2017年01月19日

人間の探究 682 僕は第一原理しか興味がない

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※キリスト教は膨大なカトリックの教会が建ち、教会は天に伸びるように建てられています。有名なスペインのサグラダ・ファミリアはまだ完成していません。

人間の探究 682 僕は第一原理しか興味がない

 西洋哲学では第一原理があります。これを巡った哲学の論争が「第一原理論争講」といいます。難しい言葉で言うとそうなのですが、易しい言葉で言うと「何が一番大事なのか?」ということです。物事には始まりがあります。
 例えば宗教で考えてみると、宗教の始めは神との対話だけです。建物はありません。キリストは洞窟の中で説法して、そこで何人かが聞いたのです。それが何千年も経つとキリスト教は膨大なカトリックの教会が建ち、教会は天に伸びるように建てられています。有名なスペインのサグラダ・ファミリアはまだ完成していません。
 神父さんは絹の衣を着て、金の冠をかぶって、金の十字架を持っています。豪華絢爛です。そうなってしまうのです。キリスト教の最初は洞窟で初めた説法です。時代が経つとどんどんきらびやかになっていくのです。
 これは仏教も同じです。考えてみてください。仏教は出家の法です。社会を出て、家を出るのですから、何も持ちません。持ってよいものは袈裟だけです。袈裟は糞掃衣(ふんぞうえ)といい、道に落ちている布を縫い合わせて袈裟をつくります。その布は牛の糞で汚れているから黄色くなっています。今でもスリランカやチベットでは、お坊さんは黄色い袈裟を着ています。
 生きている以上ご飯を食べなければいけないので、お茶碗1個はもってよいのです。これが坊さんになって修行する人が持つものです。托鉢用のご飯の入れ物と、着るものは袈裟です。これが仏教の原点です。ところが、2500年も経つと、とんでもなく大きな大仏を造ってしまうのです。それが東大寺の大仏です。大仏を造り、お寺は堂塔伽藍です。儀式にいたっても荘厳です。何百名もそろってピーチクパーチクです。これは仏教が出来上がったものなのです。
 僕は、第一原理しか興味がありません。「この宗教の本質は一体何か?」「この人の本質は何であるのか?」という第一原理です。この第一原理さえ見抜けば、「これはウソだな」「これは本物だな」と、みんなわかってきます。
 例えば経典は声を出して読みます。これに節回しをつけたり、変な読み方をします。念仏宗では経典が歌になっています。坊主が美声で歌うと女がしびれたのです。演歌歌手のようなものです。それでは意味がありません。
 仏教の本当の姿とは何でしょう。学問もそうです。「学問は何から成り立っているのか?」と原点を決めるからできてくるのです。万物は何からできているのでしょう。万物はアトムから出来ています。これはギリシャ人達が考えたことです。「この世界には木・山・海など様々な物がありますが、たった一つの原子から創られているのではないか?」とギリシャ人は考えたのです。
 その一つのものを原子と言ったのです。それから5つの元素(地・水・火・風・空)が発見されて、現代では118個の元素が発見されています。こんなものから成り立っているのです。118個の元素のお互いの関係はどうなっているのでしょう。
 金はずっと金なのでしょうか? 鉛はずっと鉛なのでしょうか? そのように見ていくと、どうもそうではありません。金も鉛になったりするのでしょうか。これを表しているのがウランの原子分裂です。原子が変わってしまうのです。「118個の元素は元はと言えば、たった一つのものからできているのではないか」と考えたのです。これが原子論です。
 原子核があり、原子が様々なものをつくるから金になったり、鉛になったりするのです。「原子が最終の物質だ」と思ったのですが、そうではなかったのです。原子にも電子があり、原子核がありクルクル回っています。原子核の真ん中には中性子というものがあり、詰まっているのです。
 「原点がまだあるのではないか?」と考えたのですが、これ以上先には進めません。素粒子というものが、18種類くらいあります。いくら追及しても1個にはなりません。まだ先があるのです。そのようにして原点を探しているのが現代の物理学です。
 「原点は一つに違いない。究極のものはどうなっているのか?」と探しているのですが、物理学ではわかりにくにのです。そのような意味で究極なもの、原点は一つです。それが大事なものです。
 僕は原点にしか興味がありません。歴史で言うならば「日本の歴史の原点とは何か?」ということです。日本は現在発展して経済大国ですが、元は一体何でしょう。日本というものの原点は何でしょう。朝鮮の原点は何でしょう。シナの原点は何でしょう。僕は原点を考えるのです。
 僕は宗教の原点についてはわかっています。結論から言うとすべてウソです。キリストの教えでもないし、仏陀の教えでもありません。そこにでっち上げられた世俗の仏教、世俗のキリスト教があるだけです。すべての宗教は人をだますところから始まっています。イエスの教えとは何の関係もありません。お釈迦様の教えと何の関係もないのが、仏教界の真の姿です。
 原点を見ればよいのです。「安倍さんとはどのような人間か?」ということはわかりません。やっていることを見ると、「よい人だ」と言う人もいれば、「悪い人だ」という人もいます。安倍さんには、大事な原点があります。安倍さんは統一教会です。これが原点です。ここから見ればすべてわかります。
 何故、統一教会なのかというと、合同結婚式で祝電を送っています。まして、統一教会はお爺さんの岸信介がつくった宗教です。安倍さんが統一教会でも何の不思議もありません。そうに違いありません。韓国に対する仕打も非常に弱く寸止めです。
 統一教会の教えは「世界の中心は韓国だ」という教えです。「神の国は韓国で、日本は悪魔の国だ」と教えているのです。これは日本人にとって許してはいけない宗教です。こんなものを担いで日本に持ってきた奴は大悪人に違いありません。どんな理由があっても絶対に跳ね返さないといけない悪思想です。安倍さんはこれを持っているのです。結局、安倍さんの根底には韓国人に対する尊敬があるのに違いありません。
 舛添元東京都知事も朴 槿惠の手を握って舌なめずりして「やらしてもらいたい」と思ったのでしょう。写真のギラギラとしたいやらしい目に現れています。そんな気持ちが半分、安倍さんにもあるのです。
 だから毅然とできないのです。ある程度毅然とした態度は見せますが、韓国を追い込みません。大使ももう「韓国に帰す時期」などと言っています。帰すものではありません。まして、安倍さん本人は朝鮮人だというウワサもあるので、どうも突っ込みが足りないと思います。歯切れが悪いのです。
 しかし、「なぜこんな行動をするのか?」と考えてみると、安倍さんの行動は朝鮮人の行動とピッタリとあてはまります。外面がよく、金もないのに見栄を張るのです。朝鮮人はたくさん食べもしないのに30品以上おかずを出して、残すのが偉い証拠だといいます。日本人はそんな文化はありません。朝鮮人は見栄を張ります。「こんなにたらふく食っているのだ。だから俺は金持ちに違いない」と考えて自己満足するのです。
 安倍さんは同じことをやっています。国が赤字でヒイヒイ言っているのに、大判振る舞いをしているのです。ドゥテルテには1兆2千億円あげるのです。今度はインドネシアに行ってまたお金をあげるのです。どれだけお金をあげたらよいのでしょう。お金をあげれば尊敬されます。外面はよいですが、内面はどうなのでしょう。年金は切り崩し、医療費は高くなり、物価は上がり、どんどんよくない方向へ行っています。
 自衛隊は米軍の下請けとなり、戦争もできるようになったのです。これもよくないことです。安倍さんは本当の愛国者ではありません。お爺さんが韓国から持ってきた宗教を信じているような奴が愛国者であるはずがありません。安倍が言った「美しい国日本」は、統一教会日本会長の久保木修己が書いた『美しい国日本』と全く同じです。
 安倍さんの背後では統一教会が糸を引いているのに違いありません。世耕大臣も統一教会の大幹部です。稲田朋美、高市早苗、高村正彦も統一教会だと言われています。高村正彦は元統一教会の顧問弁護士です。安倍内閣は統一教会内閣です。この連中は本当に日本の国のためになることはやりません。このように見ていくと本質がわかってきます。僕は本質を見ています。本質を見ないから騙されるのです。騙されない人間になっていきましょう。

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2017年01月18日

人間の探究 681 創価信者とビートルズ

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※ビートルズの根底に流れているのは、英国のタヴィストック研究所で研究された人間を駄目にする音楽です。それに基づいてつくられたのがビートルズの音楽です。

