2014年12月

2014年12月29日

人間の探究 156 立正安国論について

不開門
※富士大石寺・天皇陛下の勅使が通る不開門(あかずのもん)
「中杉 弘のブログ」のテーマソングです。
紀元は2600年(キングレコードより)



人間の探究 156 立正安国論について

 「王の福尽きん時は、一切の聖人皆為れ捨去せん。若し一切の聖人去らん時は、七難必ず起らん」(立正安国論)
 王様に福運がないと、まず聖人がいなくなります。聖人がいなくなると、その国から道理がなくなるのです。国から道理がなくなれば、その国は亡びるのです。
 まさにこれは現代の世相を表しています。安倍首相は統一教会です。この「王の福尽きん時」の「王」には二つの意味があり、元首たる天皇と、政治を実際に行う総理大臣とも言えるのです。どちらとも言えるのです。天皇に福運がないと、ロクでもない総理大臣がでてくるのです。ロクでもない総理大臣が出てくると、心ある聖人や物事がよく分かった人々は去るのです。
 去るからその国に道理がなくなるのです。その国に道理がなくなるから、その国は亡びるのです。このような図式になってくるのです。一番大事な事は福運ということです。「どうしたら元首天皇、或いは総理が福を持てるのか?」というと、それは正法を保つことなのです。
 天皇が邪教を保っていたならば、臣下も邪教になるのが当たり前です。総理大臣が統一教会の信者だったら福運がついてくるわけがないのです。個人でもそうです。福運がつかないとお金も入ってこないし、将来の不安ばかりになってしまいます。
 福運がついてこれば自然に守られてくるのです。そのために「修行をしなさい」と言っているのです。福運をつけるためにはどうすればよいのかというと、簡単なことで正理(しょうり)を体得することです。
 毎日、「何が正しいのか?」「何が良いのか?」と、正理を追及して自分が正しい人間になっていくならば、自然に福運はついてくるのです。何故、福運がついてくるのかというと正しい者を周りの人間が守るからです。
 「あの人は良い人で立派な人だ」「あの人を守らなければいけない」そのような働きが起きてきます。これを福運と言うのです。誰もいないのに福運はついてこないのです。正しい人には、人が全て作ってくれるのです。
 人が福運を運んできてくれるのは、その人が正しいからです。正しくないことをやっていると、皆去っていき福運はつきません。立正安国論は、このようなご指摘です。
 「正(しょう)を立てて国を安らかにする」ということは、「正法を立てる」ということです。正法の代表として南無妙法蓮華経を立てるということなのです。南無妙法蓮華経を立てて、勉強して信じるならば、ちゃんと正法が湧現してくるのです。
 創価学会のように「南無妙法蓮華経」と唱えながら、憲法違反をやっているようなことではダメなのです。憲法違反の事をふれておきますが、公明党は憲法違反です。小室直樹先生の『憲法原論』を勉強すれば分ります。「憲法とは、誰が誰に与えたものか?」ということを創価学会の信者に教えてあげましたが全然分かっていません。
 憲法とは権力者を縛るためのものです。何故ならば権力者は何でもできるのです。膨大な100兆円の予算があれば何だってできるのです。その100兆円で戦車を買うこともできれば、自衛隊員を100万人増員することもできるし、戦争することもできるし、何でもできるのです。お金は使ってよいのです。
 しかし、それでは困るのです。「ちゃんとこの憲法の範囲以内で権力を行使しなさい」という事で、為政者(政治家・官僚)を縛るのが憲法です。この枠の範囲外でやると憲法違反になるのです。
 憲法の中で何が大事なのかというと、「政教分離」と書いてあります。「政治と宗教は分離するのです。一緒ではいけません」ということを言っているのです。ですから、政教一致は憲法違反です。
 かつて創価学会は、国立戒壇論があり、「創価学会の目的は国全体が国立戒壇を立てて、南無妙法蓮華経に改宗することだ」と言っていたのです。それにつっこまれて「政教一致だろう。そんなことは許されないのだぞ」という議論になってきたのです。それで、国立戒壇論を引っ込めてしまったのです。
 「そんなことはありません。我々は民衆立(みんしゅうりつ)です」と言いだして、国立戒壇論を捨ててしまったのです。今も公明党は同じ事をやっているのです。野党の時に「国立戒壇を造ろう」と言っても構わないのです。野党は権力がありません。予算が組めないのですから何も持っていません。その位置にいて何を考えてもよいけれども、政権をとったならば、制限されるのです。「政教一致はいけません」ということです。
 公明党は今どこにいるのでしょう。与党の中にいます。では、憲法違反です。このことを飯島参与がアメリカに行って脅かしたのです。アメリカにわざわざ行って、「アメリカが公明党を政教一致でやっつけるぞ」と言い、公明党はビビッて集団的自衛権に賛成したのです。公明党は違法だと分かっているのです。
 公明党を政教一致の憲法違反でやれば、葬れるのです。公明党は、そのような違法を犯しているのです。「南無妙法蓮華経は正しい法だ」と言いながら、そんな憲法違反をやっていて、どこに日蓮大聖人様の仏法の御心意があるのでしょう。創価学会は、日蓮大聖人様のご心意を体得していません。
 そのことを「日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし」(種々御振舞御書)ということなのです。公明党の諸君、分かったかね。


※年内のブログはこれで終わりです。
来年の1月1日には「新年のご挨拶」・「激動の歌」があります。
1月5日よりブログをスタートします。ご期待ください。
来年もよろしくお願いします。




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2014年12月27日

<土曜特別連載>『日本人の使命』◎理性信仰はデカルトから 8

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※ルネ・デカルト
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<土曜特別連載>『日本人の使命』◎理性信仰はデカルトから 8

