2019年10月08日

人間の探究 1384 一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)

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※太田哲二(おおたてつじ)立憲民主党杉並区議会
生年月日1948年3月16日 経歴 著述業 ほのぼのよろず相談室相談員
学歴 中央大学大学院修士課程法学研究科卒業
佐々木千夏区議会議員に「差別をやめろ!」と言ったのが、太田哲二議員です。
中杉博士の電話をガチャギリした太田哲二議員は立正佼成会です。


人間の探究 1384 一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)

 「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」このような言葉が経典にはありますが、間違って解釈してはいけません。「一切衆生に悉く仏性が有る」ということは、どのようなことかというと、豚や牛や猫でもみんな仏性があるのです。
 草にも木にも仏性があるのです。「生きている」ということが仏性なのです。生きている生命が仏性です。草でも木でも生きているのですから、みな仏性があると言えるのです。これを、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうことごとくぶっしょうあり)」という言葉で表しているのです。
 では、豚は仏性を自覚できるのでしょうか? できません。生きているのだから、豚も牛も馬も野蛮人も仏性はあるのです。「生きている」と言ったら、みな仏性があるのです。仏性とは、「生きている」ということです。
 ということは、「仏とは何であるのか?」というと、「生きている」ということなのです。生命あるものは生きているということですから、「生きている」ということが仏ということですから、悉く仏性があると言えるのです。
 しかし、人生にもいろいろとあります。幸せになる人もいれば、幸せにならない人もいます。豚箱ばかり行っている人もいれば、豚箱に縁のない人もいます。「一切衆生には悉く仏性が有る」と言ったら、これらの人は皆、同じなのでしょうか? 
 「悪人にも仏性があるのだから、人殺しにも仏性があるのだから、皆一緒よ」そうなってしまうのです。これは、「総じて」の理論です。生命なのだから、確かに仏性はあるのです。総じて言うと、一切衆生には悉く仏性が有るのです。これは、わかるでしょう。
 しかし、別して言うと仏道に目覚めて、この生命の正体を明らかにしようと思って真剣に励んでいる人(仏道修行)と、真剣に仏道修行をしていない麻薬中毒者と同じではありません。

