2019年09月26日

人間の探究 1376 末法の上行菩薩

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※生命が無ければ「この世がある」とは、わかりません。自分の見ている範囲で、この世があるのです。それが生命です。生命が無ければ何もないのです。火山が爆発しても所有者がいないのです。洪水が来ても、津波が来ても関係ありません。

人間の探究 1376 末法の上行菩薩

 「末法当時は久遠実成の釈迦仏・上行菩薩・無辺行菩薩等の弘めさせ給うべき法華経二十八品の肝心(かんじん)たる南無妙法蓮華経の七字計(ばか)り此の国に弘まりて、利生得益(りしょうとくやく)もあり。上行菩薩の御利生盛んなるべき時なり」(法華初心成仏抄)

 「末法当時は久遠実成(くおんじつじょう)の釈迦仏・上行菩薩・無辺行菩薩等の弘めさせ給うべき法華経二十八品の肝心(かんじん)たる南無妙法蓮華経の七字計(ばか)り此の国に弘まりて、利生得益(りしょうとくやく)もあり。」

 上行菩薩のことを、久遠実成と言うのです。「久遠実成とは、いつなのか?」と言うと、お釈迦様が誰にも教わらないで、悟った時のことを言うのです。
 「宇宙が出来た最初の時はいつなのか?」というと、これが問題です。それは、生命が出来た時のことをいうのです。生命がないのに、「何憶万年前に星が出来た」などと仏教では言っていないのです。
 生命が無ければ「この世がある」とは、わかりません。自分の見ている範囲で、この世があるのです。それが生命です。生命が無ければ何もないのです。火山が爆発しても所有者がいないのです。洪水が来ても、津波が来ても関係ありません。
 生命がいると、「ああ、洪水だ。大変だ!」「津波だ、逃げろ!」「火災だ、逃げろ!」と思うのです。これらは、生命と関係しているのです。仏教は生命がない時に、どんな世界があったのかは関係ありません。
 何らかの生命がいて、「この世界は不思議な世界だ」と見渡して、「この世界はどのようにして成り立っているのか?」ということをわかるために修行して、悟りを開いた時を久遠実成と言うのです。
 普通の人は、生命の始めをそのように思っていません。無機質な地球が爆発して出来た時が始めの時ではなく、生命が生まれて、初めてそれを見て「火山がある、津波がある、大風が吹く。何故、こんな目に遭うのか?」と自我がそこで目覚めます。
 自我が目覚めた時が、久遠元初(くおんがんじょ)です。それは「我が身は地水火風空だ」と悟った時です。この自然界と自分の関係がわかった人のことを「仏」と言うのです。普通の人はそんなことはわかりません。問題にもしていません。
 普通の人は、「我が身と自然界は関係ない」と思っているのです。「何故、自分はこんなに苦しい目に遭うのか?」と思っているのです。それは違うのです。我が身と地水火風空の五大は深い相関関係があるのです。心が無ければ火山も見えません。
 水害が来ても心がなければ、何もないのです。大風が吹こうが、津波が来ようが、そこに自分がいなければ関係ありません。そこに自分がいることによって、「ああ、これは苦しい。止めてくれ」と思うのです。その理由を悟った人のことを久遠実成と言うのです。
 それ以来、悟ったことが代々の釈尊に伝わって今日まできたのです。その内の一番弟子が上行菩薩です。何を悟ったのかというと、妙法蓮華経を悟ったのです。「この世は妙法蓮華経なのだな」と悟ったのです。それ以外、悟りようがありません。この世は妙法蓮華経なのです。
 代々、生まれてくる御聖人様がいて、日蓮大聖人様は「妙法蓮華経をもっとハッキリさせてあげましょう」と悟った内容が、南無妙法蓮華経です。「宇宙を構成している要素、自分を構成している要素は、南無妙法蓮華経の7字の中に納まるのです」というところを日蓮大聖人様が教えてくださっているのです。
 「上行菩薩の御利生盛んなるべき時なり」
 末法は、ますます釈迦仏法が廃れて、人心が荒廃している時であるから、上行菩薩がお建てになられた法が末法の衆生を救うのです。上行菩薩と日蓮大聖人様は同じです。釈迦仏法の上行菩薩と日蓮大聖人様は同じなのです。
 ひっくり返してみると、日蓮大聖人様は御本仏であられるのです。それは、今日の講義では説きません。上行菩薩が末法に法を広めるのです。「日蓮大聖人様は上行菩薩の再誕である」とも言われているのです。
 日蓮宗のお寺で「日蓮上行菩薩」と書いているお寺が未だにあります。或は、「日蓮菩薩」と書いているのです。「日蓮菩薩」とは、上行菩薩を意味しているのですが、日蓮大聖人様は「菩薩」ではありません。
 そのような一面もありますが、日蓮大聖人様は仏教の本を建てる人ですから、菩薩ではありません。菩薩とは、誰かが本を建てて、それを広めていく人が菩薩ですから、日蓮大聖人様はそのような意味で言うと菩薩ではありません。
 日蓮大聖人様は、南無妙法蓮華経という法をお建てになられた御本仏ですから、上行菩薩ではありません。いずれにしても、この末法に南無妙法蓮華経というこの7文字を広めていくことが大事です。
 その人は、上行菩薩に通じているのですから、大功徳を受けるのです。物心両面にわたって功徳を受けるのです。功徳を受けるということは、変な災害に遭わないということです。「地水火風空が一体となって我が身を形成している」とわかったのですから、そのことをわかって南無妙法蓮華経と知る人には、変な災害や事件は起きないのです。
 「災害や事件は起きない」と思って修行しなければいけません。創価学会員は災難、事故だらけです。正法をちゃんと信仰しているならば、あり得ないことです。創価学会は法が狂っているから、災害や事故が起きるのです。
 正理会の皆さんは、しっかりと妙法を学んで、「災害にも事故にも遭わない」と決意していくのです。何故かというと、人間の生命と大宇宙は一体です。「人間の生命と大宇宙は違う」と考えているから、災難に遭うのです。
 災難があるところに生命はありません。そのように考えていくのです。我々が災害に遭うのは、示すためです。示同凡夫(じどうぼんぷ)なのです。我々は悟ったからと言って上から見て、「凡夫が災害に遭っているな。馬鹿だな、何をやっているのだ」と見ていてはいけないのです。
 悟った人は示同凡夫(じどうぼんぷ)です。悟ったけれども、凡夫を示していくのです。今までは仏様のほうを見て修行してきたけれども、悟った瞬間に衆生のほうを向いているのです。「お前達をどのように救うのか?」と衆生のほうを向いているのです。仏様のほうに向かっても仕方ありません。
 「どうやって救うのですか?」と仏様に聞くと、「お前にはそれを教えただろう」と言われてしまいます。「わかりました」と下を向くと、「うわ、ひどい衆生がいるな」とわかるのです。
衆生を救うために示同凡夫(じどうぼんぷ)がいるのです。示同凡夫(じどうぼんぷ)ですから小さな難にも遭うのですが、そんなことはどうでもよいのです。衆生に大事なことを教えていくのです。「一人の生命を救う」ということは、何憶万人の命を救ったことになるのです。
生まれ変わり、生まれ変わっていく命に救いを与えるのです。だから、折伏は大功徳を頂けるのです。折伏をしない人は、功徳を絶対にもらえません。それでも上に向かっていけばよいのです。
「日蓮大聖人様、お願いします。修行させてください。悟るまで修行します!」と言うのならば、それはそれでよいのです。わかったならば、目を下に向けて衆生を救うために下界に降りていくのです。
それが今の正理会です。まずは、悟るために修行をしなさい。修行して上に登り、日蓮大聖人様のお心を知りなさい。それが修行の第一歩なのです。

