2017年06月19日

人間の探究 789 宗教批判の原理

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※あらゆるものは、万法無実体無本質・諸法因縁仮和合です。貴方は、仮に和合して今、たたずんでいるだけで、実体はありません。

人間の探究 789 宗教批判の原理

 日蓮大聖人様の仏教は宗教の批判から始まります。門下生と称する人々は、悉く諸宗の事情に通暁しなければなりません。
 これは凄い考え方です。「個人も国家も民族も、その保つ宗教により未来は変わる」という考え方です。学問的に言うと「比較宗教論」といいます。思想だけを比較したのは、「比較思想論で」です。
 日蓮大聖人様は歴史上初めて、宗教批判の原理を打ち立てられて、「如何なる宗教が正しいのか?」ということをお示しになられたのです。「正しい宗教を保つならば、その民族は栄え、個人も栄え、国家も栄えて世界も平和になっていくだろう」という教えです。
 このような原理で物を考えた人はいません。今の日本の憲法もそうです。「宗教の自由」と言いますから、「何の宗教を信じても自由だ」と言います。宗教法人は18万団体もあります。
 「キリスト教も、イスラム教も、仏教もみな宗教は同じ」と思っています。何が同じなのかというと、「信じる」ということだけは同じです。何を信じたのかによって、その人の人生には、ハッキリと結果が出てくるのです。宗教は薬のようなものです。「この薬が体に効きますよ」と言われて飲みました。最初はなんだかわかりませんが、良い薬を飲んでいる人はだんだん健康になり、薬だと思って毒薬を飲んでいる人は、どんどん毒が体に回って死んでしまうのです。これは笑い話ではありません。
 現在でも水銀という毒物があります。水銀は昔、長寿の薬として信じられていました。秦の始皇帝が「永久に生きる薬はないのか?」と言うので、詐欺師が「よい薬があります」と言って、水銀を飲ませたのです。
 始皇帝は結果的には死んでしまいました。それと同じことです。毒も少しずつ摂取すると、毒を取っていることには間違いありません。毒が効いてくると寿命が終わってしまうのです。反対によい薬を飲んでいる人はだんだん体が丈夫になり長生きできるのです。飲むものによって人間は変わるのです。
 一番大事なものは宗教です。それを日蓮大聖人様は教えられたのです。宗教は毒にもなるし薬にもなります。「この宗教はよい宗教なのか、悪い宗教なのか?」とよくよく吟味して、どのような結果が出てくるのかを考えてから信じるのです。
 今の創価学会員は「何を信じようが勝手でしょう」と言います。そこからして狂っています。日蓮大聖人様が教えられた宗教批判の原理によって、五重相対などをわかった上で信仰を進めなければいけません。
 日蓮大聖人様の仏教は、信仰を進めていくと正理(しょうり)を極めることになるのです。板本尊を信じ込んだり、キリストの像を信じ込んだりすることではありません。「何を信じてよいのか?」という道理をよくわきまえて、「これは捨てなければいけない」「これは飲んでもよい」ということを厳密に区別して、正理(しょうり)を修業していくことです。
 「あなた、それは毒薬だよ」と言ってあげなければいけません「お前、毒薬を飲んで馬鹿だな」などと言ってはいけません。わからないで変な宗教の奴隷になっている人は可哀想なのです。
 慈悲を持って見ていると、本当に可哀想だから自然に「よしなさい」と言う言葉が親心から出るのです。「貴方が飲んでいるのは毒薬ですから止めなさい」と言うと、創価学会員は「何を飲もうと個人の自由だろう。宗教は自由だ!」と言って聞く耳をもちません。そのこと自体、日蓮大聖人様の弟子ではないとわかります。
 どこまででもその考えを教えて、正しい理を歩んでいかなければいけません。正理(しょうり)にはどのようなものがあるのかというと、仏教には仏教の正理があります。日本国には日本国の正理があるのです。家庭には家庭の正理があります。家庭の正理とは、一家の主人を中心にして、主人を立てていくことです。