 このように言うと、佐々木千夏区議会議員の朝鮮通信使の発言に対して「発言を撤回しろ!」と言ってきた立憲民主党の太田哲二議員と同じです。太田議員は、立正佼成会の人間らしいのです。立正佼成会は、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうことごとくぶっしょうあり)」と言うのです。わかりやすいでしょう。
 太田議員は「一切衆生には仏性があるのに、民族差別をするようなことを言うな」と言ってきたのです。杉並区会議員の電話番号は杉並区のホームページに掲載されているので僕が「太田議員、それではお話しましょう」と電話をすると、「ガチャン」と電話を切ってしまうのです。卑怯な奴です。
 そうではないでしょう。これは、「総じて言うと」ということなのです。「別して言うと」、仏道修行をちゃんとしていないと、仏性があるとは言えません。「生きている」ということは、皆仏性があるのです。
 「生きている」ということは、全て同じではありません。全て違いがあるのです。努力をする人、努力をしない人、怠け者、働き者、遊びたいだけ遊ぶ人、遊ばないで一生懸命励む人、人生は全て違います。「仏性がある」といえども、人間の生き方は全て違いがあるのです。これが、「別して」という理論です。
国についても同じです。日本の国は仏様が創られたようなものです。国としても仏性があるのです。韓国はどうでしょう。ウソばかりついて、国の体をなさない国もあるのです。国もみな同じではありません。
 100メートルを9秒で走る人もいれば、100メートルを20秒かけて走る人もいるのです。全て悉く違うのです。一つたりとて、同じ生命はありません。人間の顔もそうです。似ている人間はいても、同じ人間はいません。「ちょっと似ているな」と言われても、実は違う人間です。千差万別です。
 仏教はそのように差別を説く面と、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうことごとくぶっしょうあり)」という面と2つあるのです。それを混同してしまうと成仏などしません。「俺には仏性があるのだろう。朝から晩まで酒を飲んで好きなことをやってやるぜ。何か文句あるのかよ」という、大変な仏性もいるのです。道に迷った仏性がいるのです。わけがわからなくなってしまっているのです。
 「一心欲見仏 不自惜身命(一心に仏様を見たい。仏になりたい)」、と励んでいる人と、「一切衆生には悉く仏性が有るのだよ。俺にも仏性があるのだよ。何か文句あるのか?」というのでは違うでしょう。
 これがわからないと国の違いもわからないし、人間の違いもわかりません。仏法というものは、差別(シャベツ)を説いているのです。国土世間・衆生世間・五陰世間がありますが、世間という意味は、仏教用語では「差別」という意味なのです。
 仏教は、ある面では差別を説くのです。それを言わなければわかりません。「貴方は人殺しをやっていたら、仏にはなれませんよ」と言わなければいけません。世間は差別に満ちています。五陰世間と言っても、五つの臓器は全て違います。目・耳・鼻・口・意には、全て違いがあります。
 もっと言うとこの世界は、衆生の数だけあります。同じこの地上にいて、現在という時に世界には何千億という生命があります。ムシケラも生きています。大きな象も生きています。それぞれが自分独自の世界を持っているのです。
 象は象の世界、犬は犬の世界です。犬は人間の見ている世界とは違います。犬は色盲だと言われています。色がわかりません。匂いだけは人間の数千倍発達しています。匂いの世界です。犬は色盲で近眼です。それが犬の世界です。決して、人間が感じ取っている世界を見ているわけではありません。
 ムシケラにも、飛んでいる蚊にも世界があるのです。蚊の世界と言っても、いろんな蚊がいるのです。ほとんど、無限の数だけ生命があり、不思議な世界があるのです。自分が生きている人生は、自分だけの世界です。
 そこから導き出される結論は、「私が見ている世界は自分だけの世界なのだな」とわかるのです。人の世界ではありません。だから、無くならないのです。それを天台大師が言われたのです。
 貴方の世界です。貴方が死んだら「無くなってしまう」と思うでしょう。それは、自分のことを客観的に見ているのです。自分というものはなくならないのです。生きている世界がまた出てくるのです。その出てくる世界には、必ず自分以外の動物がいるのです。これを衆生世間といいます。自分以外の生命が必ずいます。
 もし、自分以外の生命がいなければ、自分は生きられないのです。何かを食べて生きているのが衆生です。必ず衆生がいるのです。だから生きていられるのです。これが誰もいなかったら生きられません。衆生が必ずいるのですから、安心していられるのです。死んだ先はどうなるのかというと、必ず衆生がいるのです。誰もいない世界などありません。生命は永遠です。
必ず自分以外の衆生世間(差別)があるのです。この両方を教えていかないと、本当の仏教とは言えません。立正佼成会は、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうことごとくぶっしょうあり)」だから、「差別はいけない」と言うのです。それでは、善人も悪人も同じになってしまいます。
念仏の親鸞は、悪人正機説を唱えたのです。「仏は悪人を救うために現れたのだ。何故ならば、善人は自分で修行して仏になっていくから、仏様は心配していないのです。どうしようもない悪人は悪いことをして、悪が染みついているのです。それを助けるために阿弥陀仏が現れたのだ」という理論です。これが悪人正機説です。
だから、自分を悪人と思っている奴には念仏の教えはスッと入るのです。「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうことごとくぶっしょうあり)」です。それは違うのです。総別の二義をしっかりとわからないと、クソ味噌一緒の理論になってしまいますこのようなことをきちんとわかっていかないと本当の仏教はわかりません。

