2017年01月

2017年01月31日

人間の探究 690 贖罪(しょくざい)意識について

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※キリスト教には、神父と牧師がいることを知っているでしょう。神の子供を神父といいます。これがひどいのです。キレイなゴシック様式の教会を天高く建てるのです。カトリックの教義は贖罪(しょくざい)です。

人間の探究 690 贖罪(しょくざい)意識について

 ほとんどの宗教は「贖罪(しょくざい)しなさい」といいます。贖罪とは何かというと「罪を犯したこと」をいいます。人間の存在は罪深いものです。生まれながらに罪を持っています。穢(けが)れです。これを消さないと神の国へも行けないし、神から許しを受けることはできないといわれます。
 これをもっと進めていくと「生まれてすみません」ということになります。偽キリスト教の統一教会では、大きな木の下に集まって一生懸命懺悔をします。「すみません、お父様、私は努力が足りません。こんな人間です。もっとムチ打ってください」ということを朝から晩まで木の下に集まってやるのです。懺悔をするのです。
 贖罪意識が入ってしまうと人間は早死にします。統一教会の連中はみな早死にします。統一教会の幹部は40代で癌になって死んでしまうのです。久保木修己は67歳まで生きましたが、長生きしたほうです。
 毎日贖罪意識をもってごらんなさい。「すみません、生まれてきてすみません。お父様、私は罪人です」と言うのですから、潜在意識がどんどん汚れてしまうのです。それが癌になったり、死を招いてくるのです。
 僕は直接統一教会の幹部に聞かれたのです。「何故、うちの信者はみんな癌になって早死にするのでしょうか?」これは統一教会だけではありません。キリスト教でもそうなのです。キリスト教にも贖罪意識があります。
 キリスト教には、神父と牧師がいることを知っているでしょう。神の子供を神父といいます。これがひどいのです。キレイなゴシック様式の教会を天高く建てるのです。カトリックの教義は贖罪(しょくざい)です。
教会に行く日曜日には、すべての人は懺悔をしなければいけません。自分がやってきた罪を神父に告白するのです。「神父様、申し上げます。私はクリーニング屋の男と関係を持ってしまいました」。そして何をやったのかすべて言わなければいけません。すべて告白すると神父が「気持ちよかったのか? どんなに気持ちよかったのか神父に教えてくれるか?」と言うと女は「はいどうぞ」とスカートをめくります。神父はその女を後ろから犯すのです。それで「贖罪しました」と言うのです。ウソのような本当の話です。
 これは『カサノバ回想録』という本に書かれています。全国を旅してあちこちで教会の状況を見たのです。その頃、ちょうど免罪符が売られていて、神父は「この札を買えば神の許しをえられます。お金で買いなさい」と庶民に買わせたのです。罪が許される免罪符です。それが流行っていた頃、全国で神父が女を犯していたのです。
 何が神父なのでしょう。贖罪意識を上手く利用して民衆をコントロールしていたのです。贖罪意識を植え付けるのは悪い宗教です。
 日本神道には贖罪意識は一つもありません。もっと言うと仏教全体は贖罪意識です。「肉食をしてはいけない」「財産を持ってはいけない」「妻帯してはいけない」仏教の基本は贖罪意識です。
 坊主はみんな贖罪意識を持っています。それも悪いと思って持っているのです。罪を犯しているという自覚があるから陰険になるのです。お酒は「般若湯」といい、奥さんは「大黒様」といいます。どこのお寺に行っても大黒様がいるのです。坊主は般若湯を毎日カッ食らって如何わしい行為におよぶのです。趣味はそれしかないのです。これも贖罪意識です。
 神道は全く違います。明るく死を見る必要がありません。黄泉の国などは、汚らしいから見る必要がありません。黄泉の国を見に行った伊邪那岐(いざなぎ)は妻が骸骨になっていくのを見てしまい逃げるのです。妻は「黄泉の国のことは見るな」と言ったのです。黄泉の国のことは見てはいけないのです。神道は生きていることしか考えていません。
 この生命は素晴らしいのです。太陽がサンサンと輝き、美味しいものがたくさんあります。アワビ、エビ、タコ、何でも獲ってよいのです。獲ったものは神様に捧げるのです。伊勢神宮にはアワビも伊勢エビも鶏肉も捧げられています。何でも捧げて神様に食べてもらうのです。肉食妻帯はよいのです。人間も神様のおさがりを食べるのです。人間は何を食べてもよいのです。西洋ではタコは食べませんが、日本はタコでも何でも食べてしまいます。人間は明るくてよいのです。死のことなど考える必要も見る必要もないのです。
 ですから特攻隊も出てくるのです。死を考えたら特攻隊などという発想は出てきません。「死んだらどうなるのか?」などと考えたら恐ろしくなります。日本神道は生きていることしか考えません。自分が生きていることだけを考えていけばよいのです。日本神道は非常にサッパリしているのです。
 肉を食べてもよし、恋愛してもよし、何をやるのも自由です。これが日本神道です。この世に生まれた秩序をつくっているのです。
 新興宗教は贖罪意識を植え付けます。新興宗教の幹部は「貴方はなぜ病気になったのかわかっていないでしょう。私にはわかる。貴方は先祖の墓を掃除していないでしょう。先祖が怒って貴方が病気になったのよ」と言います。信者は「どうしたらよいでしょうか?」と聞くと、新興宗教の幹部は「本部にお金を持ってきなさい。そうすれば貴方の先祖は喜んで貴方の病気は治ります」と言うのです。
 だいたい先祖のことを考えて生活している人などいません。普通は生きているのに精いっぱいですから先祖のことなど考えていません。先祖の霊も贖罪の一種です。西洋の小説でも『アリサとロジェーム』という小説があり、悩むのです。これも贖罪です。「ホモはいけない、レズはいけない、みな神の掟を犯すものである」と言われて、そのようなことをやる連中は何かに怯えているのです。いけないことをやっているのです。
 西洋人は天に神がいると思っているから、「Who knows!」といいます。「誰かがお前の行動を見ているぞ」という考えがしみ込んでいます。贖罪の一種です。神様から隠れるところはありません。神に逆らうという意味でホモやサゾなどやっているのです。
 人間はやりたければ何をやってもよいのです。ほどほどにやるならばかまいません。なんでもそうです。やりすぎたらダメなのです。タバコも吸いすぎたらダメです。酒も飲みすぎたらダメです。ほどがあります。それを超え無ければよいのです。
 麻薬も今では騒がれていますが、昔は薬だったのです。コカ・コーラはコカの葉を売っていたのです。元々は麻薬だったのです。コカ・コーラを飲んだ人は元気になってしまうのです。
 そのようなことで、本来人間は自由です。程が知れないからついのめってしまうのです。覚醒剤もそうです。安倍ジョージは「俺の体には覚醒剤が5キロ入っている」と言っています。5キロ入っていても、もうろくしていません。ならない人はならないのです。5〜6回で中毒になる人もいます。酒も同じです。一合飲んでも何ともなければ、一合を飲んで酔っ払う人もいます。何事もほどほどでよいのです。
日本人には贖罪意識はありません。明るい元気のよい国民です。それを暗くしているのが念仏宗や淫祠仏教です。地獄のことを説いて人々を暗くしているのです。するとおかしな奴が出てきますが、本来の日本人はさっそうとしていて、悪者は成敗します。熊でも羊でも何でも食べます。この元気闊達な源はやはり日本神道にあるのです。


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2017年01月30日

人間の探究 689 「利・善・美」を知らない創価学会員

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※創価教育学会をつくった牧口常三郎先生(初代会長)

