2020年02月

2020年02月29日

『日本建国の謎に迫る』第4章 神武天皇の建国事業

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※ヨセフ・アイデルバーグ(Joseph Eidelberg 1916年 - 1985年)はウクライナ南部(1916年当時はロシア)のオデッサに生まれたユダヤ人。イスラエルの軍人、神道の神官。 アメリカで理工学、ヨーロッパで言語学を習得する。ヘブル語・ロシア語・英語・フランス語・ドイツ語・ペルシア語・イェディッシュ語・アラビア語など7か国語を話した。 イスラエル建国前には地下組織「ハガナ」のメンバーで、建国後はイスラエル国防軍の陸軍少尉を務める。

『日本建国の謎に迫る』

第4章 神武天皇の建国事業

橿原宮建国宣言

 ユダヤ人であるヨセフ・アイデルバーグ氏が著した『大和民族はユダヤ人だった――イスラエルの失われた十部族』(中川一夫訳、たま出版)という本があります。その中で、次のように述べられています。
 「北のイスラエル王国がアッシリアに滅ぼされ、祖国を追われた同国民がいずこかへと消え失せたのが西暦紀元前七二一年。世界史屈指の謎とされるイスラエルの失われた十支族である。神武天皇の誕生年は紀元前七一一年であるが、一方で、イスラエル十支族が失踪したのは紀元前七二一年と、その差は僅か十年となる。これらのことから、神武天皇=失われたイスラエル十支族を意味し、東征神話=イスラエルから日本へ達した彼らの旅路、を示すものではないかという説もある」
 この日本ユダヤ(日ユ)同祖論に私が賛成できないのは、いきなりユダヤ人たちが日本に大挙して入りこんできた点です。地図を見ればわかることですが、イスラエル王国のあったパレスチナの地から日本までは相当な距離があります。当時は日本についての知識も持っていないであろう彼らが、直線的に日本を目指すとは考えられません。
 これは2章で説明したことですが、彼らは中国にたどり着いて、秦を助けたのです。戦国時代に秦だけが突出して強くなったのは、ユダヤ人たちが入り込んだおかげだともいえます。その中にジョセフ(徐福)の先祖もいました。ユダヤ人たちが秦に定着してから数百年も経っているので、かなり中国化しています。見かけはほとんど中国人と一緒であったかもしれません。
 そして、ジョセフは始皇帝を助けて中国を統一した後、神の理想を日本に実現するため、日本に渡ってきました。そこで西日本を平定するまでの苦労は、3章で記したとおりです。これが我が国の始まりになります。ジョセフかあるいはその子孫は、神武天皇として奈良県の橿原宮において、紀元前六六〇年に即位しました。この即位の年は『古事記』の創作だと思います。実際は、紀元前一八〇年頃ではないでしょうか。

神社の建設

 神武天皇は即位すると同時に、大和朝廷の礎を築き始めます。まずは宗教から見ていきましょう。古代ユダヤの宗教的熱情が、彼らを突き動かしてきたからです。そして、神武天皇によって基礎を造られた教えが、現在には神道として伝わり、天皇家がその中心にあるのです。
神武天皇は即位後、すぐに伊勢神宮を建てます。ただしそこが、現在の三重県伊勢市にあたるのかどうかは不明です。なぜならば、元伊勢の伝承を持つ神社が多数あるからです。あとで述べますが、そもそものユダヤ教の神殿というのは移動式でした。現在地に伊勢神宮が置かれるまで、あちこちを移動していた可能性はあります。
 ところで、仏典に「随方毘尼の戒(ルビ ずいほうびにのかい)」という教えがあります。これは、仏教を新たに広める場合に、その地域に根付いている宗教と融合しなさいということです。まったく新たな教えを押し付けようとするのではなく、それまでその地域にあった宗教や機根(悟りを開くための基盤となる宗教的性質)を見て、仏教の教えを広める工夫をしなさいという意味です。
 これは仏典の話ですが、神武天皇もそれを実行しています。「我々はユダヤ教であるから、土着宗教を全部ブチ壊せ!」という乱暴なことはしないのです。1章で述べた、縄文の宗教である神社を、そのまま使っています。そして、その神社の中にユダヤ教の意味を植え付けているのです。そこに、当時の人々に徐福が受け入れられた理由があります。
 縄文系の神社は、青森の三内丸山遺跡から、長野の諏訪大社、出雲大社と日本各地に広く点在し、つながっています。これらの神々を国津神と呼ぶことは、すでに説明しました。縄文時代から続く森の文化である神社を否定したり、破壊したりするのではなく、それを上手に利用しようと神武天皇は考えたのです。


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2020年02月28日

人間の探究 1482 創価学会の秘密 創価学会幹部とのお話 28

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※見るもの、聞くもの、全てが虚妄です。虚妄を「実存」と思う意識があります。それは八識です。その上に「九識心王真如の都」というものがあります。