人間の探究 681 創価信者とビートルズ

 ジョン・レノンのファン程度ならばまだ救われます。ところが熱狂的になってしまい、ジョン・レノンが教祖になってしまった人間を「ビートルズ教徒」といいます。これは救われません。何故、救われないのかというと、ビートルズの根底に流れているのは、英国のタヴィストック研究所で研究された人間を駄目にする音楽です。それに基づいてつくられたのがビートルズの音楽です。
 ビートルズの信者になってしまった人間は、もうビートルズ以外は一切信じません。ビートルズの音楽は一切の価値を否定します。価値の根本になるものは親です。親も尊敬しない、学校の先生も尊敬しません。社会的権威のある人も尊敬しません。国もいらない、伝統もいらない、何もいらない状態です。これからのものに不信感を持っているのです。「親も先生も国もみんな邪魔なんだよ。我ら若者の邪魔にしかならないんだよ」という考えです。
 彼らが唯一価値を置いたのは、ロックンロールのビートです。ビートが始まってしまうと一切がすっ飛んでしまうのです。どんな価値もすっ飛んでしまうのです。本当にそうなのです。ビートルズ教徒になった人は頭が狂ってしまい、親の言うことは一切聞きません。何故、そうなるのでしょう。
 イギリス女王がビートルズに“サー”の称号を与えたときに、ビートルズは断ったのです。ところが権力側も上手いのです。彼らを取り込んでしまったのです。ローマ帝国がキリスト教を取り込んだようにイギリス王室にビートルズも取り込まれてしまったのです。
 ビートルズはろくでもないことをやっていたのですが、“サー”(貴族)になったのです。この音楽の虜になってしまうと、人との話は一切できません。自分たちの価値観しか信じません。「世の中で何が大事な価値か?」というと、「ビートだよ!」と答えます。「それが俺の心を喜ばせるものであり、それ以外に価値はない!」と言うのです。そうなってしまうのです。
 これは誰かに似ていませんか? 創価学会に似ているのです。ある創価学会のオバチャンと話をしたら、「人間10人集まれば価値観が違うのだから、人の話をよく聞いて、それで結論を出せばいいのよ」と言うのです。「あれ、おかしいんじゃないの? 創価学会は人の話を聞かないでしょう。自分の考えを押し付けるために聞くんだよね」と僕が言うと創価学会のオバチャンは黙ってしまいました。
人の話をよく聞く創価学会のオバチャンなどいたためしがありません。学会員は一切の話を聞きません。池田大商人の話と、選挙の話以外は一切聞きません。
 学会員は普段付き合いもないクセに選挙のときだけニコニコ笑って訪ねてくるのです。普段は絶対に来ません。傍から見ているとビートルズの信者さんも、創価学会の信者さんも、全く同じ行動様式です。両方共に人の話は聞きません。「価値観は自分のみにあるのだ」「尼崎平和講堂に価値はあるのだ」このような価値観です。何が「10人から意見を聞いて」なのでしょう。人の意見など絶対に聞いていません。
 このような価値観にはまってしまうと何を言ってもダメなのです。ビートルズ教も創価信者も何を言っても話が通じません。
 昔の創価学会は「東の立正佼成会、西の天理教を討て!」と戦った時代があったのです。嘘だと思うならば、昔の聖教新聞を見てください。僕は真面目な人間だから立正佼成会に戦い挑んだのです。
 1回目行くと立正佼成会の会員が「帰ってください」といいます。「すいません、学会の者ですが、お話に来ました」というと、「そうですか。お話はしません。帰ってください」と言うのです。「いや、ちょっとだけでも」と言うと「帰ってください」と言うのです。3回言われて帰らないと「警察を呼びますよ!」と言うのです。ですから、論争どころの騒ぎではありません。立正佼成会と論争はできないのです。僕はやってきたから、いろいろなことを知っているのです。
立正佼成会の会員は色情狂です。立正佼成会の会員はみな色情の因縁を持っていて、お互いに関係を持ってしまうのです。立正佼成会の本部の建物は最初はピンク色だったのです。ピンク色は色情狂を表しています。言うならば、立正佼成会は「ピンク教」です。本当にそうなのです。お仲間意識ですから、学会員が押しかけていき「貴方がたは正しいのですか?」と聞かれても「お話しません」と言うのです。
 これと同じ現象が今の学会に起きているのです。法華講の樋田昌志君が学会員に折伏攻撃をかけます。「学会はニセ本尊を拝んでいるだろう」と言われると黙ってしまうのです。3回くらいそれを言うと「帰ってください。創価学会は口を聞きません。帰ってください。帰らないと警察を呼びますよ!」と言っているのです。立正佼成会と同じです。
 どうしてこんな姿になってしまったのでしょう。創価学会と言えば理論的に日本一で「誰が来ても破れない!」という理論があったのです。だから僕も信仰したのです。
日蓮大聖人様の教えは「負けたならば止めなさい」と言われているのです。何が何でも権力にしがみついて「俺たちの団体は世界一だ」と言っても、そんな中に価値はありません。
 日蓮大聖人様は「道理でいきなさい」と言われているのです。「予が弟子等は我が如く正理(しょうり)を修行し給え。」(十八円満抄)に書いてあります。正理(正しい理)とは、100人が集まっても同じ結論が出るのです。正しくない人が100人集まれば曲がった意見が出てきます。
 その中で「正しい理とはどのようなことか?」と追及していくことが、日蓮大聖人様の仏教の第一義です。その証拠にまず一番に習うことは内外相対論です。内道と言われる仏教をすべて束ねたものと、外道(キリスト教、バラモン教、ヒンズー教、イスラム教、ユダヤ教)と言われる仏教以外の教えは、どう違うのでしょう。「何故、我々は仏教を信じるのでしょう。他の宗教を信じてはいけないのでしょうか?」ということをしっかりと勉強して、わかってから次の段階に進むのです。
 学会員は「内道と外道はどう違うのですか?」という質問に答えられるのでしょうか? 学会員は勉強もしてないし、誰も答えられません。「内道は因果を説いて外道は因果を説かない。従って内道は外道にすぐる」ぐらいの教科書的な答えは出るだろうけれども、そんな浅いものではありません。仏教と他の宗教は何が違うのでしょう。これを極めてから仏教に入るのです。今度は仏教の内容について「大小相対」を勉強していくのです。入り口論が大事です。それを勉強していくことが、「日蓮大聖人様の仏教を極める」ということです。
 お題目を何回唱えたとか、大石寺の本尊を拝んだとか、くだらないことを言っているものではありません。そのような中に日蓮大聖人様の仏教はありません。日蓮大聖人様の仏教は道理です。話をすれば誰でもわかるのが道理です。力づくで「これを信じろ。信じなければ首を斬るぞ!」というのは道理ではありません。
 道理とは誰が聞いても「なるほど、その通り」というものです。道理を信じることが正理(しょうり)です。
 昨日も森山愛子ちゃんの『旅烏』を載せましたが、旅烏は道理を知りながら、道理を外れて生きるヤボな男の歌です。創価学会はヤボなんです。学会には道理はありません。選挙運動をするとなぜ功徳を受けるのでしょう。誰がそんなことを言っているのでしょう。選挙運動は仏道修行ではありません。
 人間としての筋道と正しい道を極めていくことが仏道修行です。学会員はその段階で正しい信仰から降りて、外道の宗教になっているのです。だから樋田昌志君に折伏されて逃げ回っているのです。
 創価学会の大幹部でも家の中から鍵を閉めて、法華講員が訪ねていっても出てきません。ネットの映像に残っています。学会の幹部は鍵を掛けた家の中から「帰ってください」と言い、「ちょっとでもいいからお話しませんか?」と法華講員が言うと「お話はしません!」と言うのです。
 堂々と話ができなくなった時点で負けです。学会員は僕とも話ができません。尼崎平和講堂のオバサンは幹部から「アホの中杉を相手にするな」と言われたのでしょう。頭がおかしいのは尼崎平和講堂のオバサンです。文句があったらいつでも来なさい。何人でもいいから押しかけて来なさい。それが正しい信仰です。
 樋田昌志君でもいいですよ。彼は絶対に来ません。樋田昌志君は一言もありません。参ってしまうのです。何が板本尊なのでしょう。簡単なことです。仏教は道理を説いたものです。自灯明を説いたものです。「自ら明かりを灯して進め」と言われているのに、御本尊を拝めば成仏するのでしょうか。それは仏教ではなく、そのもの自体が外道です。
 自分の中に成仏という光があるのです。それを見ないで外にある御本尊を拝めば成仏するなどという馬鹿なことはありません。こんなことは一発で終わりです。
 僕は喧嘩の名人です。かかってきなさい。僕は教えてあげているのです。入り口で叩くのです。韓国は植民地にしたのではありません。「植民地にした」と、国際政治学者の三浦瑠璃や田母神さんまで言っています。そこから話が始まるのです。韓国は植民地ではありません。植民地とは相手を奴隷にして物品を奪い去ることをいいます。日本は韓国から何も奪っていません。
 韓国は北のロシアと西の清に対して単独では守れないので、「日本に併合してもらおう」と頼みにきたのです。議会で承認して「植民地になろう」などと言うわけがありません。そんな植民地はありません。韓国は「日本になってしまおう」と言ったのですら、これは植民地ではなく合弁です。
 安重根が暗殺した伊藤博文は、日韓併合は大反対だったのです。「朝鮮を併合したら毎年国家予算の15%以上のお金がかかる」と思っていたら、その通りになってしまったのです。植民地は収奪するものです。日本は反対のことをやってあげたのです。韓国の李王家を皇族にして、梨本宮方子様をお妃にして、両班の上級貴族を72人も公侯伯子男にしたのです。そんな植民地があるのでしょうか。
 学校は1万校創り、大学も創り、製鉄所を造り、ダムを造り、鉄道を造り、日本にした以上、同じレベルまで引き上げないといけないから一生懸命やってきたのです。それを朝鮮人は逆恨みをしているのです。これは逃げるためです。
韓国は日本だったのです。戦後、GHQに「朝鮮人は日本人と戦ったんだろう。お前達も処罰する」と言われて「違います。無理矢理植民地にされたのです。朝鮮人です。我々は戦勝国です」と言って逃げたのです。何が戦勝国なのでしょう。
 日本人として戦ったのです。朝鮮人の将校は3千人もいたのです。何が「強制労働をさせられた」というのでしょう。冗談ではありません。戦争中、日本人は小学生からみな労働していました。日本国民ならば当たり前です。
 朝鮮人は創始改名されたなど、ウソを言うものではありません。朝鮮人で一番出世したのは、洪 思翊(ホンサイク)中将です。朝鮮名で、しかも中将です。朴 槿惠もお父さんは大日本帝国の中尉です。都合が悪いから、戦後はその人たちを弾圧したのです。朝鮮人はウソばかり言っているのです。それを一言も入れてはいけません。
 韓国は植民地ではありません。日本と韓国は合弁したのです。日本が戦争に負けたら、裏切ったのが韓国です。それを忘れてはいけません。「それを認めない限り、韓国とは議論しません」と言えばよいのです。それが喧嘩というものです。
 日本人は「植民地にしたことは間違いありません」と朝鮮人のウソを認めて洗脳されているのです。これではダメです。入り口で叩くのです。
 僕のように入り口の研究をすればわかるのです。「仏教の入り口とは何か?」「人間は何のために生きているのか?」という基本的なことを勉強するのです。それを勉強すれば人間は立派になってきます。正理会の会員ならば誰が来てもやっつけられます。誰も敵わないから来ないのです。
 学会員は大いに恥じなさい。池田大作大商人にウソをつかれて「文化大恩の国韓国」「卵はケルンと言う」「ソウルの夜景は美しい」などと馬鹿なことを信じているものではありません。ドブだらけのソウルをキレイにしてあげたのは日本です。目覚めよ、創価学会員!