 デカルト(1540―1603)は、あらゆる存在を疑いました。当時は人間がキリスト教で説く、世界観に疑問を感じつつある時期でした。
 どこを探しても、「神は存在しない」と考えたのです。もし神がいるなら、「いる」と考えている人の中にしか、神は存在しないとも考えました。その結果、考えている自分自身の存在そのものを第一原理とする有名な「我思う故に我あり」が生まれたのであります。
 それは、神の存在についての間違った認識がそうさせたのです。デカルトの考えた神は、イエス・キリストの事であったろうと思われます。キリスト教は、大変複雑で、宇宙創造の根本唯一神である、エホバ(ヤーハ)の神と、神の子として、救世主として現れた、キリストとの使い分けを考えなければ分かりません。
 ユダヤ人は、その点大変明確でヤーハの神しか神とは一切認めませんから、イエスは大工の子となるのです。人間の存在以上の実在を感ずるのが信仰ですが、神が目の前に現れ、人間の姿をしているにもかかわらず、「私は神である、私を信じよ」と言っても、とても信じられるものではありません。
 キリストの出現は、宇宙創造唯一神の存在を分かりにくくしたといえます。デカルトが、もしユダヤ人ならば、信仰について悩む必要がなかったのであります。神とは真実の存在であり。目に見えるものではなく、あらゆる物を生んだ実在であり、あらゆる物でもあり、上でも下でもあるものと考えるならば、神の存在は否定のしようがないからです。
 デカルトは、自分の自我を神と対比させた、理性においたのが間違いのもとだったのです。人間の理性は、神により創られたと知れば、ますます神の偉大さが理解されるのに、イエス・キリストという人格神が、多分にデカルトの頭の中にあったように思います。
 ユダヤ教は、人格神を通しませんから、そのような一切の疑問は存在しないのです。大なる神は存在そのものであり、光であり、言葉となるのですから、神の概念がまるで違います。デカルトはその意味では不幸であったのです。彼の科学的発想は、理性信仰となり、神と対峙する事となったからです。
 イエス・キリストの存在は、近代的思考者にとって、神を信じがたく感ずる根本を形成したと言えます。ユダヤ教のように、理性そのものが、神の働きであり、その最大のものが主であり、神と考えれば何の矛盾も存在し得ないのです。
 理性信仰の奥に、さらに巨大なる全存在としての意志を、神と立てれば信仰は即科学となるはずです。デカルトにより「理性は神と対峙するもの」この思想が、あらゆるところで弊害となって現代に続いています。理性的な人は、神を信じないという事です。これが「宗教か科学か」の二者択一式の思想になるのです。
 宗教は阿片である、と言ったカール・マルクスはユダヤ人です。カール・マルクスの心の中にあった「宗教は阿片」の意味はキリスト教をさしていたに違いありません。キリスト教のような偶像崇拝信仰の仕方を阿片と言ったはずです。
 なぜなら、ユダヤ教は絶対信仰を止めないし科学も止めません。彼らの信仰の神には疑う余地が全くないからです。エホバ神を信ずる者は、モーゼの神の律法もまた信ずる事になるから、信仰と科学的探究心は一致し、矛盾しないのです。ユダヤ教は、まことに合理的な不思議な宗教であります。人間として出現したイエス・キリストは信ずるかどうかですから、理性を信ずればとても人間であるイエスを神とは思えず、神不在となり、神を信ずれば、理性を失う(判断停止)事になってしまうのがキリスト教です。
 ユダヤ教を一言で言えば、律法をもった科学宗教とでも言ったら良いでしょう。これは本論にも関係しますが、日本人が優秀なのは、キリスト教的神を有していないからなのです。
 日本の神道は、ユダヤ教と兄弟の関係にあると私は考えます。ユダヤ教の律法の部分が欠けたものが神道とも言えますし、今日のユダヤ教のもっと原形の宗教と考えても良いのではないかと思っています。ユダヤ教が世界一の宗教なら、日本の神道も世界一の宗教となるのです。この具体的な事については、後で述べますのでここでは詳しく論じません。
 デカルトから始まった現代の理性信仰者は、神を信じません。おのれの理性のみを絶対と考えます。しかしその理性の中には、どす黒い欲望がひそんでいるのです。欲望充足の為に、理性を使う、実は理性信仰者は理性により欲望を満足させようとするのです。
 知恵のある畜生の出現なのです。これが現代文明の根本的なカタストロフィーを形成しているのです。酸性雨、O3破壊、森林破壊、水素爆弾、などなど理性信仰の生み出し続けたものなのです。
 理性は神の一部であり、理性そのものが神の存在の証明であります。神は人間にそのような力を与えたと同時に、律法(神の掟)をも与えたのであります。神の律法なき理性は、悪魔であり絶対に人間を幸福にする事は出来ないのであります。
 本当の神の子としての人間は、神の業を身に付け、神の律法を身に付け、人類をして神そのものへ変革させてゆく使命があるのです。神の業とは、科学であり(自然・人文・社会)しかも超科学であり、超能力現象を出現させる事でもあるのです。


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2014年12月26日

人間の探究 155 悪道に落ちる人

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※首里エイコは、豚のように太り、足も練馬大根のようになって最後は生活保護で一人さびしく死にました。悪道に堕ちてしまったのです。創価学会信仰の成れの果てです。
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人間の探究 155 悪道に落ちる人

 「世間の罪に依って悪道に堕つる者は爪上の土、仏法によって悪道に堕つる者は十方の土。俗よりも僧、女より尼多く悪道に堕つべし。」(開目抄上)
 仏法では失敗の人生を悪道ととらえます。人生に失敗したということは悪道に入ってしまうことなのです。人殺し、サギ、窃盗、ドロボウ、そのようなことをやってしまい刑務所に入れられて、自分の一生が終わるのです。これはまさに絵の如く「悪道に堕ちた」ということです。
ところが普通の人生を歩んでいて刑務所に入らなくても、悪道はあります。「悪道に堕ちる」このことについて考えてみたいと思います。
 大部分の人は、実は悪道に落ちているのです。刑務所に入らなくても最後は癌になり、のたうちまわって、全身に注射を打たれて、針を刺されて、のたうちまわって死ぬのです。そのような人も多いのです。これは悪道に堕ちてしまっているのです。
 或いは一人になってしまったり、離婚して看病する人もいなければ、ご飯をつくってくれる人もいません。一人で知らない間に死んでしまうのです。大原麗子のような女優でも一人でさびしく死んでいきました。
 朱里エイコもそうです。昔は足が綺麗で有名だったのですが、最後は生活保護を受けてたった一人で死んでしまうのです。これらを悪道というのです。
 食べる事もできないで、飢え死にしてしまうのです。死ぬ時に誰もいない、何日も経ってから人にみつかるというのは、悪道に堕ちた結果なのです。或いは会社が倒産して、夜逃げして山奥で一人でさびしく死ぬなど、これも悪道に堕ちたと言えます。
 結婚しても奥さんが悪女で男をつくっては遊び歩いて、また男をつくっては遊び歩いて、その夫になってしまったら大変です。夫から見ると、これは悪道なのです。その女もやがては悪道に堕ちてしまうのです。
 これを仏法でいうと、地獄・餓鬼・畜生・修羅です。地獄と言うのは、呪縛されて動けない状態の事を地獄といいます。動けたら地獄ではないのです。この地獄にも八大地獄があり、等活地獄・黒縄(こくじょう)地獄・衆合(しゅごう、しゅうごう)地獄・叫喚(きゅかん)地獄・大叫喚(だいきょうかん)地獄・焦熱地獄・大焦熱地獄・無間地獄があります。無間地獄へ落ちたら大変です。殺生、盗み、邪淫、飲酒、妄語、邪見、犯持戒人、父母・阿羅漢(聖者)殺害した場合、無間地獄へ落ちます。 
無間地獄は、地獄の最下層に位置します。大きさは前の7つの地獄よりも大きく、縦横高さそれぞれ2万由旬です。最下層ゆえ、この地獄に到達するには、真っ逆さまに(自由落下速度で)落ち続けて2000年かかるといいます。前の七大地獄並びに別処の一切の諸苦を以て一分として、大阿鼻地獄の苦が、1000倍もあるといいます。剣樹、刀山、湯などの苦しみを絶え間(寸分・刹那)なく受けます。背丈が4由旬、64の目を持ち火を吐く奇怪な鬼がいて、舌を抜き出されて100本の釘を打たれ、毒や火を吐く虫や大蛇に責めさいなまれ、熱鉄の山を上り下りさせられるのです。
この地獄における寿命は、人間界の6400歳を一日一夜とした場合の6万4000歳を一日一夜として6万4000歳であり、人間界の時間では349京2413兆4400億年に当たります。また、この期間を一中劫(一つの宇宙が誕生して消滅する時間)とも言います。
 これは例え話です。血の海に生まれて、人体をバラバラにされても、死なないのです。またすぐに体が甦ってくるのです。すると地獄の鬼がいて、鉄棒で殴り倒すのです。またこなごなにくだかれるのです。くだかれても死なないのです。また生き返り、それを永遠に繰り返すというような地獄もあります。恐ろしいことです。
 或いは火の中に入れられて全身が焼けただれて死ぬのです。「こんな話はおとぎ話だよ」と言う人もいますが、おとぎ話ではないのです。キリスト教会は、人間を生きながら火あぶりにかけ、何万人と死んでいます。火あぶりされる人間にとっては地獄です。
 豊臣秀吉にやられた石川五右衛門の釜茹での刑は、生きながら釜の中に放り込まれるのですから地獄です。地獄の特長は動けなくなるのです。いくら苦しくてもそれを脱することはできません。物凄く長い間地獄で苦しむというのが、仏法でいう地獄界なのです。
 餓鬼というのは、「食べたくてしょうがない」「欲しくて、欲しくて仕方ない」という煩悩に悩み続ける姿です。何でも欲しいのです。他人の女がいれば欲しい。また他の女を見て「あれも欲しい」と、際限なく欲しがるのです。宝石もブランド品も、みんな欲しいのです。買っても、買っても、お腹が空いている状態ですから、ますます欲しくなっていくのです。「お金も、金(きん)も欲しい。名誉も欲しい。食べる物も欲しい。大きな家も欲しい!」買っても、買っても欲しいのです。ちょうど、心が大きな砂漠のように水がなくなった状態で飢えているのです。これを餓鬼界というのです。
 畜生というのは、互いに食らい合うのです。「はかなきを畜」といい、互いに食らい合うのです。向こうから恐竜が来ます。自分も恐竜です。お互いに「ウォー」とうなります。何の恨みもないのに殺し合うのです。しかも、殺して食べてしまうのです。そのような世界は実際、動物に生まれると現実にあるのです。ライオンもそうです。テレビで見ましたがライオンが水牛を襲うと、ライオンがやられてしまいます。水牛の角でライオンが5メートルも跳ね上がるのです。それでライオンは死んでしまうのです。そのようにお互いに殺し合い、喰らい合うのです。これを畜生界というのです。そのような世界が悪道です。
 修羅とは怒り狂うのです。何しろ、年がら年中怒っているのです。見るもの、聞くもの全て気に入らないのです。修羅界に入ると「身の丈八万由旬」といって、体が大きくなってしまうのです。相手が小さく見えてしまうので、殺したりしてしまうのです。自分が大きくなるから「コノヤロウ、殺してやるぞ!」と、殺してしまうのです。これが修羅界です。
 これが仏教でいうところの悪道です。「この悪道に堕ちないようにするためには、どうしたらよいのか?」というのが仏の教えです。ところが大部分の人間は仏を知らないし、仏の教えを聞きかないから三悪道・四悪道に堕ちてしまい、人生が終わってしまうのです。
 しかし、このような事は世間の悪道で、本当に恐ろしいのは仏法上の悪道です。仏法上の悪道とは、成仏できない経典を信じ込んで修行する邪教です。このような人は土の如く多いのです。真実の法華経に巡り合って、修行して仏になる人は本当にごく希で、ちょうど爪の上に土を乗せたようなものなのです。爪の上に土を乗せても落ちてしまいます。大地の上の土だったら落ちる事もありませんが、悪道に堕ちる人は「大地の如く」で、仏になる人は爪の上に乗る土のように非常に少ないのです。「仏に成れる人は、なかなかいないよ」ということを言っているのです。
 これが本当の仏道であり、悪道に行かないためには、正しい法を選び修行する事です。正理(しょうり)ということです。そして、邪教を止めるのです。邪教に堕ちている人を一人でも多く救って正しい道を歩ませてあげようという事が仏様の慈悲なのです。
 我らもそのような決意を持って、仏道を修行していかなければいけません。

