2018年07月17日

人間の探究 1067 バスを待つ黒いカラス

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※坊主はお人形さんのように絹の着物に紫に袈裟を着ると、民衆はひれ伏して「大僧正さまだ、ありがたや」と言われるようになってしまったのです。坊主の着物はまるでお雛様人形です。

人間の探究 1067 バスを待つ黒いカラス

 高円寺を歩いていたら、2人の坊主がバス停に立っていました。頭はクリクリ坊主で、まっ黒な袈裟を着ていました。袈裟は着物の上に着ます。その下の着物も黒です。この暑いのに重々しく暑苦しい服装です。それがバスを待っていたのです。
 「一体、この人達は何だろう?」と見ていましたが、僕は「むさくるしい」と思いました。みんな半袖でいるのに、長袖でまっ黒の着物を着ているのです。おかしいと思いませんか? 何か仏教をはき違えているのです。きっとこれは、葬式の帰りなのでしょうが、あんなクソ坊主に引導を渡されたら、地獄へ逝ってしまうのに決まっています。
 まるで死骸に群がるカラスのような奴らです。カラスとは、そのような意味です。死骸があるとカラスは死体をつっつきます。死体に群がる坊主はカラスのようなものだと言われています。
 坊主の格好はいろいろとありますが、本来の格好は糞掃衣(ふんぞうえ)といったのです。持てる物は糞掃衣の衣一枚です。それから、托鉢するためのお椀が一個です。それしか持ってはいけなかったのです。
 財産を増やしていくと、俗世間にどっぷりはまり、「もっと財産が欲しい」となるので、一切ダメなのです。お釈迦様は「出家僧は布一枚はもってよいのです。その布は、貴方のために縫われた布は意味がありません。その辺りに落ちている牛の糞がついて黄色くなった布を洗って、それをつなぎ合わせて衣にしなさい」と言われたのです。これを糞掃衣といいます。出家僧は、糞掃衣1枚はもってよいのです。他には何も持ってはいけません。
本来、坊さんは無一文です。道を求める人には、財産は入りません。財産など下手に持つと、道を求めながら財産を持つようになってしまうので、一切財産は持たないのです。
 お釈迦様の弟子になり、サンガという教団に入った以上は、一切財産を持ちません。だから、「出家」というのです。出家とは脱世間です。脱世間は、脱社会です。あらゆる社会の掟から離れて生活しているのです。これがサンガです。
 「私たちはいかなる財産も持ちません。従って、私たちを殺しても意味がありません。取るものは何もありません。裸でいて、衣一枚ですから、命を絶っても意味がありません。私たちは武器をもったりしません。貴方には逆らいません。しかし、こちらに逆らっても何も意味がありません」、これが本来の出家僧です。
 このように「社会から脱して出家して、仏の道を求める」ということが、本来の仏道修行です。これは今でも変わりません。「現代は違う」という坊主がいますが、何が違うのでしょう。現代でも真理に違いはありません。これに則っているのが、日蓮正宗です。
 「一、衣の墨、黒くすべからざる事。」という言葉が、日興遺誡置文(日興上人御述作 元弘三年一月一三日)にあります。「日蓮の弟子は、真っ黒な衣を着てはならない。うす染め色を着なさい」と言うのです。何故、うす染め色なのかというと、糞掃衣からきているのです。
 糞掃衣は黄色ですが、今は牛の糞のついた衣などありませんから、「衣は薄い色で染めて、贅沢をしない」という意味です。日蓮正宗は、それをずっと実行していたのです。「それはそれでいいな」と思った面もありますが、今では日蓮正宗の日顕、日如は金の屏風の前で、絹の衣を着ています。
日興遺誡置文には、「一、時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。」と書かれています。絹の衣を着た坊主には従わなくてよいのです。
 日蓮正宗には、僧階があり、これは天皇から与えられた位です。昔は国家の僧であるから、天皇が僧に階級をつけたのです。官許僧(かんきょそう)といい、坊さんは国が認めた坊主だったのです。「お前は坊主に向いているから、坊さんになれ。軍事や政治には一切口出しをするな。一心に仏道を求めよ。前たちに位を与える」ということです。これは、朝廷が与えた位であり、仏教が与えた位ではありません。
 ということは、世間の位ということです。世間の位と仏教がごちゃごちゃになってしまったのです。天皇が退位をして入るお寺を門跡(もんぜき)といいます。それは皇族が入っているお寺です。天皇が坊さんに位を与えることにより、仏教が世間の位に入ってしまったということです。
 大僧正になると、紫の着物を着ます。赤・緑・黄色の着物を階級により着るなどということになり、「仏教とは何か?」ということが、わからない状態になってしまったのです。仏教の中に世法が取り入れられてしまったのです。
 坊主はお人形さんのように絹の着物に紫に袈裟を着ると、民衆はひれ伏して「大僧正さまだ、ありがたや」と言われるようになってしまったのです。坊主の着物はまるでお雛様人形です。
 絹の着物を着て、紫の袈裟を着て、後ろから傘をさして、大名行列のようにシャナリ・シャナリと歩くのです。そんなものの中に仏教などありません。原型を考えてみればわかります。坊主の衣の原型は糞掃衣です。 僕はこのようなきらびやかな坊主を認めません。中身が無いのに違いありません。今は朝廷がないのですから、朝廷から与えられる大僧正はありません。勝手に宗派ごとに「大僧正」と言っているだけです。
 お寺の坊主は自称「大僧正」と言ってよいのです。誰も文句は言いません。昔は、大僧正とは、国家が与える資格です。だから、勝手に大僧正を名乗ると死刑です。今は誰も咎める人はいません。
 坊主が自称「俺は大僧正だ」と言われて、「誰が決めたのですか?」と聞くと、坊主は「俺が決めたのだ」と言います。それで通ってしまう話です。民衆は、阿含宗の教祖桐山靖雄や、オウム真理教の教祖麻原彰晃などのキチガイに群がったのです。
 本当の仏教は質素で真面目な団体でなければいけません。それを和合僧といいます。このような仏教団体にしていかなければいけません。質素で正直で真面目に修行に励み、「仏教の悟りとは何であるのか?」ということを探求して、探求したことを教えて行くことが本来の僧の役割です。そのような人間でなければ僕は信用しません。


