経は全然わかっていなかったのです。
 戸田先生は、法華経を読んだこともなかったのです。牢獄に入れられて、「本格的に法華経を勉強しよう」と思ったのです。それで、牢獄に法華経の差し入れを頼んだのです。差し入れられたのは、白文の法華経です。白文の法華経とは、送り仮名がないということです。
 送り仮名のない漢文の法華経は読めません。「其の身は有に非ず亦無に非ず」と書かれています。戸田先生は「これは、一体なんだ?」と思ったのです。それでこの問題を解決しようとして、牢獄の中でこの問題に取り組んだのです。
 戸田先生は、数学の先生です。一緒に捕まった牧口常三郎先生も小学校校長先生だったのです。牧口先生が創ったのは、創価教育学会です。その中心になっているものは、学校の先生です。
 牧口先生は、校長先生ですから「俺の学説はこうだ」と言えば、「先生がそういうならば、私も従います」という先生が、20人くらいいたのです。創価学会の始まりは、先生の集まりだったのです。
 先生方が牧口先生の説に賛同したのです。今の学校教育は、エリートを養成していますが、残りの生徒は斬り落としです。東大に入れば、官僚になります。或いは陸軍士官学校に入れば、軍人のエリートになります。
 そのように全ての教育は、エリート教育だったのです。では、能力のない人は、どうするのでしょうか? 教育はいらないのでしょうか? そのようになってしまいます。
 東大に行く人にとっては、勉強は必要です。「その多大勢は、勉強はいらない」このような教育です。
 ところが、吉田松陰の教育を見てみると、どのような人間でも生かしているのです。ダメ人間などいません。どんな人間でも生かしていく社会が必要です。「俺は大工になりたい」という人間は、立派な大工になればよいのです。「大工になりたい」という人は、東大に行く必要はありません。東大へ行く教育と、大工になる教育は、一致しません。
 吉田松陰の松下村塾は、「全ての人間は人材である」という教育を行ったのです。伊藤博文は、足軽の子供です。「お前は外交の才能がある」と、吉田松陰は言ったのです。20人くらいいた塾生の長所をとらえて、「それを伸ばしなさい」と指導したのです。
 松下村塾の塾生は、皆、立派になったのです。今の学校教育とは違います。教育はみんなのためにあります。皆の個性を伸ばして、立派にしていくことが、吉田松陰の教育の目的であったのです。(46に続く)


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2024年05月17日

法華経と量子力学 44

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※量子力学で考えると永遠の昔は今なのです。時は存在しません。永遠の昔も、今も何も変わっていません。