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2017年01月17日

人間の探究 680 日下公人(くさかきみんど)さんの話


※森山愛子『旅烏』クリックすると歌が聞けます。

人間の探究 680 日下公人(くさかきみんど)さんの話

 正月の談話でこのような話があります。日下公人(くさかきみんど)さんは「やがて世界は日本を中心にした国家になっていくでしょう。アメリカはどうすればよいのですか?」と質問します。答えは「アメリカは宗教を止めればよい」と日下公人さんが言いました。キリスト教社会では限界があります。だからキリスト教を止めればよいのです。日下公人さんは非常に面白いことをいいます。ハッキリしています。そうすればアメリカはよくなるのです。
 日下公人さんは日本教徒です。宗教は何も信じていません。くだらないことは止めればよいのです。宗教は人間を歪めるもの以外、何物でもありません。『旅烏』に「♪義理と人情で広い世間を狭くして♪」という歌詞があります。義理と人情を掛けると人間は狭くなってしまいます。本来、人間は自由です。義理や人情を掛けると行動範囲が狭くなってしまいます。義理と人情で世間を狭くしているのです。そのような歌です。
人間に縛りをかけるものは、できるだけ取り除いていけばいいのです。宗教とは人間に最大の縛りをかけるものなのです。キリスト教をかけられてしまったら毎週日曜には必ず教会に行かなければいけません。日曜には安息日、感謝祭など、様々な縛りが多いのです。ユダヤ教の縛りはまた違います。これが人間の行動を狭くするのです。
人間の凶暴な面を抑えて平和にするならばよいのです。凶暴な面がでないようにして、平和な心よい心が出てくる宗教ならばよいのです。しかし、人間は360度物が考えられるのに大部分の宗教は、脳の働きを低下させて300度くらい奪ってしまうのです。
 創価学会もそうです。残りの60度の視野で生活しているのです。60度の視野で生活しているのでは成功するわけがありません。人間が持っている脳を360度すべて使って「こうだ、ああだ」と考えて初めて成功するのです。300度は宗教で縛りを掛けられているのです。「板本尊が絶対だ」と言われて縛りを掛けられているのです。「池田大作先生以外の話は聞かない」と縛りがかけられてくるのです。人間の行動すべて縛りがかけられてしまうのです。
 信者は残った脳だけで行動するので何もできません。だから宗教の奴隷になるのです。僕がやろうとしていることは違います。人間は360度フル回転をしなさい。フル回転をするためには邪魔になっているものを取っ払うのです。その中でどうしても取っ払えないものがあります。それを今、教えているのです。これまで取っ払ってしまうと人間は自由になってしまいアニマルになってしまいます。
 人間とアニマルの違いは一体何であるのかということをよく考えた上で「これだけは守っていったほうがよい」というものを教えているのが正理会です。
迷信は排斥しなければいけません。迷信は人々を迷わせ、信仰することにより正常な脳が働かなくなってしまうのです。この縛りを掛けられたら成功はしません。「世界の指導者は池田大作先生だ」などと学会員は思ってしまったら、縛りがかかってしまい、池田大作の言うことしか受け入れられない人間になってしまいます。
 学会幹部は「学会活動がすべてだ」と学会員に縛りをかけてくるのです。池田大作・学会活動それに選挙活動が加わって「私たちが一番正しいのだ」という60度の視野になってしまうのです。そうなると、もう自分で動くことはできず、自分で物を考えることもできません。
 自分の持っている360度の能力を使っていないのです。邪教を信じると知らない間に縛りがかかっているのです。それを引き算によって外していくのです。するとその部分が自由になってくるのです。
 生まれた時は親が教え、学校に行くと先生が様々なことを教えるので縛りがかかってくるのです。「私は何も縛りがかかっていない」と言う人でも縛りがかかっているのです。「私にはどんな縛りがかかっているのか?」と気が付いて、「このような縛りがかかっている」とわかっていくことが大事です。
 池田大作は「文化大恩の国韓国に足を向けて寝られない」と言います。これは縛りです。「韓日友好」「日本は韓国に散々悪いことをした。軍隊が押し入って奴隷にして30年間も支配した」という縛りが入ってしまうとそのようにしか思えないのです。その縛りを取りなさい。それは事実ではありません。
 これは朝鮮人の悪口ではありませんが、そのようなウソを言うことはよくないことです。統一教会は「日本は悪魔の国、韓国は神の国」と教えるので、信者は本当に縛りがかかってしまいます。「韓国語は世界の言語だ」と言われて統一教会の連中は韓国語を勉強しています。「みんなわかりましたか?」と幹部が言うと「ネッ!」と答えます。「ネッ!」とは、日本語で言うと「はい」ということです。統一教会の信者は朝鮮人になり気っているのです。これが縛りがかかった姿です。恐ろしいことです。
 宗教からの解放とは、正しい道理を教えてあげることです。正しい道理を教えてあげれば自然に脳の視野は広がります。我々日本人が「日本は神の国だ」ということは縛りではありません。自然のことです。自然の中から出来てきたので、縛りをかけてくる教祖もいません。ただ崇拝するだけです。
 何を崇拝するのかというと、人間以上の存在をわかるということです。世の中は形而下の生活だけではありません。人間以上の形の上の世界があるのです。それを教えてくれているのが日本神道です。何の縛りもありません。日本神道はむしろ、360度から450度くらいに開いてくれるのです。そのような教えならば受けてよいのです。
我々は霊魂から生まれて人間として生きて、また霊魂になって帰るのです。素晴らしい思想です。何の縛りもありません。そう思ったら人間は自由になるのです。「そうか、私の帰るところは霊魂か。今は下天して生きているけれども、終わると霊界に帰るのか。すごいな」と思えばよいのです。
また生まれてくるのです。今度生まれてくるときは神様の命令によって生まれてくるのだから何に生まれてくるのかわかりません。わからないけれども、だいたいが続きです。
続きなのですが、前の世と今の世は同じではありません。神様が「行って来い」と決定されるのです。これは霊界の話です。霊体はまだ形がありません。下天して「オギャー」と生まれてくるのです。それで活躍するのです。人生が終わるとまた霊界に帰っていくのです。それを繰り返していくのです。それが永遠の生命です。
人生がわかったらスッキリするのです。何も心配はいりません。この世に生まれた目的は、心を磨いていけばよいのです。神様の御命令通りやっていけばよいのです。無理な御命令などありません。「神様の御命令とは何か?」というと、修理固成(すりこせい)です。
神はこの世を完璧に創っていません。「人間が完璧にするのだ。お前の仕事は世の中を完璧にすることだ」と言われているのです。日本神道の場合は宗教とは言えません。これだけあればよいのです。
 この国は霊魂から創られたから「神の国」というのです。これは疑う必要はありません。霊界から天下ったのが神武天皇です。代々の天皇は神の姿そのものです。日本人はそれを敬うのが当たり前です。無理矢理敬っているのではありません。自然に敬うのです。このタガは外してはいけません。後はすべて外してよいのです。キリスト教もイスラム教もヒンズー教もバラモン教もすべて邪教です。この一点だけを外してはいけません。そうすれば立派な日本人になってきます。世の中は不完全であるから、修理固成していくのです。人間の目的は修理固成です。
創価学会の諸君もいい加減に目覚めなさい。学会員は僕の言っていることは全くわからないらしいのです。どこに真実があるのかわかりません。それだけ心が濁っているのです。僕が言うことを素直に受け取れば立派な人です。「認めない」ということは、心がそれだけ濁っているのです。正しい者が勝つのです。正理を極めている人間は必ず勝つのです。
間違っている者は自ら滅びてしまいます。こちらが罰を当てるのではありません。正しい人に向かって間違ったことを言う人は、間違った道を歩いているのです。間違った道を歩んでいる人は滅びるのです。当たり前の事です。「こちらが正しい道です」と言っているのに、「俺はそんな道は嫌だよ」と言っているのです。『旅烏』の歌にありますが、「♪これが道理と知りながら♪」反対の行動をとるのです。それではドブに落ちてしまいます。必ずそうなってしまうのです。
 そのように正理会を理解すればよいのです。正理会を苛めたり、わけのわからない誹謗中傷をしている人間は必ず地獄へ自分で行くのです。それをわかって正理会を見ていけばよいのです。正理会は「入会しなさい」とは言いません。「入会したい」と言ってもお断りです。審査しなければ入れません。「貴方は正理会会員として真面目にやれますか?」ということです。真面目にやれなかったら入る意味がありません。勧誘は一切やりません。ご安心してください。

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2017年01月16日

人間の探究 679 大石寺のお坊さん、人相最悪だね!