人間の探究 1482 創価学会の秘密 創価学会幹部とのお話 28

池田大作は「あんたは偉い!」が口癖です。「お爺ちゃん、よく長生きしたね。えっ、95歳? 凄いね。大したものだよ」「お婆ちゃんいくつ。85歳? 凄いよ、お婆ちゃん偉いね」と言うのです。
言われた方は、「池田先生は俺を認めてくれた」と思って喜んでしまうのです。池田大作は信者に対しては、そのように言ったのです。反対に反逆した奴に対してはねじ伏せたのです。「お前、生意気なことを言っているな。ねじ伏せてやる!」と言って、みんなの前で恥をかかせたのです。それが「君臨する」ということです。
学会員の信者で褒められたお婆ちゃんは「池田先生は私のことをわかってくれたのだ」と思って満足するのです。池田大作は、「わかっているよ、お婆ちゃん。前世も一緒だったじゃないか」と言うので、お婆ちゃんはホロリときてしまうのです。そうなるともうダメです。「創価学会は邪教だから、辞めなさいよ」と言われても、誰が何といっても「池田先生についていく」となってしまうのです。
創価学会には、本当の教育はありません。本当の教育とは、信者を利口にさせなければいけません。学会は信者を利口にはしません。反対に馬鹿にしていくのです。幹部にお伺いを立てないと、何もできない人間にしていくのです。池田大作は、何処まででも信者を誉めるようなことを言っていますが、実際は本人を認めているだけです。本人を認めるということは、仏へと変革などできません。
「成長したか? お前は成長していないじゃないか。もっと前進しろ!」と言うのが正しい指導です。創価学会員は前進などしません。幹部の言いなりになり、ますます藪の中を彷徨い、功徳を求めて走り続けているのです。
何が悪いのかというと最初の段階で、功徳を求めたから悪いのです。あげてもいない牡丹餅を「ください」と言っても、神様・仏様は牡丹餅をくれないのです。牡丹餅をあげるから、牡丹餅の功徳が出てくるのです。
我々の人生もそうです。今世で仏法のために働いて財産を蓄積しているでしょうか? それが来世に出てくるのです。今世は人の物を奪っているのではないでしょうか? 奪っている人は、何も蓄積していません。人の物を奪っておきながら、「功徳をくれ」と言うほうがおかしいのです。
この世は善根を積んで蓄積していくのです。そして、来世は好きなものになれるように因を積んでいかなければいけません。因もないのに果が出てくるわけがありません。因果倶時不思議の一法です。人のために一生懸命折伏をやっていると、実は結果的には自分のためになるのです。
自分のために人をだまして物を奪ったりしている馬鹿がいますが、来世は自分がやった全てのことを自分にされるのです。それで死ぬ時にピタリと地獄で止まってしまったならば、来世は人間に生まれません。
これをわかりやすく言うと、仏教では「この世は幻だ」と言います。幻とは、見ている主体があります。「ああ、これは幻だな」と幻を見ている人がいるのです。では、幻を見ている主体とは何なのでしょうか? ここが実存ということです。
「何故、私は悪夢を見ているの? 悪夢は嫌なのよ。こんな人生も嫌だ!」というのは、人生そのものが悪夢なのです。それは全て実体がないのです。その人にとっての悪夢なのですから、実体はありません。だから、夢の中のものを探しても何もありません。
「確か、こんな夢を見たのだけれども、・・・」と言っても、「何処にあるのだよ?」と聞かれたら、それは夢の中の話であって、実体はありません。
それを夢と認識して「これは夢だな」とわかっていくのです。では、「夢だ」と認識するのは阿頼耶識(あらやしき)です。もう一つ奥の夢とわかっている九識のことを実存というのです。その実存に生きていかない限り、人間は幸福にはなれないのです。
そうでないと人間の一生とは、アブクのようなものです。何だか知らないけれども、アブクのように生まれて、何だかわからないけれども死んでしまうのです。それが人間の一生になってしまうのです。
本当は、そうではありません。見るもの、聞くもの、全てが虚妄です。虚妄を「実存」と思う意識があります。それは八識です。その上に「九識心王真如の都」というものがあり、そこはわかっています。
「見ている世界は虚妄の世界だな」ということをわかっている意識が九識です。この九識が功徳の塊です。どんなものでも出てくるのです。「九識心王真如の都」という九識のところを南無妙法蓮華経というのです。


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2020年02月27日

人間の探究 1481 創価学会の秘密 創価学会幹部とのお話 27

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※結婚というものを支えるのは、「家」という概念です。家という概念がない人は、家などもっていません。その家が集合して国家になったのです。創価学会員は、「家」という概念をもっていないのです。

人間の探究 1481 創価学会の秘密 創価学会幹部とのお話 27

 休日に創価学会の大幹部という人が「お会いしたい」というのでお会いしました。大変物静かで優秀な人でした。聞いてみると元国家公務員でした。
 「僕は何と言われても創価学会と公明とは応援しません」という話から始まったのです。この学会幹部の人は自分の意見は言いません。僕から意見を述べたのです。すると、普通は「どうして応援しないのですか?」と聞かれるのですが、そのようなことを言わない人です。
 僕は「創価学会は良い人達が多い。そんなに悪い人はいないと思います。みんなよい人が多いのです。だけれども、良い人だと思っているうちに、気が付くとだんだん悪人になっている」と言ったのです。
 創価学会員は、「昔は良い人だったな」と思っても、気がついてみると悪人になってしまっているのです。それはそうです。教祖が悪人です。信者は教祖に似てくるのです。教祖が悪人だと末端の信者も悪人になってしまうのです。
 教祖が悪人ではなく、ちゃんとした教えを説いている人ならば、信者もしっかりした人生を歩むことができるようになるのです。新興宗教というものは、そのことをよく知っているのです。
 庶民というものは、仏法などというものは求めていません。欲しいのは現世利益です。病気の人は「病気を治したい」、貧乏の人は「お金持ちになりたい」、或は、「会社で出世したい」という現世利益を求めて宗教団体に集まっているのです。
 そこでまともな話をしても、信者は聞く耳をもちません。しかし、信者の側も少しは真面目な気持ちがあるのです。それをどちらに持っていくのかは指導者が決めることです。指導者は民衆に会わせて、美味しい話をしていくので、信者は宗教をやればやるほど馬鹿になってしまうのです。
 信者は西も東もわかりません。幹部の言うことしかわからない人間になってしまうのです。創価学会も真如苑も立正佼成会も統一教会も幸福の科学もそうです。信者は自分で判断できない人間になってしまうのです。
 信者は何事が起きても幹部に相談に行くのです。「うちの旦那の信心がおかしくなりました。どうしたらよいでしょうか?」と宗教団体の幹部に相談に行くのです。それはまだよいほうです。
 創価学会員は、「うちの主人が女をつくりました。どうしたらよいでしょうか?」という聞き方を幹部にするのです。すると学会幹部は「何、貴方の亭主が女をつくった? あんたも男をつくったらいいのよ」と指導をしたのです。
 それを何回でも繰り返すから、「離婚学会」と言われたのです。結婚というものを支えるのは、「家」という概念です。家という概念がない人は、家などもっていません。その家が集合して国家になったのです。創価学会員は、「家」という概念をもっていないのです。
地方から出てきた人は仕方ない面もあります。家を出てきて都会にやってきて、地域に溶け込んでいません。「家」という概念もなく、プー太郎のような生活が続くのです。マンションに入り賃貸の家を持ちます。会社も定年になり辞めて、給料も入らなくなります。するとアパートにいる自分のことが思いだされるのです。
「あれ、俺には家がないな。先祖もないな。俺は今まで何をやってきたのだろうか?」と思った時には、もうすでに老人になっていて「時遅し」です。年老いて死ぬ時に、「俺の人生は何だったのだろうか?」と思っても遅いのです。それで人生が終わってしまい、親族に残すものは何もありません。家も取られてしまい何も残りません。
それが宗教に頼る一つの理由です。家よりも大きなものがあるのです。それが宗教団体です。その組織の中で生きていけるのです。それを疑似国家といいます。宗教団体は疑似国家のように見えるのです。
宗教団体の教祖は王様です。そこに奴隷としてお使いするのが信者です。「ものども、頭が高いぞ、教祖様のお通りだ!」と言われると、「はっはー」とかしずくのです。その時に信者は初めて「家」を意識して満足するのです。
教祖は横暴に振る舞って、何でも言うことは通るのです。だから、教祖は横暴に振る舞えば振る舞うほど、信者から尊敬されるのです。これが全ての宗教団体の発展の原理です。
池田大作の指導方法も前回話ましたが、池田大作は「人を育てよう」とか、怒ることはしません。自分に対して敵対した相手をねじ伏せることはやるのです。「お前、俺と勝負するのか? やってみるのか!」と脅すのです。池田大作は巨額のお金をもっていますから、反逆した信者が挑みかかっても敵いません。池田大作にひねりつぶされてしまいます。
池田大作は、信者たちを「偉いね〜」と言っておだてるのです。「たいしたもんだよ。公明党はみんなの下僕だからね。公明党はみんなの小間使いさんなんだよ」と言っていたのです。学会員には、「創価学会が主人公で公明党はパシリだ」ということを教えているのです。
池田大作は、「でも気を付けなさいよ。パシリはだんだん国家権力をもっているから、パシリのほうが強くなってしまう場合もある。その時にわたしがいるのです。お前はパシリだろう。学会がご主人さまだぞ」と言っていたのです。すると、学会員は「そうです〜」と言ってパチパチパチと拍手して喜んだのです。(28に続く)


