2018年03月12日

人間の探究 976 即身成仏について

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※比叡山延暦寺
 本来の比叡山延暦寺は天台宗ですが、天台大師の考え方は全然ありません。邪教を取り入れているのです。

人間の探究 976 即身成仏について

 真言密教の空海が言った「即身成仏」とは、ミイラになることです。「ミイラになって永遠の生命を得る」ということを即身成仏の目的にしているのです。
 ちょっと待ってください。法華経には、そんなことは一つも書いていません。「ミイラになることが目的だ」というのは、どう考えてもおかしいのです。「生きたままミイラになって仏になる」これは、仏というものを全く理解していないから、このようなことになるのです。
 法華経の前経と言われる無量義経徳行品第一にいわく「大なる哉大悟大聖主、垢なく染なく所著なし。」です。有名な34の非で、「仏とはどのようなものか?」ということが書いてあります。即身成仏など書いてありません。
 「其の身は有に非ず亦無に非ず、因に非ず縁に非ず自他に非ず、方に非ず円に非ず短長に非ず、出に非ず没に非ず生滅に非ず、造に非ず起に非ず為作に非ず、坐に非ず臥に非ず行住に非ず、動に非ず転に非ず閑静に非ず、進に非ず退に非ず安危に非ず、是に非ず非に非ず得失に非ず、彼に非ず此に非ず去来に非ず、青に非ず黄に非ず赤白に非ず、紅に非ず紫種々の色に非ず。戒・定・慧・解・知見より生じ、三昧・六通・道品より発し、慈悲・十力・無畏より起り、衆生善業の因縁より出でたり。」
 仏というものは有るものでもなければ、無いものでもない。因でもなければ、縁でもない。自分でも無ければ、他人でもない。四角でもなければ、丸いものでもない。短いものでもなければ、長いものでもない。座っているものでもなければ、立っているものでもない。動くものでもなければ、転がっているものでもない。進んでいるものでもなければ、止まっているものでもない。色がついたものでなければ、色がついているものでもない。
 そのようにハッキリ書いています。それとミイラはどのような関係にあるのでしょう。ミイラは全然関係ありません。仏は生きていますが、ミイラは生きていません。仏は生きて躍動していることです。それを「仏」と言っているのですから、ミイラが即身成仏になることではありません。
 根本の法理を法華経から学んでいないので、わからなくなってしまうのです。かってに考えて「ミイラになって即身成仏する」と言っているのです。狂った考えでやるからそうなるのです。
 仏というものは、「有るものでもなければ、無いものでもない」、つかみどころのない、この実体は何かというと、「命」ということです。34の非に匹敵するのは、「命」ということです。
 「命」というものは、わかりやすく言うと、有るわけでもないし、無いわけでもないし、四角でもないし、丸でもないし、三角でもないし、色がついているものでもありません。命とはそうなのです。
例えば、お爺ちゃんが死にました。死体がまだそこにあります。お爺ちゃんは今まで動いていたのに、なぜ動かなくなったのでしょう。それは一体何でしょう。「動いている命とは一体何か?」と見ると、つかめないと言っているのです。お爺ちゃんは死んでしまい、動きません。何故、動かないのでしょう。その前は動いていたのです。何がそうしているのでしょう。そこに「命」というものを見るのです。
 そこにキレイな花があります。昨日までは咲いていましたが、今日は花が散ってしまいました。どのような力が働いて花が散ってしまったのでしょう。またはつぼみから花が咲きます。つぼみから花を咲かせるエネルギーとは、一体何でしょう。
 これは、「命」というもので表現するしかありません。大宇宙は全て「命」でおおわれています。地球には何万種類の動物や昆虫がいます。植物があり、魚がいて、動物がいて、人間がいます。みんな動いています。命をもって動いているのです。命には、莫大な数があります。