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2018年07月16日

人間の探究 1066 水晶ドクロの秘密

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※水晶ドクロ、世界に7つあると言われています。

人間の探究 1066 水晶ドクロの秘密

 水晶のドクロは、世界に7つ存在すると言われています。このドクロが一つのところに集まると、大変な神通之力を発揮すると言われています。今は、それぞれの持ち主がいて、世界に分散しています。
 水晶のドクロは、いつつくられたのかもわかりません。この水晶は、今の技術ならば加工ができますが、昔はできなかったのです。鉄では刃が立ちません。水晶は鉄よりも硬度が高いのです。石でドクロは刻めません。
 「どうやって、等身大の水晶のドクロをつくったのか?」ということは、未だにわかっていません。たまりかねた学者が「これは現代人が機械でつくったものだ。機械でつくったドクロを密林に埋めて誰かに発見させて、古代のドクロを発見したと言っているのだ」と言うのです。そんなはずはありません。
 18世紀になると、水晶を細工する道具ができたのですが、何千年前の昔にどのようにして水晶のドクロを造ったのでしょうか? 未だにわかりません。
 翡翠も硬度が高いのです。古代の勾玉の穴はどうやって開けたのでしょうか? しかも、翡翠の勾玉をつくった時代は鉄もない時代です。鉄もないのに、勾玉の小さな穴をどのようにして空けたのでしょうか? 
 石で翡翠は削れません。古代の大王は必ず勾玉をもっていたのです。翡翠は日本の糸魚川産です。そこでしか採れなかったのです。それをみんな欲しがったのです。シナの皇帝も「何もいらないから翡翠が欲しい」と翡翠の勾玉を望んだのです。
 翡翠の勾玉をつくるのには、1年半くらいかけてつくったのです。本当のところは、どのようにして勾玉をつくったのかわかりません。どうやってつくったのでしょうか?
 何故、古代人は水晶や翡翠を欲しがったのかというと、波動をもっているからです。水晶時計がありますが、これは水晶が振動しているのです。目に見えないけれども、分子レベルで振動しています。振動を利用して時計のエネルギーに使っているのが水晶時計です。
 この振動は、水晶よりも翡翠のほうが強いのです。今、翡翠は簡単に加工されて、いろいろな製品になっています。
 これは仮説ですが、水晶は人間の思っている想念を物質化させる力があるのではないでしょうか? 水晶は、想念と物質を変換させる力を持っているのかもしれません。これは仮説です。翡翠も同じことです。
 水晶や翡翠をもって不平ばかり並べている人は、ますます不満を増幅させるのです。自分の人生の先で、不平不満に満ちた不幸な人生が出現してくるのです。「水晶は幸運を呼ぶ」という考え方は間違っているのです。水晶は幸運など呼びません。思いを増幅するのです。
先ほどの水晶ドクロを誰もいない研究室に置いて、夜取りにいくと、「青白く光っていた」という話があります。水晶ドクロが光を発しているのです。そのようなこともあり得るのです。
 人間の持っている想念は水晶を通して、水晶が変換して物質化するという働きがあるのではないかと思います。「思い」は想念です。想念を水晶にかけると、思いが増幅して、増幅した想念が未来をつくっていくのです。未来が出てくるのです。
 人間の元をただしていくと、想念です。何もありません。偉そうなことを言っても、人間の根本は精子と卵子です。精子と卵子がくっついただけで、生命になってくるのです。精子と卵子の元は想念です。想念には物質はありません。それが物質となって現れて、精子と卵子になって現れて、それがくっついて生命になるのです。
 何もない無分別の世界から、想念をもって人間に生まれて、人間の人生が始まってくるのです。悪の想念をもっている奴は、猛獣に生まれたり、不幸な姿になって生まれたりするのです。元は想念ですから、何もありません。
 それと世の中も同じです。「未来をどのように描くのか?」というと、ここに水晶や翡翠があると、それに想念をかけて願いをかけていくのです。「こうなりたい」「ああなりたい」という念をかけていくと、その想念が現実化してくるのです。
 想念が現実になる力をもったものが、水晶や翡翠だと思います。宝石もそれが言えます。だから人々は宝石を欲しがるのです。「光るから」「美しいから」というだけではなく、そのような力をもっているのです。それがどのような力なのかわからないだけです。だから、欲しがるのです。
 これは仮説ではあります。正理会では本翡翠の勾玉ペンダントのお守りを出していますが、だいたいよい結果になっています。善い性格の人が勾玉を持つと人生が開けてきますが、悪の想念を持った人が勾玉を持つと不幸な結果が出てくるかもしれません。例えば、ヤクザが勾玉をぶら下げていたらおかしいのです。
 翡翠の勾玉をいつも持っていると、自分の想念を吸収してくれるのです。信念を吸収して、増幅して、現実に想念が物質化してくる働きをもっているのではないかと思います。
 これはそれぞれが実験してみなければわかりません。いずれにしても翡翠の勾玉は有難いものです。大変貴重なものです。シナの皇帝は翡翠の勾玉を送ると喜んだのです。日本から勾玉1個を送ったくらいですが、大いに喜んだのです。本能的に「勾玉はすごい」とわかるのです。
 そのようなことを考えて、みなさんもよい勾玉を持ったらよいと思います。善い心がけを持った人には良い想念が出てきて、良い人生が歩めます。勾玉をもっても根性が悪ければ、曲がった人生が出てきますから、持たないほうがよいでしょう。
 良い想念とは、第一番に「生まれてきたことを感謝する」ということです。悪い想念は「俺は生まれたくなかったのだ。クソババア、クソジジイ。お前達、勝手にSEXをしやがって俺を生んだのだろう。俺は人生に何の責任もない。俺を生んだババアとジジイはぶっ殺してやる。俺は生まれたくなかったのだ」、この間の新幹線殺人事件の小島一郎がそれです。まず、「両親からぶっ殺す」と思っていたのです。そのような想念です。
 小島一郎は、恐ろしいことを言っています。「刑務所を出たら、またやってやる」と言っています。これは悪い想念です。その根本は「俺をこの世に生みやがったな」ということです。両親を恨んでいるのだから、人生がそうなってしまうのです。
 「生まれてよかった。私をつくってくれたお父さん、お母さんに感謝する」そのように思うならば、良い想念を次々と生んでいくのです。生んでくれたことに感謝しているのだから「お父さん、お母さんありがとう」と思います。すると勾玉はそう受け取るのです。
 想念を受け取った勾玉は、良い人生が出るように、想念を物質化していくのです。悪い奴が勾玉を持つと悪い想念が出てきてしまいますから、不幸な人生が出てきてしまいます。
 不幸な人生とは何かというと、もっとわかりやすく言うと、ヤクザがいて、ヤクザは何組に入るのかが大事です。入った組が悪ければ出世できません。それどころか地獄へ逝ってしまいます。
 良い組に入れば、どんどん出世して若頭や頭になっていくのです。入った組が悪ければ、「親分がアル中で死んでしまった」ということになるのです。それからさらに他の組に入れば、出戻りのような変な人間として扱われて出世できません。最後は路地裏でひっそりとお亡くなりになるのです。そのような人生になってしまうのです。これは悪い想念です。
 よい想念の人は、どんどん幸福になっていきますから、勾玉を持ったら「自分の想念はよい想念なのか?」と考えていかなければいけません。僕がよく教えている「Day by day,in every way, I am getting better and better. (毎日毎日あらゆることがますますよくなっている)」これを毎日唱えるのです。
 翡翠の勾玉に自分の想念をかけていくと、「私の人生がますますよくなっていくのだ。私は人生に感謝できるのだ」というように自然に言えるようになります。悪くなっていくと感謝できません。
 そのように翡翠の勾玉を持ち、良い想念を持って人生を歩んでいくならば、その人は素晴らしい人生を歩めるのではないかと思います。
僕はそのような人生を歩んでいます。僕は、35歳で糖尿病と言われたのです。保険に入るときに調べてもらうと、「貴方は糖尿病です」と言われたのです。「これで僕の人生は終わった」と思ったのです。糖尿病になると、だいたい10年で合併症などが出てきて、人生が終わってしまうのです。それから、42年間無事でいるのですから、すごいことです。
 これは、翡翠の勾玉をもっている功徳かもしれません。糖尿病は合併症で、目が白内障になったり、壊疽(えそ)になったりするのですが、至って健康です。僕はもう77歳です。それだけでもすごいことだと思います。
 今まで生きてきて、その間に死んだ人は大勢います。糖尿病である僕は生き延びているのだから、感謝しています。「素晴らしい人生だな」と思っているのです。皆さんも是非、翡翠の勾玉をもって素晴らしい人生を送っていこうではありませんか。本翡翠の勾玉は正理会でお求めになることができます。


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2018年07月14日

土曜日特別講義『やさしい宗教原論』2、人類の夜明け  仝郷佑肇曠癲Ε汽團┘鵐

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※猿人・原人・ホモ・サピエンス(現代人種)

土曜日特別講義『やさしい宗教原論』
2、人類の夜明け  仝郷佑肇曠癲Ε汽團┘鵐

 大昔いた北京原人や、クロマニヨン原人など、「原人」と呼ばれる人々には言葉というものがあったのでしょうか? まず、間違いなく言葉はなかったのです。「あ〜」「う〜」「お〜」という音は発しても、言葉にはなっていなかったと思います。
 現代人のホモ・サピエンスと、亜人(原人)の違いは言語をもっていたかどうかです。クロマニヨン原人は、ホモ・サピエンスに滅ぼされたといいます。これは当然です。ホモ・サピエンスは、「言語を持つ人々」と言い変えてもよいのです。
 言語を持った人間と、言語を持たない原人が戦ったら、人間に勝てるわけがありません。言語を持たなかった原人の意識構造は、動物と同じです。「腹が減った」「食べ物が食いたい」「あそこに食べ物がある」というくらいです。それも言葉で言うのではなく、衝動的に思いだすのです。「う〜(お腹が空いたこいつを食おう)」と食ってしまうのです。
 原人には言語はありません。目は開いていても真っ暗闇です。出てくるものは欲望だけです。この原人は、海を見て「美しい」、山を見て「神々しい」などと思うはずがありません。極めて動物的です。
 あるのは、心の中にある欲望だけです。「うぎゃ〜(逃げろ)」とか、それも本能的なものです。「逃げろ」「ぶっ殺せ」「殺した物は食え」ということだけです。ただ、クロマニヨン原人は寒い場所にいたので、火を使っていたのです。
 そのような原人の真理構造では、神はいません。恐れと恐怖と相手をやっつけるという欲望くらいしかありません。原人は、闇の世界です。
 その中に少しずつ目覚めてきたのです。「死んだらどうしよう」という漠然とした考えです。言葉では考えません。象などもそうです。仲間が死ぬとしばらく死んだ象をずっと見ているのです。しばらく見ていて、生き返らないとわかると、あきらめて歩き出すのです。
そのような感情です。そのうち、「何かがあるのではないか」と感じて、死んだ原人に花束を捧げるクロマニヨン原人も出てきたのです。この原人は闇の中です。それがずっと続いていくのです。
その後に言葉を持ったホモ・サピエンスが現れたのです。ホモ・サピエンスは言語をもっているので、人間と人間がつながり、お互いに交流ができたのです。
 ホモ・サピエンスは、言葉で表現することを学んだのです。「愛」「死ぬ」「神」という言葉ができてきたのです。単純な言語です。時代が経つごとに、だんだん複雑な言葉をしゃべれるようになり、その言葉の意味について考えるようになったのです。
 すると、動物も怖いのですが、「雷のような超自然は何だろうか?」と考えるようになったのです。ライオンや熊はもちろん怖いのですが、「もっと大きな怖いものがあるのではないか?」と思いだしたのです。そのもっと怖いものは何処にあるのかというと、「天の彼方に行くともっとすごい存在があるのではないか?」ということです。
 それを言ってみると「主人」みたいなものです。主人は見えないけれども、動物として飼われているのが人間です。我々の生かし主がうっすらと見えてきたのが次の段階です。(△紡海)

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2018年07月13日

人間の探究 1065 朝鮮人、麻原彰晃の怨霊

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※ケンブリッジ大学卒の白洲次郎。朝鮮人とは全然カッコよさが違いますね。