 主人はみんなを守ることです。これが家庭の正義です。親は子供を養い、子供は親の言うことを聞いて、スクスク立派に育っていくことが家庭の正義です。この家庭の正義がなくなると、親は責任を取りません。昼間から酒を食らって家にいるのです。そうなると家庭は滅茶苦茶です。お金がないからその家はやっていけません。
 するとお母ちゃんが働くようになるのです。ますます子供は滅茶苦茶になりますから、勉強などできません。それは家庭の正義ではありません。家庭は一家の中心者が働いて、お金に困らないようにして、お母さんが一生懸命気配りをして、子供を育てていくということが当たり前です。これは理屈も何もありません。家庭の正義です。
 国家もそうです。「政治家はヤクザと同じだ」などと言われないように、公を考えた上で、天皇のお心を拝して、行動をしていかなければいけません。「国民の税金は俺たちのものだ」などと馬鹿なことを言っているようでは、どう考えても正義ではありません。「国民は誤魔化せばよいのだ」などというのも正義ではありません。
 日蓮大聖人様の宗教批判の原理の第一番にくるものは、五重相対です。五重相対とは、「宗教を五段階に分けて分析していきなさい」ということです。一番に「何故、仏教が優れているのか?」ということを明らかにされているのですが、「何に対して優れているのか?」というと、それは外道に対してです。
 お釈迦様の頃は外道のバラモン教が流行っていたのです。汚い格好をして、川に入ったり、断食したり、カラダに白い粉を塗ったりしていたのです。白い粉とは人間の骨の灰です。それを人間のからだ中に塗っていたのです。そのような邪教の連中が仙人と称していたのです。そんな連中が大勢いたのです。
 お釈迦様はそれらのインチキ性をスパンと見抜かれたのです。お釈迦様以外の教えを外道と言ったのです。お釈迦様が見ていると、そんなことをしても誰も救われていません。難行苦行で滝に打たれたり、断食をしたり、石の上に座ったり、何日間も寝ないでいたり、そんなことをして何になるのでしょう。
 お釈迦様は若い頃、外道から入りました。お釈迦様は「人間はなぜ死ぬのか。人間は生老病死が訪れて必ず死にます。これから離脱する方法はないのか?」と考えてバラモン教に出家したのです。様々な難行苦行を誰よりもやられたのです。
 「あんな修行はできないよ」と言われるくらいの苦行を修行されたのです。お釈迦様から言うと、「こんなに修行したのに、私は何も悟っていない」ということです。従って結論は、「このような修行の仕方は間違いである」と悟られたのです。
 お釈迦様は「間違った外道の修行はやらない」と決めたのです。断食することには、何の意味があるのでしょう。生きている以上は、ご飯を食べることは当たり前です。お釈迦様は苦行を止められて、スジャータの差し出した乳粥を食べられて元気を取り戻したのです。
 よく眠り、よく物を考え、木の下に座って命を整えていったのです。苦行の反対です。正しく呼吸をして、正しく物事を見て、正しく物事を考えていったのです。そして、菩提樹の木の下で瞑想したのです。すると恐ろしい姿で魔が現れて「この修行を止めろ。この修行を止めないとお前を地獄へ引きずり込むぞ!」と言うのです。
するとお釈迦様は、「お前が魔であることは私にはわかる。目の前から消えろ。魔よ去れ!」と言われたのです。菩提樹の木の下に7日7晩座って、遂にお釈迦様は真理を悟られたのです。
これが仏教の始めです。仏教と外道は明らかに違います。外道は難行苦行のバラモン教です。それだけではありません。外道は悪いのです。何が悪いのかというと、外道は霊魂を説きます。
外道は「人間には霊魂(我)がある」と説きます。その我(が)は、死んでもなくなりません。「お前の本体は奴隷です。だからまた奴隷に生まれてくるのだ」、これでは言われたほうは、たまりません。「お前は百姓なのだ。だからまた百姓に生まれてくるのだ」と言うのです。「お前はクシャトリア(武士)だ。また死んでも生まれてきて戦いをやるのだ。永久に戦いを続けるのだ」と言うのです。