法華経と量子力学 44

 例えば、ニュートンの万有引力の法則は、完成しています。大砲に弾をいれて、火をつければ、「バーン」と大砲の弾が飛びます。「何時何分に大砲の弾を90度の角度で撃てば、何時何分に●●地点に着弾する」ということがわかるのです。
 戦車の大砲もそのように計算して撃っているのです。それは、ニュートンの万有引力の法則で計算しているのです。それにより、世界の力学は全て計算できるのです。
 その後、アインシュタインの相対性理論がでてきて、量子力学がでてきたのです。量子力学の方程式は、完成されています。量子で考えれば、不思議な現象もどうってことありません。
 量子は見ている時にはあり、見ていない時には波になるのです。その力学関係は、もうわかっているから、もう終わっているのです。すると次の新しい学問がでてくるのです。それは、量子の上の学問です。これは、まだわかりませんが、量子力学は完成したのです。
 ということは、量子のレベルで物を考えると、全て解決できるのです。ただし、それは「今のところは」ということです。量子力学で計算すると、どんな問題もわかるのですから、もう完成されているのです。
 まだ解明されていない問題は、生命の問題です。「生きている」ということは、どのようなことなのでしょうか? それは、永遠に終わりません。仏教では、「久遠即末法」といいます。久遠とは、「宇宙の始めであり、永遠の昔」ということです。
 末法とは、現在のことです。「久遠即末法」とは、どのような意味なのでしょうか? 最初と末法が「即」で結ばれているのですから、不思議なことです。永遠の昔とは、現在です。
 「それは、何を物語っているのか?」というと、「時というものはない」ということを言っているのです。量子力学で考えると永遠の昔は今なのです。時は存在しません。永遠の昔も、今も何も変わっていません。
 貴方には変わっているように見えますが、量子力学から見ると何も変わっていません。それで「久遠即末法」というのです。
 「九界即仏界」の九界とは、凡夫の世界です。九界とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩の世界です。九界の上には仏界があります。「仏道修行をして、悟るのが仏界だから、仏界は九界とは違うのではないですか?」と疑問に思います。九界は悩み多き衆生の世界であり、衆生は暗闇の世界の中にいて、何もわかりません。
 仏様は九界の外にいて、全てわかっているのです。仏様のいらっしゃる世界を仏界といいます。衆生のいる世界を九界といいます。仏教では、「九界即仏界」といいます。
それから、「色心不二」という言葉があります。目で見ている世界を「色(しき)」といいます。心があるから外の世界が見えるのです。ということは、色心は不二です。心と肉体が見ている世界は、一つです。心というものが別にあって、肉体の世界を見ているのではありません。色心は不二です。
 「生死即涅槃」という言葉があります。生死は苦しみです。涅槃とは悟りです。究極の悟りの世界とは、衆生のいる九界の世界そのものが仏界です。面白いでしょう。悩みが即悟りになってしまうのです。
 すると次のような意見が出てきます。「九界即仏界ならば、仏道修行などしなくてよいのではないか」というのが、池田大作です。仏界も九界も区別がありません。「俺は九界に生きるよ。それが仏界に生きていることだろう」と曲解していたのです。
 そうではありません。「久遠即末法」「九界即仏界」「生死即涅槃」は、「理屈で言うと」ということです。本来は、一つのものからできています。そのような意味でいうと、万物は一法につながります。そのような意味では一つです。「俺は凡夫で大酒呑みだけど、成仏できるんだろう?」と聞かれたら、そんな人は成仏できません。
 この区別が大事です。「久遠即末法」の久遠の昔とは、今のことです。「久遠即末法、煩悩即菩提、生死即涅槃だから、何も仏道修行をする必要はない」と言っても、成仏はできません。
 仏道修行をした人にとって、生死は涅槃になり、久遠は即末法になるのです。仏道修行をしていない人にとって、苦しみは苦しみのままです。だから、「仏道修行をしなさい」と仏様は言われているのです。
 そのことを説いたのが法華経です。法華経と量子力学の関係は、とても深いのです。(45に続く)


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2024年05月16日

法華経と量子力学 43

535
※身体があるということは、心臓が動き、血液が流れて、不思議なことが起きているのです。全て貴方がつくったものではありません。それは貴方が生まれてくる前に設計されたものがあったのです。それが量子の世界です。