人間の探究 689 「利・善・美」を知らない創価学会員

 僕のブログにある読者から「私は学会員ですが「利善美」なんて標語を見かけたことも、そんな話を聞いたこともありません。また、「ウソをつけ」なんて指導されたこともありません。わたしたちの知らないことばかりです。だから中杉さんの言っていることはすべてウソです。」という書き込みがありました。
 書いている口調から学会員だと思われます。もう一人は「法華経祈祷会悪辣虚言抹殺法要」と言っているので、学会員が集まって僕を呪詛するらしいのです。「中杉は謗法だから、呪い殺す呪詛をやろう」ということです。と言いながら、「学会の悪口は言わないでください」と言います。
 悪口など僕は一言も言っていません。僕の言っていることが、学会員には悪口に思えるのでしょうか? 僕は本当のことを言っているだけなのです。個人のウワサ話やゴシップネタの話をしているわけではありません。悪口とはゴシップネタやわけのわからないことであり、本当のことを言うのは悪口ではありません。真相を追及しているのです。
 その中で呆れたことがあります。僕が「創価学会は利・善・美を説くのです」と言うと、「そんなことは聞いたこともない」と言うのです。「何の根拠もなく、証拠も無く、一方的に悪口を書く行為は物罰の対象になります。すぐに反省して、今後、悪口を言ったり書くことを止めて下さい。」と言っているのです。この人は創価学会員と言いながら、創価学会のことは何も知らないのです。
 牧口常三郎先生と、戸田城聖先生は教育者です。池田大作は教育者ではなく高利貸です。最初は創価教育学会といったのです。「どのようにしたら立派な子供が育てられるのか?」という先生の研究会だったのです。
 初期の創価教育学会の会員はみな学校の先生です。戦前は創価教育学会です。戸田先生が「教育」を取ったのです。「創価教育学会は子供たちの教育だけではない。私は悟りを得たのだから人々を救う」ということで、「教育」という言葉を取ったのです。それで「創価学会」にしたのです。
 創価教育学会は何によって成り立っていたのかというと、白金小学校の校長先生である牧口先生の書いた「価値論」です。日蓮正宗に入信する前は価値論を勉強する会だったのです。提灯を掲げて「大善生活座談会」をあちこちでやったのです。
 「それにはどうしたらよいのか?」という勉強会を提灯の下で行っていたのです。来る人は先生が圧倒的に多かったのです。軍部に捕まった幹部21名は全員先生です。
 日蓮正宗の東京池袋の常在寺に属する「大石講」の幹部三谷素啓に牧口先生が折伏されたのです。「大善生活というけれども、大善生活とは何ですか?」と聞かれたのです。本当のよいことは、日蓮大聖人様の仏教を広めることです。牧口先生の利善美という哲学では多くの人は救われないのではないですか? 宗教に入信して初めて本当の大善生活があるのです」そのようなことを言われたのです。
 「釈迦が説いた釈迦滅後の仏教変遷の予言が日蓮大聖人によって実証されたこと」と「正しい宗教に基づく人間変革を基盤に社会を変革するという『立正安国』の思想」に強く共鳴して、納得することがあったのです。牧口先生は「わかりました。私は日蓮正宗に入信します」と言って、入信したのです。その次に理事長だった戸田先生が入信したのです。
 すると20名の幹部も「牧口先生についていって、皆で入信しましょう」ということになったのです。価値論をベースにした創価教育学会だったのですが、日蓮正宗をそのまま信じたのです。
 「今は戦争の最中だから、どうしたら戦争に勝つのだろうか?」と牧口先生は考えたのです。入信した日蓮正宗の教義によって考えると、日蓮大聖人様の仏教を中心にしないと、この国は負けるかもしれないと思ったのです。
 ですから、御本尊にお願いして、日本が勝つように戦争祈願をしていたのです。それを軍部が聞きつけて「何かけしからんことをやっているな。お前達はお曼荼羅を拝んでいるらしいな。お曼荼羅を見せてみろ」というと、お曼荼羅の真ん中に「南無妙法蓮華経 日蓮」と書いてあります。右には天照大神、左には八幡大菩薩と書いてあります。
 「これは無礼者だ、何が南無妙法蓮華経だ。天照大神をこんな小さく書く奴がいるのか。これは謗法だ。まかりならん!」ということで逮捕されたのです。牧口先生は戦争を反対したから捕まったのではありません。「天照大神が小さく書いてあり不敬だ」という理由で捕まったのです。
 戦後は神本仏迹論と仏本神迹論があり、「仏と神はどちらが偉いのか?」という論争になったのです。大石寺は仏本神迹論ですから「仏のほうが偉い。神は影なのだ」と言ったのです。神本仏迹論は神様が中心で、「神がインドに生まれられて仏陀になったのだ」という考え方です。それを主張したのが大石寺の高僧小笠原慈聞です。大石寺はまだその頃は考え方に幅があって、そのような考えも通っていたのです。
 ところが戸田先生が牢獄から出たときに、周りが変わってしまったのです。「何故、戸田先生は牢獄へ行ったのですか。戦争に反対したからですか?」と聞かれたのです。戸田先生は「戦争に勝つために祈願した」とは言えないので、「まあ、そんなもんだよ」という答えが定着してしまったのです。
 青年部は戸田先生からいろいろなことを聞いて、「戦前から神本仏迹論を唱えている小笠原慈聞という奴がいるらしい。戸田先生、そいつを捕まえましょう!」と言ったのです。戸田先生は笑っていたのですが、青年部が立ち上がってしまったのです。「戸田先生を牢獄にぶち込んだ神本仏迹論の小笠原慈聞をやっつけに行こう!」ということになったのです。
 当時、小笠原慈聞は80歳過ぎているのに、青年部が本山まで夜中に押しかけていき、「小笠原慈聞、質問があるのだ!」と青年部が言うと「なんじゃい、諸君」と言ったのです。「神本仏迹論は本当なのか?」と青年部が聞くと、小笠原慈聞は「本当だよ、わしは間違っているとは思わんよ」と言ったのです。
 すると青年部が「何が神本仏迹だ、これでもくらえジジイ!」と言ってみんなでポカポカ殴ったのです。それからお神輿のようなものをつくって、小笠原慈聞を担いで川に放り込んだのです。小笠原慈聞はブルブル震えてしまい、そこで青年部は「どうだ、神本仏迹論は間違いだろう!」と言うのです。
 小笠原慈聞は「間違ってはおらん」と言うと、「もっと川につけろ!」と80歳過ぎのお爺ちゃんを真冬の川に投げ込んだのです。それでとうと小笠原慈聞は「間違っていました」と言ったのです。これが有名な狸祭り事件です。それを聖教新聞で発表したのです。
 聖教新聞に「小笠原慈聞、神本仏迹を詫びる」と書いたのです。そのような暴力が創価学会はずっと続いているのです。
 牧口先生はカントの真善美の哲学に対して「真実は意味がない」と言ったのです。何故、意味がないのかというと、真実をとらえても、真実は利用しないと意味がありません。
例えば科学の真理が発見されても応用しなければ意味がありません。万有引力の法則が発見されても、万有引力の法則を使って様々な物を作らなければ、価値はありません。だから、「真実そのものに価値があるのではなく、それを使って作る側に価値がある」と説いたのです。それを牧口先生は「利」と言ったのです。
 「真善美ではなく利善美こそが人間の大事な哲学である」と牧口先生は言ったのです。それが価値論です。それを知らないのでしょうか。そのようなことがあって、創価学会は今日があるのです。わかりましたか? 教えてあげますからもっと勉強したらよいのです。呪詛は止めなさい。やってもいいのですが、本人に返ってしまうから言っているのです。
 正理会には龍神がいます。知らないでしょう。正理会はヒスイの龍神が守っています。龍神は怖いですよ。 すべて還著於本人です。正理会は正義です!

