2011年04月

2011年04月29日

仏法対話(19)嘘と仏法

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「中杉 弘のブログ」のテーマソングです。紀元は2600年(キングレコードより)


仏法対話(19)嘘と仏法

質問者「人間は嘘をつきますが、嘘はなぜダメなのでしょうか?」

解答します。政治家も芸能人も相撲取りも嘘ばっかりペロペロつきまくります。一般の家庭では嘘についてどう教えているでしょうか?よい家庭では「嘘をついてはいけないよ」と教えていると思いますが、なぜ嘘をついてはいけないか、ということは説明しません。創価学会の家庭では積極的に嘘をつくことを教えます。その理由は創価学会初代会長である牧口常三郎の価値論にあります。価値論とはカントの真・善・美にたいして大事なのは利・善・美だといったのです。利とは嘘のすすめです。死にそうな人に対して、真実をいうなら「あなたはもうじき死ぬのです」これは真実ではあってもなんの利益にならない。ゆえに「おじいちゃん、かならず元気になるからね、がんばってよ」というところに価値は生まれるというのです。しかしこの話はすり替えです。「おじいちゃん、がんばって」は嘘ではなく激励です。まあ、それはともかく創価学会員は嘘を日常的にペロペロつきまくります。嘘によって物事を動かそうとするのです。でも嘘はだめなのです。嘘はなにも生まないからです。嘘を日常的についていると真実がみえなくなります。
嘘をつくという頭脳構造が真実を覆い隠し相手の人間性を正しく見抜けないのです。普通の人間は、「この話は嘘か本当か」と判断するからです。
僕のまわりにいたヒトシ・タカハシなどは嘘つきですが、それだけでなく誇大妄想狂なのです。そして泥棒なのです。もちろん詐欺師でもあります。その本当の原因は嘘つきにあるのです。ある問題がおきたとき嘘をもって解決すると一応はおさまります。真実をもって謝罪なり反省をもって解決するとその人は一歩前進します。嘘はごまかしただけですから退歩します。嘘で全てを解決していると遂には真実がわからなくなり全てに対して嘘で対処するようになり、自分がなにを言っているのか、相手が何を考えているかが全くわからなくなります。嘘地獄に入ってしまうのです。そうするとすべて逆の結論をえます。ヒトシ・タカハなどはこの僕を朝鮮人と思い込み、地上最低の銭ゲバだと思い、もっとも出鱈目な人間だと思い、汚い人間だというのです。それどころか貧乏人だというのです。真実は僕は日本人であり、かなりの人格者であり、お金にはきれいで、秩序を持った人間であり、嘘はつかず、それなりのお金持ちです。子供は4人、孫七人の常識家です。孫達は一人は女子美芸術学部西洋画に、また国学院大学久我山高校の二年生であり、また明星学院で学んでいます。まったく僕は正常な神経の持ち主なのです。ヒトシ・タカハは五十をすぎていて独身で家も無く風来坊なのです。この嘘つきにはなにも見えないのです。嘘は妄想をうみ妄想は現実を逆転させます。嘘は自分についても嘘をつき犯罪者となります。「嘘つきは泥棒のはじまり」とはよくいったものです。人間はことばによって生活します。したがって言葉は重くなければなりません。言葉を重くするのが真実であり、これはきちんと子供には教えなければなりません。こういうことを知った人間はやがて人材になり立派な仕事をするようになります。
仏典にも方便話は沢山ありますが嘘と方便は違うのです。方便には目的があり嘘には目的がないからです。

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2011年04月28日

仏法対話(18)天理教

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「中杉 弘のブログ」のテーマソングです。紀元は2600年(キングレコードより)


仏法対話(18)天理教

質問者「奈良県にある野球で有名な天理教について教えてください。なにか大学もあるみたいですが?」

お答えします。天理教といえばすぐに思い出す言葉があります。「屋敷を払って田売りたまえ天貧乏のみこと」です。これは彼らが唱える「悪しきを払うて助けたまえ天理王命」をもじったものです。天理教にはいると財産は一切無くなり裸一貫となり。最後はハッピ一枚になり”もっこ”をかついで土木工事にかりだされるのです。天理市の天理教本部に行ってみるとハッピを着て”もっこ”をかついでいる叔父さん達に出会います。どの顔もニャニャして鼻の頭がアル中のように赤いのです。財産もなにもかも教団に寄進し心配事がなにもなくなり「陽気暮らし」をしている叔父さん達なのです。なまじの財産があるから兄弟喧嘩がはじまる、親子喧嘩、泥棒に狙われる、税金も取られる、倒産に脅える、こういった悩みは財産が全部無くなれば解決し陽気暮らしができるのです。オームもそうでしたが「全財産を寄付しなさい!」統一協会も「全ての財産を神にささげなさい」と教えますが、うまいことを考えたものです。全財産を教団に寄付した人は陽気になれるのです。この天理教の歴史は以外に古く幕末まで遡ります。教祖中山みきは寛政10年4月18日の朝に、大和国津藩山辺郡三昧田村(現在の奈良県天理市三昧田町)の前川半七の家に生まれました。 前川家は浄土宗の檀家であったので、その感化を幼時より受けました浄土宗の僧侶になることを希望し浄土宗の熱心な信者でした。文化7年9月15日(1810年10月13日)に中山善兵衞に嫁ぐ(この中山家を、天理教では「元のやしき」と呼ぶ)。天保9年(1838年)、まず10月23日に、長男秀司が足痛で苦しんだとき、修験者市兵衞を招き祈祷をおこない、みき自ら加持代となり、このとき神がかりとなり、「元(もと)の神、実(じつ)の神」と自ら名乗ったのです。親神(おやがみ)・天理王命(てんりおうのみこと)がみきに乗り移り、天啓を受けたとされています。その神は、みきを「神のやしろ」として貰い受けたいと申し出て、その申し出を受け入れるならば、世の人々を救済するが、拒めば、中山家を滅ぼすと言ったという。10月26日になって、夫の善兵衛がみきを「神のやしろ」となることを承諾すると、みきの苦痛がおさまったとされます。(天理教では、この日を「立教の元一日」としている)。みきは、天理王命の神命に従い、例えば、近隣の貧民に惜しみなく財を分け与え、自らの財産をことごとく失うことがあっても、その神命に従う信念は変わらなかった。これにより、中山家は没落し貧乏暮らしをすることになったが、みきはそのことを気にすることはなかった。むしろその生活を受け入れたのです。次第にみきの教えに従う人の数も増え、元治元年(1864年)、専用に「つとめ場所」を建築。このころより各地に出向き布教を行いはじめるが、次第に迫害も増え、時には陣屋に呼び出され、神を祀るのを禁止されることもありました。慶応3年1月、『みかぐらうた』の製作に従事、かぐらのてぶりや鳴り物の稽古をはじめたのです。
慶応3年、京都神祇管領吉田家に願い出て、布教認可を得て、公認となり迫害は収まりました。 しかし、明治維新後、吉田家の公認は無効となり、明治政府の弾圧が続く中、明治20年2月18日没しました。 その間、中山みきは、神命に従い、明治初年には、『みかぐらづとめ』を完成、翌明治2年正月から『おふでさき』書始め、かんろだいの雛形製作、ぢばさだめ(明治8年6月29日)など、天理教の基を築いた。 『みかぐらうた』『おふでさき』『泥海古記』『おさしづ』は天理教の根本の教義・教典となり、没後も本席・飯降伊蔵のもと、天理教として布教が行われた(『おさしづ』のほとんどは、飯降伊蔵の口を通してのもの)。夫善兵衛との間に、一男五女(中山秀司、おまさ、おやす、おはる、おつね、こかん)を授かる(初代真柱中山眞之亮はおはるの三男である)。なお、天理教では人が没した場合、人間の発祥の根源「ぢば」へ帰ると解釈するため、「亡くなった」「死去した」とはせずに、「出直し」と表現するが、教祖の中山みきだけは「現身(うつしみ)を隠される」と表現している。 これは、「魂は永久に元の屋敷に留まり、存命のまま人間の成人を見守り、ご守護してくださっている」(天理教道友社「ようこそおかえり」 1985年刊より)という考えによるものである。 天理教本部では、中山みきは教祖殿で生活しているとされ、生前と同じように食事が運ばれるなど、いろいろなお世話がなされています。
いま天理教がめざしているものは世界の陽気ぐらしです。