法華経と量子力学 43

 普通の人は、「妙」が見えないから、「全て私の意志で動いているのよ」と思うのです。貴方の心臓は、貴方がつくったものでしょうか? 違いますね。脳ミソをつくったのは、貴方でしょうか? それも違いますね。
 人体には、血液が流れていますが、それを貴方がつくったのでしょうか? それも違いますね。心臓は、ドクドクと血液が流れていますが、それは貴方の意志で動いているのではありません。
そのように考えるとわかるのです。身体があるということは、心臓が動き、血液が流れて、不思議なことが起きているのです。全て貴方がつくったものではありません。それは貴方が生まれてくる前に設計されたものがあったのです。それが量子の世界です。
 量子の世界で設計されてから、設計図を元にして貴方が生まれてきたのです。死ぬ時もわかりません。死は妙です。死の世界はわかりません。なんだか知らないけれども、ポクッと死んでしまうのです。
 死んだお爺ちゃんはどこに逝ってしまったのでしょうか? 「人間が死ぬと、何グラム減ったのか?}ということを量ったバカな人がいるのです。人間が死ぬと、動かない人体があります。その人が蘇生したならば、まだ死んでいなかったということです。
死んだ人は、絶対に帰ってきません。死んだお爺ちゃんは、どこへ逝ったのでしょうか? それは、妙の世界に入ってしまったのです。
 生まれてくる時も妙からでてきて、死ぬ時も妙の世界に帰るのです。実は生まれる前も設計図がありますが、「この時期に死ぬ」という設計図もあるのです。量子の世界では、完璧な設計図があるのです。
 それを「妙法」といいます。こんな簡単なことも、凡夫はわかっていません。だから、自分の意志で生まれてきたように考えているのです。「私は頭がよい」という人でも、自分で頭をつくったわけではありません。なんだか知らないけれども、頭がよいのです。なんだか知らないけれども、器量がよいのです。それは、自分でつくったものではありません。
 そのように考えてみると、生まれてくる前に設計図があったのに違いありません。死ぬ時の設計図もあったのに違いありません。わからない部分を「妙」といいます。わかっている部分を「法」といいます。
 だから、女として生まれたら、女としてしか生きられません。女は女として生きるしかありません。それも生まれる前の設計図の通りです。人間が生まれるときには、自分の意志など関係ありません。
 生まれてしまうと、病気になります。病気で死んでしまう場合もありますが、生き返る場合もあります。「妙」なる部分と「法」の部分があり、人生は「妙法」からできているのです。すごい教えでしょう。
 この目に見えない部分を現代の物理学では量子といい、その部分で設計図をつくっているのです。例えば、葉っぱを半分に切って、キルリアン写真で撮影すると、切り取った葉っぱの部分はボンヤリと写っているのです。幹まで写っているのです。
 これは言ってみると量子の設計図です。設計図を与えられているから、葉っぱを切り取ってもキルリアン写真で撮影すると、切り取った葉っぱの部分も写っているのです。設計図では、まだ切り取った葉っぱがあると認識しているので、一枚の葉っぱが写っているのです。
 それは、「妙」の部分と「法」の部分がつながっているということです。人間は量子の部分が半分はあるのですから、人体も改造できるのかもしれません。例えば、量子に働きかけることができれば、足を切断した人の足がはえてきたり、目がない人の目ができてきたりして、改造できるのかもしれません。
もともと設計図には、完璧な人体が写っているのです。元の設計図に戻すように量子が認識すれば人体はもとに戻ることができるのです。
 全ての生命には、「妙」なる部分と「法」なる部分があります。現代人は、「法」の部分だけを見ているのです。「俺を勝手に生みやがって、俺は生んでくれと頼んだ覚えはない。ババア、金を持ってこい!」などという子供は、大勢いるのです。
 「生まれてくる」という現象を言うならば、「妙」なる部分はわかりません。生まれてきたら、法の世界です。それがどんな家に生まれてこようと、「妙」なる部分は自分でつくったのではありません。これが真実です。生まれてしまえば、半分は貴方がつくった人生です。
 そこで、法華経の生命観が量子力学と一致してくるのです。今は量子の世界が、どんどんと明らかになってきています。量子力学は完成しているのです。未完成ではなくて、完成しているのです。(44に続く)

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2024年05月15日

法華経と量子力学 42

Kayama--Yuzo-1967-1
※加山雄三は、スキーもできて、スポーツマンで、ギターも弾けて、船にも乗れて、女性にモテます。「そうなったらいいな」と思うのです。加山雄三は量子の世界では、そのような設計図があって、生まれてきたのです。