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2017年01月28日

『日本人に打ち込む100本の柱』日本の美学 23柱

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※大阪城の美しさにはこれこそが日本の心だとおもわせるものがあります。

土曜日特別講座『日本人に打ち込む100本の柱』
日本の美学 23柱

 日本語は実に美しくて優雅です。シナ人のように発音が鼻にかかりません。朝鮮語のようにやたらと語尾に力が入らない。日本語という言語が美しいせいか日本はどこを見ても美しいのです。戦うことが目的であるお城、特に白鷺城、熊本城、松本城、大阪城の美しさにはこれこそが日本の心だとおもわせるものがあります。これらの城をみたら外国人は目をまわすことでしょう。とくに大阪城は大阪湾から見えますので、これをみた外国人宣教師はびっくりして西洋文明以上の世界文明がここにあるとローマ法王に報告しています。城は日本精神のあらわれなのです。
また着物の美しさは時代劇・鬼平犯科帳をみればわかります。三角の編み笠、着流し、大小落としざし、実に格好がついています。袴をつけた姿もまたいいです。丁髷という複雑な髪形これは男女ともによく似合い,明治になって断髪令がだされ、丁髷を切った男が女房に離縁されたという話が残っています。丁髷は相撲を見ればわかりますが、実に格好いいのです。着物の柄、着物の色、帯の無数の結び方、紋のデザインのよさと種類の多さ、間違いなく世界一です。
刀の鍔などをみてもほとんどの鍔は左右・非対称にデザインされており、その遊び心には驚かされます。刀は世界に並ぶもの無しの美しさです。外装、塗り色、飾り金具、文様、まさに世界一です。甲冑も機能よりも、美を追求したようであり、なにを作らせても芸術にしてしまいます。ということは日本人には美を求めるという本能があるのです。これが日本精神なのです。
おとなりの韓国・朝鮮の不恰好な衣服、不恰好な刀剣どれをみても大違いです。また朝鮮人の特質である、嘘つき、弱いもの虐め、泥棒、怠け者、そういった醜いものの反対の日本精神、正直、まじめ、忠誠心、精進、それらは美徳であり、美を求める日本精神が生み出したものです。日本人の美を求める心とは精神面にもあらわれ華道・茶道・陶器・絵画・文学・詩歌・剣道・弓術・居合なども礼法による美学の結晶なのです。日本精神の一つとは美学の追求なのです。

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2017年01月27日

人間の探究 688 庇(ひさし)を借りて母屋を乗っ取る

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※正本堂で猊下が「南無妙法蓮華経」と勤行をすると、御本尊が上にあり、御本尊の下には須弥壇という台があります。その須弥壇には、裸の女が7人〜8人いて、池田大作が裸で寝そべっているのです。

人間の探究 688 庇(ひさし)を借りて母屋を乗っ取る

 「庇(ひさし)を借りて母屋を乗っ取る」は、昔からある有名な言葉です。外に立っている旅人さんがいます。「どうぞ、雨宿りをしてください」と家の人が声を書けて、庇の下に入れてあげたのです。ただ、それだけの関係だったのです。
 そのうちに「どうぞ、中に入ってください」と戸を開けて家の中に入れてしまいます。暖炉があって温かいのです。その内ご飯を出してあげるようになったのです。本当に家族同然になってきたところで、気が付くとその家の娘さんに手が付けられてしまい、よい関係になってしまったのです。
 「では、娘と一緒になったらどうでしょうか?」と言って養子にしてしまい、いつの間にか本体を乗っ取られてしまったのです。これが「庇を借りて母屋を乗っ取る」ということです。
 この得意技が朝鮮人です。「庇を借りて母屋を乗っ取る」創価学会もそうなのです。戸田先生の頃は違いました。「本山のことには口出しするな。我々は在家の団体だ。在家の団体が本山のことに対して口出しするなど無礼極まる。今度は誰が管長になるなど余計なことだ。お金が本山にいくら貯まっているのかそれも余計なことだ。我らは在家として、ただ一心にご供養すればよいのだ」というのが戸田先生の教えです。
 ところが池田大作の代になって創価学会は変わってしまったのです。「本山の財務を調べろ。いくらお金があるのか調べるのだ」「何、今度あいつが宗務総長になる? それは許さんぞ!」ということを口出しするようになり、本山の大石寺と立場が逆転してしまったのです。創価学会は威張って「あのお寺も、このお寺も俺たちが建ててあげたのだ!」と言うのです。だから「本山は俺たちの言うことを聞くべきだ!」というようになってしまったのです。
 そのうち管長と池田大作が壇上に登ると角を突き合わせるような関係で、お互いに「プイ!」と横を向く始末です。もうすぐに破綻です。創価学会は日蓮正宗の700年の伝統と歴史を借りて商売をやったのです。
 戸田先生はそのことをよく知っていたから、「在家の分を守りなさい」と言ったのです。創価学会は正本堂を建てるときに、360億円かかったのです。今から40年も前の360億円ですから大金です。それ以外に池田大作は内密に個人で100億円儲けたのです。
 創価学会は360億円集めて、日達猊下に目録をつくって差し出したのです。すると猊下に「どうぞ、これは創価学会様がお使いになってください」と、猊下はそのまま目録を創価学会に返したのです。
 それで創価学会は「このお金は俺たちが使えるのだ!」と思ったのです。考えたことは「正本堂を金利で建ててしまおう」ということです。360億円を銀行に貯めると、当時は金利が年10%ついたのです。
 400億円銀行に預けておけば、金利が年間40億円ついたのです。それを10年預けておけば400億円になってしまいます。400億円の見積もりを出しても、建築会社に頼んで月賦払いにすれば、創価学会は一銭もお金を使わないで金利だけで正本堂が建ってしまったのです。まるまる懐に400億円が残ってしまったのです。
 そこから創価学会は狂ってきたと言われています。「お金が入ったぞ。もう何も怖いものはない!正本堂も建てたぞ」ということです。その段階から戸田先生の言われた立場と反対になってしまい「こんな立派な正本堂を建てたのだ。俺たちはたいしたものだ。偉いのだ!」と慢心して、正本堂の須弥壇に裸の男のレリーフをつくったのです。
 正本堂で猊下が「南無妙法蓮華経」と勤行をすると、御本尊が上にあり、御本尊の下には須弥壇という台があります。その須弥壇には、裸の女が7人〜8人いて、池田大作が裸で寝そべっているのです。
 その御本尊に猊下が向かうと、目の前に池田大作の顔が見えるのです。「猊下を見下ろすところに裸の男が寝そべっている。あれは誰だ? あれは池田大作ではないのか!」と、大石寺の僧侶が騒ぎ出したのです。その辺りからもめ事が始まったのです。
 創価学会に聞くと「あれは池田大作ではありません」と言うのです。しかし、誰が見ても顔がまん丸で池田大作です。ギリシャ彫刻ならまだよいのですが、顔がまん丸で腹がでっぱっていて、それは誰が見ても池田大作です。それを学会は「池田大作ではない」と言ったのです。
池田大作はそのような図に乗ったことをやり、「本山を抑えなければいけない。そのためには世界の組織をつくらなければいけない」と思い、それがインターナショナル創価学会です。世界の宗教の団体をつくり、その団体の下に本山が入るという構図です。もちろん、創価学会も入ります。そのことを世界宗と言ったのです。その会長に池田大作がなれば、創価学会も本山も下に入ったことになるのです。そのような構図を描いたのです。
それは上手くいかなかったのです。さすがに、日蓮正宗は「そんなものに入る必要はない!」と突っぱねたのです。もし、日蓮正宗が入っていたらお終いです。池田大作にすべて抑えられていました。
これが、「庇を借りて母屋を乗っ取る」ということです。下から出ていき、その家に上がり込んで、だんだん美味しい宝物を奪ってしまい、いつの間にかその家の主人になってしまうことを言うのです。
このやり方を学会はずうっとやってきたのです。今度は自民党に入り込んだのです。自民党は母屋です。母屋に入りこんで、「母屋を乗っ取ってしまおう」ということです。自公連立政権では自民が上です。あれをどう逆転するかと考えているのです。公明が上になり、自民を下にしようと思い、今でもやっているのです。
創価学会・公明党は「庇を借りて母屋を乗っ取る」を実行してきたのです。「乗っ取りこそが人生だ!」ということです。今度は「日本国を乗っ取ってしまおう!」と考えているのです。本当は「日本国の中の創価学会」なのに、「創価学会の日本にしよう!」と未だに工作しているのです。悪い奴らです。
特に朝鮮人はこのような乗っ取りが大得意です。背乗(はいの)りというのです。その家の人間を殺して、その人間に成り代わってしまうのです。日本でも背乗りされた人はたくさんいます。朝鮮人が山田さんを殺して、「山田」という名前を名乗って、謄本も「山田」になっているのですから、謄本で見る限り日本人です。
僕のところにもそのような馬鹿がきました。「この人は岩井さんというすごい人です」と紹介されてきたのです。すると、岩井という男は明らかに朝鮮訛です。僕は「貴方、朝鮮訛だね」と言ったのです。多分、これだけ見抜かれたことはなかったのです。
僕はパッとわかりました。「貴方、朝鮮人でしょう? なぜ東大出ているの?」と聞くと、「私は日本人の岩井です。なんなら卒業証書を持ってきましょうか?」とつっぱるのです。それで卒業証書のコピーを持ってきたのです。ちゃんと「東大卒」と書いてあるのです。それは何かというと、背乗(はいの)りです。
おそらく岩井さんという人は実在していたのですが、ぶっ殺して朝鮮人が成り代わったのです。それを「背乗(はいの)り」といいます。
偽名ではなくて朝鮮人が岩井さんに成り代わっているので一人死んでいるのです。「私、岩井です」と言えば成り代わってしまい、誰も文句言いません。戸籍も経歴もそっくり使えます。そこで一発で「こいつは朝鮮人だな!」と見抜かないといけません。
朝鮮訛のアクセントは、ちょっと違います。僕はわかります。そのようなことを「庇を借りて母屋を乗っ取る」と言うのです。創価学会も朝鮮人のお先棒を担ぐことはいい加減に止めなさい。創価学会は全員が国家を乗っ取るドロボウです。