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2020年02月26日

人間の探究 1480 随縁不変(ずいえんふへん)

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※日蓮大聖人の極意ー それは御義口伝です。
この書は正式に講義された事はなく、講義できる人もいませんでした。
中杉 弘博士による御義口伝講義が本となりました。限定本です。これを読むと貴方も仏に成れます。

人間の探究 1480 随縁不変(ずいえんふへん)

「南無妙法蓮華経
御義口伝に云く南無とは梵語なり此には帰命と云う、人法之れ有り人とは釈尊に帰命し奉るなり法とは法華経に帰命し奉るなり又帰と云うは迹門
不変真如の理に帰するなり命とは本門随縁真如の智に命くなり帰命とは南無妙法蓮華経是なり、釈に云く随縁不変一念寂照と、又帰とは我等が色法なり命とは我等が心法なり色心不二なるを一極と云うなり、釈に云く一極に帰せしむ故に仏乗と云うと、又云く南無妙法蓮華経の南無とは梵語妙法蓮華経 は漢語なり梵漢共時に南無妙法蓮華経と云うなり、又云く梵語には薩達磨芬陀梨伽蘇多覧と云う此には妙法蓮華経と云うなり、薩は妙なり、達磨は法なり、芬陀梨伽は蓮華なり蘇多覧は経なり、九字は九尊の仏体なり九界即仏界の表示なり、妙とは法性なり法とは無明なり無明法性一体なるを妙法と云うなり蓮華とは因果の二法なり是又因果一体なり経とは一切衆生の言語音声を経と云うなり、釈に云く声仏事を為す之を名けて経と為すと、或は 三世常恒なるを経と云うなり、法界は妙法なり法界は蓮華なり法界は経なり蓮華とは八葉九尊の仏体なり能く能く之を思う可し已上。」(御義口伝)

 『御義口伝』には「随縁不変一念寂照(ずいえんふへん・いちねんじゃくじょう)」と書いてあります。
 「随縁(ずいえん)」というのは、物事は全て縁にしたがっておきてくるのです。「これがあるが故にこれがおき、あれがあるが故にあれがなくなる」というように、縁によって起きてくるのです。男女が結婚するのも縁です。
 縁があるが故に男女が集まって子供ができるのです。その縁がなければ子供はできません。子供ができるのも、縁に従って起きてくるのです。これが随縁(ずいえん)です。
我々は悟りを目指します。現実は苦しいからです。「現実は苦しい」と思って「脱却したい」と思った時に、悟りというものが得られるのです。これが縁に従って起きてくる随縁(ずいえん)です。それと同時に「不変真如(ふへんしんにょ)の理」というものがあります。縁に従って起きてくるものは随縁真如の智ですから、理屈はありません。
 随縁真如の智は、「因果・因果と巡りゆくなり」ですから、理屈はありません。しかし、そうは言っても、どうしても人間が守っていかなければいけない当然の理(り)というものがあります。これを不変真如の理といいます。
 現実の生活態度は、随縁真如の智と不変真如の理が集まって起きてくるのです。それも一つではありません。いろんなことが起きて反応していくのが随縁真如の智です。随縁真如の智というのは、どんどん変わっていくのです。
 物事は瞬間・瞬間で変わっていくのです。鳥が餌を食べたいと思って食べます。食べると餌がなくなってしまいます。その鳥が飛び立つと、その鳥を見ていて他の鳥が捕まえて食べます。
 現実は縁に従ってどんどん変わっていくのです。これが随縁です。随縁から生まれるものは、随縁真如の智です。犬がワンワンと鳴くのも、猿がギャー・ギャーと鳴くのも、豚がブーブーと鳴くのも、随縁真如の智なのです。
 縁に従って起きてくることは、動物の場合は餌を求めています。随縁=縁に従って、真如の智=真実必要なものを見極める力を動物はもっています。動物は植物を見て「これを食べたら毒になるだろうな」とわかるのです。
 鳥も魚も毒物には触りません。何故、さわらないのかというと、随縁真如の智が働くからです。空を飛べる鳥はスイスイと空を飛びます。空を飛ぶというのが、随縁真如の智なのです。
 鳥は空を飛び、豚は好きに食べていたら世界はまとまりません。世界には随縁真如の智だけではなく、変わらない一貫した法則が流れているのです。それを不変真如の理というのです。縁によって変わらざる不変の理があるのです。
 これは仏法ですから、生命の実相のことを言っているのです。仏法というものは、生命を極めようとしたものです。生命全体を見て、生命には2つあります。ずっと流れている生命としての法則があり、これが不変真如の理というのです。これは永遠に変わらない理なのです。
 現実に魚が獲物を捕らえる智恵というのは、不変真如の理ではありません。随縁真如の智です。その動物にとっての智恵が働いていて、パクッと獲物を食べるのです。それが智恵なのです。「あれをパクッと食べれば俺は生きられるな」という行動に出るのです。
 随縁真如の智だけではなく、不変真如の理と言って、変わらざる生命の理というものがずっとつながっているのです。すると仏道を極めようとする修行者は、2つのものを見なければいけません。
 「あの豚や畜生の随縁真如の智は何か?」と思って、豚だけを見ていてもわかりません。生命とは変わらない一貫した理があるのです。それをとらえていくのです。それが不変真如の理です。
 この両方をとらえていくのです。それが、「随縁不変一念寂照」です。人間の一念心を明らかにしていくということが、不変真如の理と、随縁真如の智です。この2つを足して、随縁不変一念寂照と見ていかないと仏道は完成しません。
 仏道は何にでも通用しています。これは政治にも通用するのです。言葉を変えると、建前(たてまえ)と本音になるのです。本音の部分が随縁です。建前に当たるものが不変真如の理です。両方があって、国が治まっていくのです。
 「今だけよければよいのだ」というのは、随縁真如の智です。これでは国は治まりません。安倍内閣は、ウソつき内閣になって終わってしまうのです。個人でも同じです。ウソばかりついている人間は随縁真如の智を大事にして、不変真如の理を大事にしていないから、ダメなのです。
 人間の生き方は両方を立て分けていくのです。そうすればウソつきにもならず、真如をつかんでいけるのです。生命の真実をつかんでいく智慧が仏法なのです。