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※日蓮正宗 坊さん

人間の探究 679 大石寺のお坊さん、人相最悪だね!

 大石寺のお坊さんの人相を見ていると、囚人みたいです。頭を坊主にされて刑務所に入れられているような人間が集まっているような人相です。本当にそう見えます。妖怪にも見えます。
 人間として一本筋が通っていないと、大石寺のお坊さんは頭を丸めた妖怪に見えるけれど、僕の気のせいでしょうか。決してよい人相とは言えません。ちなみに六十六世の日達さんは、それなりの顔をしています。威厳があったのですが、後の坊主は全然ダメです。元ヤクザという坊主もいるのでしょう。日如は元池袋のヤクザだったらしいのです。
 中山法華経寺は日蓮正宗ではありません。あれは本物の暴力団です。中山は内紛したのです。内紛したときに仲介したのが、暴力団の親分です。仲介をつけたのですが、自分が貫首になってしまったのです。
 子分はみんな坊主です。「坊主になれば食えるぞ」と言って、子分を坊主にしてしまったのです。中山法華経寺はヤクザそのものです。ひどいものです。そんなものが仏法だと思って、こんな奴らを担ぎ上げる樋田昌志君も馬鹿ではないでしょうか。
 樋田昌志君は「お坊さんがいなければ仏法は広まらない」などとウソを教えているのです。こんな奴らがいるから仏法が広まらないのです。逆です。よく見てごらんなさい。虫メガネで坊主のこの顔を拡大して見てください。いい人相をしています。(笑)
 慈悲深い人間など誰もいません。法を名乗って飯を食っているのだから、そうなるのです。我々は法を名乗って飯など食っていません。坊主は袈裟を着ていれば飯は食えるのですから、最低の人間しかいなくなるのです。
 何回も言うけれども、仏法とはそのようなものです。皆、騙されてはいけません。仏法とはお金持ちになる法ではありません。仏法をいくら学んでもお金持ちにはなりません。考えてみればすぐにわかります。
仏教とは出家の法です。出家とは家を出ます。家を出るということは、社会を出るということです。社会を出た人間が仏法を習うのです。それがお金儲けになるのでしょうか? どのように考えてもお金儲けにはなりません。これは簡単な原理です。
 創価学会の本尊をいくら拝んでもお金持ちにはなりません。仏法は貴方をお金持ちにする法ではありません。
 「大石寺の本尊を拝むといかなる願いも叶う」などと言っていますが、そんなわけがないのです。そんなことをするためにお釈迦様は出家したのではありません。大石寺はこんな簡単なことすらわかっていません。よく考えたらわかる話です。
 仏教とは出家の法です。お金持ちになる法とは、世俗の法です。お金持ちになりたかったら世俗のことに通暁して、よくわからないとダメです。世俗のこととは経済の法や政治の法などたくさんあります。これらをマスターしていかなければお金持ちにはなれません。
 仏教をいくら極めても、天上天下唯我独尊の境地に至ったところで、お金持ちにはなれないのです。これは仏法を学ぶ者の「いろは」の「い」の字です。これさえ知っていればだまされません。
 加持祈祷をして「貴方の運命を変える」とか、マントラを唱えたりして、何をしているのでしょう。病気は自分で治すのです。坊主に拝んでもらう必要はありません。坊主に拝んでもらったら返って悪くなってしまいます。スピリチュアルカウンセラーの江原啓之は「前世を見ます」などひどいウソつきです。詐欺師そのものです。
 宗教家というものは、全員が詐欺師です。このように思っていればよいのです。正理会以外は全員が詐欺師です。立正佼成会の創立をみてもすぐにわかるのです。庭野日敬は霊友会の支部長だったのです。霊友会は「霊がある」と教えます。「貴方は不幸ですか?だからここに来たのですね。貴方はお墓を掃除していないでしょう」このように言うのです。すると「行っていません」と答えると、「だからそのような病気になったのよ!」と脅かすのです。「お墓には霊がいて、霊が怒っているのよ。霊の怒りを鎮めるためには、本部にお金を持ってきなさい。そうすれば霊は喜んで貴方の病気も治るのです」理屈はすべてこれです。
 霊友会は「霊」を教えます。「悪霊がついているのよ。悪霊を祓わないと、とんでもないことになる。もうじき交通事故で死にますよ」などと言って脅かしているのです。「助けてください」と言うと「安心しなさい。本部にお金を持ってこれば助けてあげますから」と言って、お金をだまし取るのです。みんなこの手口です。
 創価学会も同じです。幹部にお金を持っていき、何のためにお金を使うのでしょう。何の功徳があるのでしょう。功徳などあるわけがありません。公明党にお金が入るのか知りませんが、お金を持っていって、どうして会員が功徳を受けるのでしょう。受けるわけがないのです。創価学会員が受けるのは罰ばかりです。
 学会の幹部を見てください。池田大作は両手両足がなく、脳梗塞で死ぬ寸前だと言われています。長男の博正は学校の先生のときに教え子に手をつけたのです。生まれた子供は障害児です。池田大作の次男は胃に穴が開いた胃穿孔(いせんこう)という珍しい病気で死にました。香峯子夫人は痴ほう症です。このざまを見てください。そうなってしまうのです。
 副理事長の西口良三は顔が半分癌でなくなってしまいました。そんな奴がかりです。人をだまして自分たちが食っているからそうなるのです。
 学会で給料をもらって飯を食った奴はもうダメです。根性が腐っています。1日でも飯を食った奴はダメです。ドロボウの集団に入ったことと同じことです。ドロボウ集団から給料をもらうのですからドロボウです。
 しかも、天下取りの野望のために会員をだまして、ありもしない「功徳」を言い、お金をだまし取っているのです。創価学会は最大の悪事をやっています。もし、成功したら日本国は乗っ取られてしまい、池田王国になってしまうところだったのです。そんなために働いていたら功徳があるはずがありません。
 入り口をしっかりしましょう。この問題の入り口は何でしょう。まず、鳥瞰(ちょうかん)して上から見て「仏教とは何を説いたものか?」「何を目的にしたものなのか?」ということをよく知りなさい。そうすればだまされません。
 そして、仏教の中に入れば、入り口は内外相対論です。「何故、仏教を内道といい、他の教えを外道というのか?」「内道と外道はどちらが優れているのか?」ということをきちんと勉強してわからなければいけません。それで初めて仏教の入り口に入ったことになるのです。
 「仏教とは何ですか?」ということは、仏教を外から見ています。仏教の中に入ったら、仏教を信じるのです。では、何をやればよいのでしょう。それは内外相対論です。「内道と外道はどう違うのですか?」ということを徹底的に学ばないといけません。そうでないと仏教はわかりません。仏教といっても様々な仏教があります。真言宗もあれば、念仏宗もあれば、華厳宗もあれば、法相宗もあります。仏教と言われても何だかわかりません。
 仏教以外の教えはキリスト教・ユダヤ教・イスラム教・ヒンズー教・バラモン教です。これからが仏教以外の教えです。「これら仏教以外の教えと、仏教はどう違うのか?」ということを徹底的に勉強しないと仏教がわかったことにはなりません。これを勉強することが、仏教がわかっていくことです。勉強するのではなく、「どこに間違いがあるのか?」とみていくとわかってきます。
 内道はなぜ正しいのでしょう。これがきちんとわからなければ仏教徒とはいえません。「仏教を信じています」などと言えません。どんな教団に入ってもダメです。大石寺の坊主どもの顔をみてください。俗物もよいところです。頭の中で考えていることは「信者から如何にお金をだましとるか」ということです。
 「如何に信者からお金をもってこさせるか」そのようなことを考えているのです。坊主の顔を見ると「馬鹿だな。俺たちがこう考えているのに信者は真面目にご僧侶だとおだててよってくるのだよ。ヒッヒッヒッヒッ・・・」と思っている顔です。信者を馬鹿としか思っていません。このうすら笑いの顔を見てください。それにも関わらず、樋田昌志君のように「ご僧侶様」と言い、寺男に成り下がって喜んでいるのです。いい加減にそんなことは止めなさい。

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2017年01月14日

『日本人に打ち込む100本の柱』土方歳三と和歌 21柱

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※新撰組・土方歳三

土曜日特別講座『日本人に打ち込む100本の柱』
土方歳三と和歌 21柱

 司馬遼太郎によれば、土方歳三の和歌や俳句はへたの横好きであるといいます。和歌や俳句を人に見せるときは本当に恥かしそうに少年のような表情をしたといいます。近藤勇は漢詩がすきで自分でも漢詩はつくっていたらしいのです。言霊(ことだま)のにぎあう国といわれている我が国では、言葉は神であり、なかでも和歌にしたものは現実に形となってあらわれると考えられていたのです。それで天皇をはじめ貴族などにもさかんにすすめられ万葉集にはおおくの庶民が参加しています。そういう意味で祈りをこめて和歌はつくられたのです。和歌は日本精神の一つなのです。鬼といわれた新撰組副長土方歳三も和歌・俳句をつくりました。

