2018年05月16日

人間の探究 1023 現当二世(げんとうにせい)

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※日蓮大聖人様のご一生も苦難の連続でした。伊豆に島流しにされ、龍ノ口の法難がありました。龍ノ口の法難では日蓮大聖人の首を斬るというのです。鎌倉中を馬に乗せられて引きずりまわされて、挙句の果ては佐渡島に流されて、3年間極寒の佐渡島におられたのです。

人間の探究 1023 現当二世(げんとうにせい)

法華経を信じる者は、「現当二世(げんとうにせい)」において満足すると書いてある御書があります。
「只肝要は此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候、法華第三に云く「魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る」第七に云く「病即消滅して不老不死ならん」との金言之を疑う可からず」(道妙禅門御書)
この世だけの処世術で、この世がうまく渡れるということではありません。法華経を信じる者は、この世も上手く渡れるけれども、あの世においても必ず功徳を受けます。
 「この現当二世に渡って現世も未来世も、貴方は功徳を受けるであろう」ということが現当二世です。この意味を考えてみる必要があります。人間には生きていくための祈りがありますが、いくら祈っても永遠に生きられるわけではありません。
 せいぜい長生きしても120歳です。120歳まで生きれば「長生きした人」と言われます。生まれるということは、「生」ですから、「現」です。現世を生きていくのです。生きて大人になっていくと「限りなく自分が大きくなりたい。成長したい」と思ってくるのです。人生の上り坂です。「あれも欲しい」「これも欲しい」「みんな欲しい」「社会的な権力がほしい」などと願望が広がっていくのです。
 ところが願望が広がっていくと同時に自分は死に向かっているのです。それが人生の秘密です。財務省の大臣になったり、次官になったりして偉くなっていくと、社会的な力はどんどんついてくるように思いますが、同時に死も大きくなってくるのです。
 財務省の大臣になって「人生を楽しみましょう」などという言葉は出てきません。「楽しむ」ということは、「生」なのです。そんなことはやっていられません。楽しもうと思ったら総理大臣のままで死んでしまうのです。そんなことになってしまうのです。
 そのときの人間は死と向かい合わせです。自分の中に死が着々と迫ってくるのです。お金持ちもそうです。何十億円もっていて、「お金を使いましょう」と思っていても、使う必要がないのです。もう死が近づいているのです。
 100億円持っていようが、200億円持っていようが同じことです。そんなお金を使っている時間などありません。どんどん自分自身は死に向かっているのです。そのことを知らないのです。「1千億円あるから、俺は千年生きられる」というような錯覚の中で生きているのです。
 紫綬褒章やいろんな賞をたくさんもらえばもらうほど、自分の生が充実して永遠に生きられるような錯覚をもってしまうのです。そのような人生がつくられているのです。現世では、そんなお金を使うチャンスはこないのです。
 紫綬褒章をもらって「どうだ、もらったぞ!」とみせびらかしても、時間はもうありません。もう死に向かっているのです。そんな物をたくさん手に入れれば入れるほど、自分に近づいてくるのは死なのです。死がどんどん自分に近づいているのです。それが人生です。それでは面白くありません。
日蓮大聖人様の仏教を信仰するということは、功徳は現当二世です。現世だけ立派になるだけではありません。あの世でも立派になるのです。仏になれば成仏して、あの世ではもっと素晴らしいことになるのです。何の不安もいりません。
私の言うことを聞いて、南無妙法蓮華経を信受していくならば、この世の所願満足のみならず、来世においても所願満足を得るでしょう。しかも、これは永遠に続くのです。信心とは、現当二世の信心をやらなければいけません。
