2019年08月17日

『日本建国の謎に迫る』第1章 縄文時代から弥生時代へ

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※縄文文化・三内丸山遺跡

『日本建国の謎に迫る』

第1章 縄文時代から弥生時代へ

日本人の起源

 ここでは日本人の成立と日本国家の成立を分けて考えます。まずは日本列島人から考えてみましょう。
 NHKが放送した番組のDVD『日本人はるかなる旅』(全五巻、エイベックス・トラックス、二〇〇二年)によれば、DNA調査で日本人の源流は、シベリア・バイカル湖畔のブリヤート人にあることが認められるといいます。発掘された縄文人の人骨からミトコンドリアDNAを抽出し、それを世界各地の人々と比較する研究が行われました。その結果、二十数体の縄文人のミトコンドリアDNAの内、一七体がシベリアのバイカル湖周辺に住むブリヤート人のDNA構造と同じことがわかりました。
 つまり遺伝子研究の結果、日本人の大半を占めるシベリア系の遺伝子を基盤に、中国大陸中南部系を追加しただけで九〇%を占めているのです。その他の東南アジア人や朝鮮人や台湾先住人などと同じDNA構造はきわめて少数でした。
 一九二八年に、シベリアのバイカル湖畔のマクソホン村で、マリタ遺跡が発見されました。この発見には全世界がびっくりしました。それまでは、極寒のシベリアに人が住めるわけがないと考えられていたからです。
 この遺跡からは、いまから二万三〇〇〇年前の人骨とともに、集落跡、石のナイフなどが発見されています。マンモスなどを倒すために作り出された、先端部に「細石刃(ルビ さいせきじん)を植刃した槍などは、当時の技術が相当発達していたことをうかがわせます。これらの遺物は日本(北海道の嶋木遺跡、柏台遺跡など)でも発見されており、シベリアのマリタ遺跡を築いた種族たちが日本に持ち込んだことを示しています。日本人の先祖は、基本的にはマンモスを追って生活した勇敢なるマンモスハンターだったのです。
 ところで、人類が立ち上がって、二本脚で歩き始めたのは、いつごろでしょうか。タンザニアのラエトリ遺跡には、三六〇万年前の人類(アファール猿人)の二列の足跡が残っています。これこそ二足歩行の確かな証拠です。もっとも、最近の化石人骨の研究では、それよりもさらに二〇〇万年前に、すでに人類の二足歩行が始まっていたと推定されています。
 ヨーロッパには、三〇万年ほど前からネアンデルタール人が暮らしていました。そこに、四万年ほど前にクロマニヨン人(新人の一集団)が現れました。「多地域進化説」では、このクロマニヨン人は、ネアンデルタール人から進化したものとされていました。しかし一九八〇年代末に、イスラエルの人類化石の年代が新しい手法で測定された結果、西アジアでは、ネアンデルタール人が姿を消す五万年前より早く、およそ一〇万年前からクロマニヨン人の祖先となる新人が暮らしていたことが判明しました。この発見によって、ヨーロッパでネアンデルタール人からクロマニヨン人への進化が生じた可能性は、ほとんどなくなったのです。
 さて、およそ七万年前に始まった氷河期の時、海面は今より一〇〇mも低かったので、ユーラシア大陸東端のカラフトと北海道は陸続きだったと考えられています。朝鮮半島から、対馬、九州も同じく陸続きで、いまの日本海は内海だったわけです。津軽海峡もいまよりずっと狭まっていて、厳冬期には氷結していました。マンモスを追ってシベリアからやってきた日本人の祖先たちは、約二万年前に北海道に到達し、その後、南下し日本列島全体へと移り住んでいきました。
 氷河期が終わり、温暖化によって海面が上昇すると、日本海に対馬暖流が流れ込み、北海道もサハリンから切り離され、現在のような日本列島が形成されました。気候も温暖湿潤となり、日本列島には豊かで多彩な森が広がっていきます。
 この森の恵みの中で育まれたのが、縄文文化です。いまでは青森県の三内丸山遺跡に代表されます。一万年から五〇〇〇年前にかけて、最大時では五〇〇名ほどが暮らしていたともいわれる、壮大な遺跡群です。縄文人は森を基盤とした集落に定住し、巨大建造物を作ったり、海を越えて交易をしたりしながら、従来のイメージを超える狄垢諒顕臭瓩鮹曚上げていったのです。日本列島は、一万年にわたって縄文時代の繁栄におおわれていたのです。
 その一方で、南方では別の文化も存在していました。近年、鹿児島などでは縄文時代初期頃の遺跡が、南九州の厚い火山灰の下から次々と見つかっていて、上野原遺跡が特に有名です。この遺跡から出土する土器に縄模様はなく、貝殻文様が描かれていて、海との関わりをうかがうことができます。
 沖縄で見つかった一万八〇〇〇年前から一万六〇〇〇年前の港川人の骨は、インドネシアの古代人であるワジャク人に形態的に似ています。これらの事実から、氷河期に東南アジアにあった幻の大陸スンダランド(マレー半島からインドシナ半島に接する巨大平野)などから、海を越える技術を身につけた海洋民たちが、黒潮に乗ってアジア南方の文化を沖縄・南九州にもたらしていたことがわかります。彼らは鬼界カルデラ(薩摩半島から大隅海峡にかけて存在する巨大カルデラ)の大噴火で壊滅的状態に陥ってしまったのです。
 そして縄文時代が終わる頃から、縄文人とは姿形がまったくちがう人たちが、中国大陸から大量に渡来してきました。当時の中国は春秋戦国と呼ばれる戦乱の時代でした。戦火を逃れたり、戦争に破れて奴隷となることを避けた人たちが、安住の地を求めて日本に来たと考えられます。ちなみに現在でも、揚子江河口の浙江省あたりの漁民は、潮の流れのせいで日本に流されてくることがあります。
 彼らはシベリアから来た日本列島先住民より体も大きく、一気に列島を北上し、濃尾平野あたりで日本先住民と拮抗しました。それから、渡来系の人々と縄文系の人々は敵対したり、共存したりしながら次第に融合し、今の日本人に至っています。それでも、現在のほとんどの日本人に最も濃く残っている遺伝子が、シベリアから来た縄文人と同じであることは、先ほど述べたとおりです。