 「嵐吹く ゆふべの雲の 絶えまより  みたけの雪ぞ 空にさむけき」土方歳三
 これはどことなく寒々しい歌だと思います。京都に上洛する途中でよんだ歌らしいですが土方の自信のなさと不安をあらわしている歌です。

「うぐいすや はたきの音も ついやめる」土方歳三
これは、土方の俳句ですが、なんか率直さと繊細さがにじみ出てくるような俳句です。

たちわたる あしたのくもも色淡きかすみにこむる木曽のかけはし
志(し)ろたえに み類(る)ひとすじは手都(てづ)くりのそれとまがふ をのの瀧つせ
あかずみむ よかはの那(な)みに す無(む)月のか気(け)もちりなむ阿気の屋万美津(やまみず)
閑利末く羅(かりまくら) 弥(や)さめのとこの山嵐もあめになりゆく 夜半のさみしさ
明(あけ)わた流(る) ひかりもみえ亭(て)風越の高根はれ遊(ゆ)く よるのうき久毛(くも)

 つぎは土方歳三の俳句です。

 年々に 折られて梅の すがたかな

 春ははる きのふの雪も 今日は解

 大切な 雪は解けり 松の庭

 ふりながら きゆる雪あり 上巳こそ

 けふもけふ たこのうなりや 夕げぜん

 二三輪 はつ花だけは とりはやす

 春の草 五色までは 覚えけり

 丘に居て 呑のもけふの 花見かな

 武蔵野や つよう出て来る 花見酒

 手のひらを 硯にやせん 春の山

 我年も 花に咲れて 尚古し

 菜の花の すだれに登る 朝日かな

 朝茶呑て そちこちすれば 霞なり

 来た人に もらひあくびや 春の雨

 春雨や 客を返して 客に行

 三日月の 水の底照る 春の雨

 春の夜は むつかしからぬ 噺しかな

 あばらやに 寝てひてさむし 春の月

 水の北 山の南や 春の月

 山門を 見こして見ゆる 春の月

 公用に 出て行みちや 春の月

 しれば迷ひ しなければ迷はぬ 恋の道

 しれば迷ひ しらねば迷ふ 法の道

 玉川に 鮎つり来るや ひがんかな

 願ふこと あるかもしらず 火取虫

 白牡丹 月夜月夜に 染てほし

 露のふる さきにのぼるや 稲の花

 裏表 なきは君子の 扇かな

 さしむかふ 心は清き 水かゝみ

 報国の 心ころをわするゝ 婦人かな

 わが齢 氷る辺土に 年送る

 叩かれて 音の響きし なず菜かな

 土方歳三がこんな句をつくっていたなんて驚きですね!土方さんも人間だったのです。

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2017年01月13日

人間の探究 678 人生旅烏(じんせいたびがらす)


※クリックすると五木ひろしの『旅烏』が見られます!

人間の探究 678 人生旅烏(じんせいたびがらす)

 「摩訶止観・法華文句・法華玄義」の天台三大部を講義した天台大師は優れた人です。理論的に仏教を完成させた人です。「小釈迦」と呼ばれた優れた理論家です。「摩訶止観」にしても誰もまだ天台大師の真意はわかりません。そのくらい難しいのです。
 何しろ摩訶止観は「このように修行していくのだ」と書いてありますが、6・7・8・9には何も書いてありません。タイトルだけがあります。タイトルはありますが、「それはどのような境地ですか?」ということは書いてありません。それは「自分で体得しなさい」という意味です。
 天台大師は『摩訶止観』でこのように言われました。「我々が経験するあらゆることは、過去に自分がやったことです。それが出てくるのだ」と、真に不思議なことを言っています。
 戦争を体験するのも、不幸な目に遭うのも、楽しいことに出会うのもすべて自分がつくりあげたことなのです。世界というものがあって、その中に自分がいるのではなくて、自分の心が一切のものを創り上げているのです。貧乏も病気も苦しみも楽しみの何もかもすべて自分が創った世界です。
 自分が創り上げた世界がバーチャルリアリティーで出てくるのです。この世は、すべて自分が創り上げた世界です。仏教が説いている究極は、一切のことは自分のやったことなのです。だから他人は助けられません。やったことは必ず経験する側にまわるのです。人殺しをすれば殺される側にまわります。
 これを時間軸で考えると、殺した人、殺された人は違うのですが、因果倶時の関係で言うと、殺された人も殺した人も同じ瞬間です。殺された側が感じるものも、殺した側が感じるものも、実は因果倶時ですから同じです。自分で自分を殺しているのです。
 一切合切、頭が良いのも悪いのも、男に生まれたのも女に生まれたのも、朝鮮人に生まれたのも、自分が「そのように成りたい」という夢を見ているのです。
 この世界のことを一念といいます。ここまで言い切った人はいません。これは法相の唯識論がからんでくるのです。天台大師のように、これほどハッキリと「一切合切自分がやったことだ」と言われた人はあまりいません。これは一つの仏教の悟りであり、非常に大事な点だとわかります。
 日蓮大聖人様の仏教は、「こんなことは当たり前だよ」という立場から入っています。「こんなこと知らないの? 知っているだろう。そんなことを説明して教えるまでもないだろう」という考えです。
 西洋人にはこんな考えはわかりません。「一切合切が自分のやってきたことだ」ということは、宇宙を創っているのは貴方の心です。空に見える星も貴方です。きらめく太陽も貴方です。青く広々とした海も貴方です。
 貴方が創り上げた太陽・海なのです。これは量子論に似ています。「見ているときに世界はあるけれども、見ていないときに世界はない」ということです。考えてみるとそうなのです。
実際に宇宙に存在しているのは量子だけです。量子の粒があるだけでそれが集まったり散ったりして様々な物が創られているのです。自分も創られています。宇宙から見たら「死んだ」という概念はありません。量子しかないのです。
人間は量子がたくさん集まってできているのです。それを「俺は生きている」と言っているのです。生きている者も量子で、死んでいる者も量子なのですから、実際はキラキラ輝く量子しかありません。それが「どのように見えるのか?」ということは、一念心がからんできます。一念心とは宇宙を含めて「すべてが自分だ」と感じられたら大したものです。
この狭い自分に自分を感じて「これが俺なんだ。俺には一歩もさわらせない!」と、ゴミみたいなことを言うものではありません。大宇宙すべてが自分なのに「俺に触るんじゃないよ」と言えば、宇宙から自分を切り取ってしまい、小さな自分にして幻影を見ているのです。
それは仕方ありません。五体を持っているから人間は五体を通して世界を見ています。本当は量子しかない世界なのに、夢と同じように自分が見ているのです。一念心がないと見えません。「一念心とは何であるのか?」ということを見るのが一念心です。「見ないときに月は無い」ということと同じことなのです。
アインシュタインは「月は見ても見なくてもあるだろう」と物を客観視しているのです。「人間が見ようと見なかろうと月はある」と言うけれども、量子論や天台大師の考え方によるとそうではないのです。
月を見ているのは自分です。自分の月なのです。自分が見ていないときに月は何物であるのかわからないのです。見るからそこに月が見えるのです。「何故、月が見えるのか?」というと、それは貴方の因縁(目・耳・鼻・口・皮膚)によって肉体があるから月が見えるのです。「そこに月がある」と感じるのは貴方だけの話です。
「そこに何があるのか?」というと量子があるだけです。その中から月だけが見えるのです。だから貴方の世界です。そのような考えから言うと、一切合切がすべて貴方が創り上げたイリュージョン(幻想)です。
人生とはそのようなものです。昔の武将たちはそのことをよく知っていて、「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」と言ったのです。「下天」とは生まれてくるということです。「辛いことも楽しいことも暴れまくってやるのです。50年間殺し合いをして暴れればよいのだ」そのような考えです。
下天してこの地に降りてきたのですから、天上にまた帰るのです。一念心を持っているから、毎回・毎回戦場に生まれるのです。平和の中に生まれる人は、世界は平和しかないのです。殺し合いの世界を「自分の世界」と感じたならば、そのこと自体が地獄界です。
一切合切は自分の心が創り上げているのです。人生とは業の相続を見る形式です。どんなイリュージョンを見るのでしょう。「オギャー」と生まれて劇が始まり、自分の宿命を出し切ってフィルムを巻いて、それが終わると人生も終わりです。
これでは救いようのない面もあります。これが天台大師の限界ですが、その反面大きな救いにもなります。「すべて私が創った世界だ」と言えば、人の責任にはできません。よく子供が「私が頼みもしないのに親が生んだ」と言いますが、子供は生まれたいから今のお母さんのところに生まれたのです。自分が選んだのです。
母親といっても数限りない母親がいます。猿もいれば、カバもいれば、ライオンもいます。人間ではブスもいれば美人もいます。様々なお母さんがいます。何故、貴方はその親を選んだのでしょう。それは好きだから、貴方が選んで生まれてきたのです。人のせいにしてはいけません。自分が親を選んだのです。子供にはそのように教えればよいのです。
今の親が嫌ならば、もっと利口な親を選べばよかったのですが、今の親がよく見えたのです。もっとわかりやすく言うと、白人は白人がよく見えて、黒人は黒人をよく思うのです。犬は犬がよいと思います。様々な親の中で自分の親を選んだのです。だから子供は親に文句が言えません。そこから人生が始まるのです。自分が人生を始めたかったのです。
親父が酒を飲んで酔っ払ってテーブルをひっくり返して、「バカヤロウ、金を持って来い!」と言われる家に生まれたかったのです。ここから始まったのですから、そのような人生です。
良いことをするならば良いことは自分に返ってきます。そのための人生は修行です。人間に生まれたのですから大成功という面もあります。大成功になったのですから、あとはもっと良くなって良い夢を見ていかなければいけません。悪い夢など見るものではありません。
ところが良い夢を見るように変わっていくときに、過去の残照があって、これが出てくるときがあります。それが悪夢のような形で出てくるのです。正しい夢を見ようと思っても「悪夢を見る」というプログラムが自分の中に入っていると、夢になって出てくるのです。
今、見ている世界の現実に悪いことは無くなっています。ちゃぶ台のひっくり返しもないし、奥さんを殴る世界もありません。残照として業が引きずっているから、自分が変わっていくときには、それが夢になって出てくるのです。夢のほうが引きずっているのです。
現実の世界は変わってしまい、もうそんなことはありませんが、時々悪夢を見るのです。その悪夢を何回も見ていくと、夢も消えていくのです。悪夢はだんだん薄くなって消えてなくなっていくのです。それを罪障消滅というのです。
信仰とはそのようなことがよくわかって、「自分はどのような夢を見ているのか?」と考えていく必要があります。だいたいの人間は過去に悪いことをしているのです。肉も食べるし、酒も飲んでいるし、人殺し、かっぱらいをしている人もいます。
すべて自分に返ってしまうのです。五木ひろしの「旅烏」という歌はそのような歌です。「♪義理と人情の垣根越し♪」垣根をはさんで義理と人情があります。義理とは守らなければいけないことです。人情は情です。
自分が好きとか嫌いなどの感情があっても、義理を通さなければいけない場合があります。人生とは社会があり、自分の感情がうまくいく人は幸せですが、「義理と人情をはかりにかけて」という場合があります。正解はどこにあるのかというと、義理と人情の真ん中にあるということです。義理も大事、人情も大事です。その真ん中にあるものを道理というのです。
「旅烏」はよくできた歌です。その道理を知りながら、道理と反対のことをやる馬鹿な男の歌なのです。「旅烏」は大変良い歌です。あの歌は自分のことを言っているのではありません。人のことを言っているのです。ドロボウのKを思い出せばよくわかります。わかっているクセにかっぱらいなど反対のことをやるのです。人の裏を行ってかっぱらいをやるのです。
昔からそのような奴がいたのです。悪いことと知りつつも、実際の行動は道理ではなく、反対のことをやるのです。
「♪100理千里を歩いても歩くだけでは能がない♪」(旅烏)これは自分のことではなく、客観的に見ているのです。旅人さんはテクテク歩いています。それだけでは能がありません。旅烏などをやっている奴は可哀想な奴で、そのような奴はたくさんいます。そのような歌ですから作詞者が優れているのです。
あの歌はいくら歌っても大丈夫です。念仏ソングではなく、人のことなのです。「馬鹿な男はこうなるのだよ」と、それを諭しているのです。「♪せめて畳の上で死ね♪」それもできないだろうと言っているのです。
「いつも草鞋を固く結んで旅をしていなさい」という歌なのです。