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この記事へのコメント

1. Posted by 行合84   2019年09月26日 07:04
中杉先生ブログ拝見いたしました。先生の仰るように、久遠実成、わが身が、地水火風空の五大と、悟り、自然界と、自分の関係が分かった人が仏であり、宇宙と自分の構成要素は、日蓮大聖人様の南無妙法蓮華経ですと、それは、示同凡夫として、つねに、民衆の方を向いていて、一人の生命を救うことは、何億万人の生命を救うことですと仰いました。僕ら正理会のメンバーは、勇気を出して、修行の第一歩を踏み出して参りましょう!中杉先生講義ありがとうございました。
2. Posted by 大田   2019年09月26日 14:14
今日の講義拝読しました。

日蓮大聖人様は末法の御本仏様であられます。

心は一念三千です。
しかし私の見える範囲にしか心はありません。
色心不二です。

悟るまで修行をします。日蓮大聖人様の御心を学ばせていただきたいです。

博士 ご指導ありがとうございます。
3. Posted by マリー   2019年09月26日 18:19
衆生を救うために示同凡夫(じどうぼんぷ)がいるのです。示同凡夫(じどうぼんぷ)ですから小さな難にも遭うのですが、そんなことはどうでもよいのです。衆生に大事なことを教えていくのです。「一人の生命を救う」ということは、何憶万人の命を救ったことになるのです。

一人の命を救う数億人の命を救ったことになるのですね。一人の命の無数の先祖や子孫を救うことになるのですね。折伏は大切ですね。

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