人間の探究 1065 朝鮮人、麻原彰晃の怨霊

 オウム真理教の大幹部は、7月6日金曜日に7人そろって処刑になりました。松本死刑囚のほか、早川紀代秀死刑囚(68)、井上嘉浩死刑囚(48)、新実智光死刑囚(54)、土谷正実死刑囚(53)、中川智正死刑囚(55)、遠藤誠一死刑囚(58)の6人です。それに対してイギリスは、「死刑はけしからん」と批判しています。何を言っているのでしょう。「死刑はけしからん」と言って、豚箱に一生閉じ込めておけばよいのでしょうか? そのような理論になります。それも残酷ではないでしょうか?
 一生何処にも出られないような状態にしておいて、刑務所で死ぬようなことになれば、それこそ人権侵害です。だったら悪事を働いた者は、生命を絶ってあげることが一番よいことです。イギリス流の死刑廃止論などに惑わされてはいけません。
 オウム真理教は、発表されていませんが、朝鮮人集団です。何故、そのようなことを発表しないのでしょうか? 麻原彰晃、上祐史浩、早川紀代秀、井上嘉浩、新実智光、林 郁夫も朝鮮人です。統一教会の流れと、朝鮮人の流れです。
 どうして朝鮮人は、日本に怨念をもっているのでしょうか? 朝鮮人の持っている考え方は、怨念としか言いようがありません。日本は怨念など持たれる必要は何もありません。終戦後、50万人の朝鮮人が日本に密航してきて朝鮮進駐軍をつくり、日本人を殺したのです。
 新宿・銀座・歌舞伎町の一等地を朝鮮人が持っていますが、どうして朝鮮人が持っているのでしょうか? 朝鮮人がお金を出して土地を買ったのでしょうか? そんなことはありません。朝鮮人は一銭もお金を出していません。日本人をぶっ殺して占領して盗ったのが、新宿・銀座・歌舞伎町の土地です。新橋もそうです。朝鮮人は暴れたいだけ暴れて、どうして日本人に怨念をもっているのでしょうか? 
朝鮮人の孫正義は白洲次郎に怨念をもっていますが、凄まじい怨念です。白洲次郎は、ケンブリッジ大学に留学した日本人です。奥さんもインテリで、理想的な日本人です。白洲次郎は、吉田首相の副官として、GHQ相手に一歩も引かず交渉した男です。白洲次郎は、「朝鮮人を全員朝鮮に帰してください」とGHQに談判したのです。
 「俺はケンブリッジ大学に留学した」という気位があったのです。白洲次郎は、日本人の英雄です。終戦時において、GHQ相手に堂々と交渉したのです。
 孫正義はソフトバンクのCMで、白洲次郎を白戸家の犬のお父さんにして、長男は黒人にして、白洲次郎をからかって、馬鹿にしているのです。誰のおかげで孫正義は成功したのでしょうか? こんな奴を成功させてはいけなかったのです。
 毎年ソフトバンクは、50名の幹部候補を採用するのですが、そのうちの30名が朝鮮人です。朝鮮大学校卒の朝鮮人が一番多いのです。朝鮮大学校は大学ではありません。ソウル大学や、半数以上は朝鮮の大学が占めているのです。ソフトバンクは、朝鮮人割引があります。何故、こんな奴を許しているのでしょうか? 日本政府は甘いと言わざるを得ません。
不思議で仕方ないのは、朝鮮人はどうしてそんな怨念をもっているのでしょうか? 朝鮮人は日本でよい生活ができているのだから、日本に感謝するべきなのです。それなのに、日本人を恨み、恨み、恨みぬいて、「恨み骨髄に達する」とは、どのようなことなのでしょうか?
 どこの国でも密航者が成功する国などありません。密航した朝鮮人を立派にしているのは、日本の社会です。それでも朝鮮人は日本人に怨念をもっているのです。麻原彰晃もそうです。凄まじい怨念です。麻原彰晃の下に集まった朝鮮人幹部の怨念はどれほど凄まじいのかというと、「日本人を皆殺しにする」ということです。
 オウム真理教は、「首都圏において最低でも500万人殺す」ということを考えていたのです。凄まじい怨念です。恐ろしさを感じます。麻原彰晃は、日本の社会の中で迫害されたわけでもありません。こんなことを考えて実行しようとしたのです。
 それが地下鉄サリン事件です。何千人の人間に負傷させたのです。「空からサリンをばらまいて、東京都民を皆殺しにする」という計画もあったのです。朝鮮人の怨念のすさまじさに、恐ろしさを感じます。
 これは一体何でしょう。結論がでません。朝鮮人は神の国日本に対して、もの凄い怨念をもっています。何をやっても朝鮮人は、日本人に敵いません。日本には2800年の歴史があります。工業も、芸術も発達して、日本人は大人しく勤勉です。まさに、神のような国民です。
 それに対して、「怨念を抱く」ということは、よほどやましい心があるのに違いありません。それはそうです。朝鮮人に歴史はありません。あったとしても奴隷の歴史です。朝鮮人は奴隷の子孫です。
 日本に奴隷から解放してもらい、字を教えてもらい、学問を教えてもらい、よくしてもらったのにもかかわらず、自分たちの歴史を恨んでいるのです。「俺たちは常に奴隷であった」ということです。それ以外の歴史は何もありません。
 朝鮮人は奴隷だから文化がありません。奴隷には文化などありません。だから日本が羨ましくて仕方ないのです。「日本の歴史は素晴らしい」素直に言えばそうなります。「負けないで我々もウソの歴史をつくろう。ウリナラの歴史は半万年。剣道も柔道も空手もお茶も朝鮮起源だ。日本刀も朝鮮起源だ」などとトボケタことを言っているのです。
 朝鮮人に歴史がないからそうなるのです。韓流時代劇は、全てウソです。徹底してウソをつくのです。そんなことをいくらやっても朝鮮人は虚しいのです。実際の歴史とは違います。すると、また日本に立ち帰るのです。
 「クソー。羨ましいな。何を見ても日本はすごいな」それでまた、朝鮮人は怨念を持つのです。「日本に負けないものをつくってやろう」と思い、空手はテコンドーといい、剣道はコムドウに変えて、日本刀の真似をして韓国刀をつくったのです。真似をするのですが、刀ができないのです。そこでまた恨みを持つのです。
いくら恨みをもっても天皇だけは届きません。すると、一番天皇を恨むのです。天皇だけは手が届きません。孫正義が何兆円もっても天皇だけはお金で買えません。
 そこに価値があるのです。それに気が付いた朝鮮人は、パチンコマネーで「天皇だけは動かせない」と怨んでいるのです。よく考えてみると、天皇が日本文化の最後の砦です。経団連は朝鮮人に抑えられてしまいました。裁判官にも朝鮮人がいます。政治家には150名の朝鮮人がいます。財界・政界・マスコミ、半分抑えられています。
 いくら抑えても天皇には手が届きません。だから、天皇を「日王」と言って恨むのです。「日王」とさげすんでも、手が届きません。ということは、天皇が如何に大事かということです。
 お金で買えない、身分で買えないものが天皇です。天皇の歴史と伝統はつくることができません。「100兆円で天皇を譲ってくれ」と言っても、天皇の位だけは譲れません。凄いのです。これが日本文化の伝統です。最期の砦は天皇です。
そこまで手を伸ばしたのが、プー小室です。「何とか天皇をぶっ壊したい」と秋篠宮家の眞子様に朝鮮人プー小室を差し向けたのです。プー小室は、女たらしの朝鮮人です。土足で皇室に踏み入ろうとしたのです。これは天皇の破壊です。秋篠宮様の破壊が次の天皇の破壊につながると考えているのです。
麻原彰晃がやったこともそうです。日本国の破壊です。そして、麻原彰晃のオウム真理教の帝国を造り、麻原彰晃は、大王になろうとしたのです。大王になったときには、天皇は邪魔です。天皇を死刑するのです。このようなことを企んだのです。朝鮮半島に属する人間達は、日本列島が神の国であるならば、悪魔の国の民です。
 なんとしてもこの悪魔の体質は直りません。ちょっとやそっとでは直りません。日本人に対する怨念は、何も根拠がないのに、悪魔としてのもの凄い怨念をもっているのです。その一つの最たる事件が、オウム真理教の事件です。日本人皆殺し計画です。
 麻原彰晃を含む7名の幹部はやっと死刑になったのです。しかし、この怨念は凄まじいのです。麻原彰晃と6人の幹部は、全員地獄へ向かってまっしぐらですが、その時に最後にやり残したことがあります。「ひっひっひっ、俺は地獄へ逝くけれども、日本に災いをもたらしてやるぞ。俺の正体はこれだ!」と大雨を降らしたのです。西日本がいまだかつてない大雨が降ったのです。100年に一度もない大雨を降らして大災害をもたらしたのです。「俺を死刑にしやがったな。大雨を降らして大災害を起こしてやる」という怨念が大災害を起こしたのです。
 麻原彰晃が処刑された日に大雨が降ったのです。この怨念のすさまじさを我々は知らなければいけません。そして、朝鮮人はみんな怨念をもっています。麻原彰晃だけではありません。マスコミ界にいる朝鮮人も怨念をもっています。
 何故、日本にお世話になっていながら、日本人の悪口を言うのでしょうか? これから逃れる方法は一つしかありません。憲法を改正することです。安倍晋三が李晋三ならば、憲法改正などやりはしません。やれるものならば、やってみなさい。
 1960年までの自民党の憲法改正法案は、「天皇に主権を返す」ということだったのです。それが憲法改正の一番でなければいけません。天皇の地位をそのままにしておいて、何をグチャグチャと言っているのでしょうか? 
 それを、ただちにやらなければいけません。これは朝鮮人の政治家にはできません。朝鮮人は日本が伸びないように、押さえつけて発展させないように、「朝鮮以下の国にする」という怨念でやっているのです。このような日本籍朝鮮人の議員を叩きださなければいけません。
 これを叩き斬るのは、英断をもって「憲法改正・憲法破棄」です。これをやらなければ、日本は救えません。アメリカをしのぐ最大の軍隊を持たなければ、日本の主権を守ることはできません。これが当たり前の理論です。
 安倍さんにも期待をしているのです。このブログは安倍さんの悪口を言うためにつくったのではありません。誤解しないでください。「何か変だな」と政治の流れを追っていくと、安倍さんにたどり着いてしまうのです。安倍さんの行動もおかしな行動です。
 むしろ「この国がよくなってもらいたい」と思っています。そう思ってみていくと、「どうみてもおかしい」ということが沢山でてきたのです。これを機会に日本は憲法破棄、新憲法の制定を速やかに行わなければなりません。

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2018年07月12日

人間の探究 1064 人はなぜキチガイと馬鹿に惹かれるのか?