天理教の教義の破折 天理教の教義など馬鹿馬鹿しくて破折する必要などないのですが簡単に慈悲をもって破折しておきます。
教団では信仰の対象を「目標(めど)」と称し、
(1)「ぢば」・・・親神が人間創造の際に最初に人間を宿した場所。現教団本部の神殿中央には、このぢばの目印として「かんろだい」がある。
(2)「親神天理王命(おやがみてんりおうのみこと)」・・・人間をはじめ、世界を創造した根元の神。教祖みきの体を借りてこの世に現れ、世界中の    人々を一切の苦から解放して、喜びずくめの生活(陽気暮らし)へと導き、すべての人々を守護する。
(3)教祖・中山みき・・・死後もその命を「ぢば」にとどめて永遠に存在していて、親神による人類救済はこのぢばを中心に行われているとする。
の3つを挙げています。なお、教会では天理王命の象徴として神鏡(しんきょう)を、教祖の象徴として御幣(ごへい)を祀(まつ)っています。また信者の家では「神実(かんざね)」という小さな神鏡を祀ります。
また教典としては、
(1)『おふでさき』・・・みきが親神の教えを歌形式で記したもの。
(2)『みかぐらうた』・・・みきが作った数え歌。人間が陽気暮らしを実現するための方法を示しているとする。
(3)『おさしづ』・・・教祖みきや本席・飯降伊蔵が親神の言葉として述べた内容を筆記したもの(ほとんどは伊蔵によるもの)。
の3つがあり、これら3原典に基づいて昭和24年に編集されたものが「天理教教典」です。

■「つとめ」と「さづけ」
教団では、親神は人間を助ける方法として「つとめ」「さづけ」を示し、陽気暮らしの世界をこの地上に実現するとしています。
(1)「つとめ」・・・「本づとめ」「朝夕のつとめ」の2種。教団では、「本づとめ」によって心が澄みきり、親神と人間がともに陽気がみなぎり、全世界を陽気暮らしに立て替えていくと主張します。
(2)「さづけ」・・・病気治しの手段。決まった手振りをしながら「あしきを払うて助けたまえ」等と3回唱えて3回なで、これを3回繰り返す。

■八つの埃(ほこり)
天理教では「心と肉体は別のもの」とし、肉体は親神からの借り物で、心だけが自分独自のものであるとしています。
人間は意識しないうちに、心に「をしい(惜)」「ほしい(欲)」「にくい(憎)」「かわい(可愛い)」「うらみ(怨)」「はらだち(怒)」「よく(貧)」「こうまん(慢)」の八つの埃(ほこり)を積んでおり、天理王命に祈ることによって、ホウキで塵(ちり)を払うごとく陽気暮らしに導かれるとしています。

■貧に落ちきれ
教祖みきは、神からの「貧に落ちきれ」という命令に従って全財産を貧しい人に施(ほどこ)したといいます。そこで教団では、「教祖の行動は、どのような境遇でも心の持ち方一つで<陽気暮らし>ができるという手本(ひながた)である」と信者に教えます。
信者は欲の心を離れて、欲を起こす原因となる金銭を親神にお供え(おつくし)し、自分のために働く日常生活を離れて教会に行き(はこび)、人のために奉仕する(ひのきしん)ことを実践の徳目としています。

■中山みきの神がかりは精神分裂です。
新興宗教に多く見られる「神がかり信仰」の、「神がかり」というのは何なのでしょうか。
精神医学では、この神がかりというものを「憑依妄想(ひょういもうそう)」と呼び「精神分裂病の一種」としています。
「万物創造の親神」などというものは、単なる妄想の産物です。

■廃人にする「貧に落ちきれ」
「屋敷を払うて 田売りたまえ 天貧乏命」これは昔、世間の人々が天理教を揶揄(やゆ)したものです。人生教訓を押しつけ、しかも「欲の原因となる金銭を親神にお供えしろ」と、教団への多額の布施を徹底しているのです。
あげくには「自分のために働く日常生活を離れて教会に行け」とまで言い、信者の社会生活を破綻に追い込みかねないことまで言っています。
これでは、信者は単なる「教団の奴隷(どれい)」でしかありません。こうして信者から集めた莫大な金で、真柱(しんばしら)やら教団幹部がどのような暮らしをしているのか、ぜひ見てみたいものです。彼らが貧に落ちているとは、とても思えません。

■人間の本質を無視した「八つの埃」説
天理教では、「本来は清く正しい人間の心に八つの埃(ほこり)がつき、その埃がすべての病気や災害などの不幸の原因である」などと主張しています。しかし怒りや悲しみなどは天然自然のものでなくなることはありません。
とまぁこんなとこですが気違いばーさんの妄想を信ずるのですから人間もおめでたいものです。こういう宗教を信ずる者は馬鹿です。

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2011年04月27日

仏法対話(17)エホバの証人

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「中杉 弘のブログ」のテーマソングです。紀元は2600年(キングレコードより)