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この記事へのコメント

1. Posted by 行合84   2019年08月17日 06:47
中杉先生ブログ拝見いたしました。日本国は色々な民族が来ていたのです。特に現在の日本国人のDNAはシベリアから渡って来た渡来人でマンモスハンターだった方々すなわち、縄文人と同じだったのですね。昔、昔の壮大なロマンを感じます。まだまだこれからも、色々な発掘、発見があると思いますので非常に楽しみにしております。時が経って、東洋人系のユダヤ人たちが渡来して来て大和朝廷を作り、国譲りがあり、2800年の天皇陛下の歴史を刻んで来たのです。この大切な日本国を国防第一でしっかりと守っていこうではありませんか!中杉先生講義ありがとうございました。
2. Posted by 弥生   2019年08月18日 01:23
>現在のほとんどの日本人に最も濃く残っている遺伝子が、シベリアから来た縄文人と同じ

中国が尖閣、沖縄の領有権を古代から中国領だったなどと主張していますが、このことからも、日本人と中国人は全く違うことが分かります。
3. Posted by Vega   2019年08月19日 01:19
>DNA調査で日本人の源流は、シベリア・バイカル湖畔のブリヤート人

DNAを調べれば全て分かります。

韓国人は「桜のソメイヨシノは韓国起源」、「稲作は韓国起源」とウソをついていますが、DNAを調べてみると、全て日本起源と分かったそうです!
4. Posted by mura   2019年08月27日 06:59
ご講義ありがとうございます

日本歴代天皇二千六百年史

https://youtu.be/vmbyfLWrIdM

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