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2017年01月12日

人間の探究 677 憂国について

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※石田先生が『現代諸学と仏法』を書いたのは、池田大作を直すためだったのです。「池田大作は狂っている。『現代諸学と仏法』を読ませて、池田大作に仏法を教えなければいけない」と思って書かれたのが『現代諸学と仏法』1・2・3・4です。

人間の探究 677 憂国について

 世の中には愛国・憂国という言葉があります。憂国とは、「国を憂うる」、或は「国を心配する」というような意味です。しかし、「国とは何か?」ということがわかっていません。
 何を心配するのでしょうか。中身についての論争がされていません。愛国とは何でしょう。天皇を愛することが愛国でしょうか?国の何を愛するのでしょうか?国会議員を愛するのでしょうか?そうではありません。
 国という具体的なものは目に見えません。国とは抽象概念です。実際は抽象ではありませんが、どこを探しても国は見当たりません。「これが国なのかな?」と議員会館を周ってみても、どこにも国はありません。
 お役人のところへ行って探してみても国などありません。そのような意味で言うと、国はありません。宮中に参列して「ここに国があるのかな?」と思ってみても、そのようなわけではありません。国という概念は難しいのです。
 すると「憂国」「愛国」とは、どのようなことを意味しているのでしょうか?それがしっかりとわからないから、創価学会や統一教会のようなキチガイが出てくるのです。国という概念をハッキリとさせておく必要があります。
 このような原点の思考をみな怠っています。「国とは何だろうか?」具体的に言うと、国とは歴史です。我が国が歩んできたすべてが我が国です。平成の世の中も国であるし、過去に昭和時代があって、これも国です。大正・明治・江戸時代も、すべて国です。国というものは歴史を通さないと出てきません。
お隣の韓国などは歴史がないから、いくら見ても国は出てきません。韓国人の愛国などあり得ないのです。韓国人は何を愛するのでしょう。朴 槿惠を愛するのでしょうか。3Pのオバチャマを愛するのでしょうか? そんなことはあり得ません。韓国には歴史がないのです。可哀想です。シナ人もそうです。何時代の歴史を愛するのでしょうか。中国はすべての王朝が連続していません。満州族が造った清王朝や、モンゴル人が造った元帝国など、民族はすべて違います。ではシナ人は何を愛するのでしょう。
本当に愛国・憂国と言える国は日本しかないのです。これが大事な考え方です。これがないと愛国や憂国の意味がなくなってしまいます。だから創価学会のような売国奴が出てくるのです。学会員は、その「売国」ということすら意識していません。何故ならば創価学会は日本の歴史を教えません。
創価学会は「人間革命」をやっていますが、あれは創価学会の人間革命の歴史であり、日本の国の歴史ではありません。しかも、すべてフィクションです。フィクションですから、フィクションの人間が出来上がってくるのです。
創価学会に愛国などというものはありません。戸田先生の頃までは、少なくとも「愛国」「憂国」はありました。戸田先生は教育者ですから。国家というものがしっかりとわかっていたのです。
創価学会は「戸田先生は反戦をやって牢獄に入れられた」と言っていますが、全てウソです。戸田先生は「戦争に勝つためには御本尊を拝まなければいけない」と言われたのです。創価学会と逆のことを言っていたのです。
それがいつの頃からか、すり替わってしまい、学会は「戸田先生はそんなことは一言も言っていない。反戦したおかげで牢獄に入れられたのだ」と言います。創価学会初代会長の牧口先生は熱烈な愛国者です。天皇を尊敬しています。
石田先生の頃までは、「愛国」「憂国」があったのです。公明政治連盟が出来て、創価学会から初めての国会議員になるために、石田先生は参議院の選挙に出馬されました。戸田先生の遺言で「学会は参議院に出てもいいけれども、衆議院に出てはいけない」と言われたのです。
「衆議院は権力の場であるから出馬すると、創価学会は権力が欲しくてやっているのだと誤解される。だから、衆議院に出てはいけない」ということが戸田先生の遺言です。

石田次男先生は、初めて公明政治連盟から出て参議院議員になったのです。トップ当選です。その時の言葉がカッコイイのです。「憂国の情忍び難く、この度立候補した石田次男です」と演説されたのです。「憂国」という「国を憂うる」ということがちゃんと入っているのです。
国という概念の中に日本の歴史も天皇もすべて入っているのです。「憂国の情忍び難く」今、こんなことを言う人間は誰もいません。国会議員になりたくて、立候補した人間ばかりです。このままで日本の国はいけないのです。「国をよくしなければいけない」と思い、石田先生は参議院に出馬されてトップ当選です。それが石田次男先生です。
 池田大作が「石田先生はアル中になってヨイヨイになってウソばかり言っている」と言っていたのですが、石田先生はウソなど言っていません。池田大作は悪い奴です。そのようなことを言って石田先生を陥れているのです。池田大作は「誰も石田のところへ行くのではない」と言っていたのです。
 石田先生の妹は第五代会長の秋谷栄之助の奥さんです。弟が元公明党委員長の石田幸四郎さんです。石田先生は学会を創ってきた人です。初代小岩支部の支部長です。学会は小岩から始まったのです。その初代支部長が石田先生です。すごい先生です。
 石田先生は保田の妙本寺に万年救護の御本尊があると聞きつけて、一人で乗り込んでいったのです。保田の妙本寺は日蓮正宗ではなかったのですが、それを説得して日蓮正宗に帰依させたのです。すごい実力です。
 池田大作が大阪で選挙違反で捕まったときに、検事にかけあって池田大作を釈放したのは石田先生です。交渉力・実力がすごいのです。教学もすごいのですが、怒鳴るような人ではありません。これが石田先生の実像です。
 石田先生が『現代諸学と仏法』を書いたのは、池田大作を直すためだったのです。「池田大作は狂っている。『現代諸学と仏法』を読ませて、池田大作に仏法を教えなければいけない」と思って書かれたのが『現代諸学と仏法』1・2・3・4です。
 それを聖教新聞から出すと言っていたのですが、池田大作が聞きつけて「そんなものは出してはいけない」と邪魔をして出させなかったのです。だから素人だった僕がこの本を出したのです。それはともかく、初期の頃の創価学会は、愛国・憂国であり、「国」という概念がしっかりとあったのです。
 日蓮正宗も同じです。「代々の天皇陛下の恩ために」という御観念文をちゃんとやっていたのです。いつの頃から国を外して、天皇を外して、池田天皇が出てきたのです。本当にひどい団体です。
 日本の良い団体か、悪い団体を見分けるのは簡単です。「国があるか、ないか」ということです。今の創価学会には創価学会はあっても国はありません。日本共産党も共産党はあっても国はありません。自由民主党はあっても国はありません。
 「何故、国がないのか?」というと、僕の『中杉弘の徒然日記』のブログで書いている「憲法改正にあたっての提案」を読んでもらえばわかります。我が国は神から始まっています。「我が国は神国なり」から始めなければいけません。北畠正親は、「大日本は神国なり」と言っています。
 そこから始まらなければ日本はわかりません。始まりは神国です。「国」と言えば、「我が国は神国である」と思わなければいけません。その神国を亡き者にしようというのが悪人です。悪人はすぐにわかります。
 もっとハッキリと言うと唯物論者の共産党は馬鹿、創価学会は邪教、統一教会は邪邪教です。自民党は売国奴です。国という概念がないのです。
 「我が国は神国なり」から始まらなければいけません。従って新しい憲法はそこから始めなければいけません。「他の国とは違う」ということを入れる必要があります。同じである必要はありません。「他の国はそんなことを書いていない」と言う人もいるでしょうが、ないから書けないのですから、他の国の真似をする必要はありません。
 愛国者かどうかというのはすぐにわかります。「我が国は神国なり」と思っている人が愛国者です。それ以外の人はすべて愛国者ではありません。今の創価学会の皆さんもよく考えてください。元の創価学会は愛国の団体だったのです。天皇・日本国ともにあったのです。それを否定するはずがありません。牧口先生も戸田先生も学校の先生だったのです。子供たちに「創価学会があって国はない」などと教えたら大変なことです。そんなことはあり得ません。
 子供たちに天皇も国も教えてきているのです。初期の創価学会にはしっかりと天皇も国もあったのです。池田大作は高利貸で教育もなく朝鮮人だから、国がなくなったのです。いつの頃から「国際平和」と言い出したのです。馬鹿なことを言うものではありません。
 学会員諸君、よく聞きなさい。「我が国は神国なり」と君たちは考えなければいけません。そうしないと、いくら学会活動をやっても功徳などでるどころか、馬鹿になるばかりです。しかも、創価学会は謀反人です。神国日本を創価王国にしようなど、謀反人であり天一坊です。そのようなことをしっかりと勉強してもらいたいと思います。