仏法対話(17)エホバの証人

質問者「エホバの証人またはものみな塔とよばれる組織がありますがこのしゅうきょうについて教えてください」

お答えします 昼間から公園などに習合し子供をつれた集団が一軒ずつ家庭を訪問して歩いているのが「ものみな塔」あるいは「エホバの証人」といわれる宗教団体です。これらの人々は恐ろしい幻想にとりつかれているのです。やがて地球は滅びるがそれこそが神の国のはじまりだというのです。一般のキリスト教のように神の国は心にあるというのではなく現実に存在しイエスキリストは大王として世界を統治するというのです。世界の終わりは神の世界の始めなのです。そのときこの教団のメンバーはキリストの降臨によって救われ天国に行くのです。そのために夏の暑さも冬の寒さも、ものともせず、雨の日も風の日も子供をつれて一軒一軒、毎日毎日、家庭訪問するのです。 エホバの証人 設立は 1884年 アメリカ合衆国 チャールズ・テイズ・ラッセル によって設立されました。現在ではニューヨーク市ブルックリン区に世界本部があります。聖書の例に倣い2人1組みで布教行動するのが一般的です。王国会館と呼ばれる集会所で週2回の聖書講演会や勉強会等が行われるエホバの証人(エホバのしょうにん 英語:Jehovah's Witnesses)とは、1884年にチャールズ・テイズ・ラッセルにより創始された国際的な宗教団体の成員の名称で、聖書は主にものみの塔・聖書冊子協会発行の新世界訳聖書を使用しています。この教団はかつては聖書研究者(国際聖書研究者)と呼ばれていました。神エホバとその御子キリストが創る「神の王国」を支持しています。日本では1900年代ごろから「萬國聖書研究團(ばんこくせいしょけんきゅうだん)」という呼び名で活動し、日本支部は「灯台社(とうだいしゃ)」と言う名称で1927年に明石順三によって設立されましたが、戦後除名処分を受け、以来エホバの証人と灯台社には直接的な関係はなくなりました。聖書は主に新世界訳聖書を使用していますが以前は市販の聖書を使用していました。構成員は全世界(2009年現在236の国や地域)で活動しており、宣教活動を非常に活発に行うことで知られています。自らを真のクリスチャンとしていますが、三位一体説の否認などにより基本信条を告白する主流派キリスト教団体からは異端として扱われ、日本では宗教学上キリスト教系の新宗教に分類されています。「エホバの証人」という名称は、あくまでも組織を構成する個々または全体の成員そのものを指す名称であり組織名ではありません。法人として国、州、郡、都道府県市町村に登録された関連団体は別に名称(ものみの塔聖書冊子協会・エイドアフリーク・国際聖書研究者協会・エホバの証人○○会衆等)を持っており、それらすべてを統括した組織名は現在のところ存在しません。「エホバ」とは、旧約聖書に描かれる主要な神の名につけられた日本語表記の1種です。現在、その正確な発音がどのようなものであったのかについては様々な見解が存在するが、彼らの関心事は「正確な発音」や「正確な名称」そのものにはなく、神の御名が人々の間で高められることに焦点が置かれた。むしろ、「正確な発音が神にとって真に重要であるならば、神ご自身がその保存を怠るはずもなく、そういう事実が無い以上、発音それ自体は重要ではない」、「もし神の名を正確に発音することが必要なら、イエス・キリストもエホーシュア・マシーアハ(ヘブライ語)に変えなければならない」といった見解が見出されます。また、聖書に登場するダゴンやモレク、バアルといった他の神々と区別するためには「主」や「神」といった称号では不十分であり、固有名詞の使用は不可欠であると彼らは主張する1931年より以前、彼らは「ラッセル派」「ラザフォード派」「千年期黎明派」、「地獄否定者」、「ものみの塔信奉者」などの蔑称で呼ばれていた。その一方で、彼らは自身のことを「聖書研究者」「国際聖書研究者」、などと呼称していたが、後者にしても、決して彼らの正式名称というわけではなかったといわれる。1931年にオハイオ州コロンバスで開かれた大会(7/24-7/30)において、7月26日、日曜日に「エホバの証人」との名称を採択する決議が承認されました。この大会を皮切りとして、その後、世界各地で開かれた大会もこれに追随し、以降「エホバの証人」は彼らの正式名称となりました。「神の王国」とは、エホバの証人が全面的に支持し到来を期待している新しい社会、またそれを実現する政府であり、キリスト教一般の解釈のような心の中にある架空の世界などではなく、イエス・キリストをとして天に設立され、遠くない将来、地上においても統治を開始する機関であります。

というのですがこういう話は形而上学であり、まともな日本人ならば相手にしない話です。人類はいままで多くの形而上学にだまされてきました。
形而上学とは形なき学ということで夢の学ともいえるでしょう。空想学ともいえます。極楽浄土も形而上学であり、天国も形而上学なのです。
真実の仏法は形而上学を排除したものであり、実存の学びなのです。この教団の人は夢見る人なので一種の狂人なのです。

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2011年04月26日

仏法対話(16)顕正会

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「中杉 弘のブログ」のテーマソングです。紀元は2600年(キングレコードより)


仏法対話(16)顕正会

質問者「時々社会問題を起こす顕正会について教えてください。」

解答します「時々暴力問題を起こし、まるで暴力団のような活動をしている顕正会という団体があります。正式教団名を冨士大石寺顕正会といいます。冨士大石寺といえば日蓮正宗の本山のことです。顕正会とは第二次世界大戦下の1942年(昭和17年)、日蓮正宗妙光寺(東京都品川区)の檀家総代だった浅井甚兵衛が初代講頭となって、妙光寺所属の法華講の一講中として結成した東京妙信講が前身の団体です。現在では冨士大石寺顕正会(ふじたいせきじけんしょうかい)は、埼玉県さいたま市大宮区寿能町に本部を置く宗教団体のことです。創価学会が中心となって建立をすすめてきた正本堂建立時に、これを創価学会は本門の戒壇堂であり日蓮大聖人の悲願はこれで成就された、という意見に対し顕正会は、これは私立の戒壇であり国立戒壇ではない、という意見の対立ができたのです。これに対し日蓮正宗は創価学会の意見をとりあげたのです。しかしあくまで顕正会は自説をまげず、ついに本山を破門され日蓮正宗と無縁の団体となったのです。もっとも後に創価学会も本山を破門されて今日にいたるのです。国立戒壇の教義解釈が原因で日蓮正宗から破門された「妙信講」が母体。宗教法人法に基づく届出名は「宗教法人顕正会」。現在の代表役員は浅井昭衛。会員公称100万人の組織ですが実体は十万人くらでしょう。冨士大石寺の「士」ではなく「士」という表記を使う理由は将来を考えた意識的なものでしょう。現在は全国にかなりの数の会館を所有しています。その会館を列挙してみます。顕正会は馬鹿の一つ覚えみたいに国立戒壇堂をいいますが顕正会は教学を学びません。ですから仏法のことは何も知りません。会長の浅井は御書すらいらないといいます。
         
   
http://www.youtube.com/watch?v=ejZyYuyPBCU
     http://www.youtube.com/watch?v=Gplifr6ZnWs

