2018年01月12日

人間の探究 935 仏罰とは「自分で飛びこむ井戸の水」

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※今では大仙古墳と言われて「仁徳天皇陵ではない」と言われていますが、国民が「創らせてください」と言って造ったのが、世界最高の仁徳天皇陵です。」凄い話です。仁徳天皇陵が正解です。

人間の探究 935 仏罰とは「自分で飛びこむ井戸の水」

 これは松尾芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」を「井戸の水」に例えたものです。仏罰というと皆さん非常に興味を持ちますが、悪いことをやると仏様が現れて「お前には仏罰を下す!」と思っているのです。
 或は閻魔大王が現れて「お前は悪いことをしたから、舌を引き抜いて、地獄へ連れていくぞ!」と言われるようなことが仏罰だと思っています。閻魔大王から判決を下されて、連れていかれるのは血の池や針の上など、大変なところへ連れていかれるのです。
 しかし、そうではありません。仏罰とは、誰かが当てるものではありません。自分で当たってしまうのです。「自分で飛びこむ井戸の水」です。人間は自分でやった行いに決着をつけていくのです。これが生命の法則です。
 どんな小さなことでも、やった行いは全て自分に返ってくるのです。これには、もっと深い意味があります。どんな小さな悪さでも自分に返ってくるのです。これを依正不二(えしょうふに)といいます。自分の環境に対して、或は人に対して社会に対して悪事を働いたならば、自分と社会の関係は依正(えしょう)です。依報正報(えほうしょうぼう)があり、依法(えほう)をもって正報(しょうぼう)をつくるのです。
 依正(えしょう)とは環境です。みんな環境とは、自分以外の外にあると思っていて、それは関係ないと思っているのです。「私は私で、私と環境は違う。誰かがいて、自分から見ると環境です。他人は環境なのだから、ぶっ殺してもよいのだ。あいつが消えるだけで自分の人生は何も変わらない」。そのような考え方です。特に西洋人はそのように考え方をしています。
 それは表層的な見方であり、もっと深層から見ると全然違います。深層から見ると自分も他人も同じです。依正不二(えしょうふに)です。自分の正報とするものと、依報(自分以外のもの)は、実は一緒です。これは仏様から見るとそのように見えるのです。
 凡夫は自分しか見えません。自分しか見えないから「自分と他人は違う」と見ているのです。「他人に苦痛を与えても、自分は苦痛を感じていない」と思うのです。人をぶっ殺しても自分は生きています。このように考えているのです。
 依報正報が一緒だということがわかっていないのです。自分が創っている世界です。人を殺すということは、殺される人間がいます。時間はずれるのですが、自分も「殺される」ことを感じるのです。
 ある人を不幸に導いて殺します。それで終わりだと思いますが、終わりません。「苦痛を与えられた」というのは自分です。それを必ずどこかで自分が感じるようになるのです。
 「自分と他人は違う。だから人を殺してもよいのだ」と思っているのですが、本当は違います。自分と他人は一緒です。だから、必ず殺された因果を自分も感じるようになるのです。自分が人を殺したのです。「相手を苦しめた」ということを自分がやったのです。その結果を自分も受けるのです。
 戦争をして敵をぶっ殺します。全て自分に返ってくるのです。それがわからないといけません。それがわかる人を「仏」というのです。自分と他人は同じものです。人間だけではありません。草・木・花・動物も同じです。人間は豚や牛を殺して平気で食べていますが、魚も自分と同じものです。動物をぶっ殺して食うということは、実は自分を殺して食っているようなものです。
 それを知らないだけです。今は動物を食べる立場にいるのです。「レストランで魚を美味しく食べている」と言っても、魚にしてみたら殺されて食われてしまうのですから、たまったものではありません。
 魚は殺されて、お皿の上に乗せられて食べられてしまうのです。事実は同じものです。自分と他人ではないのです。自分が感じている環境すべてが、自分のものなのです。そう思うと、慈悲が出てきます。「自分と他人は違う」と思うから、「愛と憎しみ」という感情が出てくるのです。
 「これは俺が気にいっている人間だ」「こいつは嫌いだ」と人間を好き嫌いという感情で見ているのです。全て自分だとわかったら好きも嫌いもありません。「そうか、お前も俺と同じなのか。できるだけ苦痛を与えないようにしましょう。お互いに楽しくできるようにしていこうではないですか」と考えます。
 「自分と他人は違う」と思えば、「お前は憎たらしいからぶっ殺す!」となってしまうのです。どんどんそれをやっていくと、人間は孤独になってしまいます。「自分と環境は違う」と思い込んでいるのです。自分だけの利益のために動けば、その時はそれでいいように思うのですが、結局は自分を荒らしてしまっているのです。「他人と自分は同じ」と考える文明は違うものです。仏教を中心にした文明はそのようなことを説いているのです。
これは政治の要諦で、お正月に竹田恒泰さんが言っていましたが、「弟16代の仁徳天皇の民のかまどの話には、実は続きがあります。庶民の生活が苦しいのだから、仁徳天皇は3年間税金を取らなかったのです。しかし、3年経っても民の生活は一行によくなっていません。民のかまどから煙が昇っていないのです。
 それを聞いた仁徳天皇は税金を3年伸ばしたのです。国民は3年すぎて、「もうなんとかなりました」と言うのですが、「いや、まだまだ煙が足らないぞ」と言うのです。すると、民衆が怒涛の如く立ち上がって御所に乱入したのです。そして、「どうか御殿を立て直しさせてください」と立ち上がったのです。西洋の王様とは逆です。
 「税金を取りすぎるから、天皇をぶっ殺せ」という例はないのです。この仁徳天皇領は、日本の一つの見本になっているのです。天皇も民も一緒です。天皇と民が対立するという構造ならば、天皇だけよければよいのです。「お前ら俺に税金をもってこい。お前らの生活が苦しかろうが、俺は知らない」というのが、西洋の王様の考えです。天皇はそんなことは言いません。仏教伝来以前からの天皇の伝統です。感謝した国民が、世界最大と言われる仁徳天皇領を造ったのです。それ以来、歴代天皇に「仁」の名前がつく天皇が多いのです。
 今では大仙古墳と言われて「仁徳天皇陵ではない」と言われていますが、国民が「創らせてください」と言って造ったのが、世界最高の仁徳天皇陵です。」凄い話です。
 我が国はもともとそのような人を慈しむ精神が身についているのです。そのような精神があったのですから、仏教などいりません。仏教は言葉で説きます。日本は言挙げしない国ですから、グチャグチャと言いません。
 仁徳天皇に感謝をすれば、世界最大のお墓を造り、言葉で表現はしていません。仏教は全て言葉で表現します。便利だから仏教を取り入れたのだと考えたらわかります。仏教では、「全ての生命は一つである」と説いています。
 私も貴方もありません。「私」にこだわる人は、自分に執着しているのです。翻って見ると生命は一つです。「あそこに俺がいる」「ここにも俺がいる」と思うのです。経典の「六窓一猿の喩」で言われているように、生命は窓から顔を出します。豚の顔になり窓から外をのぞきます。豚の顔、馬の顔に見えるけれども、一歩奥に入って舞台裏を見れば、全て同じものです。御書にいわく「然れば八万四千の法蔵は我身一人(日蓮)の日記文書なり」(三世諸仏総勘文教相廃立)
同じ一人の人間が豚の役割、馬の役割をして、たくさんの生命がいるように見えるのですが、根本は一つです。命というものは一つです。それを世界の人々が本当にわかってくれれば、世界は平和になるのです。