法華経と量子力学 42

お釈迦様在世の頃は、天体望遠鏡などありません。ただ、自分の目で星を眺めているだけですから、「太陽も、月も、地球も、量子からできている」などということは、わかりません。
 今の物理学でわかってきていることは、太陽も月も地球も素粒子からできているのです。仏教では素粒子のことを「妙」といいます。目に見えないもののことを「妙」といいます。目に見えるものことを「法」といいます。
 「法華経とは、何を説いたものなのか?」というと、妙法を説いたものです。法華経は、このことが最初からでてくるのです。「この経は何を説いたものですか?」と聞くと、妙と法を説いたのです。
 日蓮大聖人様は、「九界即仏界」といいます。妙とは何でしょうか? 妙とは目に見えないものです。目に見えるものは法です。
 物理学で追及しているものは、物質という目に見えるものを対象としているのです。「物質の最小単位は粒だ」というのです。一つの粒から原子をつくり、分子をつくり、細胞をつくっているのです。物質の最初は粒だったのです。
 もう一方では、「粒ではなく、波ですよ」と言っているのです。量子とは、見ている時には粒であり、見ていない時には波なのです。
また、量子とは、妙法とも言えます。妙は死であり、法は生です。人間は必ず死にます。その時の状態はわかりませんから、妙というのです。生きている時は、「女で生まれた、男で生まれた」という法則性があります。
 人間は生まれると、決められた人生を歩んでいくのです。これは、法律の法ではありません。皆、定められた法を生きているのです。法の姿は目に見えます。
 例えば、馬が生まれたら、馬はどのような行動をするのかわかります。それが馬の法です。豚には豚の法があります。男にも女にも法があり、女として生まれたならば、女の法を生きていくのです。
 妙は死、法は生なり、「生死の二法は一心の妙用」(伝教大師)です。妙は死を表します。生命というものは、妙法から成り立っているのです。人生に法しかないという人は、バカなのです。
 貴方は母親から「オギャー」と生まれてきました。それは、自分で計画したのでしょうか? それは、違います。なんだか知らないけれども、「オギャー」と生まれてしまったのです。
 何故、そうなったのかわかりません。何故、女で生まれたのかもわかりません。何故、男で生まれたのかもわかりません。頭がよいのかもわかりません。もう生まれてしまったのです。
 生まれてくる力は、法の力です。「妙とは何か?」というと、法ではとらえられないものが人生にはあります。それを妙といいます。親から生まれてくる時に、設計図がないと生まれてきません。設計図がちゃんとあるのです。設計図は目に見えません。だから、妙です。妙の世界で「貴方には、このような設計図を与えます」と言われて、与えられるのです。
 成長すると、「私は頭がいいわね」「私は器量がいいわね」と思うのです。或いは「もっと器量がいいとよかった」「身長がもう少しほしかった」と思うのです。自分の身体について、文句はいくらでもあります。
 加山雄三は、スキーもできて、スポーツマンで、ギターも弾けて、船にも乗れて、女性にモテます。「そうなったらいいな」と思うのです。加山雄三は量子の世界では、そのような設計図があって、生まれてきたのです。
 この設計図がどこかで描かれているのですが、それは妙の世界で描かれているのです。妙の世界で設計図を描いてから、「オギャー」と生まれてくるのです。生まれた身体は、法ですが、元になっているものは妙なのです。妙とは、生まれる前の不思議な世界です。そこに貴方の設計図があるのです。(43に続く)


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2024年05月14日

法華経と量子力学 41

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※お釈迦様は「宇宙は三千大千世界である」ということを、ちゃんとわかっていたのです。すごい人です。まさに仏様です。