「それは何とかならないですかね。今世はあきらめますが、来世は同じではたまりません」と皆震え上がってしまったのです。一番偉いのはバラモン階級の坊さんです。これは統治のためには都合がよいのです。「お前は今奴隷だから永久に奴隷なのだ。少しでもよくなりたかったらバラモンの言う通りにするのだ。そのうちいいことがあるかもしれない」と言うのです。そのいいこととは、「また人間に生まれて他の階級に生まれるかもしれない」ということです。本当は生まれないということを言っているのです。奴隷は永遠に奴隷です。
お釈迦様は「世の中に変わらざる魂というものが存在するのだろうか?」ということを考えられたのです。結論は、「我(が)はないのだ」ということです。
「仏教は何を説いたものか?」と聞くと「無我を説いた」と答えた人は正解です。仏教は無我を説いたものです。「我(が)がある」と説くのは、バラモン教である外道です。
それはなぜでしょう。あらゆるものは仮に集まって、そして消えていくのです。生きている人間も、死んでしまえば燃してしまい、灰になってしまうのです。「今、生きている」というものが集まって、仮にたたずんでいるだけで実体はありません。所縁が集まって、実体のように見えるけれども、実は実体などありません。
今生きている人間は、やがて死んでしまいます。誰でも死んでしまうのです。ということは、「ここにいる」と思うことは、実体ではありません。実体だと思うから苦しむのです。「実体がある」と考えるから「霊魂がある」と考えるのです。
あらゆるものは、万法無実体無本質・諸法因縁仮和合です。貴方は、仮に和合して今、たたずんでいるだけで、実体はありません。実体は無我です。諸法無我=あらゆるところに我というものは存在しません。
諸法因縁仮和合=たまたまあらゆるものが集まって仮にたたずんでいるだけで、実有(実際にある我)ではありません。
これをお釈迦様は悟られたのです。これをお釈迦様の三法印といいます。あらゆるものに我はありません。無我であり、あらゆるものに移り変わっていくのです。
幸せを求めても無いものを求めているのですから、得られないのです。涅槃寂静という境地に達しないと本当の幸せを得ることはできません。この世で巨万の富を得ても、涅槃寂静というものをつかまない限りは、安心できません。「涅槃寂静になるように頑張っていきましょう」というのが、お釈迦様の教えです。
これが根本的に違うのです。バラモン教は我を説きます。「輪廻しても我はなくならない」と説きます。仏教では我はありません。それも消えてしまうのです。何も無いのかというとそうでもないのですが、霊魂という変わらない実体はありません。どんどん変わっていきます。
昨日と今日は違います。今日と明日は違います。毎日人間は変わっていくのです。問題点はよく変わっていくか、悪く変わっていくかです。例えこの身は滅びてもよい方へ変わっていけばよいのです。
そのようなものが仏教です。仏教は内道です。仏教以外の教えが外道です。キリスト教も外道です。「神は実体である。人間には精霊があり、その精霊が死後裁きにあう。神の教えに従っていくならば死後天国へ行ける。神の教えに従わなければ地獄へ行く」というのがキリスト教の教えです。これはイスラム教でも同じです。魂の救済というのです。
宗教というものを大きく分けて、「無実体を説いた仏教が優れているのか、実体を説いた外道が優れているのか?」とうことを研究して、自分でわかっていかなければいけません。これを内外相対論といいます。
いまの創価学会の連中は何も勉強していないのでわかりません。極めていこうとしないのです。一応、「内外相対論」という言葉は習うのですが、「内道は外道に優る。何故優れているのかというと、因果の法則があるから」で終わってしまうのです。その程度の理解では、内外相対はわかりません。
バラモン教、キリスト教などの、外道といわれるものを知っていかなければ、内外相対論を超えられません。日蓮大聖人様の仏教はそれを超えていくことです。「内外相対論がわかったぞ!」とわかったら、次の段階にいくのです。しっかり勉強してください。