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2017年01月11日

人間の探究 676 味噌にぎりについて

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※熟れ寿司のお店

人間の探究 676 味噌にぎりについて

 正月番組で味噌にぎりについてわかったことがあります。僕も知らなかったのですが、関東では味噌にぎりを食べていますが、関西で「味噌にぎりを食べてみませんか?」と聞くと、「イヤ〜、気持ち悪い」そんな感じです。
 何故なのかと思ったら、「手に味噌をつけて握るから気持ち悪い」というのです。プロレスラーの長州力も番組に出ていて、「自分の奥さんが握ったものならば食べるけれど、他の人が握ったものなら食べないよ」と言っていました。他人が握った味噌にぎりは「汚らしい」と思うのです。
 関東から東北の人は「こんな美味しいものはない。最高のおやつです」といいます。畑仕事が終わって、木陰に腰かけてお茶を飲みながら、食べるおやつは味噌にぎりです。大きな味噌にぎりを持ってきて食べるのです。みんな「美味い!」とほおばって食べるのです。
 関西では味噌にぎりを食べません。関西は食べないのですから、九州も食べないのでしょう。四国の人も食べないのだと思います。
 だいたい各県によって味噌が違います。関東や東北の人は自分で味噌をつくっています。自家製味噌をつけて食べるから各家庭で味噌にぎりの味が違ってくるのです。味噌がまばらなのがいいのです。ハケで塗ると均等にぬれますが、手に味噌をつけてにぎるのです。
 すると味噌が濃い部分と薄い部分ができます。「それがよい」というのです。まず、味噌にぎりを食べてみると、味噌の香がします。次に味噌おにぎりをかむとご飯が甘く感じます。もう一回食べると、「あれ、さっきと味噌の感じが違うな」と感じるのです。手に味噌をつけてにぎるので、味噌の濃さが違うのです。「あれ、ご飯はこんなに美味しかったのか」と思えてくるのです。味噌にぎりは御馳走です。
 味噌にぎりを食べている県は、山形県・秋田県・青森県・長野県などです。関西の人は味噌にぎりを全然食べません。ところが、食べてみると皆「これは美味い!」と言うのです。
 味噌にぎりは多分、スーパーでは売っていないと思います。手で握った感じがでないので売れません。本当におにぎりは面白いのです。特に味噌にぎりをつくる県では米自慢です。秋田こまち、こしひかりなど、米自慢で米の味を最も引き出すのはやはり味噌なのです。昔から日本人は味噌汁とご飯で食べます。味噌を汁にしていないだけで、味噌汁でご飯を食べるようなものなのです。美味しいに決まっています。
 フードは「面白いな」と思います。和歌山県に行くと、「熟れ寿司」があります。初めての人は熟れ寿司は食べれません。樽にサバとご飯を詰めて石で抑えて、1ヶ月寝かせます。すると酸っぱくなってきます。
 すし飯も長時間置いておくと酸っぱくなってきます。もっと時間が経つと粘りが出てきます。サバとご飯の間に粘りが出てきて、なんとも言えない臭い匂いがしてくるのです。それがもう「絶品だ」と言うのです。
 和歌山に行ったときに「熟れ寿司は東京の人は食われません」と言われて、僕は食べたけど美味かったのです。本来は戦場の食品です。戦闘が始まる前にご飯を炊いて、サバを塩で漬けて保存しておくのです。保存食だから1ヶ月くらい平気でもつのです。
 それを食べる頃には腐っているのです。腐っているから粘り気が出てくるのです。それが美味いのです。「これはお腹にあたらないのですか?」と聞くと「あたりません」と言っていました。
 今では熟れ寿司はそんな時間がかかる作り方ではなく、「早寿司」があります。今日つくって笹の葉でくるんで今日出してしまうのです。腐るのを待っていないで酢飯でにぎるのです。すると同じことです。
 京都のフナ寿司も発酵した寿司です。それが美味いのです。それは他の件に行くと食べられません。和歌山へ行くとその熟れ寿司と和歌山ラーメンが美味いのです。和歌山ラーメンは他のラーメンとちょっと違います。和歌山県は醤油発祥の地ですから醤油が違います。
 和歌山のラーメン屋に入ると熟れ寿司が山のように積んであります。「ラーメン頂戴」と注文して待っている間になれ寿司を「食べたいな」と思って食べてしまうのです。なれ寿司は酸っぱいのです。三個くらいすぐに食べてしまいます。それからラーメンがきます。ラーメンはショッパイので、最初の酸っぱい味と、ショッパイ味が実によいタイミングです。
東京でも和歌山ラーメンは3軒くらいあるらしいのですが、東京の人はあまりなれません。僕のようにいろいろなものに興味をもって食べる人はあまりいません。熟れ寿司は食べない人が多いのです。
 そのようなものが地方に行くとたくさんあります。ところが朝鮮人が経営しているワタミ笑笑が青森に行ってあると絶対に食べる気がしません。青森の美味しいものをさがしているのに笑笑が出てくると「こんなところまでやっているのか!」と思って絶対に店には入りません。
 地方に行くと地方のよさがあります。それを出してくれるところがよいのです。最近、地方の番組が多いから楽しみして見ています。味噌にぎりは美味しいですよ。

