2019年09月05日

人間の探究 1361 法華経の観心(かんじん)

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※馬は「ヒンヒン」と鳴きます。豚・馬・牛の鳴き声は、それぞれの境涯を現しているのです。

人間の探究 1361 法華経の観心(かんじん)

 「妙法蓮華経と申すは文にあらず、義にあらず、一経の心なりと釈せられて候、されば題目をはなれて法華経の心を尋(たず)ぬる者は、猿をはなれて肝をたづねしはかなき亀なり、山林をすてて菓(このみ)を大海の辺にもとめし猨猴(えんこう)なり、はかなしはかなし。」(曾谷入道殿御返事)
 
 「妙法蓮華経と申すは文にあらず、義にあらず、一経の心なりと釈せられて候」

 妙法蓮華経というものは、文ではありません。だから、何百万回「妙法蓮華経」と書いても、それだけでは意味がありません。
 妙法蓮華経が進んで、南無妙法蓮華経ですから、南無妙法蓮華経を100万遍唱えようと、12時間唱えようと、声ではありません。そのような御書です。妙法蓮華経は文ではありません。妙法蓮華経は体なのです。
 「どのようなものが妙法蓮華経の体なのか?」ということをわかっていくことが悟りです。それをわかろうとしないで、ガマガエルが鳴いているような声で「なむみょうほうれんげっきょう〜」と唱えているのでは、何時間やっても無意味です。そんなことでは仏法はわかりません。
 「義にあらず、一経の心なりと釈せられて候」
 義とは、決めたことではありません。南無妙法蓮華経というものに対して、決めることを義といいます。南無妙法蓮華経は、そんなものではありません。これは非常に大事です。南無妙法蓮華経は、文でもないし、義でもありません。「では、何か?」というと、「一経の心なりと釈せられて候」と言われているのです。
 法華経という一経が持つ妙法蓮華経の心は目に見えません。法華経の経典はあるから目に見えます。しかし、法華経の中味の心がわからないと全然意味がありません。そのような意味です。
 「されば題目をはなれて法華経の心を尋(たず)ぬる者は、猿をはなれて肝をたづねしはかなき亀なり」
 題目を離れて、法華経の中を探して歩いても何もありません。これはかなり進んだ解釈です。もう南無妙法蓮華経と日蓮大聖人様がお示しになられているからです。私が南無妙法蓮華経と唱えても、貴方も南無妙法蓮華経と唱えているのです。どのような違いがあるのかというと貴方は何もわからないでしょう。
 日蓮大聖人様は命を懸けられてやられたから、南無妙法蓮華経ということがみなわかったけれども、貴方はわかりません。創価学会のように畳が腐るほどお題目を唱えても、「法華経の心が南無妙法蓮華経だ」ということがわからないでしょう。
 南無妙法蓮華経をわかるために日夜激しい教学の研鑽をして、信心は進んでいくのです。10年前と今やっていることが何もわからなかったら豚と同じです。人間はどんどん進化をしていくのです。
 何処へ向かって進化をしているのかというと、仏に向かって進化をしているのです。だから、「成仏」というのです。仏になれなかったら往生です。往生とは、「そこに逝く」という意味です。
 貴方自身を「南無妙法蓮華経」と開いて、「それはどのような意味か?」ということがよくわかった時に、その人は成仏するのです。記号でもありません。合掌して大きな鐘を鳴らして、ゴーン・ゴーン、「なむみょうほうれんげっきょう〜」などと、そんなことをいくら唱えても何の意味もありません。法華経の心がまるでわかっていません。
 大きな声で「なむみょうほうれんげっきょう〜」ドン・ドン・ドンと太鼓を叩いても、そんなことをいくらやっても成仏はできません。
 経の心を理解しなさい。それがわかってきた人は全てわかるのです。「なるほど、南無妙法蓮華経とはそのようなことだったのだな」とわかるのです。この題目の中には全て入ってしまうのです。
 「何故か?」というと、総じて言うならば、「衆生は仏だ」と言うのです。どうして、衆生は仏なのでしょうか? 犬が「ワンワン」、豚は「ブーブー」、馬は「ヒンヒン」、という鳴き声も、「声仏事を為す、之を名けて経と為す」(御義口伝)です。
 「声仏事を為す」とは、豚が「ブーブー」と鳴くのは、境涯を現しているのです。豚の生命の境涯は、「ブーブー」なのです。それを声が現しているのです。馬は「ヒンヒン」、牛は「モーモー」と鳴きます。豚・馬・牛の鳴き声は、それぞれの境涯を現しているのです。
 しかし、総じて言うならば、一切の衆生は仏なのです。ここが問題です。命そのものが仏なのだから、それはみな成仏した姿なのです。馬も豚も自然に鳴き声を発しているのは、生命そのもののことを現しているのです。
 ただし、それは総じて言った意味です。別して言うと、南無妙法蓮華経と正しく修行した人でないと仏にはなれません。馬でも豚でもそれなりに、「私は仏になるのかな?」ということがわからなくても自然界の一体として流れていくのです。何処へ行くかわかりません。屠殺されて人間に食べられてしまうかわかりません。そんな仏はいないのです。
 やはり仏性を磨いて、仏性を取り出して、「この人の言うことは間違いない」と、そのようにわかってこないといけません。そうでないと「豚も馬も仏のなれるもの。同じ命として人間とどこが違うのか?」ということになってしまうのです。
 「日本人と朝鮮人は同じ人間だからどこ違うのよ? 同じメシを食って、トコチガウ? 朝鮮人も日本人も同じ、ガラスのコップでピールも飲むよ」という理論になってしまいます。そうではありません。ぴしっと総別で分けて見ていくのです。
 「山林をすてて菓(このみ)を大海の辺にもとめし猨猴(えんこう)なり、はかなしはかなし。」
 猿が木の実を求めているのですが、森の方へ行かないで「海のすそに木の実があるのではないか?」と考えて、海のすそを探しても、木の実は得られません。それと同じことです。猿は山に行かなければ、木の実は穫れません。
 それと同じで法華経の心である南無妙法蓮華経を取り出さないと、本当の功徳は得られません。