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※2.26事件の野中四郎大尉は、「我れ狂か愚か知らず 一路奔騰するのみ」と言っています。狂とは「狂った」ということで、愚は「愚か」ということです。自分でそのように思っていたのです。

人間の探究 1064 人はなぜキチガイと馬鹿に惹かれるのか?

 民衆は馬鹿とキチガイが好きです。この代表例が池田大作です。池田大作は人気があります。何故、人気があるのかというとキチガイだからです。
 安倍さんも大人気です。大衆は、「安倍さんは愛国者ではないのか?」とカン違いしていますが、とんでもありません。どちらかというと馬鹿に属します。何故かというと、「美しい国日本」は、久保木修己の本の丸写しです。自分でつくった思想などありません。
 そのような上に乗っかっているのです。安倍さん独自の発想などありません。中身は何もありません。ただ、お金を外国に配って歩いているのです。大衆は、そこに魅力を感じるのです。安倍さんが思想をもっていて、それに大衆がついていくというのではありません。大衆は馬鹿だから、安倍さんは思想のことは何も言わないから安心してついていくのです。池田大作と同じ現象です。
 これより前は、小泉純一郎です。これはキチガイも入っています。これを魅力に思って「純ちゃ〜ん」とオバサンが叫んでいましたが、その実態は何だったのでしょうか? 小泉純一郎は、鹿児島県加世田町の朝鮮部落出身の朝鮮人です。小泉純一郎の政策は「日本をぶっ壊す!」だけです。本当に日本をぶっ壊したのです。これが郵政民営化です。
 小泉純一郎は偏屈な性格であり、統合失調症であり、松沢病院入院歴があります。それから、サドマゾの趣味があります。芸者“こはん”を殺したと言われています。小泉純一郎は「私は日本国民を苦しめるとキンタ●が立ってくるのだ」ということを、公言していたのです。
 「日本国民がヒイヒイと苦しんでいるだろう。そう思うとキンタ●が立ってくるのだ」というヒドイ男です。こんな奴が「純ちゃ〜ん」と言われて、熱狂的に迎えられたのです。しかも、小泉純一郎は近親相姦です。何一つよいところはありません。
 小泉孝太郎、小泉進次郎は、姉の道子さんの子供です。朝鮮丸出しのヤクザです。だから人気があるのです。おかしなことです。馬鹿やキチガイは人気があるのです。
 大川隆法もキチガイです。髪の毛を振り乱して、「霊言」と言っているのです。エルカンターレの格好をした、キチガイです。
 統一教会の文鮮明もキチガイです。「韓国は神の国であり、悪魔の国は日本だ。有り金全部、教団に持って来い」などという統一教会の幹部はキチガイです。「結婚相手を俺が決める」と言われて合同結婚式を行い、日本人と朝鮮人を結婚させているのです。何を馬鹿なことをやっているのでしょう。
 その手先が立正佼成会会長秘書の久保木修己です。これも朝鮮人です。こんなキチガイに人気が集まるのです。人気があるから、ある程度教団が大きくなったのです。すると、「人間は馬鹿やキチガイを好むのだな」ということがわかります。
日本列島には腐るほど人材がいます。馬鹿でもない、キチガイでもない人材は腐るほどいます。それなのに「人材がいない」と言っているのです。
 「安倍さん以外に誰がやるのだ? 誰もいないじゃないか!」と統一教会サポーターは言います。どうしてそんなウソをつくのでしょう。人材はいくらでもいます。優秀な人材を出させないようにしているだけなのです。 キチガイを祭り上げて「ワッショイ」と政治を引っ張っているのです。ひどいものです。この最もよい例が、銀座の真ん中で踊り狂った北村サヨです。天照皇大神宮教の北村サヨが「デン・デデン・デン・デン・・」と銀座の真ん中で踊りだしたら、みんなつられてついていったのです。そこに横綱双葉山までついていったのです。大衆は、キチガイについていくのです。
 麻原彰晃は、どうみても朝鮮人です。おかしな顔をして、「尊師だ」と言いっていたのです。おかしな格好をすると、大衆はついてくるのです。麻原彰晃は、キチガイです。朝鮮人は怨念が強いのです。
 矢沢永吉も朝鮮人である限り、怨念をもっているのです。ただ、永ちゃんは利口だから、口には出しません。その証拠に「選挙は一度も行ったことがない」と言うのです。でも、怨念が歌に出ているのです。長男は障害者です。
 野球界でも相撲界でも、キチガイに人気が出てしまうのです。人気者になろうと思ったら、キチガイにならなければいけません。キチガイになれなければ、キチガイのフリをしなければいけません。
 2.26事件の野中四郎大尉は、「我れ狂か愚か知らず 一路奔騰するのみ」と言っています。狂とは「狂った」ということで、愚は「愚か」ということです。自分でそのように思っていたのです。「2.26事件を起こすということは、キチガイの行動だ」と思っていたのです。
 決起などしたら、絶対にこれはやられます。これは愚かしい行動です。それがわかった上でやったのです。これを三島由紀夫は「無効性」と言っています。有効に考えられて、このような結果になると考えた行動はダメなのです。行動は、無効性でなければいけません。
 吉田松陰もある程度、キチガイです。「障害物があろうと、道は真っ直ぐ進め」というのです。これは、普通の人間ではありません。三島由紀夫も同じです。「思い立ったらやらなければならない」と行動を起こしたのです。これが三島事件です。政治的な配慮などしません。
 「その無効性の行動に人々は惹かれる」と、三島由紀夫は言うのです。これを無効性といいます。そのようなものが現れたのかもしれません。今の日本には馬鹿、キチガイばかりです。安倍さんも人気があるのは、「狂か愚」の「狂」なのです。朝鮮の「恨(ハン)」からくる「狂」なのです。
 大衆は狂った指導者、愚かな指導者を「偉大な人物だ」と思って選ぶ傾向があります。我々は、「正しい(正理)とはどのようなことか?」ということを日本人に教えていかなければいけません。
民衆は、正しいことがわからないから、「狂」か「愚」もわからないのです。これが正しいことだとわかれば、「これは馬鹿だ」と言えます。ところが、「正しいということがわからないから、狂も愚も魅力に感じてしまう」という傾向があるのです。
これから日本人を正して世界を救っていく思想とは、正気でなければいけません。正気になれば、「原爆で何百万人殺す」などという発想は出てきません。そんなことを想うことじたい、狂っています。
人間は災害になると、必死で人間を助け出します。タイの洞窟では、ダイバーが水中に潜って5キロ先から子供たちを助け出したのです。その人間が平気で原爆を落として、何百万人も殺すということをやるのです。狂っているのです。
「狂」と「愚」を退けて、正気の政治、正気の国の在り方を考えなければいけません。

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2018年07月11日

人間の探究 1063 文底秘沈の大法

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※無妙法蓮華経を説く日蓮大聖人様と、妙法蓮華経を説くお釈迦様は、どちらが偉いのかというと、日蓮大聖人様です。末法の衆生の本当の救いになるのは南無妙法蓮華経です。