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2017年01月26日

人間の探究 687 「天皇は我らが養っている」と教える創価学会

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※創価学会は「天皇を養ってあげている」などと、なんと愚かでおぞましいことを言うのでしょう。そんなことを言っているならば、創価学会に未来はありません。

人間の探究 687 「天皇は我らが養っている」と教える創価学会

 ある学会員の婦人部と話をしていたら「天皇は我々が養っているんでしょう」と言ったのです。この話に僕は驚きました。恐れ多くも「天皇を養っている」と言うのです。乞食以下のことを言っているのです。「自分たちが働いて養っている」、このように学会は教えているのです。
 今、天皇の退位の問題がありますから、学会員から、「天皇の問題はどのように考えたらよいのでしょう」と幹部は聞かれるのです。学会幹部は「天皇は我々が養っている存在だろう。天皇は有難くも何でもないのだ」と教えているのです。ここに「創価学会の正体見たり!」です。
 創価学会に国家観はありません。歴史という認識もありません。庶民だけで歴史ができると思っているのです。歴史とは支配者の歴史であり、支配者がいないと国家はできません。
 国民の側から言うと、支配者がいるので安心して仕事ができるのです。国民は天皇を仰ぎ見て「有難いな。天皇がいらっしゃるおかげで我々は毎日平和で働いていることができるのだ」と思うべきです。
 天皇から見たら国民は可愛い我が子です。「皆さんがよく働けるように私がお祈りします」というお立場です。何を一方通行のことを言っているのでしょう。このようなところに創価学会の邪教性、絶対に許せないところがあります。
 僕は創価学会を許しません。いろいろな理由がありますが、最大の理由は「文化大恩の国韓国。日本人は韓国に足を向けて寝られない」と池田大作が教えたことです。これは皆さんも知っているでしょう。僕はこの考えを絶対に許せません。
 他の面では許せることもありますが、これは絶対に許してはいけないことです。韓国は文化大恩の国ではありません。韓国に文化を教えたのは日本です。韓国から教わったことは一つもありません。
 何故、そのことがわからないのでしょう。百済の聖明王が仏教を538年に持ち込みました。これが恩なのでしょうか? 恩でもなければ何でもありません。日本に最初に来たものは経典ではなく、30センチくらいの仏像です。
 「世界の国々ではこれを拝んでいます。日本でもこれを拝んだらどうですか?」と仏像を持って来たのです。我が国は神国です。この神国に仏像を持ち込んだらどうなるのでしょう。国論が二分するのです。案の定そうなってしまったのです。蘇我一族の崇仏派、物部一族の神道派です。神国に仏教をもたらすということは、争いの火種をつくることになるのです。
 仏像を持ち込んだことは「文化大恩の国」でも何でもありません。仏教とは亡国の業です。我が国に仏教を伝来した百済の聖明王は死後106年目に国が滅んでいます。天台大師滅後、隋の国は21年で国が滅んでいます。お釈迦様のコーサラ国も釈迦滅後50年で滅びています。仏教は亡国の業です。
 神国に仏教を持ち込んだだけでも大変なことです。許すべからざることです。これは日本に統一教会を持ち込んだことと同じことです。安倍さんのお爺さんの岸信介が統一教会を日本に呼び込んだのです。だから、今日統一教会があるのです。
 統一教会は邪教です。統一原理は邪教です。何故、邪教なのでしょうか? 何度でも言ってあげましょう。「日本は悪魔の国で韓国が神の国である」と言います。これだけで邪教です。何故、岸信介はこんな邪教を日本に持ち込んだのでしょう。僕ならば絶対に受け入れません。「韓国が神の国で日本は悪魔の国だ」という教えを言う人が慈善事業をしようと絶対に認めません。国家の要職にあった岸信介がどうしてこんな邪教を日本に持ち込んだのでしょう。
 これはGHQの命令です。日本は神道の強い国です。今でも元日には2千万人が神社にお参りにいきます。「神道をぶち壊さなければいけない」と考えたのです。それには新しい宗教を日本に持ち込まなければいけません。仏教系とキリスト系の教団を広めようと考えたのです。
創価学会は様々な悪いことをやってきたのですが、GHQにお目こぼしされて大きくなる発展の基礎をつくったのです。GHQのおかげで創価学会は伸びたのです。創価学会や統一教会が流行れば神道はすたれると思って、GHQの命令通り岸信介が日本国中に広めようとしたのです。
 日本人はそんなものは相手にしませんが、安倍首相は統一教会です。世耕大臣、稲田朋美大臣、高市早苗大臣は統一教会です。高村正彦は元統一教会の顧問弁護士です。安倍内閣は統一教会内閣です。ここまできたのです。この連中は頭の中で「韓国は神の国で日本は悪魔の国だ」そう思っているのです。
岸信介は、統一教会を広めるために渋谷の自宅に事務所をつくり、知り合いの立正佼成会の庭野日敬に頼みにいったのです。「統一教会を広めるために青年部を貸してくれ」と言い、庭野日敬は「わかりました。何名貸しましょうか?」と承諾したのです。岸信介は「50名くらい頼むよ」と言って、統一教会に来たのが立正佼成会会長秘書の久保木修己です。今考えてみるとわかりますが、庭野日敬は朝鮮人だと思います。庭野日敬は、人々を騙してお金儲けをして、そこに新しい騙しの宗教に青年部を出したのです。多分、庭野日敬は朝鮮人です。久保木修己は日本名を使っていますが朝鮮人かもわかりません。多分、在日です。
 この連中が中心になって岸信介と組んで統一教会をつくってきたのです。安倍さんは選挙に出るときに主張したのが「美しい国日本」です。久保木修己著の『美しい国日本』と全く同じことを言っているのです。
 右翼陣営は統一教会の正体を知らないので「美しい国日本」を、「よいことを言っている」と思ったのです。これが勝共連合につながるのです。「悪いのは共産主義だ!」これに賛同した連中が勝共連合に入ったのです。ところがこれには裏があります。
 「本来は美しい国日本です。何故今は美しくないのでしょうか?」と聞かれるのです。確かに美しくないと思います。政治家は汚いし、決して美しい国とは言えません。「それは本当の神を忘れたから美しくなくないのだ。本当の神を知れば日本は美しい国になります。本当の神とは文鮮明です」このように教えるのです。腹立たしい連中です。この教えだけは絶対に受け入れてはいけません。政治家は何が何でも受け入れてはいけません。
 ところが統一教会は政治家にどんどん食い込んできているので、政治家も利用してしまうのです。こんな奴らは絶対に信用してはいけません。本当は票を入れてはいけません。本当の愛国者にはこんな話は通りません。
 竹田恒泰さんも統一教会にやられた可能性があります。統一教会日本会長の久保木修己は慶應義塾大学の法学部出身です。竹田恒泰さんも慶應義塾大学の法学部ですから接点があります。統一教会から見ると皇室につながる竹田恒泰さんはすごい玉です。「この玉を上手く利用しなければ」と思って食いついてくるのです。
 当時、竹田恒泰さんは商売をやっていたのですが、「そんなことは止めてください。お金を出しますから鎌倉に来て、しっかりと天皇の歴史を勉強してください」と言って、3年間鎌倉に引っ張った可能性があります。鎌倉に3年間いたのは事実です。その時に徹底的に日本の歴史を研究したのです。朝から晩までどこにもいかずに3年間勉強したのです。それは統一教会に言われたのです。それで研究は『怨霊になった天皇』で完成したのです。
 統一教会は「天皇は必ずしも幸福だったとは言えないでしょう。不幸な天皇陛下がたくさんいらっしゃいましたね。何故、天皇陛下はこんなに不幸なのですか? それは真の神を知らなかったからです。真の神とは文鮮明先生です」と言うのです。これで崩された可能性があります。
 3年間お金を面倒見てもらっているから、隠れ統一教会である可能性が強いのです。上手いやり方です。渡部昇一さんにも同じことを言うのです。渡部昇一さんは上智大学で洗礼を受けて神を信じているのですから、「キリストが朝鮮に生まれた。それが文鮮明先生だ」と言われれば、その話は信じてしまうのです。
 もっと言うと「天皇がなぜ不幸になったのか?」というと、仏教を入れたからです。聖武天皇が日本に大仏を建ててから、日本にロクなことが起きないのです。
 神の国に異国の大仏を造り、聖武天皇は「私は仏の奴(奴隷)です」と言ったのです。それから神仏が逆転してしまい、神様が仏を拝んでしまったのです。それが不幸の原因です。我が国は一刻も早く神の国へ帰らなければいけません。それは簡単なことです。天皇が「私は神だ」という自覚を持つことです。
 歴史から見ても天皇は神に違いありません。苦しいかもしれませんが神としてのご自覚をもってもらいたいと思います。このことを言ったのが三島由紀夫です。天皇が人間宣言をされました。「私は人間である」それに対して三島由紀夫は烈火のごとく怒ったのです。「天皇は神です。神だと思っているから何百万人という人が命を捧げたのです。それなのに天皇が人間宣言したら死んだ200万人以上の人はどう思うのでしょう。そんなことはあり得ません。天皇は独りになっても、山の中に入っても、私は神であると言い続けなければならない」と三島由紀夫は言っています。
 しかし、よく読んでみると天皇の人間宣言は「私は神ではない。人間です」と言われたのではありません。「今までは私は神で、皆さんは国民だと思っていましたが、そうではありません。それは神話上はそうなっているから、神話のつながりだけではなくて、人間としてのつながりを持ちます」と言っただけなのです。天皇は神を否定されたわけではありません。
三島由紀夫もカッときたのです。実際に死んでいる人をたくさん知っているのです。その人たちが「何の為に死んだのか」と思うと、「天皇は神であると言い続けなければならない」と思ったのです。
 僕はそのことをわかっています。天皇は神なのです。憲法改正もそこからいかなければいけません。そのことは何度も申し上げています。我が国は他の国とは違います。神話から生まれた国であるから、この国は神国です。神国の天皇ですから神なのです。従って我々も神の子孫ということになるのです。これが憲法の最初の条文にこなければいけません。だから我が国は発展して、世界の中心になることができるのです。
 創価学会は「天皇を養ってあげている」などと、なんと愚かでおぞましいことを言うのでしょう。そんなことを言っているならば、創価学会に未来はありません。池田大作大商人と共にあの世に行ってください。

