2017年12月06日

人間の探究 912 仏教は無我を説く

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※バラモン教には階級があり、バラモン・クシャトリア・バイシャ・シュードラという四階級がありますが、実はもっと細かく分かれていて何百という階級があるのです。

人間の探究 912 仏教は無我を説く

 仏教の初歩で習う「諸法無我(しょうほうむが)」という教えがあります。諸法とは、神羅万象あらゆることです。無我とは、「あらゆることに我はない」ということです。
 諸法無我、あらゆることに我はないのです。実は何回もこの話をしていますが、仏教の入り口論はこの「諸法無我論」です。あらゆるものに我はありません。この反対のものが「有我論」です。「全てのものに我がある」というのです。
 あらゆる我が集まって集大成したものが諸法有我論です。実は仏教出現前のバラモン教は全て有我論だったのです。プドガラ主義といって、「あらゆるものに我がある」と説いたのです。生きとし生きるものすべてに「私」という我があるというのです。
 「世界は何ですか?」というと、「我(アートマン)」の集合体です。みんなに我があるのです。Aさんにも、Bさんにも犬にも猫にも我があるのです。「世界は何ですか?」というと我の集合体です。
 このような考え方をプドガラ主義といいます。仏教出現前のインドのバラモン教では、このようなことを説いていたのです。「我(が)には終わりがない。我は永遠だ」と言うのです。我のことをアートマンといいます。
 別の言葉で言うと、「世界はアートマン満ちている」と言ったほうがよいでしょう。アートマンは犬にも人間にもあります。この「アートマンは永遠の存在なのだ」というのです。貧乏人の馬鹿な自分を「自分」と思っているアートマンは永遠の存在です。貴方は死んでまた生まれても馬鹿であるし、今と何も変わりません。
 しかも、これは永遠に続くのです。終わりはありません。バラモン教にはバラモン・クシャトリア・バイシャ・シュードラという四階級がありますが、実はもっと細かく分かれていて何百という階級があるのです。
 それは永遠の存在です。今、貴方はクシャトリアという戦士をやっていますが、貴方が死ぬとまた戦士に生まれてくるのです。生まれてくるたびに戦士です。そして、殺されるのです。
 貴方は今奴隷です。奴隷は永遠に奴隷です。奴隷から脱却しようなど、くだらないことを考えないほうがよいのです。いくら考えても奴隷は奴隷です。犬は犬です。犬が豚になったり、馬になったりはしません。永遠に犬なのです。それが貴方なのです。これがバラモンの身分制度です。
 「今回、おれは奴隷をやっているけれども、この次は奴隷でなく生まれたい」そう思っていたのです。「俺は今、豚で人間に食われるのだけれども、今度生まれるときはもうちょっとましなものに生まれたい」と思うのです、豚は永遠に豚だから、何をやってもダメです。
 このような考え方を諦観(あきらめる)といいます。「あきらめなさい。奴隷の魂に感謝しなさい。奴隷として一生懸命働くのだ。そうしたら、また奴隷に生まれて幸せですよ」このような考えです。
 そこに出てきたのがお釈迦様です。今から2500年前に出てこられて「人間に我はない。諸法は無我である。あらゆるものには我はない」と言われたのです。「ええっ、無我なのですか?」とみんな驚いたのです。「我はありません。みんな輪廻転生して変わっていくのです。我がないから変われるのです。貴方の今の奴隷の姿は、生命が転換していく一コマにしかすぎません。貴方が死んだら、今度は奴隷ではなくなります。しかし、何に生まれるのかわかりません。」と言われたのです。
 人間はどんどん輪廻転生しているのです。Aさんのままで生まれ変わるわけはありません。どんどん変化しているのです。あらゆるものに我はありません。これを諸法無我というのです。
 人間の苦しみというものは、本当は無い我を「永遠に保とう」とするからです。健康食品を飲んだり、ボディービルに通ったりして肉体を鍛えて、永遠に肉体が続くと思っているのです。女は少しでも美を保つように努力して、「永遠に私がある」と思い込んでいるのです。
しかし、諸法無我を思い知らされる時が来るのです。人間は必ず死ぬのです。そのときに、「ええ!」と思うのです。
 今までは「美容だ」「健康にはサプリだ」とやってきたのが、いくら飲んでもそれ以上効きません。崖から突き落とされたような絶望感を感じるのです。それが人間の悩みの本性なのだとお釈迦様は見抜かれたのです。
 我があると考え、我に執着して、それをなくさないように努力をするところに人間の苦しみが生まれるのです。無くなるものを「無くならないようにしよう」というのは執着です。
 そこで「助けてくれ、死にたくない!」と自分の我にしがみつくのです。しがみついても「自分」というものはないのですから、ズルズルズルと落ちてしまい、大変な恐怖を感じるのです。それで人間は生に執着してしまうのです。
現実に守銭奴がいます。守銭奴は金にしがみついているのです。「何より大事なものは金だ。おれは金だけあればよいのだ」と言って、金に執着してしまい、「一銭も人にはやならい!」と金にしがみつくのです。それは苦しみそのものです。
これがわかるだけでも、人生は軽くなるのです。「あの野郎、憎いから殺してやろう」これも我の現れです。「殺すほど憎らしい」そんなふうに思ったら、これは我なのです。
我にしがみついて「あの野郎が俺にこんなことをやりやがった。だからあの野郎は憎らしい」と思ってしまうのです。それが苦しみになってしまうのです。
人間社会で和解できないのは、みんなが「諸法無我」だとわかっていないからです。だからトランプのように「俺はアメリカ人だ。アメリカの利益を損なうようなことは、一歩たりともやらない」などということになります。それは絶対に他国と喧嘩になります。次から次へと争いになるのです。
まず、人生を上から達観する必要があります。達観する見方を、バーチャルリアリティーといいます。何事も本当のことはありません。諸法無我です。自分が創り出した妄想を「現実だ」と思って見ているのです。その妄想の中に苦しみと、悲しみと、憎しみと、欲望を抱えているのです。全てバーチャル世界です。
欲望はあってもよいのですが、「この世はバーチャル世界だ」と知ることが大事です。この世はバーチャル世界ですから、命を賭けて争うようなことはないのです。それは妥協すればよいのです。
北朝鮮は「原爆は一歩も譲らない!」と言っているのです。妥協を拒否しているのです。それではダメです。妥協することがわからなければ人類ではありません。「自分はこれだけ引くから、貴方もこれだけ引いてくれ、仲良くやりましょう」ということです。
「俺は一歩も引かない。お前が引け!」と言ったら、喧嘩を売っています。人生全体はバーチャル世界ですから、仲良くやりましょう。
諸法無我だから、諸行無常です。無我だからこそ、あらゆるものが移り変わるのです。諸行無常は「あらゆるものが移り変わる」という意味です。そのように考えるところに、我(アートマン)を解脱することができるのです。
仏教の最終目標は解脱です。解脱とは、何から何を解脱するのでしょう。自分の煩悩から解脱をするのです。
麻原彰晃が狂って、「アートマンが空中に浮き出るのだ。それが修行だ」とピョンピョン飛び跳ねていたのです。あれは我(アートマン)を肉体から出そうと思ってやっていたのです。そんなことをいくらやっても肉体から出られません。解脱とは、執着からの解脱です。以上!