都道府県 会館 郵便番号    住 所         電話番号
北海道 札幌事務所   003-0803 札幌市白石区菊水六条1-1-21 011-824-0032
青森県 八戸会館    031-0071 八戸市沼館1-9-17 0178-71-3108
青森県 黒石会館    036-0357 黒石市追子野木3-317 0172-59-3531
秋田県 秋田会館    010-0011 秋田市南大通り亀の町10-2 018-884-5776
秋田県 鷹巣会館    018-3316 北秋田郡鷹巣町東横町4-13 0186-62-5466
宮城県 仙台会館    982-0032 仙台市太白区富沢2-22-10 022-243-1468
福島県 郡山会館    963-8851 郡山市開成2-38-13 024-927-7731
茨城県 水戸会館    310-0805 水戸市中央1-6-4 029-224-6698
栃木県 宇都宮会館  321-0967 宇都宮市錦1-560 028-650-6204
群馬県 渋川事務所   377-0003 渋川市八木原450-14 0279-23-4663
群馬県 高崎会館    370-0843 高崎市双葉町11-7 東海建設ビル2・3三階 027-327-7699
埼玉県 青年会館    330-0805 さいたま市大宮区寿能町1-80-1 048-640-3085
埼玉県 本部会館    330-0805 さいたま市大宮区寿能町1-72-1 048-650-8111
千葉県 千葉会館    260-0854 千葉市中央区長洲1-18-10 043-202-1577
千葉県 旭会館     289-2500 旭市ハ字迎235-1 0479-60-1584
神奈川県 横浜会館   222-0033 横浜市港北区新横浜1-29-5 045-474-4818
神奈川県 相模会館   251-0015 藤沢市川名2-1-6 0466-23-5977
神奈川県 小田原会館  250-0001 小田原市扇町1-10-25 0465-30-1147
東京都 東京会館    174-0071 板橋区常盤台1-14-1 03-3965-3921
東京都 芙蓉会館    174-0071 板橋区常盤台2-1-6
新潟県 新潟会館    950-0915 新潟市鐙西2-23-21  025-247-9778
新潟県 長岡事務所   940-0065 長岡市坂之上町3-1-2 0258-33-4753
新潟県 柏崎事務所   945-0045 柏崎市豊町2-44 0257-22-9245
富山県 富山会館    939-8281 富山市今泉西部町11-12 076-420-2711
長野県 信州会館    380-0928 長野市若里4-13-53 026-223-0435
静岡県 藤枝会館    426-0053 静岡県藤枝市善左衛門町1−5−17 054-637-0038
静岡県 新富士事務所  416-0945 富士市宮島字上樋30−1 0545-60-4111
山梨県 甲府会館    400-0046 甲府市下石田2-25-6 055-227-3346
愛知県 名古屋会館   453-0037 名古屋市中村区高道町5-1-15 052-471-5053
愛知県 名古屋事務所 456-0012 名古屋市熱田区沢上2-8-4 横井ビル3・4階 052-679-2557
大阪府 大阪会館    532-0033 大阪市淀川区新高4−1−7 06-6392-6403
広島県 尾道事務所   722-0022 尾道市栗原町向山8213 0848-22-9119
山口県 三福事務所   755-0151 宇部市西岐波区上請川 0836-51-5100
愛媛県 松山会館    355-0000 松山市竹原4-2-24 089-968-6664
高知県 高知会館    780-0804 高知市日の出町11-13 0888-84-4333
大分県 大分会館    870-0906 大分市大洲浜2-6-22 097-504-3111
沖縄県 沖縄会館    901-2126 浦添市宮城1-28-3 川平ビル2階 098-876-0717

戦後の東京妙信講の存在を証明するものは何もないが、浅井親子らは妙光寺から豊島教会(現・妙国寺。板橋区)へと所属変えを行い、その後に法道会(現・法道院。東京都豊島区池袋)へと所属を変えました。1958年(昭和33年) 1月15日 妙信講設立。日蓮正宗第65世法主堀米日淳の配慮により宗門内では極めて異例の認証式が行われ、妙縁寺(東京都墨田区吾妻橋)所属となった。講頭に甚兵衛、青年部長に甚兵衛の長男である昭衛、松本日仁と早瀬道応が指導教師に就任。本部は当時、東京都文京区にあった甚兵衛の自宅に置かれた。
1963年(昭和38年) 10月31日 機関紙「顕正新聞」が宗門と創価学会からの圧力を受け、廃刊。これに代わる機関誌として月刊『富士』が創刊され、その編集長に昭衛が就任。1972年(昭和47年) 10月 創価学会が中心になって完成した大石寺正本堂落慶法要を阻止しようと画策。
12月22日 東京都板橋区常盤台に本部会館が完成。甚兵衛が導師となって入仏式を行い、本部も甚兵衛宅から移転。1974年(昭和49年) 5月19日 昭衛が理事長に就任、甚兵衛から組織の全権を委任される。7月28日 東京・明治公園で「立正安国野外集会」を行う。3,000人が参加し、創価文化会館(創価学会本部)までデモ行進。8月12日 宗門管長の細井日達より講中解散処分を受ける。10月4日 山崎正友を主体とした創価学会関係者による工作により男子部の一部が暴発。部員70人が創価文化会館に街宣車で乗り付け、学会の警備組織である「牙城会」のメンバーと乱闘に発展。警視庁が機動隊を出動させる事態となり、12人が現行犯逮捕された。詳細は「和泉覚妙信講学会本部襲撃事件」11月4日、講頭・甚兵衛、理事長・昭衛(いずれも当時の役職名)、幹部と襲撃に関わった男子部員ら33名が、日蓮正宗から信徒除名処分にされる。 1975年(昭和50年)「宗教法人 顕正寺顕正新聞社」の成立に伴い、妙信講はその信徒団体として再出発。8月20日 甚兵衛が講頭を退き、第2代講頭に昭衛が就任。1977年(昭和52年) 4月14日 創価学会との法廷闘争で、東京地方裁判所において和解成立。昭衛は顕正新聞紙上で「学会と会長・池田大作に対する大勝利」と主張。 1978年(昭和53年) 3月5日 埼玉県和光市に顕正寺を建立、落慶入仏式を行う。住職に八木直道が就き、昭衛が導師を務める。1982年(昭和57年) 10月9日 東京・日本武道館での総幹部会で団体名を妙信講から「日蓮正宗顕正会」に変更。 1985年(昭和60年)
創価学会と同じ四者体制(男子部、女子部、婦人部、壮年部)が確立。1986年(昭和61年)4月 再び東京・日本武道館で幹部大会を行う。昭衛は演説で今後25年以内の広宣流布完結を誓願するが、掲げた目標は達成できずに終わる。1996年(平成8年)11月18日 「宗教法人顕正寺」の後身となる新法人が文部省から宗教法人の認証を取得。「宗教法人顕正会」が発足。 12月22日 法人認証直後の総幹部会で昭衛が「日蓮正宗顕正会」の名称を「冨士大石寺顕正会」に改めると指示。1997年(平成9年) 第1回目 一国諫暁開始。7月16日 初の諫暁書「日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ」を、昭衛の著者名義で発行。発売にあたり、日本の主な新聞51紙に全面広告を打つが、朝日新聞東京本社広告局は出稿を受け付けなかった。1998年(平成10年) 4月10日 宗門が正本堂解体を決め、大御本尊を遷座したのを受けて本部会館で「御遺命守護完結奉告式」を行う。6月15日 顕正新聞で「御観念文の改正」を発表。それを掲載した勤行要典が会員に配布される。日蓮正宗傘下時代から続いた五座三座の長行が廃止され、一座に移行。9月2日 東京国際フォーラムで『「還御を祝し奉る」記念大会』を行う。7500人が参加。 1999年(平成11年)
12月 埼玉県大宮市に「青年会館」が完成。東京・常盤台にあった本部機能の移転を始める。2000年(平成12年)11月8日 本部会館を現在地に新築、移転。2003年(平成15年) 5月 顕正寺改築が完成するが、冨士大石寺顕正会典礼院と名称を変更。顕正寺は破却される。11月6日 総会員数が“公称”100万人に達する。此れをもって2度目の一国諫暁の準備が本格的に始まる。 2004年(平成16年) 第2回目 一国諫暁開始。4月28日 諌暁書第2弾「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」を、97年と同様に昭衛の著者名義で発行。新聞広告を打とうとするが、全国紙5紙すべてに拒否される。 5月16日 横浜国際平和会議場国立大ホールで初の「全国高校生大会」を開催。会場に入りきれなくなる者が多数出るほどの高校生が参集し、週刊誌など一部マスコミからは社会問題として報道された。10月5日 この日の顕正新聞を最後に昭衛の長男で主任理事兼男子部長だった浅井克衛の動静が報じられなくなる。 2005年(平成17年)5月8日 新潟・朱鷺メッセで「新潟県大会」を開催。1万人が参加。
7月28日 強引な勧誘をしたとして、神奈川県警察警備部と瀬谷警察署が顕正会横浜会館を家宅捜索した。会員2名が逮捕されるが、後に起訴猶予となる。 9月4日 神奈川・横浜アリーナで「男子部幹部大会」。男子部の活動家13000人が参加。この頃までに克衛が失脚、弟で昭衛の次男に当たる浅井城衛が後任の男子部長に就く。2006年(平成18年) 5月14日 関西在住を中心に1万人を結集して「関西大会」を行った。 9月10日 沖縄県宜野湾市の沖縄コンベンションセンターで「沖縄大会」を行う。会側は顕正新聞で県内在住の会員3,000人を結集したと説明したが、実際は本土からも動員がかけられた。9月21日 埼玉・大宮ソニックシティで「男子部臨時幹部会」。5,000人が参加。 2007年(平成19年)1月11日 強引な勧誘をしたとして、神奈川県警察と厚木警察署が顕正会本部を家宅捜索した。1月21日 この日の総幹部会で青年会館の閉鎖を発表。昭衛は会館の耐震強度が不足していると説明した。5月20日 盛岡・アピオアリーナで「東北大会」を行った。東北各県在住者を中心に会員1万人を結集。8月26日 長野・エムウェーブで「発足50周年記念幹部大会」。全国から3万人が集結したとしている。2008年(平成20年) 月17日 新潟県警察警備部第一課と江南警察署が男子部隊長経験のある男と当時19歳の少年を逮捕。顕正会本部と新潟県内の4施設を家宅捜索した。5月18日 台湾・台北市内のビルを賃借し顕正会初の海外拠点となる「台湾会館」が開館。昭衛が導師となり入仏式を行う。12月23日 本部会館近くに新青年会館が完成。昭衛が導師となり入仏式を行う。2009年(平成21年) 1月9日 退会しようとした男性にけがを負わせたとして、新潟県警察警備部と新潟東警察署が傷害の疑いで、会員の同県長岡市の専門学校生の少年を逮捕。新潟県内の2施設を家宅捜索した。8月23日 再び長野・エムウェーブで「男子部大会」。城衛は「2年前の幹部大会以来、2度目となる3万人動員を達成した」と報告しているが、実際は顕正会本部が確認、発表した参加者ですら23,000人にとどまった。2010年(平成22年)1月 総幹部会で城衛が理事長に就任。克衛が務めていた主任理事のポストが正式に廃止される。
2011年(平成23年) 1月総幹部会をもって、壮年部が廃止され、男子部に移行することが、発表された。 1月31日 国を相手に損害賠償を求めていた裁判の判決が、東京地方裁判所で言い渡され、顕正会の訴えは棄却された。