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2017年01月25日

人間の探究 686 神は存在するのか?

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※遺伝子の二重螺旋構造は誰が創ったのか?

人間の探究 686 神は存在するのか?

 最近は分子生物学が発達してすべてのことが遺伝子によって見ることができるようになってきました。
 例えば「貴方はこの遺伝子を持っているから何年後に癌になる」「このような病気になる」ということが、遺伝子の調査によってわかってしまうのです。精密に調べれば「貴方は何年何月にこのような病気になって死にます」ということがわかってしまうのです。
 DNAとは何でしょう。DNAの研究が進んでいて、DNAを調べると人種的にもわかってしまいます。余談ですが、日本人と朝鮮人の遺伝子は全く違います。そのようなことがDNAを調べればわかってしまうのです。
 以前は「朝鮮半島から大量の人間が日本におしかけてきて、縄文人と戦って、弥生時代ができた」と言われていました。天皇陛下も「朝鮮半島から来た」と言われていました。ところが違うのです。日本人はY遺伝子D系統です。朝鮮人・シナ人はY遺伝子O系統です。どうも日本人の正体は縄文人が中心で、それに南方系の人間が混ざって、それにごく一部の朝鮮半島系の人間が集まってできた民族です。朝鮮人・シナ人のY遺伝子O系統とは全く違う遺伝子です。これを言われたら同じ民族だとは言えません。
 遺伝子とは何でしょう。人間は自分の頭で考えて、自分の意思で生きていると考えています。遺伝子は複雑な二重螺旋(らせん)構造ですが、一体誰が創ったのでしょう。貴方が創ったのでしょうか? 違います。体は運動して、ご飯を食べて、勉強して自分がつくったのかもしれません。
 生命の根本で動いているのは遺伝子です。遺伝子は貴方が創ったものではありません。そのようにわかってきます。遺伝子とは何でしょう。遺伝子とは神の設計図です。遺伝子の問題を考えたときに人間は神を見るのです。
 遺伝子を創ったのは誰でしょう。自分でなければ自分以外の者がつくったのです。それは神ではないでしょうか。遺伝子を考えると自動的に神が出てきます。どういうものが神なのでしょう。神の姿はまだ見えません。遺伝子は創られたということは事実です。
 地上に存在するありとあらゆる動物・植物・人間は、すべて遺伝子を持っています。遺伝子は誰が創ったのでしょう。聖書には、種(Species)が出てきます。種(Species)とは遺伝子のことなのです。神は草は草、ヤギはヤギ、馬は馬になるように種を創りました。その種は神が定められたものです。「種を変えることはできない」と聖書には書いてあります。
 現代的には、「種」を「遺伝子」と読んだほうがわかりやすいでしょう。遺伝子は神が創ったものです。人間が創ったものではありません。我々の信仰とは何かというと、この神です。遺伝子を創った目に見えない、どのような形をしているのかもわからない、人間以上の存在、これが間違いなく存在しています。
 「これは偉大なものだ。一体その正体は何か?」と思って神を探しても、その神をつかむことはできません。この神を知ることが本当の信仰です。それが人間の姿を持ったお爺さんになったり、イエス・キリストになったり、人間として現れてくる宗教は間違いです。
 人間の形をした神様が人間の遺伝子を創るわけがありません。その神は姿もない、形もありませんが、存在するのです。神の存在とはそのようなものです。どんなものかわかりません。でも、間違いなく偉大なものが存在するのです。
 この神に人間が心の焦点を合わせて生きているのか、全くそのようなことを無視して「単独で生きている」と考えて自分の頭を頼りにして生きているのかにより違いが出てきます。人間はこの神様に創られたのです。ここに信仰の焦点を合わせていく必要があります。
 するとその神様の一分が自分の中に出てくるのです。信仰すればするほど出てきます。不思議な力があり、これは絶対に人間の形をしていません。そのような意味で言うと、今騒がれている宇宙人なのかもしれません。
 もし遺伝子を創ったのが宇宙人であるとするならば、それは神です。人間の存在を創ったことになります。では、宇宙人は誰が創ったのでしょう。宇宙人も違うものから創られているのです。すると「宇宙人は神ではない」とわかります。
 レベルがあります。人間から見たら遺伝子を創った宇宙人は神です。その宇宙人を創ったのは神です。これは間違いなく人間以上の存在とコンタクトをとっていくというやり方です。それをいつも考えなければいけません。これが本当の信仰ということです。
 池田大作大商人の言うことを聞いたり、選挙運動をやったりすることは、本当の信仰とは何の関係もありません。自分は遺伝子から創られていることも知らず、池田大作大商人に命を賭けているのは馬鹿ではないでしょうか。
 本当の神は君臨しません。命令も出しません。何故かと言うと遺伝子そのものが命令書です。遺伝子を見ると「貴方はこのようになっていくのだ」と言っているのですから、これ以上の命令を神は出しません。
 それに気が付いて神の遺伝子に対する律法をわかって、「人間の目的とは何か?」と考えることが大事です。日本神道では「修理固成(すりこせい)を成せ」と言われています。「その遺伝子は完ぺきではない」と神は言っているのです。間違いもあります。だから病気もあり、悪人も出てきます。
 神は遺伝子をそのように創ったのです。遺伝子を創れる神といっても完璧ではないということです。だから人間が出てきたのです。人間の目的は修理固成を成すことです。神様が完璧に創ってあるならば、我々は出る幕はありません。「この世界は不完全だ」と言っているのです。それを言っているのは、日本神道だけです。
 「この世界は不完全に創ってあるので、それを人間が修理して固めていきなさい」これが修理固成です。遺伝子を見て、「ここに病気になる原因がある」とわかって、その遺伝子を取れば修理固成です。「ここに病気になる種があるのだから取ってしまおう」ということです。それは許されるのです。神は荒っぽく人間を創ったのですから、人間が病気になる遺伝子を取り除いてよいということです。その技術を完成させれば修理固成になるのです。
 どうして朝鮮人のような邪悪な人間が生まれるのでしょう。これも神様が遺伝子の中に組み込んだ間違いです。取り除けるならば、取り除かなければいけません。朝鮮人を集めて「この遺伝子がよくない」とやれればと思いますが、そんなことはできません。
 人間は修理固成を成していくのです。すると人間の生きる目的がハッキリしてきます。よいものも悪い者も生まれてきます。それが日本神道の教える人間の道です。

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2017年01月24日

人間の探究 685 人の悪口を言うのはよくないことか?