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2020年02月25日

人間の探究 1479 創価学会の秘密 ルノアール事件 26

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※創価学会の「ルノアール事件」とは、池田大作がルノアールの絵を買ったのです。その絵にはリベートがついていたのです。それを「払った」とか、「払わなかった」ということで、ゴタゴタともめて暴力団が大勢出てきたのです。

人間の探究 1479 創価学会の秘密 ルノアール事件 26

 創価学会は創価大学を造り、富士美術館を造り、「世界のナポレオン展」を開催して、世界の宝物を集めていた時期があります。
 皆さんも知っておく必要があります。博物館を造るとは、どのようなことなのでしょうか? 組織の力で30億円、40億円でルノアールの絵画を買うのです。30億円の絵を個人で買うわけがありません。
 何のために絵画を買うのかというと、画商とのなれ合いで、30億円でルノアールを買ったことにして、実際はもっと安いのです。すると裏金が5億円くらいできるのです。その裏金つくりのために絵画を買うのです。
 集めた絵画は、博物館を造って飾るのです。博物館は上手くできているのです。博物館は国立でも私立でも有料です。絵を買って自分の懐に裏金を入れて、絵を飾ってまた儲けるのです。
 創価学会の「ルノアール事件」とは、そのようなことから生まれたのです。池田大作がルノアールの絵を買ったのです。その絵にはリベートがついていたのです。それを「払った」とか、「払わなかった」ということで、ゴタゴタともめて暴力団が大勢出てきたのです。
 それを当時、都会議員の藤原行正が担当していたのです。それから、龍年光(りゅうとしみつ)という人がいたのです。創価学会はなぜ、都会で実力を持ったのかというと、「警察・消防委員長」を公明党がもらったのです。
 それで、龍年光が警察・消防委員長をやったのです。これは凄いことです。東京都の全ての警視庁傘下が公明党の下に入ってしまうのです。警察官は、半分は国家公務員です。警部以上が国家公務員でその下は都の職員です。
 警察は都の職員として「あれを買いたい」「これを買いたい」と都議会に申請するのです。それを都会議員が見て「そんなものはダメだ」と言えば申請は通りません。だから、都会議員は物凄い権力を握ってしまうのです。
 例えば、警察官が持っている警棒は1年で交換するのです。警棒などは、1年で交換する必要はありません。10年でも持ちます。それを1年で交換するのです。1年経った警棒は廃棄処分です。そのたびに警棒を買わせるので、リベートが入る仕組みになっているのです。警棒一つにしても利権があるのです。
 拳銃もそうです。何年、耐久性があるのか知りませんが、7年くらいで交換しているのではないでしょうか? 使いもしない拳銃など、7年に1回変える必要などありません。これも利権です。そこで都庁の議員となれ合いになるのです。
 都議会議員「なんで、そんなに早く拳銃を変えるの?」警察「このような理由です」と屁理屈をつけて、なれ合いになってしまうのです。警棒と拳銃は都議会に抑えられてしまうのです。その委員長を公明党が必ず欲しがるのです。
 暴力団に襲われた池田大作は「金を出せ!」と言われたのです。藤原行正と、龍年光がその対応にあたっていたのですが、暴力団はいろんな手を使ってきたのです。街宣車や右翼を回してきたのです。
 そこで池田大作も困り果てていたのです。「ヤクザが来るので何とかしてくれ」と龍年光に言っても、警察・消防委員長では抑えられなかったのです。そこで頼んだのが、朝堂院大覚先生です。創価学会は「5億円払うから、この問題を処理してくれ」と言って、朝堂院大覚先生に頼んだのです。すると朝堂院大覚先生は、「いいよ」と引き受けたのです。朝堂院大覚先生は、何処でも顔ですから、この事件を収めたのです。
 すると、創価学会は朝堂院大覚先生にお金を払わなかったのです。この事件の解決のために池田大作はヤクザに5億円払って、朝堂院大覚先生は「俺にも5億円くれるはずだ」と言っていたのです。それが、朝堂院大覚先生には、5億円払われなかったのです。池田大作はそのような汚い野郎です。そのようなことがあったのです。
 何故、絵画を買うのかというと、リベートのために買うのです。気をつけなければいけないのは、創価学会のお金は宗教法人のお金です。宗教法人でもっているお金で絵画を買うのですが、入ってくるリベートは宗教法人には入りません。池田大作個人の懐にお金が入ってしまうのです。
 大組織をもっていて自分のお金が欲しい場合は、必ずそのようなことをやるのです。池田大作は、そこをヤクザに突っ込まれたのです。だいたい画商などは、ヤクザが多いのです。ヤクザと裏でつながっているのです。「池田大作は脱税しているな」とわかると、そこで弱みにつけこんで、脅されてしまったのです。
 竹下登元首相もそうです。何かあったのです。それをヤクザにつけこまれて、ヤクザは褒め殺しをやったのです。「立派な、立派な竹下さん、竹下さんはお金持ち〜♪ 金造りの上手い竹下さん〜♪」こんな話を街宣車でやるのです。ヤクザはネタをちゃんと握っているのですが、ネタは出さないのです。
 竹下登も困り果てていたのです。やはり、暴力団に頼んで解決してもらったのです。リベートをもらえば、どこかで弱みを握られてしまうのです。ヤクザは「弱みを握ってやろう」と思って待っているのです。
 創価学会は、そのような時代があったのです。富士美術館は、八王子の創価大学の隣にあったのです。ナポレオン展などをやっていたのです。何がナポレオン展なのでしょうか? 
 「池田大作は、ナポレオンが憧れの人だった」と聞いたことがあります。向かうところ敵なしです。ナポレオンは何処へ行っても連戦連勝で勝ってしまったのです。最後のワーテルローの戦いでミスをしただけです。その前の戦争は全て勝っています。連戦連勝だから皇帝になってしまったのです。
 それから池田大作は、義経の「八艘飛び」も大好きです。次から次へと船に乗り移って、敵をなぎ倒していったのです。「いいな、俺はあのようにピョン・ピョン・ピョンと船に飛び乗って敵をなぎ倒してしまうのだ」と思っていたのです。
 池田大作は、ナポレオンのような皇帝になりたかったのです。そのようなことから見ると富士美術館を造った経緯がよくわかるのです。日中国交回復後に創価大学を創り、最初に中国がとった留学生は創価大学です。そして、「日中で仲良くしましょう」ということを池田大作はやったのです。それで中国から多くの名誉博士号をもらったのです。
 今回も公明党が天皇陛下の下に習近平を呼ぼうと思って、必死になってやっているのです。公明党は何を馬鹿なことをやっているのでしょうか? やっていることは国賊です。公明党も創価学会も知性というものが全くありません。「中国様を呼んだらいいのではないか」と動いているのです。
 「これをやったら国家のためによくないのではないか?」というように、公明党には「子国家」という概念が全くありません。公明党も創価学会も「人間みんな仲良くすればよい」と思っています。「人間はみな平等だ。世界は一つだ。ワールドピースだ」このような考えです。「そうすれば世界は平和になる。ワールドピース、万世!」と言っているのです。
 創価学会は何だかわけのわからないことを言っているのです。そのような考え方ではいけません。人間には違いがあります。多様性があるのです。「一つの民族だけにしよう」とか、「一つの思想で征服しよう」などということは、神の摂理に反するのです。だから、創価学会は滅びることになるのです。創価学会はもう滅びのサイクルに入っています。