 このピチピチとした命は取ってしまうと動かなくなります。この命とは、一体何でしょう。魚の命と動物の命は違うのでしょうか? 花の命と違うのでしょうか? 「全く違いはない」と仏は言っています。同じ命です。
 とらえられない「命」というものを、とらえようとすることが仏道修行です。ミイラになって即身成仏することではありません。
 生きている状態で命に目がいき、「自分というものは、命から成り立っているのだな」とわかって、それを感知したところの状態を即身成仏というのです。ミイラが即身成仏だということは、間違いです。ミイラになってしまったら、命もとらえられません。
命をもって生きている人間とは、一体どのようなものか? 目にみえないけれども、命というものがあります。「命というものをしっかりと把握したい、わかりたい。悟りたい」と思って、悟った人のことを仏というのです。
即身成仏の本来の姿は、人間が「生きている」ということです。生きていながら、自分の命の正体を見るのです。死んでしまったら自分の命など見ることはできません。生きているからこそ、非常につかみづらい命というものを、つかむことができるのです。そのつかんだ状態のことを即身成仏というのです。
法華経の教えはそうなっているのです。他の邪教はそうではありません。「自分が梵我一如である。梵とは宇宙のことです。我は自分です。宇宙と自分は一体である。それがわかることが悟りだ」など、全然違います。そんなことは、何の意味もありません。
命を説いた法華経というものは、難信難解であり、解しがたく信じがたいのです。その解しがたく、信じがたいものに、真っ向からぶつかっていくのです。すごい迫力です。
どうにもわからない、つかみようがない命に対して「行くぞ!」とファイトを燃やして探求していくのです。探求していくごとに、命がつかめてくるのです。それが、日蓮大聖人様の弟子ということです。命に体当たりをしていく人が、日蓮大聖人様の本当の弟子です。
そして、仏様から教わり、「わかりました。私は生きているそのものの実体がわかりました」ということが、即身成仏です。「生きているという秘密がわかりました」「命の秘密がわかりました」というのが、即身成仏です。
ミイラになることが、即身成仏ではありません。もっと躍動しているのです。命はつかめません。普通の人は気にも止めません。「俺もいつかは死ぬらしいな」と思う程度です。命をつかもうともしません。でも、それはつかめるのです。命そのものをつかんだ人のことを仏というのです。
僕の講義を聞けばよくわかるでしょう。即身成仏の意味が全然違うのです。即身成仏ということを間違えると、とんでもないことになります。
ところが、比叡山延暦寺でもそれに近いことをやっています。千日回峰行が終わった後に、洞窟に入るのです。竹を通して、そこからしか空気が入らないのです。ご飯は少しずつ食べるのですが、終いに真っ暗な部屋でお経を読む声が聞こえなくなるのです。だんだんお経を読む声が小さくなって、パタッと止まると、「ああ、即身成仏された」と言うのです。このようなことを今でも比叡山延暦寺でやっているのです。
本来の比叡山延暦寺は天台宗ですが、天台大師の考え方は全然ありません。邪教を取り入れているのです。比叡山延暦寺はひどいもので、真言密教、阿弥陀経まで取り入れているのです。真言密教や、阿弥陀経など、法華経から言うと出てくる幕はありません。今では阿弥陀経があり、真言密教があり、比叡山延暦寺といってもグチャグチャに入っているのです。
これを整理されたのが日蓮大聖人様です。私たちは、日蓮大聖人様から正しく学ぶことにより、目に見えない、つかまえることができない、どうしようもならない命というものがだんだんと見えてわかってくるのです。それが即身成仏です。