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※戸田先生は教育者です。牧口先生は校長先生です。2人とも教育者ですから、「どうしたら人々が幸せになれるのか?」ということを考えて、創価教育学会を創ったのです。

人間の探究 685 人の悪口を言うのはよくないことか?

 僕のブログに対して泣いてこのように言った人がいます。「人の悪口を言わないでください」この人は「人が何を考えて何をやろうと自由ではないか。人の悪口を言うのは間違っている」と言うのでしょうが、間違っている者に対して「間違っている」と言うのは、何が悪いのでしょう。
 馬鹿に向かって「馬鹿」と言って何か悪いのでしょうか? 馬鹿が「自分は利口だ」と思うことが一番悪いことです。「私には、これはできるけれども、あれはできない」という、自分の分を知ることです。できることについては自信を持ってよいけれども、できないことまで「できる」と思ったら間違いです。
 人間はみな「自分は馬鹿だ」と思えばよいのです。馬鹿に向かって「馬鹿!」と言って何が悪いのでしょう。キチガイに向かって「キチガイ!」と言って何が悪いのでしょう。人殺しした人間に対して「お前は人殺しだよ」と言って何が悪いのでしょう。本人はそんように言われれば気分はよくありません。しかし、周りの人は助かります。「あいつ馬鹿なんだよ」とわかれば、仕事でも任せてはいけないということです。
 馬鹿とわかって仕事を回した人が馬鹿なのです。馬鹿は、周りの人のためになるのです。「お前は馬鹿なのだからまともなことはできないのだよ」と自覚させるこが大事です。馬鹿は元々気が狂っているのです。それに向かって「馬鹿!」と言って何が悪いのでしょう。本人は痛いけれども、「馬鹿」ということにより周りが助かるのです。
 創価学会問題も同じです。僕にバンバン言われて、コメント欄で「そんなに悪口を言わないでください!」と言っています。悪口ではありません。創価学会の本当の姿を言っているのです。もし、本当の姿でよくないことをやっているならば、それは言わなければいけません。
 宗教法人の許可をもらうということは、社会のために役立つということです。邪教は許可になりません。何をもって邪教かどうか判断しているのかというと、宗教の教義は自由です。信仰と思想の自由ですから、「貴方の考えは悪い」とは言えません。建前上は自由です。だから、やっていることを見るのです。
 やっていることを見て「これはダメだな」と思ったら許可しません。創価学会も良いと思ったから許可されたのですが今は宗教と全然違うことをやっています。創価学会は「日蓮正宗の信徒として、日蓮正宗を守るために、創価学会を創る」と言ったのです。そのように教義に書いてあったのです。
 今では創価学会は日蓮正宗と喧嘩をして、坊主を攻撃してやっていることがデタラメです。それに向かって「馬鹿だ」と言って何が悪いのでしょう。事実、創価学会のやっていることはデタラメです。
 戸田先生の理想はすべて行いません。戸田先生は教育者です。牧口先生は校長先生です。2人とも教育者ですから、「どうしたら人々が幸せになれるのか?」ということを考えて、創価教育学会を創ったのです。
 創価教育学会の最も大きな特徴は「褒める」ということです。「どんな人間でも褒めて、おだて上げていけば立派な人間になるのだ」という教育方針です。そこで、誤解されてしまい、「ウソをつてもよいのだ」と言う考えが出てきたのです。馬鹿な奴に向かって、「お前は立派になるよ」と言うから将来立派になるのです。
 「お前は馬鹿だから将来はどうしようもないよ」と言われればそうなってしまいます。「お前は大工として能力がありそうだな。よい大工になれよ」と言えば、そのように成ろうと思います。最初は能力があるかどうかなどわからないけれども、そのように教育者が見てあげるのです。
 これは吉田松陰の松下村塾に似ています。人間を見て「お前、才能があるな」と褒めていくのです。「高杉晋作、お前は軍事の才能があるな。すごいな。お前は軍事の方面で伸びていくよ」というように、みんなの個性を認めて教育をしたのが松下村塾です。創価教育学会はそれに似ていたのです。
 「お前は立派になるのだ」と言って、そこに多少のウソがあっても、それは許されたのです。ウソのことを「創価」と言ったのです。価値を創るために、子供たちを褒めたのです。
 僕の孫にも東大にいけそうな子がいますが、「お前は勉強ができるな。目指すところは東大一直線で行けるよ!」と言うと、その子は頑張って勉強しています。それが教育です。
 創価学会も最初はそうだったのです。病気で死にそうなお婆ちゃんがいたら、「お婆ちゃん、大丈夫だよ。長生きできるから頑張ってね」と言い、これも教育です。「本当に長生きできるのかな」と思うと、長生きできる場合があるのです。それが創価教育学会の基本的な理念です。
 多少、オーバーなことを言ったのは、教育のためだったのです。そのことを「利・善・美」と言ったのです。これはカントの「真・善・美」の哲学に対して、牧口先生が言われたことです。
 例えば「お前は馬鹿なのだ」と真実を言っても、何の価値も生みません。利と言う概念ならば、「お前はこのようなことをやれば延びるよ」と言うのです。真実だけ言っても仕方ありません。
 「お前は偏差値45だな。お前はもうダメなんだよ」と言っても仕方ありません。「偏差値45か、ちょっと頑張れば65くらいいけるな」と言ってあげることが価値創造です。創価学会はそうだったのです。
 このような素晴らしい理念があったのに、いつの頃からか学会では「ウソをつくことがよいことだ」と変わってしまったのです。そんなことは庶民にはわかりません。「ウソをついて誤魔化せ。真実などどうでもよいのだ。みんなウソをつきまくれ」今はそうなってしまったのです。
 創価学会員は真実を求めません。真実を求めても、それだけではダメだから、「そこからどのように歩ませていこうか」ということが創価学会の理想だったのです。それは許されるのです。しかし、今では利というものをウソととらえて、「ウソをつきまくればよい。ウソから価値が生まれるのだ」と馬鹿なことを会員に教えているのです。
 そのような人間に「馬鹿!」「邪教!」と言って何が悪いのでしょう。創価学会は邪教です。どれだけの家庭を壊してきたのでしょう。どれだけ多くの人間が「創価学会につくか、日蓮正宗につくのか」というとでもめて、夫婦が争って離婚したのです。そんな話は何十万件とあります。
 創価学会は、多くの家庭を破壊してきたのです。家庭を破壊しただけではありません。戸田先生の教えも破壊したのです。戸田先生は「学会本部はお金持ちになってはいけない。お金持ちになると財産を巡って争いが起きるぞ」と言っていました。今、まさにそうなっています。創価学会は信仰ではなくお金です。これも戸田先生の教えに反して集金をバンバンやった結果です。
 それから、「衆議院に出てはいけない。参議院はよい。仏法の良識を持って政治を見守るということはよいことだ。権力を握る衆議院に出ると学会は誤解されるぞ」と言われました。
 宗教を教え込んで、宗教の力で天下を取ったらドロボウです。創価学会はそのようなことになっています。
戸田先生も牧口先生も立派な愛国者です。創価学会は「戦争に反対して牧口先生と戸田先生は牢獄に入れられた」などウソを教えます。戸田先生は「こんなことをやっていると戦争に負ける。正しい教えを広めないと戦争に負ける」と言われて軍部に捕まったのです。創価学会の言っていることと全然違います。戦争を反対して捕まったのではありません。そのくらい愛国的な概念があったのです。
 今の学会には愛国の概念はありません。創価学会はあっても日本国はありません。だから邪教です。すべて物事には「何が正しい考えで、何が間違っているのか」という判断の基準があります。内外相対論はコインの裏表と言うならば、その話を説明してみなさい。コインの裏表とはどのような意味でしょう。内外相対論はそんな単純な話ではありません。
 僕が書いてあげているのにわからないのでしょうか。内外相対論が仏教のカギになるのです。同じコインの裏表など馬鹿なことを言っているものではありません。学会員は謙虚になって僕の話を聞きなさい。学会員よ、目覚めなさい!日本人として目覚めなさい!!「創価あって日本無し」ではダメなのです。日本のためならば創価学会など潰してもよいのです。

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2017年01月23日

人間の探究 684 「内外相対はコインの裏表?」とんでもない話です!