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2014年12月25日

人間の探究 154 宗教と統治

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※ローマ皇帝は、ローマ市民にとっては神なのです。
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人間の探究 154 宗教と統治

 よくこれは混同されているのですが、宗教には二つの目的があります。一つは個人の魂の救済です。これは一般的に宗教学者が言っています。
 しかし、その答えは違います。宗教は魂の救済であると同時に、統治する一つの手段でもあるのです。言ってみれば人間の発明品です。バラバラの集団である人間が宗教を発明したことにより一つの集団ができるのです。同じ宗教を信じなければ、バラバラの個人であり、動物と同じレベルです。
 そこに「神の教えだ」と言って宗教を持ち込んだのです。宗教を発明した人は天才です。その当時は宗教という概念がないのですから、宗教をつくって持ち込んだ人は天才です。人間は宗教によって一つになれるのですが、おいしい場所は、また次の者が現れるのです。
 誰かが国をつくって治めます。建物を造り、多くの奴隷がいて、王様として君臨していると、「では俺もあそこへ行って国を造ろう」と次の国ができてきます。国と国同士が喧嘩になってしまうのです。
 宗教も同じです。ユダヤ教ができて、キリスト教ができて、イスラム教ができてくると、凄い統治能力です。イスラム教は14億人、キリスト教は15億人が信者です。これが「巡礼だ」と言って歩き回るのです。
 宗教は人々を団結させるためにタブーがあるのです。宗教と言う以上、どこの宗教にもタブーはあるのです。このタブーを持っている人間が「同じ宗教を持っている」という証なのです。
 例えば、ユダヤ教でいうと割礼(かつれい)をします。割礼とは、キンタマの皮を斬るのです。生まれて6日以内にキンタマの先をちょんぎるのです。これを割礼と言います。すると、「俺、ユダヤ人だよ」と言う人がいれば「キンタマを見せてみろ」と、キンタマを見て割礼されていなければ、「お前、偽ユダヤ人だな」と言われてしまいます。割礼がユダヤ人の印になるのです。
 刺青も同じ目的です。ヤクザは刺青をしていますが、「●●組のヤクザは、このような刺青をしているのだよ」ということです。
 ユダヤ教は非常に厳しくて「豚を食べてはいけない」「ウロコのない魚は食べない」「蹄のない四足は食べない」とか、厳しい戒律がたくさんあるのです。ユダヤ人達は、絶対に豚を食べません。神の掟に逆らうことになるので、少しでも豚が入っていたら食べないのです。それを守ることにより、「この人はユダヤ人だ」と分かるのです。豚を食べない者同士が団結できるのです。うまく考えられているのです。
 それから、本尊をつくり礼拝をおこないます。イスラム教の礼拝をおこなわない人はイスラム教徒ではないのです。皆と1日5回の礼拝をおこなわなければ、イスラム教徒だと認めません。
 宗教学では、これらを「通過儀礼」と言います。宗教である以上は、必ず通過儀礼を持ちます。日本でいうと通過儀礼は七五三です。それほど厳密ではありませんが、日本人に生まれたならば必ず七五三に行きます。これは人間が成長して通り過ぎてくる一つの過程です。朝鮮人は七五三に行きません。日本人は七五三に行くのです。七五三に行けば「あれは日本人だ」と分かるようになっているのです。
 成人式も通過儀礼です。昔は15歳ですが、今は20歳です。この成人式は通過する儀式なのです。それぞれの宗教は通過儀礼を持っているのです。
 キリスト教では洗礼を受けますが、洗礼が通過儀礼です。創価学会も通過儀礼を持っています。それは御本尊を頂く事です。仏壇に御本尊を安置して、お経を唱えるのです。昔は、勤行に30分かかったのです。それからお題目を30分唱えるのです。これを朝晩やるのです。朝寝坊した人は、朝勤行をする時間がないと、電車の中でやるのです。今では儀式が軽くなってきていますが、これは通過儀礼です。
立正佼成会の通過儀礼は真っ暗にして円陣を組み「エイエイエイ!」と気合を入れると、幹部候補生が倒れて神がかりになります。統一教会は1週間の儀式を行います。朝6時から夜中の12時まで講義を行うのです。頭もふらふらになり倒れてしまうような通貨儀礼です。それをやることにより信者として認められるのです。信者も宗教に忠誠心を誓うようになるのです。仏教では坊主がお葬式をやります。これも通過儀礼です。人間は必ず死ぬのですから、通過儀礼の方式が葬式ということです。
通過儀礼には、同時に「統治する」という大事な宗教の役割があるのです。例えば、ローマ皇帝は政治権力を持っています。ローマにはディプロマを持った市民と、奴隷がいたのです。市民になると食べ物も、娯楽も、お風呂もタダです。それを仕切るのが皇帝です。
 市民にとっては「よい皇帝だな」と思うのです。そして、コロシアムの娯楽をタダで与えるのです。人殺しの現場を見せるのです。人間と動物の戦いを見せるとローマ市民は喜んで興奮して「ローマ皇帝はこんな娯楽を与えてくれる。うれしいな」と言ったのです。
 ローマ市民は食料も、お風呂も・娯楽もタダですから「ローマ皇帝こそ神だ」と思うのです。ところがディプロマを持った市民にはなかなかなれなくて、25年のローマ軍の兵役を果たしてから生き延びた者はローマの市民証を与えたのです。それまでの戦争で死んだりするので、なかなかローマ市民にはなれないのです。
 ローマの市民でない人間が奴隷です。奴隷は何も与えられないのです。皆から見えない競技場の下で労働しているのです。奴隷が市民の10倍いたと言われています。この奴隷にとってローマ皇帝は神ではありません。自分達は重労働をさせられているのです。
 「俺達にも神が欲しい」と願い、そこに出てきたのがイエス・キリストです。「私がキリスト(救世主)である。この世の作り主から使わされてきた」と言ったのです。それは「ローマ皇帝などというものではない。俺の方が上だ」という意味です。
 ローマ皇帝は人間が任命したのです。キリストは「宇宙唯一の神が私を任命してこの地上にキリスト(救世主)として遣わされたのだ」と言います。どちらが有難いのかと言うと、キリストの方が有難いので、どんどん広まっていったのです。
 ローマ皇帝は、奴隷を必死になって弾圧したのです。「キリストは神ではない。神はローマ皇帝なのだ」と弾圧すればするほど、天の救いを求めてキリスト教はどんどん流行ってしまったのです。
 奴隷を殺したり焼いたり、ライオンに食わせたりしたのですが、キリスト教はなくならないのです。一計を案じて、ローマ皇帝は「私がキリスト教徒になってしまおう」と、ローマ皇帝は「私もキリストを信じます」と言ったのです。そこから、「神聖ローマ帝国」になったのです。神聖ローマ帝国は千年くらい続くのです。その流れが、現在のローマ法王です。ローマ法王は全ての王様、全ての大統領の上にいる存在です。
 ローマ法王は15億人も信者がいるのです。アメリカでは、信者は3千万人くらいです。単位が全然違うのです。ローマ法王と言ったらキリスト教徒にとって絶対権力者です。
 宗教は政治に利用できるのです。ローマ法王が一言「やめなさい」と言えば、パッと戦争など止めてしまうのです。「いい加減にしなさい。人類はやがてUFOに遭遇するかもしれません」とローマ法王が言えば、それが当たり前になってしまうのです。
 「ガリレオを火あぶりにしたのは間違っています」と言えば、その通りになってしまうのです。ローマ法王が言った言葉は神の言葉ですから、そうなってしまうのです。これは政治でも非常に都合がよいのです。ローマ法王が「静まれ」と言えば、みなが静まります。
 本当は政治とは政教一致なのです。祭政一致とも言えます。宗教的な政(まつりごと)をやれば民衆は治まるのです。日本の場合も同じです。天皇は政治の中心にいますが、祭司です。天照大神の子孫であり、天皇が宮中で200回以上の儀式を行うのは、神としての儀式を行っているのです。
 天皇は神の直系の子孫です。天皇の言うことには間違いがないのです。日本人は天皇の言う事は聞くのです。政教一致の国になって、初めて世の中が治まるのです。今は政教分離です。宗教と政治は分離しなければならない。宗教の統治については、配慮されていないのです。否定はできませんが、配慮されていません。
 地球上に人類の幸福が来るならば、それは祭政一致の宗教が出現した時です。これがまた難しいところです。政教一致の宗教とはユダヤ教なのか、キリスト教なのか、日本神道なのかということになりますが、結論は日本神道です。ユダヤ教、キリスト教でもダメなのです。
 日本神道の神が世界を統一された時に我々は本当の幸せを得るのです。日本の天皇は神なのです。これを忘れてはいけません。