池田大作のように個人資産を何兆円もって、何かやろうと思うと、手足がしびれて両足切断となり、入れ歯が落ちて口もきけなくなり、脳軟化症でしゃべることもできません。そんな状態になったらお金を使うことなどできません。現世も終わりです。来世も同じです。
池田大作は今世でお金は使えないのですから、もう地獄に入ってしまったのです。「いくらでもお金を出すから助けてくれ」と言っても助けられません。どんな大病院に行っても病状は治りません。
そのことを松下幸之助は実感して、「私は成功してお金をもった。もし、私を20歳にしてくれる人がいたならば、私は一切の財産をその人にあげます」と言ったのです。「本当に20歳に戻してくれるならば」という条件付きです。それならば、その人に全財産をあげて、20歳の青年を取るだろうということです。
いくら名声があっても、世界一の企業ができても、何も楽しくありません。浅草の浅草寺に寄付するようなものです。浅草の大提灯は、松下幸之助が寄付したらしいのです。人に絶対に言わないことを約束して寄付したのですが、大提灯の裏には「松下幸之助」と書いてあるのです。それは商売です。「あの大提灯は松下幸之助が寄付したものだ」という話が広まります。そんなところに寄付しても何の功徳はありません。
 来世を保障してくれないと信仰は意味がありません。現当二世の信心をやらなければいけません。「今回の生は今者已満足(こんじゃいまんぞく)で十分満足であったから、次の生も楽しいぞ」ということです。今度は20歳どころか0歳の体をもらうのです。有難いことです。
 そのように考えていかないと人間はスケールがどんどん小さくなってしまいます。「自分だけが安定した精神状態のままで成仏を求めたい」などは、まだまだエゴイストです。信仰とはそんなものではありません。人生とは、疾風怒濤です。「静かな森の中で安心立命して自分だけが成仏したい」などという状態で楽しい信心などありません。
 人生は疾風怒濤です。現在はいつも未来があるのです。未来は現当二世です。現当二世に渡ってそれを超えていくところに生死の二法があるのです。生に偏ってもダメ、死に偏ってもダメです。生死は常にあるのです。
 今世の生にしても、来世の生にしても、常に死があるのです。そのように心得て、現当二世の山を当然のこととして心得て、勇んで超えていくことを信心というのです。他の人は現だけです。或は念仏の信者のように来世だけを阿弥陀仏に頼んでもダメなのです。阿弥陀仏に頼んだ世界は幻想ですから、西方極楽浄土などないのです。
現当二世と聞くだけでも勇気が出てきます。「そうだ。この世も、あの世も常に疾風怒濤の中で生きていくのだ。安心立命などない」と思ってよいのです。座布団の上に座って、安心立命の境地などないのです。常にどこにいても風が吹き現当二世で命の危険にさらされています。常にそうです。そのような不安を乗り越えていくのを真の信心というのです。
 「日蓮大聖人様を信じる」というならば、それを覚悟しなければいけません。日蓮大聖人様のご一生も苦難の連続でした。伊豆に島流しにされ、龍ノ口の法難がありました。龍ノ口の法難では日蓮大聖人の首を斬るというのです。鎌倉中を馬に乗せられて引きずりまわされて、挙句の果ては佐渡島に流されて、3年間極寒の佐渡島におられたのです。
 まさにそれは一般的に言うと現当二世ではありません。その時に日蓮大聖人の御心の中では、現当二世だから死を通して乗り越えていくのです。
 「首を斬ると言われても、うろたえるな!」ということです。首を斬られて「痛い」などと思うのは瞬間のことです。あとは現当であるから、死んで我々は楽しい世界に入るのです。それは現当二世の楽しい世界です。
 阿弥陀仏がいて、西方極楽浄土に入るのではありません。常に現当二世です。生きているということは常に現当二世が入ってくるのです。それを錯覚しないようにしていきましょう。「現当二世」「現当二世」という言葉を合言葉にして、それを乗り切っていくのが南無妙法蓮華経です。「絹の布団にくるまって寝るような安楽の生活がしたい。その中で安心立命になりたい」と言っても、そんなことはできません。常に生まれるところに戦いがあります。戦わない人生などつまりません。
 皇太子に生まれたら悪口を言われ、皇女に生まれたならばプー小室がまとわりつき、どこに行っても安心立命はありません。戦いの中にこそ安心立命があるのです。