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この記事へのコメント

1. Posted by Vega   2019年10月08日 01:53
>中杉博士の電話をガチャギリした太田哲二議員

立正佼成会は邪教なので博士が怖かったのだと思います!!
2. Posted by マリー   2019年10月08日 12:06
総別の二義を区別して考えないと創価学会のように人間主義などの考えがでてきます。
しかし現実は全く違い悪しき平等論になってしまいます。政治家は総別の二義を理解してから発言してほしいですね。
3. Posted by 主任教授 さえこ   2019年10月08日 14:26
5 今日の講義「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」拝読しました。

私も、太田哲二議員に電話をしてみました。
電話にも出ません。
杉並区の区民からの電話にでない卑怯な男です。

自分の言いたいことを言って、議論を申し込まれたら、議論しなければいけません。
それができないからやましいのだとわかります。

朝鮮通信使は、日本の記録では朝鮮聘礼使(へいれいし)といいます。
朝鮮出兵の恐怖から、「二度と手向かいしません」という意味で、徳川将軍の代替わりの時にやってきたのが、朝鮮聘礼使(へいれいし)です。

朝鮮聘礼使(へいれいし)は正式な招待客ではないので、江戸城の裏門から入ったという記録もあるのです。

朝鮮聘礼使(へいれいし)が来ると、宿泊の先々で掛け軸・枕・布団までかっぱらい、鶏をかっぱらい、日本人は大変迷惑をしたのです。

悪人も一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)と言ったら、それは総別の二義が全くわかっていません。

立正佼成会の信仰はこの程度なのです。

正理会で学んだ人は誰にも負けません。
道理を追及していきましょう。
4. Posted by 大田   2019年10月08日 16:55
今日の講義拝読しました。

議員と言っても情けないですね。学校で教えられている歴史は、我が国の歴史と違っている事もあります。議員であればそのくらいの事は知っていて当然だと思います。

議会で発言される事ですので、事実をわきまえて発言して欲しいと思います。

総別の二義が如何に大事であるか分かるようになりました。

博士 ご指導ありがとうございます。
5. Posted by 行合84   2019年10月08日 22:38
中杉先生ブログ拝見いたしました。仏とは、生きていることなんですね。そして、生きているとは、みな仏性があると仰いました。そして、仏教とは、差別を説く面と、無差別を説く面があるのですね。総別の二義とは、一往は、再往はなどと称されておりますが、簡単のようでいて、とても奥の深い言の葉ですね。生命は永遠ですと言う言の葉は、円の周りを、永遠に回っている状態ですね。でもそんなにも単純な話ではないないのです。中杉先生にしっかりと総別の二義を、学んで参りましょう!成仏の入り口論は、何か?そして、何が正しくて何が間違っているのかをしっかりと中杉先生に学んで参りましょう!今月の19日と20日の秋期講習会で真剣に学んで参りましょう!正理会のメンバーの皆々様との再会を楽しみにしております!中杉先生講義ありがとうございました。
6. Posted by ナキムシ   2019年10月09日 00:34
政治家は、ちゃんと歴史を勉強して身につけて議員になってほしいですね、
立正佼成会会員ですかね?
仏教の本質的な救われ方もわからない、人格完成の目的も達成していないでしょうか、議員お止めになって、もう少し研修にはげみしょじんして改めて議員になったら良いでしょう、でないと立正佼正会の恥ですね。
9. Posted by 古都   2019年10月13日 22:37
5 講義頂き有難うございます。

>必ず自分以外の衆生世間(差別)があるのです。この両方を教えていかないと、本当の仏教とは言えません。

立正佼成会は、大聖人様の正しい仏法が全くわかっていないのですね。太田哲二議員は、博士と議論をしても負けるのがわかっているので、電話に出ないのだと思います。自分の主張が正しいと思うなら、堂々と議論が出来るはずです。
日本人と朝鮮人を一緒にして考えるのは、おかしい話です。朝鮮人の民度は、日本人と同じではないのです。親鸞の悪人正機説も、悪人が救われるなど因果の法則もわからないのでしょうか。
総別の二義が分からない人は、「世界平和や、対話で解決」と主張し、日本の国益を考えていません。

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