人間の探究 1063 文底秘沈の大法

 日蓮正宗が主に言っていますが「文底秘沈(もんていひちん)」といいます。「文底(もんてい)」は、「文の底」と読みます。法華経は文上と文底があります。文上(もんじょう)とは字の如く書いてある通りです。その文の底に目に見えない部分があります。これを文底といいます。日蓮大聖人様の仏教は、「文底秘沈の大法」というのです。それを読み取っていかなければいけません。
 法華経の表層の部分を解釈しようとしても、意味がありません。どのような違いがあるのかというと、法華経はインドにお生まれになったお釈迦様の説法です。これを文上といいます。日蓮大聖人様の仏教は文上の法華経を説いたのではありません。
 奥底に沈められた日蓮大聖人様の仏教を「文底」といいます。勤行でも妙法蓮華經方便品第二の次に、寿量品第十六を読みますが、これはあくまでも「文底で読まなければいけない」と言われています。
 法華経は、文上読みではわかりません。それもおかしな理論です。文章を読むということは、一般に「文章と文章の間の行間を読む」と言われています。行間を読まなければ文章はわかりません。「文章と文章の間に何があるのか?」と考えていかないと、文章と文章はつながりません。それを考えて文と文の間が読めるようになって初めて文章を読んだことになるのです。
 それと同じで「法華経全体の文章の奥に沈められている文底秘沈の大法、即ち南無妙法蓮華経とはどのようなものか?ということを理解させていかなければいけません。
 これは、日蓮大聖人様本仏論になってくるから当然のことです。法華経文上では、「釈尊が仏になった」と言っています。日蓮大聖人様の仏教は本因妙の仏法といいます。お釈迦様が成仏した根本の原因は、久遠元初自受用報身如来(くおんがんじょ・じじゅゆう・ほうしんにょらい)の日蓮大聖人様の南無妙法蓮華経を受持して初めて成仏することができたという教えです。
 お釈迦様よりずっと前の御本仏がいたのです。御本仏について釈尊が修行して、お釈迦様として生まれたのです。この議論は、いくらしてみてもわかりません。法華経の奥深くが説かれているのが文底です。それは、それでよいでしょう。
 それを論証しようと思い、「久遠元初」から論争している人もいますが、そんなことはあまり意味がありません。日蓮大聖人様の仏教は、南無妙法蓮華経です。お釈迦様の仏教は妙法蓮華経です。
 「妙法蓮華経を理解するために南無妙法蓮華経と言っている。法華経に南無するのが、南無妙法蓮華経だ」と一般の人達は思っているのですが、全然違います。
 法華経は妙法蓮華経です。日蓮大聖人様の仏教は、南無妙法蓮華経です。「南無」がついているのと、つかないでは、全然違います。「南無」とは、読んで字の如く何もわからない状態です。凡夫の状態のことを「南無」といいます。
 凡夫は悟りがありません。「南無」とは、凡夫の自分のことです。「自分が何だかわからないから、妙法蓮華経に帰命します」というのが、南無妙法蓮華経の一般的な解釈です。南無妙法蓮華経は、妙法蓮華経と全然違う法なのです。
 「南無」がない妙法蓮華経とは、悟った立場からの教えです。悟った人は、妙法蓮華経です。その瞬間に我(が)は消えているのです。「妙法蓮華経」のどこにも我はありません。「南無」が付くと、凡夫です。南無妙法蓮華経というと、「馬鹿な俺を妙法蓮華経と開いていくのだな」ということです。これが南無妙法蓮華経です。お釈迦様は金色の仏様ですから、凄い立場にいて民衆もひれ伏します。
 南無妙法蓮華経を説く人に衆生はひれ伏しません。「いいか、お前は凡夫だぞ。凡夫のお前の一念心は南無なのだ。南無とは無明の一念心なのだ。その無明の一念を妙法蓮華経と開くのだ」というのですから、似ているようで全然違う教えです。
 南無妙法蓮華経を説く日蓮大聖人様と、妙法蓮華経を説くお釈迦様は、どちらが偉いのかというと、日蓮大聖人様です。末法の衆生の本当の救いになるのは南無妙法蓮華経です。悟っていない人々のための法が南無妙法蓮華経です。「貴方は悟っていないでしょう? 貴方は馬鹿で何もわからないでしょう」、そのことを「南無」というのです。「馬鹿」とも言い、「南無」とも言います。
 「南無とは何ですか?」と聞くと、無明を妙法蓮華経と教わるのです。最高の教えです。だから、馬鹿が馬鹿のままで成仏できるのです。そのように文底といっても意味が深いのです。
 それがわかっていないから、南無妙法蓮華経がわからないのです。昔からそうです。「釈迦に帰依するのか」「法華経に帰依するのか」、悩んできたのです。日蓮大聖人様も、「天台沙門」、「法華経の行者」、「本朝沙門」とも言われています。
 法華経の行者と言われると一般的には、法華経のほうが上です。法華経の行を積むのですから、法華経の行者は下です。ところが日蓮大聖人様の仏教では、法華経の行者は末法の御本仏です。もう悟ってしまい「妙法蓮華経だよ」と説くのではありません。法華経の行者そのままにして当体です。
 それを説いているのが、本当の文底の意味です。法華経をいくら読んでも日蓮大聖人様は出てきません。「御義口伝」を読めば日蓮大聖人様が出てきますが、法華経の中には出てきません。
 「ここで説かれているのは、日蓮大聖人様のことを説かれているのだな」とわかっていくことが、「文底をわかっていく」ということです。そんなに難しいことではありません。日蓮大聖人様は、法華経には出てきません。法華経は日蓮大聖人様がご生誕になる何千年も前に書かれて経典です。
法華経の言葉を読みながら、南無妙法蓮華経を拾いだしていくのです。拾いだしたお方は誰かというと、末法の御本仏です。法華経を修行する行者ではありません。日蓮大聖人様を「法華経を修行する行者」と言った、北一輝や田中智學などは、そのような解釈をしているのです。だから「自分も日蓮大聖人と同じ立場に立って修行するのだ」と言うのです。何を修行するのかというと、「法華経を修行する」というのです。
 北一輝は「この間、僕が勤行をしていたら隣に日蓮君が並んでいたのだよ。日蓮君と共に南無妙法蓮華経を修行しているのだ」と言っていたのです。北一輝は狂ってしまったのです。
 日蓮大聖人様に「南無」をするのに、法華経に「南無」をしてどうするのでしょうか? 「日蓮大聖人様に南無する」ということが、文底を見るということです。このことは信心の基本であるから、味わって深めていかなければいけません。

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2018年07月10日

人間の探究 1062 オウムの極悪人7人は地獄へ向かった!

オウム
※7月6日金曜日にはオウム真理教の麻原彰晃をはじめとして7人が死刑になりました。師弟共に同じ日に地獄へ逝ったのです。

人間の探究 1062 オウムの極悪人7人は地獄へ向かった!

