2019年08月31日

『日本建国の謎に迫る』静かなる縄文文化

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※上野原遺跡(うえのはらいせき)は、鹿児島県霧島市国分上野原縄文の森にある縄文時代早期から近世にかけての複合遺跡。

『日本建国の謎に迫る』


静かなる縄文文化

 そして、三内丸山と同時期に花開いた縄文文化の一つに、鹿児島の上野原遺跡があります。縄文時代早期から近世にかけての複合遺跡でで、現在、遺跡の周辺は鹿児島県上野原縄文の森と呼ばれる県営公園として整備されています。また、鹿児島県立埋蔵文化財センターが敷地内に併設されており、鹿児島県の考古学発掘調査研究の中心的な拠点となっています。
 この遺跡は、一九八六年に、国分市(現・霧島市)において工業団地の造成中に発見されました。同年から一九九六年にかけて鹿児島県教育委員会が発掘調査を行い、縄文時代早期前葉までの遺跡群を含む複合遺跡であることがわかりました。特に遺跡群の最下層には、発見当時では日本列島最古の大規模な定住集落跡があり、出土した土器は九八年に国の重要文化財に、遺跡の一部が九九年に国の史跡に指定されています。「縄文文化は東日本で栄えて西日本では低調だった」という常識に疑問を呈する遺跡ともなり、特徴的な土器として、弥生土器に類似した一組の壺形土器が約七五〇〇年前の地層から見つかりました。
 発掘調査では一七層の地層について調査され、一層目から九層目までの範囲で遺跡が確認されています。

【表にする】
 第1層―桜島火山灰を含む現代の農耕土。土師器や陶磁器が確認。
 第2層―黒色土。山之口式土器、中溝式土器、竪穴式住居跡六軒が出土。近世から中世にかけての遺跡とされる。
 第3層―暗茶褐色土。掘立柱建物1軒、石皿、石斧などが出土。古墳時代から弥生時代にかけての遺跡とされる。
 第4層―桜島の火山灰を含む薄えび茶褐色土。多数の土坑、黒川式土器が確認出土。縄文晩期の遺跡とされる。
 第5層―桜島の火山灰を含むえび茶褐色土と鬼界アカホヤ火山灰を含む明橙色土。
 第6層―桜島の火山灰を含む灰茶褐色土。
 第7層―黒褐色土。縄文式土器のほか集石遺構56基、土抗3基が出土。縄文早期中葉から前葉の遺跡とされる。
 第8層―桜島の火山灰を含む黒色土。前平式土器、撚糸文土器が出土。
 第9層―暗茶褐色土。竪穴式住居跡、集石遺構、連穴土抗、前平式土器などが出土。
 第10層―桜島の火山灰を含む黄色土。この層より下の遺跡は確認されていない。

 九層目と一〇層目の間に縄文時代早期前葉の遺構が挟まっており、これが、当時としては国内最古で最大級の定住化した集落跡でした。集落跡の面積は一万五〇〇〇屬傍擇咾泙后C┠蠎綾撒鏝淨鷂が確認され、このうち一〇軒には九五〇〇年前の桜島の火山灰が詰まっていたのです。さらに、石蒸し調理のための集石遺構が三九基、燻製製造のための連穴土抗一五基、その他の土抗約一二五基、道の跡二条が確認されました。ここでは、穴を掘って燻製にすることまで行なわれていたのです。
 住居の形態は変わりますが、内部の構造は竪穴式住居で三内丸山遺跡の住居と同じ構造です。つまり、縄文文化というのは、北は青森県の三内丸山遺跡、南は鹿児島県の上野原遺跡に代表され、このような広い範囲に縄文系の人々が暮していたのです。
 そして、上野原遺跡でもやはり武器は発見されておらず、当時、武器はなかったということがわかります。この武器を持たないという縄文文化の特徴は、九州まで広がっていたことが証明されたのです。中国から渡来人が来るはるか以前、日本は平和な文化を形成していたのです。
 人間社会で権力の構築は、まず作物が取れるということが前提条件で、作物が取れるとそれをめぐって争いが起きます。作物を収める倉を造って、「これは俺が管理する」と言った者が、一番最初に権力を握った人です。権力は本質的に、次から次へと拡大したいというものですから、隣村でも同じようなことをしている人間がいたら、彼らを殺してでも、その権力を奪いたいと自然に思うのです。そのため、権力が発生すると、必ず戦争と独裁が始まるのです。
 ところが、縄文時代の歴史にはそういうものがなかったのです。その時代には権力の独裁はありません。人殺しをした形跡がない、戦争をした形跡がない、したがって武器がないのです。弓矢や槍は獲物を獲るためのものであって、人殺しのためではありません。
 一方で、大阪万博の太陽の塔で有名な岡本太郎が、長野県諏訪大社の御柱祭(ルビ おんばしらさい)を見て「これは、縄文の祭りじゃ! ここに私は、縄文を発見する。縄文時代が息づいているのがこの諏訪大社だ!」と言ったそうです。彼はもともと縄文系が好きで、火焔式土器を見て「芸術は爆発だ!」と言ったのも有名な話です。芸術家的直感から、彼はそうとらえたのです。縄文時代は、そのように芸術的なエネルギーが爆発した時代でもあります。
 ここに日本文化の独自性とオリジナルがあります。日本が平和な国で、日本人が持っている優しく協調的でありながら創意工夫に富んだ文化の原型は、ここにあったのです。この血が日本人のよさを形成しているのではないかと思います。

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この記事へのコメント

1. Posted by 行合84   2019年08月31日 06:56
中杉先生ブログ拝見いたしました。三内丸山遺跡(青森)も上野原遺跡(鹿児島)も縄文人の遺跡であり、ともに狩猟用の武器以外には、人間同士が戦う武器は、無かった、とは共存共栄であり、平和な社会だったのですね。日本国人は素晴らしいです。言霊の文化やわびさびの文化、建物にしても、それを実現する工具の技術も、今の日本国も、世界に誇れる高技術水準ですね。宇宙技術も、100京のスーパーコンピューターも素晴らしいです。日本国人の根底には平和で共存共栄の精神が縄文時代から確立されていたのです。これからは、外国人も指摘しているように、日本国が世界平和をリードしていく時代になります。2800年の天皇陛下の歴史ある行動力が世界を戦争のない素晴らしい国々にされて行かれると思っています。中杉先生講義ありがとうございました。

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