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2014年12月24日

人間の探究 153 仏界(ぶっかい)はあるのか、ないのか?

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※日蓮大聖人様は久遠元初自受用報身如来です。
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人間の探究 153 仏界(ぶっかい)はあるのか、ないのか?

 人間の心の中には仏界(ぶっかい)はありません。だけど、修行すれば仏界はでてきます。だから、「ない」とは言えません。
 では、「仏界はあるから見せてください」と言われても見せられません。仏界は見せることができないから「ある」とも言えないのです。また、「ない」とも言えません。
 しかし、確実に言えることがあります。仏界を最初につくられたのは、お釈迦様です。お釈迦様の心の中に「仏界(ぶっかい)」という境涯をつくられたのです。それから天台大師にしても、竜樹にしても、仏界をつくったわけで、日本では伝教大師が仏界をつくったと言われています。その人たちの心の中には仏界は「ある」のです。
 「何故、仏界があるのか?」というと、これは前世の因縁によるのです。いきなり、人間が出てきて修行して仏界を得るなどということはできないのです。仏界とは伝わってくるものなのです。
 最初にあった仏様のことを「久遠元初自受用報身如来(くおんがんじょじじゅゆうほうしんよらい)」と言うのです。最初の時を「久遠元初(くおんがんじょ)」と言います。「私は何者であるか?」ということを、「自受用(じじゅゆう)」と言います。「報身如来(ほうしんにょらい)」とは、智慧の仏がいたという事です。
 どうしてこの仏様は、仏界が分かったのかというと、「我仏来(がぶつらい)は自得(じとく)なり」(私が仏になったのは自然なのです。もともと仏であった)という意味です。これは、「自我得仏来(じがとくぶつらい)」のことです。
 最初にいた仏様は仏界そのものなのです。他に何ものもないのです。そのようなものが宇宙の働きの中にあったのです。その仏様が長い間、生まれ変わって、種(仏に成る種)のようなものに気が付いて、そして成仏(じょうぶつ)したのです。
 お釈迦様の成仏は、それなのです。お釈迦様の師匠は誰かというと、「久遠元初自受用報身如来」です。これが面白いところです。
 宇宙ができた最初の仏様は、実は日蓮大聖人様だと言われているのです。何故かというと、最初の仏様はキンピカの仏陀ではなく凡夫なのです。九界を備えた凡夫僧だけれども仏界を自覚された方なのです。
 仏界だけの仏ではありません。仏は九界を持っているのです。九界は誰がつくったものでもありません。最初の仏様は九界だけでなく仏界を持っているのです。「お釈迦様の師匠は誰ですか?」と聞くと、「久遠元初自受用報身如来」です。これを本仏(ほんぶつ)といいます。仏に成る種をつくるから本仏というのです。
 日蓮大聖人様は「私によってお釈迦様は仏になった」と言われているのです。普通は「お釈迦様がいて、お釈迦様を師匠にして日蓮大聖人様は仏になった」と考えます。そうではないのです。永遠の生命から見ると「お釈迦様は、私の弟子だ」と日蓮大聖人様は言われているのです。凄い境涯です。
 「自我得仏来(じがとくぶつらい)は、自得なり」最初に仏に成ったのは、日蓮大聖人様です。最初の仏様には九界もあり、仏界もあるのです。九界即仏界なのです。仏界即九界です。
 「貴方の心の中に仏界はあるのですか?」「仏界はないのですか?」と言っても、貴方の心の中には仏界はないのです。ですから、「ない」というのが正解です。「貴方の心をよく見なさい」ということは、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)の命しかでてきません。
 自分の心を九界だと教わって日蓮大聖人様の仏界を教り、自分の心を見ると仏界はできてきます。何の矛盾もしていません。貴方の中には仏界はないのです。でも、その心を見てよく教わると仏界をつくることができるのです。
 そのような意味で一つも矛盾はないのです。お釈迦様の仏界の種は日蓮大聖人様だったのです。日蓮大聖人様は誰を師匠にしたのかというと、これは末法です。日蓮大聖人様は「お釈迦様が師匠ではなく久遠元初自受用報身如来という、ずっと昔に最初から私は仏であった」と言われているのです。
 ですから日蓮大聖人様のことを「本仏(ほんぶつ)」と言うのです。本仏以外の仏のことを迹仏(しゃくぶつ)といいます。迹仏とは仏の影なのです。日蓮大聖人様だけが本仏です。
 お釈迦様滅後、千年間が正法時代、二千年までが像法時代と言いますが、その間はお釈迦様の言うとおり修行をすれば仏になれるけれども、二千年経ってしまうとお釈迦様の仏法は効かないのです。「その時に誰が出てくるのですか?」というと、凄い仏がでてくるのです。お名前を上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)と言うのです。実は上行とは仮の名前で大本仏が出現されるのです。
 この大本仏である日蓮大聖人様が末法を救っていくのです。「末法万年尽未来際までも南無妙法蓮華経は流れるべし」とは、そのような意味なのです。誰も日蓮大聖人様の仏法を破れないし、南無妙法蓮華経は永遠の法ですから、それを信じていくならば皆さんを幸せにしていくことが出来るのです。末法万年尽未来際までも衆生を救う法が南無妙法蓮華経なのです。