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この記事へのコメント

1. Posted by 主任教授 さえこ   2017年12月06日 09:31
5 今日の講義「仏教は無我を説く」拝読しました。

今日の講義を読めば、創価学会は有我論です。

池田大作は「我をパンパンに張ってお口を上手に使ってウソをつくのだ」と学会員に教えています。

全く仏教をわかっていません。

創価学会は「釈迦仏法に帰れ」と言っていますが、お釈迦様が説いたのは無我論です。

これを見ても創価学会は出鱈目な団体だとわかります。
誰も成仏しません。

我をパンパンに張った先は地獄です。
そんなものはないから地獄へ行くのです。

>まず、人生を上から達観する必要があります。達観する見方を、バーチャルリアリティーといいます。何事も本当のことはありません。諸法無我です。

これがわかると、仏教の初歩です。
仏教はまだまだ奥が深いのです。

仏教を学び、凡夫の疑う心を破っていくのです。

すると「このまま信じてよいのかな?」という己心の魔が現れてきます。

これを打ち破って進むと仏になっていくことができるのです。

仏道修行は自分との闘いです。
人は関係ありません。

中杉博士より正法を学び、自らも仏になっていきましょう。

2. Posted by 青山   2017年12月06日 14:22
5 御講義有難う御座います


執着し我をパンパンにはったからといって、永遠と物事や物が残る訳ではないので、妥協する心は必要であると思いました
3. Posted by 読者   2017年12月06日 17:50
我をパンパンに張った学会の池田は両手両足切断、発狂し死亡したそうですね。
4. Posted by ASUKA   2017年12月06日 19:38
>3

「我をパンパンに張るとこうなる」と池田自ら証明していますね。
5. Posted by 徒然日記からの来訪者   2017年12月06日 19:52
「我をパンパンに張って!」と学会員にすすめていた池田が両手両足切断、発狂し死亡、まるで「ブラックジョーク」を聞いているようだと思いました。
6. Posted by 愛子   2017年12月06日 19:59
池田、麻原、邪教の教祖の最期は、あまりにも哀れです。
7. Posted by 佳子   2017年12月07日 01:07
>解脱とは、執着からの解脱

本日のご講義、博士の教えは全てそうですが、何度も拝読し、実践、反省し、身につけていかなければならないと思います。
8. Posted by 古都   2017年12月07日 10:53
>解脱とは、執着からの解脱です。
博士の教えは、とても明快ですね。オウムなど、解脱の解釈を誤ったので、サリン事件に発達したことがわかります。

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