2019年09月11日

人間の探究 1365 法華経の兵法

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※『呉子』(ごし)は、春秋戦国時代に著されたとされる兵法書。武経七書の一つ。古くから『孫子』と並び評されていた。

人間の探究 1365 法華経の兵法

 「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(四条金吾殿御返事)

 これは以前にやったことがありますが、深く考えてみたいと思います。兵法とは、人間と人間が戦うために考え出された兵法です。実に多くの兵法があります。『孫子の兵法』『呉子(ごし)の兵法』『司馬法』『六韜(りくとう)』『作戦要務令』などです。
 これらの中でも日蓮大聖人様は、「如何なる兵法よりも法華経の兵法が優れている」と言われています。法華経は兵法ではありません。「相手を殺すためには、どうしたらよいのか?」ということを説いたものではありません。
 普通で考えたら、法華経は兵法書にはなりません。では、なぜ日蓮大聖人様は「法華経は如何なる兵法書よりも優れている」と言われたのでしょうか? その意味がだんだんわかってくるのです。
これをわかる鍵は、「一切世間の治生産業は皆実相と相い違背せず」(白米一俵御書)という御書です。これとつながってくるのです。優れた物を一生懸命造ります。陶磁器でもよい、刀でもよいのです。何でもよいのです。一心不乱に物をつくって神の極意まで登り、最高の物を造ると、それは何の知恵かというと、妙法の智慧なのです。
 世間におけるところの治生産業、国を治めるための良い法、本当に優れたものは妙法から出ているのです。これと同じことです。最高の兵法は妙法から出ているのです。
 何故、法華経の兵法を最高の兵法だと言うのでしょうか? 全て世界の出来ている物は、法なのです。法があるから、人間は生まれてくるのです。法が有るから生まれた人間は法に従っているのです。
 この場合の法とは、「男である、女である」ということです。男の生き方は、男の法ですから、その中で生きていくのです。女は女の生き方の中で生きていくのです。でもそれは考えてみると、全て妙法のうちの法の生き方です。
 妙法は、その奥を説いているのです。表面に出てきた、人に尊敬される法があります。教育勅語もその中に入ります。かなりよいところまで近づいても、全て妙法から出てきているわけではありません。兵法もそうです。良く考えられていて、「法として考えた場合、最高だな」と思う法もあります。
 その中で最高の兵法があるとするならば、それは妙から出ていなければいけません。妙を頭に置いて、それから作られた兵法ならば最高です。普通の兵法には、妙は入っていません。どんな兵法でも、法から作られた兵法なのです。
 ただしそれが人間技を超えて、最高の刀を造って「これは人間技ではないな」というものが出来たとしたら、それは妙法から出来ているのです。中国の唐の時代、貞観の治では、太宗による素晴らしい政治が行われました。とても人間技ではないくらい、よく治まったのです。それはどうなのかというと、それは法をつくったのではなくて、妙法から出ているのです。
 「妙法から出ている」とは、何かというと、生死の二法から出ているのです。もし、この世の中において、素晴らしい実績を示した人がいても、生死の二法を知らなければクズみたいなものです。どのようなよい物が出来ても、クズのようなものです。良いものは、法から出来るのです。
 法で出来ても、それは妙法から出ていないとダメなのです。これがわかれば法華経の兵法もわかるのですが、普通の人はこの話が全くわからないのです。最高に良いものは、妙から出てくるのです。
人間の見方にしてもそうです。どんなに経済学者が経済学の本を作っても、これは法なのです。妙法で生きている人は、そのような作り上げた法では生きていません。だから、裁判官などやらないのです。裁判官は法の世界に生きているのです。「裁判官は法の世界で勝手にやっていなさい」ということです。
 例えば、僕は妙法で生きているのです。もう、そのようなくだらない裁判は一切やりません。「勝った」「負けた」もありません。それが妙法です。法華経の兵法は妙法から出ていなければなりません。
 人間の知恵を絞って、「このようにすればよい。このようにすれば勝てる」などと、こねくり回していくら作ったところで、所詮それは切ないものです。妙法という世界から見ている人にとっては、そんなものはゴミなのです。
 「人殺しをどれくらい多くやるのか」そのような話です。妙法の世界から見ている人は、そんなことは考えません。そこから出てくるのが法華経の兵法です。戦わないことも含んでいるのです。
 法華経の兵法では、南無妙法蓮華経の旗を立てて、加藤清正のような人もいます。何が違うのかというと、妙法から出ているのですから、オーラが出てきて手向かい出来ないのです。それが妙法です。
 手向かい出来るならば、相手の法を破ればよいのです。妙法の人は破れないのです。それを知って修行に励みなさい。いくら法華経を保っていても、そのことがわからなければ何もわかっていないということです。
 「一切世間の治生産業は皆実相と相い違背せず」とは、そのようなことです。「法はここまでだな」とわかり、これを越えると妙法の世界に入るのです。刀にしても「人を斬る道具だ」と言うならば、これは法の世界です。それを超えて、「もっと良いものが出来ないか? もっと良いものが出来ないか?」と追っていくと妙法の世界に入ってしまうのです。
 妙法の世界で作られた刀は人殺しの道具ではありません。世の中に平和をもたらすためのものです。相手を殺さず、自分も傷つかず、妙法が涌現する生産物でなければいけません。
人間の存在もそうです。「貴方たちは法の世界で喧嘩をしていなさい。私は妙法の人間です」、と言える境涯まで進むのです。それが法華経の行者というのです。


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この記事へのコメント

1. Posted by 行合84   2019年09月11日 06:46
中杉先生ブログ拝見いたしました。白米一俵御書の御聖訓に、一切世間の治世産業は皆実相と相い違背せずとありますので、ここが入り口論ですね。そして、先生は、全ては、生死の二法から出ているのです!と仰いました。そしてまた、私は妙法の人間ですと言い切れる境涯を目指しなさいと、ご指南されました。僕ら正理会のメンバーは、何が正しくて何が間違っているのかを、先生のブログで読み取って、日蓮大聖人様の南無妙法蓮華経の修行で成仏を勝ち取って参りましょう!中杉先生講義ありがとうございました。
2. Posted by マリー   2019年09月11日 12:34
妙法で生きている人は素晴らしいです。
米でも刀でも全ての創造物は妙から出てきます。人間は生命を創れません。地球の食べ物も妙法からの恵みです。有り難いですね。
3. Posted by 大田   2019年09月11日 17:09
今日の講義拝読しました。

>法華経の兵法は妙法から出ている

法華経の兵法は戦いをしない、相手が逃げていく法なのだと分かります。

博士には誰も挑まない、挑む人がいない、皆逃げてしまう。

法華経の兵法なのですね

博士 ご指導ありがとうございます。
4. Posted by 一国民   2019年09月12日 01:58
>妙法の人は破れない

博士がそうですね。
5. Posted by 青山   2019年09月13日 11:13
5 御講義有難うございます

妙法の人間であると言える境涯にならなければならないと思いました。

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