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2014年12月23日

人間の探究 152 プラグマティズムについて

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※ジョン・デューイ
「中杉 弘のブログ」のテーマソングです。
紀元は2600年(キングレコードより)



人間の探究 152 プラグマティズムについて

 プラグマティズムとは実用主義ということです。これは、ジョン・デューイ(1859年―1952年)の哲学です。プラグマティズムとは、思想にとらわれないで、現実的によい方を選ぶのです。
 誰がつくろうがよいものを選ぶのです。思想の場合はそうではないのです。「俺は日本人の作ったものしか買わないのだよ」と言えば、プラグマティズムではないのです。実用主義とは「誰が作ってもよい物はよいから買う」ということです。アメリカ人はそれが徹底しているのです。だから輸入もするのです。どんどん輸入をして良い物は買うのです。それが良い面です。良い物を作ればアメリカ国民は買ってくれるのです。
 日本はそうではありません。踊りは●●流、お花は●●流とこだわっているのです。それぞれの流派には免許があるのです。それが大学にも通じています。東大はブランドです。東大を出れば立派な人です。早稲田・慶応も立派な大学です。皆、そう思ってしまうのです。それ以外の大学は相手にされません。
 日本では、大学を出るというのが問題ではなく、ブランドが問題なのです。ブランドの大学を出れば中身が馬鹿でも「よい人間だ」「優れた人間だ」という判断をくだしてしまうのです。
 これはプラブマティズムとは反対です。アメリカは、ドクター号を持っているかどうかです。ドクター号は、学士・修士・博士課程を修了した証明ですから、どこの大学を出たなどあまり関係ないと思います。優秀な人が集まるから「よい大学」と言われるのです。アメリカはそのような事を区別しないのです。
 よい例は、ハワイで一人でやっている大学がありました。大学は全て違うのです。一人の学長がいて色々な事を発信していてもそれも大学です。区別はないのです。
 日本の場合は、ダメなのです。「設備があって、教授が何名いて、学生が何名いないと大学ではない」と言います。アメリカは、学長が一人でよいのです。卒業証書も発行して、刑務所に入れられたら刑務所の中から学位記を発行しているのです。それでいいのです。
 以前、キリスト教系の大学で、物理学の博士号を出すということで大問題になったのです。「世界は神様がつくったのだ。神様がつくったものに物理学も入るのだから博士号を出してもよいのだ」と主張したのです。裁判になって、結果的にはキリスト教の大学が勝ったのです。アメリカは自由なのです。これもプラグマティズムの考え方です。
 プラグマティズムの目指しているものは、形(校舎)とか、学校(教授が何名、学生が何百名)とかではないのです。実際に凄い学者が一人で、学問を授ければ大学なのです。
 「大学で何を教えるのか」ということを政府は干渉してはいけないのです。例えば、宗教大学といっても、キリスト教だけではありません。イスラムの学校もあります。イスラム系の学校はイスラム教を教えるのです。キリスト教系の学校はキリスト教を教えるのです。
 それでよいのです。文部科学省が「この大学は良い大学」「この大学は悪い大学」などとは言えないのです。内容がみな違うのです。それがプラグマティズムです。何を教えるのかは自由なのです。
 アメリカは、プラグマティズムの考え方があるので、日本よりも考え方が自由です。現代の文明は全てアメリカが作ってきたものです。日本より遥かにアメリカの方がよいのです。大学もみなアメリカに行きます。それを勉強しにいくのです。
 日本人は固くなって「東大でないとダメ」「京都大学、これは良い大学」「東大以外はダメです。私学? 早稲田・慶応? ああ、こんなのは学校ではありません」このような考え方です。国立と比べたら大学ではないのです。そのように考えているのです。
 例えばもっと分かりやすくいうと、戦前は日本の軍隊は補充兵をとる場合、大学教授が2等兵になったのです。そんなことはありえないのです。大学教授が徴兵されて鉄砲を担いで2等兵です。20歳くらいのガキに「おい、そこのジジイ、何をやっているのだ!」と言われて大学教授が「はっ、軍曹殿!」と言うのです。
 アメリカは、建築会社の社長なら軍隊に入ればすぐに中佐です。「お前は社長をやっていて能力があるのだから中佐だ」とすぐ中佐になれるのです。それがプラグマティズムです。「もう実力がある」と社会で分かっているのですから、会社社長なら中佐です。アメリカは、会社の社長を2等兵などで使いません。
大学教授を2等兵にしたという日本の教育が如何に馬鹿なものであったのかということです。
すると伸びないのです。日本の場合は、「あの人、正しい事を言っています。どこの大学を出たの? えっ、中学しかでていないの? こんな人とお話ししません」という結論になってしまいます。中学卒の人間が言っても、誰が言っても、優れた事は優れた事なのです。そのような考え方がプラグマティズムです。相対して良い物をとるのです。
これは、デューイの哲学からきている考えです。日本とは形が違うのです。ハワイで一人で大学を経営していると「ジジイが一人でやっているから大学ではない」と、日本人は言うのですが、「ではどのようなものが大学なのか?」ということは言えないのです。
それをインチキ大学とひとまとめにして一人で経営している大学も「インチキだ!」とわめいたのです。大騒ぎをしても「大山鳴動して鼠一匹(たいざんめいどうしてねずみいっぴき)」(意味:前触れの騒ぎばかりが大きくて,実際の結果の小さいことのたとえ。)です。何も取れないのです。
アクリディエッションとは、おなじようなキリスト教系の大学が協定をつくり、「認可しましょう」ということです。「貴方と私の大学は価値観が同等だから単位の互換もできます。貴方の大学で100単位とれば、私の大学で何十単位取れば卒業です」というシステムです。まとまった私立大学の連名で単位が互換ができるのです。アクリディエッションとはそのような意味です。
そのような団体がアメリカには400あります。どこかに入らなくてもよいのです。そこに入りたい場合は、協会に入る候補生になるのです。その協会に入るのに7〜8年かかるのです。「貴方の大学はどのような教育をやるのか、価値観が同じかどうか」を考えて、協会に入れるかどうかを決めるのです。
「私は最も優れた事をやっているので、私を理解できる大学はない」このように言ってもよいのです。「協会は入りません」これも立派な大学です。それを勘違いして日本は文部省が認可して「校庭はあるのか?」「医務室はあるのか?」「教授は何名いるのか」「学生は何名募集するのか」と、文部科学省が認可を出すのです。それと勘違いして、ハワイで一人で経営している大学を「アメリカの無認可大学」と言う人もいますが、とんでもない話です。
アインシュタインが一人いれば大学です。アインシュタインが全て教えられます。相対性原理など未だに誰も分からないのです。アインシュタインが一人いれば立派な大学だと分かります。松下村塾も立派な大学です。
その様な違いがあるのです。それを日本の標準に合わせてアメリカの大学を見るからバカは分からないのです。アメリカも一時、そうなりかかったのです。もっと政府が規制しようとしたら、アメリカの議会で「そんな馬鹿な事はない」という結論に至ったのです。アメリカはまともなのです。教育は何を教育しようと自由です。学長一人しかいなくて、「そこの大学を出た」としてもいいではないですか。それを出たとしても否定する必要があるのでしょうか。「何名学生がいなければいけない」などというのは話がおかしいのです。
 これは、プラグマティズムの考え方からでているのです。その中には良い大学もあれば、悪い大学もありますが、そんなことは分かった上です。悪い大学だと知っていたら、卒業証書を出しても価値がありません。ただ、それだけの話です。
 プラグマティズムの元になるものは実用主義ですから、アメリカはそのような考え方が元になっているのです。