法華経と量子力学 41

 法華経の中には、「三千大千世界」という言葉があります。これは、とてつもない世界です。一つの星をすりつぶして、その一粒を宇宙に置きます。また、一粒を置いていきます。全ての塵を一つ一つ置いていくと、三千大千世界になるのです。
 しかも、それは思議することは不可能です。人間が考えることはできません。それを三千大千世界といいます。これは、法華経に出てくる仏教観です。
 宇宙をすりつぶして粉々にして、一滴にして置くと、それがまた世界になってしまうのです。この宇宙は、思議できません。考えることはできません。
現代の天文学者が望遠鏡で見てもとらえられる宇宙は、1万光年くらいまでです。その先はどうなっているのか、宇宙はどうなっているのかはわかりません。
 この話が仏教の中にあります。孫悟空が仏様に「俺は絶対に負けないぞ」というのです。「誰と競争しても、俺に敵う奴はいない。世界の果てまで行ってきてやる」というのです。
お釈迦様が「世界の果てまで行ったという証明はどうするのですか?」と聞くと、「世界の果てに行ったら俺の名前を書いてやるよ」と言ったのです。
 孫悟空は、お釈迦様の下から飛び出して、筋斗雲に乗り、世界の果てまで行ったのです。するとそこには、柱が立っていたのです。その柱に「斉天大聖(せいてんたいせい)」と書いて、お釈迦様の下に戻ってきたのです。
 孫悟空は、「お釈迦様、俺は世界の果てまで行って、その証拠に文字を書いてきたぞ」と言うのです。すると、お釈迦様は、「悟空よ、お前が書いた文字とは、これかな?」と言って、世界の果てまで伸びたお釈迦様の手が戻ってくると、指にはなんと孫悟空が書いた文字が書いてあったのです。
 そのくらい宇宙の広さは思議できません。考えることのできない大きさが三千大千世界です。このことを2500年前にお釈迦様はわかっていたのです。宇宙の本当の広さは、現代の天文学でも、まだわかっていません。
 地球は、銀河系に属していますが、銀河系にはどれだけ多くの惑星があるか量り知れません。一大千世界の中にも数限りない星がありますが、それだけ見ても大宇宙です。一大千世界をまたすりつぶして1滴を置いて、その宇宙が発達したのですが、そのような宇宙が三千あるというのです。
 一つの宇宙だけでも、思議することはできません。それが三千もあったら、「宇宙はどうなっているのか?」などということは、全くわかりません。
 ところが、お釈迦様は「宇宙は三千大千世界である」ということを、ちゃんとわかっていたのです。すごい人です。まさに仏様です。
 現代人が天文学で考えても、宇宙の本当の広さはわかりません。星の一つ一つは、量子からできているのです。量子がわからない人が、宇宙を見ても全くわかりません。私たちの地球は、銀河系に属しますが、宇宙にある星雲は、銀河系だけではありません。アンドロメダ星雲もあれば、シリウス星雲もあれば、バラ星雲もあれば、ペガサス星雲もあります。星雲の数だけでも、どれだけあるのかわかっていません。
 銀河系だけでも、どれだけの星があるのかわかっていません。お釈迦様はたった一人で、「宇宙は、三千大千世界である」と見抜いていたのです。
 しかも、一つ一つの星は、量子からできています。「量子でできている」ということは、生死の量子からできているのです。「生まれたり、消えたり」を繰り返しているのです。或いは、UFOのように一つの量子が、2つの量子になったりしているのです。
 大宇宙は、三千大千世界です。とてつもなく大きな量ですから、人間の頭では思議できません。それをお釈迦様は悟られていたのです。お釈迦様は2500年前に宇宙の実相を悟られていたのです。(42に続く)


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2024年05月13日

法華経と量子力学 40

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※聖書では、[In the beginning God created the heavens and the earth.]と言われています。「神が私を創ったのだ」と思った瞬間に我(が)が発生するのです。我(われ)というものは、苦の連続です。