■池田大作が中国への売国によりもらった名誉称号(1984年〜2000年)
※池田大作は2019年まで名誉称号をもらい続けます。圧倒的に中国からの名誉称号が多いのです。
1984年6月5日 中国 北京大学 名誉教授
1984年6月9日 中国 復旦大学 名誉教授
1990年11月3日 中国 武漢大学 名誉教授
1992年1月30日 香港 香港中文大学 最高客員教授
1992年10月14日 中国 中国社会科学院 名誉研究教授
1993年11月4日 中国 深圳大学 名誉教授
1994年1月6日 中国 新疆ウイグル自治区博物館 名誉教授
1994年8月12日 中国 新疆大学 名誉教授
1994年11月22日 中国 厦門大学 名誉教授
1996年3月14日 香港 香港大学 名誉文学博士
1996年4月2日 中国 新疆大学 名誉学長
1996年11月17日 中国 中山大学 名誉教授
1997年2月20日 中国 吉林大学 名誉教授
1997年5月12日 中国 上海大学 名誉教授
1997年10月6日 中国 内蒙古大学 名誉教授
1998年11月1日 中国 延辺大学 名誉教授
1998年11月25日 中国 南開大学 名誉教授
1999年4月5日 中国 四川大学 名誉教授
1999年9月10日 中国 湖南師範大学 名誉教授
1999年12月16日 中国 南京大学 名誉教授
2000年3月10日 中国 東北師範大学 名誉博士
2000年4月22日 中国 内蒙古芸術学院 最高名誉教授
2000年5月11日 中国 北京行政学院 名誉教授
2000年6月27日 中国 雲南大学 名誉教授
2000年8月25日 中国 華南師範大学 名誉教授
2000年12月7日 中国・香港 香港中文大学 名誉社会科学博士





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2020年02月24日

人間の探究 1478 創価学会の秘密 池田大作の野望 25

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※正本堂の御本尊の下にあるレリーフの裸の男の顔を見ると、明らかに池田大作に似ているのです。

人間の探究 1478 創価学会の秘密 池田大作の野望 25

 池田大作がお金の味を覚えたのは、日蓮正宗に正本堂を建てた頃です。「日蓮正宗は、正本堂を建てて、世界各国から宝を集めて正本堂を建てる。その時にご供養すれば永久にお金には困らないようになります。全財産を投げ打ってご寄付しましょう」と言って、学会員に貯金箱を配ったのです。
 学会員は「チャリン」と毎日、毎日お金を貯金箱に入れて5年間かけてお金を貯めたのです。「5年間しっかり働いて、お金を貯めて、よいご供養ができるようにしなさい」と学会幹部に言われて、みんな貯金をしたのです。
 創価学会は、当時のお金で350億円集めたのです。もう30年前の話です。30年前の350億円ですから、もの凄い金額です。どのような価値があったのかというと、当時の銀行は10%の金利がついていたのです。銀行に定期預金を預けると、10%の利息がついたのです。
 創価学会は集めた350億円を日蓮正宗の本山に持っていったのです。すると学会は「どうぞ、ご自由にお使いください。我々の本山を建ててくればそれで充分ですから」と言ったのです。
 池田大作は本間建設と組んで、350億円の金利で正本堂を建ててしまったのです。当時、350億円定期預金をすれば、年間35億円の金利がついたのです。10年間お金を銀行に預けると、350億円の金利がついたのです。それで正本堂が金利だけで建ってしまったのです。
 とにかく立派な石造りの正本堂だったのです。それなのに、創価学会は本山と喧嘩をして、大変な騒ぎになったのです。それは何処から始まったのかというと、池田大作が「南無妙法蓮華経」と拝みます。その上に猊下がいたのです。池田大作と日蓮正宗の猊下は同じ席ではありません。猊下のほうが身分は高いのです。
 猊下の前には御本尊があったのです。御本尊の下には銅板でレリーフが彫ってあったのです。猊下が「ガンガンガン」と鐘をならして「南無妙法蓮華経〜」と拝むとレリーフが目の前にくるのです。
 するとそのレリーフには、池田大作が裸で寝そべっているのです。そこに女が5〜6人いるのです。いかにも女と遊んでいるというようにしか見えません。そのレリーフの裸の男の顔を見ると明らかに池田大作に似ているのです。
 それを本山の坊主が見つけ出して、「なんだ、これは。池田大作ではないか!」と大騒ぎになったのです。猊下もそのように言われて、レリーフをマジマジと見ると「これは池田大作ではないか。何で池田大作が俺より高いところに座って寝そべって見ているのだ? とんでもない奴だ。ぶっ壊せ!」と始まったのです。
 そのレリーフは剥がして壊してしまったのです。すると正本堂は、あちこちから雨漏りがして、土砂降りになると正本堂の屋根から雨漏りがしたのです。ひどいものです。安普請(やすぶしん)にしたのです。そんなことから池田大作と猊下の仲が悪くなって喧嘩になったというのが真相です。
 池田大作と猊下が喧嘩になって、家族が離散した者が何十万人もいるでしょう。夫婦で信仰が別々になった者、これも何百万人といたのです。そんなことは池田大作には関係ありません。
 池田大作は、「離婚しようが、一家離散しようが俺には関係ないのだ」ということです。その最初の原因は「猊下が偉いのか? 俺が偉いのか?」ということです。「猊下はお題目を唱えているだけだろう。俺は会員からお金を集めて何百億円もってきて、お寺も造ってあげただろう。だから、猊下は俺に敬意をはらえ!」ということから始まったのです。
 猊下と池田大作が並ぶと、「プン・プン・プン」という感じですから、口も利きません。池田大作は、「猊下が俺に頭を下げろ」と言っていたのです。池田大作は傲慢な野郎です。猊下は「池田大作に頭などさげるか。私は管長なのだ。あんたは管長の信者でしょう。お前に頭を下げる必要などないのだ!」ということになったのです。そこから創価学会と日蓮正宗大石寺の喧嘩が始まったのです。
 そのうち、有名な反逆児の松本勝也が出てきたのです。松本勝也は創価学会民音の仕事をやっていた本部職員です。この男が全国の日蓮宗のお寺を回って歩いたのです。何年もかかって全部回って歩いたのです。キチガイです。本尊にものすごく執着していた男です。
 「どこの本尊が正しいのか、誰の教えが正しいのか?」と全国のお寺を訪ねて回って歩いたのです。結局はみつからなかったのです。松本勝也は意味不明のことを言っていました。最後は狂ったのでしょう。今は西山本門寺の学頭をやっています。後で聞いた話ですが、女にもお金にも汚い男です。そのような男です。
 これは有名な男です。創価学会の反逆児第一号です。創価学会相手に裁判をかけたのです。「俺は偽本尊で信仰していたのか? 偽本尊でお金を集めたのだから、みんなにお金を返せ!」と言いだしたのです。
本尊には偽物も何もありません。そのような考えになったら終わりです。何処にも「この本尊が本物です」などというものはありません。そのような大騒動があって、松本勝也が学会崩壊への序幕を開いたのでした。