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2014年12月22日

人間の探究 151 顕正会について

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※顕正会会長・浅井 昭衛(あさい しょうえ)
「中杉 弘のブログ」のテーマソングです。
紀元は2600年(キングレコードより)



人間の探究 151 顕正会について

 冨士大石寺顕正会は、「南無妙法蓮華経」を唱える団体であり、もと日蓮正宗の信者の会だったのです。日蓮正宗の信者の会の事を「講(こう)」と言ったのです。
 顕正会は日蓮正宗の一つの講であり、昔は妙信講と言いました。その会長が講頭をやっていたのです。日蓮正宗の講頭は何人もいて、「日蓮正宗●●講」がたくさんあるのです。その中の一つに顕正会があったのです。これは信者の集まりです。
 数ある講は、日蓮正宗という一つのお寺に所属していたのです。お寺の信者が集まってお坊さんに指導してもらうのですが、御供養するなど講単位で考えていたのです。講をまとめる人を講頭(こうとう)と言ったのです。この組織は戦前からあり、妙信講は創価学会より古く、初代講頭は浅井甚兵衛です。戦後、日蓮正宗に創価学会が入ってきて、物凄い勢いで折伏を始めたのです。あっという間に妙信講を抜いてしまい、破竹の勢いで何十万、何百万人という信者を集めて独特の「創価学会」という講をつくってしまったのです。講であるからあくまでも「日蓮正宗 創価学会」だったのです。
 日蓮正宗では、お坊さんのことを「御僧侶」と言うのです。非常に厳格な宗教です。代々の猊下(げいか)は、日蓮大聖人様の直系の御命を授かっているという考えです。68世の日如まで続いていますが、日蓮大聖人様から血脈相乗を受けているのです。血脈の流れを受けて、寸分たがわず日蓮大聖人様の仏法を受持していると言っているのです。
信者はそれを信じたのです。ですから、猊下は絶対なのです。何しろ、日蓮大聖人様の御命をそのまま引き継いでいるという想定ですから、猊下の命令は絶対です。猊下が「●●講は解散する」と言えば解散です。
講がたくさん集まった中で、大講頭が集まって総講頭があり、それに創価学会会長がなったのです。その段階で浅井甚兵衛浅井の妙信講はずっと下の講になってしまったのです。年代から言うと妙信講の方がずっと古いのです。妙信講は昔から信者がいたのです。
創価学会は後から出てきて「俺が総講頭だ!」と言ったのです。そのような関係になったのです。戸田先生は「国立戒壇を造り、日本の国をよくしていくのだ」と言っていたのですが、公明党が選挙に出るようになって「国立戒壇」などというと、世間から袋叩きにされてしまいます。「時代錯誤だよ」「仏法と国家がどのような関係にあるのだ」と言われるので、そのようになってしまったのです。
その時に出てきた公明党は「国立戒壇」を言わなくなってしまったのです。大石寺には不開門(あかずのもん)があります。不開門(あかずのもん)のことを「黒門(くろもん)」とも言います。その門は、広宣流布の時に勅使が御教書(みきょうしょ)を持ってくるのです。御教書とは、天皇陛下の命令です。これをもって勅使が黒門をくぐるのです。その門は何百年も誰も通ったことがないのです。みな勅使ではないからです。
そこのところを池田大作は「この勅使門は、時の創価学会会長がくぐるのだ!」と言ったのです。自分が天皇になった気持ちで、「自分がくぐる」と言ったのです。
それで顕正会の浅井が猛烈に反論したのです。そんなことがあるのか。池田大作は、日蓮正宗の教義とは違う。冗談ではない!」と猊下に訴えたのです。顕正会は人数は少ないのですが、創価学会本部に乗り込んだりしたのです。
日蓮正宗の本山も困ってしまい「天下を取るためには創価学会の言う事を聞いたほうがいいから、浅井さん騒がないでくれ」と言ったのです。創価学会は顕正会を金で釣って、「お寺をつくってあげるから静かにしてくれ」と言ったのですが、一歩も譲らないのです。
結果として三つの寺院をつくることになったのです。「顕正会は創価学会に乗り込んだり、塀を乗り越えたりすることはしないように」と話がついたのです。しかし、一貫して顕正会は「創価学会は日蓮正宗の教義と違う。日蓮大聖人様直系の猊下、御本尊があって代々血脈の信仰ができるのですから創価学会は邪教だ」と主張しています。これが顕正会の立場です。
ところが、今の会長になり変なことをやりだしたのです。「折伏大行進だ!」と言い始めたのです。学会の真似なのです。学会が部隊をつくれば、似た名前をつくり学会が隊長をつくれば、顕正会は区長をつくり、歌も軍歌調の歌をつくり同じことを始めたのです。
講頭がくると「伏せ拝」を始めたのです。伏せ拝は、浅井 昭衛(あさい しょうえ)会長がくると目をつぶり頭を下げておじぎしているのです。「浅井会長がお帰りになりました」と言うとやっと目を開けるような儀式です。これを伏せ拝といいます。
伏せ拝とは仏がやることです。仏以外の者が伏せ拝などやらせてはいけないのです。今やこの勢力が大きくなって自称「100万人の会員数だ」といっています。全国に顕正会の会館があります。大変な勢力になってきて、問題も起きてきているのです。
これとは別に大草一男が講頭の妙観講という組織があり、これは武闘派です。妙観講と顕正会と創価学会は、三つ巴の喧嘩です。当時の学会本部の地下室には木刀が千本もならんでいたのです。本当にやる気なのです。顕正会の連中は創価学会本部の壁に自動車で「バン」とぶつけてよじ登ってくるのです。顕正会は「絶対に俺達は間違っていない!」と思っているから、行動も激しいのです。
このような動きに対して「バカな争いは勝ってにやってください」というのが、正理会の立場です。この中にまきこまれて一緒に喧嘩をしたり、そんなことはやりません。
「最も正しい道の正理(しょうり)を教えていきましょう」それが正理会の立場です。陰謀で相手をやっつけたり、数でやっつけたり、金の力で相手の頬をひっぱたくなど、そんなことは一切やりません。
最後に正理会が勝利します。見ていてごらんなさい。

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2014年12月20日

<土曜特別連載>『日本人の使命』◎理性は絶対か 7

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※氷山のように、海面上に出ている部分は、ほんの少しでその何倍もの氷が水面下にあるのです。
「中杉 弘のブログ」のテーマソングです。
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<土曜特別連載>『日本人の使命』◎理性は絶対か 7