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2017年01月10日

人間の探究 675 火の鳥

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※手塚治虫の「火の鳥」

人間の探究 675 火の鳥

 正月番組で手塚治虫についての番組『100分 de 名著スペシャル「100分 de 手塚治虫」』があり、女装家のブルボンヌ、映画監督の園子温、精神科医の斎藤環、僧侶の釈徹宗などが出ていました。
 『中杉弘の徒然日記』でも書きましたが、僕が特に興味をもったのは「火の鳥」です。すべて読んだわけではありませんが、だいたいわかります。
 手塚治虫が「火の鳥」で言いたいことは、「生命は一つ」ということです。大宇宙を動かしている生命は一つです。人間の中には何百億の細胞があるように、全世界にも何百億の生命があります。命でくくるとこれは一つの命です。それが様々に無限に変化をするのです。
 そのようなテーマの物語です。「火の鳥」は最初からいるのです。「火の鳥」で思い出すのは三島由紀夫の「金閣寺」という小説です。金閣寺はお寺の上に鳳凰が飾ってあります。
 「金閣寺」は坊主が金閣寺に火をつけて燃やしてしまう話です。その時に、「金閣寺の鳳凰と空を飛んでいる鳥は、どちらが本当の鳥なのか?」と考えたのです。
普通の鳥は空間を飛んでいます。金閣寺の鳳凰は時空を飛んでいます。だから「金閣寺の鳳凰の方が空を飛ぶ鳥よりも本当の鳥ではないのか?」という話です。それと手塚治虫の「火の鳥」は似ています。鳥と火の鳥は違います。
 「火の鳥」は輪廻転生していく様々な人を見ているのです。有る時は運命に作用し、有る時は運命に作用されるという物語です。一貫して最初から最後まで主人公は火の鳥です。
 火の鳥は人智を超えた存在である超生命体です。炎をまとった鳥の姿をして、100年に一度自らを火で焼いて再生(幼くなる)する事で永遠に生き続けるのです。火の鳥は、未来を見通します。火の鳥の血を飲めば永遠の命を得る事ができるため、多くの人間がその生き血を求めたのです。
火の鳥は時空を超えて羽ばたく超生命体として手塚作品で描かれています。その身体は宇宙生命(コスモゾーン)で形成されており、関わった人々の魂をも吸収して体内で同化し生かし続ける事も可能です。話によっては人間との間に子供をもうけていたりもしています。『エジプト編』の設定では元々は天上界にいたが人間界に降りたことになっている。火の鳥は一羽だけではなく、『ギリシャ編』ではチロルと呼ばれる火の鳥の娘が登場します。
ストーリーは、火の鳥の血を飲むと不老不死となると聞きつけた人間が火の鳥をとらえようとするのです。そのような話です。
 「火の鳥」に登場する人物の一人・始祖である猿田彦の犯した数々の悪行を清算する為に酷い目に遭う宿命にあり、「鳳凰編」では我王が「未来編」の猿田として生まれ変わり人類の最期を看取ることが描写されている。
 何しろ、火の鳥は時空を飛んでいます。古代編から宇宙編へと物語が移っていきますが、火の鳥はずっと時空を飛んでいるのです。その間に様々な人間のおぞましい歴史を見るのです。
 歴史を一貫して火の鳥から見させて、歴史につながりを持たせているのです。そのようなところが面白いなと僕は思いました。
 華厳経の哲学を手塚治虫は勉強したので、すごく詳しいのです。大阪帝国大学附属医学専門部を卒業しているので生死に関して詳しいのです。昆虫の博士でもあり、生命に対して非常に興味を持っています。
 しかし、結論は仏教はわからなかったのです。生命の摩訶不思議な作用を見落としてしまっているのです。それを完璧に追及するならば文学者になったのでしょうけれども、手塚治虫はそこまで勉強していないから、マンガ家になったのです。
 マンガの中に哲学が出てきてもそれではモノになりません。本当にそれを極めていかないと仏教は体得できません。
 仏教とは、この自然の大きさに驚いて讃嘆するから「すごく大きな仏がいる」という話になるのです。それで大仏や大日如来が出てきたのです。それが仏教ではありません。その奥に仏教というものはあるのです。ここを忘れてはいけません。
 そのような意味がわかって「火の鳥」を読むとわかってくるのではないかと思います。

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2017年01月09日

人間の探究 674 日本と創価学会

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※聖教新聞より

人間の探究 674 日本と創価学会

 今や自民党と連立を組んで、泣く子も黙る公明党です。国土交通大臣の地位に公明党の石井がしっかりとついて日本を差配しています。巨大な権力です。検察官は3千人、警視庁警察官は5千人も入っています。外務省にも創価学会員がたっぷりいます。これはよくありません。
 総体革命という話があります。経済を握り、政治を握り、教育を握らなければ革命はできないという考え方です。総体革命といいます。政治だけでは革命はできません。だから「公務員になれ、大会社に入れ、銀行に入れ」と言ったのです。
 今テレビで盛んに宣伝している西原商会もその内です。世界一の大商社を目指しながら、裏では学会のお金が出ているのです。目に見えない場所に学会員が大勢入り込んでいるのです。
 創価学会元幹部の造反3人組がいろいろなことを言っていますが、もう一度言いましょう。何が悪いのかというと、創価学会が悪いのです。この結論はすごいのです。「誰が悪い、池田大作が悪い」という話はありますが、そうではなくて創価学会の存在自体が悪なのです。
 これがわからなければいけません。創価学会は日本にあってはならないものです。そのことにみな気が付いているでしょうか? 池田大作は創価王国を造ろうとしたのです。この国は天皇の国です。そこに池田大作が出てきて王様になって創価王国を造るということは乗っ取りであり、革命です。これではよいことをやるはずがありません。
 学会員は頭の中には天皇よりも池田大作が入っているのです。これはダメなのです。我が国では絶対に許されないことです。なにしろ、公明党は自民党と連立政権です。そうなるとどうなるのかというと、ヤタガラスが出てきます。皇室をお守りしている目に見えない組織があるのです。
 これは余分な人間を消します。皇室まで手が伸びてきたときにはじまるのです。雅子妃殿下は創価学会だと言われています。父の小和田さんが外務省の大鳳会だと言われています。そんなものに入ってはダメなのです。
 雅子妃殿下が創価学会ならとんでもないことです。本来なら皇室をお守りしなければいけません。自分たちが皇室に成り代わろうとしている者たちを近づけてはいけません。韓国、中国、ロシアと付き合うことはまかりならないことです。それと同じことです。
 日本を滅ぼして皇室をなくして自分が「王国を造ろう」などという馬鹿は絶対に近づけてはいけません。自民党もそうです。最初は「創価学会は潰す」と頑張っていたのですが、遂に潰しきれなくて公明党を使ってしまったのです。使うと、諸刃の剣になります。
 公明党は勢力があるので何百万票入ります。物事は排斥して潰す方向と、取り組んでしまうという考えがあります。ローマ帝国はキリスト教を潰そうとしましたが、潰れません。信者をライオンに食わせたり、火あぶりにしても潰れません。困ってしまい何回も弾圧したのです。ローマの住宅に火をつけて「キリスト教徒がやったのだ」と言い、マッチポンプをやっても潰せなかったのです。
 結局、ローマ皇帝がキリスト教を取り入れてしまったのです。これが神聖ローマ帝国です。それまでは神の創った国ではありません。ローマ皇帝はキリスト教を取り入れて、神聖ローマ帝国になったのです。するとキリスト教徒は治まってしまったのです。
このように2つのやり方があります。自民党は最初、公明党を潰そうとしたのですが、潰すよりも利用したほうがよいと方針が変わったのです。
 マッカサーもそうです。「日本の天皇を潰すよりも、利用したほうがよい」と考えたのです。そんなことを考えてはダメなのです。
 自民党が誰を利用しようとかまいませんが、皇室には近づけてはいけません。創価学会の正体はドロボウです。ドロボウ集団ですから「あの人はよい人だ」などありえないのです。創価学会は国家を転覆させて政権を取ろうとしているのです。それを一貫して考えています。共産党もそうです。共産党には近づいてはいけないのです。政府は共産党を監視しています。共産党はかつて暴動をやったのです。火炎瓶闘争をやって何人も死んで武力革命をやろうとしたのです。その体質が共産党には残っているのです。
 創価学会の体質はドロボウです。声を大にして言っていかなければいけません。日本国にはいらないものです。公明党委員長の山口は東大法学部を出ていてもドロボウです。ドロボウの先端に立っているのですから、よい人間のはずがありません。創価学会は日蓮正宗を乗っ取り、国民を乗っ取り、馬鹿を奴隷にして、国家を乗っ取ろうとしているのです。こんな存在を絶対に許してはいけません。
 今後何があっても国民はこのことを忘れてはいけません。創価学会はドロボウです。もちろん、統一教会もドロボウです。このようなドロボウは近づけてはいけません。
 天皇の国體を壊そうとする者はすべて悪人であり、ドロボウです。ヤタガラスが動くのです。
 創価学会は正木正明と谷川佳樹の争いです。池田大作は引き摺り下ろされたのです。谷川が画策して、権力をどんどん取ってしまい、池田大作を隅っこにおいやったのです。今までは池田大作を使ったのですが、使えないと思ったら下げて出られないように病院に監禁したのです。実際はそのような状態です。
 谷川は統一教会から送り込まれたのです。それが池田大作に取り入ってどんどん出世して偉くなったのです。谷川は学会の教義を変更しようと思っているのです。そのために石田先生や、創価学会の大幹部が死ぬのを待っていたのです。2010年くらいまでに大物がみんな死んでしまい、残ったのは馬鹿ばかりです。そこから初めて教義の変更に入り、毎年教義の変更をしているのです。
 谷川の計画では日蓮大聖人様も省いてしまう予定です。日蓮大聖人様は本仏ではないというのです。谷川は結局、文鮮明の弟子なのです。そこまでもっていきたいのですが、ストレートにはいきません。少しずつ邪魔なものをはずしているのです。本当の大幹部が残っているとできないので、死ぬのを待っていたのです。谷川はそこで少しずつ勢力を伸ばして、創価学会を乗っ取ろうとしているのです。
 正木の作戦は、池田大作亡き跡に長男の博正を担ぐのです。それを元に「団結しよう」と言えば、創価学会は池田大作の信者が多いから博正でまとまるというのです。博正を担いで日蓮正宗に帰ると言っているのです。元通り日蓮正宗と学会がくっつくのです。その頭が博正です。それを実現しようと思っているのが正木です。
ところが統一教会一般の谷川は博正を脅して「池田大作の状態をバラす!」と言うのです。「池田大作は手足もない達磨となり、口もきけない脳梗塞で、糖尿病で動けないと公表するぞ!」と脅されているのです。それを博正は「待ってくれ」と言っているのです。池田大作の奥さんの香峯子もボケてしまい痴ほう症です。博正の子供は障害児です。
このような構図で争っているのです。それに学閥論争が入ってくるのです。もう信仰の位ではありません。学歴論争になってしまっているのです。
 矢野絢也も京大出身の左翼です。池田大作を見て尊敬するわけがありません。池田大作は高校も出ていないような奴です。だから「あのオッサン」になってしまうのです。学会幹部は「池田大作より自分の方が上だ」と思っているのです。
 池田大作を「マルP」と呼んで馬鹿にして、利用するだけ利用したのです。それができなくなると池田大作に思想がないから意味がなくなるのです。帰るべき思想がないのです。だから統一教会になるか、日蓮正宗になるかという派閥争いです。創価学会はそのような段階に入っています。

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