 昔から、仏典では地獄のことが書かれています。御書を引いても地獄については、何百という言葉が出てきます。
 衆生が住む閻浮提の下、4万由旬を過ぎて、最下層に無間地獄(むけんじごく)があり、その縦・広さ・深さは各2万由旬あると言われています。この無間地獄は阿鼻地獄と同意で、意味は共に「絶え間なく続く(地獄)」です。
その上の1万9千由旬の中に、大焦熱・焦熱・大叫喚・叫喚・衆合・黒縄(こくしょう)・等活の7つの地獄が重層しているといいます。これを総称して八大(八熱)地獄といいます。これらの地獄にはそれぞれ性質があり、そこにいる衆生の寿命もまた異なるとされます。
また、この八熱地獄の4面に4門があり、門外に各4つの小地獄があり、これを合して十六遊増地獄(四門地獄、十六小地獄)ともいいます。八熱地獄と合せれば百三十六地獄となります。また八熱地獄の横に八寒地獄または十地獄があるともいわれています。また、山間廣野などに散在する地獄を孤独地獄といいます。
 「地獄はないだろう。それは架空の話だ」と我々も思っていました。しかし、実はこれだけしつこく何百回も地獄について語られているということは、「地獄はある」ということです。
 この世で列車事故、飛行機事故、戦争で死ぬなど、現実に地獄です。そこで感じるのが「地獄」というものです。「地獄という実態がどこかにあるわけではない」という解釈をします。「ここに地獄があるのだ」というわけではなく、今焼かれている人、苦しみにあっている人が感じているのが「地獄」ということです。そのように思っていたのです。
 統一教会の文鮮明は、ヘリコプター事故で黒焦げになって死にました。この地獄が「本当にある」と証明する学者が出てきたのです。これはロシアのAzzacov博士という学者が1989年に穴を掘っていたのです。
 以下はAzzacov博士のインタビュー書き起こしです。
「地下1万4400メートルに差し掛かった時だ、ドリルが急に回転し始めた。それはそこに空洞か洞窟がある事を示している。 温度センサーは摂氏2000度まで上昇していた。我々はマイクを下ろし、岩盤の動きを調査する計画を立てた。 しかし、岩盤の動きの代わりに、我々は叫び声をあげる人間の声が聞こえたんだ。最初、その音は自分達の装備・設備から起こっていると思ってそれらを調整した。 しかしそれは我々が最も恐れていたことを確定させてしまった。叫び声は一人の人間のものではなく、何百人・何千人もの人間の悲鳴だったんだ・・・」
興味ある人は、「地獄の音」をユーチューブで検索して聞いてください。恐ろしい地獄の声です。叩き殺されるような、しかも一人ではなく何百名の叫び声です。あまり恐ろしくなってこの穴はふさいだのです。ロシアのフィンランドの国境に近いコラ半島にこの穴はあります。「地底人がいるのではないか?」という研究で穴を掘ったのです。それが、この声を聞いて怖くなって引き上げたのです。これがフィンランドの新聞に掲載された話で、全世界に広まったのです。「地獄の音」という有名な話です。
 「地獄は何処にあるのですか?」と聞くと日蓮大聖人様は「地面の下」と言われています。「地下にある」というのは、例え話だと思われていたのですが、本当にあったのです。
提婆達多は五逆罪(ごぎゃくざい)の罪(父を殺す、母を殺す、阿羅漢を殺す、出仏身血、破和合僧)を犯したため、生きながら、無間地獄に落ちたといわれています。その年数は無量劫(長い間)です。提婆達多の末路は、自らの所業を後悔して釈迦に謝罪しに行くものの、祇園精舎の入り口にあった蓮池の付近で地面が裂け、地獄から噴き出た火に包まれたのです。また提婆達多に従っていた500家族の侍者も、一緒に地獄へ落ちたと言われています。
ロシアの「地獄の音」は、本当に苦しそうな声ですから、聞いてみてください。次から次へと叩き殺されてもまた生き返って殺される、それが永遠に続いているような声です。「衆生が住む閻浮提の下、4万由旬を過ぎて、最下層に無間地獄(むけんじごく)があり」と、経典には説かれているのです。経典の話は本当だったのです。誰が地獄へ落ちるのかというと、邪教の教祖と、その信者が地獄へ落ちるのです。統一教会はウソばかりついて、文鮮明はヘリコプター事故で黒コゲになり、一直線で地獄へ行ってしまったのです。
ヘリコプターごと、加速度がついて地面に落ちたので、地獄に向かって加速度を付けて落ちたと思えばよいのです。ということは、統一教会の信者はみんな地獄へ逝きます。死んだ先は、地獄に生まれるのです。
7月6日金曜日にはオウム真理教の麻原彰晃をはじめとして7人が死刑になりました。師弟共に同じ日に地獄へ逝ったのです。まず麻原彰晃だけを地獄へ送って、次から次へと死刑にしていけばよいのですが、一緒に死刑になると師弟ともども地獄へ逝ってしまうのです。瞬時に地獄に向かって一直線で逝ってしまったのです。邪教の罪は死んでも終わりません。
「地獄などない」と思っていたのですが、ロシアの学者が証明してしまいました。「地獄の音」は、「ウギャー」という凄いうめき声です。最近では、タイの洞窟で15名の少年が洞窟に閉じ込められてしまい、5キロ先の奥に入ってしまったのです。
その連中は、洞窟の中で声が聞こえたというのです。「豚の声、ヤギの声、人間の声が聞こえた」と言うので、「地上から声が聞こえたのではないか?」と言っていますが、地上から声が聞こえたならば、上に穴を掘ればよいのです。地上に穴があけばそこから救い出すことができます。ところが、その声は地上ではなく地下から聞こえていたらどうするのでしょうか? 少年たちは地獄の声を聞いたのではないでしょうか? 豚の声だか、なんの声だかわかりません。地獄の声を聞いたのかもしれません。
ここで誰が地獄へ行くのかハッキリと知っておく必要があります。まず、創価学会の池田大作です。今は地獄に入ってしまっています。生きているとは思えませんから、地獄でうごめいています。「俺は1兆円もっているのだぞ」と言っても地獄では通用しません。
「うりゃー」と地獄の攻め苦が永遠に続くのです。一説に無間地獄は無量劫(永劫)に苦しみが続くのです。邪教の教祖と信者はみんな地獄へ落ちるのです。朝鮮人の文鮮明は地獄へ逝っているのです。神国日本に仇をなす人間は、地底にある地獄に生まれるのです。
これは恐ろしい、仏教の経典の真理です。それは今まで証明されてこなかったのですから、ロシア人の学者が証明してしまいました。「地獄の声」をユーチューブで聞いて御覧なさい。「地獄の穴」と検索すればすぐに出てきます。本当に地獄はあるのです。仏様に逆らったり、邪悪なことをしたり、人々を苛めたり、オウムのようなことをやれば全員地獄へ逝きます。
麻原彰晃をはじめとして7人そろって特急列車で地獄に向かっています。死刑囚の真理はこうです。法務大臣が死刑の判子を押すと1週間以内に死刑にするらしいのです。すると、拘置所に連れていかれた死刑囚は通知を待っているのです。「通知が来たのか、来ないのか?」と、毎日ビクビクして起きるのです。
「今日は死刑の通知が来るのかな? 今日は何もこない」と安心するのです。その苦しみが月・火・水・金と続くのです。金曜日の夜になるとやっと安心するのです。死刑は、土日は行わないのです。
金曜日の夜になると、死刑はないのでホッとするのです。それで月曜日の朝を迎えるのです。死刑囚は「いつ言ってくるのかな」と怯えているのです。今回は、金曜日の朝にきてしまったのです。朝の8時頃にお迎えがくるらしいのです。
「トントントン」、「来た!」と真っ青になるのです。死刑囚でもそのくらい命は惜しいのです。そんなに命が惜しかったら人を殺すものではありません。人の命はどうでもいいのでしょうか? オウムの死刑にされた連中は地獄逝き決定です。
自分の命が惜しかったら人の命も助けなさい。人の命を奪っておきながら、「自分だけは助かりたい」など、そのこと自体、地獄へ逝きます。やった行為により2万由旬と言われる地獄にパッと入ってしまうのです。本当です。一旦地獄へ入ってしまうともう抜けられません。
永久の地獄です。生きてくるとまたバンと殺されて、それが無限に続いていくのです。地獄の底でやっとお地蔵さんが出てくるのです。地獄に落ちた人間を見て、お地蔵が誓うのです。「私は地獄に落ちた人々を救います」と誓うのです。お釈迦様は「その人達を救ってあげなさい」と言うのです。
地獄の底でお地蔵さまに出会った人は、「助かった」と地獄から脱出できるのです。地獄から脱出した先は餓鬼界です。とにかく欲しくて仕方ありません。畜生界は、お互いにいがみ合う命です。やっとそれも終わって人間界に生まれてくるのです。
しかし、改まらないのです。「三世変わらざるを性となす」と言うのですから、改まりません。また地獄因を積んでしまうのです。邪教の教祖に出会い、徒党を組んで人殺しをしてしまうのです。悪いことをするので、また地獄へ向かうのです。地獄界からは永久に出られません。お地蔵さんは地獄の底で現れる仏です。
街角などにお地蔵さんが祀られていますが、あまり意味がありません。地獄へ逝った人のところに現れるのです。それはいくらお金を持とうと、栄耀栄華(えいようえいが)を極めても、地獄へ逝く奴は地獄へ逝くのです。
地獄へいかないのは、正理会の本当の会員のみです。正理会を裏切ったら、地獄の底へ逝ってしまいます。そのくらい大事な話ですから、よく心にとどめておいて、地獄に逝くことがない人間になっていきましょう。


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2018年07月09日

人間の探究 1061 人間のクズ!

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※クズはゴミ箱に入れましょう!

人間の探究 1061 人間のクズ!

 最近、表を歩いていて人間を見ているとクズに見えます。「クズが歩いているな」と思います。当然そうなります。何も考えていません。社会のこともわかりません。どのような仕組みになっているのかもわかりません。
 ただ、会社に行ってお給料をもらい「早く休みが来ないかな。休日にはあんなことをやろう。今日は一杯飲みたいな」と、そんなことしか考えていません。朝からパチンコ屋に並んでクズもいいところです。
 最近、テレビでは毎朝女子アナが沢山でています。朝からテレビ芸者なのでしょうか? みんなでからかって喜んでいるのです。あれもクズ人間です。何もわかっていません。特にフジテレビの連中、人間の顔ではありません。プライムニュースの報道局のアナンサーはみんな色が浅黒く、のっぺりした情のない顔をしています。黒い山葡萄原人の成れの果てという顔をしています。日本人と顔が違うのです。色が浅黒くて、目がまんまるく、冷たい顔をしています。クズそのものの顔です。司会者の松山俊行と生野陽子は同じ顔をしています。山葡萄原人の一族ではないでしょうか?
 政治を見ても、国会を見ても、安倍さんからしてまずクズです。野党の議員もみんなクズです。クズがクズに質問しているのです。クズ質問です。クズだらけでどうしようもありません。
 これは政治の話になりますが、朝鮮人を差別しているのではありません。「朝鮮人についてよく知りなさい」ということを言っているのです。「朝鮮人は、このような物の考え方をする人間であるから、このような用意をしなければいけない」と言っているのです。
 朝鮮人を知らないと終戦当時、朝鮮人に殺された和夫さん一家殺人事件のように、皆殺しにされます。和夫さんは朝鮮半島で孤児院を経営していました。
「和夫は近くに行き場のない孤児がいると、連れ帰って面倒を見ていたがその数は一人、二人と増え、四、五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し、自ら喜んで彼らの父、母を称した。和夫の家族は、ふだん、このように朝鮮人を愛し、日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。
 しかし、彼らは、日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日、自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより、凄惨に殺害されたのだ。 
 その日、和夫さんが実の子のように育て、東京帝国大学まで留学させていた朝鮮人Aを中心に、和夫さんの家で教育を受け、成人するまで育ててもらった朝鮮人青年達が、カマとツルハシ、シャベルをもって、和夫さんのもとに押しかけた。
朝鮮人A「チョッパリ! 日本へ失せろ、失せちまえ。」
朝鮮人B「死ね、チョッパリ、シッパルノマ。」
間髪入れず鍬が、和夫の後頭部に振り下ろされたのと同時に、数多くのスコップと斧が彼の体をずたずたに引き裂きはじめた。
 このとき、和夫の妻が我慢できずに飛び出してきた。それまで黙っていた朝鮮人Cは、和夫の妻を見て、彼女の長い髪をつかみ、庭の奥まったところに引きずっていった。(奥さんは、犯した後に朝鮮人に惨殺された)
和夫には、一人の幼い娘がいた。ふだん模範的でいい子だったヒミコさんは、放課後、家に帰ってきて、両親の身に起こった惨状を見、気が触れてしまった。
その後、孤児となった「ひみこ」は、食べ物乞いに村を回ったが、誰一人見向きもせず、知らないふりをした。結局,彼女は9日後、村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。当時、ヒミコは小学校6年生の少女だった。」
朝鮮人は人間の肉を食います。知らないでしょう。朝鮮人から見ると「人間の肉も犬の肉も豚の肉に変わりはないだろう。死んで腐ってしまうのだから、それならば食ったほうがいいよ」と考えるのです。朝鮮人は食人種です。日本人とは全く違います。
個々の労働者の朝鮮人はどうでもよい話です。この朝鮮人が徒党を組んで日本を侵略しているのです。政治家に150名、NHKに1千名、電通に2千名、市役所に何百名、新聞社、マスコミに何百名の朝鮮人がいるのです。朝鮮人の巣窟になっているのです。
 それで反日教育をやっているのです。だからダメだと言っているのです。日本にいながら反日教育をやるなど、許されることではありません。日本が嫌ならば出ていきなさい! 朝鮮人は反日する資格などありません。嫌ならば出ていけばよいのです。簡単な理屈です。
 日本にいながら、ぬくぬくして日本の悪口を言う朝鮮人は、どのような神経なのでしょうか? いい加減にしなさい! 日本人はだんだん怒ってきています。
 日本人のフリをして、日本人の悪口を言う連中はみんなクズです。日本人になりすましたアナウンサーが日本の悪口を言うのです。これもクズです。女子アナもクズです。日本的な美しさを持った女子アナなどいません。
 日本国中クズが歩いているのです。西も東もクズだらけです。こんなに沢山クズが出てくると、クズではない人間も出てきます。これが自然の摂理です。クズの反対は、日本精神を持った人間です。例えば、僕のような人間です。僕は日本精神そのものです。正理会の女性はみんな美しいのです。何故かというと、鋭心を磨いているからです。インチキしたり、ウソをついたりしません。ウソをついたり泣いたりする奴をクズというのです。
創価学会の池田大作のクズぶりを見てください。全てウソです。「人間革命」の原稿は、篠原源太郎に書かせているクセに、「私が書いた」と池田大作はウソをつくのです。ウソは止めなさい!
池田大作の写真展を開くと「私は風景を見ないでシャッターを押す」と言うのです。そんな馬鹿がいるのでしょうか? それもウソです。
 「池田大作が行くと、花が咲かなかった場所でもいきなり花が咲く」など、こんな馬鹿馬鹿しいウソを平気でついているのです。創価学会員は恥ずかしいと思いなさい。何しろ、池田大作は「恥ずかしい」ということを、全く知らない男です。朝鮮人そのもののクズ人間です。
 それに従って、創価学会本部からお金をもらっている連中もみんな同じクズ人間です。良心がある奴はそんなことはできません。いい加減にしなさい! だから、池田大作は地獄へ御臨終になってしまうのです。
 文鮮明もヘリコプター事故で黒焦げになって死んでいるのに、「文先生は生きていて病院で死んだ」と、統一教会はウソをつくのです。ウソをつくものでありません。統一教会の連中がまともな死に方ができるはずがありません。
 西も向いてもクズ、東を向いてもクズ、クズばっかりの日本になってしまいました。その中にクズではない者も現れてきています。それが大事なことです。

