2019年09月10日

人間の探究 1364 無我・有我(うが)論

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※バラモン教のカースト制度は、永遠の階級です。

人間の探究 1364 無我・有我(うが)論

 我々、思想に少しでも触れる仕事をしている人間は、まず最初に考えなければいけないことがあります。「世界の思想というものは、無我論か、有我論か?」ということを考えていかなければいけません。
 これが思想の入り口です。お釈迦様の出現以前のインドはバラモン教全盛の時代です。バラモン教は、有我論です。「万物に我は存在する」というのが有我論です。「Aさんという我(が)があり、Bさんという我(が)があり、我(が)が集まって世界は成り立っているのだ」と言うのです。これをプドガラ主義というのです。
 それに対して、宇宙にも我(が)があるのです。宇宙の我をブラーフマンと言ったのです。それが宇宙唯一の我であり、あとは個々の我があり、個々の我とは、ブラーフマンの子分のようなものです。
 宇宙にはブラーフマンがあり、ボタッと生み出された生命は、全て我(が)があるのです。「世界に生きているものは全て我があるのだ」という思想です。この「全てに我がある」ということになると、このようなことになります。「何故、お前は王様なのだ? それは王様という我(が)があるのだ」と言うのです。最高位のバラモン階級(僧侶階級)は、「何故、お前はバラモン僧なのか? 私は永遠にバラモン僧なのだよ。また生まれて来る時にはバラモン僧に生まれるのだ」と言うのです。
 クシャトリヤ(武士階級)も同じことが言えるのです。「僕は過去世も現在も武士をやるのが、武士のアートマンなのです」このように言うのです。スードラ(奴隷階級)は、永遠に奴隷をやるのです。それが当時のバラモン教の世界観です。
 王様は王様、僧侶は僧侶、武士は武士、奴隷は奴隷です。それが集まって世界をつくっているのです。そこで次の考えが出てくるのです。「俺は今、奴隷だけれども、この次は勘弁してほしい。今世は奴隷で生まれたから仕方ないので、奴隷の任務をまっとうする。しかし、この次も奴隷をやるのは勘弁してもらいたい」と思うのです。誰でもそう思うでしょう。
 しかし、バラモンの僧侶は「それはできない」と押さえつけるのです。「お前は永遠の奴隷だ!」と言うのです。「僕はクシャトリヤという武士階級に生まれたのだけれども、戦争はもうしたくないのだよ。今世は人も大勢殺したけれども、来世はやりたくないのだよ」と言っても「ダメだ! お前は武士そのものだから、お前のアートマンは永遠に武士だ」とバラモン僧に言われてしまうのです。
奴隷は「何とか救われたいものだ。私は奴隷だけれども、来世は女王様に生まれたい」と言っても、「ダメ! お前はまた奴隷で生まれるのだ」と言われてしまうのです。
 犬もそうです。死んでもまた犬に生まれるのです。牛もそうです。牛は神聖なものですが、「牛は永遠に牛に生まれるのだ」と言うのです。牛が「モー、結構」と言っても牛はまた牛に生まれるのです。これではたまりません。
 2500年前に生まれたお釈迦様は、「我(アートマン)というものは存在しない」と言われたのです。だから民衆が飛びついたのです。民衆「お釈迦様、もっと教えてください。アートマンはないのでしょうか?」お釈迦様「アートマンはないのだ、修行をすれば今は奴隷の階級であっても、来世は平民になれるのだよ。平民であっても、来世は貴族になることができるのだ。王様になることもできるのだ。何故、なることができるのかというと、アートマンが存在しないからだ。アートマンは人間を縛り付けるバラモンの創作だ」と教えられたのです。
 実際、真実を語るならば、アートマンはこの世に存在しません。「我(アートマン)は、この世に存在しない」とお釈迦様は言われたのです。これが仏教の無我論です。「仏教とは何を説いたのか?」というと、仏教とは無我を説いたものです。「無我とは何でしょうか?」それは、「アートマンが存在しない」ということを無我と言ったのです。
 何故でしょう。そこで仏教は「この世の中に変化をしないものは何もない」と言われているのです。山も変化し、草木も変化して、人間も年老いて死んでしまいます。豚も馬も年老いて過ぎ去ってしまうのです。この世の中は、どんどん過去になっていき、どんどん変化しているのです。
 富士山もそうです。1万年単位で見れば、富士山などなくなってしまうのです。常に変化をしているのです。「アートマンは変化をしない。アートマンがある」というのは、狂った考え方です。
 それは、物を正しく見ていません。物を正しく見ることを正見(しょうけん)といいます。物事を正見していないから、「アートマンがある」かのように考えているのです。宇宙にはブラーフマンという、宇宙のアートマンがあるように錯覚しているのです。
 だから、アートマンに執着するから苦しみが生まれてくるのです。まず、大事なことは、我(が)はありません。我(が)がないということは、貴方という個人がないのではなくて、永遠に繰り返していく魂はないということです。今世奴隷で生まれて、来世も奴隷として生まれて、永遠に繰り返していくということは間違っているのです。
 この世のものは諸行無常です。「諸行は無常」だと言うのですから、「常に無い」ということです。あらゆるものは無常ですから、「永遠に変わらないアートマンがある」という考え方は、全くおかしな考え方です。諸行は無常なのです。あるが故にアートマンはなく、無我なのです。
 諸行無常・諸法無我はお釈迦様の教えの最初のご説法の軸になるものです。当然、これは対立します。「アートマンが存在する」と考えているバラモン教と、お釈迦様は「アートマンはない」と言っています。「生意気な小僧だ。釈迦を許すな」ということで、九横の大難で釈迦を殺そうとして、弾圧をしてきたのが仏教の最初の歴史です。
 仏教を学ぼうと思ったら、この入り口論である諸行無常を勉強しなければいけません。では、我(が)に見えるものは一体何でしょうか? 何か人間には我があるように感じます。諸因所縁によって、たたずんでいるのが人間です。
 「たたずむ」とは、「様々なものが集まって」という意味です。過去があり、現在があり、未来があり、様々なものが集まって形作られているのが人間です。肉体も常に変化をしていきます。
 これを我(が)と思って人間は錯覚しているのです。よく考えてみると、万法無実体無本質・諸法因縁仮和合です。人間という存在は、仮に和合しているのにすぎません。人間が死んで燃してしまえば、なくなってしまいます。「今までいたAさんとは何なのでしょうか?」というと、諸法因縁仮和合です。たまたま様々な因縁が集まって、そこにたたずんでいるだけで、時がくると仮和合なのですから、和合がとければ元に戻るのです。何もなくなるのです。何処にも我(が)など存在していません。そうなのです。
 仏教の入門者はここのところをしっかりと勉強して、「万法に我があるのか、無我なのか?」、それを極めていくところから仏教の学びは出発するのです。