意識と潜在意識

 自分の存在を感ずる事が出来る、この事を意識と言います。とくに現代人の多くの人は、この意識を絶対視する傾向にあります。心理学の教えるところの意識は、何とも頼りのないものだという事を知らないのです。
 フロイトの発見した潜在意識は、当時の人々にとって、まさに驚きであり、「自分の知らない心が存在する」こんな事を聞いて頭が混乱して発狂した人もいるくらいです。
 しかし、氷山のように、海面上に出ている部分は、ほんの少しでその何倍もの氷が水面下にあるように、我々の意識出来る心はほんの少しで、大部分は意識出来ない心だと言うのですからややこしいのです。
 自分の知らない心があるとは、理解しがたい事です。「自分が知らなければ自分ではないではないか」と考えるからです。
 これは潜在意識を誤解した考え方なのです。実は意識と潜在意識とは、役割の違う心があるという意味で、二つの心があるという意味ではないのです。潜在意識は、自己の肉体コントロールを中心とした心であり、意識とは、外部世界と自己とのコントロールにその主眼があるのです。
 髪の毛が生えたり、血液循環したり、白血球が外部の細胞と戦ったり、細胞が新陳代謝するのは潜在意識の働きであり、だからこそ通常の意識がいくら「髪の毛が生えろ!」などと命令しても絶対に髪の毛一本生やす事は出来ないのです。
 生命の進化の過程を見れば、すぐ分かる事ですが、我々の自我意識は一番最後に出てきたものなのです。その進化のダイジェストを母の胎内で人間は超スピードで生命何億年の歴史を体験するわけです。我々もここで少し、再体験して見る事にします。
 まず、生命の源は、精子と卵子ですが、精子なり卵子なりも独自の意志はありますが、その分別するところは大変小さく、心と言えるような存在はまだありません。卵子が受精し、いわゆる生命活動が開始されると、細胞分裂が始まりますが、その心は拡大する衝動のようなものであり、言葉もないのですから、ただ分裂して増殖するという拡大衝動のようなものが心のはずです。
 まだ、呼吸すらしていないのですから、母の胎内で内蔵の諸機能の原形が作られても、目も見えず、耳も聞こえず、皮膚の感覚もなく(少しはるでしょうが)、暗闇にのたうつ、ミミズ程の意識があるだけでしょう。
 やがて外界に飛び出し「オギャー」と産声を上げても、心は呼吸する自己と、外界のもの(母乳の事です)を吸い込みたいと感ずる衝動(本能)でしかないはずです。
 この段階では、人間としての心はまだないのであり、動物である犬や猫の子供の心と何の変わりもないはずです。やがて目が見えるようになり、耳が聞こえるようになり、皮膚感覚が感じられ、自己を感じますが、いまだ言葉もなく、分別もない故に、動物の子供も人間の子供も同じものを感じます。
 しかし、やがて言葉を覚え、外界と自己との区別を知るようになり、少しずつ分別が目覚め、動物と人間の区別がやっとついてくるようになります。
 言葉によって、人間は自我意識を持つようになります。人間は言葉によって外界と自分の関係を知り、更に教育によって外界と外界、他人と自己の関係を知り、社会を知り、様々な分別を有するようになります。
 我々が通常、意識・心と言っているのは、外界と自己の関係についての生命の最終判断であり、人間の発達の最後のランナーの事なのです。しかし、最終ランナーが出てくるためには、幾人もの前走者が必要なように、肉体的な自己コントロールが完成して、最後にバトンタッチして出現したのが意識なのであります。
 故に、何かのはずみで頭を打って、意識不明になっても、生命維持コントロールは潜在意識により行われているので大丈夫なのです。
 闇にうごめく衝動のカオスから、徐々に世界が出現してくるのです。仏教では、この心の成立を八識(アラヤ識)→七識(マナ識)→六識(目・耳・鼻・舌・身・意識)と説きます。
 実は心とは、これらの働き全部の事であり、六識の最後の意識の事ではないと仏典は説いています。意識は全く心の部分であり、それも小さい部分でしかない。
 しかし、人間は意識のみを心と錯覚し、それのみを自己と考えます。仏教はその心を虚妄と断じ、執着を捨てる事を教えます。しかし後世になると、一番最初の原始意識である第八識の奥に、第九識を立て、宇宙の意識(無分別)を説きます。
 仏教でいう成仏とは、この無分別である、第九識を心王とし、これを体得する事が悟りという事なのです。実は神とは、八識より徐々にあらわれる、世界に生の方向性を与えるものなのであります。九識は無分別ですから、生の原理としては不向きです。
 神とは人生は虚妄であると知り、虚妄執着を断ずるのではなく、虚妄なるが故に世界観に方向づけを与えるものなのです。故に神の世界は信ずる者により現出するのです。
 ここに基本的に神は生の教えであり、仏は死の哲学と断ずる根拠があります。仏教は消極的ニヒリズムであり、神とは積極的ニヒリズムとでも言えるのです。世界が競争原理によって成立する以上、我々の人生に於いて、消極ニヒリズムを採用するわけにはいかない、これは私の主張なのであります。


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2014年12月19日

人間の探究 150 真光教団について

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※崇教真光(すうきょうまひかり)の教祖・岡田光玉
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人間の探究 150 真光教団について

 真光教団は、二つあります。 崇教真光(すうきょうまひかり)は、岐阜の高山に本部道場があります。世界真光文明教団(せかいまひかりぶんめいきょうだん)は、静岡県伊豆に総本山があります。
 真光教団の業(わざ)は、「手かざしの業(わざ)」というのです。すると神様からお導きを頂いた幹部が貴方に真光の力をそそぎこむのです。すると、貴方に神が宿ります。神が宿ると貴方の病気は治り、或いは貴方の悩みは消えます。
 神の力はどのようにして注ぎ込まれるかというと、手かざしの業によって注ぎ込まれるのです。手かざしの業はお互いに正座して向き合います。「よろしくお願いします」と正座をして、相手の額のあたりに10センチくらい手を伸ばして手をかざします。
 すると不思議なことがあり、10分もかざすと霊導(れいどう)が起きてくるのです。それを「神の力」だと言うのですが、そうではないのです。誰がやっても起きてくるのです。僕が催眠講習会で教えたように誰がやっても霊導が起きてくるのです。
 ところがそれを知らないで神の話を先にされるから、「神が自分の中にくだった」と思うのです。病気が治ると「貴方は神によって癒されたのですから、神の力は貴方に宿ったのです。今度は貧しい人、病気の人、困っている人に手かざしをしてあげなさい。貴方が手かざしをするとみな病気が治ります。治った人は神の力により癒されたのですから、新しい人に伝導してください」という方法なので、広まってしまいます。
 そのカギは、相手の額に手をかざすと如何なる人でも10分、長い人でも30分手をかざすと霊導がきてしまうのです。これは、僕が前にも言いましたが、催眠のトランス現象であり、誰でもできる業です。
 この「誰にでもできる」ということを中心にやっているのが真如苑(しんにょえん)です。真光は神の力を教祖から与えられて、与えられた人の病気が治り、その次の人に神の力を伝えるのです。神の伝導です。また次の人は困った人を見つけて手かざしをやってあげるのです。そうすればどんどん広がります。
 真如苑はお互いに正座をして手かざしをするのです。するとどちらかに霊導が起きてくるのです。霊導が起きてくると相手に伝わり、二人とも霊導の世界に入ってしまうのです。「お互いの中にある神の力が開発された」というのです。
 結論は、催眠現象です。催眠術のトランスの状態に入り、起きてくる現象です。こんな簡単な事で教団をつくり、莫大なお金を集めているのです。人間はくだらないもので、これだけの事で喜んでしまうのです。
 どんなに学問のある人でも、頭がよい人でも、霊導からは逃れられないのです。頭で判断してもダメなのです。我々の正理会の会員達もそのことを知って、手かざしの業をやってもかまわないのです。病気を治したい人、頭を直したい人に手かざしをしてあげるのです。
 「私は妙法の修行をしたので、神の力が宿っています」と言って、手かざしの業をやってみてください。「貴方はもう治っています。今度は貴方が試してみてください」と言えば、これで3人です。どんどん面白いからまた伝わります。入信する必要がないのです。黙って手かざしをやってあげればよいのです。
 「何故、治るのですか?」と疑問に思うかもしれませんが、本当に治るのです。頭が痛いのも、耳が痛いのも、胃が痛いのも、不思議な事ですが治ってしまうのです。ホメオスタシスと言って、自然に治癒できて治ってしまうのです。本当なのです。 
 これはもっと原理的な事を言うと、人間の体からは神経が足にも手にも散っています。悩みがあるとします。悩みがあると自分の弱いところに出てしまうのです。頭が弱い人は頭が痛くなってしまうのです。或いは胃が弱い人は胃が痛くなってしまうのです。
 心臓がバクバクする人もいるのです。それは脳の働きを見ればすぐに分かるのです。脳の一か所だけを刺激すればよいのです。脳は180度の全方位を向いています。それがうまくいかないと体の一番弱いところが故障してしまうのです。
 その時に額を通して脳に手をかざすと、脳がその部分だけ光がついた状態になってくるのです。その部分だけ光がついた状態になると、後の90%は解放されるのです。それが「病気が治る」ということなのです。
 どこでもよいのです。胃が痛い人、頭が痛い人、お腹が痛い人、どこでも手かざしでよいのです。額に集中すると脳の働きが集中してくるのです。すると今まで人体を動かしていた脳の働きが低下して病気をつくりだしていた部分が治ってしまうのです。本当に治ってしまうのですから、自信をもってやってあげればよいのです。
 まず、おばあちゃんの病気を治してあげましょう。治してあげたら、「なぜ病気が治ったら分りますか? 神の力なのです」と教えてあげましょう。「神とは何か? それはおばあちゃん神様を知らなくてはダメですよ。神様の御札ですよ」と、そのように教えて入いくと、とてもラクです。
 「教義を説いて納得させよう」と思ってもなかなか人間はそうはいきません。この方法のほうが一般大衆には早くいくのです。真光教団は手かざしの業で教団が大きくなったのです。手かざしの業は、本当に効果があります。
それを催眠現象と言ったら効果がないので、「神様の力により能力が開発されました」と言うのです。手をかざすと本当に病気が治るのです。治ったということは、神の力が貴方にも注ぎ込まれたのですから、貴方も超能力者になっているのです。貴方も人を助けなければいけません。だから困っている人に手かざしをしてあげましょう。
このようなことでおおきくなっていったのが崇教真光です。