法華経と量子力学 40

 歌手にしても、有名人にしても、「有名になりたい」というのは、我(が)の働きです。戦争も我(が)の働きです。人の物を奪うのも我(が)の働きです。人を殺すのも我(が)の働きです。我(が)の働きにより、業が連続してしまいカルマを背負ってしまうのです。
 仏教では、無我を説きます。無我を教えるためには、我(が)を教えて、業を説かなければわかりません。自分で自分を生み出してしまったのですから、我(が)を維持しなければいけません。そこから悪さが始まるのです。それが業になってしまうのです。
 生きている間、その業がずっと連続しているのです。その我(が)は、久遠元初という永遠の始めから続いているのです。
 お釈迦様は「我(が)というものは、存在しない」と説かれたのです。そのように言いながら、我(が)は存在します。小我(しょうが)と大我(たいが)というものがあります。
小我(しょうが)とは、自分だけの我(が)です。大我(たいが)とは、宇宙のもっている我(が)のことを言います。そのように言う人もいます。大我(たいが)のほうは、なくなりません。小我(しょうが)という自分に属する我(が)は、死んでしまえばなくなります。自分が死んでも生命を創り上げている根本のものはまだ続いているのです。
 宇宙から我(が)を切り取って、それを「私」だと思っているのです。その我(が)は死ぬと消滅するのですが、量子の段階で残っているのです。量子の流れを見ていくとそうなのです。
量子の段階で人体の設計図をつくって、人間は生まれてきます。事故で片足がなくなっても、キルリアン写真を撮ると、事故で失った足が写っているのです。
 僕はキルリアン写真を見たことがあります。葉っぱを半分に切って、キルリアン写真を撮ると、切り取ったはずの葉っぱが写っているのです。葉っぱの形で発光しているのです。そのようなことから見ていくと、人間が生まれるときには、量子の陰のようなものがあるのです。それは、量子の時に人間の形の設計図があったということです。
 空中から影絵のように人間の形を切り取っているのです。宇宙から切り出された人間、材料は量子です。宇宙から切り出して「私は独立しているのよ」と思うのが、我(が)というものです。
 我(が)を持っているから、業を相続しているのです。業はなくなりません。悪いことは、全て続いているのです。そのような面から考えても、「生きている」ということは、あまりよいことではありません。「生きている」ということは、苦しいことです。
 お母さんのお腹の中から、「オギャー」と生まれてきたことも、苦しいことです。それで病気になれば苦しいのです。死ぬこともまた苦しいのです。人間は苦から始まり、苦で終わるのです。
 その中間が人生です。そこでどんな夢を見ようと、よい夢もなければ悪い夢もありません。悲しい夢も全て自分で創りだしているのです。
 「何故、生まれたのか?」ということは、動物を考えてみればよくわかります。動物はなりたくて動物に生まれたのです。動物は皆、喜んでいるのです。サルは「キャッキャゥキャッ」、ライオンは「ガオー」、犬は「ワンワンワン」と鳴いて喜んでいるのです。
 でも笑いはありません。動物は笑いません。「ケッケッケッ」「ヘッヘッヘッ」などと笑っている動物はいません。生命そのものが苦の中にあるのです。
 ただし、それは「お釈迦様から見たら」ということです。お釈迦様から見たら、生きているということは、全て苦なのです。何をやっても苦しいのです。誰人も苦しみから逃れることはできません。
 宇宙から飛び出さなくてもよいのに、生命は飛び出してしまったのです。宇宙に溶け合っていれば、何も問題はなかったのです。「これが私だ!」と我(が)を張って、ポコッと生まれてきてしまったのです。
 聖書では、[In the beginning God created the heavens and the earth.]と言われています。「神が私を創ったのだ」と思った瞬間に我(が)が発生するのです。我(われ)というものは、苦の連続です。
 小学生、中学生、高校生になると、成績を競いあうのです。成績が悪いと先生から呼び出されたり、親からお小言を言われたり苦の連続です。結婚すると、奥さんと上手くいかなかったりすると苦の連続です。子供が生まれると、子供が反乱するから苦です。どこにも幸せはありません。
 年頃になると病で死ぬ人もいるのです。自然災害もあれば、交通事故もあります。安心できる人生など、どこにもありません。本当に安心できる場所は、生まれる前の場所です。元に帰ることを成仏というのです。
 宇宙から切り取った自分を、切り取る前の元に帰せばよいのです。すると、出るものもなければ、引っ込むものもありません。「若退若出(にゃくたいにゃくしゅつ)。亦無在世(やくむざいせ)。」です。因果がなくなってしまうのです。それを「因果俱時・不思議の一法之れ有り」(当体義抄)というのです。
 因果倶時は、不思議の一法です。「妙法とは何か?」というと、自分とも言えるのです。鉄を見たり、元素を見て「妙法とは何か?」と思っても、見えるわけがありません。
 元に帰るしか、幸せはありません。宇宙の空間にピタリと自分がはまっていけば幸せになることができるのです。それがずれていると、苦しみも大きくなってしまうのです。
 これが一つのものの考え方です。一つのものの考え方と言ったのは、完璧にそうだというわけではありませんが、分子生物学でも「生命は自分の意志で創ったのではないか」と言われるようになってきたのです。それは、仏教で説いていることと同じことです。(41に続く)


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2024年05月10日

法華経と量子力学 39

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※仏教では、宇宙の始めを久遠元始といいますが、久遠元始には何があったのでしょうか? それは我(が)があったのです。久遠元初自受用報身如来という仏様は、誰にも教わらないで世世番番(せせばんばん)の成仏をされた仏様です。これは、ものすごく深い哲学です。