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この記事へのコメント

1. Posted by 紅葉   2017年06月19日 07:58
5 「個人も国家も民族も、その保つ宗教により未来は変わる」



正理会で学んで行くと、本当にこのことが分かるようになります。多くの人が宗教なんて何を信じても自由だと言いますが、その宗教によって人生が全く変わってしまいます。何かの宗教に入信する前に宗教についてきちんと学ぶことが大事だとおもいます。
2. Posted by 主任教授 さえこ   2017年06月19日 09:16
5 今日の講義「宗教批判の原理」拝読しました。

>日蓮大聖人様の仏教は宗教の批判から始まります。門下生と称する人々は、悉く諸宗の事情に通暁しなければなりません。

今日の講義で一番大事なことは、これです。
人を変えるのではなく、日蓮大聖人様の門下生と称するならば、どこの宗派も諸宗を勉強しなければいけません。

>「個人も国家も民族も、その保つ宗教により未来は変わる」という考え方です。

宗教はすべて同じではありません。
信じた結果、創価学会員のように不幸になったりする人もいれば、正理会で学んで仏になれる人もいます。

まずは、宗教は信じたじた結果はすべて違うということを知らなければいけません。

その中で五重相対を最初に勉強していきます。
五重相対では、内外相対をはじめに勉強します。
「内道とは何か?」「外道とは何か?」ということを最初に勉強するのです。

>日蓮大聖人様が教えられた宗教批判の原理によって、五重相対などをわかった上で信仰を進めなければいけません。

このようにどこまででも自分で進めていくのです。
それも正しい師匠に教わらなければ永遠にわかりません。

正理会の中杉博士より学び、仏になる修行を進めていきましょう。
3. Posted by マリー   2017年06月19日 16:18
今日の講義は三島由紀夫氏が読んでいたら全ての謎が解けていたと思います。
豊穣の海を書いても生命の謎が解けてなかったみたいですが、博士から教えてもらえたら生命の真相が理解できたと思いました。
4. Posted by うっちゃん四兄弟   2017年06月19日 17:29
「博士のブログ」ランキングただいま2位!
「博士の徒然日記」ランキングただいま30位!

みんな職場&学校&自宅のPC、スマホからクリック!!

「異体同心」で正しいことを広めていこう!!
5. Posted by 神田美代子   2017年06月19日 18:30
5 >日蓮大聖人様は歴史上初めて、宗教批判の原理を打ち立てられて、「如何なる宗教が正しいのか?」ということをお示しになられたのです。

もしも日蓮大聖人様が宗教についての原理を何も打ち立てられなかったら、私たちは永遠に何も知らないまま念仏や真言宗の害毒で地獄に堕ちていたはずです。それくらい私たち衆生は何も知らない、何も分からない無力な存在です。

自分が真っ暗闇の中を流されている事すら気が付かずにいる人が殆どだと思います。正理会はそんな人々に救いの手を差し伸べられる唯一の教団です。
6. Posted by 一読者   2017年06月19日 19:35
>毒が効いてくると寿命が終わってしまう

両手両足切断と言われる池田、病気、激太り、生活保護となり死亡した朱里エイコ、次はあの学会芸能人の天地真理や久本でしょうか。
7. Posted by 弥生   2017年06月19日 19:38
>日蓮大聖人様の仏教は、信仰を進めていくと正理(しょうり)を極めることになる

正理(しょうり)を極めていないからこそ、学会員は犯罪、不倫や昼から飲酒など不道徳であると思います。

8. Posted by ASUKA   2017年06月19日 19:42
>日本国には日本国の正理がある
家庭には家庭の正理があります。家庭の正理とは、一家の主人を中心にして、主人を立てていくこと

「離婚学会」、「不倫学会」と言われる創価学会、「家庭の正理」がないですね。
9. Posted by 佳子   2017年06月19日 20:10
学会員が「幸せを求めても無いものを求めているのですから、得られない」人々ばかりであるのは、本日のご講義の通り、「保つ宗教により未来は変わる」ことを知らないからですね。
10. Posted by 副主任教授   2017年06月19日 20:22
中杉博士、本日もご講義有難うございます。

>個人も国家も民族も、その保つ宗教により未来は変わる

博士より学んできた皆さんは、次第に分かってきたと思いますが、学会員などは、欲望を刺激され、あるいは身寄りがなく、頼るものは学会組織しかないという者、学会員だから生活保護を受給されている者は、学会奴隷であり、奴隷になると正しい判断や思考が出来なくなり、「何を信じても自由です」、「他の人とお話ししません」と言うようになります。

「選挙やると功徳が出る」、「大石寺の板本尊を拝めば祈りが叶う」、このどこにも「正理」はなく、彼らと接していると奇跡を期待しながら、本心では学会員は何も信じていないからこそ政治権力で自分たちの自由にしようとしたり、大石寺、法華講は「正理を極める」など面倒なので大石寺という寺社権力に頼り、大石寺の日顕のように、「紫宸殿ご本尊は、最初から師資伝ご本尊だった」とウソをつきます。

仕事、信仰、博士の教えを学びながら、どちらでも「正理を極める」、大変なことですが、その「思索」をしないと法華講のように「板本尊絶対視」、学会など選挙奴隷の方が楽なので、そうなってしまいますが、その先はどちらも地獄です。

そうならないように、正しい師・博士に学んでいきましょう。
11. Posted by 参照数   2017年06月19日 23:52
ただいま957
12. Posted by 青山   2017年06月20日 18:51
5 御講義ありがとうございます

一番大事なものは宗教で、宗教は毒にもなるし薬にもなり「この宗教はよい宗教なのか、悪い宗教なのか?正しい判断ができなければいけないと思いました。

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