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2020年02月23日

『生きている大日本帝国』はるかなる伊勢路

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※伊勢神宮に行ったら、一切の祈りはいりません。ただ「ありがとうございました」という、その気持ちがすべてに通じていくのです。

『生きている大日本帝国』

はるかなる伊勢路

 鎌倉時代に、西行法師は伊勢神宮に参拝し、「何事のおわしますをば知らねども かたじけなさに涙こぼるる」という有名な歌を残しました。西行法師は僧侶であっても、伊勢神宮にそれだけ感動しているのです。伊勢神宮に参拝する際、「何かにお祈りしよう」などという了見を我々は持ってはいけません。私が伊勢神宮を参拝したとき、重要なことに気がつきました。伊勢神宮の神を人間が造ったかのように、我々は誤解してはいないでしょうか?
 たぶんに司馬遼太郎に影響されている面があるのではないかと思いました。司馬は大阪の町人の出身です。彼は「日本列島はあらゆる連中が大陸からきて、あらゆる民族の吹き溜まりとなった。この先は太平洋で進みようがないので、仕方ないからみんな仲良くした」という歴史観を持っています。これは真実と異なる誤った見方です。
 なぜならば、最初に登場したのは神だからです。人間が最初に登場して神を造ったのではなく、神が生まれたときにはまだ人間など存在していないのです。神が存在して、さまざまなものを造り、その神の子供の一人が天皇です。神がいなければ、天皇は存在しません。この天皇の存在が、日本国家の礎(いしずえ)になっていて、二七〇〇年続いているのです。この天皇がいるおかげで、日本は神国だと言えるのです。まさに世界の中で宝石のようにキラリと光る貴い国だとわかります。
 こう考えれば、伊勢神宮の参拝の目的は、神様にお礼を申し上げることにあるのだとわかります。江戸時代には、伊勢神宮へ行くことを「おかげ参り」と言いました。伊勢神宮の外の売店も「おかげ横丁」といいます。「おかげ横丁」ということは「神様のおかげで今日の自分があります。この程度の幸せで生きています。本当にありがたい」と感謝の念を持つことです。
 お金がなくても、今日まで無事に生きていられるということは、「ああ、ありがたい」ということです。女房が逃げて一人者になった人もいるかもしれませんが、女房が逃げようが何があろうが、自分が生きているということについて「おかげ参り」をするのです。江戸時代から、そういうものだと民衆もわかっていたのです。お参りしてもご利益がないなどと嘆くのは、何も理解していないからです。
 貧乏人だろうが、病人だろうが、ありがいのです。神様の御稜威(みいつ)で、我々は、この日本列島に生きています。そこをしっかりと再確認するためにお伊勢参りをするのです。私も参拝しつつ、伊勢神宮の源ははるかに遠いということを実感しました。「はるかなる伊勢路を行くのだな」という感覚が身についてくれば、信仰も一人前ではないかと思います。伊勢神宮に行ったら、一切の祈りはいりません。ただ「ありがとうございました」という、その気持ちがすべてに通じていくのです。このような気持ちで伊勢神宮を参拝しましょう。(終わり)


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2020年02月22日

『日本建国の謎に迫る』国譲り伝説

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※スサノオ(歴史的仮名遣:スサノヲ)は、日本神話に登場する神。
『古事記』では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、速須佐之男命、須佐之男命、『日本書紀』では素戔男尊、素戔嗚尊等、須佐乃袁尊、『出雲国風土記』では神須佐能袁命(かむすさのおのみこと)、須佐能乎命、神仏習合では牛頭天皇などと表記されている。『日本書紀』では伊弉諾尊とイザナミ (伊弉冉尊・伊邪那美命)の間に産まれ天照大神・ツクヨミ(月読)・ヒルコ(蛯児)の次に当たる。


『日本建国の謎に迫る』

国譲り伝説

 さて、その強大な出雲を相手に神武天皇も手こずったことでしょう。広島、岡山を平定している間も、出雲との緊張関係はずっと続いていました。激しい戦闘があったことも想像されます。結局、神武天皇が近畿を平定してから、お互いで話し合い、出雲が神武に仕えるということに落ち着いたのです。このことが、のちに「国譲り」と呼ばれるようになりました。
 出雲は、帰服する交換条件として「出雲の国に神社を建ててほしい」と伝えます。それを聞いた神武天皇は、喜んで承諾したことでしょう。なにせ土木技術には優れており、得意としているのです。出雲の人々の度肝を抜くようなものを造り、威光を示そうと考えました。縄文系の神社の神を国津神(くにつかみ)といい、中国から来た神を天津神(あまつかみ)と呼びます。これは、国津神に対する国譲りのお礼なのです。
 そして、なんと高さが一〇〇mもある巨大な神社を出雲に建設したのです。その神社には階段がついていて、ピラミッド内部の階段と同じ角度です。その階段を登っていくと雲の上のようなところに神殿があります。これには出雲の人は驚嘆すると同時に大喜びし、神武天皇への畏敬の念を深めたことでしょう。また、神武天皇も出雲の文化に尊敬の念を示しています。現在でも、出雲大社の本殿内には、天皇でも入れないしきたりが続いています。
 これが現在に伝わる出雲大社の創建です。現在の本殿は江戸時代に建てられたものなので二四mほどの高さですが、それでも大変高く感じられます。ところが、古代においては、その四倍も高かったのだから、驚くべき技術力です。現地に行くとわかりますが、大林組が試算した、一○○mの神殿の復元図があります。私たちも見てきましたが、すごいものです。直径一m以上の柱を三本組み合わせて、鉄の輪が巻いてあります。「これなら一○○mいくな」という柱が証拠として出てきたのです。
 ところが、まだ抵抗する八つの部族がいました。出雲すべてが、すんなりと国譲りをしたわけではありません。『古事記』では、それを、素戔男尊(スサノオノミコト)が退治したということになっています。それがヤマタノオロチの伝承です。八部族は降伏のしるしに、立派な剣を差し出します。これが、天皇家の三種の神器の一つである草薙の剣です。のちに、この剣の材質は鉄か銅かという論争となりました。見せてもらえないので、いまだに決着がついていません。
 しかし、こうしてようやくにして出雲地方も神武天皇の勢力下に入り、大和朝廷が始まることになるのです。