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この記事へのコメント

1. Posted by 青い空の上から   2018年05月16日 06:13
勇気が出た気分です。
ありがとうございました。
2. Posted by 青い空の上から   2018年05月16日 06:16
現当二世は どのように発音したらいいのでしょぅか。
3. Posted by 事務局より   2018年05月16日 09:27
>2. Posted by 青い空の上から 2018年05月16日 06:16

>現当二世は どのように発音したらいいのでしょぅか。


青い空の上からさん、こんにちは。

「現当二世」は、「げんとうにせい」と読みます。
ふりがなをふっておきました。

今後ともご愛読いただきましたら幸いです。



4. Posted by 主任教授 さえこ   2018年05月16日 09:37
5 今日の講義「現当二世(げんとうにせい)」拝読しました。

>「この現当二世に渡って現世も未来世も、貴方は功徳を受けるであろう」ということが現当二世です。

素晴らしい講義です。
来世にわたって功徳を受けるのですから、死ぬことも大安心です。

正法を知らない人にとって死は恐怖です。
恐怖している人はだいたい目を開いて虚空をつかんで死んでいきます。

それで死ねるならばまだよいほうです。
ひどい人は生に執着するあまり、火葬場のおんぼ焼きの最中に生き返るそうです。
そうなったらもう助けることはできません。
おんぼ焼きの職員が「今、生き返ったぞ!」とみているのですが、助けることはしません。
火葬の業火の中で生き返ったら地獄ですね。

死にたいしての正しい悟りがないから、みな死に恐怖するのです。

日蓮大聖人様の龍ノ口の法難をみてください。
首切り役人がブルッてしまい、日蓮大聖人様の首を斬ることができません。
日蓮大聖人様は「早く首を斬りなさい。首を斬るということは、朝になってはみっともないので、夜中のうちに斬るものだから早く首を斬りなさい」と言われたのです。

すごい御自覚です。
死をまったく恐れていません。
「私はここで死んでもよいが、八幡大菩薩大菩薩よ、お前が神から叱られるぞ!」というすごい御自覚です。

現当二世がわかっている人は、今世の生に執着しなくてもよいのです。
ただし、惰性で生きるのではなく、死ぬまで正法を実践していくことが大事です。

正法を実践するとは、道理を追及していくことです。


5. Posted by 青い空の上から   2018年05月16日 12:11
「南無妙法蓮華経・現当二世」と唱えるスタイルに切り替えることにしました。ありがとうございました。ルンルンと勇気が湧いてきた気分です。
6. Posted by ASUKA   2018年05月16日 13:19
>「現当二世」「現当二世」という言葉を合言葉にして、それを乗り切っていくのが南無妙法蓮華経

博士の教えられる通りです。

学会は「選挙活動が仏道修行」などと教えているおですが、全く間違っています。
7. Posted by !!   2018年05月16日 17:39
博士が予言されていた通り、この犯人は朝鮮人!!

新潟市立小針小2年、大桃珠生(たまき)さん(7)が殺害され、自宅近くの線路に遺棄された事件で、死体遺棄容疑などで逮捕された在日韓国人の小林遼容疑者(23)を以前から知る同胞からは「気さくな人柄だった」「信じられない」と驚きの声が上がった。(※東京新聞デジタル)

8. Posted by マリー   2018年05月16日 23:53
この現当二世に渡って現世も未来世も、貴方は功徳を受けるであろう」

念仏の死んだら終わりという思想とは大違いです。念仏に影響がある人は極楽にいけると思っていますが、本心は死ぬのが怖い、死後の世界が分からないといった感じがします。狂信者は極楽浄土に邁進して空をつかむ様なもので落ちてしまうのですね。
現当二世の考えから安心して死ぬことができます。
9. Posted by 歴男   2018年05月17日 01:25
>池田大作は今世でお金は使えないのですから、もう地獄に入ってしまった

まさに池田は「生き地獄」・・・
10. Posted by 佳子   2018年05月17日 01:44
中杉博士、本日もご講義有難うございます。

>信心とは、現当二世の信心
生に偏ってもダメ、死に偏ってもダメ
生死は常にある
今世の生にしても、来世の生にしても、常に死がある

本日のご講義の通りであり、学会の選挙活動や大石寺の板本尊を拝むことなどは信心ではないのであり、どれほど学会の選挙活動、大石寺の板本尊を拝んでも、その会員や家庭からは犯罪者、貧乏、精神異常者が続出、今世がそうなのですから、来世もそうなるに決まっています。

邪教では、人々を正しく導いていくことができず、結果として朝鮮人教祖でも理解できる範囲「世界平和」などで止まってしまいますが、博士の教えられる「正理」は、どこにも何も「偏り」(我慢偏執)がない、と感じました。


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