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朝堂院大覚 剣道と神道 2014 ・6・5

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2014年12月18日

人間の探究 149 生長の家の正体

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※生長の家教祖・谷口雅春
「中杉 弘のブログ」のテーマソングです。
紀元は2600年(キングレコードより)



人間の探究 149 生長の家の正体

 生成長の家は、出口王仁三郎の大本教の流れです。谷口雅春という人がいて、この人は宗教が大変好きな人でアメリカに渡るのです。アメリカで「クリスチャン・サイエンス」を学ぶのです。これは非常に優れた考えたで、僕は非常に高く評価しています。
 まず大きな抑え方で、「アメリカはなぜ今日発展してきたのか?」を考える必要があります。アメリカ人には「思考は物質化する」という思想があります。これも原理的に言えば、思考とは「イデアとロゴス」です。
 人間の頭の中で「このような物を作りたい」と思います。これが頭に浮かんだならば、現実にその姿が現れてくるのです。例えばアメリカに行って野原を見ます。見ている人はそれだけです。これはアメリカ・インディアンです。
 アメリカ人はそこで頭をひらめかせて「ここを牧場にしたらよいのではないか」と思ったのです。これだけ牧草があれば牛ものびのびと育ちエサも入りません。我々は多くのビーフと牛乳と毛皮がとれて素晴らしい世界ができるのです。これはイデアなのです。これらは頭の中で考えることであり、“イデア”なのです。
 考えた事は“イデア(思考)”であり、必ず現実化してくるのです。これは、キリスト教的な「イデアとロゴス」の考え方です。この世に物が生じてくるという事は、目に見えない世界で物が作られるということなのです。
 その目に見えないものが、この世の中に現実として目に見えるようになることが仕事です。このような「イデアとロゴス」の考え方が徹底的にあるのです。「物は思考から生まれる」ということは、「考えは物質化する」と考えるのです。
 さて、それが前提条件にあるとこのような考えがでてきます。「病気である」と思うから病気になるのです。「病気はない」と思う人に病気はないのです。「私は貧乏だ」と思う人は貧乏です。「私は貧乏ではない。豊かである」と思う人は金持ちです。思考は物質化するのです。
 本当はもっと神と結びついたものなのです。「神様、ここに牧場をつくらせてください」「このような商売をやりたい。神様お願いします!」と祈ると、この思考は現実化して、この世に地上の楽園が生まれてくるのです。
 これがピューリタリズムと言い、WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)の信仰です。谷口雅春は、これを学んできたのです。日本にはこんな思想はありません。『マーフィーの法則』、デールカーネギーの『道は開ける』は、今でも盛んに本が売れています。これらの本はクリスチャン・サイエンスの考え方です。
 「病気はない」と思う人に病気はありません。彼等は「想念」と言っています。それを谷口雅春は、日本に帰ってきてから説きだすのです。出発は仏教だったのですが、だんだんキリスト教的な考え方になっていったのです。
 仏教から神道に帰るのですが、これは大本教の影響があるのです。仏教を学び、アメリカに渡り、クリスチャン・サイエンス(キリスト教の科学)を学んでくると日本人には新鮮な思想に映ったのです。
 布教にはラジオを使ったのです。毎日、谷口雅春がしゃべり「貴方は病気なのか? 病気があると思うから病気になるのだ。ないと思えば病気は消える。この世に映ることは全て心の影である」と言ったのです。
 「貴方の心が映していることが現実に現れてきているのです。貴方は「貧乏だ」と心で思っているのです。ですから、貴方には貧乏な世界が現れてくるのです。人間は病気で死ぬと思っている人は、それが現実に現れてくるのです。
そして、結婚して夫婦仲はうまくいかないと貴方は心の底で思っているのでしょう。だから夫婦間がぎくしゃくしてくるのです。また「子供が非行に走る」と思っているのです。だから子供は本当に非行に走るのです。
考えを逆にしてごらんなさい。「私は神である。全てのことができる神である」と思いなさい。そうすれば貴方は神に近づくのです。お金には困らない豊かな人間であると思えばあなたもお金持ちになれるのです。
 私は100歳、それ以上生きるかもしれません。誰よりも健康で長寿の人間です。そのように思えば、そのような事も現れてくるのです」そのような教え方を説いたのです。「生命の実相」というタイトルでラジオで毎日話をしていたのです。
 一時的に熱狂的な人気が出たのです。事実、谷口雅春の所へ行って病気が治ってしまうのです。神の存在を分からせるために、「神想観(じんそうかん)」という修行の方法を考えたのです。
 座禅の瞑想も修行の方法にはあり、これは仏教の影響です。大本教はどちらかというと神道です。神道の禊なども取り入れた修行も行いました。非常に勢力が伸びて「白鳩会」という婦人部の組織をつくったのです。今でも原宿にあると思いますが熱狂的な信者をつくっていたのです。
 谷口雅春著の「甘露の法雨(かんろのほうう)」という経典があり、信者はそれをポケットに入れておくのです。具体的なのです。そうすれば貴方の願いが叶います。「甘露の法雨」の経典を戦時中は戦争に持っていったのです。すると、ポケットに入れておいた「甘露の法雨」に弾が当たったのです。弾があたったけれども、神の加護がありその人は死ななかったのです。そのような奇跡の話をたくさんするのです。
 何百、何千という体験談があったのです。理論は1回学べば終わりです。具体例を教えていったのです。
 今では谷口雅春は死んで娘婿の次男の谷口雅宣が三代目後継者になったようですが、鳴かず飛ばずです。昔は、かなり強い影響力を自民党の中に与えた宗教団体です。生長の家は、キリスト教・神道・仏教というものがバラバラで、統一されているわけではないので、何が言いたくて何が目的なのか全然分かっていません。

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