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2011年04月25日

仏法対話(15)崇教真光

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仏法対話(15)崇教真光

世界総本山(岐阜県高山市)崇教真光(すうきょうまひかり)とは、岐阜県高山市に本部を置く新興宗教である。1959年(昭和34年)2月27日初代教え主岡田光玉詐(おかだきんたま)詐欺師が天地創造神より立教に関する神示が下ったとほら話をつくったのです。同年8月に「L・H陽光子友乃会」を。1963年(昭和38年)11月19日、「L・H陽光子友乃会」は「宗教法人 世界真光文明教団」として法人登記。 その後、海外を含め急速に教勢は拡大した1974年(昭和49年)6月23日に岡田光玉が死去して地獄にいくと、それに伴い、色女である岡田恵珠が二代教え主として1978年(昭和53年)に崇教真光を設立。はっきりいってこんな教団を信じるものは大馬鹿である。ここも手かざしを霊浄化と称して行います。手かざしで生命を浄化すればいかなる病気も治るというのです。この手かざしのわざとは催眠術でいうパッス法というものであり、これで色々の病気が現実に治ります、キリストもこのパッス法を盛んに使いました。パッス法(手かざし)をかけられると神の不思議な力が働いたと考えるのです。実はこのパッス法は誰がやっても効果がでるのです。ためしにあなたもやってみればよい。病気の人の身体に障らず30センチぐらいのところに手かざしをするのです。正座さしてこれを行えば効果がばっちりでます。これで不眠・胃弱・頭痛・・・などはなおります。この手かざしを神の力だと信じこみ、笑い話があります。信者をのせたバスがパンクでとまると信者がぞろぞろと降りてきてタイヤに向ってパッス法を行ったのです。ここまでくると狂人であり、もうもとに引き返すことは出来ません。現在は岡田恵珠の弟子であり色男(つばめ)で、婿養子となった岡田晃弥が三代教え主として教団を先導している。邪教は世界各国に広まって多くの青少年を吉外にしています。また真光奴隷青年隊を組織し全国で活躍しています。
信仰の対象 として天地創造神の御親元主真光大御神(みおやもとスまひかりおほみかみ)と、伊都能売大国魂大国主之大神(いづのめおほくにたまおほくにぬしのおほかみ)である。とありますがわが国は天地創造は天之御中主(あまのみなかぬし)決まっています。こんな教義は詐欺師が勝手に思いついたものです。また 基本理念 として「地球は元一つ、世界は元一つ、人類は元一つ、万教の元又一つ」とありますが、仏教、キリスト教、神道、回教、儒教、道教などの大元を解くとしており、宗門宗派を問わずに入信することができるとされている(例えば、仏教の僧侶やキリスト教の神父でも入信できる)。とされているが乞食スープもよいところです。これは仏教のなんたるかを知らず、仏と神も理解せず自己流に滅茶苦茶に引っ掻き回したものです。 真光の業 とは教団の教義によればこの世の人間のあらゆる不幸現象のうち、80%が「悪い霊魂によるもの」としており、初級研修を終えた信徒が行なう真光の業(まひかりのわざ)、つまり 手かざし でその霊魂が取り除かれる、としている。なお信者はお浄め(おきよめ)と呼んでいますが、霊障などというものはなく単なるパッス法にすぎない。