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この記事へのコメント

1. Posted by 行合84   2019年09月10日 06:10
中杉先生ブログ拝見いたしました。バラモン教の有我と、仏教の無我とてもわかりやすく、お話、ありがとうございました。人間の魂は永遠だと思いますが、生まれては死に、生まれては死にを繰り返している存在であると思います。すなわち、因果具時の世界です。人は自分のやった善根と悪根で、肉体を持って生まれ来ているのです!それは我では測れない、無我の世界なのです。僕ら正理会のメンバーは、中杉先生の教えを心肝に染めて、日々努力して参りましょう!日蓮大聖人様の立正安国論のご精神のように、折伏行に身を投じて参りましょう!中杉先生講義ありがとうございました。
2. Posted by マリー   2019年09月10日 13:59
カースト制度の根強いインドに生まれなくて本当に良かったです。いまだにインドではアートマンというのを信じています。アートマンに固執しては苦しみが生まれます。日本で真の仏法を学べて幸せです。
正理会で学ぶと世界一の思想を学べます。
3. Posted by 大田   2019年09月10日 16:59
今日の講義拝読しました。

万法無実体無本質・諸法因縁仮和合は日本神道の造形三神の働きと同じなのではないかと思います。

この教えは用、自然の法則なのではないでしょうか。
今は人間ですが時が来れば無実体です。無くなってしまいます。

でもまた諸法の因縁によって体が与えられ法の世界に生まれます。
心を磨いて成仏したいです。

博士 ご指導ありがとうございます。
4. Posted by Vega   2019年09月10日 19:48
>3
万法無実体無本質・諸法因縁仮和合は日本神道の造形三神の働きと同じなのではないかと思います。

万法無実体無本質・諸法因縁仮和合」とは、生命の実相を述べたものであり、

日本神道の造形三神とは、「あめのみなかぬしの神」(万物の根元)、「たかみむすびの神」(人間が成長するなど、発展する力)、「かみむすびの神」(発展が限界まで来ると、元のあめのみなかぬしに戻ろうとする力、つまり人間ならある一定の年齢に達したら死に向かうこと)であり、

神の働きとは違うのではないかと思います。

5. Posted by 大田   2019年09月11日 09:30
>4

ありがとうございます。

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