バーチャルリアリティー
※人生そのものがバーチャルリアリティーです。様々な因縁が集まって、「なぜ私はこのような夢を見ているのか?」というと、それは貴方がやってきた因縁が仮に和合して、現実としてリアリティーとして見ているのです。

人間の探究 684 「内外相対はコインの裏表?」とんでもない話です!

僕の『中杉弘のブログ』に「内道と外道は、一つのコインの裏と表の関係にありますが、このことをお分かりになりませんか?」というコメントがありました。
「コインの裏表」などと言われると、このような話はわからなくなってしまうのです。「内外相対はコインの裏表」などと言われると、何を言っているのかわかりません。このような場合は、必ず入り口に帰るのです。
 どんなことにぶつかってもわからない場合は、入り口に帰るのです。出発点に帰るとわかるのです。まず、「内道と外道はコインの裏表」と言っていますが、この人は外道についてわかっているのでしょうか。内道という意味がわかっているのでしょうか。
 ハッキリと言えることは、実体を立てるのが外道です。仏法は実体をたてません。これがコインの裏表のわけがありません。外道は神という実体を立てます。絶対なる「神」という実体があります。その神が人間を創り、宇宙を創ってきたのです。外道は「神のみが実体である」という考え方です。
 仏教が生まれたときのバラモン教は「すべてのものに実体がある」と説いたのです。人間は常に変化をしています。昨日まで可愛かった女の子もあっという間にババアです。だからこそ、実体ではありません。
 「年を重ねても変わらない実体が人間の中にある」とバラモン教は説きます。思考方法は、宇宙を創った神と、人間の中にある実体と同じ考え方です。「何事にも実体が無い」と説いたのが仏教です。
 「万法無実体無本質・諸法因縁仮和合」で自分が生まれたのです。どこにも実体はありません。「実体が無い」と説くのが仏教です。「個人の実体、宇宙の実体がある」と説くのがバラモン教です。キリスト教は個人に属する実体がありません。宇宙を創った「神」という実体があるということです。
仏教の悟りでは、あらゆるものは「無我」です。「万法無実体無本質・諸法因縁仮和合」ということがわからないと仏道修行などできません。
 「個人に属する我があり、実体があるのだ」とバラモン教は説きますが、それをアートマンといいます。自分に属する実体(アートマン)です。人間は年とともに変わりますが、アートマンは変わりません。宇宙の実体はブラーフマンといいます。バラモン教は2つの実体を立てるのです。
 これもおかしな話で、実体が2つあるということはあり得ません。実体は一つです。一つだからこそ実体です。2つ実体があるのはおかしいのです。
 このアートマンのことを日本語で言うと「我(が)」ということです。「我(が)が実体として残っている」ということを仏教徒のお坊さんが説くのはインチキ教義です。
 あらゆるものは変化するのに、我というものは変化をしないのでしょうか。そんなことはあり得ません。昨日と今日の私は違います。今日と明日の私は違います。私はどんどん変わっていくのに、我(アートマン)は変わらないのでしょうか。そんなことはあり得ません。「万法無実体無本質」なのですから人間は、どんどん変わっていくのです。
 バラモン教の祭司はこの考え方を押し付けるために、「お前は奴隷というアートマンなのだ」と言ったのです。「お前は武士、お前は貴族、私は祭司のアートマンである」と言って、人々を納得させたのです。
 「お前のアートマンは奴隷だから永遠に奴隷だ。死んでも奴隷だ。お前は今犬をやっている。犬というアートマンなのだから、永久に犬なのだ」このように言われると、「奴隷のアートマンだ」と言われた人々はたまりません。「今回は奴隷でよいけれど、永遠に奴隷など嫌だ。助けてくれ!」ということです。
 そこでお釈迦様が言われたことは、「アートマンは存在しない」と言われたのです。あらゆるものが変化するのですから、変化しないものは存在しません。これが諸行無常という原理です。
 あらゆるものが変化してるのに、アートマンだけ変化をしないのはおかしなことです。これが諸法無我というのです。あらゆるものに我がないということです。我と思っているものも、どんどん変わっていくので我はないのです。実体ではありません。
 だからこそ成仏できるのです。犬のアートマンならば、永久に成仏できません。そんなことはありません。アートマンは錯覚であり、「自分自身」と思っているものは変化するのですから、よく修行すれば素晴らしいものにもなれるし、よく修行しなければ、馬でも牛でも奴隷にでもなってしまうのです。それで救われる人たちがいたのです。アートマンがないとわかることが成仏です。
 これが仏教の入り口論です。池田大作のように「我をパンパンに張って」と言うのは、とんでもない話です。それは仏道ではありません。祈りを叶えるということも仏道ではありません。「我をパンパンに張って私の祈りを叶える」などと言っていたら仏道修行はできません。「万法無実体無本質・諸法因縁仮和合」と悟って、「無実体の中に、なぜ自分が存在するのか?」ということを考えて、自分をよい方向へリードしていかなければいけません。
 「自分が持っている我をパンパンに張って、我を叶えるために、御本尊に祈りを叶える」など、まるっきり仏教とは違うものです。本来、我はないのですから執着はできません。「我がある」と思うから、人間は執着するのです。「永遠にこれは私のお金だ」「永遠に私の土地だ」と執着するのです。執着すると、もっともっと欲しくなるのです。
 我は永遠ですから、どんどん財産をつくり、欲しいものを手に入れて、それが永遠に続くと考えているので、そのようなことになるのです。そんなことはくだらないことです。社会生活はそのような面がありますが、それだけではなく、仏道から見ると人間は愚かなことで生きています。愚かなことで争い、殺し合い、騙し合い、そして世の中を苦しくして生きているのだとわかってくるのです。そのようなものの中に人間の幸福はありません。
 そのような考え方ですから、コインの裏表などという考えは当たりません。仏道修行にとって内外相対論は「入り口」です。「万法無実体無本質・諸法因縁仮和合」は入り口だということを忘れてはいけません。これがわからないと内外相対論もわからないし、その次に進んで一念三千もわからない、法華経もわからない、南無妙法蓮華経もわかりません。
 何でも行き詰ったら入り口のことを考えてみるのです。「宗教はみな同じだ」という人もいますが、同じなわけがありません。入り口論を考えないからそのように思ってしまうのです。
 宗教の出来上がった姿を見ていると、「バラモン教も、ヒンズー教も、キリスト教もイスラム教もユダヤ教も同じことをやっているのだ」というのが現代の考えですが、宗教はすべて違います。
 仏教が優れているのは、この見方です。何も実体はありません。僕が最近よく言う、バーチャルリアリティーの世界です。実体ではない、バーチャルリアリティーで世界を見ているのです。人生そのものがバーチャルリアリティーです。様々な因縁が集まって、「なぜ私はこのような夢を見ているのか?」というと、それは貴方がやってきた因縁が仮に和合して、現実としてリアリティーとして見ているのです。それは決して実存の法ではありません。実存はその奥にある法なのです。