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2011年04月22日

仏法対話(14)立正佼成会

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仏法対話(14)立正佼成会

質問者「立正佼成会について教えてください」

お答えします。
立正佼成会とは元霊友会信者(副支部}庭野鹿蔵(日敬)と長沼政(妙校)によって仲間数名と霊友会を裏切って独立した組織であり、1938年大日本立正交成会として活動を開始しました。この二人は夫婦ではなく、仕事は庭野鹿蔵(日敬)は牛乳配達、長沼政(妙校)は焼き芋屋のおばちゃんでした。二人が霊友会で学んだのは、手相・人相・姓名判断・先祖霊・先祖供養・交霊などであるから、この二人は役割を分担しました。信者が来ると長沼が神がかりとなり、庭野がそれを解釈(さにわ師)し信者に霊界からのお言葉として告げるのです。長沼はお題目を唱えると体が振るえ手を上下にあげさげすると目つきが変わり狐つきのようになり神がかるのです。「おおお・・・わしはお前の三代前の先祖であるぞ・・・おおおおわしは苦しいのじゃおおおおお供養してくれ。供養するんじゃ、そうでないとわしは地獄から出れないのじゃ・・・」といってバタンと倒れ失神するのです。するとかたわらに座っていた庭野が信者に向って「大変ですぞ!あなたの三代前の先祖が地獄にいます、今すぐご供養しなさい」といって教会に寄付を勧めるのです。また信者にするために手相を見てやるといっては近づき後家になる運命があるとか、若死にします、癌になる宿命がある、子供が病気になる運命などといって、その厄を逃れるには信仰しかないといって信仰に誘うのです。人間の悩みは貧・病・争といわれていますから貧乏・病気・争いに悩んだ大衆はその解決に藁にもすがるつもりになり神・仏・霊におすがりするのです。どこかに不思議な力を持った人はいないか、そうして霊友会とか 立正佼成会のような神がかり。霊媒、先祖供養のような宗教に堕ちるのです。しかしここで行われているものは催眠術であり、自己催眠と他者催眠を組み合わせた現象なです。人間はトランス(催眠現象)に弱いのです。1960年に会名を現在の立正佼成会に変更したのです。ですから立正佼成会には教義などなにもなかったのです。ところが創価学会などの日蓮正宗というしっかりとした教義をもった教団が出現してくると自分達も教義が欲しくなりました。そこで立正大学の学部長をやっていた安永弁哲教授に頼んで金を払って法華経教学をつくってもらったのです。庭野日敬の法華経講義などは安永弁哲製なのです。しかし、この教学も身延山日蓮宗の教学ですから、内容はでたらめでお釈迦様を拝んだ南無妙法蓮華経なのです。日蓮大聖人が末法の本仏であることを知らないのです。おどろいたことに僕はこの安永弁哲教授に何回かあったことがありますが、「先生にお聞きしますが妙法とは何ですか?」と質問したところ、「妙法?なんのこっちゃかさっぱりわからん」という答えが返ってきました。これが立正大学学部長の実力なのです。妙法がわからずして南無妙法蓮華経がわかるはずがないからです。また立正佼成会は幹部任命のとき研修道場に集合させ二十人くらいで円陣をつくり道場を真っ暗にしその真ん中に幹部候補生をいれてその周りをぐるぐるまわりながら「エイ!エイ!エイ!」とインデアンのお祭りのような気合をかけ幹部候補生には庭野日敬の顔を想像させお題目を唱えさせます。そのうち白目をむき、ひきつけをおこして倒れるのです。これを御入神といっています。御入神しないものは幹部になれないといいます。いまでは病院・学園・出版社などをもつ総合宗教屋ですがもとはこんなものです。教学の破折は必要ありません。なぜかというと教学などもともとないからです。あってもそれは乞食スープなのです。

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2011年04月21日

仏法対話(13)霊友会(2)

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仏法対話(13)霊友会(2)

霊友会は仏教系を自称しながら客引きは霊媒です。人間は霊といわれるとどうしていいかわからなくなるのです。新興教団は必ず方位・手相・霊鑑定・崇り・先祖霊をいいます。人間は理解できないことに脅えるのです。あとは因縁話です。あなたがなぜ病気なのか、あるいは身内になぜ不幸が起こるのかは、いかなる因縁によるのか、これを因縁話として解き明かすのです。それにたいする教団の答えは「貴方がお腹が痛い原因は、お腹は丸いでしょう。教団にお金をだすのを惜しんだからです。お金は丸いからです」などともっともらしいことをいい教団の奴隷にするのです。霊友会は仏法でなく教祖のニセ霊能なのです。では教祖の霊能とはなにかといえば自己催眠なのです。霊と交信する、神が乗り移った、神からのお告げを与える、自動書記、手かざしの業、これらは皆な催眠現象で説明できます。イエスキリストが目の見えないものを「私を信ずれば目が見えるようになります」といって信者に手をかざすと直ちに目が見えるようになった者もあり、よくならない者も有ったのです。イエスは「目が治らないものは信仰がたりない」と言ったのです。どんなものでも信仰すると奇跡が起こる場合があります。しかし邪教を信仰すると奇跡がおきることがあってもこれは「魔の通力」といわれるものです。日蓮大聖人は「先ず通力ある者を信ぜば外道天魔を信ずべきか」といわれております。霊友会の教祖など自分が催眠にかかっていることすら知らないのです。僕は催眠の研究を40年もやっており、本も「催眠術の極意」「催眠蓮華密教」などと出版していますのでこういうことは詳しいのです。催眠現象とは暗示から成り立っており、暗示によってトランスに入ればたいていの病気など治ってしまいます。かってのエジプトでは病気は皆な催眠(眠りの寺)で治していました。手かざしの業もパッス法という催眠です。真如苑もパッス法の応用であり催眠現象なのです。信仰をやるものは催眠術について学び不思議な力について知る必要があります。そうすれば出鱈目教義を催眠によってうえつけられません。とこんなわけで霊友会の教学など論ずるまでもありません。まったくの乞食スープだからです。

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2011年04月20日

仏法対話(12)霊友会(1)

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仏法対話(12)霊友会(1)