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2018年07月07日

土曜日特別講義『やさしい宗教原論』1、 宗教の夜明け

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※クロマニヨン原人には埋葬の形跡がみられます。洞窟の中に骨があり、骨に花がたむけてあるのです。

土曜日特別講義『やさしい宗教原論』

 これは全部で100本にまとめます。
 世界中に様々な宗教があります。日本には18万の宗教団体があると言われています。宗教は政治に大変大きな影響力をもっています。これがどのような教えをもっているのか考えてみたいと思います。
 「その考えられたことが役に立っているのか?」「人々の幸福のためになっているのか?」を合わせて考えてみたいと思います。所謂、宗教の原点です。宗教はなぜ生まれたのでしょう。

1、 宗教の夜明け

 人類は原始人から目が覚めて、理性が発達してきて、何か妙なものを感じてきました。妙なものとは、漠然とした恐怖です。空に雷が鳴り、地震がおき、洪水がおき、凶悪な猛獣が人間を食らいます。
 そのような場所で人類は始めて自我意識をもったのです。まさに人類の夜明けです。周りを見ると恐ろしいものが沢山あります。食べるものもありますが、恐ろしいものが沢山います。
 「何故、私は今ここにいるのだろうか?」ということが、人類の夜明けということです。それまではその自覚すらありません。ただやみくもに食べ物を探して、闇の中を歩いてきたようなものです。
 ふっと目覚めると、「何故、こんな恐ろしいところに僕はいるのだろうか?」という感情をもったのに違いありません。クロマニヨン原人には埋葬の形跡がみられます。洞窟の中に骨があり、骨に花がたむけてあるのです。
 類人猿には、死者を葬って花をたむけるなどという行為はありません。現代人ホモ・サピエンス以前のクロマニヨン原人には、死者を弔う風習があったのです。ということは、自我の目覚めでもあるのです。
 自我が目覚めると恐ろしいことが出てきたのです。動物同士の場合、お互いに殺し合って「食うか」「食われるか」というそれだけの話ですから自我というものはありません。「恐ろしい」ということがわかってきたことが、人類の夜明けです。
 恐ろしいことに気が付いた人類は、「助けてくれ」という気持ちが出てきます。「助けてくれ」と言ってもどのように助けてもらっていいかわかりません。何に対して「助けてくれ」と言っているのかわかりません。まだ、「神様」という概念はありません。
 そのような時代がきたのに違いありません。その夜明けの中から「太陽が神様ではないか? 我々の生存は神様による。太陽こそ神である」と思う人も出てきたのです。この世界はいろんな神がいて、いろんなものを神として祀り、或は人形をつくり「これに祈って助けてもらおう」と考えたのに違いありません。
 その中で「太陽が神だ」と思うのはまだよいほうです。偶像崇拝しない者たちは、羊や動物を神の使いとして、祈ったのです。キツネをお祀りしたり、ライオンをお祀りしたのです。インカは「鷹が神の使いだ」と考えたのです。
 それらに対して「神様助けてください」と祈る行為が目覚めてきたのです。地方により崇める対象が違うのですから、世界には何百、何千という部族ごとの宗教ができてきたのに違いありません。
 それを勝手に拝んでいればよいのです。それをめぐって宗教戦争が出てきたのです。「俺たちの神が正しいのだ。あそこで動物を拝んでいる奴は許さん。あれを滅ぼす。我らの神が勝利する」と言うのです。他の部族はみんな邪教です。
 神様は、拝んでいる我々の偶像しかないのです。他の偶像を拝んでいる奴は全て敵です。それはぶっ殺すのです。それで部族間の戦争が起きてきたのに違いありません。これは最初の宗教戦争です。
 そのような中から高等宗教が出てくるのです。一つは、インドのバラモン教です。モーゼに始まるユダヤ教、ゾロアスター教などが漠然と出てきたのです。まだ、仏教もキリスト教も出てきません。
 4千年前に出てきたユダヤ教は、大変興味深いものです。その前は全て偶像崇拝です。非常に不幸な歴史を歩んだのはユダヤ人です。ユダヤ人は金で出来た子牛のバール神を拝んでいたのです。
 ユダヤ人はエジプトに連れていかれて奴隷になってしまったのです。昔の戦争は、皆殺しです。戦争に負けると人間が食料になってしまうのです。違う部族をなぜ襲うのでしょうか? 襲う必要などありません。
 違う部族を襲って男は皆殺しにして、女子供は奴隷にするのです。女が欲しいと戦争になります。「人間の肉が食いたい」と思うと戦争になります。いろんな物を奪うのですが、たいしたものはありません。これが戦争の原型です。
 エジプト人とユダヤ人が戦うと勝ったほうの奴隷にされてしまうのです。ユダヤ人の奴隷は何十万人です。ユダヤ人がエジプト人の奴隷となり、下働きをするのです。エジプトのピラミッドもエジプトの金もユダヤ人がつくっていたものかもしれません。
 その時にユダヤ人の中からモーゼが出てきます。「自分の民族は奴隷である。なぜ、奴隷なのだろうか?」と考えたのです。ある日、神に「モーゼよ、来い」と呼ばれてシナイ山に登ったのです。
 すると神の声が聞こえて「モーゼよ、お前はユダヤの民がなぜ奴隷なのかわかるか? 教えてやろう。それは偶像を拝んでいるからだ。お前は私からこの話を聞いたら、帰ってイスラエルの民に契約をさせなさい」と言うのです。モーゼが「契約とは何ですか?」と聞くと「私との契約だ」と言うのです。
「この契約を守るならば、ユダヤ人は世界を統一する民族になるであろう。私の言葉を聞かなければ、ユダヤ人は神から罰を受ける。どうだ、モーゼよ、契約するのか!」と神の声を聞いて、モーゼは「契約します」と言ったのです。
モーゼは神にあった初めての男です。シナイ山から下りてきたモーゼは、神にあったので黄金に輝いていたのです。
 ユダヤ人たちは「モーゼ、何処へ行ってきたのか?」と聞きます。するとモーゼは、「あの山に行ってきた」と言うのです。「何しにいったのだ?」と聞くと、「神に呼ばれたのだ。神がモーゼよ、来いというので私はシナイ山に登ったのだ。そこには神がいて、このように言われた。お前達は神と契約したら、ユダヤ人は神の民になるであろう」と言うのです。
 モーゼは両手に十戒をもっていたのです。右と左に五条書いてあります。
1. 我のみが神である
2. 偶像を作ってはならない
3. 神の名をみだりに唱えてはならない
4. 安息日を守ること
5. 父母を敬うこと
6. 殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)
7. 姦淫をしてはいけないこと
8. 盗んではいけないこと
9. 隣人について偽証してはいけないこと
10. 隣人の財産をむさぼってはいけないこと