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2017年01月21日

『日本人に打ち込む100本の柱』蒙古襲来と鎌倉武士 22柱

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※蒙古襲来

土曜日特別講座『日本人に打ち込む100本の柱』
蒙古襲来と鎌倉武士 22柱

 元寇(げんこう)とは、日本の鎌倉時代中期に、当時大陸を支配していたモンゴル帝国(元)及びその属国となった高麗国王によって日本滅ぼすべしとの進言が取り入れられ元の皇帝の命により二度に渡り行われた対日本侵略の呼称であり蒙古襲来ともいいます。  一度目を文永の役(ぶんえいのえき・一二七四年)、二度目を弘安の役(こうあんのえき・一二八一年)といいます。一回目の文永の役のときは軍船九百艘、蒙古・漢軍二万五千人、高麗軍八千人、高麗水夫六千七百人、計三万九千七百人及び女真軍(兵数不詳)この大軍団は壱岐・対馬を襲い十月五日午後四時頃に対馬小茂田浜に上陸しました。対馬守護代宗資国は八十余騎で応戦するがほとんどが戦死し、元軍は対馬全土を制圧後、一週間にわたって全域を蹂躙し多くの日本人を殺害しました。同日、対馬佐須浦から小太郎・兵衛次郎が出航し博多に蒙古襲来を知らせました。
文永の役から翌々年に書かれた日蓮大聖人の書簡によると伝聞として、この時、蒙古は民衆を殺戮し、生き残った者(主に女)の手の平に穴を開け、そこに革紐を通して船壁に吊るし見せしめや矢除けにしたといいます。対馬の宋氏は勇敢に闘い全滅しました。なにしろ蒙古は鉄砲や手榴弾を装備し日本を脅かしたのですが鎌倉武士はひるまず勇敢に戦ったのです。博多に向った蒙古軍は激しい鎌倉武士の抵抗にあい夜は船に引き返したのです。そこに大風が吹きほとんどの船が沈没しあとは逃げ帰ったのです。いかなる敵に対してもけっして恐れない心これが大和魂です。
二回目は弘安の役で江南軍十万人以上、戦艦四千四百艘、約十四万〜一五万六千九百八十九人、これは怖ろしい数で海一面に蒙古がいるということです。海が蒙古になったともいえる量です。この大軍も勇敢なる鎌倉武士によって撃退され船に押し戻されました。そこで神風が吹き蒙古はほとんど全滅したのです。このなにも恐れない心が大和魂なのです。


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2017年01月20日

人間の探究 683 隨縁不変一念寂静

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※中杉弘博士著『御義口伝講義』
「真実は何ですか?」というと『御義口伝』に書いてあります。答えは「隨縁不変・一念寂静」です。

人間の探究 683 隨縁不変一念寂静

 八風BBAさんは「中杉博士は悪役を引き受けている」といいますが、その答えは違います。僕は悪役など引き受けていません。貴方は創価学会を長年やってきたおかげで、創価学会の悪口を言う僕を悪役と思っているのでしょうが、僕は悪役をやっているつもりはありません。
 僕は正しいことを正しく言っているのです。悪役を引き受けているという自覚は全くありません。貴方から見ると僕の正論が悪役に見えるのでしょうか? 僕は正しいことを言ってあげているのです。
 僕は誰に対しても正しいことを言おうと決意しています。正しくないと日本人は滅びてしまいます。創価学会員は、池田大作のウソ、学会の虚構、デタラメ、金まみれ、女まみれにウンザリしているのです。それを朝鮮人の幹部によって何でもないことのように見せかけられてきたのです。
 「それが間違っている」と言っているのですから、僕は悪役をやっているなどと思っていません。「僕は悪い人間だぞ」などと言っていません。僕は正しい人間です。創価学会が悪役です。
 一番わかりやすいのは、学会で飯を食った人間はダメです。一日たりとて飯を食った奴は悪人です。人を騙してお金を儲けて自分が生活したのだから悪人です。公明党議員もすべて悪人です。人を騙した上に立って票を取っているのだから悪人です。悪人しかそんなことはやりません。
「正しいとは何か?」ということを、よく考えないといけません。「正しいこととは、何万人が敵になろうとも、やらなければならないのです。
 何故ならば、本当に生きのびる者は正しい者だけだからです。邪悪な者が生き延びることはできません。詐欺師やドロボウや天一坊などは生き延びていけません。正しく道を歩んでいく人のみが、生き延びていくことができるのです。
 国家も同じです。正しい道を歩んでいないと国家も生き残ることができません。「日本の正しい道とは何か?」というと、天皇を中心にした国家であり、神国です。これが日本の正しい道です。それに屁理屈を言ったり、国民を縛ろうとしたり、天皇をなくそうとしたりするのは正しい道ではありません。
リチャード・コシミズ氏は「天皇は朝鮮人です」そんなことを言っています。「第41代の持統天皇は朝鮮人が成り代わったのに違いない」と馬鹿なことを平気で言っているのです。そんなことを言うべきではありません。
 日本の正義は天皇にあります。日本の正義は『古事記』にあります。リチャード・コシミズ氏は、「古事記はニセ教だ。朝鮮人が日本の天皇になって後からインチキな歴史を書かせたのだ」と言うのです。それはウソです。こんなことはすぐに破折できます。
 日本の正史は2つあります。『古事記』は、712年に成立して、8年経って『日本書紀』が書かれています。『古事記』は万葉仮名と漢字を使った和文です。それだけでいいのですが、なぜ8年経って『日本書紀』を漢文で書いたのでしょう。ウソならば、そんな余裕はありません。『日本書紀』は外国に向かって日本の正史を書いたのです。その一言で終わりです。
 「古事記はニセ教だ」などと、どうしてそのように考えるのでしょう。リチャード・コシミズ氏はきっと中国人に違いありません。中国人の血が入っているのに違いありません。
天皇を貶める者、日本の歴史を貶める者は「真実を知らせる」と言い、ウソのことを教えて、日本人からお宝を取り去っているのです。天皇は日本人のお宝です。それを忘れてはいけません。
 それを破っていこうとするのは、中国人や朝鮮人です。何故、破りたいのでしょう。彼らには天皇はいないからです。国の歴史などありません。大韓民国はわずか69年です。中華人民共和国もわずか68年です。歴史は何もありません。
 中華人民共和国の前は清朝です。清は満州族の国家です。中国大陸には、中国人の国ではなく満州族の国があったのです。辮髪(べんぱつ)でおさげ髪にして、丸い小さな帽子をかぶり「ペコポン」と言っていたのです。これは満州族の風俗です。シナ人の風俗ではありません。
 清は満州族の国家です。その前の国家は成吉思汗が造った元帝国です。モンゴル人が造った国家ですから、シナ人が造った国家ではありません。シナ人の連続性など何もありません。
 では、「中国大陸にはシナ民族がいた」と言うのですが、中国大陸に住む民族はすべて民族が違います。漢民族もいれば、女真族もいて、ウルグアイ、突厥、モンゴル族がいます。シナ人が主流の民族ではありません。そんなことは言わせません。
 主流の民族だと言うならば、漢民族だけで国家を造ってみなさい。そんなことはできません。このようなことが大事です。「正しい」ということは、正当性を持って守っていくということと、守らなくてもよいものがあります。
 守っていくものは守らなければいけません。守らなくてもよいものはたくさんあります。それは変わっていってもよいのです。この変わっていくことを「隨縁(ずいえん)」といいます。「隨縁真如の智、不変真如の理」が大事です。「不変真如」とは、変わらないから「不変」と言うのです。
 人生も社会もそうですが、変わってよいものと、変わっていけないものがあります。「真実は何ですか?」というと『御義口伝』に書いてあります。答えは「隨縁不変・一念寂静」です。「隨縁真如の智」とは、どんどん変わっていくことです。「不変真如の理」とは変わらないことをいいます。実際の人生は「隨縁」と「不変」がくっついて、変わりもするし、変わらないことも同時に一念に保っているから、「隨縁不変・一念寂静」といいます。
 日本が変わっていけないもの「不変真如の理」は、天皇を中心とした我が国の国體です。これが我が国のような立派な国民をつくりあげているのです。誇るべきものはそこからきているのです。
 韓国や中国のように国家の中心が動いてしまい、誇るべきものが何もない国は隨縁真如の智で動いているのです。国の中心も隨縁真如の智、国民も隨縁になってしまうと、縁に従ってどこまででも動いてしまうのです。
 日蓮大聖人様は「動いてよいものと、動いていけないものがある」と言われています。そのようなことがわからないと日蓮大聖人様の信者とは言えません。

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