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2020年02月21日

人間の探究 1477 創価学会の秘密 池田大作の野望 24

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※本弟子名簿の中から内閣を組織して、「池田大作総理大臣」をつくったのです。北条浩軍需大臣、通産大臣、法務大臣を決めて、幻のシャドー内閣をつくったのです。

人間の探究 1477 創価学会の秘密 池田大作の野望 24

 池田大作は野望を持ったのです。「世界に南無妙法蓮華経を広めるぞ。そうすれば、俺は世界の王になる。その王になる前に俺は日本の王になる」と考えたのです。本弟子名簿の中から内閣を組織して、「池田大作総理大臣」をつくったのです。北条浩軍需大臣、通産大臣、法務大臣を決めて、幻のシャドー内閣をつくったのです。
 池田大作は「日本を抑えた次に世界を狙う」と野望に燃えていたのです。これは朝鮮人そのもののやり方です。まず、下手に出ます。まず、相手を油断させてそれから料理にかかるのです。池田大作は、人の悪口を絶対に言いません。誰に対しても「偉いね」としか言わないのです。
 「お婆ちゃん、偉いね。90歳だって? 偉いもんだね。大したものだ」これしか言わないのです。「お爺ちゃん89歳? 偉いもんだね。」と言うので、誰に対しても「偉いね」としか言わないのです。
 池田大作「あんたオカマバーで働いているの? 男のくせに偉いね。稼げるの?」、学会員男「いや、何とか頑張っています」、池田大作「偉いものだな。それこそ真の男子部だ」と言うのです。レズでも、ホモでもみんな「偉いね!」と言うのです。
 パンスケをやっていても「偉いね。女は一人の男をもてなすのも大変なのに、1日10人の男をもてなしているの? 大したもんだね。偉いね」と言うのです。これが池田大作の手口です。
 人間は「偉いね」と言われるとしびれてしまうのです。誰もそんなことを言ってくれません。「あんたは偉い!」これが一番の殺し文句です。「あんたは偉い!」これをやっているとお金持ちになれるのです。やってみてください。
 しかし、「あんたは偉い」と言ったら指導はできなくなってしまいます。「あんたは偉い」と言ってはいけないのです。「貴方のこのような点がダメね。もっと人間性を磨かないとダメね」というのが本当の指導です。それを素直に聞けば、どんどんよくなるのです。
 「あんたは偉い」と言われると、「なんか、俺は偉いのかな?」と思って、ますます人の話を聞かなくなってしまいます。そのようになってしまうから、褒めることと、指導することを使い分けていくことが大事です。
 「あんたは偉い」と言ったり、「お前は馬鹿だ」と言うのです。池田大作は、幹部にはそれをやったのです。北条浩さんは大変だったのです。池田大作はいきなり「北条君、踊ってみろよ」と言って、踊らせたのです。
 北条浩さんは、踊りなど踊ったことはありません。それでも、ぎこちないけれども出鱈目な踊りを踊ったのです。踊りが終わると、「まったく、北条君の踊りはなっとらんよ。修行が足りないのだよ」と池田大作が言うのです。池田大作は、北条浩さんが踊りを踊れないことを知っていたのです。
 北条浩さんがナンバー2にいたから、みんなの前で恥をかかせたのです。「では、今度は先生が踊ってやろうか?」と言って、「♪日本男児と生まれ来て〜、それ!」と歌に合わせて踊るので、池田大作が格好よく見えるのです。
 池田大作は踊りを習っていたので、踊りが上手かったのです。習ったのですから当然です。そのような人心掌握術をやったのです。ナンバー2に恥をかかせて、自分が脚光を浴びるようにわざと仕向けたのです。
 それから池田大作は弟子の信心を試したのです。池田大作は、メロンをガブッと食べて、「ほら、食べな」と弟子に渡すのです。すると池田大作は弟子の顔色を見ているのです。弟子が一瞬でもためらったら、「お前、背き了(おわん)ぬだぞ!」と言ったのです。
 だから、池田大作の食いかけたメロンを「先生のメロンは美味しいですね」と泣きながら弟子は喜んで食べたのです。そのメロンをどんどん回していったのです。
 それから創価学会には、まだおかしなことがあります。それはお墓です。僕の知り合いの創価学会員のオバサンはお墓を3つ持っています。蔵王の麓に1つ、北海道の小樽に1つ、東京に1つです。それから、富士大石寺に一つです。
 創価学会は当初、墓苑事業はやっていなかったのです。大石寺が創価学会のお墓を受け持っていたのです。「お墓は結構儲かるな。お墓をやらないわけにはいかないよ」と言って、創価学会もお墓を売りだしたのです。
 学会員が「お墓に入る骨がないのですが」と言うと創価学会幹部は、「先祖代々のお寺のお墓を解約しなさい。この創価学会がつくってあげたお墓に埋めかえなさい。そうれば先祖は喜ぶよ」と言ったのです。
 「本当にそうなんですかね?」と、創価学会員はみんなそう思ったのですが、先祖代々のお寺のお墓を解約して、学会の造ったお墓に先祖の骨を入れたのです。
 日蓮正宗は、昔からお墓をもっていたのです。富士の麓にお墓があったのですが、創価学会と喧嘩したので、池田大作は「お墓を全部、掘り返して来い!」と言ったのです。僕の知っている創価学会のオバチャンは、わざわざ富士大石寺まで行って、先祖のお骨を掘り返しに行ったのです。
 お骨をもって帰ってきて、どこのお墓に入れたのかは知りません。3つあるどこかのお墓に先祖のお骨を入れたのです。4つもお墓をもっていたら、そんなところに誰も行きません。どうするのでしょうか? 
 お骨は、一つのお墓にしか入れません。すると創価学会の幹部は、「分骨してお墓に入れなさい」と指導をしたのです。一体の骨を、「これは小樽、これは蔵王、これは東京と分骨して埋めるのです。そうすれば、何個でもお墓を持てるわよ」と指導をしたのです。
 学会員はお墓を何個持つのかが自慢になってしまったのです。学会員A「私、またお墓を買っちゃった!」、学会員B「あら、貴方いいわね。何個目?」、学会員A「4個目よ」と、馬鹿馬鹿しい話で盛り上がって自慢しているのです。創価学会は、そのような邪教の指導をしていたのです。(25に続く)


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2020年02月20日

人間の探究 1476 宇宙にゼロはあるのか? 