法華経と量子力学 39

お釈迦様が最初に説かれたのは、「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静」の三法印です。何故、貴方は自分がいると思っているのでしょうか? 本当は自分などありません。宇宙の始め、まだ「個人」という生命がわかれていない時は、我(が)などありません。
 自分を分けたものが、我(が)なのです。宇宙全体から「これは私だ」と切り取ったものが、我(が)なのです。今、生きている貴方は、「これが私なのよ」と言って、宇宙から切り取った後の姿です。だから苦しみが生じるのです。我(が)がある以上は、苦しみはなくなりません。
宇宙には本来、我(が)などありません。鉄、マンガンなどの元素が集まったものが、最初の宇宙です。生命が集って、凝縮していたわけではありません。
 宇宙から切り取って我(が)ができたことにより、我(が)が生命をもったのです。それは、生物学から見る見方とは違います。我(が)をつくったから、生命が生まれて我(が)に執着しているのです。
 ということは、お釈迦様の「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静」という三法印の教えは、ものすごく偉大な教えです。この教えは、宇宙の始まりまで説いているのです。
 分子生物学では、やっと最近、「最初に意志があり、何だかわからないけれども生命ができた」と言っているのです。生命ができれば、細胞ができてきて、目、鼻、口、耳、皮膚らしきものができてくるのです。
 生命ができる前の最初には、意志というものがあったのです。意志とは、「我(われ)」ということです。仏教の理解の仕方は深いのです。宇宙の最初には、我(が)があったのです。「生まれてしまった後には、何があるのか?」というと、それが業です。
 一旦、生命として生まれてしまうと、すぐに業ができてしまうのです。生命として生まれると、すぐにお腹が空いて、自分以外のものを食べるのです。これが業というものです。
 草を食べるもの、牛を食べるのも、豚を食べるのも、業です。自分で生命は維持できないから、自分以外のものを食べるのです。自分以外のものを殺して食べるのですから、業が連続してしまうのです。
 生命を連続して食べることにより、自分は生きているのです。「ここにある豚を食ってしまおう」と思って、パクッと食べると、業を負ってしまうのです。「生命を食べる」ということは、業を背負うことになるのです。食べることにより、業の連続が続いているのです。
 自分がつくった我(が)はなくなりません。仏教では、それをもっと深く説いているのです。仏教で生命は、永遠の存在ですから、命を元に戻していくのです。
 仏教では、宇宙の始めを久遠元始といいますが、久遠元始には何があったのでしょうか? それは我(が)があったのです。久遠元初自受用報身如来という仏様は、誰にも教わらないで世世番番(せせばんばん)の成仏をされた仏様です。これは、ものすごく深い哲学です。
 「最初の仏様は、久遠元始という何もない時に、何を悟ったのか?」というと、「無我」ということを悟ったのです。「自分は存在しないのだ」ということを悟ったのです。「自分は存在しない」ということを悟れば、業は消えるのです。
 生命は、生きるために業をつくっているのです。他の生命を殺して食べるのです。それをやらないと生命は、1日も生きられません。我(が)をつくってしまったから、我(が)のために他の生命を殺して食べて自分が生きているのです。
 仏様は久遠元初自受用報身如来の時に、「我(が)はない」と悟ったのです。我(が)というものは、大変難しい問題です。生命とは、なぜ生まれたのでしょうか? 我(が)をもったから生まれたのです。生まれたから業を持つのです。
 「私」という我(が)が生まれて、「お前を食ってよいのだ」と思うのです。この流れが今日まで続いているから、人間から戦争がなくなりません。戦争とは、「お前、食ってやるぞ!」という争いです。「俺が、俺が、俺が」の争いです。
 宇宙の始めには、我(が)はなかったのに、生命はなぜ生まれてきたのでしょうか? 生命とは、何でしょうか? 生命は不思議でしょう。キリスト教徒は、「神様が生命を創った」と考えています。仏教は自分で我(が)を創ったのです。このような違いがあります。
 最近の分子生物学ではやっと、生命の根源について触れることになってきたのです。量子力学で生命の根本を見ようと思っても、見ることはできません。生命の誕生は、人間にとって一番大事な秘密です。
 生命誕生の正体は、我(が)にあったのですから、不思議でしょう。我(が)があったから、生まれてきたのです。生まれると「私」というものを感じ取り、生命は業の連続で生きているのです。
(40に続く)