質問者「霊友会について教えてください」

お答えします
「東京都知事の石原新太郎が信者であることで知られる霊友会を観てみましょう。いまどき霊友会だなんて言っている人もこの教団から立正佼成会ができたと聞くとすこしは興味が湧くと思います。霊友会(れいゆうかい)は、久保角太郎が霊媒(れいばい)信仰・法華信仰・先祖供養を混ぜこぜにした新教団を作るために、兄嫁の小谷キミ(喜美)を霊能者に仕立て上げ創立した在家教団です。
久保角太郎は西田無学なる人物の教えを受け、これに強い影響を受けました。この西田無学なる人物は、仏所護念会を立ち上げた人物です。西田無学は、法華経の経文「平等大慧 教菩薩法 仏所護念」(この経は平等太慧にして仏の護るところにして菩薩を救う法である)の「仏所」を亡くなった人間の霊がいるところと曲解し、「仏所護念」とは、霊のいる場所を護り、念ずることであり、これこそが「先亡諸精霊供養法」であると主張しました。そしてすべての霊を祀(まつ)り、供養するために「生・院・徳」の三文字を使った戒名を創案し、「祈願唱」と呼ぶ祈念の言葉を作りました。その西田無学の教えなるものは出家を否定し、在家仏教を主張・夫婦双方の先祖供養のため、「総戒名」という方式を用いました。無縁墓地にいって落ちている石を拾ってそれを洗い、石に法名を書いて自分の家の仏壇に祀り、供養する・『無量義経』訓読、回向唱、『観普賢菩薩行法経』訓読(結)、祈願唱などによる独自の経本を用いて読経・唱題(南無妙法蓮華経)するというもの。霊友会の教義は、実際にはこの西田無学が作り上げた教えを久保角太郎が、ほぼそのまま踏襲(とうしゅう)したものです。しかしいまでは霊友会では、この事実を公表していません。
小谷キミは、久保角太郎の兄嫁にあたります。大正14年、角太郎の兄・小谷安吉の後妻となったキミでしたが、その後二度にわたり安吉が腰痛を患って立てなくなり、そのたびに角太郎の指示に従って1日に5、6回も水をかぶり法華経による先祖供養を行ったところ、2度とも1週間ほどで安吉が立てるようになったらしいです。こうしてキミは角太郎の指導のもとで、霊能者としての修行を始めました。・真冬に1日中、浴衣1枚で生活する・真夏に布団を首までかけて1日中過ごす・毎日、数時間の水行(水かぶり)・21日間の断食というようなことをしていたそうです。こうしてキミは霊能者に仕立て上げられました。昭和5年7月、久保角太郎と小谷キミは霊友会の発会式を挙行しました。当初は氷山武敏という人物が会長となりましたが、3ヶ月で辞任したため、キミが後任の会長に就任しました。そしてキミの自宅を本部とし、角太郎は精力的に布教活動を続けるかたわら、女性信者を次々と霊能者に仕立て上げ、次第に勢力を広げていきました。しかし昭和9年頃から、教団内部でキミの指導に対する反発が起こりはじめ、脱会して新しい教団を設立する者も出はじめた。また戦時中は、当局の新興宗教に対する弾圧から逃れるため、子爵・仙石家の娘を総裁に迎え、さらに教団行事として毎月1日に伊勢神宮への参拝まで行いました。そして昭和19年11月、角太郎が53歳で死去したことにより、教団運営の全権はキミが握ることとなりました。しかし昭和24年、占領軍の捜索を受け、本部から金塊とコカインが摘発さたり、その翌年、脱税容疑で捜査が入り、麻薬所持でキミが検挙されるなどの事件が連続し、教団は分裂、多くの脱会者を出すこととなりました。さらにキミは昭和28年には赤い羽根募金110万円横領、闇ドル入手、贈賄容疑などで検挙され、霊友会への社会批判が集中しました。昭和39年、伊豆に「聖地弥勒山(みろくさん)」を建設して弥勒菩薩像を祀(まつ)り、発会から30年以上も経ってから、新しい教典である「弥勒経」を創作して弥勒信仰を取り入れました。
昭和46年2月に小谷キミが死去したのちは、会長・久保継成(つぐなり)が「いんなぁ・とりっぷ」キャンペーンをやって教団の宣伝に努め、昭和50年には「釈迦堂」を完成させました。その後、濱口八重会長を経て大形市太郎が第4代会長に就任し、現在に至っています。

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2011年04月19日

仏法対話(11)幸福の科学(2)

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仏法対話(11)幸福の科学(2)

杉並区の西荻窪の宗教マニアである某女子の援助で細々と教団のまねごとをやっていた大川が突然紀尾井町の家賃月5000万円のところに本部を置いたのにはビックリしたものです。細々とした本の売り上げなどでは決してこんなビルにはいることはできません。一説によると大川隆法 はこの時期からある暴力団の資本が入ったといわれいています。幸福の科学とは暴力団があやつる暴力団宗教なのです。大川隆法は単なるお帽子にすぎないのです。大川隆法に実権はありません。宗教で一発あてようとたくらむ戦略宗教なのです。ですから教義など、どうでもよいのです。高橋信次が霊言をやりましたが、それにヒントをえた大川は霊言集を次から次から発売し信者を増やしていきました。大川隆法は、本名を中川隆といい、昭和31年に父・中川忠義と母・君子の間に生まれました。父・忠義は、戦前にはキリスト教を、戦後は「生長の家」を信仰し、さらに昭和51年には「GLA」に入会し、高橋信次の教えを受けました。また母・君子は理容業を営むかたわら、霊媒師(れいばいし)としても活動していました。
中川隆は高校卒業後、2浪して東京大学法学部に入学。在学中は、高橋信次の本やさまざまな哲学書・思想書を読みふけっていたそうです。昭和55年、隆は国家公務員上級試験と司法試験を受けて二つとも不合格。翌年も再度受験しましたが、ともに失敗に終わりました。一流志向の強かった隆は激しい挫折感に苛(さいな)まれ、心身ともに疲れ果て、昭和56年3月に突然、神がかった状態になったといわれます。
この時、無意識に手が動いて文字を書く「自動書記現象」が起こり、紙にカタカナで「イイシラセ イイシラセ」から始まるいくつかの事柄を書き連ねたといいます。後年、隆は「このメッセージを送ってきたのは、日興上人(にっこうしょうにん)だったのです」などと出鱈目をならべています。釈尊の霊の啓示によって「大悟(だいご)し、人類救済の大いなる使命を自覚した」などと口からでまかせの説明をしています。大川隆法 は二年浪人した入った東京大学を卒業し、総合商社に入社した後も、日蓮・高橋信次・キリスト・釈尊から霊言を受ける体験をしたなどと虚妄の話しを述べています。昭和60年8月、大川は最初の霊言集として『日蓮聖人の霊言』を著しました。これは父・忠義の質問に大川が答えるという形式で構成され、著者名は父・忠義のペンネーム 「善川三朗(よしかわ・みつあき)」となっています。その後も大川は、空海・キリスト・天照大神・ソクラテスなどの霊言集を順次出版しました。大川は執筆活動に専念するため、昭和61年7月に総合商社を退社し、このときから名前を 「大川隆法」と改名しました。そして同年10月、釈尊の啓示と称するものをまとめた教典 『仏説・正心法語』を発刊し、「幸福の科学」を設立しました。この教団名は、隆法が受けたという日蓮聖人の「これは宗教ではなく、幸福の哲学であり、幸福の科学なのだ」とかいう霊言に基づいているのだそうです。しかし考えてみるがいい。宗教と科学これはまったく違うものでそれも分っていない証拠です。科学は客観的なもので宗教は主観的ものなのです。宗教は一人称世界で科学は三人称世界のものなのです。平成3年、教団は宗教法人の認可を受け、同年7月、隆法は東京ドームで「御生誕祭」を行い、「自分こそ、大乗の仏陀(ぶっだ)、エル・カンターレである」と宣言しました。この御生誕祭と前後して、週刊誌等に隆法批判が繰り返し報道されたため、同年秋に教団信者の著名人(作家・女優など)を中心とする会員3,000名が「被害者の会」を組織し、出版社に対して抗議行動やマスコミ批判を行いました。しかしこの行動が逆にマスコミから反発を買い、大きな社会問題に発展しました。その後、教団は教団誌『幸福の科学』や布教誌『リバティー』などで盛んに他宗教を批判しながら、平成12年には『新・太陽の法』、平成15年には『黄金の法』といったアニメ映画を制作・上映し、映像メディアを用いての布教もしています。幸福の科学では、「エル・カンターレ」を自称する大川隆法を信仰の対象としています。エル・カンターレとは「地球系霊団の最高大霊」、仏教で説く「久遠実成(くおんじつじょう)の仏陀や法身仏(ほっしんぶつ)と呼ばれる存在、神々の師である釈迦大如来」を意味するとし、それが地上に大川隆法として現れたなどと主張しています。さらにインド応誕の釈尊等はエル・カンターレの「意識の一部分」であり、隆法は本体意識であるなどとしています。そういうことで教団では、隆法の写真を本尊として祀(まつ)り、信者に拝ませています。自分の写真をおがませるなんて普通の感覚ではできません。もはや気が狂ったとしかいいようがありません。したがってこの教団の信者はだんだんと気が狂いだします。きちがいを拝めば必ず狂うのです。大川隆法 の教義は乞食スープであり論ずるに足りません。南無妙法蓮華経を信仰するわれわれからいうと馬鹿馬鹿しくて話になりません。