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この記事へのコメント

1. Posted by 主任教授 さえこ   2018年01月12日 09:35
5 今日の講義「仏罰とは「自分で飛びこむ井戸の水」」拝読しました。

>仏罰とは、誰かが当てるものではありません。自分で当たってしまうのです。「自分で飛びこむ井戸の水」です。人間は自分でやった行いに決着をつけていくのです。これが生命の法則です。

これがわかっていません。

自分で井戸の水の中に飛び込むのが仏罰です。

真っ直ぐな道を歩いている人は井戸になど飛び込みません。

仏罰は自分で当たるのです。

中杉博士は、正理(道理)を教えられています。
その道理から外れたら、自然に罰は当たります。
当然の結果です。

また、仏罰を恐れるようなやましいことをしてはいけません。

>深層から見ると自分も他人も同じです。依正不二(えしょうふに)です。自分の正報とするものと、依報(自分以外のもの)は、実は一緒です。

これが本当にわかれば、世界から戦争はなくなります。

そのような世の中になるために正理会は邁進しています。

結局この世はバーチャル世界です。
他人に苦痛を与えるよりも、他人を自分と思い、大事にしていくことです。

そのさらに上の正法を知り自分の正体がわかれば、安心立命の人生を歩んでいけるのです。

皆さんも早くそうなっていきましょう。

2. Posted by 読者   2018年01月12日 13:55
>命というものは一つです。それを世界の人々が本当にわかってくれれば、世界は平和になる

世界に広めるべき、世界的な教えです。
3. Posted by 一国民   2018年01月12日 13:57
>命というものは一つ
それを世界の人々が本当にわかってくれれば、世界は平和になる

本日の博士の教えこそが「世界平和」の教えであり、皇室を否定し、靖国神社参拝に反対するような、邪教・朝鮮創価学会の言う「世界平和」などインチキです。
4. Posted by 歴男   2018年01月12日 14:01
>戦争をして敵をぶっ殺します
全て自分に返ってくる

世界の黒幕・NY爺はどれだけ「返ってくる」ことになるのだろうか。
5. Posted by ASUKA   2018年01月12日 14:03
>国民が「創らせてください」と言って造ったのが、世界最高の仁徳天皇陵

国民が「創らせてください」と言って造ったというのは、世界唯一ですね。
6. Posted by マリー   2018年01月12日 17:38
仏罰とは自分で当たっていくもんなんですね。
7. Posted by 弥生   2018年01月12日 17:44
>ある人を不幸に導いて殺します。それで終わりだと思いますが、終わりません。「苦痛を与えられた」というのは自分です。それを必ずどこかで自分が感じるようになる

学会の池田は両手両足切断、発狂し死亡、統一教会の文鮮明はヘリコプター事故で墜落し黒焦げ死体、それだけの悪事、犯罪をしてきたからですね。
8. Posted by 矢井田   2018年01月12日 18:15
中杉先生は思想戦をやっているのですね。
理解しました。
9. Posted by 青山   2018年01月13日 13:53
5 御講義有難うございます

自分も他人も同じです。依正不二(えしょうふに)です。自分の正報とするものと、依報(自分以外のもの)は、一緒なのだから人や動物に対しての慈悲心や物を大切にするという精神は大事であると思いました
 
10. Posted by 古都   2018年01月13日 21:15
>仏教では、「全ての生命は一つである」と説いています。
 私も貴方もありません。「私」にこだわる人は、自分に執着しているのです。翻って見ると生命は一つです。

念仏などは極楽往生と言いますが、これは自分に執着しているのと同じだと思いました。殺人やイジメも戦争も、生命は一つであると解ると、くだらない事だとわかります。

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