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2024年05月09日

法華経と量子力学 38

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※アンドロメダ星雲

法華経と量子力学 38

 最近の分子生物学の最大のテーマは、「無生物から生物ができるのか?」ということです。分子生物学とは、ゲノムの解明を介して、生体の生理的作用や病気のメカニズムなどを明らかにする学問です。
様々な元素を集めて紫外線でも当てて、「エイ、ヤー!」と人間が言っても、生物はできません。生物は何からできているのかというと、無生物からできているのです。
 人間の体の中には鉄も入っていれば、カルシウムも、水も入っています。これは、生命のない元素です。生命のある元素などはありません。もちろん細胞はあります。細胞があるということは、すでに生命ができているのです。
 宇宙には無生物の元素が充満しているのです。それがある時、生物ができてきたのです。生物と無生物は同じものです。「宇宙の始めには何があったのか?」というと、「意志があったらしい」というのです。
 聖書では、[In the beginning God created the heavens and the earth.]といいます。これは、神の意志のことを言っているのです。まず、始めに神の意志が存在したのです。神は、「この世界を創ろう」としたのです。
 キリスト教は、「最初にあったのは、神の意志なのだ」という考え方です。人間は、その考えがぬけないのです。マホメットのイスラム教にしても、最初に神の意志があったのです。それから生命ができたのです。
 これは、現代の生物学的には「正しい」と言われているのです。まず、始めに意志があり、生命ができてきたのです。生命は細胞からできています。細胞というものは、無機物からできているのですが、先に神の意志があったのです。
 「仏教では何と言っているのか?」というと、最初にあったのは神の意志ではありません。これは、非常に難しい話です。宇宙の始めには何があったのでしょうか? それは、我(が)があったのです。「我(われ)」と思う我(が)があったのです。
 「我(われ)」と思う我(が)がなければ、生物は生まれません。「我(われ)」と思うものが、宇宙のどこかにあったのです。宇宙全体は一つのものです。アンドロメダ星雲があろうと、シリウス星雲があろうと、生命は一つです。
 最近、分子生物学で言われていることは、「宇宙の始めには、意志があったのだ」と言われているのです。これは、神の意志ではありません。分子生物で言われているのは、何だかわからないけれども、意志があったのです。
 その意志があり、生命ができたのです。「意志とは何か?」と考えてみた時に、意志とは「我(われ)」ということです。そのような意識が最初に目覚めたのです。「初めに我(われ)あり」です。
 「我(われ)あり」と思わないと、生物などできません。無生物の元素をたくさん集めて、「我(われ)あり」と言っても、生物はできません。
 無機物の宇宙から、何らかの関係性があって、何もない宇宙から「私」が飛び出してきたのです。この考え方は、面白いでしょう。仏教では、そのように説いているのです。何もない宇宙から、いきなり「私」が飛び出したのです。
 「その「私」とは、何ですか?」というと、「我(われ)」ということです。それを我(が)というのです。我(が)があったから、生命は生まれてきたのです。わかりますか? 
仏教の入門をすると、「我(が)はないのだ」ということを始めに教えられるのです。我(が)はありません。生命は、無我なのです。
 お釈迦様は菩提樹の木の下で悟られたのは、「我(が)はない」ということです。我(が)はないのですが、凡夫は「我(が)はある」と思い込んでいるのです。これが、仏教の教えの第一番にでてきます。
 本来は、無我なのに「私には我(が)がある」と凡夫は思い込んでいるのです。皆さんも「我(が)がある」と思っているでしょう。ところが、我(が)はありません。「我(が)はある」ということ事体、凡夫の見方がひっくり返っているのです。これを、顛倒虚妄(てんとうこもう)と言います。
 「私がありたい」という意志があったから、生命ができたのです。生命ができた根源のものは、我(が)だったのです。お釈迦様は、そのことに気が付いて、無我を説いたのです。(39に続く)


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