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2011年04月18日

仏法対話 (10)幸福の科学(1)

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「中杉 弘のブログ」のテーマソングです。紀元は2600年(キングレコードより)


仏法対話 (10)幸福の科学(1)

この宗教団体は最初から詐欺で成立しています。総裁の大川隆法 はGL教高橋信次の弟子でありその影響を相当受けています。高橋信次とはどんな人物かと言うと、信次は1927年9月21日に長野県、佐久高原の農家に生まれました。、当時の士官養成学校である陸軍仙台陸軍幼年学校に進学。ついで陸軍士官学校に進学・卒業して、航空士官として出征し、終戦の1945年に故郷である長野県に帰郷。上京して、日本大学理工学部で学んでいました。大学在学中に事業を興すも失敗して、3度目に興した会社がエレクトロニクス系のハードウェアを開発する高電工業株式会社でした。会社経営をしながら、自身もハードウェアを開発するエンジニアとして四百六十数件の特許を持っていました。人道科学研究所所長等を兼務した。10歳頃(1937年頃)から現在で言う「幽体離脱」現象のような霊現象を体験するようになり、その肉体の自分とは違う霊体の自分を「もう一人の自分」と呼び、その現象に幼心に疑問を持ち、以来約32年間、電子工学や物理学等の自然科学を修めつつ、探求を続けた。しかし、従来の宗教書を読もうとはせずに、独自の探求を続けました。その一方で、「人間の生と死」、「人生の目的」、「人生のあらゆる苦悩」、そして、「それに対する祈りとは何か?」等、人生全体に対する疑問はどんどん膨らんでいき、知り合いの親しい仏教の僧侶に「あの世というのはあるのですか?」、「何故お寺を建てるのですか?」等と質問したが、納得のいく答えは得る事は出来ず、また、キリスト教会に赴いたりして、その牧師の説教を聞いたりしたが、「イエス・キリストを信じる者は、救われる」という話で、信じなくては救われないという、教えに非合理さを感じ、離れていったのです。また、既成宗教に限らずに幾つかの新宗教団体をも訪れているが、そのいずれにも納得が行かず、次第に既存の宗教に失望していったという。また、長兄を初めとして、親族に創価学会の信者が多くおり、折伏と称しての強い勧誘を受けた経験もあり、耳学問ではあるが、仏教に関しては多少の知識があったものと思われます。 そして、1952年頃(25歳頃)に大田区上池上に五、六人の従業員と共に自動制御装置を開発する為の工場を借りて、仕事をするようになる。その後、1953年頃に夫人となる一栄と出会い、翌年(27歳頃)に結婚。その際に、結婚相手になる一栄に対し、自分の身の上におこる48歳までの出来事を、事業上の問題等全てを予言し、それ以降は、夫として責任を持てないが大丈夫か?と語ったという。そして、1956年長女・佳子が生まれる。後にこの長女が、GLA総合本部の代表となる高橋佳子である。その頃から予言は全て的中すると宣伝すると相談に来る人がアパートいっぱいに溢れる事もあったという。そして、1964年(37歳頃)に東京都・大田区大森に資本金100万円にてコンピュータ機器を開発する高電工業株式会社を設立。同社社長に就任し、同時に自身もハードウェアを開発するエンジニアとして様々な医療器具等のコンピュータ製品を開発する。そして1968年頃(40歳頃)から本格的精神病を発動し「ワン・ツー・スリー」や「フワン・シン・フワイ・シンフォー」と名乗る霊が出てくるような妄想にとりつかれました。それから、その後、それらの霊魂は後のGLAの教義で言う「守護・指導霊」であったと説明したが実は精神病からくる妄想でした。
「フワン・シン・フワイ・シンフォー」と名乗った妄想霊魂は、自らを信次の「守護霊」であるとし、後に高橋はこの妄想を歴史上のイエス・キリストその人であると思い込んだのです。また、「ワン・ツー・スリー」と名乗った妄想霊魂は、信次の「指導霊」であると妄想し、後に歴史上のモーゼその人であるといいはじめたのです。その後、妄想は彼らからの指導を受けて悟りの境地に到達したと妄想した信次は、精神病的宗教家としての道を歩み、その経験を著作として著し始めた。また、人々の過去・現在・未来を見通す能力があるといって講演会等で、信次の下に集った人々を、肉体を持たない「霊」を霊視したと称して妄想を語って多くの人を騙しました。よほどでない限り、これらの霊に対して「神理」を説き、その霊の非を悔い改めさせることがおこなわれました。自身の講演会等において数多くの奇跡を残したとされるが霊が見えるというものです。また、古代エジプト語、ヘブライ語、5世紀の中国語、古代マガダ語(マガダ国)等を話しといわれますが皆でたらめでした。信次は、これらはあくまで人々を救うため、天上界で予め約束されていた(また証明としての)「方便」であるとし、特に興味本位的に過度に現象にとらわれることを戒めた。これらは、モーセの時代にも、イエス・キリストの時代にも、ゴータマ・シッダールタ(釈迦牟尼仏)の時代にも、現れた現象だとされる(「現証」)。著書や講演会での発言等から見るならば、信次は「慈悲」と「愛」、そしてその実現のための実践として「八正道」、「反省」(キリスト教的には懺悔・悔い改めに相当するとされる)を説いたといえる。また、仏教、ユダヤ教、キリスト教、は天上界(いわゆる「あの世」において特に調和された世界とされる。このような乞食スープのような教えが高橋信次の教えの中心である。高橋信次の教えは、憑依・霊を信じる、妄想、なんでもあり、にその特徴があります。こういった教団に大川隆法 はいたのです。

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