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※(新型コロナウイルス)神は面白いから生命を創造しているのです。「今度は、ウイルスも創造しちゃおう。こんなに人間が増えてきたから、ウイルスも創ってしまおう。人間とウイルスが出会ったら、どうなるだろうか?」と神は思っているのです。


人間の探究 1476 宇宙にゼロはあるのか? 

 この世に誰が生命を生み出しているのでしょうか? 「卵が先か、鶏が先か?」この答えが面白いのです。普通は「卵が先だ」と答えますが、違うのです。分子生物学的にとらえていくと、鶏が先なのです。では、その鶏は誰が創ったのでしょうか? 鶏を造った者は誰なのか、明らかになっていません。
 いきなり生命はポカッと生まれてくるのです。鶏は卵を産みます。卵からまた鶏が生まれてくるのです。最初の鶏は不思議なものでポカッと産まれてきたのです。
 人間もそうです。最初の人間はポカッと産まれてきたのです。「生物がアメーバから進化して、哺乳類になり、猿になり、人間になった」というのは出鱈目です。そんなことはありません。その点に関して言えば、「神は種(Seeds)を造りたまえた」という聖書の言葉は正しいのではないかと思います。
 いろんな種を神が創ったのです。種は種の通りに生きるのです。種を途中で変えることはできません。神が設計図を創ったのですから、人間が勝手にDNAを変えて他の種に変えることはできません。
 生命はどんどん出来ています。恐竜もできてしまうのです。恐竜は誰が創ったのかわかりませんが、生命の創り手がいるのです。神の設計図というものがあり、神が「このような生き物を創ろうかな?」と神が設計するのです。
 何故、生命を創っているのでしょうか? 神は面白いから生命を創っているのです。神は創造することに意義を見出しているのです。創造とは、物を創るところに意味を見出しているのです。だから、神のことを「創造神」といいます。
 神はどんな生命でも創るのです。「面白いものが出来たな」と思っているのです。生命を創ることに喜びがあるのです。「では、もっと違う生命を創ってみようかな。今度は、しっぽがある生命を創ってみようかな」と神様が創造すると、この世にしっぽのある生命がポカッと産まれてくるのです。
 まさに創造神です。人間が生まれたのもそうです。「今度は、人間みたいなものを創ろう」と思うと人間がポカッと産まれてくるのです。「どこから人間が生まれてくるのか?」というと、人間は類人猿からは生まれません。人間は人間として生まれてくるのです。
 神の創造の設計図にあたるものを妙法といいます。「神はどのように設計図を描いて、どのように生命を創っているのか?」ということは、人間には考えもつきません。もちろん、それはDNAの世界です。そこで設計図を引いているのは、神なのです。
 神は目に見えません。仏法では創造主のことを妙法といいます。全てのものは妙法から出ているのです。仏法の教えはそうです。故に無量義経に曰く、「無量義は一法より生じる」と言うのです。妙法という一つの法があり、それはどんなものにもなり得るのです。
 神は、決して人間のためだけにこの世界を創っているのではありません。「人間を創ったら、今度は何を創ろうかな? あいつには牙をつけてあげたけれども、爪もつけてあげようかな?」と設計図を引くのです。牙もあって、巨大な爪があれば強いのです。人間には牙もない、爪もない、毛皮もありません。「裸の人間を創ったらどうなのかな? これは面白いな」と神は思うのです。
 それが、神がこの世を創造した目的です。面白いから創造しているのです。「今度は、ウイルスも創造しちゃおう。こんなに人間が増えてきたから、ウイルスも創ってしまおう。人間とウイルスが出会ったら、どうなるだろうか?」と神は思っているのです。
 他の動物はウイルスが体内に入ったら、脳がありませんから滅びてしまいます。「ライオンも死んでしまった。象も死んでしまった。人間だけがウイルスと懸命に戦っているな。爪もない、牙もない、毛皮もない人間がウイルスと戦っている。人間がウイルスに勝利したな。人間は凄いな。人間より強いものは何だろうか?」と神はどんどん面白いものを創っているのです。その歴史です。
 みんな「何のために生命を創っているのか?」と考えるから、わけがわからなくなってしまうのです。神が人間を創るのは人間のためではありません。面白いから世界全体を創っているのです。
ですから、どんな生命でも出てくるのです。「今度は、宇宙人を創ってやろうかな? 宇宙人が地球を訪れたらどうなるだろうか? これは面白いな。宇宙人と地球人の戦いかな? 面白いな。もっと創ってやろうかな」と神は生命を創ってしまうのです。「宇宙人は100体ぐらい創ろうかな? 色んな種類の宇宙人を創って戦わせたら面白いな」と神は生命を創ってしまうのです。どんどんエスカレートして、何処まで行っても終わりません。
 それが現実の創造ということです。創造は妙法に由来するのです。仏法では妙法ととらえたけれども、西洋人は創造の秘密を細かくして科学的にとらえようとしたのです。いくら人間の智恵で科学的にとらえようとしても、創造の秘密だけは解けません。誰がやっているのかわかりませんが、間違いなく創造している者がいるのです。だから、現実的に生命が生まれてくるのです。
 「今度はウイルスか、今度は何を創ろうかな。全ての生命が絶滅して恐竜が生き延びたのか。面白いな」と神は思っているのです。神は、面白いことは何でもやるのです。神は面白いから生命を創っているのです。
 そのように考えるとこの世の中の仕組みがみんなわかってきます。それは人間が考えても絶対にわかりません。「神とは何だろうか?」と考えてもわかりません。神がいることだけは証明されているのです。何故でしょうか? それは、生命がいるからです。生命がいることが、神のいる証明です。
 大事なことは、仏法は智法です。これは宇宙にゼロがないように、智法は知らなければないのです。有る法ではありません。仏法の妙法をいくら探しても、顕微鏡でも見えないし、望遠鏡でも見えないし、何処を探してもありません。
 これが永遠のゼロです。百田尚樹さんも、そこまで深くわかっていません。何だかわからないけれども、「永遠のゼロ」と言っているのです。言いたかったことはそのようなことです。
 自分たちの頭では考えられません。そこに仏教は肉迫していったのです。「生命を何とかわかりたい」と思って血のにじむような努力をして、生命というものを探そうとした旅なのです。
 その点で石田先生は半分の理論は正しくて、半分の理論は間違っています。それは大石寺の板本尊が世界中を救うというならば、世界中に本尊を担いで回ればよいのです。「御本尊様のお通りだい。ワッショイ・ワッショイ! そこどけそこどけ頭が高い。御本尊様のお出ましだ!」と言って回れば、どんどん病気も治り、世の中の人々は幸福になっているはずですが、そんなことはあり得ません。御本尊は智法です。大石寺の誤りは、御本尊を境法にしてしまったことです。境法・智法論でした。


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