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この記事へのコメント

1. Posted by 青い雲の上から   2019年09月05日 05:55
> 人間はどんどん進化をしていくのです。
 何処へ向かって進化をしているのかというと、

> 仏に向かって進化をしているのです。
 だから、
 「成仏」というのです。


> 仏になれなかったら往生です。
 往生とは、
 「そこに逝く」という意味です。


「成仏・進化」と「往生・逝く」
もしかして反対語?

逝くは死ぬこと
くたばること

身も心も疲れ果てて
精根尽きて くたばった・死んだ・亡くなられた

これが「往生・逝く」



これの反対語が「成仏・進化」


日々 進化・仏に成りたいので
妙法蓮華経を唱えます


生きて ひたすら酷使して定年まで働いて
病んで そして
精魂 尽きて くたばるだけであれば
牛・馬の動物と同じではないですか


博士の記事から

おうじょう往生という言葉の意味が
はじめて 知ったように思います

今後は ゴクラク往生なんて言葉は
口にしないように します


先日 内科のドクターが
癌の末期の患者の家族に
もうすぐ極楽往生しますから
楽になりますよと いわれました


これって ものすごく
失礼な 表現だったんだと
ふと 思いました


往生といえば
逝く・死ぬ
極楽往生と相場は決まっています
これは肉体的だと思いました


●そうではなくて
 日々 成仏することに

 人間としての意義 価値が
 あるということに気が付かされました


◎人間はどんどん進化をしていくのです。
 何処へ向かって進化をしているのかというと、
 仏に向かって進化をしているのです。
 だから、「成仏」というのです。
 
 仏になれなかったら往生です。
 往生とは、
 「そこに逝く」という意味です。

◎の博士の説明は丸暗記します。


博士
ありがとうございました。

 





 









というのです。


> 仏になれなかったら往生です


2. Posted by 行合84   2019年09月05日 06:27
中杉先生ブログ拝見いたしました。法華経の心とは、南無妙法蓮華経を取り出して、切磋琢磨していくことだと思います。正しい修行をした人のみが成仏が出来るのです。総別の二義をしっかりわきまえて、成仏の入り口論を、しっかりと見据えて参りましょう!只、長々とお題目をあげる事でもありません。日蓮大聖人様の御心(御本尊様)に向かって、数ではなく、自分自身の、心の底からの、お題目を唱えて参りましょう!そして、日本神道は、我々の命であり、日蓮大聖人様の南無妙法蓮華経は法(成仏)です。正理会で、僕らの命を磨き、同時に成仏を目指して一歩一歩前進して参りましょう!日蓮大聖人様の御心は、終始、立正安国論(折伏)です。中杉先生にしっかりついて、成長して参りましょう!中杉先生講義ありがとうございました。
3. Posted by 大田   2019年09月05日 14:39
今日の講義拝読しました。

過去世の因によって現在の果がある。命はなりたいものになっているのだから、豚も猿も人間もそれぞれに成仏の姿であると教えて頂きました。

今世、私は人間に生まれ、法華経に出会い博士に出会い、理解しがたい南無妙法蓮華経を学ぶ事ができます。

三世は同じであるのでもっと学んで今世で成仏できなくても、来世もう一度博士に出会い、来世こそは成仏できる様に因を植えていきたいと思います。

博士 ご指導ありがとうございます。
4. Posted by 青い雲の上から   2019年09月05日 20:34
> 三世は同じである

 三世とは なんだろう?
5. Posted by マリー   2019年09月05日 23:48
創価学会が朝から晩までずっとお題目を唱えているのは意味のない行動であることは御書から明らかです。
6. Posted by Vega   2019年09月06日 01:39
中杉博士、9月5日はお誕生日をお迎えになり、誠におめでとうございます!!<(--)>
7. Posted by 弥生   2019年09月06日 01:48
>「日本人と朝鮮人は同じ人間だからどこ違うのよ? そうではありません。ぴしっと総別で分けて見ていくのです

博士の教えられる通りです!
同じ人間でも、朝鮮人の民族性(残酷、ウソつき、泥棒、近親相姦、犯罪が平気)を知れば日本人と全く違うのであり、近づいてはいけないと分かります。

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