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この記事へのコメント

1. Posted by 青い空の上から   2018年03月12日 01:47
即身成仏 OKです。

なにかの書籍には 
空海さんは

自殺された彼女の
後追い自殺をされたと記載がありました。

となりますと
本来の即身成仏からは
はるかに かいり乖離しています。





2. Posted by マリー   2018年03月12日 13:04
「生きているという秘密がわかりました」「命の秘密がわかりました」というのが、即身成仏です。

生きたままミイラになるのが成仏なんて邪教です。
ミイラになる意味がわかりません。
千日回修行など意味のない修業は必要ありません。
3. Posted by 主任教授 さえこ   2018年03月12日 15:16
5 今日の講義「即身成仏について」拝読しました。

マリーさんの言う通りです。

生きて命というものがわからないと、成仏することはできません。
それは人間とは限りません。
自分の修行の結果、ふさわし肉体が与えられるのです。

死んでしまったら、因果のままに流されて次の生を受けるだけです。

>どうにもわからない、つかみようがない命に対して「行くぞ!」とファイトを燃やして探求していくのです。探求していくごとに、命がつかめてくるのです。

すごい迫力です。
命に向かって真っ向から向かっていく姿こそが日蓮大聖人様の弟子だとわかります。

池田大作と関係をもって、ご落胤をつくることが仏道修行ではありません。

創価学会は日蓮大聖人様の名を語り、悪事のやりたい放題です。
全員が地獄へ行きます。

正理会の中杉門下生は、日蓮大聖人様の直弟子です。
自らの命の正体を探求することにファイトを燃やしていきましょう!


4. Posted by 歴男   2018年03月12日 17:40
>空海が言った「即身成仏」

神国・日本において、邪教を広めた神罰、仏罰が下り、らい病になり顔が溶け、人前に出られなくなり、「即身成仏」と言った、最初から最期までウソツキ、詐欺師であった。
5. Posted by Vega   2018年03月12日 17:42
>比叡山延暦寺は天台宗ですが、天台大師の考え方は全然ありません
邪教を取り入れている

博士のご講義の通りです。

あの不倫、子供を捨て駆け落ち婆の瀬戸内寂聴まで僧侶にするなど信じられません。
6. Posted by ASUKA   2018年03月12日 18:34
>4
神国・日本において、邪教を広めた神罰、仏罰が下り、らい病になり顔が溶け

邪教を広めた神罰、仏罰とは大変なものです。
7. Posted by 凛々   2018年03月12日 20:09
「阿弥陀経があり、真言密教があり、比叡山延暦寺といってもグチャグチャに入っている」からこそ、「不倫、子供を捨て駆け落ち婆の瀬戸内寂聴」まで僧侶にしたのではないかと思います。
8. Posted by 佳子   2018年03月12日 20:19
中杉博士、本日もご講義有難うございます。

>法華経には、そんなことは一つも書いていません
「ミイラになることが目的だ」というのは、どう考えてもおかしい

本日のご講義の通り、邪教とは必ず、経典に書いていないこと、日蓮大聖人様の教えと全く違うことを主張しています。

学会の言う「選挙活動が仏道修行」、大石寺の言う「大石寺の板本尊だけが正しい、それを拝むことが仏道修行」、顕正会の言う「御書講義はいらない」、身延山など寺院では仏像を拝んだり、池上本門寺では法被に「南無妙法蓮華経」と書いたり、いずれも経典、日蓮大聖人様の教えと全く違い、その邪教の結果、僧侶、会員は狂い、犯罪者続出です。

日蓮大聖人様は「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」と、これら仏教と思われている宗派の誤りを正され、仏教を整理され、現代では博士がそれを正しく教えられていますので、博士より正しく学んでいきましょう。
9. Posted by 大田   2018年03月12日 20:46
今日の講義拝読させて頂きました。

比叡山はいつの頃からか、修行をした名僧がそれぞれに一派を旗揚げをして、日本仏教の母山と言われていました。
凄いお山だなと思っていました。

しかし、博士に指導をして頂いて、一派を挙げた名僧と言われる人達は、仏法の一部を齧っただけで、或は法華経が理解できなくて勝手に自分流の理解で、さも仏法の全部を悟ったように思い一派を挙げたと言う事が分かるようになりました。

数カ月前に比叡山で新しい阿闍梨が誕生したと褒め称えている所が報道されていました。

日蓮大聖人様は日本にある宗派を周りそれぞれの教えを整理をして、仏教全体を見極めて私たちを救ってくださっています。

どの宗派も最初から金儲けと宗派の勢力拡大と権力に心を奪われています。

そんな馬鹿な事をしている暇があったら、自分の境涯を見てご覧なさいと言いたい。私が言うのは10年早いかも知れませんが・・・。

私も自分の境涯を理解し、与えられた命と共に一歩一歩修行に励んで行きます。

博士 ご指導ありがとうございました。
10. Posted by 青山   2018年03月14日 11:03
5 御講義有難うございます

ミイラになる事が即身成仏ではないという事が分かります

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