 大事なところは、「みだりに神の名を読んではならない」です。「神の名前は何と言うのですか?」とモーゼが聞くと「私の名はない。それでは困るから一応、神の名としてヤハウエィとつけておきましょう」と言ったのです。
 モーゼは「この教えを信じるか?」と聞くのです。当時のユダヤ人はバール神を拝んでいたのです。「では、信じてみようではないか」と言うのです。これが本格的な宗教の始めです。要するに山や川や火が神であったり、偶像が神である宗教と違い、契約の神です。ユダヤ教の神の概念とは、神との契約です。
 「神と契約するか? 契約すれば世界一の民族にしてやる。信じなければお前達は奴隷だぞ。どうするのか?」ということです。そこでユダヤ人は「信じます」と言ったのです。「では、今すぐバール神を捨てろ」と言われたのです。するとみんな抵抗があるのです。「長年拝んでいますから、これは簡単に捨てられないのですよ」とユダヤ人達が言うとモーゼは、「捨てろ!」と言ったのです。
 「では、何を拝むのですか?」と聞くと「目に見えないものを拝むのだ。目に見えないけれども、神は存在するのだ。あえて言うならばヤハウエィと言うのだ」と言うのです。神は厳しい神ですから、「苦しいからと言って、私の名前を呼んではならない」と言うのです。神は簡単に助けてはくれないのです。
 「この神を拝むならば、ユダヤ人は世界を統一することになるだろう」と言われたのです。これは有難いことです。ここからユダヤ人の歴史は始まるのです。これが人類に現れた新しい神概念です。
 今まで神とは、偶像のことをいってきたのです。神とは偶像ではありません。これが神です。それからモーゼはいろいろな教えを神から与えられるのですが、これが近代的な宗教の始まりです。この内容を見ると万物の根本にある神ヤハウエィは、目に見えません。言葉もありませんが、神の正体とは何であるのかということを、ユダヤ人の物理学者も哲学者も追い求めてきたのです。
 神は姿がありません。どんな神なのでしょう。その神を追い求めた結果として、アインシュタインは相対性理論をつくったのです。結論は「神にあいたい。神とはどんなものだろうか? 姿を現してください。それを見たい」ということです。
 アインシュタインは「私の信仰とは神を見ることである。そのために世界の成り立ちを物理学を使って見てきたのだ」と言ったのです。このようなことが言えます。これが人類の夜明けに持った宗教観の第一です。


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2018年07月06日

人間の探究 1060 僕のブログに反応がない!

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※日本人は不思議とモーゼの十戒を守っていますが、神と契約したわけではありません。生まれながらにして、十戒を守っている凄い国です。

人間の探究 1060 僕のブログに反応がない!

 僕のブログを見てくれているわりには、全然反応がありません。一言もありません。民度が低すぎなのでしょうか?
 一番大事なことを「人間の探求」では書いています。ブログランキングではトップをしばらく続けているけれども、反響がありません。どのようなことなのでしょうか? 反響がなければ、普通はランキングも下がります。
 しかし、見ている人の数だけは増えているのです。でも、何も言いません。言いたいことがあるでしょう。僕は全宗教を否定しています。もの凄い数の人間が頭にくるはずです。反論を期待しているのですが、誰も頭にきていません。口も開きません。ただ、面白いから見ているのです。
 これはどのような現象なのでしょうか? 「道を求めていく」ということが、宗教団体に所属している幹部には全くないとわかるのです。信者は完全に宗教団体で魂を抜かれてしまい、ゾンビにされているのです。または、ゴイムになっているのです。そのような現証なのかもしれません。
 ゾンビとは、一旦死んだ人間を生き返らせて、何も考えられないようにして働かせるのです。労働が終わると崩れるように寝て、また起きたら働くだけです。何の楽しみもありません。言われるままに働くのがゾンビです。ゾンビは本当にいるのです。
 ゴイムはまた違います。ゴイムとは、「豚」という意味です。これはアシュケナジー・ユダヤ人が使った言葉です。「ユダヤ人以外は、ゴイムである」と、タルムードに書かれているのです。
 ゴイム=豚という意味です。ユダヤ人は「正しい信仰を持つのはユダヤ人だけである。ユダヤ人以外は豚だ!」と言うのです。そこでユダヤ人は「偶像は口がきけるのか? 偶像は歩けるのか? 偶像は物を考えるのか? お前は歩いて口もきけて、物を考えることもできるのに、偶像を造ってひれ伏すのか?」と言うのです。偶像を崇拝している人間をゴイム(豚)というのです。
 偶像は人間が造ったものです。偶像よりも人間のほうが偉いのです。それを放棄して偶像にひれ伏しているのは、人間以下の豚だということです。ユダヤ人は偶像など拝みません。神をよく知っているのです。
 「神とは、イデアとロゴス」です。イデアとロゴスを限りなく求めていくとこに人間の成長があるのです。これはアインシュタインの言葉にも現れています。「私が物理学を研究しているのは、神がこの世界を創った筋道が知りたいのだ。どのように宇宙ができて、どのようにして神がいて、世界があるのか?」という筋道を知りたいのです。
 ユダヤ人からは、どんどんそのような偉人が出来てきます。神は目に見えないものです。偶像を造って「これを拝め」と言って、拝んでいたら、そんな考えは全然出てきません。偶像を拝んでいる人間はゴイムです。
 今の日本の宗教の信者は、ゾンビかゴイムです。怖いですね。創価学会はゾンビが何百万人もゾロゾロと並んでいるのです。中身はゾンビですから、もう何もありません。創価学会に魂を抜かれてしまったのです。
 ユダヤ人から一般の人を見ると「ゴイムが歩いている」と見えるのです。何も考えていない人間は馬鹿に見えるのです。
 そこでアシュケナジー・ユダヤは飛躍して悪くなるのです。「豚は何をしてもよいのだ。我らのみが人間であり、豚は人間ではない。人間ではないものは殺してもよいのだ。だましてもよいのだ。何をしてもよいのだ」このような考え方です。これはいきすぎです。
 ユダヤ教はいろんな有名人が出てきます。科学者や物理学者や小説家はみんなユダヤ人です。物を考えるという人間ができてきます。
 本当の日本神道はユダヤ教を超えています。日本人は書いた教えはありませんが、みんな十戒を守っています。
1. 我のみが神である
2. 偶像を作ってはならない
3. 神の名をみだりに唱えてはならない
4. 安息日を守ること
5. 父母を敬うこと
6. 殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)
7. 姦淫をしてはいけないこと
8. 盗んではいけないこと
9. 隣人について偽証してはいけないこと
10. 隣人の財産をむさぼってはいけないこと

十戒を守っているのは日本人だけです。全員が守っています。日本人は人殺しをしません。親を大事にします。神の名をみだりに呼んだりしません。日本人は十戒を守った民です。「十戒を守れ」などと教わっていないのに、自然に実行しているのです。
 日本人は神の民です。日本神道はユダヤ教を超えています。モーゼが神に召されて「これを守るか? 守るならば、お前達を世界一の民にしてやろう」と言われてモーゼは「実行します」と言ったので、神と契約したのです。これがユダヤ教です。これから「契約」という概念が出来てきたのです。
日本人は不思議とモーゼの十戒を守っていますが、神と契約したわけではありません。生まれながらにして、十戒を守っている凄い国です。
日下公人さんは「日本の文化は情の文化である。人間はまず情を教わらなければいけない。次に理屈を覚えるのです。それからさらに応用・発展させていくのです」と言ってい、ました。
 戦前の小学校では「桜・桜、桜が咲いた」という教科書から入ります。桜が咲いて「美しい」と感じるのが情です。「桜の花びらは4枚なのか、5枚なのか」ということは、知らなくてよいのです。
 「桜は美しい。桜は4月に咲いて、すぐに散ってしまうのだな」と感じることが感性です。小学校の4年生になると初めて桜の構造を習っていくのです。まず、最初に習うことは、情です。この情について今はだいぶ朝鮮人が入り込んで荒れていますが、情について日本は世界一の国民性です。
 日本人はお互いにすぐにわかり合えるのです。「織田信長」と言えば、信長らしいものがすぐに頭に浮かびます。「豊臣秀吉」「徳川家康」と言うだけで、お互いに通じるのです。それは情なのです。理屈ではありません。先に講談などを通して習っているから、通じ合えるのです。
 朝鮮には文学などありません。ロシアにもありません。農夫や労働者の文学はあっても、人間の感情が行き来する文学はありません。日本人だけがしっかりと情の文化でつながっているのです。
 また、日下公人さんは面白いことを言っていました。西洋人は子供を獣だと思っています。だから大人は子供と仲良くしません。可愛がったりもしません。だっこしたり可愛がったりする育て方はしません。
少しでも大きくなったら、「ママとパパは忙しいのだから子供部屋に入っていなさい」とドアを閉めるのです。西洋社会は情が伝わらないのです。子供が悪さをすると厳しくしつけをするのです。
日本人は生まれたときから子供は「可愛い」と育てられます。何故そのように違うのかというと、日本人は子供を神だと思っていますが、西洋人は子供を獣だと思っています。ビースト(獣)です。それを訓練することにより、人間になるのです。「なるほど!」と思いました。
 日本人にとって子供は神なのだから大事にしていると、だんだん成長して神のことがわかる人間になってくるのです。このような違いがあります。この情の文化は非常に大事で、情の文化が世界を救うのです。日本には情の文化があります。
 このようなことが大事です。僕のブログを読んだらよく吟味していかなければいけません。「私はこのような宗教を信仰しています」と言えば、「いいじゃないですか。どんな宗教か聞こうではないですか。よいところはここで、悪いところはここです」と話しあっていけるような情の文化、情の宗教にしていかなければいけません。
 ところが僕が一生懸命書いても誰も発言しないということは、情が伝わっていかないのです。もう完全にゾンビになってしまったのです。創価学会や統一教会のようにゾンビにしたり、ゴイムにすることが宗教家の役割ではありません。
 宗教家は信者を育てるにあたり、品格を向上させて立派な人間にすることが宗教家の役割です。何処に出しても恥ずかしくない人間になっていく教育をしないと、宗教の意味がありません。これは正論なのにそれに「賛成」とも「反対」とも言わないで、僕のブログを読むだけでダマテンで何も言わないのです。
 これを読んでいる多くの人々、貴方はゾンビですか? 貴方はゴイムですか?


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